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06月29日 木  高齢化問題(猫の)

 去年の今頃、果たして夏を越せるか心配なほど衰えていたブチ老僕は、今年も夏を越せるか心配なほど痩せ細り、目脂や涎を垂れ流していたのだが、先週あたりから徐々に小綺麗に復活し、食欲も戻ってきたようだ。これなら、また夏を越せそうな気がする。このまま全人類よりも長く生き続けてほしいものである。

 相方のミケ女王様も、実はブチ老僕より少々若いだけの中期高齢猫なのだが、こちらはあいかわらずの健啖っぷりで、近頃は狸と同伴帰穴してナマモノを要求するのみならず、狸が寝る前に風呂に入っていると、しばしば窓の外からにゃあにゃあにゃあにゃあと喧しく追加を要求してくる。風呂場の水音から『現在この部屋にあの従順な狸がいる』とは判断できるが、『狸はひとり暮らしなので入浴が終わらないかぎりなんぼ鳴き続けてもドアは開かない』ことまでは理解できないらしい。そのうち諦めて別の餌場(ミケ女王様は押しが強いのでブチ老僕よりも縄張り内に餌場が多い)に向かうこともあるし、狸が風呂から上がるまで根気よく鳴き続けることもある。
 後の場合、狸は猫に逆らえないイキモノなので、再度ナマモノを貢ぐことになるわけだが――もしかしたら、ミケ女王様も加齢によるボケが始まっており、ほんの2〜3時間前に狸穴で軽食を済ませたという事実そのものを忘れてしまい、ただ闇雲に再要求しているだけなのではないか。

 痩せ細るブチ老僕の横で、際限なくメタボ化してゆくミケ老女王――そんな事態に陥らないよう、この夏は祈るばかりである。


06月24日 土  日本いろいろ

 こんな暗い穴を覗き続けている奇特な方ならご存じだろうが、狸は基本、愛国者である。自称、心情右翼である。
 そのわりに朝日新聞を購読していたり、ここ数年、しばしば選挙で共産党に投票したりしてしまうのは、まさにその『心情』の部分で、昨今の右翼にも左翼にも共感できなくなっているからだ。
 おいおい共産党こそコテコテの左巻きだろう、などとおっしゃる方がいらっしゃいましたら、トンデモ8分歩いて10分。今世紀に入ってからのあそこは、もう完全な夢の世界に旅立っている。朝日新聞だって、はっきりと『広義のファンタジー』を扱う売文業者である。両者、すでに現実などという味気ない世界がこれからどうなろうと、知ったことではないのだ。美しい夢に殉じれば本望なのだ。

 ……なんの話をしようとしたんだっけ。
 そうそう。狸は愛国者である、そんな話だった。
 したがってクール・ジャパン系のネタも、ニホンステキデスセカイイチデス系の外人さんネタも、三丁目の夕日も大好きなのだが――先日ちょいと仕事先の若い衆と話していて、気になったことを、ひとつ。
 その若い衆も、非正規労働者として日々を食いつなぐ、明日をも知れぬ身分でありながら――いや、そんな身分であればこそ、古き良きニッポンの美徳、そんな概念にかなり憧憬を抱いている。だからこそ、半白髪の老狸などとも、ある程度、話が合うわけである。しかし彼の憧憬は、当然ながら、自分が知っている範囲内でのクール・ジャパンや三丁目の夕日に対する愛着であり、必ずしも正しい歴史認識に基づいてはいない。

 ……なんか話が杓子定規な親爺っぽくなってきたな。
 いやね、別に大した話じゃないんですよ。ただ、昨日の昼休み、狸が幼い頃の田舎の話をしたら、若い衆がなかなか本気にしてくれないので困ってしまった――それだけの話なんですけどね。
 で、それはどんな話であるのか。
 狸が小学校に上がる前、つまり夕日の三丁目ではとっくの昔に東京タワーができあがり、さあ次のオリンピックは東京だ高速道路ガンガン造るぞ夢の超特急走らせるぞと、夢と希望に燃えまくっていた頃にも、山形の山村あたりでは、まだ生活の大半を、籾殻の上に筵を敷いただけの土間で過ごす農家が残っていた――まあ、ただそれだけの事実である。つまり、家の中で畳が敷いてあるのは、ちっぽけな客間だけで、あとは飯食うのも寝るのも全部、筵敷きの土間。ぶっちゃけ、ほとんど時代劇の農家。
 ちなみに狸自身の家は城下町にあり、おまけに県庁所在地の駅裏だったから、戦後復興期のちっぽけな木造家屋とはいえ、室内はほとんど畳敷きで、廊下も台所も、ちゃんと板敷きだった。

