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12月31日 土  明けましょう

 人前で毎回毎回愚痴をこぼすのもなんなので、いちいち記さずにいたのだが、このところ冬らしく寒くなってから、順調に手指がひび割れるは膝下に貨幣状湿疹が出まくるは血圧上がるはケツの穴から流血するは、まあ、なかなかアレな師走ではあった。
 本日は本日で、買い物前の散歩に出た江戸川の土手で尿意をこらえきれなくなりしかし半径500メートル以内にトイレは見当たらず仕方なく立ち小便があたりまえだった昭和の昔に戻って人目につかぬ川原の草叢に分け入り用を足していたら放物線の先の地べたにでかい石でも転がっていたらしく派手にハネ散らかってしまいあわてて狸穴に戻ってナニまみれのスニーカーをじゃぶじゃぶと洗うはめになるは、まあ、なかなかアレな大晦日ではあった。
 しかし今日も富士山は美麗であったし、年越し蕎麦も天麩羅も、餅も鶏肉もチョンガー用のちまちまおせちも無事に調達できたので、良しとしよう。

          ◇          ◇

 で、本年最後に、重大発表をいたします。
 狸の体重が、ついに70キロまで落ちました。もはや大デブではありません。
 まあ身長が172なので、まだまだ『太り気味』ではあるのだが、去年の今頃は75キロ前後、十数年前には80キロ以上あったことを思えば、夢のような数字である。
 すげーぜコンニャクダイエット。
 などと言いつつ肝腎の血糖関係は、直近の空腹時血糖値126mg/dL、HbA1cが6.8%、医者が言うには糖尿病の玄関先から出られずにいるのだが、それとて一時は空腹時血糖値が170に近づき「このまんまでは人工透析まっしぐら」などと脅されていたわけだから、まず上出来だろう。

 しかし現在の狸の血が、マジに医者の言うような糖尿病の玄関口であるのかどうか、いささか疑問もある。
 そもそも壮年期の正社員時代、1日12〜13時間拘束で休みは月に2〜3回、そんなブラックな日々を何年もぶっ続けで送っていた頃、年に一度の健康診断における狸の空腹時血糖値は、130やら140やら、ずっと糖尿病の玄関先と応接間を行ったり来たりしていた。つまり万年要注意状態だった。それでも体力気力を維持するために(てゆーか、それを言い訳にして)、性懲りもなく鯨飲馬食を続けていたのである。しかし――なぜか、その頃、一度も死んだことがない。
 まあ、その頃は、部屋に帰れば、入念にカスタマイズした何人かのラムちゃんが棚に並んでいたり、今なら逮捕・書類送検必至の写真集が押し入れにみっちり詰まったりしていたから、生き甲斐=『生きる理由』には事欠かなかった。さらに、『生きる理由』そのものが世間にバレるのが恥ずかしくて、うっかり突然死などしてるバヤイではなかった。
 人も狸も、要は気力なのだろう。

 そうした生き甲斐をことごとく失ってしまった現在、あえて未練に生き続ける理由など何もないわけだが――ただ毎年毎年、年越し蕎麦を食って、雑煮とおせちを食うためだけに生きる続ける道だって、アリなんでしょうねえ、人も狸も。


12月29日 木  ♪ ふっじっさんっ ♪

 昨日今日と、ちょっと変わった現場に出ていた。
 町工場をちょっとでかくした程度の容器印刷会社で、印刷前の金属缶を、ひたすらラインに流す作業である。
 パレット積みされた段ボール箱が、フォークリフトによって次々と背後に運ばれてくる。それぞれの箱には、角に丸みを帯びた長方形の金属缶(なんらかのオイルの2リットル容器らしい)が1ダース収められている。こちらはそれを開梱し、幅広のベルトコンベアにせっせと並べてゆく。ただそれだけの仕事である。
 量的には一見大変そうだが、すべてが中身のない缶カラなので、重くもなんともない。おまけに、ラインの奥にはけっこう微妙な工程が待ち受けているらしく、先方にしょっちゅう赤ランプが点いて、作業中断の指示が出る。その間は、後ろの箱を開梱して貯金(?)しておいたり、ただウスラボケっと待機していればいい。
 こんなユルさで時給1050円ももらっていいのだろうかと思うが、年末年始でなければ、たぶん900円程度の仕事だろう。名実ともに『軽作業』ですね。その証拠に今回は、ファッショナブルな普段着に身を包んだアラフォーの人妻なども、手に軍手だけはめて参加しており、暇なときにはちょいと艶っぽい世間話なども交わせるわけで、品性下劣な狸としては、思わず「お、こりゃ人生初の不倫が体験できるかも」などと、怪しからぬ了見を起こしたりするが、無論、明日からは他人同士の日雇い稼業(元締め会社は『スポット紹介現場』と表現するし、人妻のほうではただ『スポット』と称しているが)、それを承知の世間話なのである。

