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09月30日 金  暑き心に ファイナル

 うん、今日は秋だった。お天道様はあいかわらず束の間の控えめな露出ながら、この気温と湿度なら確かに夏ではない。
 来月がどうなるか予断は許されないが、このあたりの街中で9月中から秋を感じられるのは、稀なる快挙である。
 かわいいかわいいアキちゃんや、おじいちゃんはほんとうにうれしいよ。

 あとは、ここしばらく完全おあずけ状態の、『4時間以上連続晴天』を待つばかりである。この時期ここまで曇天雨天ばかり続くのも、ここ数年、まず無かった異常事態だ。

          ◇          ◇

「自堕落な自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」の長谷川豊さんが、ようやくクビになったり謝ったりしたようだ。
 まあ、部分的には同意できる余地もあるのだけれど、そもそも『自業自得』の定義が判然としない。言った当人も、イキオイで軽はずみに口走っただけだろう。

 世の中には、貧乏糖尿というものが確かにある。狸だって去年の今頃は、今年以上になんかいろいろ頑張っていたにも関わらず血糖値がとんでもねー値を示し、このまま10年ほっといたら確実に人工透析生活になると、ちょっときれいでなくもない女医さんに明言されてしまった。小心な狸は即座に晩飯の一合飯を諦め、コンニャクさんと手を結ぶ、いや口や消化器官を結ぶことによって、現在はギリギリ許容範囲に戻っている。だから自分は『自堕落』でも『自業自得』でもないと、かろうじて主張できないこともないわけだが、そもそもその異常な血糖値を知れたのは、あくまで高血圧で定期的に通院している病院で血液検査を受けたからである。その高血圧も、何年か前にキャ●タマブク●が巨大化して入院したとき、たまたま判明したのである。もしあの入院がなかったら、日雇い派遣や短期契約でかろうじて食いつなぐ最底辺労働者のこと、定期検診も受けず高血圧も高血糖も知らないままある日突然ぶっ倒れ、必然的に生活保護状態となり、生存に関わる費用のすべてを、公共の福祉に頼ることになっただろう。
 世の中、長谷川さんのような、豊さんばかりではないのである。

 だいたい、善良な市民が公共の福祉に頼るのに、なんの遠慮がいると言うのだ。不正受給するわけではない。狸だって、かつて人並みの年収の正社員だった頃は、とんでもねー所得税や保険料を毎月毎年天引きされてきた。莫大な年金料も払い続けた。極貧の今でも、所得税は僅かながら法律どおりに納めているし、問答無用で日々8パーの消費税を徴収され続けている。
 それでも日本が亡びるのなら、まあ、しかたがない。いっしょに亡びましょうよ長谷川さん。できれば涼しい日に亡びたいものですね。カラリとした晴天だと大吉。


09月28日 水  暑き心に リベンジ

 本日は、選り好みアブレ。
 昼も夜も真夏に戻ってしまった今日この頃、身体的負荷のみならず過度の精神的負荷まで加わったら、もはや正気を保つ自信がない。
 結局、毎年毎年、6月中旬から10月中旬までの丸4ヶ月、東京湾岸の狸はジトジトと濡れたまま熟成発酵し続けるしかないのだろう。
 ……などと、いかにも達観したように装いつつ、今日もちょっと買い物に出ただけでぐっちょんぐっちょんになってしまい、帰穴したとたんに全裸になってプチ洗濯しながら時折「きえええええええええ」などと奇声を発し、遊びに来ていたミケ女王やブチ下僕を怯えさせたりしていたのだが、まあ「いよいよ俺も狂ってしまったなあ」と自覚できるうちは、まるっきり既知外でもないのである。

