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04月28日 木  雑想

 例の木馬物件をとりあえず打ち終えて、かれこれ二ヶ月。そろそろいいかな、と、ここの表に放流するために、ホームページビルダー(Windows95の頃から使い続けているバージョンだったり)でごにょごにょしていると、なんとまあ、さらに誤字やら誤変換やらが見つかってしまったりするのであった。のみならず、ちょこちょこといじくったほうが良さげな部分も目についたりして、もはやキリがない。
 そうしてうじうじごにょごにょするうち、唐突に、何年も前に打った短編の一節にも同様の手を加えるべきだと気がついたりして、思わずそっちをごにょごにょし始めたりもする。
 ああ愉しきかな、誰も見てない狸のでんぐりがえり。

 てなわけで、ここの表に毎月繰り返し上げ続けているウン年前やウン十年前の演し物も、実は、ときどきちまちまと改善(あくまで狸の主観)されていたりするのです。なんか寄席の高座みたいですね。


          ◇          ◇

 唐突に『観世音菩薩御和讃』を聴きたくなり、ネットであっちこっち探してみたが、残念ながら音源が見当たらない。曹洞宗の禅ネットにも、歌詞と楽譜があるだけだ。
 ちなみに現在聴くことのできる御詠歌や和讃というシロモノには、あんがい新しいものが多い。まあ、その根っこは大昔から存在する教義に由来するにしろ、もともと田舎の爺さん婆さんにも解るように歌われるものだから、言葉も旋律も、時代時代でコロコロ変わってゆく。現在流布している曹洞宗の観世音菩薩御和讃などは、なんと昭和歌謡史上の大御所・遠藤実先生の作曲だったりもする。そんなのを、狸の亡き母親がアルツ化する前、お寺さんからカセットテープを借りてきて愛聴しており、狸も帰省するごとに、それを聴きながら仏壇を拝んだりしていたわけである。
 現在も仏具専門ネットショップでCDが入手できるようだが――誰かYoutubeあたりに、気前よく放流してくれまいか。今は亡き遠藤実先生だって、草葉の陰で喜んでくれると思うのだが。
 それともやっぱり、JASRACが煩いのか。


04月24日 日  ぶっとんだ

 精神的にはとても楽なのだが肉体的に少々ハードな現場が続き、明日は自主アブレにして、現在すでに25日の午前3時過ぎ、パソをネットに繋いでウスラボケっといつもの界隈をうろついていたところ――N村様のブログで紹介されていた『おがわさとし』さんという漫画家さんの作品を初見、正直、漫画という表現形式の作品において、狸としては無慮20年ぶりに「おああああああ」と、しばし両の掌を顔の両横に広げてフリーズしてしまった。
 す、すげえ。狸が知らなかっただけで、この方はもう20年近く前にデビューしていらっしゃったのですね。
 全体的に似た風合いの漫画家さんは、いないでもない。しかし個々の作品のうち『水窓』『火色』あたりとなると、これはもう唯一無二の才能の結晶である。たとえば小説なら、アンソロジーで恒久的に残すべきレベルのファンタジーだ。
 泡を食ってAMAZONを探してみたが、紙の単行本が見当たらない。いや電子出版物もない。主要作品はWeb向けの低解像度ながらここに放流してあるので、今のところいつでも読めるようだが、電脳空間などというものはなんぼ目に見えてもしょせん電子の泡沫、いつはじけて消えるかわからないし、その作品そのものを抱いて寝るのは不可能だ。
 作者様御自身は、漫画作品そのもので食っていく気はないようだが――これはもう初出誌を漁るしかないのか、出遅れた読者としては。


