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09月27日 日  OKな日々(あくまで当狸比)

 昨日今日と自主二連休。
 例の木馬物件を打ち進めねば打ち進めねばと思いつつ、結局、I氏にメールで教えてもらった最近の映画をレンタルして観たり、地下鉄の隣駅界隈を徘徊したりで、もう夜になってしまった。まあ、ちょっとは打ち進められたので、とりあえずOK。

 ところでイタリア映画『鑑定士と顔のない依頼人』(2013)は、映画史上に残る大傑作です。ミステリー映画(個人的には、むしろファンタジー)ゆえ、ネタバレを避けてどこにもリンクさせないが、たとえネタバレ後でも、あの深々とした情緒は変わらない気もする。こうしたクラシカルな名画を、軽佻浮薄に走りがちな昨今においてもどーんと成立させてしまうイタリア映画界に、悶絶的羨望の念を禁じ得ない。
 ここを覗いてくださっているI氏以外の方で、この映画をまだ観ていない方がいらっしゃったら、すぐに観なさい。これは命令である。
 ただし、あなたが50歳を越えていない場合、あるいは心身共にビンボな方の場合、もしかしたら主人公に感情移入しきれないかもしれません。その場合は50過ぎてから、あるいは心だけでもビンボを抜けてから、また観るのが吉。
 ちなみに老狸は、体は化けてもビンボですが、心はなんとか人並みに化けているつもりなので、オールOK。

          ◇          ◇

 移民問題やら外国人犯罪報道やら、相変わらず時々駅前で胴間声を上げているヘイトな方々やら、この国のいわゆる島国根性に関して思うところは多々多々多っとあるわけだが、つまるところ、この国の底辺労働者も犯罪者も生活保護対象者も、なんと驚くべきことに大部分が日本人であるので、いっそ日本人をひとり残らずこの美しい島国から追い出してしまえば真に美しい国家に仕上がるのではないか、などと思ったりしてしまう、短絡的な狸です。
 じゃあお前も出てけ、と言われても、狸は人間ではなく、あくまで狸なのでオールOK。

 さて、狸としてもうちょっとでんぐりがえってから、明日に備えて寝ましょう。


09月24日 木  アグネス上等

 アグネス殺害予告の脅迫で15歳少年宅を家宅捜索【日刊スポーツ 9月24日(木)16時17分配信】

 歌手アグネス・チャン(60)のツイッターに、殺害予告したとして、警視庁が24日、東京・昭島市の少年(15)の自宅を脅迫の疑いで家宅捜索していたことが分かった。
 日刊スポーツの取材によると、少年は中学3年生で、捜索は21日夜に行われており、少年は「慈善活動をしているのに、豊かな生活をしているのに許せなかった。こんなに大騒ぎになると思わなかった」と話して、反省しているという。警視庁は少年を書類送検する方針。
 事件は19日午前8時15分、アグネスのツイッターへの投稿で発覚した。「9月21日ナイフでメッタ刺しにして殺しますよ。児童ポルノを認めないと君のアグネス御殿は血まみれになりますよ。今すぐ認めてくださいね」などの書き込みがあった。
 アグネスは23日夜、滞在先の米国から帰国し、取材対応した。三男の米スタンフォード大入学式に出席するため、滞在中だったサンフランシスコで書き込みに気付き、事務所関係者を通じて、渋谷署に通報したと明かしていた。「21日は何もなかったです。名乗り出て反省してほしい。本気じゃなかったと言ってくれるのが一番みんなが安心する。ぜひお願いしたい」とも話していた。


 ほう、やっぱり児童も児童のハダカが見たいのか。
 考えてみりゃ、同世代やちょっと下の世代のハダカが見たいということだから、現時点では異常でもなんでもないわけである。狸だって15歳の頃は見たくて見たくてたまらなかったし、正直、半白髪となった今でも見たい。現時点においては、狸のほうが、よほど唾棄すべき変態なわけである。
「慈善活動をしているのに、豊かな生活をしているのに許せなかった。こんなに大騒ぎになると思わなかった」などという未熟な釈明もまた、児童なら仕方ないだろう。未熟な児童が気軽に未熟の限りを尽くせる情報システムのほうが、明らかに未熟なのだ。
 とはいえこの児童も、このまんま成人してしまうと、ただの寸足らずになってしまう。いてもいなくともかまわない普通の人にさえなれない恐れがある。必要なのは後悔でも反省でもない。今後の生きる形である。そのうち自分で稼げるようになったら、たとえ50円でも100円でも、自分より貧しい児童に還元してほしいものである。
 欲望や嫉妬には、それ相応の偽善を伴わないと、一生アグネスに頭が上がらないぞ。


