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01月31日 水  雑想

 まだ筋肉の張りは残っているが、今後とくに痛みのぶり返しがなければ来院は不要――とゆーことで、月をまたがずに通院が終了。
 しかし電気ピリピリしてもらうと、ずいぶん脚が軽くなるし、膝を折りたたんだときの痛みも、しばらくは消えるんだよなあ。
 ちなみに、保険適用外でピリピリやマッサージを受けると、千円以上かかるようだ。あんまり疲れたら、お願いしようと思う。

          ◇          ◇

 故郷の蔵王が噴火レベル2、火口周辺規制とのこと。
 3.11以降、温泉の湯量が減ったり泉質が変わったりして温泉街が苦戦、近年ようやく復活しつつあったのだが、まあ地べたの下で地球自体がやること、人の対処には限度がある。地球さんの御機嫌を窺いながら、右往左往するしかない。昭和15年にも水蒸気爆発があったそうだし、大正時代には『お釜』が文字どおり煮え立ったりしたらしい。気候の変動で、何十年後には名物の樹氷が見られなくなるという話もある。
 しかしまあ、今後どのように変貌しようと蔵王は蔵王、狸にとっては母なる山々の代表である。一般に、海が母性の象徴で山が父性、みたいな分析をされがちだが、盆地育ちの小狸にとっては、あくまで四方の山が母の子宮だった。
 異土で老い衰えつつある今となっては、若き日、無理に峠を越えたりしないで、あのまんま盆地の底で丸くなってりゃ良かった気がする。


01月28日 日  実話怪談

 自主アブレ日。
 例によって明け方まで猫耳物件をいじくって、先週の更新分を直したり追加したり全体をなんかいろいろしたりして遊ぶ。
 現在、こんなグアイになっております。

          ◇          ◇

 久々に新刊書店のサブカルっぽい棚をうろついていたら、いわゆる実話怪談系の文庫が、相変わらず果てしなく刊行され続けているのに感心、いや、ちょっと呆れてしまった。パラ見してみると、気の抜けた一発芸が延々と続くバラエティー番組のようで、みごとに新味もなければコクもない。『シュール感』や『辻褄の合わない怖さ』を主眼とすれば、ショート・ショート未満の一発芸怪談はなんぼでも垂れ流せるわけだが、それらを延々と受け入れる子供や若者を想像すると、幼時から実話系怪談にずっぷしだった狸にしてからが、「……こんなのばっかし読んでると頭が腐るぞ」などと、思わずつぶやいてしまう。
 正直、1990年に木原浩勝氏と中山市朗氏が編んだ『新・耳・袋』(シリーズ化される前のオリジナル)、そして1991年に安藤勲平氏が中心となって編んだ『「超」怖い話 』、あの2冊で、シュールで辻褄の合わない怖さの実話怪談は、ピークを迎えてしまっているのではないか。前書の著者たちはその後も無限に一発芸を繰り出してひと財産築いたようだが、安藤氏は、その一冊のみで怪談界から潔く身を引いたようである。つまり、『実話っぽい怪談』という『一発芸』で食っていく覚悟を決めたのが前者であり、マジに実話であると責任の持てる話のみをひとりの人間がまとめたらせいぜい本1冊にも満たない、そんな、より現実的な怪談道(?)を示してくれたのが安藤氏――狸としては、そう心得ている。
 あ、稲川淳二さんとかは別ですよ。あの方は、初めから『語り部』のスタンスで、虚実にはこだわっていない。

