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10月29日 木  雑想

 自主アブレ日。
 例によって朝までポコポコ、いや、あーでもないこーでもないとカタツムリのように粘りまくり、午後遅くまで眠るつもりで就寝したら、11時には電話に起こされた。平日の昼日中にチョンガーの固定電話など鳴らすのは、何かの勧誘と相場が決まっている。面倒なので二度ほど黙殺したら、こんどは携帯で、やっぱり二回続けてコール。こうなると、さすがに親しい知人や親戚筋からの緊急連絡かもしれず、起きだしてチェックすると、なんじゃやら得体の知れないフリーダイヤルからだった。ほぼ同時刻、得体の知れないメールまで届いている。パソを立ち上げて検索してみると、やっぱり電話もメールも、同じ得体の知れない勧誘電話かけまくり業者からだった。こんちくしょー昼前から起こしやがってぶつぶつぶつ――。
 しかし、電話帳にも載っている固定電話や、けっこうヤバげな海外サイトなどにも知られてしまっているパソのメルアドならいざ知らず、携帯の番号やメルアドなど、ごく親しい知人や親戚筋以外、各派遣会社とツタヤとドコモくらいしか知らないはずなのである。
 狸の個狸情報なんて、あっちこっちダダ漏れ状態なのだろうなあ。それを掻き集め、ひとカタマリの情報として流しているルートもあるに違いない。
 まあ、しょうがないわな、どうで人間のやることだもの。
 狸の少年時代だって、いっぺんエロ雑誌の片隅の通販を利用したら最後、東京のみならず大阪とか、あっちこっちから陸続とその手のカタログが届いてしまって、親に大目玉くらったりした。今ならR−15さえ適用されないような、ウソンコばっかりでしたけどね。

          ◇          ◇

 二度寝して、三時過ぎから徘徊開始。
 歩きながら夢想するのが目的なので、行き先はどうでもいい。今日は、学校等の多い南方を目指す。
 ああ、この時期、この時間からの徘徊は、とてもいい。下校中のJS・JC・JKが、河のように流れてくる。これで半数が男子でなかったら極楽そのものだ。暑くもないし寒くもないし、昼の徘徊と夕暮れの徘徊と夜の徘徊を、いちどきに楽しめる。
 結局、おおむね南→東→北→西と徘徊していたら、いつのまにか下総中山の法華経寺の奥の院の裏手に出、そこからいつもの図書館に、いつもの逆方向からのたくりこんで休憩。徘徊時間は三時間弱、歩行距離は10キロ超か、のんびりと「道に迷った状態」を満喫できた。

 川端をせっせとランニングしている方々の脳内などは知らねども、狸の徘徊の場合、5キロを過ぎたあたりで脳内麻薬が分泌され始めるようだ。寝る前には「あーでもないこーでもない」と思いあぐねていた次のシーンが、夢想内でいい感じに繋がったりするし、実人生、いや実狸生においても、「ああ、自分はやっぱり、この世界に生まれてきてラッキーだったのだ。何があろうと、死ぬまでこの世界を好きでいよう」などと、肯定的な感慨に浸れる。
 まあ、それまで何十分か、ろりたちの河を遡り続けたためでもあろうが。