          ◇          ◇

 こないだYoutubeにアップした古日本映画『白夜の妖女』、意外にも着実に再生回数が伸びている。同じ日にアップしたリリーズの歌と、いい勝負の人気である。他のレアなアナログ音源などは、さほど突っついてもらえないのだから、わざわざ『白夜の妖女』や『月丘夢路』といったキーワードで検索する奇特な方々が、確実に存在するとしか思えない。
 気をよくして、『わが青春のマリアンヌ』のドイツ語版も、昨夜アップしてしまった。フランス語版のほうは、ちょっと前に日本語字幕DVDが発売されたとたんYoutubeにもアップされたが、ドイツ語版の日本語字幕付きは、四半世紀前にビデオとLDが出たっきりである。テレビでも、近年放送されたのはフランス語版のみ、ドイツ語版は狸が高校生の頃、つまり四十何年前にNHKで放送されたっきりである。使用される言語だけでなく、役者さんもほとんど別人という作品なのだから、同じシナリオと演出でも、映画全体の風合いはずいぶん違う。ちなみに狸は、ドイツ版が好きだ。初めて見たのがドイツ版だったから、というわけではない。ドイツのキリっとした青少年のほうが、なんか純情そうで好ましいのである。フランスの若い衆は、おしなべて優男っぽく、幻想の女性を夢見るより先に、現実の女性を口説きまくりそうに見えてしまう。国籍や言語への個人的偏見で、青少年を差別してはいけないんですけどね。
 ともあれ、一般的にはそんな根本的な差異を知らない方々が多かろうから、先にアップされて画質もいいフランス語版ほど再生されないかもしれないが、「やったあ! こっちの版も日本語字幕付きで観たかったんだ!」と喜んでくださる奇特な方も、少しはいらっしゃるはずだ。


09月25日 日  暑き心のボレロ

 2日ほど前、気象予報士のおねいさんやおにいさんが「日曜は晴れる」と言っていたので、本日は自主アブレにしておいた。しかし昨夜あたり「やっぱり明日はいちんち曇り」と前言を翻してしまい、おいおいしまいにゃ殺すぞおまいら、などと、口にはできない発作的憎悪に身悶えてしまったのだが――ああ、なんだ、ちゃんとお天道様がコンニチワしてくれたではないか。すみませんすみません、気象予報士のおねいさんおにいさん。あなたたちの予報は五分五分で的中するという大原則を、つい忘れておりました。
 と、ゆーわけで、一週間ぶりに拝むお天道様の下、本日は荒川の西岸をぽこぽこと徘徊。
 もっとも、徘徊後半は曇天に向かってしまい、気温は下がったのに湿度が急速に上がり、いきなり汗がだらだらだらだら――ありゃ、先週もまったく同じパターンだったぞ、これ。でもまあ久々の晴天を満喫したので良しとしよう――ありゃ、これも先週とまったく同じだな。

          ◇          ◇

 帰途、新小岩の新古本屋で、欲しい欲しいと思っていた岸田森さんのファンブック(?)『不死蝶』の文庫版を、1300円でGET。定価1500円(税込1620円)の本の中古を1300円で売るとは、ずいぶん強欲な気もするが、先月発売されたばかりなのにもう版元では在庫切れになったらしく、下手すりゃ倍の値を付けている古書店さえあるのだ。つまり大人気ベストセラー、と言うのは大嘘で、もともと超マニア向けの書物ゆえ、初版発行部数が僅少らしいのである。もし再版されなかったりしたら、際限なく高騰してしまう。
 現在の狸にとって、趣味嗜好関係の単品に1300円を費やすのは、なかなか辛いところなのだが、なんと言っても岸田森さんの本である。狸が紅顔の美少年に化けていた頃から「ああ、この人になら、あげてもいい……」と思い続けていた、孤高の役者さんの本である。

     

 ああ、この人になら、スカスカになるまで血を吸われてもいい……。


09月23日 金  暑き心に リブート

 うぶ。
 うぶぶ。
 うぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶ。
 ……あづい〜〜。
 むじあづい〜〜〜〜。
 ……もうだめぽ。

