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01月29日 木  ダイエット狸

 今日明日は自主アブレ2連チャン。
 本日は例によって以下略、ポコポコ以下略。
 テキスト量は充分に増えているのだが、話はようやく最後の見せ場に達したばかり。今日明日で話を進めねば。

          ◇          ◇

 血圧が多少上がり気味なのは、寒いのだから仕方がない。
 血糖値がなかなか下がらないのも、たぶん寒さのせいだ――などとゆー言い訳が通用するはずもなく、本日、かかりつけのちょっときれいでなくもない女医さんから「だっからオメーは毎晩毎晩大飯かっ喰らってるんじゃねーよこのウスラデブ!」と罵倒されてしまった。
 ……ウソです。「漫然とお薬を増やすのは、お勧めできません。なんとか体重を減らせませんか」と、真摯に諭されてしまったのである。
 と、ゆーわけで、狸はマジに炭水化物を控えることになりました。
 まあ勤労日の朝昼の飯は働くために不可欠だが、「ああ今日も働いたぜ腹ペコだぜ腹ぁパンッパンになるまでかっ喰らって風呂入って寝るぜ」、この中の「腹ぁパンッパン」で「寝る」は、この歳になると、さすがにまずいのである。
 いや、お野菜とかコンニャクとかワカメとかなら、なんぼ食ってもOKらしいんですけどね。肉や魚も従来どおりでOKだそうだ。ただ糖分を控えるだけ。狸の場合、甘い物なんぞはほとんど食わないから、ぶっちゃけ主食のモチ麦ご飯や麺類を減らすしかない。

 狸が意識的にダイエットなんぞ試みるのは、それこそ中学に上がったとき以来か。
 小学校時代後半、高度経済成長によるナンタラが北の地方都市にまで及び、父親の給与水準もパチンコの腕も向上し、それまでたまにしか食えなかったチョコレートやらクッキーやらケーキやらをふんだんに食えるようになったため、本来大自然の中で飢餓と共に生きるべき小狸も、町場のガキらしく欲望のままにハグハグと甘味を食い続けてしまった。そうして、そろそろイロケづく年頃になって、よっくと鏡を見てみれば、牝狸ちゃんたちのイロケ対象から真っ先に除外されがちな、しまりのないぶよんとした肥満小狸に仕上がっていたわけである。
 ――これではいかん。ゆうこちゃんもくにこちゃんも相手にしてくれない。物好きなたかちゃんですらが、ぶよぶよといじりがいのある遊び道具、アブラ風船としてしか狸を見てくれない――。
 そんなこんなで、中学入学直後から、狸は毎朝早起きして、霞城公園の土手を駆け巡り始めたのである。いや、マジで半年の内に、きれいさっぱり痩せました。まあ体長が急伸する時期でもあったのですね。ゆうこちゃんやくにこちゃんはすでに別学、たかちゃんもいじりがいがなくなったからか縁遠くなってしまったが、おかげさまで他の牝狸ちゃんには、そここそこ冷たくされずに済んだのである。
 爾来、二十代後半まで、狸も立派にスリムな狸であった。嘘ではない。まあ今となっては、自分でも嘘のような気がするが。

 とりあえず医者の帰りにコンニャク麺と乾燥ワカメを購入し、今夜は、さっそくコンニャク麺(ウドン風)に挑戦してみました。栄養失調になる気はさらさらないので、卵や鰊の缶詰も、しっかり投入。
 なんだ、けっこううまいではないか。当然グルテンの旨みは皆無だが、少なくとも麺の一種には分類できる。ウン十年前に一度食ったコンニャク麺など、ただの糸コンニャクと変わりなかった。ダイエット食品も、ずいぶん進化しているのだなあ。しかし常用するには、やはり価格が痛い。
 考えてみれば、別に代替食品にこだわる必要はないのである。コンニャクが半分を占めるおでんか何か自炊すればいい。それなら腹ぁパンッパンになるまでかっ喰らっても、糖質は控えられる。
 うん。そうしようそうしよう。