          ◇          ◇

 ここで、ふと中学時代の教室を思い出したりする。
 狸が創元文庫の『世界怪奇小説集』などを読み漁る内、現代教養文庫の『日本怪談集 幽霊篇』(1969、今野圓輔・編)にめぐり逢い、夢中で読んでいた頃の話である。ちなみに後者は、民俗学的な立場から古今の実話怪談(っぽい話)を収集分類し、古典的説話から江戸時代の巷談、近代・現代の週刊誌や新聞記事まで、片っ端から収めている書物である。
 当時は、今のように『学校の怪談』っぽい児童書が図書館に溢れている時代ではない。今ではすっかり再評価されている岡本綺堂や田中貢太郎の書物も、ほとんど公立図書館か古本屋でしか読めない時代である。そこに投入された『日本怪談集 幽霊篇』は、当時、唯一無二の『大人の実話系怪談集』と言えた。まあ、中岡俊哉さんとかの心霊研究本(?)は多々あったが、それは子供にとってもすでにサブカル、本気にするより、見世物小屋を覗くノリで怖がっていたわけである。
 またその当時、教室で大人向けの書物を読んでいる生徒は、あくまで少数派だった。学校の図書室にだって、いわゆる児童書しか並んでいなかった。つまり世界の名作も日本の名作も、児童向けにリライトされているか、原文のままでも大きな活字で難読漢字にはことごとくルビ、大人な言葉(?)には注釈、そんな体裁であった。したがって、それでなくとも漢字だらけでルビもほとんどなく活字のちっこい文庫本など、教室では、小狸(私のことです)を含め、ほんの2〜3人の生徒しか開いていなかった。
 そんなある日の放課後――。
 ある机の上に、狸が読んでいるのと同じ現代教養文庫『日本怪談集 幽霊篇』が置いてあるのを、通りすがりの小狸が見つけたと思って下さい。
 おお、このクラスにも化け狸の仲間が――小狸は驚喜して、その席の主が誰であったか思い出そうとした。しかし、親しい級友の席ではなかったから、すぐには思い出せない。待ってりゃそのうち顔を見せるだろう、そう推測して暇を潰すこと、しばし――。
 意外でしたねえ。
 その文庫の持ち主は、言っちゃあなんだが、クラスの最劣等生の女子トリオ――でっかい活字の国語の教科書すらまともに音読できない、他の生徒からはほとんどシカト状態の三人組だったのである。
 まあ、当時も学校によっては陰湿なイジメがあったらしいが、あくまで長閑なド田舎の我が母校、何かにつけて取っ組み合ったり殴り合ったりする荒っぽい犬猿の仲の男子なんぞは散見されても、陰湿なイジメなどはまず見られなかったわけで、スグレモノはそれなりのソサエティーを形成し、落ちこぼれはそれなりに慰め合える仲間を探し、中間層はなんかいろいろなんとなく気分で群れる――そんな環境であったから、その女子トリオも、成績・容貌ともに最もパッとしないなりに、気ままな放牧生活を送っていた。当然、図書館小僧の小狸とは、ほぼ無縁である。
 で、鼻持ちならない差別意識であるとは承知しつつ――小狸は、驚いてしまったわけである。だってねえ。教科書もまともに読めないはずの三人組が、大人漢字みっしりの現代教養文庫を、嬉々として回し読みしてるんですもん。
 ……さて、ここで何を言いたいのかと申しますと、まあ狸にも明確ではないわけですが、活字の本が売れない売れないとお嘆きの大人の方々、売りたい本を売れそうな文体で売らんが為の読みやすい間延びした活字でせっせと刷ってどーんと書店に平積みしても、読みたくない人は絶対に読まないですよ、と。
 ちなみに、青年時代に帰省したとき、その三人組の女子のひとりは、かわいい赤ん坊を抱いて、みんなに見せびらかしてました。今どきのヤンママ(古いか)じゃないですよ。もう立派な田舎のお母さん。
 そのことと現代教養文庫『日本怪談集 幽霊篇』の間にどんな関連性があるというのか、それもまた狸にも明確ではないわけですが、実話怪談だって、モノによっては学校よりもまともな大人を作れるんじゃないかなあ、とかね。
 ともあれ、頭の腐らない怪談が欲しい、今日この頃の狸です。


01月24日 水  ロリ接近情報

 本日も自主アブレにして接骨院へ。電気ピリピリ&マッサージ&ストレッチ。
 肉離れの部分は、ほぼ治っているらしい。正座やウンコ座りが痛いのは、ぶっちゃけ加齢のためらしい。そういえばこの国に高齢者がどーんと増えてきたあたりから、故郷の菩提寺の法事では、初めから和風の椅子が並べてある。幼時から正座に慣れていた世代でも、今となっては膝を完全に折りたためない方が多いのだ。生まれてからずっと椅子育ちの若者は、なお苦手だろう。
 ともあれ、来週また触診して、たぶん通院は終了。しかし電気ピリピリ&マッサージ&ストレッチ、事後の脚の軽さがハンパではなく、病みつきになりそうだ。今のところ怪我の治療だから国保が適用され数百円で済んでいるが、自発的に通うとしたら、やはり何千円になってしまうのだろうか。

