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12月31日 日  寝大晦日

 予想どおり大睡眠に成功する。といっても合計9時間程度、その間に尿意や水分補給で3回は起きだしている。
 思い起こせば30代の頃には、病気でもないのに夜半過ぎから翌日の朝まで、つまり30時間近くを布団の中で過ごし、その間やっぱり3回くらいしか起き出さなかった記憶がある。若かったのですねえ。
 ともあれ、昨日は雲ひとつない日差しの下を、久しぶりに旧中川から荒川下流にかけて思うさま徘徊した。白鷺といっしょに(まあ十数メートルは離れていたが)ウスラボケっと川面を眺めたりもした。今日は曇天かつ寒冷ながら、ちょいと遠方のショッピングセンターに足を伸ばして、チョンガー用のちまちまお節も年越し蕎麦も、明日の餅も調達できた。元気なロリもたっぷり観賞できた。
 思い残すことは、もう何もない。
 死のう。
 ……まあ、そのうち心臓が止まったらな。

          ◇          ◇

 などといいつつ、今年は自分へのクリスマス・プレゼントをすっかり忘れていたのに気づき、本日は自分へのお歳暮やお年玉を兼ね、清水の舞台から大陸間弾道弾を発射し国家を破綻させるイキオイで、『六神丸』などという漢方薬を買ってきた。60粒で2400円プラス消費税と、たいそう高価な漢方である。有名な『救心』の元ネタとなった処方で、『救心』よりもかなり安価でありながら、ちゃんとモノホンのガマの油、もといセンソなんぞも含まれている。いわゆる強心剤ですね。
 なんら余生に希望のない疲弊した老狸でも、心のほうでは「そこそこ楽しめ」と言っている気がするので、あんまり心臓がバクバクしたら、ちまちまと嘗めて楽しむ予定。ぶっちゃけ『救心』は、高価すぎて手が出ないものね。

          ◇          ◇

 明日の予報は、おおむね晴天のようだ。
 柴又の帝釈天めざして江戸川の土手を歩くか、それとも佐倉あたりまで足を伸ばすか――それは目覚めた時刻しだい。

 それでは、全人類の中から選び抜かれた推定4〜5名の奇特な皆さん、どうか良いお年をお迎え下さいね。


12月29日 金  寝正月への助走

 本当は明日から正月三箇日まで休むつもりだったのだが、先様の都合で1日ずれこみ、今日から2日までの5連休となる。
 さっそく寝たいだけ寝倒そうと思いつつ、疲労が蓄積されているので長時間昏々と眠り続ける体力がなく、午前中には目覚めてしまう。
 たぶん大晦日あたりには、大睡眠(?)が可能になると思われる。
 ともあれ、なんとか今年も最後まで生き延びそうだ。

          ◇          ◇

 今週は連日のように仕事場の休憩室から富士山が拝め、それだけで、なにがなしおめでたい気がする年末であった。
 あまつさえ、今日は近所のスーパーに向かう途上でも、富士山の上半分ほどが拝めた。狸穴とスーパーの間で、ここ何年も外環の工事が続いており、その工事現場を抜ける迷路のような小道がしょっちゅう様変わりしていたのだが、いつのまにやら、どーんと仮設の歩道橋ができあがっていたのである。本来はゴミゴミした住宅街ゆえ、富士山など隣駅か江戸川まで出ないと拝めなかったところに、住宅もビルも取っ払った長大な工事現場が生じ、今度はそこを上から跨ぐ建造物ができたのだから、晴れさえすれば富士もスカイツリーも、上半分くらいは拝めてしまうのである。
 しかし後期高齢者の方々などは、スーパーに出るだけでもエラい苦労をしているようだ。最終的にはエレベーター付きの歩道橋が出来るらしいが、それは何年か先のことである。まあ、お上のほうに苦情を入れても「お年寄りの方々は自分の足で歩いたほうが健康にいいですよ」とか言うかもしれないが、それなら車でかっ飛ばすドライバーのほうがよほど運動不足に陥りがちなわけで、ならばいっそ自分の車のほうを人力エレベーターでわっせわっせと担ぎ上げたり担ぎ下ろしたり――まてよ、それだと、そもそも外環などいらないな、うん。

          ◇          ◇

 シチューに味をしめ、今度は大鍋いっぱいの芋煮を作る。汁を多めにしたから、蕎麦を入れれば大晦日の年越し蕎麦に、餅を入れれば元日の雑煮にも転用できる勘定である。
 近所のスーパーでは、チョンガー用のちまちまお節セットが見当たらなかった。何千円もするセットしかない。
 おらたち百姓は死ぬしかねえだか。大晦日までに品揃えしなさい。でないとサムライ雇って襲撃するぞ。