 ……大した話じゃないけれど、まあ現実なんて、いつの時代も、そんなもんなのである。


06月20日 火  雑想

 『仮装集団』読了。
 たいへん面白かったわけであるが、読み始めに思った映像化されない理由はほんの一面にすぎず、話中で主人公が企画し実現する国際的音楽ネタがとにかく大掛かりすぎて映像化できなかった、そんな要因のほうが大きい気もする。役者や舞台は整えられても、国際的に有名なモノホンのオーケストラや音楽家を出さないかぎり、主人公自身のスタイリッシュな生き方を表現できない。

          ◇          ◇

 ガラリと話が変わって、こんどは『りぼんの付録 全部カタログ 〜少女漫画誌60年の歴史〜』などというスグレ物を借りてきた。
 ただし『カタログ』と自称するにはちょっと問題があり、まことに残念ながら、付録そのもののカラー写真などはほとんどない。それでも、あの半世紀を超えて存続する少女漫画誌が、発刊以来どんな謳い文句の付録をつけてきたのかもれなく知ることのできる、資料としてはとんでもねーレベルの書物である。
 時代時代の人気漫画家先生たちによるエッセイ的な記事も面白いが、狸としては、『カラーシリーズ』と銘打たれていた毎月の別冊付録漫画を、ちっこい表紙の写真だけでも全作通して眺められるのが嬉しい。とくに昭和40年代前半の作品は、ほぼ全作、表紙のみならず中身にも記憶がある。つまり、姉が小学校中学年から高学年時代、毎月購読していたのを、狸もせっせと愉しんでいたのである。
 もちろん、その頃は自分でも少年漫画誌を購読していたわけだが、そっちの記憶はきわめて断片的にしかないのに、あの『カラーシリーズ』だけは、なんじゃやら狸の魂に、ことごとくぐりぐりと擦りこまれた感じなのである。
 もしかしたら狸はロリコンというより、単にあの頃のロリになりたかった――いや今でもなりたい爺いにすぎないのかもしれない。
 社会全体が性的マイノリティに寛容になりつつある(まあ例外は多々あるが)現在、半白髪の老狸がお下げを結って赤いランドセルしょって吊りスカート姿で巷を徘徊しても、あんがい許されるのではないか。実在のロリには触りません。ただいっしょに歩くだけ。
 ……でもやっぱり、鉄砲で撃たれそうな気もする。


06月14日 水  雑想

 まあ自分や他人や全人類や全生物や全無機物よりもド偉い唯一無二の造物主が存在すると信じたい気持ちは、リア充だろうが悲惨者だろうが、あくまで神ならぬ人間として生まれ人間として死なねばならぬ以上、重々解る気もするのだが――なんでその造物主が男尊女卑とか異端者は皆殺しOKとか言い出すのか、そこんとこが、休みの日には檀那寺に行って老住職と茶飲み話をしていたような父親に育てられた狸としては、もーきれいさっぱり理解できないわけである。
 でもまあ自分に理解できないからと言って徒に他人を指弾していると永遠に六道輪廻から解脱できないわけで、つまるところ、やっぱり狸としては殺すより殺されるほうがなんぼかマシなのではないか、女性に手を上げるよりは尻に敷かれるほうがなんぼかキショクいいのではないか、そんな気がする今日この頃なのである。
 いやアッチのほうの神様をある種の解釈で信じると、実在のロリを好き勝手にナニしたりアレしたりしてもいいらしいぞ――そんな鬼畜的な本音を漏らす輩も巷には多いようだが、その点に関しては永遠に六道輪廻を繰り返す覚悟で、徹底的に侮蔑し否定し唾を吐きかけるにやぶさかではない。
 なんにせよ、今生においては自爆テロに遭遇して木っ端微塵になろうが核ミサイルに当たって蒸発しようが、来世でも実在のロリをウスラボケっと眺める愉しみだけは確保するため、視覚器官を備えたイキモノに転生したいものである。いや、バクテリアやサナダムシとかでもいいんですけどね。運が良ければ、実在のロリの体内に棲息できるかもしれないし。

          ◇          ◇

 図書館で借りた山崎豊子先生の『仮装集団』を読んでいる。『白い巨塔』と『続・白い巨塔』の、ちょうど間あたりに執筆された作品で、今まではタイトルすら知らずにいたのだが、猫耳物件の前回更新分に対する天野様のご感想の中でその存在を知り、読んでみたくなったわけである。
 今のところ百ページほどしか読み進めていないが、これはなんといいますか……題材からしてヤバすぎましたね。こんな話なのである。当然、その頃からほとんどの作品が映像化されていた山崎印の社会派作品中、これはドラマ化も映画化もされなかった。なんでだかこの国では、右巻きの方々を扱う有名小説は批判系でも同調系でもドラマや映画になりがちだが、左巻きの方々を皮肉る系の小説だけは、ほとんど映像化されないのである。
 当時の頑なでアヤしげな体制を『仮装集団』で皮肉られたすべての左巻き団体や国家は、今となっては「いやイデオロギーとかなんとか言ってもやっぱりカネと権力だよね世の中」とバレきってしまっているので、これからも映像化されることは絶対にないだろう。
 ある意味『三丁目の夕日』のように、懐かしささえ覚えてしまう時代感なのであった。