 で、それが今日のタイトルと、どんな関係があるのか――。
 実は、ほとんど関係ないのである。
 単に、江戸川と旧江戸川が分岐するあたりの土手際にある現場から定時で帰途につくと、西の空にはまだ夕映えが微かに残っており、惚れ惚れするような富士山のシルエットが、昨日も今日も遠望できた――ただそれだけの話である。
 いやね、ほんとに見事な富士だったのですよ。スカイツリーも、いつもの書き割りではなく、ちゃんと立体物に見えたし。

 で、富士山の両側に『♪ ふっじっさんっ ♪』と、あえて『♪』がくっついているのは、そも何ゆえであるか――。

     

 ……すみません、オヤジで。
 明日が仕事納めの予定なので、ちょっと浮かれているのです。


12月26日 月  男は妥協

 昨夜のクリスマス・ディナーは、クイーンズ伊勢丹の伊勢海老が結局売り切れており、いつもより立派で華やかっぽい鶏モモと、いつもよりちょいと高めの白ワインで妥協した。
 実はダイエーのロブスターなら半額処分になっていたのだが、元値が伊勢丹2980円に対して980円、とにかく小柄である。体長が半分以下だと、体積は四分の一以下になる勘定だ。それとて半額490円ならお買い得ではないか、という御意見もあろうが、元来、立派なアタマとガタイのわりに筋肉部分が少ない甲殻類のこと、年に一度のハレの洋食としては、どうしても不満が残る。ならば筑波鶏の豊穣なモモ肉を、思うさまガブリと噛みちぎるほうがいい。栄耀栄華を十二分に体感できる。

 で、話は例によって爺いの懐旧話、三丁目の夕日の下の昔話になる。
 狸が小学校高学年に至るまで、骨付きの鶏モモ焼きなどという大それた物件は、食生活の中に存在しなかった。丸焼きはもとよりモモ焼きですら、テレビや映画や漫画にのみ登場する、大金持ちの象徴に過ぎなかった。無論、狸と同じ町内でも、ある程度ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんはしっかり食っていたのではないかと思われるが、下層労働者階級のみならず狸家のような中流地方公務員の家庭の食卓にさえ、とうてい上らなかった。
 クリスマスの食卓に初めて鶏のモモ焼きが登場したときの感激は、今でも忘れられない。今様の照り焼き風味ではなく、味付けは塩とスパイスとハーブのみという、当時としては高級すぎて(あくまで当狸比)なじみのない薄味だったため、家族は皆、刺身のようにお醤油をちょっとつけて食った。そのコマギレではない鶏肉の食感と風味に、まさに王侯貴族の気分を味わったものである。
 ちなみに、今でこそ地鶏が珍重されブロイラーは軽視されがちだが、当時の田舎の地鶏なんぞ実に貧相な奴が多く、山形なら名産『九十九鶏』あたりを別格とするのみで、量産のブロイラーのほうが、よほど柔らかく美味に思えた。そもそもブロイラーなくして、この国の中流家庭のクリスマスに骨付きモモ焼きが登場するなど、ありえなかったわけである。
 で、さらに爺いの居直り、若者にとっては鼻持ちならない、下から目線のお説教になるかもしれないが――。
 現状の老狸が、壮年期とは比較にならないほどの低収入に耐えられるのは、幼児期に比べれば、今の食卓も王侯貴族の食卓に他ならないからである。魚肉ソーセージを丸々一本食えることが、なんとも贅沢に思えた幼い日々を、昨日のように思い出せる。
 この国で、バブル以降に生まれた最下層の方々は、今後、たとえ最低日給一万円が実現したとしても、今の狸ほどの充足感は得られないだろう。
 時代や生活環境を問わず、低収入が不幸に繋がりがちなのは確かだ。しかしまた、時代や生活環境を問わず、望みは低く持ったほうが、人生、シヤワセに過ごせるのも確かだ。