 もうちっとも暑くないじゃんもう秋じゃん――そんな自然環境や室内環境に恵まれた、わるやましい方々も多々いらっしゃるであろうとは推測しつつ、東京湾岸は今日も一日ジトジトと生ぬるい雨模様、最高気温25、微塵の妥協もなく湿度90オーバー。いちんちビショビショ。
 まあ、軽労働のはずのスポット現場に、常になく重い荷物が混じっていたのも確かである。縄跳び用のビニール縄がぎっしり詰まった段ボール箱は、ジェンガに匹敵する重量(あくまで狸の主観)なのであった。
 などと大袈裟に嘆きつつ、実はたまに混じっている程度だったのだが、どのみち冷房も除湿も届かないロジのトラックバース近辺、一度かいた汗は二度と乾かない。おまけにこの時期、行き帰りの電車まで「もう秋口だもんね」と冷房を控えてしまい、下手すりゃ一年中で最も不快なほどムンムンしている。

          ◇          ◇

 鬱陶しい愚痴ばっかりでは申し訳ないので、心が洗われるような歌声を、ひとつ。

     

 狸穴に帰り、こうして座ってキーボード叩いてりゃ、確かに、もう秋っぽいんだよな。


09月21日 水  さらば暑き心よ

 自主アブレ。朝にも台風の影響が残るのではないかと踏んだわけだが、風雨は昨夜の帰穴時にピークを迎え、しっかり狸をぐっちゃんぐっちゃんにして満足したのか、北に去って行ったようだ。
 しかし本日も、台風一過の爽やかさとは無縁のドンヨリが続き、昨夜の予報では10月中旬の気温まで下がると言っていたのに、涼しかったのは夜間だけで、昼過ぎに起きて狸穴を這い出たら、先週同様のムシムシ状態だった。
 おいおいたまにはぴったり当てろよ気象予報士のおねいさん、などとボヤキつつ、汗ばんだ体で江戸川の土手に這い上がると――すみませんすみません気象予報士のおねいさん、ちゃんと10月の風が吹いておりました。
 気を良くして2時間ほど川沿いを徘徊し、買い物しようと京葉道路方面に土手を下ったら――あっと言う間にムシムシ状態に逆戻り。すべては都市熱の仕業なのである。そりゃそうだ。無数の車両や店舗や家屋が、せっせと排熱加湿する大都会だものね。いかなるエコな車や建物も、内側はともかく外側の気温を下げることだけは永遠にない。湿度を下げるのも冬場だけだ。
 でもまあ夕方から一気に涼しくなるので、良しとしよう。しかし、いつになったら秋っぽい晴天が拝めるのだろう。いや、この際、残暑の晴天でもいい。とにかくお天道様の顔を直接拝みたい。

          ◇          ◇

 Youtubeに放流したいアナログ物件が、そろそろ弾切れになりそうだ。別にリリーズの全曲を放流したいわけではないし、他の方のアナログ音源は、さほど所有していない。好んで聴いているレアな曲は多々あるが、たいがい過去にデジタル化されている。熱意と金さえあれば、今でも中古CDが手に入る。
 ただし、どうしても一度放流したいアナログ映像は、何本かある。狸の知る限りネットに放流されたことがなく、ビデオ化もされていない古邦画のテレビ録画物件、たとえば『白夜の妖女』(昭和32年、滝沢英輔監督)とか、なぜか国内ではDVD化される気配のない『わが青春のマリアンヌ』のドイツ・バージョン(1955、ジュリアン・デュビビエ監督)とか、『押繪と旅する男』(平成6年、川島透監督)とか『ゲンセンカン主人』(平成5年、石井輝男監督)とか、昔ビデオ録画したNHK芸術劇場の舞台中継とか。
 さすがにNHK物は、アップしたとたんに瞬殺されてしまいそうだ。『押繪と旅する男』と『ゲンセンカン主人』も、ちょっと新しすぎる気がする。しかし所有するビデオの中では間違いなく愛着度トップクラスの、至高の幻想映画である。なのに少数のマニアが惚れこんでいるだけで、一度もテレビ放送されないし、DVD化の気配もない。
 とりあえず、そもそも誰も検索してくれないであろう『白夜の妖女』、あれで試してみるか。

