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11月27日 日  雨天雑想

 自主じゃないアブレ。
 みんな世間が悪いんや。
 まあ狸自身も、その世間のカケラではあるけどな。

 例によって午後まで布団にくるまり続け、「あーうー」などと起き上がり、曇天下の世間に這いだしたとたん、雨が降りはじめる。心身ともにカサつきがちな昨今の狸を少しでも潤してやろう、そんな神の慈悲を感じる。
 天上の神も地獄の悪魔も、煉獄に住む人や狸の心ひとつ。

          ◇          ◇

 録画した『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の特別編とやら、太川さんと蛭子さんは旅立たず、代わりに別の方々が乗り継いでいた。番組自体のフォーマットは変わっていないから、それはそれでなかなか面白かったのだが、やはりゴールデン凸凹コンビの醸し出す妙味には、ほど遠い。おまけに、太川さんと蛭子さんの旅は、次回の正月放送でおしまいなのだそうだ。
 矢のごとき光陰の中で、暫時悄然と佇む。
 まあ、確かにあのお二人は、おおむね日本全国を周りきってしまったし、回を重ねるごとにバス路線廃止地区が増えて長距離の徒歩が増え、年齢的にキツかろう。若い方の太川さんだって、狸とさほど違わない年齢なのである。徘徊好きの狸でさえ、近頃は10キロ以上の連続徒歩が、正直、辛くなっている。
 いっそあのゴールデン凸凹コンビで、何か別の旅番組を――無理だろうなあ。ふつうの旅だったら、確実に太川さんが蛭子さんを見放し、置き去りにしてしまいそうだ。

          ◇          ◇

 今年の紅白歌合戦の出場者を知り、矢のごとき光陰の中で、暫時悄然と佇む。
 男女ともに、狸の知らない歌手が、ついに過半数に達してしまった。知ってる歌手の中にも、狸が贔屓にする方々は2〜3人(組)しかいない。いちおう『恒例の資料』として全編録画保存するが、大半は早送りでチェックすることになりそうだ。
 どうやら今年のNHKは、紅白歌合戦が歌番組の一種でなく、参加者の老若男女を問わない『大晦日恒例のお祭り』であることを、すっかり忘れてしまったらしい。アルツ初期の老人が若者に馬鹿にされまいと、柄にもなく若ぶっているようだ。
「ウチの『紅白』はナウいのだ! イカスのだ! アルツの昂じた老いぼれは、テレビ東京の『にっぽんの歌』でも観てりゃいいんだ!」

 などと言いつつ――せめてSMAPの引っ張り出しに成功すれば、「さすが天下のNHK!」とか、拍手してやれるんだがなあ、NHK。
 あと、きゃりーぱみゅぱみゅ。彼女を出してくれれば、とりあえず個狸的に、腹鼓を108回、打ちまくるにやぶさかではない。


11月24日 木  雪日雑想

 世間様より一日遅れて、勤労に感謝するため自主アブレ。
 実は現状、個狸的には、自分を含めた周囲の勤労者に対する感謝の念など希薄なのだが、狸のような最下層労働者ですら年に何度か鰻を食ったり山形牛のスキヤキを食ったりできるのは、いわゆる先進国に生まれたからこそであり、数多の発展途上国において事実上の奴隷として過労死ならぬ消耗死を遂げてゆく無慮数の方々の『勤労』に対しては、常に感謝を怠るまいと思う。また、狸が自分自身の勤労に感謝していないからといって、一部の他人の方々には、きっちり感謝していただきたいのも確かである。
 たとえば今週あたり関東某県でセ●ンイレ●ンのネ●塩豚カ●ビ弁当を購入し食された方々などは、心から狸に感謝していただきたい。なんとなれば、その現場のあまりに徹底した清潔要求と効率要求に音を上げて「俺はもう死ぬまで二度とここの日雇いには出るまい」と心に誓っていた狸が、このところの懐中の寒風に負けて数年ぶりに白衣やら白帽やらに身を包みエア・シャワーを潜り終日ビニール手袋で掌や指をシワシワにフヤけさせ主任のオバサンの叱咤激励という罵声や人格否定に甘んじながら尿意を堪えつつ目前のラインを激流の如く流れてゆく麦飯の上にちまちまちまちまちまちまちまちま焼肉片を配置したりしたその勤労が、たった税込398円でネ●塩豚カ●ビ弁当が食えるという、この国の先進性に直結しているからである。