04月20日 水  徘徊する偽善者

 自主アブレ日。

 今月もなんとか生活費ノルマをクリアし、法事等のプール分を差し引いても若干ながら黒字が出そうなので、熊本とエクアドルの義援金に回す。などと気前良さげに言いつつ、実はどっちも、たったの2000円ポッキリである。
 被災地の皆様、すみませんすみません。この変態狸は、ユニセフやらプランジャパンやら定期的にろりショタ関係に端金を回すつごうで、どーしてもそれ以上の余裕がないのです。ときおり購う古本やら古物やら、己の嗜好物を、スッパリ諦める気もさらさらないのです。大好きな徘徊に回す交通費も、しっかり確保しとかねばならんのです。許してください許してください。

 などと偽善的な平身低頭を見せつつ、本日も数百円の電車賃を費やし、久しぶりに上野に出る。高架下のクラウンエースで、好物のカツカレーも食ってしまう。ウン十年前と変わらず、ペラペラのカツが乗った苦み系のカレーが500円ポッキリ。うんうん、このペラペラの揚げ置きカツと甘くないカレーが、狸舌には、なにより御馳走なんだよな。
 それから上野公園や谷中霊園を回って本駒込まで、いわゆる谷根千界隈を徘徊。その界隈はすでに何度も徘徊しているわけだが、とにかくごちゃごちゃした土地柄、未踏の道は無限に存在する。
 例によって、見知らぬ裏通りに、ちっこい古本屋を見つけたりもする。入り口付近の棚に晶文社の植草甚一さんの旧版をズラリとこれ見よがしに並べたりしており、「お」などとつぶやきながら奥を覗くと、ちょいと古めのパソコンを相手に推定ネット通販作業に勤しんでいるのは、あまりに予想どおりのオシャレな老人だったりして、思わず「ウフ」などと、内心でほくそ笑んだりしてしまう。神保町などとは違い、地元のお母さんとちみっこが、和やかに児童書の棚を物色していたりもする。思えば絵本や幼児向きの書物は、大人の本と違って、そうそうデジタル化できないですもんね。
 貧しい狸は、せいぜい100円均一の文庫棚から、都筑道夫先生の怪奇物やジャック・フィニーのノスタルジックな幻想物をレジに運ぶだけだが、どっちも昔に読んで、その後売り払ってしまった物件だったので、気分はウキウキである。

 煩悶も悔悟も、どうせ生きている限り続くのだから、利己的な小動物として、過度の萎縮は避けたい。


04月17日 日  天変地異

 今、きわめて微弱にではあるが、狸穴が揺れた。小心な小動物としては、それだけで血の気が引いてしまう。すぐにNHKのラジオを聴き、千葉沖で、ほんのちょっとの地震があっただけと判明。
 あの熊本を最初の激震が襲った頃にも、狸穴で微弱な揺れを感じたのだが、そのときは自作の補筆ぶんのチェックに頭がいっぱいで、ニュースを覗くこともしなかった。あれも熊本とは関わりのない、偶然の微弱な地震だったのだろう。その後、深夜、風呂上がりにテレビをつけて驚愕し、それっきり驚愕しっぱなしである。ニュースに接していると、津波とはまったく異なるあまりの惨状に、誇張抜きで、目からぬるま湯が流れたりもする。

          ◇          ◇

 本日は、某湾岸ロジで、通販関係のピッキングや梱包に勤しんだ。オーナーが大企業なので免震構造も徹底しており、あの東日本大震災のときも、入荷直後や出荷準備中の仮積み物件が僅かに転がっただけで、他は何ひとつ崩れなかったという超優良建造物である。もし東京に直下型がくるなら、このロジで作業している日にしてほしい――日雇い仲間の、共通した希望である。高さも普通のビルなら数階建てに匹敵するので、階上に避難すれば津波からも逃れられる。
 しかし、しょせん皆日雇い、耐震性皆無の古工場や倉庫で、あっという間に圧死する可能性が高い。そして、その日暮らしだからこそ、将来なんぞは真っ暗でも、明日の朝日に対する渇望は大きい。