10月25日 日  デジタル狸穴

 アブレ日。
 午後、ジェイコムのお兄さんが、ふたりがかりで小一時間、ケーブルの元を分配したり、HDD付きのチューナーをテレビに繋いでセットアップしたり(いや、古いアナログ機器が何台も複雑に絡み合っているので、接続は狸が自分でやった)、ケーブル用のモデムをパソに繋いだり(いや、まだヤフーのADSLモデムが繋がっているので寸止め段階ですね)、それからなんだかよくわからない電話用の何かを繋いでいった。
 で、そのチューナーの新しい録画機能を、いろいろいじくってみたところ――いやあ、やっぱり元のデジタル信号をまんま記録しているので、再生画像はリアルタイムで見ているのとまったくいっしょである。さすが文明開化。もっとも、そのチューナー以外の機器は全てが地デジ以前のシロモノだし、テレビ自体が球面ブラウン管だから、狸穴に高画質時代が到来したわけではない。焼いて保存しようと思えば、昔ながらのDVD画質になってしまう。しかしたとえば今後、土曜夜の『ブラタモリ』と『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が時間的にカブっても、両方留守録でき、リアルタイム観賞と同じ画質で楽しめるわけである。しかも容量2テラ。大晦日の『紅白歌合戦』と『年忘れ日本の歌』だって、両方まとめて最高画質でドンとこい。すげーぜ文明開化。
 録画機能はオプションだから月々金がかかるが、ヤフーのADSLを解約すればお釣りがくる。このHPも月々何百円か払えば、無広告で維持できるのだそうだ。実質的な出費は、やっぱりトントン。
 狸ごとき貧乏人が、いいんですかねえ、こんな贅沢なAV&ネット環境にいて。
 思えば十数年前に転勤で引っ越したとき、この老朽物件を選んだのは、大変なラッキーだったのである。その後の怒濤のアンラッキーを思えば、まあいいやな、これくらい。


10月22日 木  食える

 ここ10年以上、内職があった時期や年間契約社員だった僅かな時期を除けば、主に日雇派遣と期間限定派遣で食っている狸なので、見覚えのある仕事仲間はみんな貧乏人である。まあ中には、定年後の小遣い稼ぎ兼ボケ防止の人や、親の金で食えるのにニート呼ばわりされたくないのであえてせっせと日雇に出ているような健気な若者もいるが、おおむねは、老若問わず資本主義社会における最下層の連中である。他にも、旦那さんが定職持ちで、でも専業主婦やれるほど勝ち組ではないから共稼ぎしなければならず、といってパート的なシフトに縛られたくもなく、自由に日時を選べる日雇派遣で稼ぐ主婦層も多いが、それはまた別の話ね。
 で、先日の休憩時間、顔見知りの若い連中と「うっかり忘れていた消費期限切れの食料品をどこまで食うか」という話になり、基本、皆さんとっても地球に優しいエコな食生活を送っているようで安心したのだが、生の卵と肉に関しては、あんがい用心深く処分してしまうようなので、思わず「捨てるんなら狸にくれ」と懇願してしまった。

 何かと生鮮食品にキビしい日本で市販されている卵は、冷蔵庫に入れておけば、消費期限などないに等しい。ぶっちゃけ半年前の卵だって、割って見て、明らかに腐っていない限り、焼けば食える。半熟だとヤバいだろうが、固めにコンガリ焼いてしまえば、絶対に腹など壊さない。これは一般常識だと思うのだが、あんがい義務教育の家庭科では、しっかり教えていないようだ。
 そして生肉。これはさすがに冷凍あるいは氷温冷蔵しとかないと日持ちしないが、それでも、色が変わってアヤしい臭いがする程度なら、しっかり煮るか焼くかすれば、やっぱり腹など壊さない。繁殖した細菌だってノロだって、加熱してしまえば立派な動物性蛋白である。煮ても焼いても食ったら死ぬタイプの毒素を含んでいるのは、ひと目あるいはひと嗅ぎで嘔吐いてしまうほど明瞭な腐肉だけである。目と鼻の不自由な方が手探りで調理していても、手触りだけで腐肉と判るレベルの古物ですね。

 まあ近頃は、食うに事欠く生活を送りながらも労働後は脇の下に消臭スプレーを欠かさないタイプの好青年が増えてきて、それはそれでとってもサワヤカな世の中ではあるのだが、もはや毎日入浴しても加齢臭から逃れられない古狸としては、焼いて食っても多少アヤしいゲップが出る程度の古肉ならへっちゃらですので、どうか捨てないで恵んでください。


10月20日 火  あれ?

