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10月29日 土  古狸の休日

 本日もまた快晴だったらアブレ晴れ三連チャン、それこそ「もう思い残すことは何もない。死のう」とつぶやいて江戸川にダイブし、死にきれずに岸に這い上がって「てへ」とか自嘲するところだが、さすがにそこまで日頃の行いが良くないらしく、本日は見事にドンヨリとした曇天であった。
 まあ図書館に這いこんじまえば晴れも曇りも関係ないわな、とゆーわけで、本日は上野のこども図書館へ。こないだそこに這いこんでから、あっというまに五ヶ月以上たってしまったわけだが、無事に秋玲二先生の『サイエンス君の世界旅行』を全巻閲覧し、前回の心残りを払拭する。
 今さら昭和三十年代の世界なんぞ覗いてどーすんのよ、と言うなかれ。現在の混迷する世界情勢なんぞに心を奪われ鬱勃たる日々を過ごしがちな当節、「まあ俺らちっぽけな狸なんぞが四の五の気にしなくたって、どうせ世界なんてのは手前勝手にコロコロ変わってくんだよな」、そんな達観を得るには、あの頃の世界を見るのが効果的である。
 わはははは、これが同じ地球の上か、まるで別世界ではないか。前回閲覧した『日本なかよし旅行』でも顕著だったが、あの頃の社会的風俗なんぞ八割方は地上から消滅し、一割方が『歴史』や『観光資源』として残り、未だ人心に重複して存続している『伝統』や『情緒』など、残り一割程度なのではないか。
 でもまあ、当時の装丁の懐かしき『トーベ・ヤンソン全集』など再見すれば、その内的世界自体は、現在、装丁や判型を変えながらも、当時に倍する社会的存在感に達している。魂コミで形象された仮想世界は、生身の世界と違って、それ自体は永遠に変質しない。外から接する生身だけが、勝手にコロコロ変わってしまう。

 あ、でも、生身の上野で変わらないスグレモノも、ちゃんとあるのだ。クラウン・エースのカツカレーである。平成のいっとき、不穏な変質の兆しが見られたが、少なくとも現在は、苦み系のルーもペラペラのカツも価格500円ポッキリも、もののみごとに昭和遺産に返り咲いている。

          ◇          ◇

 帰りに神保町に回ると、表通りも裏通りも古書の屋台がずらりと並び、お祭り騒ぎになっていた。文字どおり、『神田古本まつり』だったのである。
 屋台の品揃えを見るかぎり、マニア向けの古書市などとは違って、あくまで一般向けの賑やかしらしかったが、とにかく町ぐるみの書物を芯にした大騒ぎなので、狸などは無条件で血が沸いてしまう。ぽつりぽつりと降り始めた雨滴をものともせず、きゅうんきゅうんと駆け回る。しかし、いかに血を沸かし肉を躍らせても、たとえば国書刊行会の屋台で見かけた好事家向けのブ厚いオカルト系三巻本などは、廉価本扱いでもウン万円である。どないせえっつーねん。まあいいか。国会図書館に行けば揃ってるもんな。

 で、狸の本日の物理的収穫、計3冊。いずれも特設屋台ではなく、行きつけの夢野書店内、特価コーナーでGET。
 1、雑誌『平凡』昭和29年4月号。
 美空ひばり嬢と江利チエミ嬢の初対談(共に17歳)やら、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが新婚旅行で訪日したルポやら、時代感満載で、普通のコンディションなら5000円でもおかしくない芸能誌が、1000円ポッキリで入手できた。要するに、一般人なら触る気になれないほど黒ずんだりシミがあったり、味噌や醤油のような匂いがしたり、つまり不潔方向に劣化しているわけだが、中身には些細な欠損しかない。どこか田舎の庭の物置小屋あたりに、長らく放置されていたものだろう。そうした経年変化は、すでに自身が黒ずんだりシミたりしている田舎生まれの狸にとって、さほど大きな問題ではない。
 2、小冊子『旅の友』大正13年7月号。
 どうやら全国の旅館組合かなにかで定期的に発行していた小冊子らしい。その時代の物にしては妙に清潔で価格も100円ポッキリ、てっきり近年のオフセット印刷による復刻版かと思ったが、よく見れば活版印刷の当時物である。大正末期の日光観光の詳細や、巷のタクシー事情なども記されており、なかなか面白そうだ。
 3、付録漫画『海の星 山の星』――少女雑誌『なかよし』昭和40年4月号の付録。原作・八木基克、作画・望月あきら。
 連載作品の一部で、18ページしかない付録だが、のどかな田舎の少女を巡る人情話っぽいシーンがあるかと思えば、一転、横浜港でタンカーが爆発炎上し、オーナーの娘さんが大不幸に見舞われたりもする。で、どうやらこの二人の少女、生き別れの双子らしい。これはまた絵に描いたような(いや実際に絵に描いてあるんだが)ミエミエの少女メロドラマである。しかし300円なら高くない。なんとなれば、裏表紙の不二家の広告で笑っているちっこい女の子が、リアル・ペコちゃん級にかわいいのである。たかちゃんっぽい気もする。