12月24日 日  もういくつ寝ると寝正月

 ダイエーに買い物に出たら立派な『ロブスター・テルミドール』がどーんと並んでおり、大いに気をそそられたが、ダイエーの総菜としては破格の2980円、高級系スーパーよりはやや安価なものの、そのままで手を出せる価格ではない。処分特価になるのを待つ時間的余裕もない。何よりダイエーの総菜であるかぎり、味そのものにハレの昂揚を期待しがたい。去年も見かけた880円の小者で妥協する気にもなれない。
 とゆーわけで、今年もロブスターは断念。まあいいや。シチューはまだ大鍋にごっそり残っている。サンタさんが美味しい『栗スマ酢』を届けてくれる可能性もある。嘘ですけど。

          ◇          ◇

 録画しておいた『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を観る。
 佳作ではあったが、やはり不完全燃焼感が残った。
 なんといいますか、狸はやっぱり本家ジョージ・ルーカスの、垢抜けない(褒めてます)演出、不器用かつ実直な作劇(すごく褒めてます)、そのぶん奥深い神話っぽさが恋しいわけで、ルーカス節が満載だった『エピソード3/シスの復讐』、あれでシリーズはきっちり連環を成していると思ってしまう。
 公開中の新作『最後のジェダイ』も、ロハ、あるいは100円レンタルを待つことになるのだろう。ルークの行く末に、重々興味はあるんですけどね。でもやっぱり、ルーカスのルークと同じ人物の老後とは思いがたい。

 現在公開中の『DESTINY 鎌倉ものがたり』、原作漫画の大ファンゆえ映画化が発表されてからずっと期待していたのだが、監督・脚本が『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴さんなので、一抹の不安はあった。そして予告編を見る限り、その不安がモロに的中しているようだ。原作の優れた部分をきっちり再現しているように見えて、実は原作とは百万光年も離れた根のない浮草になっている、みたいな。これもロハ、あるいは100円レンタルを待つことになりそうだ。

          ◇          ◇

 まあ、自分の夢を他力で実現してもらえる映画が、そうバンバン出現したらかえっておかしい。
 体力的な衰えから、今回の年末年始は5連休を画策しているので、目覚まし不要の冬休み、寝床で思うさま自分の夢に淫したいと思う。
 ……老後の不安をしこたま反映した悪夢だったりしてな。
 でもまあ、それもまた自分のリアルから生まれた夢、根のない浮草ではないはずだ。


12月23日 土  もういくつ寝るとクリスマス

 クリスマス? 何それ、おいしいの?

 ……などというベタな韜晦は、今年は控えよう。
 無論、狸もクリスマスは知っている。あれは、とてもおいしいのである。トッピングされている栗が甘く、そしてベースの『スマ』も日本の『すあま』に似てほのかに甘く、そこに加えられたビネガーの酸味が、えもいわれぬ隠し味となっている。
 ああ、懐かしの『栗スマ酢』。狸は幼稚園がカトリック系だったので、歳末に一度おやつの時間に配られる栗スマ酢を、北国に初雪が舞う十二月初旬から、わくわくと心待ちにしていたものだ。
 東京のスーパーあたりでは、なぜか鶏のモモ焼きや丸焼きが並んでいるばかりで、一度も栗スマ酢を見かけたことがない。この国もすっかり食生活が欧米化したといわれる昨今だが、やはり根本的には神道と仏教が慣習の根にある社会、本場物の『栗スマ酢』は大衆に受け入れられないのであろう。

 とゆーよーな狸のでんぐりがえりは、ちょっとこっちに置いといて――。
 本日自主アブレ日、実にまあ久しぶりに自力でビーフシチューを作った。
 市販のシチューの素で安輸入肉や野菜を煮こんだだけだから、自炊と言うのもおこがましい次第ではあるが、鍋いっぱいのシチューが千円を切る予算で孤独死候補者のおだいどこに出現したのである。現在、狸穴には冷凍庫が存在しないので、今夜もクリスマス・イブもクリスマス当日も、へたすりゃその次の夜も、当然のことながら晩餐はシチューに決定である。
 ともあれ、クリスマスはやっぱりおいしいのであった。めでたしめでたし。