          ◇          ◇

 明るい内に帰穴したら、なんと赤いランドセルに黄色い帽子の女児が、狸穴のある穴居群の門をくぐってゆく。
 この穴居群は長屋同然の2Kばかりだから、学童のいる家族などは入っていない。ほとんど引退後の老夫婦か、孤独死候補の老チョンガーか、未婚の学生や労働者だ。一階にいる若い夫婦と赤ん坊、それが唯一の三人家族のはずである。
 まさかあの赤ん坊が一夜にしてランドセル女児に――んなはずねーだろう、おい。
 ともあれ怪しまれない程度に女児の挙動を見守っていると、女児はまさにその若夫婦の部屋のドアをノックしているのであった。そういえばその部屋には、近所に住んでいるらしい夫婦どちらかの両親が、休日などしょっちゅう訪れ、孫を抱いて散歩したりしている。本日の女児も、たぶん赤ん坊をいじくりまわして遊ぶために訪れた従姉、つまり夫婦どちらかの姪っ子なのであろう。
 そうか。平日、明るい内に門前でウロウロしてれば、下校中に寄り道する赤いランドセルに黄色い帽子の女児と、しばしば接近遭遇できるのかもしんない――。
 思わず毎日ウロウロしたくなる狸であったが、そうすると探食できずに衰弱死する恐れがある。
 餓死を選ぶかロリを選ぶか――。

 ――まあいいや。とりあえず脳内ロリを相手に遊ぶとしましょう。


01月21日 日  雑想

 さて、まあなんとか這い回り続け、なんとか食いつないでいる狸なのであるが――。

          ◇          ◇

 おお、なんとゆーことだ。ヒストリーチャンネルの『日本発見』、全回再放送してくれるんじゃないのか。代表的な都道府県だけなのか。
 ちなみに今週は『東京都』と『神奈川県』であった。次週は『京都府』と『奈良県』である。それ以降の再放送予定は、まだ発表されていない。すると狸は、青森や秋田や岩手の回を未見のまま生を終えてしまうのであろうか。
 でもまあ、多く同じ番組の使い回しで番組編成しているCSのことだから、そのうちなんとかなるだろう。

          ◇          ◇

 図書館で『ゴジラのトランク』を借りてきた。本田猪四郎監督の未亡人・本多きみさんによる回想記である。正確にはきみさんの談話をライターがまとめた内容で、肉声っぽい中にときおり解説的な記録データが入りこみ、一冊の書物としては微妙な仕上がりなのであるが、とにかく奥さんの旦那さんに対する海のような山のような敬愛に溢れた書物で、人が人を信じ、慕い続けることのありがたさが身にしみる。

 猪四郎監督自身のインタビュー集は、昔、実業之日本社から発売されたとたんに注文して読んだ。記憶によればウィンドウズ95が発売されるちょっと前、少部数で高価な新刊書でも片っ端から注文できるほどの収入が、狸にもあった時代である。数年前にポピュラーな新書版となって再刊されたところを見ると、やはり本多監督の名声は、日本映画史上に末長く燦然と輝き続けるのであろう。ハリウッドあたりでも本多監督を尊敬する映画人は、クロサワ信奉者なみに多いと聞く。円谷特技監督がいかに偉大であろうと、本編の本多監督がいらっしゃらなければ、ゴジラがここまで世紀をまたぐ現役大怪獣になることは、絶対になかったと断言できる。
 本多監督が偉大なのは、あれだけ大衆向けのSFや怪獣物を演出しながら、ご当人にいわゆる『おたく』のケが、ほとんどなかったことである。いや、唯一『人を人として自然に描くこと』に対してのみ、底なしの『おたく』であった。だからこそ職業監督としてジャンルを選ばず、恋愛映画も家族映画も歌謡映画も営々とこなせた。ただし正社員監督時代に打診された会社企画でも、人を人として自然に描くことのできない企画は、ちゃんと拒絶している。
 本多監督は三度も招集されて長く兵役を経験しており、その後戦争映画も監督しているが、昭和25年、当時のベストセラー『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』の映画化を会社から依頼されたとき、「この本はおかしい」と拒絶したエピソードは、とくに心に残る。その元本は、コテコテの左巻きの方々が反戦・厭戦を主眼に取捨選択した遺稿集なのである。戦後生まれの浅学な狸が想像したって、実際戦場に赴いて水漬く屍や草生す屍と化した若者たちの中には、死の瞬間に雄々しく「天皇陛下万歳!」と叫んだ者もあれば「おかあさ〜ん!」と泣き叫んだ者もいたはずである。たぶん、その間で揺れ動きながら、声も出せなかった兵士がいちばん多かったのではないかと思われる。揺れ動きっぱなしのまんま生還し、戦後の日本で揺れ動きっぱなしのまんま右往左往した方も多かろう。
 本多監督は自らの戦争体験をほとんど語らなかったそうだが、奥様が聞いたところでは、どうやら一度も上官からぶん殴られたことがなく、自分も部下をぶん殴ったことはなかったそうだ。敗戦後、ずいぶん遅れて(先に帰りたがる人たちを先に帰してやったので)中国大陸から帰還するときには、周囲の中国人から「何も戦争に負けた国に帰ることはない。仕事を世話してやるから俺たちといっしょに暮らせ」と、ずいぶん引き止められたそうである。たとえば南方で苦労した水木しげる先生とは、兵士としての立場も環境も自身の性格もまったく違うが、少なくとも現地の非戦闘員に大いに慕われたという点で、両者、さぞや人間的でブレのない兵隊であったと推察される。無論、敵の兵隊をナニしたことはあったろうが、それは兵隊の仕事なのだから仕方がない。

