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02月25日 日 続・雑想 |
うわ、朝の7時まで、猫耳と遊びほうけてしまった。
まあ、ほとんどウスラボケっと脳内観光しているだけの回なので、テキスト量はたいして増えていないのだけれど。
◇ ◇
で、午後に起き出してもネットは復活しておらず、コールセンターに電話しようとしてもその電話そのものがネット回線を使っているので繋がらず、スマホから電話しても例によって「電話が集中しており云々」の録音が聞こえるだけで一向に繋がらず、駅近くにあるジェイコムの出店(?)を訪ねる。
日曜なので閉まっていたが、人はいるようなのでノックしてみたところ、親切に対応してくれた。
で、どうやら今回は狸穴内外のケーブルに異常があるっぽい、そんな話になり、夜になってから作業員さんが来訪、あちこちのケーブルを変えたら、無事に繋がった。
狸がケーブルを噛みちぎったわけではないから、こちらで謝る問題ではないのだが、日曜にあっちこっち出張って、狸穴で作業している間にも次の仕事の連絡が入ったりする若い作業員さんを見ていると、思わず備蓄の缶コーヒーを勧めたりしてしまう。しかし、近頃は戸別訪問のマニュアルがキビしいらしく、そうしたもてなしは受けられないとのことであった。作業前にも、ずっと立ち会ってくれとか貴重品から目を離すなとか、会社側の用意したチェックシートを見せられた。
まあ昨今の社会情勢を鑑みれば、赤の他人を家に入れるのに外野からやかましいツッコミが入るのは判るが、こっちはただのお人好し爺い、あっちも話してみれば気のいい好青年、別に缶コーヒーくらいいいじゃん、ねえ。
そこいらのファジー感覚を、ぜひAIを用いるシステムにも、備えてほしいものである。
02月24日 土 雑想 |
ちょっとくたびれたので、二連自主アブレ。
例によって退嬰的図書館狸と化す。
今日は書庫から『戦中戦後紙芝居集成』(1995、アサヒグラフ別冊)などという、でかくてぶ厚いシロモノを、書庫から出してもらって借りてきた。紙芝居作品の実物が、順を追って細かくみっちり詰まっている。
まあ単に郷愁に沈殿したいだけだから、もっと総花的な企画本でも良かったのだが、その手の書籍は、ことごとく貸出中だった。
図書館に群れる高齢者は、みんな幼時帰りしたいのだなあ。
などと言いつつ、その図書館には女児の姿がとても多くて、狸にはそっちも眼福である。ただ、ウン十年前の狸のような図書館小僧が女児に比して甚だ少ないのは、大いにサミしい。
◇ ◇
で、帰穴してパソを立ち上げたところ――おお、パソがネットに繋がらない。
狸穴のモデムはケーブルテレビと同じ回線でジェイコムが仕切っており、ケーブルテレビのほうはメンテナンスの予告があったとき以外はまず途切れないのだが、ネットのほうは、けっこう急に繋がらなくなる。まあたいがい数分以内、長くとも翌日には繋がるので、問い合わせもクレームも入れたことがない。どのみち気の短い方々がせっせとコールセンターに電話をかけまくっているだろうから、それ以上あっちを焦らせても、ろくな事はないのである。
で、ネットに繋がらないと、いつも感心してしまうことが、ひとつ。
とにかくパソの動きが速くなる。
近頃はOSも個々のソフトも常時ネットを介してなんかいろいろ七転八倒しているらしく、とくにOSの自動アップデートなどが陰で重なってしまうと、それはそれは「おいおいお前は動画処理中のウィンドウズ95か」とツッコみたくなるような、半死半生の処理速度になる。テキスト・エディタのATOKまで、なんじゃやらPC8801のワープロソフト、つまり変換するたびに5インチの辞書フロッピーを呼び出してジコジコと変換情報を探し回っていた頃のようなあんばいになってしまう。しかしネットさえ遮断してしまえば、あらゆる処理が瞬時に済んでしまうのである。
近頃はAIが大流行で、どこまで進化するか空恐ろしくなるようなイキオイらしいが、スタンド・アローンでない限りは、いつなんどきウスラバカ化したり死人と同程度の思考速度に落ちてしまうかわからないわけで、まあ当分は遊び程度につきあうのが、生身の人間としては賢明だろう。
◇ ◇
近頃は図書館の、視覚障害者の方々に向けた朗読CDコーナーでも、AIとやらによる自動音声読み上げ物件が増えてきた。
狸も2〜3回借りて試聴したが、正直、妙に流暢に読み上げるぶんだけ、ときおりカマしてくる無神経さが、ひどく耳障りだ。大昔の、いかにも古いSF映画のロボットのような抑揚のない声で、しょっちゅう音訓をまちがえたりしていた自動音声化のほうが、自分でテキストに脳内変換する素材としては、まだマシだった気がする。
無論、目の不自由な方々にとってはありがたい進歩なのだろうけれど、半白髪の古狸としては、YOUTUBEあたりにせっせと音声ファイルを上げてくださるアマチュア朗読家の方々の、けして上手とは言えない読み上げに、やっぱり人情を感じてしまうのである。
