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03月31日 土  徘徊or逍遙

 アルツな方々が市中を彷徨う行為を、『徘徊』と呼んではいけなくなるらしい。近頃めっきりアルツ気味の狸には、かえって鬱陶しい言葉狩りの延長に思えてならない。目的があろうとなかろうと、ただほっつき歩くのは『徘徊』でかまわない。
 それより、この地上ですっかり合法差別というか合法ヘイト・スピーチと化しつつある喫煙者徹底攻撃、あれをなんとかしていただきたい。どうしても続けたいと言うのなら、すべての乗用車を排気ゼロの電気自動車に変えてから、改めて攻撃していただきたい。

          ◇          ◇

 などというヒリヒリした話はちょっとこっちに置いといて――。
 くたれびれたので二連自主アブレ。
 明日も休みだと思うと、なんぼか気力が蘇り、真間川沿いの桜並木を徘徊する。いや、この場合は、正確には徘徊でなく『逍遙』あたりか。
 ともあれ、満開の先週あたりに花見するよりは、散り始めた本日のほうが正解であった。川面の一部がすっかり薄桃色の流れになっていたりして、ちょっと風が吹くとあたりが桜吹雪状態になったりもして、えらく夢幻的。
 ただし、ふだんは行き交う人もまばらな川沿いの道が人でいっぱい、いつも一服する小公園的スペースのベンチも人でいっぱい、狸は立ったまんま昼飯を食わざるをえなかった。当然、煙草を一服つけるのも断念。
 いかに偏狭な狸でも、そーゆー場所で喫煙するほど厚顔ではない。持参のお握りや卵焼きや唐揚げは、平気で立ち食いするけどな。


03月25日 日  満開の桜の下で

 ……まあ御近所の庭に一本だけ植わってる桜でも、満開の桜には違いないわなあ。
 アブレ日で、お花見には絶好の春本番なのに、もはや真間川や里見公園まで進軍する気力も体力もない狸です。

               ◇          ◇

 ともあれ打鍵中の猫耳物件、第七話を追加いたしました。今回の舞台はヨーロッパ・アルプスです。ヨロレイヒ〜〜。
 ……実は行ったことないんだけどな。でも日本アルプスなら、昔、麓から眺めたぞ。

     


03月21日 水  冬の狸穴

 いよいよ本格的な冬がやってきましたね。買い物に出た街では、クリスマス・ソングが流れておりました。
 ……幻聴かもしれません。
 いや、広い日本には、無事に春らしい春分の日を迎えた方も、夏の海で泳いでいる方もいらっしゃると思われますので、念のため。東京寄りの千葉は、本日、真冬の雨でした。都内では雪もちらついたそうな。
 天気予報によると、明日は真冬に出勤し、初夏に働き、春に帰穴することになるらしい。まあ平均すれば春と言えなくもないが、正直、ああ、なんか、もうどうでもいいや。

          ◇          ◇

 ふと気がつけば、自前の猫耳物件が、こないだ更新したときよりも原稿用紙換算で100枚以上増えている。
 しかし話としての区切りは、まだついていない。
 そりゃそーだ。キャラたちがアルプスに飛んでったのをいいことに、狸もいっしょになって、だらだらだらだらと脳内旅行に耽っていたのだ。実は日本アルプスすらほんのちょっと見上げただけで、外国なんぞいっぺんも行ったことがない狸のこと、すべては幻視幻聴である。
 ……でもまあ、狸としては無問題なんですけどね。脳内アルプス、なんかとってもきれいだし。
 とりあえず、ちょっとクリフハンガーっぽいところを見繕って更新し、続きは次回のお楽しみ、そんな形にしようかと思っていたりする、閉塞状態の狸です。