 ――とまあ、計1400円のお会計が、本日はお祭り特価で、なんとさらに2割引なのであった。るんるん。


10月24日 月  雑想

 本日のアブレ日も、雲ひとつない青空に覆いつくされた。土日に休んだ多くの皆様に、申し訳ないような晴れっぷりである。こうなると、馬鹿や狸は高いところに昇りたがる。スカイツリーはあまりに料金がアコギだし、隣駅の高層物件にはしょっちゅうよじ登っているので、無料らしい船堀タワーを目ざす。これまで荒川沿いを徘徊したときなど、てっぺんが高い割にはトンガっておらず、先っちょに箱を乗せた柱のようなそのフォルムが気になってはいたのだが、一度もよじ登ったことがなかった。
 しかし、こんだけ晴れても東京の空はやっぱり二重構造であり、丹沢山塊も多摩丘陵も富士山も筑波山も、残念ながら拝めなかった。でもまあディズニーランドやスカイツリーとは勝負できたので、良しとしよう。
 帰途は、荒川(正確には中川)と旧江戸川を結んでいる掘割、新川沿いを踏破する。
 踏破などと大袈裟に言いつつ、全長3キロ程度の掘割に過ぎないのだが、あっちこっちで水鳥の家族が仲良く泳ぎ回り、あっちこっちで元気の余った魚たちがぽちゃぽちゃ跳ねている、都会の掘割としては上々の長閑さであった。

          ◇          ◇

 ツイッターを覗いていたら、なんじゃやら美大生は一般大学生よりも過去に頭部を強打した経験がとても多い、とかいう話があり、要するに頭をドツくと芸術や創作に走りがちなのではないか、そんな噂のようである。
 ちなみに狸は幼時に脳震盪でぶっ倒れたことがあり、布団の中で目覚めた後、枕元にあったカッパ・コミクス版『鉄腕アトム』に収録されていた『ロボット流しの巻』を読んで、「ああ、こーゆー面白くて優しくて泣かせるモノを描く側に回りたいもんだ」などと、強く思った記憶がある。なるほどアレは、脳味噌になんらかのヒビ割れが生じ、余計な汁か何かが漏れはじめたのかもしれない。
 しかしつらつら鑑みるに、当時の田舎の悪ガキの中には、今に倍して他人を殴り倒す奴なども多く、たいがい同じ連中が、ドツいたりドツかれたりの双方を兼ねていた。その後彼らが特に芸術に目覚めたとは聞かないから、彼らはドツかれることによって流れ出した芸術汁を、ドツき返すことによって堰き止めてしまっていたのだろう。
 確かに芸術やら創作やらに走る人には、ドツかれっぱなしのタイプが多い気がする。物理的にも精神的にも。


10月20日 木  雑想

 雲ひとつない青空が、何ヶ月ぶりかでアブレ日を覆いつくした。
 もう思い残すことはない。
 死のう。

 などと言いつつ、お決まりお散歩コースの江戸川から、今日は発作的に旧江戸川に折れて、徒歩でディズニーランドをめざしてみたりするイキのいい狸。さすがに20キロ超は遠すぎて、半分あたりで諦め、地下鉄で帰ってきたけどな。
 晴れたら晴れたで真夏のような陽射しに晒されるのは、この時期やっぱり異常な気もするのだが、まあ今年の秋さんは、毎年毎年秋として頑張るのに疲れてしまい、過労死を避けて有給休暇、仕事は冬さんと夏さんのタッグに任せることにしたのだろう。