 ところで、駅ビルのちょっと高級系スーパーに、例年見かけるロブスター・テルミドールが今年は見当たらない。
 まあ売れ残って処分特価になった年にのみ購う超贅沢品だから、食えない年も多いわけだが、なければないで無性にサミしいものである。


12月17日 日  脳味噌のシワのばし

 NHKのEテレで録画した『NHK古典芸能鑑賞会』を、おこたみかんでウスラボケっと楽しむ。能の舞囃子に琉球舞踊に文楽に長唄、そして歌舞伎と、錚々たる演目。古典芸能というやつはえてしてテンポが遅く、とくに能などは動いている時間よりも静止している時間のほうが遙かに長い気がする。しかしその静止しているという動作そのものに多大な情念が含まれているわけで、それらのズブドロを焦らず騒がずおこたみかんを友にゆるゆると感受していると、師走のドタバタでくちゃくちゃと皺びた脳味噌が、いい意味でつるんとしてくる。しかし観ている側の狸はゆるゆるとユルんでいればいいが、やってる側としては、ある情念をこめた不自然なフリーズ状態のほうが自然に動き回っているよりよほど緊張を強いられるわけで、たいへんな肉体労働であるに違いない。
 何週分か溜まっていたチバテレビの『浅草お茶の間寄席』も、ぼちぼちと視聴。マジな寄席中継は観客と演者が間近に向かい合うから、同じ落語家の同じ演目が、たとえばNHKの『日本の話芸』で観た大ホール録画よりも、フラが多くて面白かったりする。
 きっちりかっきりの伝統的芸能も、その場その場で柔軟に(あるいはいいかげんに)変化する大衆芸能も、狸にとっての脳味噌マッサージ効果は、結果的にはとても似ている。音楽だって、クラシックもポップスもロックも、人心のバイブレーションに大差はない。


12月16日 土  アルツな日々

 まあ仕事中に新しい情報をちっとも覚えられず情けない思いをするのは、単に歳のせい歳のせいと自分に言い聞かせ「てへ」などと笑ってごまかしながら生きるしかないのだが、本日、かかりつけの医者に処方してもらった薬をマツキヨの調剤コーナーで受けとった際、ふと待ち合い所のソファーに置いた食料の買い物袋をそれっきり失念して帰途につき、帰穴後しばらくしてから「あれ? 今日買った豆腐やキャベツはどこに行った?」などと穴中を探し回ることしばし、ようやくマツキヨの奥に置いてきてしまったことを思い出してあわてて取りに戻ったりしていると、さすがに脳細胞自体が腐り始めているのではないかとかなり不安になったりもするわけであるが、でもまあ無事に買い物袋は回収できたわけだし、どこに忘れてきたのかしっかり思い出せるだけでも亡母のアルツの初期症状よりはまだマシな気もするし、なにより師走に入ってから仕事先の流通現場も連日てんてこまいで日々の疲れが蓄積していることだし、これはけして脳細胞が腐り始めているせいではないと自分に言い聞かせ続ける今日この頃の狸なのであった、まる、と。

          ◇          ◇

 今週も土日は自主アブレ。歳のせいで体力が続きません。
 正社員だったバブルの頃はいちんち12時間拘束で月に2回しか休まない時期もあったんだがなあ、などと言い出すと、近頃は「だからそーゆー社畜オヤジの自慢話が現在の日本の労働現場に過労死だの鬱病による自殺だの弊害をもたらしてんだよ」などとお若い方々から糾弾されそうだが、その頃だって、ヒラの方々やパートの方々を時間どおりに帰すために名ばかり店長として一身に残業や休日出勤を引き受けていたわけであり、そのわりにゃ毎日時間どおりに帰っているヒラのサブたちがクモ膜下出血でぶっ倒れたり過労による帯状疱疹で長期入院したりもし、なぜか五体満足な狸の休みがまた減ったりして、まあもとがヒトではなく狸であるがゆえの動物的なシブトさ、そこにすべての個狸的問題があったような気もする今日この頃の狸なのであった、まる、と。

          ◇          ◇

 ケーブルで録画しておいた実写版『妖怪人間ベム』の映画版(狩山俊輔監督・2012)を観たら、どうやらベム・ベラ・ベロの御一行様は「早く人間になりたい!」というアニメ版の願望を振り切ってしまって、あくまで妖怪人間として、報われない正義の道を貫く覚悟を決めたようだ。
 うん、哀しいけれど、それでいいんだと思う。
 狸だって、正義の道がどうのこうの以前に、人間よりは妖怪に化けてみたいと切実に思う今日この頃なのであった、まる、と。