01月24日 日  ひとりつぶやく

 ……妙にお上品でスレンダーなラムちゃんの等身大フィギュアに関しては、まあ、大手出版社が一般世間の顰蹙を避けてデザインしたわけだから、ああしたアンチおたくな造形になるのは仕方ないだろう。
 ぶっちゃけ100万円なんて狸は天地が裂けても出せやしないし、いかなるプロポーションのラムちゃんが等身大で現れ「指3本でOKだっちゃ、ウフ」とか言ってくれても、もはや狸には高嶺の花である。正直、そもそも貧乏糖尿で息子が――以下略。

 しかし実写版『パディントン』、あれの予告編のCG造形は、どうにも納得できない。
 確かに小熊のようではある。けして虎や狼には見えない。きゃあかわいい、と喜ぶ女子供も多いだろう。
 しかし狸には、あれが幼い頃から親しんできたパディントン本人、いや本熊であるとは、とても思えないのである。あれは絶対、別の熊だ。南国ペルー産ではなく、カナダとかシベリアとか、たぶん寒冷地でキビしく育った熊だ。監督はキャスティングを誤ったのである。

 真のパディントンは、もふもふしているだけではない。ふにふにでなければならない。幼時に同衾していた狸が言うのだから間違いない。


01月22日 金  ビンボ耳の幸福

 自主アブレ日。例によって朝までポコポコして――しつこい?

 ともあれ本日は、久々に秋葉原に出て、ヨドバシでヘッドホンを物色した。太古の社畜時代から愛用していたパナソニックのインナーイヤーの左耳が、なんじゃやら不安定になってしまったのである。買った当時は確か1万円弱、インナーイヤーとしては高級品の部類だった。あの頃はまだフトコロが暖かだったんですねえ。ちっこいくせに下手なオーバーヘッドよりも音の分離が良く、ボーカルに艶もあるスグレモノであった。低音はさすがに弱めだったが、狸はボコボコの低音よりもポコポコ程度が好きなので無問題。
 で、本日は、少しでもその音に近い製品を物色したわけである。まだかろうじて生きているMDプレーヤー(リモコンを受け付けないが本体で操作はできる)を持ち出し試聴する。自分の手持ちの機械で試聴せずにヘッドホンを買うのは厳禁である。人の耳も狸の耳も千差万別。音響機器同士の相性もまた爾り。何十年か前、オーディオ雑誌の記事を鵜呑みにして試聴せずに3万円近いオーバーヘッドを購入し、結局好みに合わなくて、同僚に安く譲ったことがある。その同僚に言わせれば、かつて味わったことのない美音が出たそうだ。
 さて、しつこいようだが、現在の狸はビンボである。万単位の娯楽や嗜好品など思いもよらない。しかし毎日のように使用するヘッドホンは、下手に妥協できないのである。日々の精神安定に直結する機器だからだ。これ以上頭がおかしくならないために(傍から見れば手遅れかもしれないが)、数千円くらいまでは腹をくくるしかあるまい――。
 とまあ、そのような覚悟を決めて死地アキバに進軍したわけだが――わははははは、フトコロの不安は、ほぼ杞憂に終わりました。狸の耳に最も心地よい音を出してくれたのは、フィリップスのSHL3160。オーバーヘッドの中でも再安価に近い、税込2490円ポッキリ(ヨドバシだからポイント10パーセント還元)のシロモノなのであった。
 いや、他の高価な奴も、しつっこくしつっこく聞き比べたんですよ。同じフィリップスの5000円近い奴とかも。しかしどれもこれも、壊れたパナソニックとはほど遠い音しか出してくれない。対してSHL3160は、低音こそややボコボコするものの、イコライザーで抑えればOKな程度だし、何より中域も高域もしっかり出ており、他の機種ではほとんど聞こえなかった些細な音まで、ちゃんと聞こえる。たとえばシャーリー・バッシーの『ムーンレイカー』に、隠し味でずっと被さっている微かな電子音、これがきちんと聞こえたのはSHL3160と、1万円を越えるゼンハイザーHD518だけなのであった。
 ああゼンハイザー、いいよなあ。でも値段が4倍以上だもんなあ。音質は2割増し程度(あくまで狸耳比)だけど。ちなみに、それ以上高価な物件は試聴しておりません。マジに美音が出たりしたら、自分が憐れになるだけだ。