 ともあれ、この都会に生きながら、見渡す限り人影のない河川敷に腰を下ろして心置きなく紫煙をくゆらせられるのは、平日アブレ野郎の特権である。
 しかし、真上の空はスコンと青く抜けて見えるのに、彼方の空は、四方八方やっぱりドンヨリ濁っている。一見乾いて澄んでいる大気も、水分由来の霞や靄ではなく、なんらかの非天然物質によって澱んでいるとしか思えない。東京近郊の空が、近年、恒常的に二重構造に見える事実は、以前にもここで何度か記した。
 仮に日本全土で禁煙を徹底したとしても、大都市圏の肺癌発生率など、絶対に減らないと狸は予言する。先の短い老狸ゆえ、その予言の的中を見届けられないのは残念だが、これから半世紀以上生きられそうなお若い方には、ぜひ見届けていただきたい。

          ◇          ◇

 ネットの『リアル血液型診断』というやつを試してみたら、A型50パーセント、B型50パーセントの結果になった。結果を示す円グラフが、ものの見事に2色半々、きっぱり真ん中で分かれている。
 ちなみに生物学的には、A型の狸である。
 狸がよほどひねこびているか、あるいは血液型さんと性格さんの相性がよほど芳しくないのか、狸智の及ぶところではない。


10月17日 月  即物性小動物

 ちっこい窓しかない倉庫で狸がアパレルのピッキングやら検品やらちまちまちまちまちまちまちまちまやっているうちに、天高く馬肥ゆる秋の土日は過ぎ去り、自主アブレの今日は、しっかり雨のち曇りであった。でもまあ午後には雨が上がったので良しとしよう。良しとしなけりゃもう生きてるのが辛くなる。
 などと言いつつ、久々にセブンイレブンで筋子のお握りを奢ったらこれがなんとも旨く、やはり死んでしまったらこーゆー口福も二度と得られなくなってしまうので、息絶えるまでは生きねばならぬ。
 遠出も徘徊もしたい陽気ではなく、買い物ついでにちょっと離れたショッピングセンターを覗いたら、夕刻になると、放課後のろりたちが結構お母さんと買い物に出てきて、汗っかきの狸ですらウインドブレーカーを羽織ってしまうようなこの寒空に、ショートパンツ姿で可憐なおみ足を披露してくれたりもする。とてもかわいい。これこのように子供がきっちり風の子でいてくれる限り、やっぱり狸は生きねばならぬ。
 で、隣接するシネコンでは、巷で大騒ぎの『シン・ゴジラ』や『君の名は。』を、しっかり上映し続けているわけだが、観れば確かに楽しめるであろうそれらの新作を、今の狸は必ずしもフトコロの冷風のためだけでなく、あえて観ようという気が起こらない。老化してしまったのですねえ。
 などと言いつつ、まあ100円レンタルになってからでいいや、と思う理由は、なんでだか狸はその両監督の過去の作品に昔から完全同調できたことがないからである。お若い新海監督はともかく庵野監督は年齢的に三歳しか違わないのだから、あながち老化のための同調不可ではなかろう。たぶん、人間や社会に対する『好み』だけの違いではないか。

 老化と言えば、今年はミケ女王様とブチ下僕の上下関係(?)が、明らかに消えている。これまでは厳冬期でもけして寄り添って丸くなっている姿が見られなかったのに、現在、隣のテレビ部屋の狸用座椅子では、両猫見事に一体化して巴型、猫鍋の具と化している。
 猫も高齢化すると、体型のみならず性格まで、きっちり丸くなるのですねえ。

          ◇          ◇

 ところで、化膿性の気管支炎、少なくとも狸には、きっちりあります。幼少時の狸は気道周りが脆弱で、扁桃腺の化膿のみならず、気管支炎が慢性化して痰に膿が混じったことがありました。
 偽父は狸で偽娘は人間、そんな種の違いはありますが、やはり人間にも同様の疾患はあると思われ――養生するんだ偽娘よ。


10月13日 木  秋立ちぬ

 この広い日本列島には「いやもうずいぶん前から秋だったぞ」とか「こりゃもう冬なんじゃねーか」といった方々も多かろうが、東京湾岸を未だに半袖1枚で徘徊しながら「ふう、やっと夏が終わった」などと目を細めている小動物を見かけたら、それはきっと狸です。