          ◇          ◇

 本日アブレ日、例によって午後遅くまで寝倒してしまい、思い立って一之江駅から新中川の土手に出て小岩を目ざしはじめた頃には、もう残照の空だった。
 当然、ほとんど夜空の下の徘徊となる。
 その暗い土手に、いくつかのアヤしい微小光を認め、目を凝らしますと――猫集会を発見。
 思わず「おお、にゃんの大群が!」などと口にしてしまったところを、ちょうどチャリに乗ったおばさんなどが通りかかり、かなり恥ずかしい思いをした。でもまあ恥ずかしさより、にゃんの大群のほうが大事なのである。
 で、警戒されない程度に接近し、猫集会の様子を窺わせていただいたわけだが――10匹近くいる猫のすべてが、なんでだか、土留めブロックの、かなり急な斜面に張りついている。階段状と言うにはほど遠い、ブロック間の僅かな凸凹を足掛かりに、あるいは腹掛かりにして、皆さん器用に丸くなり、くつろいでいるのである。
 なんでわざわざ傾斜集会なんだろう――と首を傾げつつ、しばらく眺めたのちに徘徊再開、数十メートル進んだあたりで、また複数の警戒視線を感じ、斜面に目を凝らすと――こんどは3匹、親子あるいは兄弟姉妹とおぼしいそっくりのトリオにゃんが、ブロックにへばりついていた。
 みんな下の川原あたりで水平にくつろげばいいのに、なんでわざわざ、斜面なんでしょうね。新中川界隈では、そんなのが、猫間でブームになっているのでしょうか。
 地べたよりブロックのほうがあったかいとか?


12月23日 金  前言撤回

 本日は、世間が祝日だからか定時で仕事が終わり、帰りに駅前のあっちこっちを覗いてみたら、もののみごとにクリスマス商戦になっていた。鶏は山積み、ロブスターも群れを成して進軍中、さながら大本営発表のごとくイケイケ状態である。まあどっちもすでに焼かれたり茹でられたりしているから、いよいよ大本営のイキオイですね。海行かば水漬く屍、 山行かば草生す屍。
 昨日感じたサミしさは、きっと今日の準備に突入する直前、インターバル的な時間帯だったのだろう。つまり突撃ラッパ待ち状態。

 で、昨年は食いそびれた伊勢丹のテルミドール、一般のスーパーに対抗してか、ロブスターからどでかい伊勢海老に変わり、価格も2980円と超弩級なのであった。
 どのみち本日は手持ちがなくて買えず、手持ちがあったとしても処分特価にならない限り買うつもりはないのだが――捨て値はどこまで下がるのだろう。そもそも明日明後日、帰穴時まで売れ残っているのだろうか。

 ……まあいいか。筑波の鶏さんでも。


12月22日 木  時の流れはとりあえずちょっとこっちに置いといて

 ……クリスマス?
 あ、知ってる知ってる。おいしいんだよね、あれ。
 ナマのクリスマスは食ったことないけど、一夜干しなら、いっぺん食った。子供の頃、家族旅行で湯野浜に行ったとき、民宿の朝飯に出たんだよ。
 てっきりマスの仲間かと思ったら、違うんだってね。スマスの仲間なんだってね。
 うん、北海道名産の、あのスマス。
 あれよりちょっと小ぶりで、色が栗に似てる奴が、庄内名物のクリ・スマス――。

