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01月29日 日  狸が這いこむ隠れ棲む

 とりあえず、のこのこと這いこんでみました。
 とっても引き籠もりやすそうな星であり、通りすがりの猟師さんに鉄砲でうたれる心配は、ここと同じくらいなさそうですね。
 この狸穴の玄関口にも、【不定期出張所】とか、看板を出してみようかしらん。

      ◎ 星空文庫
      ◎ 星の門
      ◎ バニラダヌキの星


01月27日 金  続・冬のめぐり逢い

 自主アブレ日。
 例によって江戸川東岸の土手に這い上ったら、なんじゃやら生暖かく湿った西風が強烈に吹き荒れていた。それこそ土手から吹き飛ばされそうな台風級の風、しかし一昨日あたりまでの厳寒とは無縁、風に逆らって歩を進めると汗ばむほどの温風である。多少なりとも風を避けるため、土手の内側に下り、当初の予定どおり下流を目ざす。
 途中、川岸の葦の茂みに、細々とした踏み分け道の名残を見つけ、何のために踏み分けたのか興味を覚え、顔にかかる葦を掻き分けながら、そっち方向に進んでみる。すると、数年はほったらかしらしい朽ちかけた木道が現れ、踏み外さないようにおっかなびっくり遡った先には、木道同様に朽ちかけた、粗末な船着き場があった。船着き場と言っても、せいぜい数十センチ四方の、今にも川波に洗われそうな木組みである。
 隙間だらけの板の上で川波を眺めながら、コンビニ前のヤンキーのように、しばしたたずむ。手漕ぎの屋形船や屋根船が到着するほど古くもでかくもないが、昭和30年代の貸しボートあたりなら、そのうち帰ってきそうな懐古の場ではあった。
 やがて夕間暮、いったん引き返してさらに下流を目ざしていると、痩せ細った小動物の影が、河川敷から葦の茂みに逃げこんで行った。猫にしては大きすぎるが犬にしては小さい、なんじゃやら見覚えのある体型だった。
 まさかなあ、と首を捻りながら、そろそろ行徳橋が近いので街中に戻るため土手に上がると、犬と散歩中の老人が話しかけてきた。
「あそこに狸がいたでしょう」
「――え? やっぱり?」
 老人は、川岸を歩いてくる人に化けた狸(自分のこと)と、葦の茂みに逃げた狸(人に化けてない野良のほう)の双方を、上から眺めていたらしい。聞けば近頃そのあたりには、狸が何匹か出没するのだそうだ。
「痩せていたでしょう」
「はい」
「このあたりじゃ餌が少ないですからねえ」
 確かに残飯の出る場所ではないし、土手を越えても京葉道路や外環の工事現場ばかり、餌付けしてくれそうな人家に辿り着く前に、車に轢かれてしまうだろう。
 せめて人家が密集する荒川沿いの川原とか、残飯を狙えそうなところに引っ越せばいいのになあ。あるいは人に化けて日銭を稼ぐとか。
 いつかテレビのドキュメンタリーで見た皇居や明治神宮の森の、丸々と太った狸たちを思い出し、同じ種族の狸としては、複雑微妙な気分なのであった。

          ◇          ◇

 金もないのに、新刊書に手を出してしまった。まあ、薄めの文庫で値も安い、許される範囲の贅沢である。
 集英社文庫『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑《ショウ》タイム 〜名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏〜』――ご想像のとおり、狸好みの昭和の芸人さんたちに関する対談が、延々と続く好著である。
 テレビでお見かけする限り、近頃めっきり老いの目立つ欽ちゃんではあるが、さらに年長である小林先生の舌鋒は、まだまだ衰えていないようだ。お二人とも、ぜひ狸より長生きしていただきたいものである。

 ちなみに、年末年始の数多の演芸番組にざっと目を通して、狸が腹の底から爆笑できた平成のお笑い芸人さんは、漫才のパンクブーブーと漫談のヒロシ、それくらいであった。ネタとキャラの拮抗が絶妙で、『混ざると危険』レベル。

