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03月29日 火  本が好き

 自主アブレ日。
 家賃やら月末の払いを済ませたら、生活資金の口座が4桁になってしまったので、とにかくロハで楽しめる図書館にのたくりこむ。
 市立中央図書館の2階にある『文学ミュージアム』で、『市川市文学サポーター協働展 本を彩った画家たち ―市川市文学ミュージアム収蔵資料を中心に―』とやらがロハで開催されていたので、ありがたく覗かせていただく。
 ……やっぱりすげえぜ、古書の世界は。今どきの書店に並んでいる味気ない装丁の書籍とは、物体としてのオーラがまったく違う。まあ特に美的なスグレモノを揃えたせいでもあろうが、それ以前に、シルエットや質感の多様性に感心してしまう。
 今の本だって装丁も表紙絵も色々違うじゃないか、とおっしゃるむきもあろうが、たとえば、既読の本を目隠し状態で手渡され、「これは誰のなんという作品だ」と問われた場合、戦後の出版物は工場生産品としての差異がほとんどないので、まず判別できない。ハードカバーかソフトカバーか、厚いか薄いか、そんな差異しか感じとれない。対して戦前の書籍は、安価な文庫類は別として、判型も箱の造りも紙質も百花繚乱である。目で見なくとも手に取るだけで「これは漱石の猫」とか「花袋の田舎教師」とか断言できてしまう。
 ぶっちゃけ中身の活字が狸には判読できない他国語だったり、興味のカケラもない内容だとしても、モノとしての存在感だけで、思わず狸穴に持ち帰りたくなるような古書は多々ある。新刊書店で全部の棚を見渡しても、そうした煩悩は、まず起こらない。
 紙の本が売れない売れないと、出版社や書店はお嘆きのようだけれど、情報のみならず『モノ』を造ったり商ったりしているという自覚は、彼ら自身、どこまで保てているのかしらん。


03月24日 木  狸も歩けば吉に当たる

 ちょっとくたびれたので、自主アブレ。
 肉体的にはそこそこ元気なのだが、ウスラバカや既知外が正社員やリーダー的な長期派遣社員として大手を振っている現場に、たまたま連続して当たってしまうと、精神的に疲れる。と言うより、ハヤリの『キレる中高年』になってしまいそうな気がする。
 狸も順調に老化しているのですねえ。
 なんて、どうで日銭目当てのスポット親爺、プッツンしそうな内心なんぞは卑屈なヘラヘラ笑いで糊塗して、唯々諾々と一日を過ごすのだけれど。
 三十過ぎたウスラバカや五十過ぎた既知外に、何を言っても無駄である。そのウスラバカっぷりや既知外っぷりを資本主義社会が求めるからこそ、ボーナスも出れば時給も優遇されるのだ。

          ◇          ◇

 ともあれ、狸の心を反映するがごとき曇天下、久しぶりに有楽町の有電ビルにあるダイヤモンドカメラを覗いてステレオカメラを見繕ったり(見るだけよ見るだけ)、それから皇居近辺を徘徊したりするうち、いつしか空の雲は流れ去り、身も心も陽射しに温もっている、単純な狸なのであった。クラカメや象徴天皇は、狸にとって心の潤滑油である。いや、心の余白と言うべきか。
 で、さらなる心の潤滑油を求め、当然のごとく神保町に足を進める。
 そこで――ピンポ〜ン! 大当たり!
 長く神田古書センターの二階にあった『中野書店漫画部』が去年撤退してしまい、寂しいなあ寂しいなあと思っていたら、同じ場所で瓜二つの店『夢野書店』とやらが営業していた。どうやら『中野書店』から『漫画部』が独立し、店名を変えただけらしい。なあんだ心配させないでくれよなあ、と安堵しつつ入店し、足元の処分特価っぽい箱を覗いて、びっくり仰天。昭和30〜40年頃の貸本漫画誌がうじゃうじゃと、なんと300円均一で放りこまれていた。
 無論、有名作家や人気カルト作家の物件は、きっちり何千円やら何万円やらでそれなりの棚に並んでおり、その特価箱に突っこまれているのは、無名作家の作品、あるいは状態の悪い物件だけである。しかし昭和レトロ流行りの昨今だと、当時の貸本漫画誌でありさえすれば、どんなシロモノでも1000円以上の値付けをする業者が少なくない。狸は思わず箱ごと買い占め――られませんでした。相変わらずビンボなんで。それでも、つづき佳子先生作画(監修と表紙は鈴原研一郎先生)の『淡雪のワルツ』と『チャオ! モコです』、以上2冊を600円ポッキリ、いや税込648円でGET!
 見返しに押してあるスタンプによると、秋田県雄勝町横堀の『よこほり文庫』とやらで貸し出していた物件である。現在の秋田県湯沢市横堀だろう。半世紀も前に、その雪国の純朴な少女たちが、指紋やら手垢やらたっぷり染みつかせてくれたシロモノと、今夜は同衾できるのだ。すりすりと頬を寄せてもいいのだ。べろんべろん嘗めてもいいのだ。
 ……いや、さすがに嘗めるのはやめておきましょう。本が穢れてしまうものね。