          ◇          ◇

 昨日から『明日は首都圏でも雪』と喧伝されており、積雪を楽しみに目覚めると、まだ雪はちらついていたものの、狸穴近辺に積雪はなかった。そりゃそーだ。昨日まで10度を下らなかったアスファルトに、この程度の淡雪が積もれるはずはない。そもそも、ちょっと前の日には最高気温18度まで上がってたわけで、今年の気象はマジに措置入院級のアレなのではないか。
 などと言いつつ、雪の日は、いい。北方亜種の狸の心が、根源的に潤う。まあ子供の頃の故郷みたいに町中で30センチも40センチも積もられると、それはそれで難儀なんだけどな。

          ◇          ◇

 ともあれ徘徊する陽気ではないので、買い物以外は穴に籠もり、溜まりに溜まっていた録画物件を消化する。
 ふと気が向いて何本か録画しておいた『ミナミの帝王』シリーズが、むやみに面白い。何百万何千万の札束が市井でポンポンと行き来する様を見ていると、お菓子の家に紛れこんだヘンゼルとグレーテルの気分になれる。あのコワモテの竹内力アニイが金銭欲の権化的なセリフを力いっぱい吐きつつ、最終的にはいつも貧乏人の味方になってしまうところなど、いかにも古き良きヤクザ映画風味、花も実もあるファンタジーだ。
 『ブラタモリ』の知床編、これも良かった。今回はブラブラする範囲がやたら広くて雄大で、そこをいつもの調子で突っついたり掘り起こしたりする様は、この番組の超時空性を、ふだんの幾倍にも増幅させていた。
 洋画では、『ワールド・ウォーZ』(2013)。ゾンビ映画としては、久々の大当たり。ブラッド・ピットがここまでカッコいいのも、何年ぶりだろう。
 そして大穴だったのが、『ドリームハウス』(2011)。サイコ・サスペンスとホラーとミステリー、あっと驚く二転三転、かてて加えて人情や家族愛、それらのすべてが破綻なく渾然一体化している。広義のファンタジー映画として、殿堂入り級の仕上がりである。主演のダニエル・クレイグの演技も、手放しで賞賛したい。

 狸がダニエル・クレイグに好意を抱いたのは、実はこの『ドリームハウス』が生まれて初めてである。巷では現役007役者として大人気なわけだが、子供の頃から007大好きの狸としては、クレイグ初の007『カジノ・ロワイヤル』、大いに期待しつつ観始めながらも、冒頭10分で投げてしまった。こんなん007じゃないやい、と、心身が受け付けなかったのである。しかし、思えばその違和感は、ダニエル・クレイグの演技や容貌のせいではなく、あくまで監督の勘違いだったのではないか。
 他のクレイグ版007、あわててチェックしようと思う。


11月19日 土  恣意的な狸

 まあ、そもそも『恣』=『ほしいまま』なのだから、気ままな狸の言動などはいかなる場合も『恣意的』であり、その言動の社会的正誤には狸自身も責任が持てないわけである。自分の言動の『意図』だって、相手や状況しだいで同じ行動の意図すらが『恣意的』にコロコロ変わったりもする。「相手や状況を選んでいる時点で意図的なのだから『恣意的』は誤用ではないか」とか言われてしまったら、「いやでもまあなんとなくその時々でいきあたりばったり恣意的に選んでるだけなもんで」などと、ヘラヘラ笑ってごまかすしかないわけである。
 しょせん世の中ドドメ色。