          ◇          ◇

 正月からぼちぼち打ち始めていた新作オチャラケ物件、ようやく一区切り。
 さて、どうしましょ。
 木馬物件のようには事前の確信や意志がなく、一見アキバあたりに氾濫するひたすら好き勝手なロリオタ話、現段階で衆目に晒すのは憚られるような気もするのだが――ま、いいか。今年の狸標語そのものが『ま、いいか』だからな。

 トランプさんや阿倍さんちのお坊ちゃんあたりにも、いや全世界の妙にトンガった方々にも、できればテキトーに脱力してほしいものである。


01月22日 日  冬のめぐり逢い

 こないだ俺とまったく同じ服を着てる奴とすれ違ってなんか恥ずかしかった――などとボヤく若い衆に限って、リサイクルショップでも数千円を下らないであろうブランド物のジャンパー姿で送迎バスに乗っていたりする。そうそうアレってなんかアレなんだよね、などとうなずくバイトのおねいちゃんが履いているファッショナブルなスニーカーは、なんと1万円以上するのだそうだ。

 以上は昨年師走の記憶であるが、そのとき狸が着ていたのは、数千円もするユニクロのライトダウンジャケットであり、近頃ちょっと不振とはいえ天下のユニクロだけに、しばしば街中でまったく同じものを着ている若い衆や旦那とすれ違う。そのたびに、狸は思わず胸を張ってしまう。仲間意識からではない。実は狸のジャケットは、何年か前の年末に姉から届いた援助物資に入っていたものなのである。しかしそれを知っているのは狸自身と姉だけである。すれ違う同じジャケットの方々は、たぶん「あ、このおっさん、俺と同程度の経済状態、中流仲間」と思っているだろう。だから、えっへんと胸を張る。
 実のところ、狸が自前で買えた冬用ジャケットなど、先月バッタ屋で掘り出した1980円物件だけである。大事に大事に着回している一張羅、西友の1万円近いダウンコートに至っては、亡母がまだ故郷の施設に入っていた頃、姉と共に見舞いに行って冬物を買いに出たときに、ドサクサに紛れて購入したものである。亡父の遺族年金からガメた、とも言う。

          ◇          ◇

 ことほどさように限りなく懐の寒冷な狸であるから、自分とまったく同じ服を着た方とすれ違ってバツの悪い思いをすることは、滅多にないのだが――実は昨夜、荒川沿いの現場から徒歩で新小岩に向かっている帰途、すっげー微妙な思いをしてしまった。
 寒かったので町角のコンビニに寄り、入り口近くの機械で100円のホットコーヒーをセルフちょろちょろしている最中、狸とまったく同じ出で立ちのおっさんが入店してきたのである。つまり、寸分違わずあのバッタ屋でしか扱っていないモコモコ化繊ジャケット1980円、ジーンズも何年か前まで西友で扱っていた850円ポッキリ品、あまつさえスニーカーまでドンキの980円コーナーそのもの。
 ジャケットはともかく、ジーンズやスニーカーまで、よくそこまで特定できるな――などとおっしゃる方は勝ち組ですねキライです。あの850円ジーンズを、とことん穿き古した際に生じる風格とは真逆の貧相な色落ちと膝先の突出。あの一見ブランド品のようで実はすべてが「なんか違う」ドンキ定番再安価スニーカー。それらは、この界隈で最下層に生きる中高年なら、いやでも特定できてしまうアイテムなのである。
 で、もののみごとにめぐり逢ってしまった、風采の上がらないドッペルゲンガー同士は……。
 ……咄嗟に視線の交錯を避け、お互い無言のまま寛容の微笑を浮かべ、あっちとそっちの人生に、ただサミしく別れてゆくのみなのであった、まる、と。