 自主アブレの今日は、晴れてもいないのになんでだか遠出を思い立ち、昔住んでいた茨城の取手を再訪して、夕方まで徘徊してしまった。狸もそろそろ死期が近いのだろう。いや、実はもう死んでいるのかもしれない。亡霊は昔住んでたところをうろつきまわるとか言いますもんね。
 狸が取手を離れたのは確か平成12年だから、今回は十数年ぶりの再訪――いやいや確か失業後の極超貧期に、昔の貸し金を返してもらおうと元同僚を訪ねて行き、結局、相手も相変わらずビンボで一文も返してもらえなかったことがあるから、たぶん十年ぶりくらいの再訪か。今は自分の借金さえ思うように返せない狸にも、ウソのようだが、逆に他人様に平気で何十万と貸せた時代があったのである。バブリ〜〜♪
 その同僚もとっくの昔に音信不通になっており、今回は、そうした過去の恩讐やら現在の貧窮やらはもーきれいさっぱり脳味噌の奥深く隠蔽し、昔住んでいた取手競輪場近辺のでっこまひっこました道筋やら、江戸川よりも遙かにだだっ広い利根川の河川敷(橋の長さが1キロ以上あったりする)やらを、亡霊の如く未練に漂いまくったのである。ただのヤケクソとも言いますね。
 その利根川をそこから100キロも遡れば、さらに昔働いていた群馬の前橋店の裏あたりにたどり着けるし、あるいは橋から身を投げて流れに身を任せれば、やがては千葉の銚子あたりに流れ出て太平洋を回遊したりもできるわけだが、まあ、それはマジに死んだ後のお楽しみにとっておこうと思う。

          ◇          ◇

 えーと、以下、独り言です。いや、ここのすべてが独り言なんですけどね。

 狸がいちおうツイッターのアカウントを持っているのは、あくまで個人的に親しみを覚える皆さんが今日も元気に生きていらっしゃるか、陰ながら覗かせていただくためであり、自分では何ひとつつぶやいたことがないし、つぶやく予定もない。だからこれまでフォローさせていただいたのも、いつも楽しみに覗かせていただいていた方々のつぶやきが、なんらかの理由でフォロワー以外非公開となってしまったときだけである。
 で、今回は猫様をフォローさせていただいたりしたわけだが、ふと思い当たって、今までいっぺんも確認したことのなかった自分自身のアカウントを覗いてみれば、おお、万年ツイート数ゼロの狸をなぜかフォロー対象としてくださっている奇特な方々が、他にもいらっしゃるではないか。これはあの方とあの方に違いない、そう喜んでそちらのアカウントを覗かせていただくと、やっぱりフォロワー以外非公開だったので、さっそくフォローのお願いを入れてみたり。
 すみません、自分では特につぶやく予定もなく、草葉の陰からこっそり覗くだけの姑息な狸ですが、なにとぞよろしくです。


10月09日 日  さらば暑き心よ(リメイク)

 本日も降ったり止んだりマダラに晴れてみたり、やっぱりなんだかよくわからない天気に恵まれてしまったが、まあ、気温が上がらなかったので良しとしよう。気温がちょいと下がっただけで、いきなり『蒸し暑い』から『底冷え寸前』に豹変したりするのが、高湿度日本の四季というものである。
 ともあれ、はりきって徘徊に出るような空模様にはほど遠く、足を向けたのは、いつもの市立中央図書館。そこの二階の『文学ミュージアム』で、現在『山本高樹 昭和幻風景ジオラマ展』が開催されている。
 こーゆー方の、こーゆー催しであり、以前ここにあったような代表作が、綺羅星の如く展示されていたのである。
 ……いやあ、正直、閉館時間になっても帰りたくなかったですね。
 いっそ自分自身、一寸くらいのちっこい信楽焼の狸に化けて、それらのジオラマの片隅に、未来永劫紛れこんでいたい……そんな実感で。

 製作者の山本氏は、狸よりもちょっと若い世代である。したがって、そこで再現されるのはあくまで脳内世界としての昭和であり、けして過去の現実の残像ではない。山本氏ご自身、記憶や写真を元に、多くの空想を交えて構成していると明言している。つまり美化され純化された昭和の雛形である。
 しかし、たとえばCGでの昭和再現をウリにした映画『三丁目の夕日』シリーズのように、回を重ねるごとに社会的認識の甘さを際立たせ劣化していったような『仮想VS現実』の悲哀は、山本氏による数多のジオラマからはまったく感じられない。家屋や風物のみならず、ジオラマ内に数多く配された人々の雛形に、なんというか、ちゃんとした社会生活者の息吹が感じられるのだ。