          ◇          ◇

 今日はアブレ日であったが、午後4時まで眠りまくってしまったので徘徊する暇はなく、恣意的に「今の狸はビルの何階まで休まずに階段を上れるか確認しよう」などと思い立ち、近くの中層ビルに這いこんだ。
 そのビルは、商業施設が占める下層階はエスカレーターとエレベーター、分譲マンションが占める上層階は専用のエレベーターで移動する体裁になっており、階段は、あくまで非常時の避難用として、各階の片隅の、そっけない扉の奥にひっそりと設けられている。当然、下層階と上層階の間には厳然とした隔壁が設けられ、施錠された扉があり、貧しく薄汚い狸などは、絶対にマンションの階段まで紛れこめないようにできている。まさか「上と下は別々に死ね」とも言うまいから、たぶん非常時は、上下ぶっ続きにできる仕組みなのだろう。いずれにせよ下層の商業フロアだけは、常時各階、階段でも自由に出入りできるわけだ。しかし通路の最奥の、さらに横っちょに隠れた扉をわざわざ開き、自前の脚で非常階段を上下する人間はめったにいない。
 で、狸はいったんエスカレーターで地下2階まで下り、奥のトイレのさらに横奥にある避難扉から、のそのそと階段に這いこんだわけだが――わはははははは、いるんですねえ、そーゆー庭石の下みたいな暗所を好むイキモノが、狸の他にも。
 ぶっちゃけ、高校生くらいのカップルが抱擁していたのである。しかも両方、男子だったりして。
 狸と彼ら、お互い「わ!」とか慌てふためき、「……ごめん」「いえ……」とか気まずく呟きあったのち、見かけだけでも大人の狸は、何事もなかったかのようにバックレて、足早に階上をめざしたのであったが――いやあ、生まれて初めてナマで見ましたよ、そーゆーシロトさんのクロクロ現場は。妙な映画や、ヤラセのAVでしか見られない世界だと思ってたもんな。
 まあ、今を去ることウン十年前、狸が東北の田舎で紅顔の男子高校生に化けていた頃も、こっそり入場したピンク映画館あたりで、隣からモゾモゾと太股に手を差し伸べてくる方など、けして珍しくなかったわけである。もっとも狸は残念ながら心身ともに――いや、心はともかく身体的には純シロクロ志向なので、まあ事が荒立たない程度に態度で拒否させていただいたのだが、幸いクロクロには紳士的な方が多く、後ろから無理に貞操を奪われるようなことはなかった。いや、シロクロでもクロクロでもシロシロでも、ふつうは双方の合意が必須なんですけどね。
 で、たとえば性差の話ではなく年齢差――高齢者と若者が合意の上で正式に結ばれた場合、巷では財産目当てだのなんだの眉をひそめがちだが、世の中には、心身共にシワシワの老人に焦がれる若い娘さんだって少なくないし、シワシワの老婆に恋する青年だって、きっちり存在する。しかしまた、そうした個人の嗜好が永続するとも限らない。母親の従姉に惚れてしまい万難を排して結婚したけど、いざ自分が独り身の爺さんになってみたら、なぜか新米の女性看護師と子作りしてしまった――そんな人物だって、人類の長い歴史の中では珍しくない。
 結句、相手の意思を尊重するかぎり、つがう相手は老若男女、その時々で恣意的に選んでいいのである。

 といって、やはり限界はある。
 たとえば老狸が、恣意的に小中学校帰りの少女を選んだりしてしまった場合、たとえ相手の合意が得られたとしても、怒り狂った巷の人々やアグ●ス・●ャンによって、狸は薪ざっぽで撲殺されるなり鉄砲で撃たれるなり、確実に狸汁にされてしまうだろう。
 しょせん個人的な『恣意性』は社会的な『普遍性』に太刀打ちできないのであろうか。
 いやいや、いつかきっと狸にだって、己の恣意を社会的にまっとうできる日が――いやいやいやいや、すみませんウソです。恣意的なウソかそうでないかは、普遍的な皆様の判断にお任せしますが。