01月17日 火  ぽこぽこ

 自主アブレ日。
 昨夜は久々に脳内弁士が出現、朝までぽこぽこと打鍵する。
 ただし今回は、ろりおた系のイロモノ弁士であるため、弁舌中の錯乱や逸脱が著しく、打鍵後の論理的修正および倫理的規制に、倍以上の手間がかかる。
 でもまあ、面白いからいいや。

 朝の8時頃ようやく寝に就き、目覚めれば午後3時過ぎ。
 しかし年末年始に比べ、だいぶ昼が長くなった。そんな時間に起きても、広々とした川原に出れば、小一時間は陽光にあたれる。

          ◇          ◇

ITmedia ニュース 1/17(火) 17:51配信
中国SNSで炎上したアパホテルが見解 「本は置き続ける」「予約に変化なし」


「アパホテルの全客室に、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と伝える動画が中国のSNS「微博」に投稿され、2日で7700万再生を超えるなど中国で“炎上”状態になっていることについて、アパホテル親会社のアパグループが1月17日、見解を発表した。
 書籍は「特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、事実に基づいて本当の歴史を知ることが目的」と説明。今回の炎上を受け、書籍を客室から撤去することは「考えていない」という。「中国の旅行代理店がアパホテルの取り扱いを停止した」との噂は否定している。
 問題になった書籍は、アパグループ代表・元谷外志雄さんの著書「本当の日本の歴史 理論近現代史 II」。アパグループのホテルの各客室に置かれており、「南京大虐殺はなかった」などの主張が盛り込まれている。
 1月に日本を訪れ、アパホテルに宿泊した米国人大学生が、この書籍を読んで「ショックを受けた」とし、内容を紹介する動画を「微博」に投稿。動画では「彼(アパグループの元谷代表)には自分の本をホテルに置いたり言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客からお金を取っているのは不誠実」などと語り、「彼の思想を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と訴えた。この動画は2日で7700万再生を超えるなど話題を集め、中国のネットユーザーからアパホテルに批判が集まった。
 この動画についてアパグループは17日、Webサイトで見解を発表した。書籍の近現代史に関わる内容は「著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれた」と説明。「国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識しているが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの」とした。
 さらに「異なる立場の方から批判されたことをもって書籍を客室から撤去することは考えていない。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない」とし、今後も書籍を客室に起き続けると表明した。
 その上で、同書籍から南京大虐殺に関する見解の部分を抜粋して公表。「事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたい」としている。
 この問題を受け、「中国の旅行代理店が軒並みアパホテルとの取引を中止している」とのうわさも流れたが、同社はITmedia ニュースの取材に対し、「現時点では中国の代理店から取引中止について具体的な話は聞いていない」とうわさを否定。予約のキャンセルなど「目立った変化はない」という。


 その書籍は、昨年の秋の帰省でアパホテルに宿泊したとき、狸も目を通した。
「著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれた」「事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたい」というアパ側の主張にうなずける内容であり、さほど右翼的ではなかった。
 まあ『大虐殺』という言葉に、具体的な殺害方法や数量的な定義がない以上、何が大虐殺で何が戦闘行為であるか判別のしようがないわけだが、やはり敗戦時、日本の軍部がトチ狂って公的な戦闘記録を片っ端から焼却したのは、つくづく愚行であったと言えよう。不利な証拠を隠滅したつもりで、有利な証拠も焼いてしまった。
 やってませんと主張するためには、やったことも証明できなきゃね。推論や見解は、事実の証明にならない。


