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04月30日 日  連休

 ちょっと世間様とずれて、今日明日が連休になった。
 とにかく生活圏を離れた場所を徘徊したく、本日は、以前も何度か訪ねた佐倉に進軍。京成線の快速だと、狸穴の最寄り駅から約40分、あくまで東京のベッドタウン的な立ち位置ながら、古い街並みや畑や田圃や丘陵や、どでかい沼まで揃っている、ありがたい土地である。
 思えば何年か前に初めて訪れたときは、もっと遠くに行こうとしていたのに、思ったより早く窓外の景色が田園風になったので発作的に下車したら、そこが佐倉だったわけである。
 いい町です。カムロちゃんもいるし。

 晴天の爽風に吹かれながら印旛沼方向をめざすと、駅周辺の住宅地をまだ抜けないうちに、ちょっと面白い人とすれ違った。ヒジャブ姿のムスリムの女性が自撮り棒を掲げながら、ひとりでお散歩していたのである。
 故国の家族に、自分の近況を伝えるためだろうか。それともユーチューバーか。
 ともあれ、これからも妙な視線やヘイトに晒されることなく、この国のお散歩を楽しんでいただけますように。

 やがて田圃の畦道を歩いていると、こんどはモグラのミイラが転がっていた。
 幼少の頃、小学校の裏が田圃や畑だった頃も、何度かモグラのミイラを見かけたことがある。なんで、そうなっちゃうんでしょうねえ。
 ただひたすら暗い土中を掘り進み大量のミミズを喰らうだけの人生に、いやモグラ生にふと疑問を感じ、思わず陽の光を求めて這いだしたものの、思ったより明るすぎて目が眩み、そのまんま気を失って熱中症でお陀仏――そんなドラマが展開したのだろうか。
 まあ、ほんとのところは、ちょっとうっかりしただけなのだろう。ちょっとうっかりしただけで、あんがいすぐに干からびてしまうものなのだ、モグラも人も。

          ◇          ◇

 猫耳物件の第三話、いつのまにやら、いつもの更新ぶんくらい打ち溜まっていた。塵も積もれば猫になる。しかしストーリーは、予定の半分も進んでいない。
 とりあえず第三話は、前後編に分けて更新しようと思います。なにせ脱力系の物件なので、100枚イッキは無謀な気がするし。


04月26日 水  引き籠もる

 などといいつつ、物理的に狸穴に引き籠もっていたのでは狸穴自体を失いかねず、しまいにゃ餓死してしまうので、引き籠もっているのは、あくまで精神のみである。

 たとえば近頃、仕事中など、ふと脳裏に『このぶんだと生涯2度と訪ねることがないであろう、かつて住んでいた土地』の光景が、季節季節の風の匂いや、若かった自分の精神状態コミで、鮮烈に蘇ることが多い。山形や宮城や群馬の話だから、今からでも行って行けないことはないのだろうが、ちょいとグーグル・アースなどで現在の様子をおそるおそる窺ってみると、案の定、もうきれいさっぱり街並み自体が変わってしまっているので、やっぱり生涯、2度と訪ねることはないだろう。

 打鍵中の猫耳物件も、1日3行とか3日で1段落とか、そんなペースでしか打つ時間がないので、いまだ文章化できない夢想のみが、脳内に引き籠もっている状態である。
 それでも毎日ちまちまちまちまちまちまちまちま増えるだけは増えているので、まあ、そのうち外に飛び出すだろう。

          ◇          ◇

 で、突然話はコロリと変わり、ザ・リリーズの往年のアルバムが、なんじゃやら続々とCD化されている。1枚目と2枚目は数年前に紙ジャケで復刻され、ウン十年前のLPレコードをまんまミニチュア化したような趣だったが、こないだ出た3枚目と近々発売予定の4枚目は、残念ながら普通のプラスチック・ケース仕様である。それでもやっぱりありがたい。
 いかに昭和レトロ流行りとはいえ、そして現在も熱烈なファンが残っているとはいえ、オムニバス盤やベスト盤のみならず当時のアルバムがまんまCDで聴けるようになるとは、当の熱烈なリリーズ・ファンである狸にしてからが、実は思ってもいなかった。だからYOUTUBEに、その3枚目と4枚目あたりの自前デジタル化物件を、多数投下していたのである。その中の3枚目のぶんはこないだ削除し、4枚目のぶんも、CDが発売されたら削除する予定である。
 ちなみにザ・リリーズのおふたりは、50代なかばに達しても、ちゃんとかわいい。昔のイメージをまんま残している昭和のアイドルとして、まだまだがんばってほしいものである。


04月20日 木  雑想

 ようやく今月分の家賃を振り込んだ。本来なら先月末に振り込まねばならなかったぶんだし、このままズルズルと後出しを続けるわけにもいかないので、けして喜んでいるバヤイではないのだが、まあ、とりあえず精神的にはかなり楽になった。