 例のユネスコに「金払わんぞ」問題、ネットの世論調査で、賛同意見が多数ってのはマジか?
 ……まあ、フロコロの豊かさを追求するほど心が貧しくなるのは、凡人の本性だから仕方ないか。
 しかし、自然遺産だの産業遺産だの、今までお祭り騒ぎしていたレッテルも、ぜんぶ返上する気はあるのかな。
 ……まあ、やらずぶったくりも凡人の本性だから、仕方ないか。

 ちなみに狸は凡狸以下なので、フトコロより世間体が大事です。


10月17日 土  トワイライト・ゾーン

 アブレ日。
 例によって夜明けまでポコポコしており、午後に来訪者によって起こされた。ケーブルテレビ関係の人が説明に来る予定だったのを、コロリと失念していたのである。
 かつて地デジ転換の際に、狸の住む穴居群(いちおうマンションという名はついているが、あと5年で築後半世紀を迎えてしまう古代の遺物である)の大家さんが、一括契約で全戸にケーブルテレビを導入してくれたことは、以前にも記した。で、今回は、それを全戸インターネット対応にしようというわけである。基本、住人はロハである。つまり、なんぼ超老朽集合住宅とはいえ、土台と骨組だけは昭和遺産級に堅固な造りのため、大家さんは今後も長く賃貸を続けたい。たぶん直下型が来て倒壊するまでは、一世紀でも二世紀でも『ここは兎小屋の集積ではなくちゃんとマンションです!』と主張し続けるのだろう。しかし今どきの大都会、不動産屋を介して『この物件はけして穴居群ではなくちゃんとマンションです』と謳うためには、なんぼ木造モルタルアパートに近い家賃(なにせ間取りが大阪万博当時の兎小屋だ)とはいえ、全戸地デジ対応のみならずインターネット即対応にしとかないと、若い住人が寄りつかない。
 そんなこんなで、ジェイコムのお兄ちゃんと、小一時間ほど歓談。まあ、さすがに完全ロハだと、なんかいろいろ不便が残るように仕組まれているようだ。結果的には現在の出費とほぼトントンで、現在の限りなくアナログに近いAVケーブル頼みの映像環境に、裏番組どころか3局同時に録画できる2テラのHDDが追加され、ネットもADSLの消滅を心配しなくていい状態になりそうだ。
 ただ、現在のこのHPは、あくまでヤフーBBのオマケ上に構築されている。そこんとこがどうなるかは、まだはっきりしない。

          ◇          ◇

 で、ジェイコムのお兄ちゃんが帰った後で買い物に出、例によって同伴帰穴されたミケ女王様や従者のブチ下僕にお仕えしたり愚痴を言い合ったりしたのち、買って帰った食料品等を整理していると――今晩食うはずだった10個99円の生餃子が、どこにも見当たらない。
 買ったのは間違いない。マイバッグに収めたのも間違いない。しかし、どこにも見当たらないのである。
 帰ってすぐ、ミケ様ブチ君と戯れながらマイバッグをいじっていたので、自分で出したのを狸穴のどこかに置いたことは考えられる。しかし、その記憶がまったくない。それ以外の、食用油や99円シューマイや89円の発泡酒は、確かにあるのである。しかし餃子だけは、狸穴中のどこを探しても見当たらない。
 ……いよいよアルツか。
 亡母のアルツ全盛期のように、餃子を無くしたことさえ忘れた頃、部屋に異臭が立ちこめ、押し入れの奥から蝿がわんわん飛び出したりするのか。
 そこんとこがどうなるのかも、まだはっきりしない。


10月13日 火  ケツの穴コマい

 いや、こないだフンづけてしまったナニの話ではない。ユネスコの記憶遺産に南京事件の記録が登録されたら、いきなり日本政府が「もうユネスコに金払わんぞ」とか言いだした件ですね。
 日本政府を養っている国民として、正直言って久々に、穴があったら入りたくなるほど恥ずかしかった。いや狸の場合、もう狸穴に入ってしまっているので、穴から出るのが恥ずかしくなった。
 どうも本音は「俺の親たちが南京で殺したのは30万でも20万でもなくせいぜい数万だから、俺の親たちを悪く言うのはやめろ」と言いたいらしいのだが、それだってすでに正気ではない。
 だいたいユネスコで記憶遺産に登録されるということは、その資料が保全の必要性を認められただけの話である。中身が真実かどうかをユネスコが断定したわけではない。まあ歴史的な信憑性も問われるらしいが、東京裁判の記録を持ち出されれば、「……でも自分で20万って認めてるじゃん、お前らの親たち」と、ユネスコの方々だって首をひねるだろう。
 なんにせよ「金払わんぞ」は、とにかく恥ずかしいのでやめていただきたい。現政権のケツの穴のサイズが、世界中に知れてしまう。