 まあ、怪獣ゴジラ本人(?)は、その後の時代の流れに応じて、多くの日本人同様にずいぶんブレまくったわけだが、その中の本多監督作品を、よっくとご覧になっていただきたい。ゴジラにつきあう(?)側は、善人であれ悪人であれ宇宙人であれ、みんな呆れるくらいブレがないというか、「なるほど、このキャラがこーゆー目にあったら、こう反応して然るべきだよなあ」、そんな行動を見せるのである。

          ◇          ◇

 さて、自前の猫耳物件、区切りがついたので(いや例によって力いっぱいクリフハンガーなのだが)、ひとまず更新しておこうと思う
 いつもより少々短めの更新ですが、あんまり話が転がりすぎてもなんですし、続きのカタマリとのバランスも考えて、とゆーことで。
 もっともこないだの前編と合わせれば、例によって1話100枚越えてるみたいです。


01月17日 水  ちょいとツッパる

 探食活動を再開しても、右足に再悪化の兆しはない。良かった良かった。ただし前回の通院時から変化がないのも確かで、つまり右足膝裏上下に鈍い突っぱり感が残り、完全に折りたたもうとすると痛い。本日の通院でも「まだ張ってますね」と、実感どおりの診断。電気ピリピリやマッサージをしてもらうと、当座はほぐれる感じなのだが。
 ともあれ悪化はしていないようだし、探食活動に支障がないのも確かで、また来週まで様子見。
「自分でもときどきストレッチして下さいね」、そんなごもっともな院長先生のご意見に従い、ときどきくいくいしてみようと思う。まあ、したいときにできそうな現場であればですけどね。

          ◇          ◇

 自前の猫耳物件、ぼちぼち進んではいるのだが、大筋以外はキャラまかせ、作者自身のアドリブも好き勝手に入れる方向なので、いよいよ話がとっちらかり始めた。でも気にしない。まあ前に進んでいる限りは。いや、後進でも別にかまわないか。遊びをせんとや生まれけむ。
 でもまあ狸のでんぐりがえりである以上、傍目にも「あ、なんか化けてる化けてる」くらいのでんぐりがえりっぷりは、保ちたいものである


01月14日 日  命短し愛せよ狸

 ああ、なんだ、やっぱり。
『日本発見』の沖縄回の正式タイトルは、やっぱり『県』抜きの『沖縄』のみであった。ヒストリー・チャンネルが『沖縄県』と紹介したのは、あくまで現在の状況を考慮してのことだったのだろう。
 ともあれ当時の沖縄界隈、学校では日本本土と同じ教科書が使われ、いちおう日本語が公用語となっており、しかし経済面ではあくまでドルの世界、しかもアメリカの軍事資本投下なしには生活できず、仕事にアブれた若者が日本本土に出稼ぎに行くにも面倒な渡航手続きが必須、インフラ整備に関しては戦前の日本政府がほとんど行わなかったため、たいがい戦後のアメリカによる仕事――そんな状況の中で、本土復帰を訴えるデモを繰り広げ、日本の『沖縄県』に戻ることを希望するが、本土の連中は大半が無関心――。