 しかし、エロゲ関係で唯一アップした超レア音源だけが、まるっきり相手にされないのは少々寂しい。今のところ再生回数たったの9回。しかも、そのうち少なくとも4回は、狸自身のチェックや、うっかりクリックによる加算だ。つまり実質5回以下。人数にすれば、2人か3人か。
 大好きなゲームなんですけどねえ。昔はニコ動に、別音源もあったし。


09月17日 土  暑き心の逆襲

 自主アブレ日。
 午後に目覚めたら、窓外の空が晴れていた。お天道様の顔をストレートに拝むのは、数日ぶりの気がする。
 これはもう徘徊するしかないと、お握りや水筒を持って出発。一度歩いてみたかった、荒川と中川の間の中州を目ざす。
 中州、と言っていいのだろうか。つまり中川と荒川は完全合流する前の8キロ弱、寄り添うように並行して流れており、その間の中州っぽい地べたに、首都高の高架が延々と続いているのである。その高架下は遊歩道っぽく整備されており、人と自転車なら、大きめの橋の途中に設けてあるスロープから下りて、通行できるようになっている。
 本日は、まず都営新宿線の船堀駅に近い新船堀橋からその中州に下り、北上してみた。頭上は果てしなく続く巨大な高架、西は丈高い雑草越しにちらちらと荒川が臨め、その彼方にはスカイツリー。東は中川すれすれなので、空を写した川面が延々と続く。高度な文明と天然の造化が、あんがいいいぐあいにマッチしている。やがて北東に分岐する中川の、うねうねと蛇行する流れに沿って進み、さらに新中川との分岐点を過ぎて、京成線の高砂駅まで――合計おおむね10キロほどを、のんびりぽこぽこと歩いた。

 いやあ、お天道様って、いいものですね。気温は30度近くまで上がったのだが、晴れているぶん湿度が低いから、発汗量はさほど多くない。雨が降ったり止んだりの25度よりも、遙かに爽やかなのである。カリフォルニア沿岸とか地中海沿岸とか、気温は高いが湿度の低いリゾート地の、人気の理由がよくわかる。東京都内でほんのちょっと晴れただけでも、これだけ体感温度が違うのだ。
 もっとも、徘徊後半は曇天に向かってしまい、気温は下がったのに湿度が急速に上がり、いきなり汗がだらだらだらだら――そんな結果に終わってしまったが、まあ久々の晴天を満喫したので良しとしよう。

 ちなみに首都高高架下の中州部分、今回歩いた5キロほどの内に、野良猫を2匹だけ見かけた。くすんだ黒と暗灰色の毛並みは、お世辞にも見栄えがしないが、どっちも健康そうであり、精悍に筋肉が張っていた。人家もなにもないところゆえ、何を食って生きているのか不思議である。岸辺のところどころに、散策者が捨てていったらしいゴミの入ったレジ袋なども新旧溜まっているから、あんがい食える生ゴミも出るのだろうか。それとも小鳥や川の魚を補食しているのか。あるいは近場の橋を渡って、遙か両岸の町をもテリトリーにしているのか。

          ◇          ◇

 コロリと話は変わって、シモ関係の出来事。シモの話が苦手な方は、以下、読まないでくださいね。

 ここ23日、ちょいと便秘気味が続き、久々に生理、じゃねーや、水洗トイレに鮮血が滴る仕儀となった。
 ああ、ボラギノールって高価なんだよなあ、確か10回分で1000円以上するんだよなあ、と嘆きつつ、マツキヨやら西友やら、少しでも安価な店を探し回ったところ、近所のメガドンキの薬品売り場で、実に安価な類似品を見つけた。その製品名は――ウソのようだが――『ヘモスカット』。
 ……いや、別に問題ないんですけどね。確かにケツの穴まわりが切れたり腫れたりしていると、気持ちよく放屁できない。気体噴出のイキオイで、血液と汚物の混合液が下着に付着してしまう恐れがある。だから『ヘモスカット』というネーミングは、実にまあ言い得て妙ではあるのだが――これ、恥ずかしがり屋さんのヒトだと、とてもレジまで運べませんよね。とくに女性なんか。
 それでもオスの狸オヤジなどは、今さら恥も外聞もない。なにせ20回分で、1000円以下なのである。じっくりと成分表に目を通せば、さすがに有効成分は若干目減りしているが、価格が半分以下なら、なんの文句もないレベル。
 たぶんメーカーさんのほうでも、狸のようなオスのオヤジを直撃するべく、わざわざこんなネーミングを採用したんでしょうね。