          ◇          ◇

 ちなみに、休まずに階段を上れたのは地下2階から地上5階まで、そこが限界でした。
 歳なのさ。


11月15日 火  人も車も自転車も左

 いつの頃からか、車や自転車だけでなく、人間も左側通行が原則になっているようだ。
 行き帰りの歩道はもとより、江戸川の土手道も、たまには車が通る細道も、なぜだか9割近い人々が左側を歩いている。
 車に乗っている際の通行感覚が影響しているのか、あるいは駅の構内通路などによくある『ここでは左側通行』が、生活習慣として外の路上まで定着したのか。
 いずれにせよ、昔の田舎道で『人は右・車は左』をみっちり仕込まれて育った狸などは、無意識の内に右に寄ってしまうため、とくに人通りの多い時間帯など、世間の流れに逆らう一匹狼、いや一匹狸のような按配になってしまう。
 しかし、現在の狸穴の最寄りにおける『永井荷風ロード』あたり、つまり人間のみならず自転車も多く通行し車両もけっこう乗り入れる駅前商店街で、ほぼすべての人々が左側通行を守っていると、当然ながら一匹狸ではない一般通行者同士にも、きわめて不合理な軋轢が頻発する。チャリも車も、歩行者の後ろから右横を回って追い抜く形になるからだ。それでも下校時の学生の群れなどは、徒歩生徒もチャリ生徒も、みんな揃って陸続と左側を流れて来、交通安全のため立ち番をしている大人たちも、それを咎める様子はない。
 要するに、右だろうが左だろうが、その場の大勢に合わせて流れてりゃ無問題――そんな、実に日本的な行動パターンに思われる。
 ちょいと気になって、しょっちゅう録画しているNHKの『世界ふれあい街歩き』など注視してみると、日本以外の多くの国では、そうした混雑した街路や舗道を進む際、歩行者は右も左も関係なく、ただわいわいと好き勝手に流れ、なんとなく適当にすれ違っているようだ。それはそれで、やっぱり不合理な軋轢が頻発するわけだが、そこはそれ好き勝手同士、好き勝手に「あ、ごめんね」とか「おいおい気いつけんかい」とか、ケース・バイ・ケースでごまかしているらしい。
 まあ、別にどっちでもいいんですけどね。
 ともあれ、これから共産主義革命を志す方も、逆に厳格な宗教国家を目ざしたい方も、やっぱり日本あたりがいちばん狙い目なのではないか、そんな気がする。

          ◇          ◇

 先月あたりまで狸が勝手にハマっていたYOUTUBEアップ祭りの件であるが、投下した物件の内、『白夜の妖女』と『押繪と旅する男』だけ、再生数が際限なく伸びてゆく。まあ巷でハヤリのアレコレに比べれば三桁も四桁も足りないし、時間が長いので小刻みに突っついている同じ方も多かろうが、やはり埋もれた古い日本映画に飢えている方々は、今も多く潜在するらしい。
 三番館やら名画座やら、日常的に古映画を興行してくれる劇場は、ほぼ亡びてしまった。CSの映画チャンネルでも、希少価値のある古邦画は、めったに放送されない。
 DVDやブルーレイで商売する方々の中に、採算度外視の偏屈者が、もうちょっと増えてくれればいいのだが。


11月10日 木  時事ネタ他

 このところ、厭世気分を避けるため、社会的なニュースやら、巷に跋扈する鬼畜の所業などについては、なるべくここに記さないことにしていたのだが、さすがにアメリカ大統領選の結果には驚いた。もっとも、胴間声の白人男でプロテスタントで大金持ちで親ユダヤのヒトが大統領になるのは、彼の国の伝統上、不思議でもなんでもない。しかし、胴間声で吹きまくる話の内容がここまで空疎だと、さすがに現実的には当選不可能――そんな常識的な予想をしていた。
 ぶっちゃけ、現在のアメリカ市民の半数が、胴間声の白人男でプロテスタントで大金持ちで親ユダヤの大統領ならもうなんでもいいや、そんな懐旧に囚われてしまったのだろう。過ぎ去った栄光に対する憧憬は、限りなく膨張する。かつての栄光の陰にあったなんかいろいろ不都合なアレコレなど、記憶から放逐してしまう。
 阿倍さんちの坊ちゃんも、内心、小躍りしているのではなかろうか。中国のエラい人とかも。ことによったら北の首領様なんぞも。
 ガキ大将のルイ君は、委員長タイプの女の子より、やんちゃなトム君のほうが好きなのだ。ルイはトムを呼ぶ。お互い解りやすいからね。

