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05月29日 月  変な夢を見た

 自主じゃないアブレ日。

 実にまあ久しぶりに、空を飛ぶ夢を見た。
 昔はたびたび青空を自由に飛び回る夢を見、それこそ地上での助走から滑空に移るタイミング、空中での方向転換、しまいにゃホバリングのコツまで体得していた。いやもちろん、夢の中限定の体技ですけどね。
 しかしここ数年は、ほとんど飛ぶ夢を見られなく、あるいは見たとしても記憶に残らなくなっており、そのコツを夢の中でも忘れてしまったのか、今朝方の夢は自力の飛行ではなく、布団に乗っての飛行であった。つまり、現実の自分が寝ているヨレヨレの煎餅布団が、アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯のように機能するのである。
 それはそれでとても面白かったのだが、空飛ぶ布団に乗って飛ぶのはこの歳になっても初めての体験であり、なかなかコツがつかめず、そのうち山間の湖に落下しそうになったときは、かなり焦った。狸は水に浮くが、非力なのでほとんど前進できない。湖の真ん中に落ちてしまうと、浮いたまんまで餓死してしまう恐れがあるのである。
 幸いなんとか湖岸近くに着水し、岸辺の道に這い上がってみたら、そこは群馬の榛名湖で、太川陽介さんと蛭子能収さんと狸の知らない女性タレントさんが徒歩で旅をしており、近くにバスの停留所がないか訊かれたので、なんぼか土地鑑のある狸が、そこまで案内することになった。
 談笑しながら案内している途中で、残念ながら目が覚めてしまったのだが、覚めるのが惜しいような楽しい夢もまた、実に久々であった。

          ◇          ◇

 食いつなぐ以外に回せる金がマジに一銭もない。月末の払いを済ませると(いや実は家賃がひと月ぶんズレたまんまなのだが)残った全財産は2千円弱、次の振込予定は6月1日である。それとて某所の日雇い3日ぶんに過ぎない。
 悲しいほどに晴れ上がった青空の下、ヤケになって地元を徘徊。

 狸穴から4キロほど離れた国分川沿いに、調節池緑地とかいう一帯がある。たぶん大雨の時など水浸しにして、人家や農地への氾濫を防ぐための場所なのだろうが、以前訪ねたときは、グランドや公園に整備されている部分以外にも、広大な湿地状の草っ原が広がっていた。
 あの草っ原をながめてウスラボケっとしたのち、公園のほうで文庫本でも読もう――そう決めてテクテク市街地を抜け、真間川から分岐する国分川沿いをたどってゆくと――おお、何ヶ月か前まで手つかずのじめじめした草っ原だった部分にも、しっかりお散歩コースができている。しかしコースを離れれば多くは湿地、水の残った部分にはアメリカザリガニなども棲息しており、ママさんグループに連れてこられた坊ちゃん嬢ちゃんたちが、わいわいとザリガニ採りに興じている。
 そういえば、途上にあった小学校の校庭にひとりも子供を見かけなかったが、今日はなんらかの理由で休校だったのだろうか。
 ともあれ、極貧ヨレヨレの老狸でも、やや勝ち組っぽい方々が愉しむ様を、とくに警戒もされず心置きなく瞥見できるのは、ありがたいことである。

 しかし金があるのだなあ市川市。あんな草っ原に散策路を通しちゃうんだもんなあ。
 ま、いいか。狸だってちょっとは払っている税金が、坊ちゃん嬢ちゃんの笑顔に繋がるなら文句はない。

          ◇          ◇

 猫耳物件が、いちおう話の区切りまで打ち溜まったので、今夜中に更新しようと思う。
 ひたすら個人的な趣味嗜好を垂れ流すアルツっぽい物件、いよいよ先が長くなりそうだ。


05月26日 金  膝でつっらついて、目で知らせ

 江戸川乱歩の『押絵と旅する男』は、狸が中学時代からたびたび読み返している幻想小説のひとつなのであるが、作中で語られる覗きからくりの歌の一節は、小説ゆえにメロディーが聞こえず、過去に様々な役者さんや声優さんが朗読してくれた音源でも、《丁度吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかっている絵が出て居りました。忘れもしません。からくり屋の夫婦者は、しわがれ声を合せて、鞭で拍子を取りながら、『膝でつっらついて、目で知らせ』と申す文句を歌っている所でした。アア、あの『膝でつっらついて、目で知らせ』という変な節廻しが、耳についている様でございます》のくだりの《『膝でつっらついて、目で知らせ』という変な節廻し》を、具体的にどんな節回しであるかは再現してくれなかった。
 やがて平成6年、川島透監督が映画化してくれたとき、山崎ハコさんらの歌声で、その《変な節回し》がどんな節回しであるか、ようやく得心できたのだが、あくまで原作に則したほんの一部の再現であり、覗きからくりにおける『八百屋お七』の全容が知れたわけではなかった。

     