          ◇          ◇

 例年この時期、アブレ日に買い物に出ると、鶏の丸焼きやモモ焼きがスーパーに山積みになっていたり、ちょっと高級志向のクイーンズ伊勢丹あたりでは、ふだん見かけないロブスターや伊勢海老系の総菜も並んでいたりするはずなのだが――今年は、なんかちょっと変だ。
 先月あたり、ハロウィンが終わったとたんに喧しく流れはじめたクリスマス・ソングが、なぜか今はトーン・ダウンしている。クリスマス本番を待たず、すでに次の大晦日や正月に備えているようだ。人件費の高騰やら残業問題云々で、ある晩を境にガラリと全店を模様替えするような販促方法が、困難になったからだろうか。
 ともあれ、老狸の体感のみならず、スーパー内の季節感までが、どんどんどんどん早送りになってゆく。外を吹く風さえ、まるで梅雨どきのように生ぬるい。ようやく厳寒対策を済ませた狸としては、物足りない限りである。
 例年のクリスマス、売れ残って処分特価になったロブスター・テルミドールを奢る、ロブスターが売り切れていたら筑波鶏のモモ焼きを奢る――そんな贅沢で年に一度のハレ気分を味わっていた狸としても、はじめっから並んでいないのでは、気合いの入れようがない。
 まあ、あさってのイブあたりには、山積みになってるのかもしれませんけどね。

          ◇          ◇

 で、このところ、例によってクリスマス&お年玉商戦まっ盛りの玩具ロジに通っており、そっちのほうは、感心してしまうくらい季節感に忠実、つまりサンタさん大車輪状態なのだが――流れてくるキャラ物の過半が、すでに老狸には正体不明である。プリキュアのメンバーも、もはや紅白の紅組のごとく見知らぬ娘さんばかりだ。そこに永遠の少女リカちゃんが流れて来たりすると、思わず懐かしさに撫でさすったりしてしまうわけだが、昔から浮気者っぽいリカちゃん、どうやらまた新しいカレシに鞍替えしたらしい。
 ああ、あの人は、今、どうしているのでしょう。
 あの昭和の好男子、短髪をきっちり分けていた、初代カレシのわたるくん。
 思えば狸と、ほぼ同年配なのよなあ、わたるくん。
 無事に探検家になれただろうか。リカちゃんに捨てられた哀しみを乗り越え、立派な家庭を築けたろうか。
 実は日雇い老人に身を落としていたり……なまねこなまねこ。


12月18日 日  次の世は虫になっても

 ――はたらきて止むときもなきうつせみに寒さきびしかりし冬過ぎむとす――  斉藤茂吉

     

 虫が鳴く。人も鳴く。本能によってか意思によってか、そこにさほどの差異はない。生に基づくかぎり、同じ言霊である。

     