09月20日 日  狸の日曜日

 まあ今週も世の中では日々エラいことやらアホなことやら犬畜生なことやら多々々々々っと起きていたわけだが、どうで人間世界のことなので狸ごとき一介の小動物としてはいかんともしがたいわけである。正直近頃は、全人類の中でも一人前のガタイをした大人などは愛し合うなり殺し合うなり日和るなりツッパるなり、好き勝手に死ぬまで生きていれば大宇宙の構成要素としてそこそこ機能するのだからはいはい皆さん勝手にやっててくださいね、そんな気分なのである。でもちっこい子供だけはロリにしろショタにしろ見ていて大層愛しいので、子供をイジメる大人はひとり残らず30秒以内に惨死してほしいし、子供をイジメる子供はひとり残らず東尋坊の崖からダイブして、でもいつの日かきっと立派に這い上がってくるんだぞ、でも寸足らずのままだったら海の彼方に流れ去っていいぞ、そんな気分なのである。それにつけても近頃のユニセフのテレビCMは、もはや鬼畜なのではないか。あんなシロモノを見せられたら、プランジャパンのみならずユニセフのほうもやっぱりマンスリーでこまめに寄付しないとペド野郎として胸を張って死んでいけないのではないか、そんな危機感に苛まれてしまう。年収200万チョイの尾羽うち枯らしたペド親爺にどんだけ悩み続けろというのか。仕事に徘徊に常用しているドンキの990円スニーカーだって、履き古して雨が降ると水が漏る有様なのだぞ。などと嘆いている狸を、しかしドンキは見捨てなかったのである。こないだ靴売り場を覗いたときああ欲しいなあ欲しいなあと垂涎した4480円もする狸好みの渋茶色のアシックス5センチ防水保証スニーカーが、今日は現品限り2480円の処分特価になっていたのである。それとていつも買うスニーカーの何倍も高価なのだが、神よ悪魔よ、たまたま狸の足に適合するサイズも売れ残っていたので、清水の舞台から渾身の助走を経て京都の大空に飛翔し三回転半宙返りの末に眼下の林床に叩きつけられる覚悟でレジに運んでしまったのである。で、狸穴にくわえこんでいそいそと靴紐を調整していると例によってミケ女王様が御来臨、夕飯のヤキソバに入れる予定だった豚コマを半分がた搾取されたり、久しぶりに上がりこんできたブチ下僕のヨダレ――老齢なので近頃は顎の下にヨダレをたくわえていたりするのである――を拭いてやった後にここを先途とふにふにしまくったりしながら、ああ今月は色々あって月イチ更新予定の木馬物件の次回分がまだ半分も進んでいないなあ、とか、大宇宙の構成要素としてなんら機能しないであろう閉塞的な想念にふととらわれたりもするが、シルバーウイークとやらとは無縁なものの今日明日は自主アブレにしたので、これからせいぜい打ち進めようと心に誓う日曜夜9時半の狸なのであった、まる、と。


09月16日 水  雑想

 国勢調査の『インターネット回答の利用案内』の封筒は、狸穴でも、ベロさえ折らず縦に二つ折りにしただけで集合ポストにずらずらと突き出ていた。まあ、これに記載された番号を盗まれてもどうってことがないことは解るが、粗忽な狸などは、てっきり広告類の仲間と思いこみ、そのまま古新聞袋に放りこんでしまい、巷で話題になってから、ようやく探し出したりした。
 まあ、しょせんお上がやることだから、キマリ以上の親切を期待しても無駄である。

          ◇          ◇

 マイナンバーのほうは、今さらすべての行状を白日の下に晒されても河原の石ころと変わらない狸なので、どこかの路上で突然死した場合、お上のほうで「ああ、この小動物の死骸は、あのどうでもいい狸のなれの果てか」と特定し、つつがなく焼却していただけるとありがたいので、カードも取得しようと思う。
 しかし消費税アップの際に、全ての還付対象品の購入時、そのカードをレジに通すなどという案が出ているそうなのだが、そうしたアイデアは、小学1年生の学級会かなにかで募っているのだろうか。巷でも騒がれているように、レジなど使ってられない田舎の小さな個人商店とか、お米の自動販売機とか自動脱穀機とか、例外が多すぎることは、小学2年生くらいになれば解ると思うのだが。
 結局、一度吸い上げた税金はそう簡単には戻さんぞ、とまあ、極めて解りやすい本音が出ただけなのだろう。幼稚園児だって、一度もらった小遣いを返せと言われたら、逃げるか泣くかだ。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって、こないだ帰省して徘徊したとき、霞城公園の近くに新しい古本屋ができているのを発見した。きちんと古い紙の匂いがする、神保町タイプの個人店である。いったん大手の新古本チェーンに殲滅された(実際、狸が昔かよっていた古本屋は、一軒残らず消滅している)からこそ、新規の需要が生じているのだろう。人々の暮らしの流れには、お上でも大企業でも変えられない、知的生物としての底流がある。