 しかし、本当に人の耳も狸の耳も千差万別なのですね。インナーイヤーにしろカナルにしろオーバーヘッドにしろ、視聴した9割の物件が、なんじゃやら力いっぱい、いわゆるドンシャリなのである。低音はボコボコワンワンと鼓膜を震わせ、高音はスルドく鼓膜に突き刺さり引っ掻きまくる、そんな感じなのである。そのくせ細かい音なんかは、どこかにすっ飛んでしまっている。皆さん、よくこんな音を日常的に聴きまくって発狂しないものだ。まあ、狸の耳や脳味噌のほうが、萎縮しているのかもしれないが。

 ともあれ狸の耳は、古典的欧風仕様の音と相性がいいようだ。貴族的な耳――そーゆーことにしとこう、うん。
 めいっぱい没落しているのは御愛敬。


01月18日 月  目覚めたときには晴れていた

 自主アブレ日。
 今朝は首都圏近郊も積雪がヤバいとか、一昨日あたりから盛んに報道されており、わざわざ休みにしたのだが、例によって明け方までポコポコして寝る前に外を覗けば、狸穴近辺は、ただ冷たい雨が降っているばかりなのであった。ラジオでは、都内もあっちこっち真っ白けで大騒ぎらしく、降ったら降ったで確かに大変なわけだが、久々に雪見ができると楽しみにしていた北方亜種の狸としては、やや拍子抜けしながら、サミしく寝床に潜りこむ。
 目覚めれば晴天。都心方向はどんなもんかと思い、隣駅の高層物件によじ登ってみる。残念ながら、白い都心は見られなかった。そっち方向だけ、ドンヨリと薄暗く霞んでいるのである。スカイツリーあたりから向こうの高層ビル群は、なんじゃやら仄暗い靄の中に林立する墓石のような、朧なシルエットにしか見えない。なあるほど、確かにあっちでは雪だったのだなあ。

          ◇          ◇

 隣駅近くの古本屋で、面白いものを掘り出した。『カチューシャ愛唱歌集』、500円ポッキリ。
 昭和30年代から40年代にかけて流行っていた、いわゆる歌声喫茶の元祖が、新宿にあった『カチューシャ』である。そこで配っていたのか売っていたのか、ちっこい豆本のような小冊子が6冊、ひとつの小箱に収まっている。発行は昭和34年から45年までバラバラだが、最後の第六集が45年であるところを見ると、その頃、ワンセットで配るか売るかされたものだろう。道案内の地図には、東宝コマ劇場やスカラ座のみならず『都電終点』などという目印もあり、たいそう趣深い。
 収録された歌は、当然のごとくロシア民謡『カチューシャ』に始まり、いわゆる愛唱歌から日本民謡まで様々だ。初めの頃には、叙情的なロシア民謡を中心に共産主義的労働歌や資本主義弾劾歌がけっこう含まれており、いっときはベトナム反戦歌なども顔を出す。でも大半は素朴な世界の愛唱歌や民謡であり、歌謡曲は清純系しか収められていない。
 あの頃は、純情素朴な若者たちが集って合唱できる店なども、トンガッた若者たちが集うアヤしい店と同じ盛り場で、ワイワイ共存していたのですねえ。当時の歌舞伎町は、懐が深かったのである。まあ今でも、いろんな意味で深いのだけれど。

          ◇          ◇

 木馬物件は、いつもの更新分量の半分くらい打ち溜まった。それでもストーリーは、せいぜい最終章の三分の一くらいしか進んでいない。おまけにエピローグも、いっしょにくっつけて更新しないと格好のつかない内容である。
 思わず台所の鏡に向かって「なんぼなんでもクドすぎだろう俺!」などと指弾したりもするが、まあ、狸のことゆえ御愛敬。
 ちなみに狸穴には、その洗面用の十数センチ四方の鏡以外、自己の姿を確認できるものは一切存在しない。うまく人に化けたか確認するとき以外、自分の姿形など一切見たくないからである。


01月14日 木  お年玉が来た

 去年のうちにイーベイで落札した、冷戦下のチェコスロバキアの立体写真多数が、無事に狸穴に届いた。ビューマスターと同型のリールが13枚、計91景のステレオ・ペア。
 やはりやや退色はあるものの、当時の内式リバーサル・フィルムとしては上出来の品質である。内容は、大半が古城や観光地や大自然の写真なので、すでに所有しているヨーロッパ諸国、とくにドイツやオーストリアあたりのビューマスターと大差ない。そりゃそーだ。いっときたまたま鉄のカーテンの向こう側に入っていただけで、ずうっとあそこはヨーロッパだったのだ。中には、なんじゃやらドンヨリした広大な工業地帯が続いているリールもあったが、あれはきっとドンヨリしているつもりではなく、当時としてはめいっぱい誇らしい、進歩的な眺めだったのだろう。