12月10日 日  我が赴くはアホの大地

 と、ゆーわけで、猫耳物件の第五話前編、先ほど更新いたしました。
 ……ますますもってアホな話になっております。ユルみの極北みたいな気もします。
 でもまあ、もともと脳味噌をユルませるための夢想ながら、人前に晒すにおいては、それなりにシメたりしているつもりなんですが……。

          ◇          ◇

 ところで、ケーブルで録画しておいた映画『GONIN サーガ』(石井隆監督・平成27年)、20年前に夢中になった『GONIN』の直接の続編になっており、やっぱり夢中でイッキ観したのだが、ネット上では、あまりかんばしくないレビューが多いようだ。
 なんでかな。昔に変わらぬ石井髏゚のねっとりした節回しが、今の若い衆にはピンとこないのかな。
 惨たらしいバイオレンス映画にこそ、ねっとりした節回しがないと、たけし監督の『アウトレイジ』のように、狂犬の噛み合いにしかならないような気がする。まあそれはそれで血しぶき系のカタルシスはあるわけだが、狸としては、やっぱりズブドロの情動が発酵したような血しぶきに染まりたい。


12月09日 土  心を閉じて

 などとタイトルを打ってみると、なんだか自閉的で鬱々とした話が始まりそうな感じもするが、あにはからんや、せいぜい月に3〜4回しかスポット派遣を採らないくせに、そっちがこっちの顔を覚えたからといってレギュラーや正社員とおんなじような完璧な仕事を要求し凄んでみせても、こちとらちっとも恐くないかんね。ヘラヘラ笑って頭を下げて、まあ時給相応の労働を時間いっぱい提供するだけだかんね――とまあ、そんなヤケッパチな話になってしまうのである。
 だって、ねえ。
 豚だっておだてりゃちゃんと木に登るのに、「しょーがねーな、頭の悪い豚どもは」みたいな扱いされたら、登れそうな木にだって誰も登らんわな。失業保険も労災も無縁の豚たちだもの。

         ◇          ◇

 とゆーよーな、ネットにありがちなネガティブな話はちょっとこっちに置いといて、今日明日は、めでたくアブレである。
 午後遅くまで寝たおして久々に江戸川の土手に這い上がると、真冬ゆえ、あっという間にお天道様が傾き始め、赤い夕空に映えるスカイツリーや富士山のシルエットを眺めていると、また来週も頑張って働こう――などという気持ちにはもーまったくならないが、まあ、ウスラボケっと生き続けるための縁《よすが》にはなる。

 帰穴して湯豆腐を食いながら、録画しておいた映画『我が輩は猫である』(市川崑監督・昭和50年)を観賞。
 高校時代にリアルタイムで観たときには、まったくピンとこなかった映画だが、今観れば、淡々としているようで実は数秒の無駄もない、諦観とユーモアと安らぎの佳作であった。猫たちも、実にいい感じで演技(?)している。唯一ちょっと残念だったのは、日本家屋の映像に、翌年の『犬神家の一族』のような深味が足りなかったことだが、予算の桁の違いを思えば、そう贅沢は言えない。

          ◇          ◇

 猫耳物件、やや停滞中。純粋に体力的な停滞である。でも今夜あたりは、元気に遊べそうな気がする。


12月03日 日  小康

 ようやく新しい降圧剤が体に馴染んできたようだ。今月に入ってから、最高血圧が140〜150くらいに治まっている。心臓バクバクの頻度や度合いも、明らかに減ってきた。血糖値のほうは血を抜いてもらわないと判らないが、まあ、あれはまったく自覚症状に関係ないからな。
 ところで、狸の父親世代が目安にしていた正常血圧の上限、ちょっと前のここで『年齢プラス100』などと記したが、『年齢プラス90』の記憶違いであった。つまり現在の狸の最高血圧150、ぴったしかんかん。あの頃なら、胸を張って「まだまだ正常血圧!」と言えたわけだが……まあ父親が高血圧でポックリ逝っている以上(正確には解離性大動脈瘤だが)、薬は続けようと思う。