で、ネットはまだ繋がらない。
まあスマホでできることだけしといて、あとは猫耳物件でもいじって過ごしましょう。
02月18日 日 昭和は遠くなりにけり |
毎年毎年同じ愚痴をこぼしても仕方がないので、今年の冬はここに記すまいと思っていたのだが――とにかくカユい。
手指のヒビワレは例年と大差ないのだが、カユさのほうは脚の膝下のみならず、今年は腕の関節から先までがカユくて仕方がない。無論、この時期、原因は汗疹でも虱でもダニでもない。皮膚の乾燥のためである。オロナインH軟膏だけでは対処が難しくなり、ちょっと高価な、向き向きのオロナインを奢らざるをえない。
……歳なんですねえ。
いっそ体中からアブラが抜けるのなら諦めもつくのだが、相変わらず顔などはアブラでテラテラと嫌らしく光っているし、頭だって毎日風呂で洗髪しないとベタついて仕方がない。
どないせえっつーねん。
◇ ◇
精神も順調に老化・退嬰化しつつあり、今度は図書館で、昭和30〜40年代のニュース映画を借りてきた。昔の映画館で、二本立てや三本立ての間に公開されていた短篇フィルムを集めたものである。中日ニュースを集めたVHSと、朝日ニュースを集めたDVDがあり、同じ年のニュースでもまったく社風が違うので、なかなか面白い。
おおむねニュース映画という奴は、本編映画を目当てに来場している観客の興を削がないためか、深刻な話題でもあまり暗く編集しない傾向があるのだが、中日のイロモノっぽいノリの風刺に対して、朝日はやっぱりインテリ好みのシニカルなコメントが多い。
しかし、狸もたまに探食活動で訪れる現在の小綺麗な南砂町界隈、あの頃は夢の島から押し寄せる蝿でエラいことになっており、小学生が蠅叩きを持って登校、給食にたかってくる蝿をみんなで叩きまくっていたなどというニュースを見ると、ここ半世紀のこの国の変貌に、改めて唸ってしまう。
今では立派な公園と化している夢の島一帯が、見渡す限りゴミの原っぱだったんだもんなあ。それも蝿が大好きな生ゴミ混じりの。
02月14日 水 血汚冷吐 |
このところ帰りに寄るスーパーの出入り口が例によってチョコまみれになっており、サミしくその横を通り過ぎる狸としては、ふと高橋留美子大先生の『うる星やつら』に出てきた『血汚冷吐』などというギャグを思い出してビターな微笑を浮かべたりするのであったが、ふとネット検索してみれば、おたくの間では殿堂入り級のシャレとなっているようだ。
そりゃそうだ。2月14日にシヤワセな思い出の多いおたくなど、ろくなおたくではない。
しかしここウン十年、義理血汚にさえ縁がない狸としては、血汚冷吐が本当に牛の血を固めて作った恐ろしい食品だとしても、それはそれでなんかとっても精がつきそうだし、腸詰めにしておでんに入れたりしたら、実は美味なのではないかと思えてならない。
義理でもいいから誰かタダでください。
お返しに、ホワイトデーには狸の熱い血を捧げましょう。
02月11日 日 トーホグ・ドリーム |
近所の図書館で年々歳々コーナーが縮小されていくVHSビデオを久々にチェックし、ドキュメンタリー『高橋竹山・その人生 〜音は枯野をかけ廻り〜』(1997・NHKビデオ・キングレコード)を借りてきた。ついでに『自伝 津軽三味線ひとり旅』(1975・新書館)も、書庫から出してもらって借りてきた。
故・高橋竹山氏の津軽三味線は若い頃にずいぶんハマったが、改めて聴いたり見たり読んだりすると、とにかく氏の生きてきた風土や人生の、過酷さと豊穣さが渾然一体となった感があり、その圧倒的な奥深さに慄然とするほどである。この貧しく恵まれなかった天才が、あるひとりの若きレコード・ディレクタ−に着目され世界的な名声を得ていく様には、この国にも確かにジャパニーズ・ドリームは存在するんだよなあ、そんな感涙を禁じ得ない。
検索してみたら、どっちもDVDになったり文庫になったりしている。現在は残念ながら廃盤・絶版状態で中古も値上がりしているようだが、ふつうに入手できる他のDVDやCDは多いし、自伝も気の利いた図書館なら蔵書があるだろう。
これを聴いて心がわななけば、あなたも北の狸の仲間です。
02月08日 木 あのコーヒー |
探食活動の帰途、初めて通る小岩郵便局あたりの道を歩いていたら、ふと、ひとつの格安自販機が目が止まった。ここいらでは最も安価な80円のステッカーに着目したためでもあるが、それ以上に、なんじゃやら見慣れない350ミリリットル缶の商品名に気を引かれたのである。
『アノコーヒー』。
ひと続きでアノコーヒーと読めるのではなく、大きな『コーヒー』のロゴの上に、小さい『アノ』がオマケのように上にくっついているデザインだから、ニュアンスとしては、どう見ても『あのコーヒー』である。
……あのコーヒー……どのコーヒー?