 作り物の世界に不可欠なのは、『創造主たる自分よりも被創造物の存在を重んじる』、そんな心意気なんだよなあ。


10月08日 土  暑き心なんだかどうなんだか誰か教えてください

 昨日一日、ここいらが爽やかな秋晴れだったのは知っている。仕事に出るのが苦にならないほど清々しい朝であったし、休憩室の窓から覗く青空には、秋らしい雲が流れていた。帰途は日が暮れた後だったが、空気は珍しく乾いたままだった。ただ、残照を残しているべき西の空がドンヨリ濁っており、やや不安を覚えた。
 で、本日は自主アブレ、昼過ぎに起き出して外を見れば――あああああ、やっぱり雨かよ、おい。
 それでもじきに雨は上がり、空も明るくなってきたようなので、とりあえず近場の江戸川の土手に這い上がる。そこは『これから夏に向かう梅雨の終わり頃』が約8割、『爽やかな秋晴れ』が残り2割、そんな摩訶不思議な世界であった。曇ったり晴れたりしていた、とういうわけではない。天空のほぼ全周を覆う濁った雲のところどころにぼちぼちと穴が開き、その穴の上には、爽やかな秋の雲を浮かべた高く美しい青空が覗いている。そっちの白い雲は気持ちよさそうに風にのって流れているが、下の濁った雲は、あくまでドンヨリと澱んでいる。
 そのうち青空のほうもどんどん広がるのではないか――そんな期待は、見事に裏切られました。ずうっと8対2のまんまだったのですね
 土手を散歩する狸の体感も、まさにその天空図どおり。つかのま爽やかな秋風に吹かれたかと思えば、ジットリした梅雨の世界に戻ってたちまち汗が滲み、そのうちちょっとまた秋風が吹いてくるので汗が乾いてくれるかと思いきや、乾かないうちにまたジットリ温気の中へ――その繰り返しである。
 やがて日暮れが近づく頃、真西の空は美しい茜色に染まっているにもかかわらず、ほんのちょっと南に目をずらせば、ドンヨリと靄のかかった都会の空にかろうじて視認できるスカイツリーのシルエット――もはや天空が終日マダラボケ状態なのであった。

 で、狸は明日も、やや人並みに二連自主アブレだったりするのだが――現在夜9時の狸穴の窓からは、なんじゃやらジットリ湿った風が吹き込んでおります。さっきは雷の音まで響いてきた。
 気象予報士のおねいさんやおにいさんによると、明日は西日本から北日本にかけて大雨っぽいけれど、狸穴のあたりはちょっと微妙でなんだかよくわからない――そんなマダラな状態らしい。
 天高く馬肥ゆる秋は、まだまだお預けのようだ。

          ◇          ◇

 こないだYoutubeに放流させていただいた『押繪と旅する男』も、ちょっとずつ再生回数が増えているようだ。元の動画は、せいぜい見やすく補正したつもりなのだが、Youtubeにアップした段階で再圧縮されてしまい、部分的にかなりブロックノイズやツブレが出ているようで、心苦しい。
 で、ちょっと不可解なことがひとつ。過去に同じ映画が放流されていないか、入念に検索してからアップしたはずなのに、なぜか現在Youtubeには、同じ映画が存在している。アップロード日を見ると、狸が放流するより以前に公開されており、すでに何千回も再生されているようだ。
 な、なぜだ。すでに放流されていたのなら、わざわざ狸がアップする必要はなかったのだ――そう惑いつつ、Youtube内だけでなく、Googleでも再検索してみると――ありゃりゃ、さらにもうひとつ出てくるではないか。そっちもYoutube内に存在することになっているので、試しにクリックしてみると、ちゃんと再生される。アップロード日は、前者よりは後だが、狸よりは早い。ただしYoutube内の検索だと、後者の動画はなぜだか出てこない。つまり、今のところGoogleから見つけるしかない。
 おかしいなあ。狸は自分でアップする直前、『押繪と旅する男』も『押絵と旅する男』も、何度もネット上で動画検索したのである。その時点で公には見えなかったものが、狸がアップした直後から、検索に引っ掛かるようになったとしか思えない。検索システム上のなにかが絡んでいるのだろうか。それともアップされた方ご自身が、公開条件を変えられたのだろうか。
 いずれにせよ、狸が放流させていただいた動画のほうが、事前にアレコレ補正したぶんなんぼか劣化が少ないようなので、あえて削除はせずにいるのだが――なんだかよくわからないことが多いですよね、ネット上の検索システムって。