 ふと思う。
 いわゆる電子書籍も、なんらかの手段で指紋やら手垢やらを染みつかせ、古本化できると吉。


03月22日 火  失望と希望

人工知能が書いた小説、星新一賞の一次審査を通過』――朝方、そんな新聞の見出しに、びっくり仰天した狸であったが、よっくと本記事に目を通せば、キャラ設定やストーリー進行や場面構成は、あくまで人力で入力したのだそうだ。文章そのものも、人工知能は『言葉を選んだ』だけらしい。人力で入力したいくつかの言葉の候補から、人工知能がそれなりに選択して成文化した、みたいな。
 ……すまん。それだと、ちっとも小説書いてないと思うぞ、人工知能君。

 しかし、たとえば人工知能に『文体模写』をさせるだけなら、そのうちできそうな流れではある。たとえば、端正な岡本綺堂先生のテキストを入力すると、あら不思議、鏡花先生風の幻惑感に充ち満ちた文体に変換してしまう、とか。まあ、キャラ設定やストーリー展開からして理論派VS耽美派、まったく風合いが異なるわけだから、さぞかし不可思議な小説に仕上がるだろうが、それはそれで面白いだろう。
 人力で、ある程度それらしい作品をあらかじめを入力し、希望する先達の文体に変換してもらってもいい。つまり物故した先達の方々の新作っぽい小説が、なんぼでも読めるようになる理屈である。まあ実のところ、他人では真似できないアウトラインそのものに、いわゆる『作家性』があるんですけどね。

 ともあれ狸としては、本来正しかるべき人工知能君が、今後いかに美しく(あるいは面白く)心を病んでいけるか、そこんとこに、大いに期待したいものである。


03月17日 木  雑想

 N村さんとこで見た【経歴詐称メーカー】で遊んでみる。

バニラダヌキです。ウクライナ生まれ。東大卒業後ゴールドマン・サックス証券→任天堂、退職後はフリーランスを経て、現在はエステティシャン。町田在住。 【経歴詐称メーカー】

 あんまし面白くなかったので、本名で試してみる。

●●●(本名)です。東京生まれ。東大卒業後モルガンスタンレー→博報堂、退職後はスタンフォード大学院にてMBA取得、現在は女子高生。南極在住。 【経歴詐称メーカー】

 おお、本名のほうが、ひゃくおくまん倍もシュールではないか。

          ◇          ◇

 本日は自主じゃないアブレ。
 純アブレは、いい。午後まで寝倒しても、いちんち無為に過ごしても、断じて狸自身の怠惰ではない。すべては世間が悪いのである。

 個人番号カードができたと市役所から通知があり、受け取りに行く。
 顔認証やらなんじゃやら、ものものしい手続きの末に、今どきこんな間抜けなデザインの公的カードがアリなのか、そんな感じのカードを渡され、思わず「これ、いりません。さっき回収した住基カード、返してくれませんか」と言いたくなる。運転免許のない狸が今まで何かと重宝していた住基カードは、あっちこっちで本人確認に使っても恥ずかしくない、いかにももっともらしくて厳めしいデザインだった。しかし個人番号カードは、正直、子供雑誌のフロクとしか思えない出来映えである。転写された顔写真も、狸穴の再安価プリンターより階調が劣化している。ズバリ、めいっぱいケチったに違いない。
 それから市立図書館に行き、新たに利用者カードを作ってもらう。今までは住基カードが、その機能を兼ねていたのである。だいたい、個人番号カードとしての機能は10年有効なのに、住基カード相当の機能は5年ごとに更新って、いったいどーゆーこったい。ろくに国と地方自治体の相談もできていないのだろう。正直、面倒が増えただけである。
 ただ、世間で大顰蹙をかっている銀行口座とのリンクは、実現すれば、狸にとって将来かなり役立ちそうな気がする。体が動かなくなって生活保護を申請するとき、無一文であることがすぐに証明できる。
 タンスにひゃくおくまん円の隠し金があることなどは、当然、内緒である。

          ◇          ◇

 で、いちおう完結した例の木馬物件、ちまちまと自己チェックを続けているのだが、打鍵中に自分でも意識していなかったなんかいろいろの細部の構造が、なんとかうまく絡み合って複層的な大構造を成しており、あんがい自分で思うほどボケてないのかもなあ俺、と、改めて安堵したりもする。
 自分の脳味噌の中だけは、まだなんとか無意識レベルで責任がとれる状態にあるようだ。
 まあ、狸穴の外の世間的なアレコレなどは、もーまったく、ちょっとこっちに置いといて。