09月13日 火  新・暑き心に

 純アブレ。
 自主アブレと違って、午後まで寝ていても「悪いのは俺じゃないもんね世間だもんね」と居直れるのはいいが、日銭が入らないのは、やっぱりつらい。
 ヤケになって曇天下を徘徊すれば、気温はそこそこながらやっぱり湿気むんむん、まるでドンヨリ濁った生暖かい沼の底を歩いているようだ。
 ああ、雪と氷のシベリアが恋しい。行ったことないけど。

          ◇          ◇

 ありゃ? 『大竹まことの文藝春秋』って、いっぺんCDになってたんですね。リリーズの参加曲、もうYoutubeに放流しちまったい。まさかあんなアルバムまでがCD化されているとは。
 ――いやいや、つらつら鑑みるに1987年といえば、ちょうどCDがレコードを駆逐し始めた頃ではないか。つまり当時は、CDもレコードも、あくまで同時発売が常識だったのである。まだCDラジカセも持ってなかった狸のほうが、少々時代遅れだったのだ。しかしまあ、どのみちとっくに廃盤のようだし、中古市場でもアナログLPしか見当たらないようだから、とりあえず削除はしないでおこう。
 なお、リリーズとは無関係のエロゲーソングなども、ひとつだけアップしてしまったが、アレのフル・バージョンは、ゲーム音源とは別の録音物件が過去に放流されただけなので、あえてオリジナルを放流しておく価値はあろう。

          ◇          ◇

 ケーブルで録画しておいた米国映画『ビロウ』(2002年、デヴィッド・トゥーヒー監督)を観て、かなり驚く。第二次大戦中の潜水艦を舞台にした、正調ゴシック・ロマンである。
 オカルトとミステリーとアクションが渾然一体となったシナリオは、昨今の気の短いお若い方だと「おいおい結局何がやりたいねん」とかツッコんで来そうな作劇だが、それこそが由緒正しいゴシック・ロマンなのである。
 惜しむらくはCGに頼りすぎ、あまりにも非現実的なカメラワークを披露してしまい、かえって緊迫感が途切れるシーンが散見された。
 でもまあ、クライマックスでは見事なミニチュア・ワークも観られたし、全体的には大満足である。

 同じくケーブルで、『何かが道をやってくる』(1983年、ジャック・クレイトン監督)などという、DVDでも観られない懐かしい作品も再観賞できた。
 原作は言わずと知れたレイ・ブラッドベリ、メランコリックなノスタルジーに充ち満ちた超名作ダーク・ファンタジーである。ジャック・クレイトン監督もまた、それこそ狸が生まれる前から定評のある実力派だから、初公開のときには狸もわくわくと劇場に足を運んだが、この映画化作品自体、あくまでディズニー・プロダクションによるファミリー映画として編集されており、本来のクレイトン監督なら入れないであろうミエミエのナレーション等、あまりにもわかりやすすぎて困った記憶があった。しかし今、再見してみれば、他に類を見ない詩情がきっちり横溢しており、やっぱり満足なのである。
 同じ頃にディズニー・プロダクションで制作されたホラー・ファンタジー『呪われた森』(1980年、ジョン・ハフ監督)なんぞも、ケーブルで放映してくれまいか。これもDVDになってないのよなあ。同監督の『ヘルハウス』っぽい本格ホラー世界が、しまいにゃディズニー印の御伽噺になってメデタシメデタシという、他に類を見ないファミリー映画だったはずだ。