 琉球諸島の歴史的変遷を思うと、北方産の狸としては、むしろ日本という国の一部の歴史ではなく、あくまで南方にあった琉球国の歴史として、ときに落涙しそうになったりする。ぶっちゃけ現在の東北地方から北もまた、大昔は別の国のつもりでいたのだ。
 現在の頑なな翁長知事の言動も、ネトウヨなどにはボロカスに批判されがちだが、そもそも『愛国』の寄って立つところが違うのであって、近世以降、もののみごとに日本の中央集権に馴致されてしまった北国の狸としては、「やっぱり国際的にはガンコすぎるんだろうなあ」と思いつつも、心の内奥では、こうつぶやいてしまうのである。「ツッパれるだけツッパれ。どうせ国際問題なんて、有象無象の『愛国』のドツキ合いだ」。

          ◇          ◇

 ああ、長くタルんだせいか、狸らしくない不穏な発言をしてしまった。
 明日からは日和見の狸に化け戻ります。
 夢むは愛地球、愛宇宙、そして日々の糧。


01月12日 金  ほぼ復活

 まだ筋肉の張りが残っており、正座やウンコ座りは痛くて不可能なのだが、それ以外は、ほぼ不自由がなくなった。本日は電気ピリピリののち置き鍼を除いてからマッサージ、そしてなんじゃらリハビリ用っぽくなくもない台に乗って脚を伸ばしたり。髭の院長さんも「来週も週中に一度は来院して様子を見せてください」と、どうやら治療もほぼ終了らしいお言葉。
 こちらもそろそろ寝て食える懐具合ではなくなりつつあるので、さっそく派遣会社に予約を入れる。いきなりとたぱた駆け回るのは恐く、楽そうな現場を選ばざるをえず、月曜からの労働再開予定となる。
 いやあ、半月を越える冬休みになってしまった。そのうち1日半は働いたわけだし、2〜3日くらいは休んだという気がしない「あだだだ」状態だったから、実感としては2週間程度の冬休みか。いやあ、タルんだタルんだ。
 こうしてタルみきったまま狸生を終えられればどんなにシヤワセかとも思うが、餓死するのも辛そうなので、やっぱり探食活動は必須である。

          ◇          ◇

 コロリと話は変わって、タルんでいた間、ふだんはほとんど聴かない夜7時台のNHKラジオを聴いたりしたら、なんじゃやら完全に未就学児童向けの番組や小学生向けの番組が定番化しており、夏冬限定の『子供電話相談室』のようなしゃっちょこばった子供の声ではなく、やや緊張はしているものの肉声(?)に近い市井のちみっこたちの声が聴け、これがもうかわゆくてかわゆくて、ときに狸は聴きながら悶絶していた。
 ああ、もしも生まれ変われたら、来世はきっと保育士か小学校教師になろう。そして逮捕されない程度に以下9文字自主規制。


01月10日 水  雑想

 右足はすでに階段の昇降も支障なく、なんじゃやら突っ張った感じが残るだけ。ただし、しゃがむと痛い。つまり、膝を完全には折りたためない。
 本日も通院して、電気仕掛けのピリピリを受ける。
 院長さんによれば、文字どおり「まだ筋肉に張りが残っている」段階らしく、今日は3箇所ほど『置き鍼』を刺された(貼られた?)まんま帰穴。最初に刺されたときだけチクリとしたが、その後は何も感じない。それでも僅かに刺さりっぱなしのまんま、なんじゃやらツボを刺激し続ける仕組みらしい。
 『張り』には『鍼』――親爺ギャグみたいですね。

          ◇          ◇

 録画が溜まっていたヒストリーチャンネルの『日本発見』の九州各県ぶん、ふむふむと視聴。
 以前にも記したように昭和36〜37年、高度経済成長期まっただ中のドキュメント番組をまんま再放送しているので、工業地帯の隆盛に比して農業関係は、あいかわらず戦前を引きずった、発展途上っぽいビンボな描写が多い。その後、畜産などにシフトして現在は成功した地域も、その時点ではヨレヨレの野良着の方々が極貧の中で暗中模索しており、文字どおり発展途上国の生活だったのだ。
 対して軍艦島などは、全国の石炭産業が石油に押されて急激に衰退に向かう中、最後の砦めざして残った需要が集中し、むしろ最盛期を迎えていたようだ。驚異的な人口密度を誇る団地群というか全島団地塊の中、普通なら底辺生活である炭鉱労働者たちが都会同様の団地生活を送っている様は、一種、不思議な並行世界の生活、天野橋立さんが星空文庫で書き継いでいらっしゃる『潮の降る町』の昭和レトロ版を見ているような気分でもあった。なにせ現在のドキュメンタリーのように『遺跡における過去の繁栄』として描かれるのではなく、リアルタイムの最盛期である。
 しかし水俣病などの公害問題、すでに世間では大いに騒がれていたはずだが、肝腎の直接原因や責任の所在が特定される直前の微妙な時期だったためか、きわめてさらりと流されていた。まあ民放の番組である限り、仕方ないことではあろうが。
 それでも10年前の大村収容所事件などは、控えめながら『現在も尾を引く問題』として、ちゃんと言及されている。無論、その時代の朝鮮系の方々は、すでに戦前戦中のような奴隷的扱いは受けていない。しかし差別に近い区別はあったし、感情的には、その逆もあったろう。