10月10日 土  禍福は糾える縄のごとし

 アブレ日。
 久々に大散財してしまった。狸穴付近に残っている数少ない正調ごちゃごちゃ古本屋のひとつで、『「旅」復刻版 昭和の旅を証言する全七冊』(1989・JTB日本交通公社出版部)などとゆーものを、見つけてしまったのである。今はなき旅行雑誌『旅』のうち、大正13年4月の創刊号から昭和32年2月号まで7冊を選び、かなりリアルに復刻してある。創刊号のトップは、ぬわんと田山花袋先生の随筆だ。で、昭和32年2月号では、松本清張先生の『点と線』が連載開始。昭和18年の終刊号(戦後に復刊しますけど)などは、当然、戦時中のキナ臭い旅の記事が満載だ。大陸だって南方だって日本みたいなもんだからな。この定価6000円のBOXが、ぬわんと2580円。初めてその存在を知った物件ゆえ、古書として高いのか安いのか普通なのかも判らぬまま、エイヤっと買ってしまいました。他にも、昭和52年にほるぷ出版が復刻した夏目漱石先生の直筆原稿『永日小品 山鳥(上・下)』、こっちは珍しくもなんともないので300円ポッキリ、ハズミで買ってしまいました。今週はトッパライで18000円の夜勤があったりして、ややフトコロが暖かかったのですな。
 で、帰途、メガドンキでるんるんるんと日用品食料品を調達し、ふと大を催したので、最上階にある広々としたウォシュレットつきのトイレに進軍し、その最奥にあるいちばん広い個室が空いていたので「おおラッキー!」と踏み込んだところ――なんじゃやら靴底に、ぬっちゃりと不穏な感触が……。

 まあ、ここから先は、フケツな話が苦手な方は読まないのが吉です。

 つまり、なんでだか前客が、便器ではなく床に排泄してしまったらしいのである。それも、茶色っぽい床に、ほぼ同系色の水様便を。これではまるでトラップだ。わざとかよ、おい。
 まあ、こらえにこらえて駆けこんで、ついに間に合わず、しゃがむ前に思わずちょっと噴出、そんなところだろうし、古い駅の和式トイレなどではしばしば見かける有様だが、洋式でやるか、ふつう。それも漏らしっぱなしで帰るか、ふつう。
 ともあれ、先月買ったばかりのスニーカーで他人様のンコをぬっちゃりしてしまった狸の衝撃と茫然自失は、想像していただけますね。道端の犬の糞ではない。知らないヒトの糞である。十年以上前の狸なら、そんな靴は、まあ傍迷惑でない程度に底を拭いたあと、すぐに新しい靴を買って始末してしまうところなのだが、今の尾羽うち枯らした狸に、そんな贅沢は許されません。おまけに古本屋で散財した直後である。
 いちおう次の犠牲者が出ないようトレペで床にバッテンをつけ、隣の個室に移って我が靴底のために大量のトレペを消費し、さらに掃除用具置き場にあったアレコレを無断借用すること約十分、まあ若干の人糞臭は残るものの2〜3日たてば消えるだろう、そんな状態まで持ち込んでから帰穴したのであった。
 で、帰穴後、さらに念のため、消毒用アルコールで靴底をごしごししていると、例によってミケ女王様が御来臨あそばされた。もっとも今日に限っては、すんなり上がってこない。なんじゃやらしばらくドアの外で警戒したのち、玄関の三和土の、さっき狸が踏み込んだあたりに鼻を寄せ、くんくんくんくんと。
 おや、今日は何やら狸以外に、アヤしげなヒトの臭気がこのあたりから――そんな感じだったんでしょうね。
 さすが叩き上げの女王様、複数の下僕を抱える今も、野良時代の警戒心を失っておられないのである。