 徘徊中、遠い駅の方角から、ときおり蒸気機関車の汽笛が響いてきた。レトロブームのウケを狙って、わざわざ流しているらしい。いいかげんな音質だったら、当時を知る半白髪親爺としては逆に腹を立てるところだが、さすが最新音響システムによる仕事、何キロか離れて聞いても、子供の頃に耳にしていた遠い汽笛と、同じ響きなのである。
 こーゆー熟練のゴマカシなら、いくらでも化かしてほしいですね。


09月13日 日  帰省

 線状降雨帯(昔からある気象用語なのかもしれないが、少なくとも狸が耳にしたのは一昨日が人生初だった)による大雨は、茨城・栃木・宮城ほどではないが、山形でもあちこちで、浸水などの被害をもたらしていた。
 が――法事を執り行った昨日だけは、朝からお天道様かんかん、もうちょっとで真夏日のイキオイ。狸一族の墓参りジンクスは、今回も見事に的中したわけである。

 蔵王高湯温泉は、妙に空気の清々しかった昨年より、だいぶ硫黄臭が濃くなっていた。泉質が蘇りつつあるのだろう。やはり硫黄泉の温泉場は、この臭い自体が風情である。蔵王エコーラインが大雨で一部不通になっており、旧火口湖『お釜』にはたどり着けなかったが、付近の火山活動は落ち着いたらしい。震災以降の不調から、盛り返してくれるといいのだが。

 ところで、数年前に叔父の葬儀で帰省したとき、てっきり道筋ごと消えてしまったと思われたくにこちゃんの町を、今回の故郷徘徊で再発見(?)できた。前回は、生家付近の町から――再開発で道筋まで完全に変貌した駅の西口一帯から歩き始めたため、土地勘の混乱を払拭できなかったが、今回、いったん市内西方の小学校をチェックし、そこから逆に駅近くの生家(もうないけど)に向かって歩いたら、子供の頃の帰巣本能が蘇った。道幅や周囲の光景は、もうまったく変わり果てているものの、『道筋』自体はあんがい保たれていたのである。もっとも、くにこちゃんの住んでいた長屋然とした木造家屋などは当然ながらすでになく、なんじゃやら電力会社の変電施設に様変わりしていたが。
 で、そうして土地勘が蘇ってしまえば、そこからさらに生家(だからもうないけど)方向に見知らぬ立派な道をたどりつつ、おおむねそのあたりにあった細道の情景を想い重ねるのにさほど苦労はなく、「ただいま」とか言って、ちゃんと駅前超高層物件の麓の角に帰宅できたりするわけである。
 このぶんなら、間違いなく消滅した市内北西のゆうこちゃんちは無理でも、南西のたかちゃんちあたりは、探せばみつかるのではないか。今回は、あちこち20キロ近く徘徊した後だったので、さすがにくたびれて断念したが、次回に挑戦してみようと思う。

 しかし、どんなに様変わりした再開発地帯でも、『人々の暮らしの流れ』は、やはり机上の設計どうりにはいかないのですね。
 いったん消えていた、城南陸橋の途中から横に下りる階段はちゃんと復活し、駅の北端の東西地下通路も、いつのまにか復活している。特に地下通路のほうは、一部の壁に出入り口を作れば、まんま古い駅舎の地下あたりに迷いこめそうだ。ジャック・フィニイ の『レベル3』とか。
 来年は、聖徳太子の五千円札や一万円札を持って、徘徊してみようか。で、子供の頃、高くて買えなかったシネコルトとかサンダーバードの基地とか、買い漁ってくるのね。あるいは、ついに入手できなかった『12歳の神話』の元版――いかんいかん、現代に戻ったら逮捕されてしまう。
 まてよ。
 もう過去に行きっぱなしでもいいわけだよな。どうせ孤独死するだけなんだから。


09月10日 木  雨ぞ降る

 茨城では鬼怒川の堤防が決壊し、大変な事態になっているようだ。
 狸穴周辺では、明け方に市役所の広報車が警報を出して回っていたが、いずれも狸穴より遙かに遠い小河川付近や丘陵地だし、いつぞやのように前の道が冠水したとしても、二階の狸穴までは、まず水が来ない。たとえ江戸川の堤防が決壊しても、老朽建築とはいえ鉄筋コンクリ4階建てだから、まず流される心配はない。それだけに他県の惨事が気にかかる。これだけ短期間で異常に降ってしまうと、今さら地べたの水捌け云々言っても仕方がない。震災同様、この国の宿命である。
 ふと思えば、今月は東京湾岸でも、先週の土曜ただ1日を除き、お天道様の顔を見ていない。曇り時々雨ところにより雷雨、その繰り返しだ。