          ◇          ◇

 図書館で、『小泉八雲《ラフカディオ・ヘルン》』(田部骼氈E著、昭和55年、北星堂書店)を借りてくる。東京帝大で直接八雲に学んだ方だから、当然好意的な視点の評伝なのだが、狸もまた小学校以来の八雲ファンなので、異議無し。
 今まで狸が読んだ新書版や文庫版の八雲研究書とは違い、とにかく生誕から死亡までが大量の資料をもとに根掘り葉掘り細々細々、ちっこい活字の二段組で、薄からぬハードカバーにみっちり詰まっている。こうした書物は、とにかく活字がみっちり詰まっているほど良い。感性以上に、情報量が値打ちなのだ。
 小泉八雲というと、一般世間では、日本が大好きな外人で繊細な人格者、そんなイメージが強いと思うが、アイルランドでの少年期や、アメリカに渡ってあちこち流れた青年期は、かなり世間に対してトンガっていた方である。日本に住みついてからも、ごくたまに怒るときは、瞬間湯沸かし器なみだったらしい。松江の中学校で、小猫をいじめた生徒たちに激昂した話も有名だ。
 この書物には、アメリカ時代、やっぱり小猫を虐待したおっさんに、問答無用で発砲したなどという物騒な話もある。なにがあったのか道端でやたら不機嫌な顔をしていたおっさんが、足元を通りかかった小猫をふんづかまえ、いきなり目をつぶして放り投げ、ああすっきりした、みたいな顔をしたのだそうだ。ヘルン(正確にはハーン)は止めようとしたが、間に合わなかった。ヘルン自身、少年期の事故で片目を失っているから、なおのこと怒りは大きかっただろう。昔のアメリカゆえ、大の男はたいがい拳銃を携帯しており、思わずヘルンはそのおっさんめがけ、ぶっ放してしまったわけである。もっともヘルンは、残った片目も酷使による強度の近眼だったので、残念ながら的には当たらなかった。
 根本的正邪に関する議論中、「道徳というものは境遇や場所によって違うから、一概に悪い正しいと言える行為はない」と主張する知人に、ヘルンは考えこんでから、穏やかに言ったそうである。
「どんな境遇でも、何がどうあっても、悪いことがただひとつある。自分の快楽のために弱者をいじめることだ」
 ……こーゆー詩人が、狸は好きだ。まして、小猫が大好きな詩人ならモア・ベター。

          ◇          ◇

 自前の猫耳物件、数えてみたら原稿用紙換算で、こないだより数十枚ほど増えている。
 例によって話は中途半端だが、例によって『前編』として、近々更新したいと思う。
 それにしても、こっちの猫娘は、他者をいじめてばかりいる。強い者いじめだから、まあいいか。


12月01日 金  禁酒中雑想

 格好つけてさっさと引退すりゃいいってもんでもないだろう、と思うのだが、まあこれ以上根掘り葉掘り突っつかれない(当人以外の仲間を含めて)ためには、さっさと逃げてしまうのが一番なのも確かで、そこいらも、さすがに横綱級の逃げ足の速さである。
 ところで、今回の角界大騒動の主因となったのが、大量のアルコール摂取であることは間違いない。
 巷では、相変わらず飲酒運転による人殺しなども後を絶たないことだし、そろそろ公共の場での喫煙同様、飲酒も禁止するべきなのではないか。特に怪力無双の大トラ野郎などというシロモノは、副流煙など及びもつかぬ健康被害を周囲に与えがちなので、せめて飲酒の際は、手枷足枷の着用を法的に義務づけるべきだろう。
 ……以上、降圧剤やら糖尿の薬やらとの関係で、医者からアルコールを禁止されている狸の見解でした。

     

 コロリと話は変わって、NHKのBSで毎週放送している『内藤大助の大冒険 大いなる道をゆく』が、とてもいい。あの元ボクサーの内藤さんが、カナダの大自然の中、開拓者や先住民が辿った過酷な荒野や河川や失われた鉄道跡などを、馬やカヤックやマウンテンバイクなどで、どどどどどどどと突き進んでいく番組である。残念ながら、次週で最終回なんですけどね。
 もちろん現地を熟知したネイチャー・ガイドさんを伴っての旅ではあるが、そのガイドさんたちがすでに人間離れした自然派バリバリのプロだから、『バス旅』の蛭子さんとは真逆、ユルんでいたら即死――とは言わないまでも、一般人にはまず踏破困難なロケーションなのである。
 狸は内藤さんが現役ボクサーの頃から大好きだ。あるタイプのアスリートにありがちな知性の欠落、もとい打算の欠落が、この方ほど仏性に直結している人も珍しいと思われる。たぶんこのとんでもねー番組のギャラも、亀田さんちの息子連中や日馬富士が聞いたら「なんだそりゃ」くらいの額で、ホイホイ引き受けてしまったのではないか。
 内藤さんも酒好きらしいが、きっと楽しい酒に違いない。