          ◇          ◇

 で、去年あたりからジワジワと感じていたわけだが、いわゆる最低賃金に毛が生えたか生えないかの労働現場、とくに接客業のように一般世間の目には触れにくい単純作業系の現場で、とにかく外国人労働者の方々が増えている。無論、狸は首都近郊の現場にしか出没しないから、全国的にどうであるかは知らないが、日本人半分外人さん半分、そんな現場も首都圏では少なくない。ニュース等で、いわゆる先進国における移民問題が取り上げられると、我が国は移民に厳しいとかなんとか必ずのように喧伝されるが、確かに『移民』は少ないにせよ、『外国人労働者』という点では、とっくの昔に、それらの方々抜きにして日本の生産現場や流通現場は成立しないレベルに達していると断言できる。
 まあ欧米のあっちこっちで移民排斥運動などが激化するのは、単に労働力だけの問題でもなかろうが、それらの地のニュースで「移民が我々の職場を奪った!」などと声高に主張する失業者らしいおっさんを見ていると、「そうか? じゃあ移民追い出したら、おっさん、その現場で、移民とおんなし最低時給で汗水たらす気はあんの?」などとツッコミたくなってしまうのは、疲れた狸の厭味だろうか。
 どのみち昔も今も、奴隷以外の市民がより豊かになるためには、常に奴隷が必要なのである。その奴隷が国内にいるか海外にいるか、自分であるか他人であるか、その程度の違いしかない。
 ちなみに我が日本の貧乏人仲間は、それら外国人労働者の方々と、たいがいの現場で、実に和気藹々と働いている。そりゃお互い、国や言葉は違っても、おんなし低賃金仲間だものね。外国人労働者の方々も、「タヌキサン、カエリノパス、ナンプン?」などと、気軽に話しかけてくる。送迎バスのことを言っているのだが、英語圏でない国の方々は、「バス」と発音せず「パス」になる場合が多いようだ。

          ◇          ◇

 で、そんだけ外国の方々が増えてくると、作業上のニアミスなども増えてくるわけだが――近頃、狸は、黒人女性の体臭が、なんじゃやらむやみに好ましくてしかたがない。お化粧の匂いとかではなく、彼女らに共通する一種の強い香り、あれがとっても蠱惑的に思えるのだ。インド系の女性も、色が濃いほど、同じような芳香を感じる。
 あえて人種差別の誹りを恐れずに言ってしまえば――いわゆる白人も、黄色人種のあまり黒っぽくない系の人も、肌自体の匂いは、あそこまで芳しくない。

 ……すみません。いつまでたっても煩悩まみれの老狸です。


04月15日 土  爺いの休息

 久々に自主アブレ。
 午後遅くまで、ひたすら寝続ける。
 この歳になると、どんなに疲れていても速やかに入眠できず、処方してもらっている睡眠導入剤を飲んでも、2時間もたてばいったん目覚めてしまう。
 しかし、目覚ましが鳴る心配もなく、何べんでも寝直せるのは、とてつもなくシヤワセなことである。

          ◇          ◇

 ふだんは有料のスターチャンネルで、お試し無料の『シェーン』を放送してくれた。
 なんじゃやら権利上のゴタゴタで、日本では上映用プリント起こしの安DVDしか出ていなかった傑作西部劇の、待望のデジタル・リマスター放送である。
 ……よろしゅうございました。
「シェーン! カムバーック!」のラストなど、涙で画面が霞むほどであった。
 狸が生まれる前のハリウッド名画は、いかにも地に足が付いたテンポの作劇を崩さないので、ジワジワジワジワと盛り上がり、そのぶんラストで、どーんと万感が胸に迫る。近頃主流の息つく暇もない作劇だと、2時間えんえんと万感を強制され続けるようなもので、しまいにゃ万感を吐き戻しそうになってしまう。

『シェーン』と並んで狸の大好きな古い西部劇に『帰らざる河』がある。
 他人を殺した人間は死ぬまで自虐の軛を逃れられないという『シェーン』のテーマと、守るべきものを守るためには子供だって他人を殺さねばならないこともあるという『帰らざる河』のテーマ、そんな真逆のテーマの、どちらをも美しく叙情的な西部劇に結実させてしまえるのは、監督やライターが、仮想ではなく現実に立脚していたからこそだろう。
 綺麗事だけで麦は育たないが、綺麗事を閑却しては、麦を育てる暇がない。

          ◇          ◇

 打鍵中の猫耳物件、ちまちまちまちまと増えてはいるのだが、ヒトカタマリとして更新できるのは、とうぶん先になりそうである。
 それでもちまちまちまちまとでんぐりがえり続けている。
 人ならぬ狸の習性は、たぶん死ぬまで変わらない。 