 そもそも今日の午後からの強風だって、半端ではなかった。吹きさらしのバース付近だと、マジに足が床から浮いてしまうほどの強風で、皆、何度も浮いたまま、あわわわわと泡を喰らった。
 帰穴後、その強風でも死者や負傷者が出たと知ったが、そのニュースで「強風に煽られて転倒、頭部を打って死亡」と表現しているのを聴き、思わず首を傾げてしまった。あの風だと、「強風に吹き飛ばされ地面に叩きつけられた」、そんな状態だったのではないか。
 天や地は、イキモノの都合など知ったことではないのである。

          ◇          ◇

 いずれにせよ、狸はまだ生きて心痛し、生きて冥福を祈れる側にいる。
 募金箱にお釣りの小銭を入れるくらいしかできない非力な狸でも、生きている限りは死ねないし、死にたくもない。


04月14日 木  唯我独尊

 天気が悪そうなので自主アブレ。などと言いつつ、実は半分、純アブレ。
 先様都合のキャンセルなので、派遣会社が代替案件を紹介できなければ当方に幾許かのキャンセル補償金が入るのだが、今回は、紹介された別案件が、フトコロに一葉のお姉さんが一人でもいる限り出たくないタイプの現場(リーダーがマジに奴隷頭状態)だったので、当方からパス、経済的には純アブレ扱いになる。
 色々あるさ、先様しだいの日雇いだもの。

          ◇          ◇

 今週は、己の至らなさにシュンと反省してしまったり、おたおた慌てたりもしたのだが、昨夜、例の板の木馬物件に、彩様から暖かくもスルドいご感想をいただいたりしたとたん、そっちのほうに頭が占有されてしまった。なんのかんの言って、結局は、己の創作物が何より大事な狸なのである。己自身のアレコレは、ちょっとこっちに置いといて。
 いずれにせよ、己も創作物も縁起によって転がっている以上、自作における縁起の欠損は埋めねばならない。そもそも考えれば考えるほど、まさに画竜点睛を欠いていたことに気づく。
 あの長い物語を紡ぎ続けられたのは、言うまでもなく読者の方々が、気長に、陰に日向に後押ししてくださったおかげである。そして、ようやく今朝になってトゥルー・エンドらしいピリオドが打てたと思えたのは、ぶっちゃけ彩様のおかげである。

          ◇          ◇

 午後遅く起きたら雨も上がっていたので、徘徊に出る。
 こないだ小名木川沿いを歩いたときは、どうやら旧中川から小名木川に曲がって、小名木川橋あたりから川筋の街を離れ、地下鉄の住吉駅を素通りしてJR錦糸町まで――まあ好き勝手に路地に折れたりしたので紆余曲折はあるが、おおむねそんなルートであった。ならば、本日はその続き、つまり住吉駅から小名木川に出、まだ歩いていない小名木川の西方向に進み、やがて隅田川に合流、そして両国橋から神田川に折れたりして、懐かしの神田川に沿って古巣のお茶の水まで――いちいち記すと長そうに見えるが、せいぜい7〜8キロか。おおむね想定どおりに歩いたのだから、徘徊ではなく、ただの散歩ですね。

 しかし隅田川も神田川も、学生時代の狸が出没していた40年近く前に比べると、ずいぶん綺麗になりましたねえ。外人さんたちの乗った屋形船なんぞを見ても、そう恥ずかしくない水質である。
 東京オリンピックの翌年、家族旅行で上京した小学2年の狸は、墨田川や江戸川を見て、さすが花の東京のドブ川はスケールが違うと感心した。あの頃は、海の向こうのテームズ川もセーヌ川も、都市部だとドブ川状態だったらしいから、そこいらも立派に先進国の仲間入りができていたわけである。中学の修学旅行のときも、まだかなり匂っていた。大学時代にはずいぶん浄化されていたが、それでも神田川などは、表通りから目の届かないあたりだと、ゴミが溜まってドブ状態のところも多かった。
 あの、かぐや姫の歌に出てくる安下宿の三畳一間も、もの悲しい旋律にふさわしく、かなり匂っていたはずである。