 そもそも戦前戦中なんて、現場によっては日本人労働者だって死ぬまで(文字どおり力つきて息絶えるまで)こき使われていたんですもんね。外地で辛酸をなめた慰安婦の方々だって、大多数は本土から連れていかれた女性たちだ。異国人だから奴隷にされたわけではなく、単にビンボだったからである。
 同国人でも外国人でも、自分と自分が好きな人間以外は家畜扱いできるのが、大多数の人間の本質と思って間違いない。その家畜をどこまで家族扱いできるか、その度合いが、いわゆる『民度』なのであろうと狸は思う。

 ところで、次回の放送は、最後の『沖縄県』である。そして最初に戻って『北海道』から、また放送してくれるらしい。北海道から東北の何県かにかけてを録画しそこねた狸としては、ありがたいかぎりである。
 ……あれ?
 ふと気づけば、沖縄って、昭和36〜37年には、まだ本土復帰していないよな。太平洋戦争敗北後のアレコレによって、この番組の10年後くらいまでは事実上アメリカの属国、名ばかりの『琉球政府』だ。その時点では日本の『県』に戻っていない。
 それをあえて『沖縄県』と銘打った番組なら――どんな内容なんだろう、わくわく。


01月08日 月  厄払い鰻

 土曜の通院後も右足の痛みは順調に和らぎ、今は階段を下るとき苦労するのみとなった。
 階段を上るより下るほうが辛いとは意外であったが、考えてみればそもそもの肉離れが極端な加重で引き起こされたのだから、当たり前の話である。
 今日の通院ではアイシングもテーピングも省略、なんじゃやら電気仕掛けの器具を使って使ってピリピリチリチリと刺激、これを何回かやれば、とりあえず痛みはなくなるであろうとのこと。
 思ったより早く復活できそうだ。

          ◇          ◇

 昨日は神奈川の姉の家に行き、預けっぱなしの仏壇を拝んだ。
 談笑中、実は狸は去年が厄年で今年が後厄だったという話になり、そっち方向を何ひとつ気にしていなかった狸は当然一度も厄払いなど行っておらず、そっち方向をけっこう気にする姉や義兄に連れられて、寒川神社へ。
 ありがたいことに長い石段などはない代わり、あちらでは評判の高い神社ゆえ、長大な行列がみっしりと続いていた。まだ正月の日曜なのだから仕方がない。ウスラボケっと立っているだけなら何時間でも平気な狸なので、無事に厄払いを受け、お札その他をもらって帰る。最安価なお祓いでも3000円ほどかかったが、その後、地元では人気の店で三千数百円の鰻重を奢ってもらったので、気分的にも縁起は上々。
 あのあたりの鰻の蒲焼きは、土地柄なのか一般に甘味を控え、しっかり蒸しを入れて油を落とした江戸前が多いようで、すこぶる狸の口に合う。全国チェーンのスーパーでベタベタの甘煮にされる大量の外国産鰻たちも、加工前に1尾残らず保護して、砂糖や味醂の嵐から救ってやりたいものである。それは誘拐でも強奪でもなく、あくまで正義の行為だと思うが、どうか。

 ああ、遠い昔のように、一介の狸でも自力で老舗の江戸前鰻が食えたら――。
 江戸前とはほど遠いが北国の野趣に満ちた『染太』の鰻を、好きなときに新幹線に乗って食いに行けたら――。
 ――などと遠い目をしつつ、落ちぶれた今も、年に何度か奢ってくれる肉親がいる狸は果報者です。