でかい缶なのにちゃんと80円だったので、つい購ってしまった。
いかにもレトロを狙ったコーヒー牛乳っぽい絵柄から、まあ柴又の駄菓子屋で売っているような缶入り復刻ミルクセーキとか、なんかそれっぽい味がするだけなのだろう――そう思ってグビリと一口、狸はしばし足を止め、路上に佇んでしまいました。
……おお、ほんとだ! これは紛れもなく、あのコーヒーだ!!
などと驚愕しつつ、その後とっくりと記憶を探ってみても、それがどのコーヒーだったかは特定できないのである。
ただ、近頃の紙パックのコーヒー牛乳とは、明らかに違う。また銭湯などで今でも扱っている瓶入りコーヒー牛乳、あの瓶だけは懐かしけれど中身はやっぱり平成の味、そんなのとも違う。ぶっちゃけ狸の幼時記憶に刻まれている、昭和30年代後半から40年代前半あたりに故郷の店屋で売っていたコーヒー牛乳そのもの――そうとしか思えない味なのであった。
まあコーヒー牛乳の味なんぞ時代や地域によって様々だろうから、その味が郷愁の美味であるか、それとも田舎っぽい下品な味であるかは評価が分かれそうだが、ともあれ今のところその自販機でしか見かけたことのないレア物件、ここで紹介しておきます。
サンガリアの製品だから、場所によっては、珍しくもなんともないのかもしれません。
ちなみにネット検索したら、別のたぬきさんもブログのネタにしているようですが、当狸穴とは無関係のたぬきさんです。
もしかして実は狸の人が、人に化けた狸向けに商品開発したのかもな。
02月04日 日 鰯の頭は腹の中 |
昨夜は恵方巻も鰯も食った。
もう思い残すことは何もない。死のう。でもまあわざわざ自死するのは面倒くさいから眠っている内に突然死希望――そう思いながら就寝したのだが、今日は普通に目を覚ましてしまったので、例によって江戸川の土手をうろちょろ。
ちなみに恵方巻も鰯の塩焼きも、半額の処分特価であった。
鰯の頭は、飾らずにばりばりと食ってしまった。腹の中からめでたくしようというハラである。
恵方巻に関しては、東北育ちなので近年知ったばかりなのだが、たいがい夜にスーパーに寄ると大量に売れ残っており、いつもは手を出せない海鮮たっぷりの上等な巻き寿司が半額で手に入る。チョンガー向けのハーフだと、300円を切る大盤振る舞いである。つくづくありがたいことである。
一夜明ければ、大量に売れ残った恵方巻が豚の餌になってしまったとのニュース。おお、豚さんも狸と同じように、年に一度の贅沢を享受できたのだ。節分おめでとうございます豚さん。
……と、ここまで打って、幼時から節分にはつきものだった豆まきを、きれいさっぱり失念していたことに気づく。
アルツなんですねえ。
でもまあいいや。どうせ福なんて、ここ三十数年は無縁だった気がするし。鬼のような人間よりは、マジな鬼のほうが解りやすそうだし。
02月01日 木 まだ |
タマ 「やっほー! まーだだよー!」
暎子ちゃん 「まだじゃないよタマ。今日もスタジオでがんばらなきゃ」
マトリョーナ 「ふっふっふ、先進諸国にはびこる偏狭な児●法を、根底から覆すロリ爆弾は私です」
暎子ちゃん 「……でもモノホンのロリは私だけ、みたいな」