          ◇          ◇

 毎回放送を楽しみにしている、NHKBSの『京都人の密かな愉しみ』シリーズが、先般、第四弾に達した。
 不定期放送の、いつ流れるかちょっと前まで判らない二時間番組なので、今回はうっかり当日の予約録画を逃してしまったのだが、NHKオンデマンドのおかげで、別料金ながら無事に堪能できた。しかし、たった216円とはいえ、去年放送した回などは3日間視聴可能なのに、新作だと24時間しか視聴できないというのは、駅前のレンタル屋じゃあるまいし、あまりセコすぎるのではないか。
 とはいえ、このシリーズは、とてもいい。近頃のNHKが好んで制作する、創作ドラマとドキュメンタリーの混合番組であり、けっこう成功の難しい構成ながら、ドラマ部分のシナリオと演出の手堅さ、ドキュメント部分の飄逸さ、その両者の絡ませ方、どれをとってもテレビ界においては20年に1度のクオリティーである。
 まあNHKという組織自体は、時代によって政治的にコロコロと豹変し、新聞で言えば朝日になったり読売になったりサンケイになったり、きわめて節操のない組織ではあるが、こうした政治色のない番組制作においては、やはり民放よりも遙かに自由である。
 第一弾が秋編、第二弾が夏編、第三弾が冬編。そして今回の第四弾は、『月』がテーマながら、季節としては第一弾と同じ秋であった。すると次は、もしかしたら『春編』で大団円――そんな流れだろうか。


11月08日 火  同じアホなら

 踊らにゃ損々――とはまったく思わない狸なので、探食活動が休みの日には、丸くなってウスラボケッとしているか、あてもなく徘徊するか、あるいはなるべくオリジナルっぽい分福茶釜の化け踊りにひとりサミしく没頭するか、そんな感じの狸生を送っているわけだが、たまには他人様の踊る様を物陰から覗き、ふるふると腰を振ったりもする。思えば生まれて初めてレンタルしたビデオテープは、映画でもアニメでもなく、マイケル・ジャクソンの『スリラー』であった。

          ◇          ◇

 巷の噂が週単位でコロコロ移ろってしまう昨今、すでにいささか旧聞に属するのかもしれないが、ピコ太郎さんの『ペンパイナッポーアッポーペン』には、理屈抜きで大笑した。ナンセンスとセンスの兼ね合いが絶妙である。味をしめて、YOUTUBEにあったピコ太郎さんの他の芸を片っ端から突っついてみたが、残念ながら、他に大笑できる映像は見当たらなかった。
 もっともあれは歌や踊りと言うより、長めの一発芸、と言うべきだろう。昭和30年代以前なら、あれだけの一発芸を成功させれば、それだけで10年は食えただろう。たとえば故郷山形出身のコメディアン伴淳三郎さんだって、一発芸『アジャパー』の成功があればこそ、チョイ役のコメディアンから個性派俳優として大成するだけの発酵期間を稼げたわけである。しかし、時間が滝になってどうどうと流れ落ちてゆく現在、10年後に『ペンパイナッポーアッポーペン』を明確に記憶しているのは、おそらくそれを自分でアレンジして映像化した方々くらいなのではないか。
 ピコ太郎さん、せめてもう一発、大笑いできる芸をお願いします。

          ◇          ◇

 で、事はさらに間違いなく旧聞に属するが――まあYOUTUBEでは再生10億回を越えて未だに増えているというから、殿堂入りの旧聞というところかもしれないが――何年か前に韓国のPSYが『GENTLEMAN』を踊り狂い、大人気というか大顰蹙というか、とにかく大いに話題となって、未だに巷で踊られ続けているようだ。いかがわしい実在ビッチの方々、恥に目覚める前の無自覚なお嬢さん方、仮想キャラだと初音ミク嬢はもとよりありとあらゆる3DCGキャラなど、主に女性の方々が、あの曲に合わせて腰をふりまくってきた。

     