01月12日 木  貧乏外交事情

 最底辺労働者を長くやっていると、この国に出稼ぎに来ている諸外国の方々とは、期間限定ながら、けっこう交流がある。中国、台湾、フィリピン、ブラジル、インド――おおむね、それらの国の方々である。
 で、外国籍の方々と狸の間に、国籍が理由で軋轢が起こったことなどは皆無である。親日国はもとより、国家的には今現在とても仲が悪いと喧伝される中国の方々とだって、ユルユルと協調できる。そもそも中国籍の方々自身が「共産主義? 中国カンケイナイヨ」などとおっしゃるので、思想的闘争に至るはずもない。「タヌキサン、イイ時計シテルネ」「安物ですよ。ヨドバシで980円」「ソレヤスクナイヨ」――そんな感じである。皆さん爆買とは無縁、故国の身内に仕送りする方が多い。
 ただ、なぜか韓国の方とだけは、いっしょに働いたことがない。だから、例の慰安婦像をめぐるこのところのアレコレに、一介の最下層市民として、個人的な所感を述べるのが難しい。
 たぶん各職場に在日の方は混じっていると思うのだが、日本名で流暢な日本語を話すわけだから、狸には区別できないし、もとより区別の要を感じない。いずれにせよ在日の方は、母国の世情を肌ではさほど知らないわけだから、お互い各国家の一員として、日韓貧乏人外交を深める術はない。

 で、脳味噌のちっこい狸としては、そうした現状そのものに、やはり彼の国の人々は基本反日なのかなあ、などと悩んでしまうわけである。
 だって中国のビンボな人も台湾のビンボな人も、故国で思うように食えないから、ちょっと海を渡って、職を選ばなければ少しは余分に稼げるこの国に、わざわざやってくるわけである。フィリピンやブラジルやインドのビンボな人など、もっと遠い大海原や遙かな空を越えてまで、わざわざ渡ってくるわけである。しかるに韓国の方々は、狸の周辺を見渡すかぎり、ほとんど留学生や企業関係者しか見かけない。つまり、彼の国では中流以上の方々である。韓流芸能関係の方々も、ひと昔前に比べれば、ほとんど見かけなくなってしまった。
 韓国だって、ずいぶん景気が悪いと聞く。失業者が多いと聞く。国外に活路を求める者も多いと聞く。
 でも、なんでだか見かけないんですよね、ちょっと海を隔てただけの、日本の出稼ぎ現場では。
 つまり、そこいらに、草の根レベルでの強固な意思を感じてしまうのである。ちょっとはビンボが救われるにしても日本人にコキ使われるくらいなら、いっそ大海原や大空を越えて欧米諸国に渡るか、それが不可能なら故国でビンボしてたほうがいい、みたいな。
 まあそれは単に狸の僻みであり、他国ほど賃金差の旨みがないとか、自国であれ他国であれ最底辺労働などに就く気はないとか、そんなところなのかもしれないが――くれぐれも、ヤケになって北の首領様の国に憧れたりしないでくださいね。

 貧乏人の味方は、偶像でもプライドでもない。「ま、いいか」という大らかな心、そして、その心がもたらす日銭である。


01月08日 日  おこたの日

 熱は下がり、喉もだいぶ楽になった。
 とはいえ、この寒空で徘徊なんぞ再開したらエラい目に合いそうなので、ちょいと駅前で買い物の後、すぐに狸穴に引き籠もる。

          ◇          ◇

『ある瞽女宿の没落 』、その旧家の没落は、必ずしも戦後の農地解放のためばかりではなく、なんかいろいろ身内の夭折やら不運やらが重なったらしいが、やっぱりトドメを刺したのは、GHQによる問答無用の農地改革である。時代的に避けられない、そして小作農の方々には大変結構な民主化であったにしろ、平等意識という名の野暮が、伝統的美意識を駆逐してゆく有様は、やっぱり痛々しい。

 ころりと話は変わって、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の第25弾と映画版台湾編を、おこたみかん(ビタミンC補給のため、あえて糖質には目をつぶりました。そもそも風邪の回復にだって、効率的な熱源は要るものな)しながら観賞。
 太川&蛭子コンビの最終回、コースを聞いただけで「あ、こりゃ無理だわ。そんなにトーホグは甘くない」と判断し、また天野様のつぶやきなども参考にし、映画版台湾編のほうを、個狸的最終回に据えさせてもらう。こっちは劇的大逆転で成功したと、風の噂で聞いていたのだ。
 ――正解でした。あんな台風に直撃されて、ほぼ丸一日運休したのに、ちゃんと四日で縦断できるんだもんな、台湾の路線バス。日本なんか、高速のICと新幹線の停車駅に見放された田舎は、自力で車を転がすしかないぞ。転がせなきゃ、引き籠もるか引っ越すかだ。