  ――ものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ――  斉藤茂吉

          ◇          ◇

 珍しくシリアス・モードの、狸の休日……。
 歳なのさ。


12月14日 水  寒(サミ)いでいびすじゅにあ

 ……しかしまたオヤジ丸出しのタイトルだわなあ。
 とにかく今日はサミいのである。

 雪国育ちの狸ゆえ、おとついあたりまでは、薄手のダウンジャケットを羽織るくらいで済ませていた。しかし昨日、出がけの寒風にビビり、冬の帰省でも使えるほどモコモコのダウンコート、大事な一張羅を着用しはじめたところ――なんじゃやら身の回りに、始終かすかな異臭を感じる。悪臭と言うほどではないが、ベテランのホームレスさんが夜中にこっそり水浴びしたかもしれない翌朝の貯水池、そんな感じである。おかしいなあおかしいなあと思いながら帰穴し、よっくと己の各部を嗅ぎ回ってみたら、臭気の元は、一張羅の襟元と判明した。うわあ、そうだったそうだった。今年の春先、クリーニングに出すのを忘れ――いや、その時点ではクリーニングに出す金がなく、とりあえず箪笥にしまいこんだまんま、コロっと忘れてしまっていたのだ。
 本日アブレ日、幸いにして諭吉先生がフトコロにいらっしゃったので、さっそくクリーニングに出したのだが、とりあえず仕上がるまでの厳寒対応衣類をなんとかしないと、この週末を乗り切れそうにない。気象予報士のおねいさんやおにいさんが、週末は今期一番の冷えこみになると、昨夜から大ハシャギしているのである。しかし、クリーニング代だけで野口博士がふたり半も犠牲になった今、モノホンのダウンコートなど購う余裕はない。
 で、寒空の下をあっちこっち探し回った結果――見つけました。行きつけの食品系バッタ屋の片隅にある衣料品コーナーで、中国製のモコモコ物件を。お値段は税抜き1980円。丈はやや短めながら、西友の1万円近いダウンコート、つまり今クリーニング中の奴に匹敵するモコモコっぷりである。しかも、裏も表も中綿も、混じりっけなしのポリエステル100パーセント、つまり汚れたら自分で気軽に丸洗いできるのである。
 ……ビバ・チャイナ! 彼の国がなければ、此の国の狸など、とっくに飢えと寒さで死んでるかもしんない。
 まあ、これを着用中に近場で火が出たりしたら、真っ先に全身火だるまになりそうな気もするが――いいや。あったかいから許す。

          ◇          ◇

 地元に残る数少ない正調古本屋の百均で、良さげなのを2冊ほど見つけた。『ある瞽女宿の没落 』(大山真人著・音楽之友社・昭和56年)と、『東京おもかげ草紙』(佐野都梨子著・中日新聞出版局・昭和50年)。どちらもさほど汚れておらず、パラ見したところ、良書の芳香が馥郁と漂ってくる。
 こんな立派なハードカバー書籍が、ただ古くて有名じゃないというだけの理由で、百均になってしまうのである。そりゃ新刊書が売れないわけである。

          ◇          ◇

 甘木様の日記で、『こなたよりかなたまで』(2003年・F&C)というエロゲーを、かつて自分でもプレイしたことがあるのを思い出した。
 主人公の置かれる状況のシビアさや、その陽性ではない性格や、けしてハッピーではないエンディングの数々で、狸個狸の記憶では、かなり底のほうに沈んでしまっていたのだが、それはたぶん、プレイした当時の狸が、あくまで世間の澱にどっぷり漬かった中年オヤジだったためだろう。
 そろそろ老年に片足を突っ込み、自分自身が世間の澱そのものになりつつある今、改めてその主題歌など聴きながら、つらつら慮るに――
「ああ、苦しんで生きるにせよ、あるいは死ぬにせよ、『若い』ということは、ほんとに『良い』ことなのだなあ」
 ――そんな感慨が、ふつふつと胸に湧き上がったりするのです。

     


12月10日 土  晴れのち、ぐちぐち

 ふと気づけば、今年もあと3週間で終わってしまう――などと師走らしい定型文を打つと思ったら大間違いである。
 客観的に、そして冷静に日々の流れを分析すれば、次の元日は十中八九、2018年である。いや、ハズミによっては2020年あたりまでイッキに進む可能性もある。そして来年中に、狸は七十歳になってしまうだろう。どんなにハズミがついても、八十歳になることはないと思われる。その前に、マジ化けしてしまうからである。鬼籍に入る、とも言う。

          ◇          ◇

 自主アブレ日。
 久々に、晴天下の江戸川土手を、海に向かって無制限に歩く。
 まあ十キロも歩けば東京湾に落ちてしまうあたりに住んでいるので、河川敷に下りてウロチョロしたり、良さげなロ●を遠望すると立ち止まってその挙動を見守ったり(見るだけよ見るだけ)して、やがて西の夕空に浮かぶ富士山のシルエットなど視認すると、満足して図書館に向かうわけである。