 明後日に故郷で亡母の一周忌法要を営むため、明日の早朝、姉の家の車に便乗して帰省することになっている。ニュースだと、山形への自動車道もあちこち途切れているようだ。夜までに蔵王高湯の宿にたどり着けば、翌日の法事に支障はないのだが、さて、明日からのお天道様は、いかに。
 狸一族の墓参りには、絶対に雨や雪が降らない――かつて一度も破れなかったジンクスは、今回も維持されるのだろうか。法事後は狸一匹で別行動、日曜にかけて、久々に故郷を徘徊しようと思っているのだが。


09月08日 火  喧噪と平和

 ご近所のマ●ド●ル●が、いよいよ末期的症状を呈しているようだ。いつ行っても人がいない。いや、客はちゃんと行列になっている。店員さんのほうが、稼ぎ時でも3〜4人しかいないのである。調理場を含めてだ。
 当然、『美味い』かどうかはともかく『早い』『安い』はずのファストフードが、『安い』だけの超スローフードと化してしまい、気の長い客ばかりではない土地柄、ちょっとしたミスがクレームに繋がる。巷で騒がれる異物混入等の大騒動は見かけないが、「何バーガーが足りない」とか「ナゲットにソースが付いてない」とか、お詫びと現物補填で充分そうなミスを、後ろの行列を滞らせてまで、がーがーぴーぴー長引かせている客をしばしば見かける。これがたいがい、いい年こいた大人なので情けない。モンスターまではいかないが、人間には化け損ねている。

 で、今夜も、月見なんとかのチーズがなんとかかんとかで、店員のおねいちゃんが殊勝に詫びているにも関わらず、神経質そうな会社員(たぶん)がクドクドと説教を垂れ始めたところに、とんでもない強敵が入店してきた。モノホンの既知外の人である。あたりに人がいようがいまいが、四方八方不特定多数の幻覚(たぶん)に向かって常に悪態と罵倒を吐き続けている爺さん――駅前あたりで近頃ときどき見かける方だ。精神疾患なのか、ヤクでもやってるのか判然としないが、まあお巡りさんに捕まるでもなく野放し状態なのを見ると、おそらく前者、うっかり公僕が手を出せないタイプの人なのだろう。あくまで虚空を罵っているだけで、実在の人間を攻撃しないヒトは、なぜかふつうに黙っているヒトよりもより人権が尊重されるのである。
 いやあ、さすがに勝負になりませんでしたね。カウンターのクレーマーさんは、一瞬にして普通の会社員風に世界のすべてを許し、そそくさと階上の客席に去って行きました。やはり、あーゆータイプのヒトも、そーゆータイプのヒトの存在は、きっちり尊重するのである。

 さて問題は、そのとき、すでに注文を終えて、お渡し待ちの行列のほうに並んでいた狸が、やがてトレイを受け取って客席に上がり喫食を始めてのち、その爺さんも同じフロアに上がってきてバーガー食いながら胴間声で喚き続けるのでつくづく往生した――そんなところにあるのではない。たった200円でコーヒーとチキンナゲット(クーポン使用で100円ポッキリ)と屋根と空調と椅子にありつける、貧乏人にとって貴重な給餌場である。口だけのエア大喧嘩なんぞ屁でもない。
 あの爺さんは、幻の大群と口論しながら、どーやって下の店員のおねーちゃんにオーダーしたのか――それだけが、今になって大いに気にかかるのである。オーダー中は、幻覚や幻聴も、ちゃんと大人しくしているのだろうか。ああ、こっそり見とけばよかった。

 それにつけても、クレーマーもビビる老人の周囲で、狸同様に整然と列を保ち、平然と喫食する他の方々――狸穴周辺は、今日も平和です。


09月05日 土  それでもネットはありがたい

 ついに鰐淵晴子さんの『伊豆の踊子』(昭和35年・1960)をYOUTUBEで発見。

     

 なんとも西洋人形っぽい、思わず「アーメン」とか拝みたくなってしまうような踊子であり、原作とは推定ひゃくおくまん光年ほど乖離しているが、狸は許す。かわいいので全て許す。『ノンちゃん雲に乗る』(昭和30年・1955)の超可憐10歳児は、その後5年でここまで美少女化していたのだ。映画全体のトーンも、悲劇的な要素を必要以上に強調せず、努めて屈託なく仕上げてある。若き津川雅彦さん演じる一高生も、淡々と演じて好感が持てた。