03月18日 日  懐しの歌合戦

 図書館で、面白げなDVDを見つけた。題して『懐しの歌合戦』。昭和25年の松竹映画。劇映画ではなく歌番組、いや歌映画か。歌謡映画と言ってしまうと、人気歌手のヒット曲を主題歌とした劇映画と混同しそうなので、やっぱり歌映画。人気歌手が次々と登場する舞台の歌謡ショーを、まんま映画にしただけみたいな映画である。一時間に満たない作品なので、同じ松竹の『なつかしの映画歌謡史』(昭和49年)も収録されている。
 で、後者はまさに昔から有名な映画主題歌や歌謡映画の看板曲を映画のシーンに乗せて紹介する内容だから、まさにまんまのタイトルで問題ないのだが、前者の『懐しの歌合戦』は、DVDパッケージの解説を読んだ段階で、ちょっと首をひねった。つまり、美空ひばりが『東京キッド』を歌ったり並木路子が『リンゴの唄』を歌ったりするとすれば、それは昭和25年において『懐しの歌合戦』ではなく、ほぼ『リアルタイム歌合戦』のはずである。戦前から活躍していた歌手も多数登場するようだが、ディック・ミネの『アイルランドの娘』だって昭和12年、当時の流行歌のサイクルを考えれば、まだまだ現役のヒット曲である。
 それがなんで『懐しの歌合戦』――。
 などという古狸の疑問は、本編が始まって間もなく、氷解しました。
 まず颯爽と登場した松竹歌劇団の有名男役コンビ、水の江瀧子さんと川路龍子さんが、こんなセリフを口にするのである。
「そんなにジメジメしていると、心の中まで腐りますよ」
「もっと元気をださないと、栄養失調になりますよ」
 まあ元気と栄養失調の順序が逆のような気もするけれど、昭和25年のこの国の世相を思えば、米軍占領下、敗戦からの復興も先が見えず、朝鮮戦争による特需もまだこれから、つまり多くの人々は、心身共にマジに栄養失調状態で生きていたわけである。
 そこにおける『懐しの歌合戦』――それはたぶん大東亜戦争が始まる前のレビュー華やかなりし時代、その時代の能天気な雰囲気そのものが、『懐しの』の対象だったんですねえ。歌の新旧とは関係なく。


03月14日 水  ブラックデー

 本日は、バレンタインデーに対する報復の日である。
 すなわち、バレンタインデーに女性からチョコを贈られなかった雄狸が、贈られた雄狸を一匹残らず抹殺しても、天に許される日である。
 当然、狸は完全武装して街に繰りだし、道行く雄狸を問い質そうとしたが、人間の男ばかりで、雄狸はほとんど見つからない。稀に見つかるのは、狸同様に完全武装した、風采の上がらない雄狸ばかりだ。
 やがて日も暮れて――。
 泣きながら江戸川の土手を帰途につくと、やはり完全武装した雄狸たちが、そこかしこの岸辺で残照の茜雲を眺めながらすすり泣いている。
 狸も岸辺に下りて、暗くなるまですすり泣き続けた。

 天に許されたからといって、叶わぬ夢は、やはり叶わないのである。


03月10日 土  建前と本音

 こないだは何やら悟ったようなことを記してしまったが、猫たちは別状、狸のほうは人間に化けている宿命として、先の見えない人類の今後や己が余生に関しては、やはり鬱々悶々とするときが結構多いわけである。
 例の森友問題がらみで担当職員が自殺した件やら、佐川国税庁長官の辞任やらのニュースを聞くと、この国の政治は半世紀前の『金環蝕』(石川達三氏の社会派小説ですね。後に山本薩夫監督が映画化した、政界財界ズブドロ癒着ピカレスク)とまったく変わっていない気がするし、北の金さんとトランプさんが首脳会談をやったところで、金さんの野望はちっとも変わらないだろう。変わるのは、大っぴらにやるか隠れてこっそりやるか、その違いだけと思われる。
 狸個狸の生活にしたって、死ぬまで餓死を避けるためにのみ汲々として、きゅうんきゅうんと啼きながら生きるのは目に見えている。
 でもまあ、日常生活の大半はそんな鬱々たる時間を過ごしていても、猫をモフったり、例の猫耳物件をいじくったりしている間だけは、かろうじて脳味噌からアッパー系の汁が、じんわりと滲みだしてくるのがわかる。
 それが尽きても、なおこの世に己が存しているかどうか――。
 もし存していたら、たぶんそのときが、狸個狸にとって、真の快楽《けらく》なのだろう。


03月05日 月  春二番

 いっぺん荒れまくったくらいでは、ここいらの春さんは気が済まなかったらしく、本日もまた荒れまくった。
 たまたま狸は今日もアブレだったのだが、荒れまくったのが夕刻から夜にかけてだったため、買い物帰りにしっかりぐしょ濡れになった。傘などは風のひと吹きで、燃えないゴミと化した。
 そして気温もまた二十度近くまで上昇、もはや晩夏の台風シーズンを思わせる天候である。
 まあ明日にはコロリと普通の春に戻るらしいけれどな。