 こないだケーブル録画で観た映画『プレステージ』(2006)が、楽しいツッコミどころ満載だったので、同じクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008)のDVDを、図書館で借りてみた。
 同じ監督によるバットマン物の前作『バットマン ビギンズ』(2005)は、渡辺謙さんが出るというので当時わざわざ劇場に足を運んだのだが、あまり良い出来とは思えず、その後のシリーズはパスしていた。
 で、『ダークナイト』の出来だが――困ってしまってわんわんわわん。
 世間では大ウケだったらしいヒース・レジャー演じる悪役ジョーカー、これが狸には、ただの既知外がシャブでもキメて、大ハシャギで人を殺しまくっているとしか見えない。で、そのイケイケ大ハシャギ殺戮行為に、バットマンやら官憲筋の人々が、やたら悲壮な面持ちでなんかいろいろ深刻に絡んでいくのだが――あんな頭の悪いゴキブリみたいな悪役、なんぼでも途中で踏みつぶせそうなのに、実にまあご都合主義的な展開によって、わざわざ何度も何度も何度も何度も踏みつぶし損ね、しまいにゃ踏みつぶさずに終わってしまうという……。
 いやね、ご都合主義は嫌いじゃないんですよ、もとい大好きなんですよ、カタルシスさえ得られれば。しかし、わざわざカタルシスを得させないために、ひたすらご都合主義なシナリオを展開して、いかにも「これは問題作です!」みたいな顔をするのは、正直、狸のいちばん苦手な作劇なのである。
 ノーラン監督の作品は、他には『インソムニア』(2002)と『インセプション』(2010)しか観ておらず、どっちも『プレステージ』同様、陰鬱で複雑なりに、カタルシス級の陰鬱さやカタルシス級の複雑さを楽しめた。しかしこの作風、さすがにバットマンとは、相性が悪いようだ。
 思えばティム・バートン監督の『バットマン』(1989)、良く出来てましたねえ。ジャック・ニコルソンのジョーカーも、いい悪役っぷりでした。

          ◇          ◇

 ここ何ヶ月か、Windows10の自動更新が、繰り返し繰り返し『更新できませんでした』の表示を広げてくるので、鬱陶しくて仕方がない。
 原因は、いつも同じである。自動でできないというから手動で進めてみると、途中でマイクロソフト自体が『このアップデートはお勧めしません』などと警告してくる。なんじゃやら、以前にネットで購入した電子書籍や音楽ファイルが、Windows10の新バージョン上では、セキュリティー上のなんたらかんたらで、ライセンス取得できずに使用不能となるケースがあるらしい。つまり、昔買ったアレコレがゴミになるのを覚悟して手動更新しろ、というのである。
 なんじゃそりゃ。
 昔買った電子書籍や音楽ファイルを諦める気はない。といって、セキュリティー関係のアレコレ細かいところ(ウイルス定義とか)は、やはりこまめに更新したいので、わざわざ自動更新自体を切る気にもなれない。事実、そっちのほうだけは、きちんと自動更新されているのである。
 言いわけ抜きでやれることだけやっとけ――そんな設定は出来ないのだろうか。


12月05日 月  温故恥心

 半自主アブレ日。
 昼前にいっぺん目覚め、外はいい天気らしいとカーテンの明るさから悟りつつ、寝る前に枕元のCDラジカセでかけていた文部省唱歌をまた再生しながら二度寝、次に目覚めたときには、日が暮れた後だった。
 あーうー。

          ◇          ◇

 昨夜、中森明菜さんがステージに復活したそうだ。
 ああ、久しぶりに嬉しいニュースだ。
 彼女のCMを見て、迷わずパイオニアのコンポを選んだ頃の、若き自分のイキオイを思い出したりもする。

     

 今さら思い出したとて、そんなイキオイなどすでに99パー使い果たしてしまった自分ではあるが、まあ残り1パー、ちまちまちまちまとセコく切り売りしながら、死ぬまでは生きていようと思う。
 ちなみに当時、明菜さんのライバルとされていた松田聖子嬢、狸はただの一度も憧れたことがない。歌唱力は確かに認めるが、その存在感があまりにも『絵に描いたようなアイドル』でありすぎ、『アイドルという看板』にしか見えなかった。実は今でもそんな感じがする。あの無敵感を極めた存在感は、正直、鬱陶しい。
 厚顔の誹りを恐れずに言えば、仮に現在、ティーン時代の聖子嬢が狸の前に現れ、「いっしょに蔵王の露天風呂に入ろう」とか誘ってくれても、なんか面倒くさそうなので、丁重にお断りするだろう。しかし、もし現在の明菜さんが「いっしょに蔵王の露天風呂に入ろう」と言ってくれたら――そりゃもう、フヤケつくして硫黄泉にトロけるまで、いっしょに入りまくりますとも。