01月06日 土  アイシング、その他

 トロトロの甘いペーストをかけた白っぽいケーキを作り始めたわけではない。患部を氷嚢などで冷やして痛みを弱めたり腫れを引かせたりする、そっち系のアイシングである。
 今日も接骨院に行って、昨日とほぼ同じ処置を受け、たったの660円ポッキリ。どんなに貧乏しても国保だけは加入しとけ、その余裕もないなら迷わず役場の福祉課に泣きを入れろ――狸は、すべての貧民仲間に、そう訴えたい。
 ともあれ、連日のアイシングというきわめて単純な治療が、ここまで痛みや腫れを引かせてくれるとは、狸は60になるまで知らなかった。何年か前、夜に虫歯が割れて神経まで露出してしまった激痛を、単に氷をなめ続けることによって翌日まで耐えたことがあるくらいなのだから、一昨日、職場で肉離れを起こしたときも、休憩室の冷蔵庫の氷をもらって、とりあえず冷やしとけばベターだったのである。
 無論、テーピングや包帯や塗り薬の効果もあるのだろうが、通院2日目にして、階段の昇降以外は、鈍い痛みしかない生活に戻っている。平らな場所ならほぼ支障なく歩け、買い物もできる。もっとも、右足を曲げた状態でうっかり加重すると「ふんぎゃあ!」状態になるので、まだまだ油断はできない。

          ◇          ◇y

 と、ゆーわけで、ぼちぼち猫耳物件などいじくり、広げすぎた風呂敷を臆面もなくさらにおっ広げるべく頭を抱えていたりもするのだが、実は大半の時間、予定外の余暇にフヤけて、正月の録画物件を消化していたりもする。
 で、そっち系の結論としては――NHKとテレビ東京だけ残して、それ以外の民放(CSやケーブルは除く)がことごとく亡びても、狸はまったく痛痒を感じないであろう。それほどまでに、面白い番組がない。過去、寄席やホール落語の放送では本邦の雄であったTBSも、もはやただ中継録画を惰性で垂れ流すだけである。まあ、垂れ流してくれるだけありがたいとも言えるから、TBSも存続を許そう。あ、あと現在の地元のチバテレもOK。なんのコネだか、狸の故郷のPR番組を、たった15分ながら毎週放送してくれるし、浅草からの寄席中継にも、大衆演芸への愛情が感じられる。

 それにしても、巷やネットで「NHKなんていらない」などという声がはびこるのが不思議でならない。事実、昨日の夜の狸などは、ほとんどの正月録画物件を数分で見限って消去したあげく、去年録画して保存しておいた『ブラタモリ』や『世界ネコ歩き』のお気に入り回を、ふむふむうんうんと感心しながら再享受していた。『京都人の密かな愉しみ』シリーズなども、これまで何度か再生し、飽きずに楽しんでいる。今どきどこの世界に、あんな興趣に満ちたオリジナル番組を流してくれる放送局があるか。
 狸はどんなに貧乏しても、可能な限り、NHKの受信料を払い続けるだろう。
 まあ、そのうち橋の下に引っ越したら、払いたくとも払えなくなるだろうが、たぶんテレビもなくなるので無問題。


01月05日 金  こいつぁ春から縁起がよくない

 新年早々縁起が悪い話を聞きたくないという方は――まあ今の日本に生きている限り、すでに縁起が悪い情報に触れてしまった方々が大多数なのではないかと推測するが、ともあれ狸の災難など聞きたくないという方は、このままブラウザを閉じてくださいませ。