04月12日 火  篠降らない雨

 おお、なんとゆーことだ。
 昨夜、N村様のブログを覗いて「え?」と首を傾げ、その後ネット検索するやら、狸穴に3種ほどある国語辞典を残らず確認するやら――狸は確信するに至ってしまった。正しい日本語として、『篠突く雨』はあるが、『篠降る雨』は存在しなかったのだ。

 実は狸は、昔から両方あると思っていた。子供の頃、大人が両方の表現を使っていた記憶が、確かにある。雑誌の記事などでも、使われていた記憶がある。つまりザンザンドシャドシャ降るのが『篠突く雨』で、シトシトしめやかに降るのが『篠降る雨』――そんな使い分けが、昔から周囲で為されていたのは間違いない。
 しかし、古典文学にも明治以降の文学作品にも、確かに『篠突く雨』はあるが『篠降る雨』は見られない。N村様のご推察どおり、巷間での使用例はあるものの、語学的には、明らかに誤用らしいのである。
 知らなかったよ知らなかったよ。

 そもそも『篠』というシロモノに、みっちりと束になって山道に立ちふさがるときの険しさ荒々しさを感じるか、刈りとってちまちまと籠や人形に加工するときの細っこいしなやかさを感じるか――狸などは、やっぱり両方感じてしまうのだが、少なくとも正しい日本語としては、やっぱり『篠突く雨』はあるが『篠降る雨』はない、そう結論せざるをえないのである。

 と、ゆーわけで、もしここをご覧になっている中に、身に覚えのある方がいらっしゃったら、こっそりナニするのが吉と思われます。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって、やはり昨夜、ミケ女王様とブチ下僕が狸穴から引き揚げた後、台所で、とんでもねーシロモノを見つけてしまった。猫のちっこい犬歯が1本、コロリと転がっていたのである。猫の歯なのに犬歯はおかしい気もするが、いわゆる牙ですね。
 で、先ほど、例によって同伴帰穴した2匹がハグハグポリポリする様を、よっくと観察してみると――ああ、やっぱり。老猫ブチ下僕の、右下の牙が失われている。当人、いや当猫から見ると左ですね。
 年寄りのくせに、硬いポリポリばっかり囓ってるからなあ、ブチ下僕。
 まあ人間といっしょで、臼歯が無事ならポリポリに支障はないだろうけれど、やっぱり人間といっしょで、いちばん目立つ歯が欠けていると、ますます老けて見えてしまう。
 どうせならミケ女王様の牙が減ったほうが、しょっちゅうふくらはぎに噛みつかれる狸としては、ありがたいんですけどね。

 ともあれ、今夜も狸穴で間食を済ませた後、しっかり夜の領内チェックに向かわれたミケ女王様をよそに、現在、狸の足元で、毛の生えた牡丹餅のように丸くなっているブチ下僕の余生が、かなり心配な狸なのであった、まる、と。


04月09日 土  雑想

 しかしまあ、たかだかカジノで何千万使ったくらいでやいのやいの、ほんとに日本はいじましい一億総小姑国家になり下がってしまった――などと言いつつ、狸の日雇い仲間などは老若男女問わず「いいじゃん別に金借りられるんなら」と大らかなので、まあ、要は、目立ちたがりタイプの小姑が多いだけのことだろう。それは今も昔も変わらない。小姑にイジメられる憐れな嫁は、目立つとさらにイジメられるから、賢く寡黙を保つのである。
 しかし、似たような賭博行為が、その胴元によって合法にも違法にもなるってのは、明らかに法律がおかしい。悪法でも法は法、とよく言われるが、それを言ってしまうと、ヤクザも官権も同程度の馬鹿ということになってしまう。

          ◇          ◇

 本日は自主アブレ日。
 ようやく花見気分で、真間川沿いの桜並木を散策した。すでにだいぶ散ってしまってはいるが、舗道一面に敷き詰められた花弁は、無常というものがなかなかに美しいものであることを実感させてくれるし、頭上の枝々だって、花色が薄くなればこそ、この時期の葉々の淡緑の透明感が、鮮やかに目に映る。
 ……うわ、狸って、すっげー風流な奴なのかもしんない。