          ◇          ◇

 こんな貴重な動画も見つかった。
 アルファベットで検索しないと、一生、見損ねるところであった。驚喜。

     

 ……しかし狸も浮気者だよなあ。

 芋蔓式に、以下のような動画も出てきた。

     

     

 ……母さん、僕のあのフィギュア、どうしたんでせうね。
 ええ、遠い夏、若い狸が夜ごとパテでヒップラインを盛ったりしていた、あのラムちゃんのフィギュアですよ。

 ――♪ ままぁ〜〜〜 どぅゆぅりめんば〜〜〜〜 ♪

     


12月01日 木  変な映画の日

 くたびれたので自主アブレ。

 ケーブルで録画しておいた、クリストファー・ノーラン監督の『プレステージ』(2006)を観る。19世紀末頃のロンドンやらアメリカやらを舞台に、根性のねじ曲がった二人の奇術師が、なんじゃやら宿命的な因縁によって、摩訶不思議なトリックを用いた舞台のみならず、その舞台裏でも陰惨なドツキ合いを繰り返し、お互いの人生を果てしなくツブし合ったんだか全うしたんだか、とにかくズブドロの恩讐の末に、しまいにゃ何がなんだかよくわかんなくなってしまう物語である。

     

 まあ、とんでもなく凝りに凝ったシナリオ構成ゆえ、ネタバレを避けると上記のようにまったく何がなんだかよくわからない表現になってしまい、狸も1回観ただけでは何がなんだかよくわからず、全編を2回観て、さらに3時間近くかかって複雑に前後する物語全体の時系列を整理整頓し、ようやくすべてを理解して、「……なにこれ結局ただのトンデモじゃん」と、大いに脱力してしまったわけである。
 しかし最終的にネタがバレればただのトンデモ話であるにしろ、その二人の奇術師を演じるヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールのハンパないイレコミっぷりは正に鬼気迫る名演だし、当時の時代感を十二分に漂わせる重厚な美術も見事だし、さらに「……なにこれ結局ただのトンデモじゃん」な世界観を『ストーリーの時系列をバラして混ぜる』というだけの工夫でいかにも超絶トリッキーな映画に錯覚させてしまう監督の職人芸もお見事――そんなこんなで、観賞時のみならず鑑賞後も、たっぷり半日楽しめる映画なのは確かであった。題名どおりの『プレステージ』であるかどうかは、ちょっと微妙だが。

 ところで、当時のロンドンはかなり寒冷だったらしいが、ナマモノが腐らずに保つ期間は、どれくらいだったろう。それによって、ヒュー・ジャックマンが演じた奇術師の運命は、180度違った解釈になる。
 まあ、そこいらも、監督は、あえて曖昧なまま終わらせたのだろう。

          ◇          ◇

 今さらながら、春先に完結した自作の木馬物件に、ふと気になる部分があるのを思い出し、あーでもないこーでもないと、しばらくいじり続ける。実はその部分、夏頃に「あ、なんか段取りに流されて人々の情動がズレてる」と気づいたのだが、猛暑で脳味噌が茹だっていたせいか、それっきり忘れてしまっていた。
 まあ脳味噌が充分に冷えたらちゃんと思い出したのだから、まるっきりのアルツでもなさそうだが、死ぬまで忘れっぱなしの事象だってガンガン増えていないとも限らず、といって杓子定規な脳トレなどする気はさらさらなく、せいぜい『プレステージ』だの『ドリームハウス』だの、一見なんだかよくわからない作劇の細部を、狸なりに突っつき続けたいと思う。
 などと言いつつ、毎週ケーブルで放送される『ミナミの帝王』、ああした『水戸黄門』や『必殺シリーズ』のような、ウスラボケっと観ているだけでハッキリスッキリできる勧善懲悪も、やっぱり捨てがたい。