10月04日 火  暑き心の果てに

 さてさて本日の天候は……昨夜の天気予報、大ハズレ〜〜〜!
 曇り時々晴れ、気温はそこそこ、湿度もカラリにはほど遠い一日なのであった。
 どのみちプチ徘徊の後はプチ洗濯と、いつもと同じパターンが続いたが、まあ『夏の終わりなんだか秋の始まりなんだか、なんだかよくわからない一日』として、10月初旬らしいと言えば言える。気象予報士のおねいさんおにいさんの仕事としても、『的中率五分五分』という大原則を見事に遵守したことになる。「カラリとしたカンカン照り」は外れたが、その真逆の「ジメジメした大雨」とはちょうど中間にあたる天気だったのだから、まさに中庸、的中率五分五分である。
 しかし――今年は秋晴れを一日も満喫できないまま冬になってしまいそうで、ちょっと恐い。狸のアブレ日にカラリと晴れてくれない限り、満喫は不可能なのだ。

          ◇          ◇

 ありゃりゃ、久々にニコニコ動画を漁ってみたら、狸がエロゲ関係で唯一Youtubeにアップした物件は、とっくにあっちで放流されていたのですね。いっとき姿を消していた同じ曲の別音源も、きっちり復活してるし。……まあいいか。少なくともYoutubeには見当たらないようだしな。しかし、エロゲおたくたちの粘っこい執着心には、つくづく感心してしまう。底の浅い狸なんぞの出る幕ではなかったのだ。
 いっぽう古映画おたくとしては、狸もなかなか捨てたものではないと思う。『わが青春のマリアンヌ』のドイツ語版は、順調に再生回数を伸ばしている。大した画質ではないのが申し訳ない。フランス語版に続き、本邦でも早くDVDやブルーレイを出してほしいものだ。それが出さえすれば、狸はすぐにもYoutubeから削除する。あくまで歴史的幻想映画がこの国で忘却されるのを、避けたいだけなのである。
 で、リリーズや南翔子さんに関しては――誰にも負けない粘っこい執着心、ただそれだけの発露である。すみません許してくださいすみません。


10月03日 月  暑き心に ネクスト・ゼネレーション

 昨日の日曜は、珍しく、狸穴近辺はずっと晴れていたのだそうだ。ああ一般世間の皆さん良かったね良かったね、とは思いつつ、いちんち日の当たらない空間で梱包作業に勤しんでいた狸としては、ただ「あーうー」などと蒸し暑い思いを重ねただけである。
 本日は、ずっとジトジト雨模様だったようなのだが、いちんち日の当たらない空間でピッキング作業に勤しんでいた狸としては、やっぱり「あーうー」などと発汗を続けただけである。

 で、自主アブレにした明日の天気は――ぬわんと、いちんちカンカン照りの予報が出ている。気温も30度を超えるらしい。ならば狸はやっぱり「あーうー」などと――呻かなくとも、どうやら済みそうである。予想気温は真夏だが、予想湿度は秋なのである。湿度が50パー台まで下がってくれるなら、気温なんぞ30度でも35度でも、気分は夢のカリフォルニアに違いない。
 しかし――信じていいのだろうか。
 お願いですからお願いします、気象予報士のおねいさんおにいさん。

          ◇          ◇

 狸のYoutubeアップ遊びは、どうやら今夜が最後になりそうである。
 リリーズのアナログオンリー音源は、すでに放流しつくした。いや、放流したかった好きな曲はまだ少々残っているのだが、それをアップすると、公開する前の段階で、著作権うんぬんの警告が出てしまう。つまり、過去に著作権侵害の指摘を受けた物件らしい。
 石井輝男監督の『ゲンセンカン主人』は、すでに他の方が分割してアップされているようだ。
 すると残るは、川島透監督の『押繪と旅する男』、そして南翔子さんのアルバム未収録曲のみ――。
 
 こないだアップした舞台録画『北村和夫ひとり芝居 東京夢幻図絵』などは、未だに狸以外たったひとりの方しか再生してくれていないというサミしさだが、いいのである。放送元が再放送してくれる気配もなく、アーカイブでも覗けない舞台映像、あえて放流しておく意義はあろう。
 しかしN●Kさん、過去にラジオやテレビで放送した落語とか、有料でもいいから一切合切アーカイブで公開してくれまいか。若い頃に聴いた先代馬生師匠の『佃祭』、死ぬまでにもういっぺん聴きたくてたまらないのである。たいがいソフト化してくれているのに、なぜかあの『佃祭』だけ、未収録なのである。


10月01日 土  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」