 などと言いつつ、今週は、天気予報のいいかげんさに呆れることが多かった。今日だって、いちんち晴れのはずなのに、しっかり薄ドンヨリと雲っていたし、こないだ「良く晴れて五月なみの暖かさになります」などと言われて薄着で出た日には、午後、吹き抜けのロジの外が一天にわかにかき曇り、木枯らしのような風が吹き渡って往生したりもした。
 どうも天気予報の的中率が、予報を出す側では上がった上がったと言うわりに、子供の頃から現在に至るまでさほど変わらないような気がするのは、天気予報のヒトが、姑息にデータをごまかしているからなのではないか。
 たとえば先日、いちんち晴れのはずが午後から曇り、いっときは雨までパラついた。ところが帰宅後、ネットで狸穴近辺の気象を調べると、「いちんち晴れ。ただしほんのいっとき雨」などとゆー不可思議な記録になっていたのである。さすがに「雨は降らなかった」と言い張ったら後で糾弾されかねないが、実質「曇り」の時間帯を予報どおりの「晴れ」にしとけば、まあそこまでしつこく過去を追求してくる奴はいないだろうし、全体的な天気予報の的中率は、当然水増しされる。そのあたりに、相変わらずハズしまくっていても、記録上の的中率が上がってゆくカラクリがあるのではないか。
 ……うわ、狸って、すっげーヤな奴なのかもしんない。

          ◇          ◇

 例の板の木馬物件、しつこく修正しようと思う。その後『。』ひとつだけでなく、内容的な矛盾や意図的でない重複表現が、数箇所ほど見つかったのである。まあ、あんだけ長い中でなら、ふつうほっといても目立たない程度のミスではあるが、なにより狸自身の精神衛生に良くない。
 まだまだ穴があるのかも知れないが、まあ、さすがにあの場では、今回更新ぶんを決定稿にしようと思う。
 ……なんつって、何年もたってからこっそり修正したり、たっぷり前科があるんだけどな。


04月05日 火  雑想

 おお、例の大量プリントアウトで、またおかしい部分を発見。なんと文末に『。』を打ち忘れていた。
 しかし『。』をひとつだけ追加するために、あっちの板を、わざわざ更新するのもなあ……。
 ああ、自分の粗忽が恨めしい。

          ◇          ◇

 あの板で、珍しく古風で和風な幻想純文学系短編を書き綴っている方が、どうやらパソコン初心者らしく、デジタル世界におけるテキスト情報のアレコレをご存じないのか、文章そのものは上達してきているのに、いつまでたってもネット上の表示が覚束ない。
 で、それに関して、感想欄に逐一くどくど書き込むのもなんなので、個別にメールで助言しようと思ったら――そのメールの下書きが、原文を逐一くどくど引用する都合もあり、ぬわんと400字詰め換算で30枚に達してしまった。
 いきなりこんな馬鹿長いメールを、感想欄でしか縁のない老狸に送りつけられたら、推定お若い娘さんのこと、思わず腰が引けてしまうのではいか。けれど、このままtxtファイルにおける『空白』や『改行』の意味を明確に把握しないままでは、将来にさしつかえる気もする。

 思い起こせば狸自身、初めてウィンドウズ95を使い始めた頃など、専用日本語ワープロとDOS情報の差異も定かではなく、まして『一太郎』や『ワード』がカマしてくる「小さな親切よけいなお世話」そのものの自動字下げや字間自動調整などもわけがわからず、「あれ? なんでネットにコピペすると、こんな、てんでんばらばらな表示になるの?」とか、首を捻っていたわけである。