          ◇          ◇

 しかし北国では、あいかわらず真冬が続いているらしい。北海道あたりでは、雪も降っているらしい。
 こう極端な気候が続くと、地球温暖化による気候変動で地球が亡びるのもそう遠くないような気がしてしまうわけであるが、まあ落ち着いて思い起こせば狸が子供の頃から、この国では異常気象も巨大台風も大洪水も噴火も大地震も発生しまくりだったわけで、その割にまだ亡びていないのが、かえって不思議な気もする。
 まあ一介の小動物としては、自分の行く末なんぞお先真っ暗でも、天然自然の在りようが人類の在りようほどお先真っ暗とも思えず、そもそも人類だって、有史以来ヤバイヤバイと騒ぎ続けてきた割には、未だに元気にヤバイヤバイと騒ぎ続けている。
 なんだかこのままずっと、ヤバイヤバイと騒ぎ続けていそうな気がする。

          ◇          ◇

 狸が思うに、猫カフェとか猫動画とか、近頃やたら猫がもてはやされるのは、猫が夢ではなく現実そのものを遊びきれるからである。
 安楽な飼い猫にせよ過酷な野良猫にせよ、猫にとっては生まれてから死ぬまでの全ての経験が、欲求不満や苦痛を含めて、ただ『我も他も世も単に在る』という仏教的な快楽《けらく》でしかないのだ。
 その点、なんの因果か、いわゆる文明人というやつは、欲求不満や苦痛を『現実』、その解消を『夢』、そんなふうに小賢しく仕分けしがちだから、どっちも単なる在りようとして、純粋に遊びきることができない。

 ミケ元女王様は、近頃ますます性格が丸くなってきた。頭や顔を触るとやっぱり噛みついたり引っ掻いたりするが、胴体をモフったり尻尾を突っついたりするのは、嫌そうな顔をしつつも大目に見てくれる。ブチ元下僕は、目脂やヨダレでますますヨレヨレながら、あいかわらず哲学者じみた沈鬱な顔で、黙々とポリポリを囓り続けている。
 狸と猫のどっちが先に逝くにせよ、お互い、ただの天然の一要素である。
 もふもふ。


03月01日 木  春一番

 アブレたので、例によって明け方まで猫耳と遊び、寝についてまもなく、すさまじい音響に叩き起こされた。
 寝る前にも、風や雨が激しくなっているとは感じていたのだが、天気予報でかなり荒れると聞いていたので、まあこんなもんだろう、と高をくくっていた。
 ところが、いかなる台風でもそこまで鳴らなかったほど窓がバシャバシャビリビリ震えるは、おどろおどろしい雷鳴がとどろくは、天変地異に近い荒れ模様である。
 時計を見れば、いつもならちょうど駅に向かいつつある時刻、もしアブレていなかったら、惨憺たる有様で働くことになったはずである。
 ことほどさように、禍福は糾える縄のごとし。
 まあとりあえず良かった良かったと二度寝につき、昭和レトロを模したテーマパークのような街で3D映像の吊りスカート女児がゴム跳びをしている夢なんぞを見ながら、シヤワセに午後まで眠る。
 ただし目覚める直前には、なんじゃやら荒れ果てた街で、ゾンビだか殺人鬼だかよくわからない集団に追いかけられ、臓物や血でぐっちょんぐっちょんの舗道をひたすら逃げ回る夢を見たりもしたのだが、まあ無事に逃げきったので無問題。

          ◇          ◇

 で、どうやら今日の朝方の暴雨風が、今年の春一番だったらしい。
 寒さ続きでよほど欲求不満に陥っていたのか、ずいぶん凶暴な春一番であった。
 それでも春一番には違いなく、嵐が去れば午後の天気はいきなり20度近いカラリとした陽気、例によって江戸川の土手を徘徊する。
 やがて夕間暮の空に昇った、ほぼ真円の月の上では、それはそれはくっきりはっきりと、兎さんがお餅をついていたりする。
 マジに「あ、兎さんだ」などと独りごちている自分に気づき、ああ、近頃ほんとに幼児なみの脳味噌に退化してしまっているなあ、もう先が長くないのだろうなあ、などとウツロな微笑を浮かべつつ、ふと気づけば橋を渡って、狸穴から10キロ近く離れた、遙か行徳の市立図書館の中にいたりする狸なのであった。
 いや、いつも行く図書館が、蔵書整理で休みだったもんで。