06月09日 金  待て、そして希望せよ

 筋金入りのロリおた爺いである狸が言ってもまるっきり説得力がないとは自覚しつつ、人気も実力もあったらしい30代の男優さんが17歳の少女に手を出して(しかも両方酔っていたらしい)人生を棒に振ったニュースなど目にすると、つくづくアホやなあ、と呆れてしまうわけである。あれだけ速やかに事務所がすべての弁護を放棄したところを見ると、当人も相手が未成年であることを知りつつ酒を飲ませ、押し倒してしまったのだろう。コテコテのロリおた爺いである狸が言ってもまるっきり説得力がないとはしつこく自覚しつつ、やっぱりアホである。今どき未成年とにゃんにゃんしたのがバレても人生を棒に振らずに済むのは、未成年同士の合意にゃんにゃんだけだ。

 などと言いつつ、狸が現在打鍵中の猫耳物件では、30過ぎの主人公が12歳の少女に慕われたり、12歳くらいの女児にしか見えない猫又(実は推定400歳以上)と同居したりしているわけだが、なにせ作者である狸自身が18歳未満の少女に触ったことがないので、その主人公にだけいい目を見せてやるような心づもりは毛頭ない。まあ精神的に慕われた時点で、すでにクソクソコノヤロ今すぐ爆発しろ状態なのだから、肉体的には、さんざんな目に合わせてやるしかないのである。

 それにつけても「ああ100年前に生まれときゃよかった。金さえあれば、今なら女子中学生ほどにしか育っていない芸妓さんの水揚げとか、なんぼでも合法的にできたのだ」などと不毛な思いにかられてしまうわけだが、どうで賤しい狸の身、100年前に生まれたとて金になんぞ縁があるはずはないわけで、やっぱりその男優さんには、木っ端微塵に爆発していただきたい今日この頃。

           ◇          ◇

 などと言いつつ、本日、古本屋で『小学生朝日新聞別冊 読みものとまん画』(昭和30年10月)などという物件に遭遇し、200円といういつもの倍の予算を投じ、思わずGETしてしまった狸なのであった。だってコラムのテーマが『豆スター・わたしは小学生』と来た日にゃ、ほっとけないでしょう。
 鰐淵晴子ちゃんや松島トモ子ちゃんや小鳩くるみちゃんはもとより、なんと、あの上田ミユキちゃんが、そのコラムの看板を張っている。そう、後の上田みゆきさん――アニメ版『ベルばら』でマリー・アントワネットを演じた、声優界の大御所である。さらに懐かしきTVアニメ勃興期の『エイトマン』では、ヒロインのサチ子さん声。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズでも、いろいろ演っておられた。ちなみに旦那さんは、あのささきいさお氏である。
 あの人も子役時代は、すっげー可憐ロリだったんですねえ。
 もっとも狸のリアルタイム記憶では、一回り以上も年上の、すでにおねいさんでしたけど。


06月03日 土  休日

 ゴールデンバットも高くなったなあ、おまけにますます味が落ちてきたなあ――。
 いっそ禁煙すればいいじゃん、それでなくともビンボなんだから――とツッコむ向きもあろうが、本日の出費バット290円古本100円計390円――その線だけは、休日予算として自分に許してしまう狸なのである。生活保護状態になろうがホームレス化しようが、その線だけは死守したいところである。

          ◇          ◇

 本日の獲物、『四季のさかな』(金田尚志・著、石崎書店、昭和31年)。
 食味系の随筆集っぽい書名であり、装丁もそれらしいのだが、目次の中に『アルギン酸ソーダ』などという一項があるのを見、興味を覚えてパラ見したところ――これは面白い。著者が水産庁の研究者(当時)だけあって、テーマが鮎でも鰻でも鱸でも、いかにも風物詩っぽい随筆として始まりながら、いつのまにやら科学的な話になってしまう。土用丑の日の、古き良き風物詩を読んでいるつもりでいると、いつのまにか、天然鰻と養殖鰻の味の違いは油の沃素価にある、そんな話になってしまうのである。
 今ネットで調べてみたら、著者は東北大学名誉教授まで勤められた食品学の大家であり、11年ほど前に84歳で亡くなるまで、学術的な講義書から一般向けの実用書まで、多数の著作を残されているのであった。

 ああ、紙の本は、やっぱり、いい。
 黴の臭いのするちっぽけな古本屋も、いい。
 それらが無ければ、狸は、こうした面白本がこの世にあったことを、知らずに死んでいたはずである。


06月01日 木  まだ

 タマ 「やっほー! まーだだよー!」
 暎子ちゃん 「でも、あっちのお話のほうは、ちゃんと進んでますよ」