09月11日 日  続々・暑き心に

 いやいや、今日の東京湾岸は曇り時々雨だし寒暖計も25度くらいだし、もう暑いはずないだろう――などとツッコんでくる向きもあろうが、湿度が終日90パーを越えるかぎり、狸の夏に終わりはない。その証拠に、朝から晩まで毛皮が濡れている。
 ともあれ、しばらく体を動かさずウスラボケっと座っていれば、汗は乾かないにしろ、それ以上流れないのも確かである。この、アブレ日にしか味わえない『秋の気配』を恒常的に感じられるようになるのは、まだ当分先だろう。

          ◇          ◇

 Youtubeに、双子ちゃんがらみの著作権侵害物件が、次々と増えてゆく。犯人は誰だ。俺だ。
 動画ではなく、スチル画像に歌を重ねているだけなので、手軽になんぼでも増やせてしまう。
 こーゆー他力本願の安易な自己満足に溺れてはいかんいかんと思いつつ、まあアナログレコードでしか聞けない物件に限定してあるし、1970年代のマイナーなJポップ、それも当時からすでに骨董品級であった乙女チックの記念物として、ネットの海に流す価値はあろうと思う。
 それにしても、安コンポどころか、もっと安くて古いモジュラーステレオ(お若い方は知らないかもな)で録音した音源などを、さらに圧縮して放流しているわけだから、Youtubeで聴くと、我ながら心苦しい音質になってしまう。でもまあ、そのくらいのほうが骨董級記念物っぽくて、いいような気もする。リマスタリングされたCDで聴ける曲は流さないし、今さら高級アナログ機器を揃える金もない。

 こうした他力本願な遊びに走っていると、十何年前、自前でスキャンした画像を盛んに放流していたイケナイ時期など、懐かしく思い出したりもする。今なら逮捕必至の昭和遺産であり、当然そんな国内の画像掲示板はとうの昔に滅亡しているが、何処とも知れぬ海外の板だと、近年でも、狸の放流した物件がひっそりと流れ着いているのを見かけることがある。画像調整時に、こっそりスカシ的な部分加工を入れてあるので、縮小されようが拡大されようが、ちゃんと判るのである。
 無論、猥褻物を広めたなどという自覚は、毛頭ない。着衣のままでは残せない、ある瞬間の乙女の輝きが、太古から、そして未来永劫、確かにあるのだ。

          ◇          ◇

 古本屋で、江草天仁先生の『びんちょうタン』の第4巻を見つけた。
 何年か前にハマったときは、この最終巻だけが市場に見当たらず、ネット上の古書価格も異常に高騰しており、手が出せなかった。よほど発行部数が少なかったのだろう。当時すでに百均だった1〜3巻に比べれば、第4巻のみ現在も数百円とやや高価なのだが、何年か前は何千円だったのである。
 で、わくわくと読み進めたところ……。
 ご、号泣してしまいましたよ狸は。
 いや、マジでえぐえぐと嗚咽しながら、熱い涙を垂れ流してしまったのである。

 人類の宿痾と思われる『格差社会』を、唯一美しく保つための原理が、この漫画空間では、怒りでも嫉妬でも理論でもなく、ただ穏やかな愛しさをもって喝破されている。
 いっときは関連商品の氾濫したこの世界に、そのまま萌えつきることのできなかったこの国の『萌え』に、望ましい未来など、到底あるとは思われない。

 消費するな。慈しむのだ。


09月07日 水  続・暑き心に

 日々ぶじあづじ……ぐぞぶじあぢぢぢ……何語や。
 ともあれ、カビて死にそうなので自主アブレ。

          ◇          ◇

 しかし石川啄木という男は、若死にしたからこそなんとか許せるものの、四十や五十まで生きていたら、まるっきり人間の屑でしかないわなあ。しかし、こーゆー奴に限って、未熟な『若さ』を問答無用でピカピカに光らせたりして、乙女に限らず男友達にも娼婦にも、めいっぱいウケたまま先に逝っちまったりするわけで、若死にもまた才能のひとつ、そんな感じではある。
 実は狸もまた学生時代あたり、ブンガク少年のご多分に漏れず、感傷的な啄木節にずっぷしだったのを思い出す。狸自身、あのあたりで死んでいれば、多少は美しい狸生を残せたような気もする。
 ま、ここまで生きちまったからには、もう死ぬまで生きてるしかないけどな。