          ◇          ◇

 で、天野様やN村様が御座をお移しになりつつある『星空文庫』、現在、ちまちまと覗かせていただいております。
 そのうち、腹鼓が響くかもしれません。


01月07日 土  北風邪ぴゅーぴゅー

 去年の冬よりも皮下脂肪が薄くなったからか、あるいは単に加齢のためか、ここんとこの体感温度が妙にスルドい。
 昨日から喉が痛く微熱もあるので、今日明日と、自主アブレにする。お年玉(正月手当のことですね)も、そこそこ集まったしな。
 幸いインフル的な全身症状は皆無、2日も大人しくしていれば治るはずだ。

          ◇          ◇

 先月購った百均古本『ある瞽女宿の没落 』を、ぼちぼち読み進めている。重たいハードカバー本ゆえ、頭陀袋に入れっぱなしにして電車の中や休憩室で読むには向かない。何より、気軽に飛ばし読みできるような中身ではない。

 ちなみに、この書物のモチーフとなる『瞽女宿』とは、旅芸人が宿泊する貧相な宿屋のことではない。当時の上越地方における富農の旧家が、旧知の瞽女集団を無償で宿泊させ、ふだん娯楽の少ない小作農たちに一夜の音曲の場を提供し、自分たちもまた別室で楽しむ、そんなシステムである。あくまで戦前の大地主、大資産家のお屋敷なのである。そこにおいて、地主一族と小作人たちの間にはあくまで厳然たる身分差、それこそ『貴賤』の壁が存在するが、瞽女集団は、そうした貴賤の埒外にあり、上とも下ともつかぬ、稀人《マレビト》として生業をたてている。もちろん瞽女さんにも様々な生き方があり、壮絶かつ悲惨な社会の底に沈む者もあれば、貧富に関わらず己の芸のみをもって、ある種高貴な稀人の精神性を全うする方もいただろう。
 で、この『ある瞽女宿の没落 』というドキュメントは、タイトルが示すとおり、その土地屈指の富農一家の、明治・大正の栄耀栄華、昭和戦前の翳り、そして戦後の没落――まあ血筋自体は子孫に繋がっているのだが、いわゆる『旧家』としては完全消滅、広壮な家屋敷も廃墟と化し、大阪万博の年に解体撤去されてしまう――そんな過程を、高田瞽女という芸能システムの在りようや衰亡、また小作人たちの生業の変化も併せて記録しているのですね。

 まだ読み終えていないが、現時点で、狸として思うことは――皆様ご想像のとおり――ああ、階級社会って、いいなあ。
 正直、純粋な芸能って、殿上人と奴隷の間にしか、存在できないのではないか。


01月02日 月  寝てました

 目覚めれば残照の空に、くっきりはっきりお月様。
 ……ま、いいか。去年の元日と2日目が、逆パターンになっただけだしな。三日月の横の金星が、去年より光ってるし。

 ああっ! 『ブラタモリ』と『家族に乾杯』の新春合体特番、録画予約するの忘れてた!
 ……ま、いいか。裏番組の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第25弾』は、しっかり録画中だし。