 で、ありがたいことに、上に埋めこませていただいた動画の5分めあたりから、覗きからくりにおける『八百屋お七』の実演が収録されており、あくまでダイジェストながら、なんとか全体の感じがつかめる。 
 さらに探してみたら、こんな動画も見つかり、こちらはほぼ全編を演じてくれるのだが――。

     

 ……演者によって、節回しもテンポも、まったくちがうではないか。
 そりゃ大道芸だから人によって様々なのは仕方ないのだが、はたしてどっちが、乱歩の歩いた大正の浅草に近いのか――。
 狸としては、昭和の浅草芸人にして大道芸再現の名手・坂野比呂志さんが関わった団体の芸であるという点で、前者がそれらしく思われる。
 山崎ハコさんの節回しも前者に似ているから、そっちも坂野さんが監修したのかもしれない。


05月21日 日  雑想

 昨日は、ちょっと面白い現場に出た。
 まったく初めてのロジに「よろしくお願いしまーす」とか言って這いこんだら、「おや田貫(仮名)さん、お久しぶりですね」などと、日雇い仲間ではなく事務所の社員の人たちに挨拶されてしまった。確かに知った顔ばかりなのである。俺のアルツもついにここまで昂じたか、と一瞬離脱しかけたが、聞けばなんのことはない、一年前あたりまでしょっちゅうお世話になっていた運送会社が、まるまる別の企業の傘下に入り、社名も建物もまるっきり変わったのに、ほとんどの社員は、まんま移っていたのである。所長などのお偉いさんは総チェンジしたらしいが、現場のオペレーションは、ほぼ変わっていない。
 日雇いの狸としては、初めてなのに慣れた現場でありがたかったわけだが、正社員の方々は、いっときかなり混乱していたらしい。そりゃそうだ。昨日まで○○運送の正社員だったのが、ある日突然(いやそれなりのインターバルはあったのだろうが)、まったく別の会社の正社員に、自動的に転職(?)してしまったわけである。社会的なナンタラカンタラだけが激変し、日々の仕事の流れは変わらない。
 でもまあ、世の中、そんなものかもしれない。
 大統領がどうの首相がどうのと騒いでも、下々の生活意識は、そうそう変わらないですもんね。
 革命やクーデターで国家自体が変わっても、大半の国民は、毎日毎日ちまちまちまちまと、稼ぎ続けるしかないのである。

          ◇          ◇

 本日はアブレ日。
 梅雨もまだなのに夏のような陽射しの下、例によって江戸川の土手を徘徊する。たまに、でんぐりがえったりもする。人間用の階段が設けられていない急斜面を、つい人間形態のまま下ろうとして、実際にでんぐりがえってしまったのである。
 そのうちアルツが昂じたら、狸形態のまま市中のスーパーで買い物したりでんぐりがえったりして、捕獲されるのかもしれない。

 図書館で、ロバート・F・ヤングの短編集『時をとめた少女』(2017・早川文庫)を借りる。とりあえず巻頭の『わが愛はひとつ』を読んで泣く。かの伝説的傑作短編『たんぽぽ娘』に似た趣向で、ノスタルジックなSFっぽいアマアマのファンタジーと言ってしまえばそれまでだが、とにかく泣けるのだからしかたがない。
 半世紀以上も昔の作品群が紙媒体の新アンソロジーとして編まれるこの国の出版文化に、狸はまだまだ敬意を表する。


05月16日 火  時代

 おお、ついにYOUTBEから、アカウント削除をくらってしまった。
 まあ全面的にこっちに非があるとはいえ、古レコードや古映画の大半は、新しいフォーマットで再発売されない限り埋もれてゆく一方なわけだから、やっぱりちょっと悔しい気もする。
 しかしまた、自分の過去などいっさい忘れ去られたいという著作権者の方々だって、いらっしゃるかもしれないわけで、やっぱり今後は、自分のでんぐりがえりしか、ネットに放流しないことにしようと思う。
 まあ放流といっても、あまりに偏ったでんぐりがえりのせいか、ほとんど見物してくれる方がいなくなってしまったが――。
 
 ……ま、いいか。
 好き勝手にでんぐりがえられるのも、生きているうちだけだしな。

          ◇          ◇

 地元の古本屋の百均棚で、昭和41年(1966)のアサヒカメラを3冊見つけ、思わず購ってしまった。
 リアルタイムでアサヒカメラを買い始めたのは中学に入ってからだから、今回入手したのは、その何年も前の物件だが、当時は今ほど光学機器の商品サイクルも世間の情報サイクルも短くなかったので、記載されている内容は、今の狸にもほとんど理解できる。当然ながら、すべてが銀塩フィルム時代の記事である。
 いわゆるクラシック・カメラに関しては、今現在も根強いおたくの方々がネットで盛んに活動されているが、昭和41年のカメラ雑誌の片隅に載っているような、弱小メーカーの妙ちくりんなアナログ写真用品の広告を見て、それがいったいいかなる用途の小物であるか理解、いや実感できるのは、やっぱり還暦過ぎの方々だけと思われる。