 しかし、物陰からこっそり覗き続けてきたスケベな狸にとって、あの『GENTLEMAN』に合わせたグラインドを、納得のいくセクシャル・ダンシングまで高めた方は、これまで皆無だったように思う。ぶっちゃけ、あれはストリップの振り付けなのである。ご本家PSYの芸は、もとより中年男による露悪的なパロディーにすぎない。それを真に受けてグラインドしまくったある種の女性たちにとって、あれは伝統的ストリップにおける最も高度なグラインドに属するため、生半可な体技では成功が難しい。

 ストリップにおけるグラインドは、伝説のストリッパー、ジプシー・ローズのような表現力=体技を伴わないと、相対的な『芸』として成立しない。動きの中のコンマ何秒における緩急、前腹部と臀部が描く放物線の差異、野放図に堕ちる寸前の開脚の角度――クリアすべきハードルは高い。中途半端なグラインドは、踊り子さん自身の私利私欲や下半身に詰まっているハラワタやそこに蓄えられた排泄物を、観客に連想させるだけで終わる。媚態未満の怠惰な妥協である。まあそれが楽しくて場末のストリップ小屋に日参するオヤジなども巷には多かろうが、所詮それは下品と下品の慰め合いであり、人間の風俗として否定はしないが、化狸としては肯定もできない。

 しかし、そんな難儀で独善的な狸も、先般ついに初めて、納得できる『GENTLEMAN』ベースのセクシャル・ダンシングに、無料で邂逅できた。

     

 なんだ3Dアニメじゃないか、と言うなかれ。YOUTUBEに蠢く無慮数の仮想女性群の内、ここまで真のプロ・ストリッパー級の――たとえば実在のラスベガスで高額のギャラを得る女王様や小悪魔嬢、つまり絶対にロハで動画公開などしてくれない方々に匹敵する腰のキレをロハで見せてくれた方々は、彼女ら(というか、この映像の動きの細部を監修したクリエイター)以外、現時点において皆無であると断言できる。
 真のストリップにおけるグラインドは、踊り手の内部を露呈するものではない。あくまで観客側の私利私欲や下半身に詰まっているハラワタやそこに蓄えられた排泄物を、したたかに、問答無用で、ズリズリと引きずり出すべきものなのである。


11月05日 土  ローカル鉄ちゃん狸

 亡母の遅ればせの三回忌を、3日に済ませた。
 昔は、法要が命日より遅れると顰蹙をかったものだが、今回は、神奈川に住む姪が夏に第二子を出産したばかりで、せめて赤ん坊の首がすわってからでないと、遠出が難しかったのである。また、あちらの産後の『ご苦労さん旅行』も兼ねており、姉一族が銀山温泉に逗留したりする関係上、連休にしやすい文化の日まで、法要を延ばすことにした。幸いにして当節の法要は、世間でもお寺さんでも、「遅れてもちゃんとやるだけマシ」な風潮になっている。まあ地元土着の一族なら喧しく咎められるのかもしれないが、狸一族は、墓や菩提寺だけが未だ故郷にあって、住処は関東に分散してしまっている。

          ◇          ◇

 文化の日は、日本の本土はおおむね秋晴れ状態だったらしいのに、東北地方の西側だけは、北海道におつきあいして、やや荒れ模様。空を見上げりゃ六割が黒雲、二割白雲で二割青空、そんな三色が不安定に混じり合いながら、西の山塊から東の山塊へと、うにょうにょ流れ続けていた。つまり、降ったり照ったりの極端な反復である。それでも狸一族のジンクス『法事の間だけは雨も雪も降らない』が、今回も見事に的中。墓を洗っている間には虹もかかった。
 法要後、姉の一族は銀山温泉へ、貧しい狸はひとりサミしく駅前のアパホテルへ。などと言いつつ、まあ頭を叩けば「ヒンコ〜ン!」と甲高い音が響くほど貧しいのは確かだが、さほどサミしくはないわけで、もともとひとりで市内を勝手に徘徊する予定だったのである。そもそも狸の記憶にある懐かしい銀山温泉は、昨今の旅番組などで見かける大正ロマンの再構築的風情よりも、もっと鄙びて風化していた昭和中期の銀山に他ならない。などと強がりつつ、まあアパホテルに泊まってバッテラのような風呂で我慢しとけば、晩には染太の鰻も食えるしな。
 と、ゆーわけで、なんとか雨の上がった山形盆地を、夜まで徘徊。昨年足を伸ばせなかった、昔のたかちゃんちあたりも歩いてみたが、残念ながら、きれいさっぱり再開発済みであった。