10月07日 水  雑想

 ふう、例の小説板で、やっと木馬物件を更新できたぞ、と。
 もはや酷寒の永久凍土気分を味わえるあの板であるが、たとえ二人でも三人でも仲間が生き残っている限り、また管理人さんが窮屈なお仕着せのジャンル分けや多数決ランキングなどを正面玄関から始めないかぎり、そして長編作品がちまちまちまちまとブツ切れの小画面メディア向き構成などに変わらない限り、たぶん狸は野垂れ死ぬまであそこに出没し、そこでの獲物を狸穴に持ち込み続けるのだろう。

 どうせ、あの世への別離は、万人がお互いに逃れられない。みんないっしょに旅立てる大事故や震災や大量テロや爆撃が、群れで生きる人々にとって良運でないと誰が言えよう。ならば、むしろ単独の生を好む狸などは、己の狸穴で単独の死を迎えるのが良運だ。別離を惜しめる仲間が一匹もいなければ、それはさすがに虚しいだろうが、二三匹なら、かえって心は濃い。

          ◇          ◇

 JTから、ときどきキャンペーンのハガキが届く。何年か前に応募したときは、愛煙しているゴールデンバットのデザインを刻んだジッポが抽選で当たった。それ以降も、100万円やら50万円やらのギフトカードが当たるという抽選に何度も応募しているのだが、そっちは一度も当たらない。まあ、それはそれでいい。当たる確率が低いぶんだけ、この国には喫煙者が数多く残存している勘定になる。しかしそうなると、バットの愛煙者に限っては、あんまり残っていない勘定になってしまう。
 ちなみに、バットより安い国産煙草はない。もっと安い輸入品を試しに吸ったことがあるが、とても肺に送りこめるようなケムではなかった。

 黄金バットさん、助けて〜〜。

     


10月04日 日  面子が神様

  奥西死刑囚が死亡=無実訴え拘置46年、再審請求中−名張毒ぶどう酒事件 【時事ドットコム 2015/10/04-17:14】

「名張毒ぶどう酒事件」で殺人罪などで死刑が確定し再審請求中だった奥西勝(おくにし・まさる)死刑囚が4日午後0時19分、肺炎のため収容先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で死亡した。89歳だった。1969年の控訴審で一審無罪判決が破棄されて逆転死刑となり、身柄を拘束されてから46年。その後、最高裁で確定したが、無実を訴え続けていた。
 特別面会人の稲生昌三さん(76)によると、奥西死刑囚の妹に同日午後、死亡の連絡が来た。2人は鈴木泉弁護団長らとともに同日中に八王子医療刑務所に向かい、5日には名古屋で記者会見を開く意向という。支援団体からも声明が出される見込み。
 61年3月28日夜、三重県名張市の公民館で開かれた地区住民の懇親会で、農薬が混入されたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡。妻と交際相手を亡くした奥西死刑囚が「三角関係の清算のためにやった」と自白し逮捕されたが、起訴直前に否認に転じた。64年に一審津地裁は無罪としたが、名古屋高裁が死刑を言い渡し、72年に確定した。
 その後再審請求は棄却され続けたが、第7次請求審で名古屋高裁は2005年、「状況証拠から奥西死刑囚が犯人と推認できず、自白の信用性にも疑問がある」として再審開始を決定。しかし同高裁の別の部が検察側の異議を認めて決定を取り消した。最高裁は審理を差し戻したが、同高裁は12年5月に再び開始決定を取り消し、最高裁も改めて弁護側の特別抗告を棄却。第9次再審請求で争っている。
 奥西死刑囚は12年5月の開始決定取り消し後に熱を出し、名古屋市内の病院に入院。翌6月に八王子医療刑務所に移送されていた。