 まあ、せっかく打った長文メール、えいやっ、と送ってみましょう。あくまで善意の発露だからな。

          ◇          ◇

 で、すっかり白ワインにハマってしまった狸は、例のボトルを飲み尽くしたのち、近所の食品系バッタ屋で、安価なちっこいボトルを2種類ほど購って試したりしてみたのだが――どっちも甘い。甘すぎる。まあ子供の頃に嘗めた『赤玉ポートワイン』ほど甘くはないが、あの正体不明輸入ワインと比べると、なんだかモッタリしているのである。
 もしかしてアレはやっぱり、冷蔵されずに日本の夏を四半世紀ぶんも過ごした結果、なんぼかお酢に偏った、酸味系のキレ味を生じていたのだろうか。それとも新たに勝った安物が、売れ筋の量産安価日本酒やレトルトカレー同様、甘いほうが売れるから甘くしてあるのだろうか。
 次に買うワインは、ちょっと調べてから選ぼうと思う。無論、財布の中身と相談してだが。

 しかし昨今の量産食品って、なんか甘くて困ったもんですね。『激辛』を謳うカレーにまで、香辛料に負けず劣らず、甘味料もぶっこんであるようだ。


04月01日 金  真実

 ……狸は、自分を偽って最下層労働者を装おう狸生に、もう疲れました。
 今夜、ひゃくおくまん円の箪笥預金を携え、愛する12人の美少狸とともに、竹芝桟橋からパリに旅立ちます。

     

 ……確か伊豆諸島経由でパリまで行くんだよな、東海汽船のさるびあ丸。

          ◇          ◇

 と、ゆーよーな、紛れもない真実はちょっとこっちに置いといて、本日は自主じゃないアブレ日。

 例の木馬物件、全編プリントアウトしてみた。なにせ馬鹿長い物件、読みやすい応募用の書式などで印字したら二百数十枚になってしまうので、昔の超高密度文学全集などを参考に、A4に3段組みでみっちりと、およそ半分の枚数にプリント。
 いやあ、モニター画面で数回読み直したはずなのに、まだまだ妙な部分が残っているのには、我ながら呆れかえってしまう。誤変換や勘違いのみならず、打鍵中に言葉を選ぶ過程で、消したつもりの文字が残っていたり、逆に一文字余分に消してしまったりするのだ。モニターでつるつる流してチェックしていると、イキオイに押されて、つい見逃してしまう。
 もっとも市販の出版物だって、初版は誤植だらけなのが普通である。編集者や作者当人が、何遍ゲラをチェックしてもアレなのだ。
 いやあ、なまねこなまねこ。

          ◇          ◇

 久しぶりに身欠き鰊を焼こうと思い、焼き網を探しておだいどこのシンクの下を覗いていたら、収納スペースの最奥に、なんじゃやら、でかいボトルがあるのに気づいた。なんじゃこりゃ、と引っ張り出してみれば、これがなんじゃやら、横文字のラベルが貼られた白ワインらしいのである。
 えーと、なんでそんなところに、こんなスカした物件が――。
 そういえば、現在の狸穴に引っ越してくるとき、もらい物のボトルを荷物に放りこんだ気がする。つまり十数年前のワイン、いや製造年月日を見ると1990年、つまり四半世紀も昔の輸入品なのである。
 えーと、確かワインって、基本的に腐らないはずだよな。モノによっては腐るのかもしれないが、日本酒と似たようなものだとすれば、最悪でも、お酢(のよう)になっているだけのはず――と、ゆーことで、缶切りにくっついていたコルク抜きを用い、期待と不安の間をわくわくびくびくと揺れ動きながら栓をスッポンしますと――ガッチャ! 立派な白ワイン。しかも、けっこう美味。香ばしく炙った身欠き鰊に、ぴったりの味わいなのであった。

 と、ゆーわけで、パリ渡航は将来に持ち越し、12人の美少狸に傅かれながら、ほろ酔い気分の狸です。
 ちなみにミケ女王様もブチ下僕も、身欠き鰊は大歓迎らしい。豚コマやポリポリとは、明らかに食いつきが違う。