03月13日 日  雑想

 こないだ入手した古カセットテープ『寄席紳士録』に関して、唯一ネット上で見つかったデータ
 ここに『
昭和37年民放祭番組コンクール娯楽部門第一位金賞受賞作品 フランキー夜話「寄席紳士録」 第一夜 "下から読んでも一柳斎柳一" 』とあるから、昭和40年代どころか30年代、狸が幼稚園の頃に放送された音源なのであった。ちなみに安藤鶴夫先生の原作本は全13話の短編集であり、今回入手した3巻組6話収録カセット集の最終話冒頭でも『第13夜』とアナウンスされているから、あと7話、放送だけでレコード化もカセット化もされなかった回があるわけである。
 アンツル先生ご自身による台本は、30分番組に合わせて巧みにダイジェスト化されているが、その話芸的な文体自体はほとんどそのまんまで、それをフランキー堺さんが巧みに朗読、つまり自家薬籠中の芸として語っていらっしゃる。ああ、ぜんぶ聴きたいよう聴きたいよう、となんぼ悶えてみても、なにせ半世紀以上前の音源、ニッポン放送には残っているのかもしれないが、まさか今さらCD化やら配信やら再放送やらは、あり得ないだろう。
 ちなみにアンツル先生は、自分の好みに合わない芸人だと、どんなに人気があってもクソミソに言い、逆に無名でも好みに合えば絶賛、というより、その芸が解らん奴は馬鹿なのだ、そんなスタンスでモノを言い続けた方である。その好悪は、必ずしも狸の好悪と一致しないわけだが、スタンスのブレのなさはお見事であった。
 ともあれ、そのアンツル先生とフランキー堺さんは、よほど相性が良かったのだろう。ラジオ番組『寄席紳士録』、実に息の合った仕事っぷりである。半世紀前には、こんな粋な芸が、毎週ラジオから流れていたのですねえ。

          ◇          ◇

 土日と2連自主アブレ。
 昨日は久しぶりに、里見公園方向を10キロほど徘徊。いっとき姿を消していた公園野良猫たちが、きっちり復活していて嬉しかった。野良猫が生きられないようなところで、人間がくつろげてたまるかい。ほんとは野良犬も歩き回ればいい。狸またしかり。狐、野兎、モモンガやミミズなども大歓迎。人間しかいない世界など、想像するだに怖気が走る。
 本日は、あの震災関係の大量のNHK特番やら『京都 ふしぎの宿の物語』やら『新日本風土記 東北の春』やら各種録画物件の消化、それに自作のチェックと、ほぼ狸穴内だけで一日が終わりそうだ。
 震災関係の番組は、あの頃の惑乱が心身に蘇り辛いものも多かったが、現在被災地で日々を送る人々や、他のイキモノの現況も知れてよかった。どう見てもお先真っ暗な人々、希望はちっとも見えないけれどそれでも営々と日々を送る人々、くよくよしてても仕方がないからとにかく元気に動いている人々、力いっぱい夢だけは見ている人々――どのみち、ほとんどの方々が、ちゃんと人間をやり続けている。猫も犬も狸も狐も、それなりにマイペースでやっているようだ。野兎やモモンガやミミズは映らなかったが、きっとそれなりに、野兎やモモンガやミミズをやっているだろう。
 人間に限らずイキモノというやつは、生きている限り絶対に死なない。

          ◇          ◇

 何日か真冬のような小雨や曇天が続いたら、ようやく鼻水じゅるじゅるが治まり、世界が焦げ臭くなくなった。やっぱり花粉のせいだったのだ。
 とすれば、この国はこのまま真冬から夏に移行するのが望ましいが――そーゆーわけにもいかんのだろうなあ。


03月10日 木  ああ乳なる母

 狸がいわゆるロリコンであることは(まあ『ロリコン』という表現自体に多々の疑問はあるわけだが)、皆さん、ご存じのとおり。
 しかし、成人女性が体型的に豊満であることを必ずしも厭わない、つまり乳や尻に弱いただのスケベオヤジであることも、皆さん、ご存じのとおり。
 なんでえ結局女なら誰でもいいんじゃん――そうした誹りも甘んじて受けよう。確かに幼女から老婆まで、いや、下手すりゃチンポコ付きでも、魅力的な人間のすべてを心身コミで深く愛するにやぶさかではない。
 しかし――この動画を見てしまうと、やはり自分のリピドーの本質は『未熟』な『退嬰』に過ぎないのだ、そう頭を抱えてしまうのも確かである。

     

 ちなみにこのモデルさんは、デビューした小学生の頃から、すでにロリコンどもの間で激しく評価を二分するほど、たわわな巨乳の持ち主なのであった。
 あの頃は、なんぼなんでも子供のくせにこの乳はデカすぎなのではないか、などと首を傾げていた未熟な狸であったわけだが――今となっては、ただ陶然と、こうつぶやくしかない。
 ああ、その豊かな胸に顔をうずめて、ひと晩中メソメソ泣いてもいいですか、お母さん……。