 これで『伊豆の踊子』の映画化作品は、画質の差こそあれ、全作鑑賞できたことになる。
 テレビドラマは、小林千登勢さんが演じたというNHK版(昭和36年・1961)だけ、残念ながら観ていない。さすがにこれは、一生観られないのだろうなあ。今ググってみたら、ちょっと昔にモーニング娘だかイブニング娘だかが演じたオムニバスドラマの中にも『伊豆の踊子』が含まれているようだが――これはまあ、いいや。
 ああ、高校時代にテレビで観た、栗田ひろみちゃんの踊子を、死ぬまでにもう一度観たいものだ。

 ちなみにドラマ版の中では、平成5年(1993)の、これがなかなか良くできております。
 恩地日出夫監督が、昭和42年(1967)に撮った東宝映画(内藤洋子さんと黒沢年男さんが出てるやつ)のセルフリメイク。
 映画同様に重い脚色と演出で、踊子は内藤洋子さんのおでこをさらに膨らませたような子供っぽい娘さんですが、一高生を演じる木村拓哉さんは、黒沢年男さんよりも数段ハマっております。

     


09月04日 金  誤報?

 昨日話題にした記事は、もしや、福岡で拘留中の鬼畜が意識不明になった件(その後回復)を、寝屋川事件の山田容疑者と勘違いした、単なる誤報だったのだろうか。
 狸の記憶違いでないことは、確かだと思われる。あの日、山田容疑者の件以外にも、他に前後して2件ほど類似したニュースをネットで見た。どこかの刑務所で服役中の高齢受刑者が熱中症(らしい症状)で意識不明になった件と、その福岡の拘置所の件である。あくまで別々に記憶している。狸以外にも『山田浩二容疑者が意識不明』という記事を見た方が存在するようだ。
 実際に誤報をやった上、お詫びの告知もなく即刻削除しただけとしたら、その記者や配信元は、無責任の度合いにおいて佐野研二郎氏の比ではない。あくまで狸自身の記憶の混乱だとしたら、脳味噌が糸を引いている度合いにおいて、やっぱり佐野研二郎氏の比ではない。
 いずれにせよ、その後、寝屋川事件そのものに関する報道が、過去に遡った記事や便乗扇情記事ばかりで、今現在の捜査状況は何一つ報道されないのが気になる。容疑者完全黙秘続行中なら続行中で、きちんと報道してほしいものである。


09月03日 木  教えてください

 えーと、この一週間日、私は暑かったですか? 涼しかったですか?
 毎日ひたすら、たらたらぽとぽとと汗を流していたのは確かだ。しかし、いっぺんもお天道様の顔を見ていないのも確かだ。ほんのちょっとの晴れ間はあったらしいが、室内にいたので目撃していない。
 夏が終わって梅雨がきた。梅雨が明けたら、また夏が来るのか。来るなよ。いっそ秋もいらない。北欧なみに、いきなり冬になってほしい。
 いずれにせよ、このサウナじみた湿度が続く限り、狸の内臓や脳味噌は、ねばねばと糸を引き続けるだろう。

          ◇          ◇

 おとついだったか、例の男女中学生殺人の容疑者・山田浩二が、拘置所で意識不明になったなどという大変なニュースが、ほとんど誰の目にも止まらぬほどささやかに報じられ、その後、いっさいの続報がない。巷は、例のオリンピックのシンボルマークの件で、佐野研二郎さんとやらを血祭りに上げるのに懸命である。
 まあ他人の作ったアレコレをアレンジして、自作として報酬を得るというのは確かに甘いが、誰ひとり殺したわけではあるまい。他人のフンドシで食っている奴など、コミケに行けば山のように蠢いている。マス・メディアにだって珍しくない。オリジナルで勝負する人々の肩身が狭いほどだ。元々、こーゆー国なのである。だいたい「パクリ晒しがトレンディー!」、そんなノリで続々と重箱の隅を突き始める覆面の連中に、オリジナリティー云々言われても始末に困る。
 それより、山田浩二容疑者に何があったのか、今どうなっているのか正直に教えてくれ、司直もマスコミも。
 ふたりの子供の命が失われた事件より、たかだか大運動会のほうが大事なのか。


09月01日 火  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」

 くにこ 「まあ、こんだけごぶさたしてたんだから、これはけっして、まんねりではないな」
 たかこ 「こっくし! おりじなる!」
 ゆうこ 「?」