 楽しみにしていたアマチュア撮りのリールは、残念ながら、まるっきりの素人写真であった。どうやら水辺の休暇写真らしく、あの時代でもチェコの方々は(まあ恵まれた層ではあろうが)のんびりヨット遊びとかに興じていたようだ。確かあの国に海はないから、東ドイツとかハンガリー沿いのバルト海だろうか。しかし画面の大半が雲もない青空でしかも水平線が斜めであったり、海パンのおっさんの足がハンパに切れていたり、まあ、素人写真としても最低点に近い絵面ばかりである。純機械式カメラしかない時代なのに露出は合っているから、しっかり露出計も使用したと思われるのだが、たぶん、撮影者はただのメカ好きだったのだろう。ただ変なカメラいじくるのが楽しいだけ――なんて、昔の狸も、そんなもんだったんですけどね。
 どこでもいつの時代でも、人間や狸のやることに大差はない。

 ひとつ勉強になったのは、どうやら当時のチェコでメオプタ社が生産していたステレオ・カメラの主力商品は、35ミリフィルムを使用するビューマスターのデッドコピー製品ではなく、むしろ『ステレオ・ミクロマ』(映画用の16ミリフィリムを転用するメオプタ社のオリジナル設計)だったらしい、そんな事実が知れたことである。リールの袋に印刷されているハードの広告が、みんな『ステレオ・ミクロマ』なのだ。なあるほど、確かにアレも画面サイズは、ビューマスターとほぼ同じだもんなあ。

 などと、全人類の内でも限りなくゼロに近い同好の士の内でも限りなくゼロに近い方々をのぞけば、もーまったくどーでもいいに違いない新知識を得られてかなり満足しつつ、明日はアブレなので例によってポコポコし始めている真夜中の狸です。


01月10日 日  晴れ姿の街

 今日も明日も自主アブレ。晴れ着姿の若い女性をつけ回して徘徊するためではけしてない。しかしまあ、徘徊中にたまたま後をつけ回すことになった場合、あえて自らを恥じる気もない。
 大丈夫。見るだけです。触りません。半径30センチ以内に接近しません。せいぜい31センチまで……って、近いなオイ。

          ◇          ◇

 本日は神奈川の姉の家に、遅ればせながら新年の挨拶に行ってきた。狭い狸穴に入りきらず、あちらの広いマンションで預かってもらっている仏壇にも、手を合わせねばならない。
 挨拶とお参りをしてから、寿司を驕ってもらい、帰途、タッパーいっぱいの芋煮を運搬してくる。
 ……新年早々タカリに行った、とも言う。

 ともあれ、成人の日は明日のはずだが、晴れ着姿のお嬢さんは、本日も多数、街を徘徊していた。今日中に成人式をやった自治体も多いのだろうか。
 たまたまかもしれないが、例年見かける獅子舞のようにオメデタイお嬢さんや鏡獅子のようにケバイお嬢さんや歌舞伎の土蜘蛛のようにアヤシイお嬢さんを、本日はほとんど見かけず、多く正調和装で、しゃなりしゃなり歩行なのが嬉しかった。やっぱり成人式は、きゃりーぱみゅぱみゅのステージじゃないもんな。

          ◇          ◇

 例の木馬物件の最終回は、後がないだけに、慎重の上にも慎重を期しているため、まだ十枚ちょっとしか進んでいない。
 表向き、そう主張すれば聞こえはいいが、実は『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の新作やら再放送やら、正月ならではの寄席中継やら、シリーズ一挙放送の映像の世紀やらハイジやらコナンやら、この時期は未消化の録画物件が多すぎるのである。コロンボだって平日毎日再放送している。
 ほとんど温故知新ならぬ温故懐旧なのは、老狸のことゆえ御愛敬。