 ちなみに無免許の狸も、マニュアル車なら、今でも動かす自信はある。
 しかしオートマ車となると、動かそうとしたとたんに、間違いなく2〜3人は跳ね殺してしまうだろうなあ。


05月10日 水  雑想

 アブレたので、例によって昼過ぎから徘徊に出たが、傘をさすほどではない濡れるか濡れないか程度の小雨が降り止まず、脳味噌がシケってカビそうな気がしたので、電車に乗って東京駅におもむき、改札内を徘徊する。

 近頃の東京駅は、いわゆる駅ナカの繁盛がハンパではないから、各種の出店の土産物や駅弁や総菜類をながめるだけで、改札を出なくとも2〜3時間は退屈しないで徘徊できる。おまけに、ふだん狸が利用するスーパー等とは違って、1000円以上の価格設定の弁当がザラであり、総菜も一個何百円のシューマイとか、味を想像するだけでシヤワセな物件がゴロゴロしている。たとえば深川飯っぽいアサリ弁当ひとつとっても、アサリの量が常軌を逸している。スーパーのアサリご飯の、推定20倍は具が盛ってある。
 無論、今の狸に、そんな大それたシロモノを購うのは不可能なのである。経済大国の表玄関に山積みされている王侯貴族の宴のような商品群をじっくりとながめながら、それらを思うさま消費する自分のシヤワセな幻影を、脳裏に浮かべるばかりだ。虚しくなんてないやい。今は食えないだけだ。まあ昔だって、そうそう食えなかったけどな。

 ともあれ改札さえ出なければ、徘徊後、狸穴の最寄り駅のひとつ隣で降りて、スイカの料金表示は133円ポッキリである。これは違法行為なのかもしれないが、貧すりゃ鈍すで居直るしかない。

          ◇          ◇

 違法行為といえば、YOUTBEにアップしていたリリーズの歌が、ひとつ削除されてしまった。
 他にも何曲かアップしてあるのに、なぜアルバムに収録されていないそのレアな楽曲だけが削除されたのか。
 あ、そうか。その曲は、某海外アーティストの作曲なのだ。そちら関係から、厳しいチェックが入ったのだろう。
 すみませんすみません、などと今さら頭を下げつつ、3回削除を食らったら出入り禁止になるとYOUTBEからお達しがきたので、そっちの覚悟もしておこうと思う。

 しかし根性ババ色の狸としては、著作権者の方々のお気持ちやフトコロ具合は重々お察ししつつ、日の当たらない佳作が、凡作愚作の底にガンガン埋もれていくのを見ていると、「……なんのためのネット?」、そんな気がしてしまうのも確かである。


05月05日 金  面白そうに泳いでる

 端午の節句なので自主アブレ。
『子供の日なので』と記してしまうと、「この世のどこに60過ぎた子供がおんねん」とツッコまれそうな気がするので、あえて『端午の節句』を採用してみた。「どのみち男の子のお祝いやないか」とツッコまれそうな気もするが、平城京や平安京の頃までは、別に性別や年齢にこだわらない『菖蒲の節句』だったらしいので、半白髪の古狸が浮かれても問題はないわけである。

 で、例によって江戸川の土手に這い上がり、上流の河川敷にある小岩菖蒲園をめざす。
 この時期は、まだ花菖蒲など見られないが、葉っぱだけなら、あたり一面しこたま生えている。勝手に引き抜いて、持って帰って、菖蒲湯に使えばいいのである。
 ……すみません。ウソです。抜いてはいけません。
 ともあれ、菖蒲の香りと他の花々を、親子連れやアベックに混ざって、しばし楽しむ。
 ひとりサミしく徘徊する爺い仲間なども多数見られるかと思ったが、なぜか高齢者たちも、ほとんどつがいで行動している。この国は、まだまだ孤独死候補高齢者が足りないのではないか。狸だけ一匹で、サミしいではないか。まあ、能天気な狸とは違って、どこか日の当たらないところに引き籠もっているだけかもしれませんけどね。

 ともあれ今年も、青空を泳ぎまくる立派な鯉のぼり一家を見たし、柏餅も食った。
 もう思い残すことは何もない。
 死のう。
 ……でもちょっと考えると、アルツ気味の脳味噌の奥から際限なくなんぼでも思い残すことが湧いて出てくるので、まあ、全部忘れるまでは、成り行きに任せようと思う。

 ところで、小岩菖蒲園で泳いでいた鯉のぼり一家は、三男三女の大家族であった。大きな真鯉のお父さん、過労死しないでくださいね。奥さんと子供だけ遊ばしといて、自分は寝ててもいいのよ。


05月01日 月  まだじゃない

 タマ 「やっほー! 続きが出たよー!」
 A子ちゃん(仮名) 「ついに私の実名報道が!」

          ◇          ◇

 と、ゆーわけで、結局、独立した第三話として構成しました。