  窓外に思いはせ46年=「自分の脚で出る」―名張毒ぶどう酒事件・奥西死刑囚 【時事通信 10月4日(日)16時16分配信】

 1969年9月、名古屋高裁で逆転死刑判決を受けた奥西勝死刑囚は、その後の46年の大半を名古屋拘置所(名古屋市)で過ごし、独房から冤罪(えんざい)を訴え続けた。 
 特別面会人の稲生昌三さん(76)によると、3畳ほどの独房には三重ガラスの窓が一つ。空しか見えない窓から外界に思いをはせ、執行の恐怖に向き合ってきた。死刑は朝に執行されることから、「昼食の時間になってやっと安心できる」。夕食後は再び翌朝の執行におびえた。
 恐怖におののく日々から抜け出そうと、再審請求を繰り返した。73年以降、4回に及んだ独力での請求はいずれも棄却。5回目以降は日弁連が支援して弁護団が結成され、稲生さんら支援者も拘置所に待遇改善を求めるなどしてきた。
 2005年4月。第7次請求審で名古屋高裁が弁護側提出の新証拠を評価し、再審開始を決定。拘置所の面会室で奥西死刑囚は稲生さんとアクリル板越しに手のひらを合わせ、喜びで号泣した。
 しかし06年に同高裁の別の部が検察の異議を認め、決定は取り消しに。直後に帯状疱疹(ほうしん)を発症、痛みと執行の悪夢にさいなまれる数カ月を送った。
 弁護側の特別抗告を受けた最高裁は、審理を差し戻したが、名古屋高裁は12年5月、改めて再審請求を棄却。「これが最後」と懸けていた反動もあってか、2日後に高熱を出して名古屋市内の病院に入院し、そのまま八王子医療刑務所(東京都八王子市)に移された。
 晩年は、稲生さんの計らいで年1200通ほど届く全国からの励ましの絵手紙を「心の食べ物」「元気の糧」と呼び楽しみにしてきた。「再審公判では(無罪判決を受け)自分の脚で裁判所から出て行きたい」と、手脚の運動を心掛けていた。
 しかし、医療刑務所移送後はベッドで過ごすことが多くなり、一時危篤状態に陥って以降は、人工呼吸と栄養剤の点滴の管を体につながれ寝たきりの状態となっていた。 


 ……合掌。
 奥成氏が100パーセント無実であったかどうかは、神ならぬ身の狸に知る由もないが、推定99パーセントは無実の方である。3年前に再審請求が棄却されたときは、狸も暗澹とした。この国の司直には、未だに『面子』という邪神の狂信者が巣くっている。たとえ少数(じゃなかったら泣くぞ)でも、上から下まで、まんべんなく潜伏しているのは確かだ。
 どのツラ下げてISを糾弾するやら。

          ◇          ◇

 打鍵中の木馬物件、ようやく続きが、ひとまとまりに達しそうだ。
 冬至までには、なんとか完結させたいものである。 


10月01日 木  貧乏糖尿

 わーい、こないだやった血液の再検査の結果を聞きに病院に寄ったら、マジにイエローカードを渡されてしまいました。
 狸の血糖値は、やっぱり順調に糖尿病のゲートを突破し、ジワジワと腎機能を衰えさせつつあるとのことです。コレステロールや肝機能は、大丈夫らしいんですけどね。
 ちょっときれいでなくもない女医さんに、
「このまま10年ほっといたら、人工透析が必要になりますよ。今日からお米や麺類を半分にできますか」
 と真顔で訊ねられたので、
「それでは働けないので無理です」
 と即答したら、女医さんは、ちらりと狸の腹に目をやって、
「……そうでしょうねえ」
 すなおに納得してくれるところが、ありがた涙の腹鼓。
「じゃあ、軽いお薬を試して、経過を見ましょうか」
 まだ直にインシュリンをぶっこむほどの血糖値ではないので、なんじゃやら糖尿初心者向き(?)の薬を最低量、降圧剤といっしょに飲んでみることになった。

 しかし狸が子供の頃は、糖尿病なんて、マジに『贅沢病』とか言われてたんですけどねえ。
 今や日雇い親爺やホームレスまでが、糖尿で行き倒れになれる時代だ。貧乏人でも、米と処分特価のアブラモノにだけは事欠かない。この国はこの半世紀で、本当に豊かな国になったのである。いやあ、良かった良かった。
 あまつさえ、近頃また牛丼の安売り競争が始まっている。あのアブラっこくて甘辛いドンブリ飯を、狸が初めて食った四十年前と同じ価格で、ガフガフかっくらえるのである。
 ありがたいやらなんじゃやら、どのみち涙の腹鼓。