          ◇          ◇

 翌朝も、残念ながら天候は、降ったり照ったりのマダラボケ状態。市内徘徊の続行には早々に見切りをつけ、『山形−上野・ローカル線各駅停車の旅』に方針変更。つまり山形−米沢間と米沢−福島間を奥羽本線各停、福島−郡山間と郡山−黒磯間を東北本線の各停、ただし黒磯−上野間だけは宇都宮線の通勤快速に乗って夜中前に帰穴しよう、そんな企てである。
 ここで問題になるのは、米沢−福島間の峠越えローカル便が、極端に少ないことである。昼間は13時8分発しかない。マジにこの一便ポッキリ、あとは朝と夕方にしかない。つまり「新幹線にあらずんば列車にあらず」、そんな区間なのですね。
 と、ゆーわけで、ハンパない待ち時間、米沢市内を三時間ほど徘徊しました。昼飯は、山形駅で買っておいた『九十九鶏弁当』を、米沢駅から上杉神社に向かう途中、最上川の河川敷でいただいたり。
 米沢は幼時から3〜4回訪れただけだが、橋のあたりから眺める吾妻山方向の景色は、山形や上山から蔵王を眺めるよりも、遙かに美麗な記憶があった。その記憶は、今回、真新しい橋の下の小綺麗に変貌した河川敷でも、まったく裏切られなかった。そして『九十九鶏弁当』は、幼時からまったく変わらない味である。どうせ米沢で食うなら米沢牛系弁当ではないか、との異論もあろうが、狸の幼時には、かの超有名駅弁『牛肉どまん中』など、まだ存在しなかったのである。
 途中で雨に祟られ、市街の大沼デパートで雨宿り。米沢にもまだ残ってたんですね、山形県ローカルの大沼デパート。上階の大食堂や地下の売り場は残念ながら閉鎖、全館ちまちまと縮小されはていたが、昼間からけっこう老人主体の客足があるようで、一階に残った食品売り場では、米沢名物の牛も鯉も、てんこもりになっていた。嬉々として鯉の甘露煮を、自分土産に購う。

 しかし田舎のローカル鉄道、とくに山間部の路線は、いい。「……なんでこんな家一軒見当たらない山ん中に駅があるの?」の連発で、まあ昔は周辺に集落があったのだろうが、今となっては、「ただ鄙びたホームを山の緑に溶けこませるだけのために駅を残してみました」、そんな感じである。
 そうした線路脇の光景のみならず、乗客の数と質が、東京に近づくにつれて徐々に変化していく有様は、新幹線だと感じ取れない。同じレールを走っているはずのミニ新幹線でさえ、ガンガンとばしてしまうので、まず感じとれない。とりわけ宇都宮線の通勤快速に乗り換えてから、いきなり無神経な客が増えはじめたときは、正直、絶望感で頭を抱えたくなった。
 まあ、そのうち都会の電車の喧噪に紛れてしまえば、自分の神経も適度に摩耗し、じきに慣れるんですけどね。

          ◇          ◇

 本日は、雲ひとつない青空、しかしみごとに二層構造で遠方が黄色く霞んだ都会の空の下、午後まで眠ったり、洗濯したり買い物したり。
 明日からは、また最下層労働者の日々に戻る。
 ああ、鯉の甘煮が、むやみにうまい。


11月02日 水  まだまだ

 くにこ 「うっす、くにこだ。ここの狸は、ビンボぐらしにつかれはて、とおいとおい旅にでた。もう、にどと、かえってこないそーだ。んだから、この狸穴にのこってる食べものは、みーんな、おれたちのものだ。ばくばく、ばくばく!」
 たかこ 「こっくし! ぱくぱく、ぱくぱく!」
 ゆうこ 「……うそは、いけないの。ほんとは狸さんの村に、ちょっと、かえっただけなの。ごめんね、ごめんね」


11月01日 火  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」