04月13日 木  雑想

 こしばらくアブレていない。てゆーか、家賃の催促が入ってしまい、日銭を稼ぎ続けるしかない。
 しかし最底辺労働者のこと、食費光熱費その他もろもろを勘定すると、一度滞ってしまった家賃を捻出するのは不可能に近く思われ、とうとう友人のI氏に義援金を募ってしまった。おかげさまで、来週には払込みできそうな勘定である。

 持つべきものは、情篤き友人である。持つべきでないものは、恥を忘れた貧しい友狸である。

          ◇          ◇

 ああ、遠くに行きたい。

     

 ……その前に、道端で札束でも拾わないと不可能ですが。 


04月06日 木  雑想

 実は本日をもって、ついに狸は還暦を迎えてしまったのである。名実ともに初老に達してしまったのである。
 狸が子供の頃だと、一般的な職場は55歳が定年であった。まあいったんは再就職するとしても、そのうち還暦なんぞ迎えた日にゃ、あとは孫のお守りや犬の散歩くらいしか用事がないのが普通だった。しかし現代は、総理大臣自ら「死ぬまで牛馬の如く働けこの奴隷ども!」と公言してはばからない時代なので、狸も死ぬまで日雇いに出ねばならない。
 まあ、いいんですけどね。
 狸が子供の頃だと、40歳過ぎたら何事にも不惑であるのが大人の本分だったのに、今どきは40過ぎのガキんちょが、なんぼでも巷をうろついている。かく言う狸自身、死ぬまで惑い続けそうなあんばいだ。

          ◇          ◇

 アブレたので徘徊に出た。
 打鍵中の猫耳物件のカラミで、本日は平井駅から荒川や中川、綾瀬川あたりをうろついた。
 今月の家賃も滞っているのに何を呑気な、と呆れるむきもあろうが、幸いにして、まだ催促の連絡は入らない。敷金だって2ヶ月ぶんは納めてあるのだから、まあ、今すぐ追い出されることもないだろう。
 平井駅までの電車賃も、けして無料ではない。しかし、福沢諭吉翁には疎遠でも樋口一葉おねいさんや野口博士なら毎日挨拶できる――それが日雇いの日常である。Suicaだって500円からチャージできる。

          ◇          ◇

 扁桃腺や中耳は落ち着いたが、鼻水ぐじゅぐじゅを主とする気道全体の不快が続き、軽い風邪なのか花粉症なのか判然としない。
 子供の頃から中年時代まで、アレルギーには縁のなかった狸も、体力の衰えた近年、花粉症らしいぐじゅぐじゅに見舞われがちである。
 で、ここで、ウソのようだがホントの話。
 本日の往路、平井駅の券売機前で、プランルカストの錠剤を拾った。狸自身は服用したことがないが、まさに花粉症や気管支喘息などアレルギー性疾患に処方される薬である。それが2個、プッチン式の包装で繋がっている。駅員や交番に届けるほどの落とし物ではない気がしたし、父親が薬科大出の医務役人だったせいかクスリならなんでも欲しがる狸なので、つい狸穴に持ち帰ってしまった。今ネットで調べてみたら、112.5ミリグラムの錠剤ふたつ、ちょうど成人の一回分である。
 飲んでみようか飲むまいか――。
 まさかネコババ狸を薬殺するための偽物とか――。
 ああ、悩ましい。


04月01日 土  狸はすでに死んでいる

 と、自ら力いっぱい真摯に主張しても、誰ひとり信じてはくれないだろう。ことほどさように、狸は世間様から信用されていない。
 ともあれ扁桃腺も内耳も落ち着いたので、明日から日雇いに戻ります。
 今月の家賃は、無事に滞りました。これが嘘ならいいのだが、真実なのだから困ったものである。
 そのうちなんとかなるかならないか、続きはまたのお楽しみ。

          ◇          ◇

 しかし、長年デブだった狸が、うっかりダイエットなんぞするものではない。今年の極端な三寒四温が、直接、骨身に応えてくる。とくに皮下脂肪の落ちた上半身、肋骨まわりの筋肉や内臓がキビしい。布団にくるまっていようがダウンジャケットを着ていようが、外気の寒暖がストレートに伝わってくるのである。
 ああ、冬でも半裸で立ち回れた数年前の自分が恋しい。といって、一度脱ぎ捨てた肉布団を、今さら被りなおすのも恐い。太ろうが痩せようが、年齢に合わせて上がる一方の本態性高血圧はともかく、血糖値のほうは、明らかにダイエットによって下がったからだ。でも、ぶっちゃけ血糖値が下がると、やっぱり寒気がストレートに骨身に応えるのよなあ。
 いっそ、昔みたいに毎日丼飯かっくらっていたほうが、健やかに生き、健やかに死ねそうな気がする。
 などと言いつつ、本日、半月ぶりに外食を奢った吉野家で、特盛りも大盛りも頼まず、アタマの大盛りに留めてしまう、小心な狸なのであった。
 いや、必ずしも心が小さくなったわけではなかろう。胃袋が縮んでしまっただけである。
 お願いですからそーゆーことにしといてください。