          ◇          ◇

 昨日、今年二度目の仕事を始めてほどなく、いきなり右足の裏っかわに激痛が走った。
 あくまで狸が職場の段差の目測を誤ったためであり、さしてハードな現場にいたわけではない。個狸的なミスである。
 当初は大丈夫かと思っていたが、やがて右足を踏み出すたんびに激痛が走るようになってしまい、昼前に早退、右足をなるべく動かさないよう突っ張らかしたまんま、十メートル歩くごとにしばらく休みながら、傷病兵のようにヨタヨタと帰途につく。
 最寄り駅から狸穴までの途上、それ向きの医院や接骨院がないかと探したが、医院や病院は見当たらず、多々あった接骨院は、みんな4日まで正月休みなのであった。
 あーうー、あるいは、うあっつ、などと呻きつつ、手持ちのサポーターと軟膏でごまかして一夜を過ごし、本日、多少は痛みの和らいだ片足をひきずって、駅近くの良さげな接骨院に這いこんだところ、膝の裏側からふくらはぎ上部にかけてのナントカ筋(もう忘れた)が、軽度ながらカントカ損傷(これも忘れた)を負っている、つまり世に言う肉離れであった。最悪全治2〜3週間などと脅かされたが、ぶっちゃけ少なくとも1週間くらいは、通院しつつ安静を保たねばならないらしい。
 優しげな髭面の院長さんに、冷やしたりテーピングしたり薬を塗ったり包帯を巻いてもらったり、妙な歩行で突っ張らかっていた他の太股の筋肉の凝りもマッサージしてもらったり、施療中にどんどん痛みが和らいでいくのは嬉しかったが、出口の会計のほうから「はい○○さん、今日の会計は2万ウン千円です」などという恐ろしい声が聞こえたりして、実は戦々恐々としてもいた。狸の目算では、どんなに高くとも狸の日給程度だろうと思っていたのである。
「お風呂はシャワーだけにしてくださいね。では明日また来てください」
 そんな優しげな声に送られ、ずいぶん楽になった足で会計に向かい、ややキビしそうな女性事務員がなんぼ求めてくるかビクビクしていたところ、
「はい田貫(仮名)さん、今日は初検なので1580円です」
 うおおおお、ラッキー! 今日のアレコレの施術は、ほとんど国保の対象だった。明日からは、さらにお安くなるらしい。「2万ウン千円です」の○○さんは、おそらく保険適用外の最新機器などを利用しているお金持ちなのであろう。

          ◇          ◇

 ともあれ、来週分の日雇いの予約は、すべてキャンセルせざるをえない。
 そのわりに、今回、狸があんがい冷静なのは、昨日の激痛に比べて明らかに痛みが軽減しているのと、昨年の師走、歳末割増し時給でせっせと労働に勤しんだため、接骨院の掛かりを見こんでもしばらくは食いつなげる金が口座に残っているのと、次回分の家賃や光熱費はすでに振り込まれるアテがあるからである。
 無論、その後は、またギリギリの自転車操業に陥ること必定なのであるが――見ろよ青い空、白い雲。そのうちなんとかなるだろう。
 いざとなったら市役所があるさ。
 市役所がダメでも、橋の下があるさ。


01月01日 月  明けました

 昨夜は、紅白も『年忘れにっぽんの歌』もひととおりチェック(一部は録画の早送り)してから、自前の猫耳物件もいじくったりしたので、寝るのが5時過ぎになってしまい、目覚めれば午後1時。遠出は断念して、昨年と同じく江戸川の土手を柴又まで散歩する。
 晴天の土手道では、昨年と同じく親子連れが和気藹々と戯れていた。帝釈天の参道でも、昨年と同じく老若男女がみしみしと押しくらまんじゅうしていた。ロリの含有率は昨年より減っているような気もしたが、まあ国民全体の高齢化を考えれば妥当な線であろう。
 世界情勢のアレコレに関わらず、やはりこの国は平和である。

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 紅白では、お嬢ちゃん方のグループが踊らされすぎてヨレヨレになり、2〜3人はもはや立っていられない状態となったようで、かなり心配した。
 狸の幼時、たとえばグループ・サウンズが全盛の時代から、人気者はぶっ倒れるまで稼がされるのがこの国の芸能界のデフォルトだったとはいえ、今回の事態は、明らかにNHKの制作側の寸足らずが原因である。あんな激しいパフォーマンスを、リハーサルを含めれば同じ日に少なくとも4回やらされたはずで、おまけに本番でトランス状態になり全力を出し切った直後、短時間のイロモノ扱いとはいえ、ほぼ同じ全力疾走を強いられたわけである。中高年なら、そのまんま死んでもおかしくない。幸い、倒れたお嬢ちゃん方は若さの力でじきに復活できたようだが、あの番組進行に疑念を抱かなかった放送作家とディレクターは、懲戒処分を受けてしかるべきである。
 とはいえ、Perfumeの度肝を抜く光学的パフォーマンスに続いてYOSHIKIのドラムが復活したあたりでは、個狸的に魂のわななきを感じたりもしたので、今回の紅白、祭祀としては成功と言っていいだろう。
『年忘れにっぽんの歌』も、前年に出演した後期高齢歌手の方々が今年も皆さんお元気で、すでにイキモノとしての淘汰をくぐり抜けた方々がどこまで歌い続けられるか、狸も生きている限りは見守り続けたい。

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 それでは、全人類の中から選び抜かれた推定4〜5名の奇特な皆さん、今年も狸より先に死んではいけませんよ。