 まあ、男なんて、死ぬまでただの未熟なガキなのである。


03月07日 月  けほくしゅ徘徊

 あいかわらず気道全般じゅるじゅると粘り、世間のすべてが焦げ臭い。しかしまあ、熱があるわけでもダルいわけでもないし、すべての食物がコンガリ焼けたように香ばしく感じられるのは、ある意味、なかなか面白い。

 ともあれ久々のアブレ日、怪しい雲行きの下を、あてどなく徘徊に出る。日々、けして安穏と座って生きているわけではないが、立ちっぱなしで使う筋肉と歩きで使う筋肉はあくまで別物なので、ダラダラ生きていると腰が曲がってしまう。
 地下鉄の適当な駅で降りて「うん、今日はちょっと南に彷徨ってみよう」などと適当に歩き始め、中川なんだか荒川なんだか江戸川なんだか、なんだかよくわからない川に沿って土手を歩いていたら、いつのまにか小名木川に曲がっていた。都会のビル街を縫って流れるなんてこともない掘り割りだが、大昔からの運河の生き残りらしく、一部には下町っぽい風情が残っている。放課後の都心の高校生たちが、わっせわっせとランニングしたりもしている。やがて夕間暮、ジャージ姿のあんちゃんと制服姿のお嬢ちゃんが、なんじゃやらワケアリげに、でもけして過剰にイチャつくわけではなく、ちょっと照れくさそうによそよそしく、しかしけしてお互い悪い感じでもないらしく長々と堀端で立ち話している様など見かけると、すでに真っ白に燃え尽きてしまった狸としては、思わず「うんうん君たちがんばって青春の夕暮れを楽しんでくれたまい今だけなんだからね若く美しい青春の日々は」などと、陰ながらこっそり見守ったりしてしまうのであった。
 いいよね、都心の一角、掘り割りの岸に咲く初々しい少年少女。狸穴近辺の繁華街でイチャついているドス黒い軟体生物のごときズベやヤンキーどもなど、ひとり残らず小名木川の底に沈んで、健気に生まれ変わってほしいものである。

 そこがどこだったのか今でも判然としない道筋の古本屋で、かなり面白い物件を発掘した。ポニーカセット寄席『寄席紳士録』3本セット。昔、ニッポン放送でやっていたラジオ番組のテープらしい。原作と演出はアンツルこと安藤鶴夫御大、口演はフランキー堺さん。3本セットで1500円という結構な値付けだったが、迷わず購入してしまった。要は、あの名著『寄席紳士録』を、全盛期のフランキー堺さんが演っているのである。オンエアされたのは昭和40年代前半と思われるが、テープのどこにも収録日や発売日が記されていないし、今ちょっとネットで調べてみても、どこにも詳しいデータが見当たらない。いずれにせよ、箱もテープもピカピカの掘り出し物である。
 他にも面白いもんが転がってないかなあ、と、広からぬ店内を鵜の目鷹の目で漁ってみたが――残念、ほとんど新古本っぽい物件だけだった。ほんと一期一会の世界なんだよなあ、古物探しは。


03月03日 木  けほけほくしゅん

 ううむ、インフルの後遺症なんだか花粉症の新規攻撃なんだか、気道全般、さっぱわやや。

 なにはともあれ、おめでたい雛祭りなのである。
 しかし世俗の塵埃にまみれた牡狸の身、うっかり汚れなき少女たちの花園などに忍びこんでこっそりぼんぼりに明かりを点けたりすると、突如雛壇の陰から完全武装したア●ネス・●ャンの大群が躍り出て100ワットならぬひゃくおくまんジゴワット級の殺人光線を次々と狸に浴びせかけ、非力な狸などは分子レベルまで破砕されてしまう恐れがあるので、ここは、お台所でこっそり白酒を盗み飲みする程度に留めたいと思う。

 しかし白酒は確かに旨いのだが、なぜかキナ臭いような匂いがするのは困ったものである。
 鼻粘膜が爛れていると、風呂も白酒も発泡酒も、なんじゃやら世界中がキナ臭い。


03月01日 火  白い色は変人の色

 たかこ 「おう、たぬきさんが、まっしろになって、もえつきている」
 くにこ 「んむ。これは、すばらしくしろいな。おまけに、なんだか、ぽよぽよしている」
 ゆうこ 「……つんつん」
 たかこ 「おう、ふかふかだよ、ふかふか」
 くにこ 「んむ。……これは、まるで……えんにちでうっている、あの、んまい、わたあめのよーだ。…………ばくっ!!」
 たぬき 「うぎゃああああああああ!」