01月06日 水  雑想

 ふう、とりあえず、ひと休み。
 この三日間は、朝起きたり昼起きたり夕方起きたり、めちゃくちゃな日替わり現場なのであった。ピッキングに検品に梱包と、軽作業系スポット派遣の代表的職種を、正月からフルにこなしてしまった。正月手当、3日で計1万円ちょっとの加算(現場によってご祝儀も額が違うのである)。しかし年末年始で稼いだぶん、これから3月初旬くらいにかけて、割の良い現場はアブレがちになるのよなあ。まあ贅沢言わずに最低賃金のアレコレで我慢すれば、餓死には至らないだろう。
 ことほどさように、体だけが資本の最下層労働者は、立って動けるかぎりはシブトイのである。動けなくなったら、市役所さん、生活保護よろ。

          ◇          ◇

 昨夜はポコポコする気力もなく布団に潜りこみ、本日昼過ぎに「あーうー」などと呻きながら目覚め、江戸川沿いを散歩。
 曇天ながら寒くはなく、市川橋を渡って小岩に抜ける。
 途中の正調古本屋で、浜慎二先生の『学校で夜、幽霊が!』(1976)と『顔のない転校生』(1984)、いずれも立風書房のレモンコミックスを各300円でGET。新年から、とってもラッキー。
 浜先生は、貸本漫画時代から1980年代にかけて、あらゆるジャンルの漫画を営々と描き続けた方で、中でも怪奇漫画は、庶民派少女学園怪談とでも言おうか、卓越した作劇の手堅さと、けして常軌を逸しない生活感情やヒューマニズムが光っていた。1990年代に入って新作が出なくなった(再版は多数ある)ようだが、お元気なのだろうか。狸より二回りくらい年長でいらっしゃるはずだが。
『学校で夜、幽霊が!』は、いわゆる学校の怪談の正統派であり、大学時代にしっかり買って読んだ記憶がある。『顔のない転校生』は、今日、初めて読んだのだが――うわ、なにこれ、隠れた大傑作なんじゃないの。
 まあストーリーのアウトラインは、明らかに『ねらわれた学園』系の学園SFを怪奇物に仕立て直した感じなのだが――こ、この少女たちの憐れさ健気さは何ならむ。ブキミなぶんだけ募り溢れ出すこの愛しさは何ならむ。もう読んだ直後から勝手に脳内映画に脚色して、勝手に演出しまくってしまったぞ。勝手に原作いじるんじゃねーよ、そんなご意見もあろうが、それだけ土台の手堅さが狸の魂を鷲掴んでしまったのである。浜先生の魂と、狸の魂が呼応したのだ。
 うう……マジに小説化したい。ぶっちゃけ盗作したい。クライマックスからラストにかけては狸印ギンギンの脚色演出が加わるが、大半は「オマージュです」とシラをきれないくらい元の設定と風合いが残ってしまうから、それは明らかに盗作である。
 うう、でも、コピペしたいよう、したいよう……。


01月02日 土  初春徘徊

 結局、昨日は昼近くになって睡魔に襲われ、万年床に潜りこんで、ふと目覚めればまた日暮れ間近、あわてて最寄りの葛飾八幡宮に這いこんでみれば、すでに初詣など終盤、お年寄りがちらほらしているくらいで、晴れ着のお若い女性などは、ひとりも見当たらないのであった。
 で、すごすごと帰穴し、備蓄のチョンガー用おせちを発泡酒でちまちまいただきながら、録画しておいたNHKスペシャル『明治神宮』やら『クールジャパン』の正月特番やらを、ひとりサミしく眺めて過ごす。
 明治神宮の森が人工であることは知っていたが、そこまで徹底した原始回帰・自然崇拝の産物、壮大な実験であることは知らなかった。BSで完全版とやらを放送するとのこと、さっそく録画予約。『クールジャパン』は相変わらず楽しかったが、中で流れた日体大の集団行動とやらの映像を見て、思わず笑い転げてしまう。わははははは。日体大は北朝鮮かい。しかし、別の話題に対する韓国の方々のコメントなどを聞いていても、日本と朝鮮半島の間の感情的軋轢は、実際、近親憎悪に他ならないと痛感する。一見、違う民族性のようでいて、やっぱり根っこが同じなのですね。兄弟姉妹間の精神的軋轢が縺れると、他人同士よりズブドロになるのと一緒である。