          ◇          ◇

 こ、こんな、誰も検索してくれないようなマイナーな歌を、わざわざアップする爺いは誰だ。
 ……俺だ。

     

 過去に一度もCD化されていない歌なら、見つかっても削除されないのではないか。音質も良くないし。
 ――そんな、自分にアマアマな基準で、ぼちぼち増やしてみようと思います。
 でも、なんでYouTubeの動画ウィンドーだと、こんなくすんだ色になっちゃうんだろう。サムネイルのほうは、スキャンしたときと同じ色に見えるんだが。

 ちなみに古LP『小さな恋のメロディー』、無事に数百円で落札できました。


09月03日 土  暑き心に

 あれ? もう秋の気配が――などと、ほんの1日半ほど油断させといて、やっぱり東京湾岸は真夏が続いている。「それでも九月に入ると夜は過ごしやすくなってきましたね」などと能天気なことを口走るのは、自宅も職場も空調完備のNHKアナウンサーくらいである。社会や人生を正しく把握するために、いっぺん倉庫の夜勤で山積みパレットのハンドフォークでも引いてみるのが吉。

          ◇          ◇

 くたびれたので自主アブレ。
『石川節子――愛の永遠を信じたく候』は、なにしろ情報量がハンパではなく情動もズブドロ系なのでなかなか読み進められないが、『小さなお茶会』は、寝る前に毎日ほわんほわんと、好きなだけ楽しんでいる。どのみち双方、いわゆる『乙女チック』を陰陽両極端から掘削してくるようなシロモノであり、それに惑溺する半白髪の老狸が、どんどんおばちゃま化するのは避けられない。
 今日などは、所有するザ・リリーズのカセットテープの全曲をパソコンに取り込みながら、ウフ、などと小首を傾げたり、ホーレー線をエクボに化けさせたりしていた。

     

 しかし、大変なことにも気づいてしまった。ファースト・アルバム『小さな恋のメロディー』を、そっくり録音しておいたはずのテープだけが、どうやっても発掘できない。それ以外の全アルバムや全シングルは、お二人がギャル系にイメチェンしてしまう以前のものなら全音源がテープにしてあるし、ギャル系移行後も、さらに『ザ・リリーズ』でなくなってしまってからも、代表的な曲は録音してある。『大竹まことの文藝春秋』に収録されていた『シベリア娘』などという怪歌まで保存してある。し、しかし――ファースト・アルバムのぶんだけが、どうしても見つからないのである。ちなみにオリジナルのアナログ・レコードは――はい、ご想像の通り、無一文になったときに、すべて売り払ってしまいました。
 それでも、近年購った安価なベスト盤CDや、お気に入りの曲だけ集めた昔のテープを調べた結果、ファースト・アルバムに収録されていた曲は、ほとんど揃っているのが判った。し、しかるに――B面5曲目に収録されていた『エイプリルフール』、ただその一曲だけが、どーやっても狸穴内に存在しない。のみならずネット上にも存在しない。
 いや、もちろんオゼゼを払えば、すぐに入手できるんですよ。ただ、限定完全復刻紙ジャケCDなんぞは、リリーズの隠れファンの間で中古価格が異常に高騰しており、2万円以上の値を付けているショップまである。今のビンボな狸には、とても手が出せない。
 いや待て。当時のアナログ・レコードそのものならどうだ。
 ――おお、数百円から出ているではないか!

 と、ゆーわけで、狸はヤフオクの海に旅立ちます。
 そう、狸穴には、ウン十年前のオーディオ・コンポが、まんま鎮座しているのである。極貧だからこそ、換金性のない古物は、しぶとく生き残る。


09月01日 木  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」