 明日から5日までは、お年玉目当ての仕事である。これは去年と同パターン。
 ……ま、いいか。今さら向上の望める齢じゃないしな。

 うん、今年の標語が決まった。
 ――『ま、いいか』。
 それで行こう。


01月01日 日  明けました

 年越し蕎麦を啜ったり、おこたみかん、じゃねーや、おこた玉コンニャクをしたりしながら、『年忘れにっぽんの歌』やら『紅白歌合戦』やらの録画物件を、しばしば早送りしながらも全編チェックしていたら、初日が昇ってしまった。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE』も録画しておいたのだが、明日放送予定の第25弾、つまり太川&蛭子コンビ最終作と合わせて、のちにじっくりと楽しませていただこうと思う。
『年忘れにっぽんの歌』、前年から生中継をやめて録画編集になったとたん、前々回まで楽しみにしていたサプライズ要素がきれいさっぱり消えてしまい、ほとんど同じ顔ぶれの似たような構成になってしまった。それでも我慢できるのは、去年生きていた老爺老婆の方々が、今年もちゃんと生きていたからである。梶光夫さんに至っては、去年よりも明らかに歌声が潤っている。狸より干支で一回り年嵩のはずなのに、信じがたいハイトーン・ボイス。おめでたいおめでたい。
 心配していた『紅白歌合戦』、なんかいろいろマンネリを避けるための小細工満載で、あんがい盛り上がった。タモリ&マツコの使い方も、肩の力が抜けて好感度高し。ふと思えば、Xの『紅』など、すでに爺いの狸にとって、もはや懐メロなのである。たとえば三波春夫さんが『世界の国からこんにちは』を歌う姿と同程度に、懐旧や歴史を感じてしまう。そんなロック方向の大ベテランに、ああした野暮ったくて泥臭いイロモノ扱いを許容させてしまうNHK紅白、本質的には、まったく変わっていないと言えよう。

          ◇          ◇

 夜が明けてから寝たので、去年のように午後遅く目覚めるかと思ったら、なぜか昼過ぎには覚醒し、またぞろ晴天の江戸川の土手を徘徊。
 江戸川の土手は、年の初めからせっせとランニングに励むいつもの若者や爺さんのみならず、いつもの倍量の家族連れで賑わっており、なんのかんの言いつつこの国は本当に平和なのだなあ、と、大いに和む。とくに、子共達の笑顔がいい。まあ元日に仲良く川原の土手をお散歩するような家庭の子供のこと、親のフトコロ具合は知らず、情愛だけは足りているに相違なく、それが笑顔に現れるのだろう。

 妙な話になるが、ケーブルの海外ニュースチャンネルなどで、中東の紛争地域の映像を見ていると、あちこち破壊され瓦礫の散らばる街中でも、現時点で戦闘が中断している地域なら、一般市民がそぞろ歩き、市場なども開いている。子共達も、身なりや体格は貧相ながら、ちゃんと笑顔で駆け回っている。
 たとえ平和なんぞ吹っ飛んでいても、状況に根ざした情愛さえ残っていれば、人は笑えるのだ。

 で、そのまま柴又の帝釈天に、初詣。
 晴れ着姿のお嬢様方など拝めるかと思ったら、土地柄なのか時間帯のためか、押し合いへし合いする群衆の中に、和服姿は皆無であった。いや、ちらほらと混じってはいたのだが、いずれも年輩の、華道や茶道やお琴の師匠、そんな風情の方々。
 でもまあ、貧相な狸と大差ない身なりの老若男女と押しくらまんじゅうしながら、寅さんでおなじみの参道を流れるのも、それなりに平和でいい。
 群衆の中に、二重まぶたのぱっちりお目々がまるで西洋人形のような推定JSと、一重まぶたの切れ長お目々がまるで日本人形のような推定JCの、奇跡的な推定姉妹コンビを見つけ、思わず後を追ったりもする。えーと、見るだけよ見るだけ。触りません。両親もセットで歩いてるし。
 なんでこんな土俗的顔貌の両親から、こんな対照的な美ロリが生まれるのか――よく見れば、ジャガイモ顔やおたふく顔だって、いいとこだけ合わせれば、なんとかなりそうな御尊顔なのであった。

          ◇          ◇

 明日も自主アブレだ。雑煮の汁も、おせちも残っている。いざ生きめやも。
 こんな狸穴を覗きこんでいるおめでたい皆様も、お願いですから、狸より長く生きてくださいね。