          ◇          ◇

 本日は、寝正月から脱出するため昼前に起きだし(それでも昼まで寝ていたのだが)、穏やかな晴天の下で徘徊開始。
 もーまったく行き先を考えず、最寄り駅前に着いた段階で、JRにしようか地下鉄にしようか、それとも京成の駅まで進むか、気分しだいで歩を進める。結果、なんとなく京成線に足を選び、さらに上り下りも、最初に入線した電車しだい。
 結果、上野方面ではなく佐倉行き快速に乗る。で、何年か前にも一度徘徊した佐倉近辺、つまり京成佐倉駅から市内や城址を徘徊してJR佐倉駅へ、そんなコースをたどる。
 いやあ、和みました。城址に至る前には、何年か前に見かけた藁葺き屋根の商家がまだちゃんと残っていたし、広大な山城の跡の公園は、歩きやすく整備されながらも、でっこまひっこまと田舎の山中を思わせる地形が残っている。そこをお年寄りや子連れファミリーが、ちらほらと遊歩したり駆け回ったりしている。そうそう、わざわざ海外で慌ただしく散財などしなくとも、のんびり近場をうろついてりゃいいんだよね、正月なんだから。まあ狸の場合、単にビンボなだけですが。
 日暮れまでほとほととうろつき回り、帰途、乗り継ぎのJR千葉駅ホームでは、きっちり晴れ着のお嬢さんの一群にも遭遇できた。うんOK。

 さて、明日から3日間は、正月手当目当ての仕事である。その先は、今のところ未定。
 まあ、餓死することだけはないだろう、今年も、たぶん。


01月01日 金  あけましておめでとうございます

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。あのかばだかうまだかたぬきだかよくわかんないオヤジは、まだ死んだようにねむっている。よって、おれたちの初しごとは、ここんちの冷蔵庫のなかみを、きれいさっぱり食いつくしてやることだ。――ばくばくばく、ぐびぐびぐび」
 たかこ 「こっくし! ――ぱくぱくばく、ごっくんごっくん」
 ゆうこ 「……ちまちま、ちま」
 くにこ 「おい、ゆうこ。そんなにちまちま、おじょーひんに食っているだけじゃあ、だめだ。ことしは、どーやら、また、おれたちの出番がくるらしいぞ。あっちの話だと、おれはもー、ないすばでぃーのでっけーねえちゃんだし、おまいだって、もう中学生のおねいさんなんだからな。おまけにふたりとも、大アクションが、てんこもりだ。ほれほれ、この伊達巻、ぜんぶひとりで食って、たっぷり精をつけとけ」
 ゆうこ 「ちまちまちまちまちまちま……げふ」
 くにこ 「んでも、たかこ、おまいはラクでいいよなあ。どっちの話でも、のーてんきなガキのまんま、あどりぶまかせだもんなあ」
 たかこ 「はっはっは、まかせなさい」

          ◇          ◇

 と、ゆーよーな例年の三人組の会話は、実は去年の雑想を記した直後に収録しておいた、リハーサル映像なのである。
 結局、夜明けまでかかって『紅白』も『年忘れにっぽんの歌』もチェックし、BSでやっている『映像の世紀・リマスター版』のぶっ続け再放送の録画もちょっと観はじめたりして、現在すでに狸穴の外では、初日が出はじめているありさまなのであった。リアルタイム『あけましておめでとうございます』である。

『紅白』は、予想よりけっこう楽しく、そこそこお祭りに仕上がっていた。復活した小林幸子さんもXジャパンも、元気におめでたくて良かった。『年忘れにっぽんの歌』でも、去年のうちに死んでいてもおかしくない(おい)懐かしい方々が大挙して元気に歌っており、中には去年より立派に声の出ていた方さえいらっしゃる。おめでたいおめでたい。梶光夫さんのダンディーな『青春の城下町』など、感涙物であった。
 で、昨日12時間も眠ってしまうと、さすがに夜が明けても眠くならない。どうしましょ。

 ところで、『頭を上げて寝られない』という日本語、どなたか、どこかで聞いたことありますか?
『足を向けて寝られない』がアルツ化したのか、あるいはビンボによって根性が曲がったのか――いずれにせよ、感謝の意を表す狸語の一種と思ってやってください。