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05月28日 月  野生の狸穴

 調子をこいて毎日のようにミケ女王様をモフっていたら、今日は調子をこきすぎたのか、久々に腕を引っかかれて流血した。
 なにせ野生育ちのミケ女王様なので、いざ人間相手に猫パンチを繰りだすときは、必ず力いっぱい爪を立ててくる。
 そんなにしつこく迫ったわけではないんだがなあ。
 しかし出血すること自体、とうの昔に野生の牙や爪を失ってしまった狸には、ちょっと嬉しかったりもするのである。
 思えば野生の子狸時代から、狸はマゾであった気がする。

     


05月23日 水  老々たちの夜

 下記の化け猫動画による脳内麻薬は、残念ながら、二十数回の視聴で分泌されなくなった。
 相変わらず鬱りがちな日々の続く今日この頃、より強力な仮想シャブを求めて、同じクリエイターによる動画を視聴しまくったものの、残念ながら化け猫そのものに対する執着はとくにない作者様らしく、他の動物や、人間のパーツなどが変形しまくる動画ばかりである。
 ……こうなったら、もう実物の猫を変形させるしかない。
 近頃老化の甚だしいブチは、あんまり変形させると寿命が縮まりすぎる気がして、まだしも老化の兆候が少ないミケ女王様を、変形させてみることにした。
 しかしミケ女王様は、尻尾以外の部位に触れようとすると、「卑しい奴隷ふぜいが高貴な私に何をしやがりますかこの古狸!」と牙を剥き、爪を立ててくるはずである。
 仕事用の軍手や上っ張りで厳重に武装し、有無を言わさず首根っこを締め上げたりする度胸はもーまったくないので、とりあえず鼻の先や顎の下を、ツンツンしたりモフったりしてみたところ――。
 ――なんだよ、おい。
 多少迷惑そうな顔はしたものの、去年までのような反撃の気配は、ほとんど見せないのである。「まあ奴隷なりの卑しい求愛も、奴隷にとっては確かに愛なのでしょう」――そんな感じで、渋々ながら、ちゃんといじくらせてくれるのである。
 ああ、女王様も、すっかり老いてしまった。
 ボケて丸くなってしまったのだ。
 ブチ下僕のように、自由に変形させて弄べる日も、さほど遠くないように思われる。

 狸もボケてキレる方向ではなく、丸い方向に老いたいものである。


05月18日 金  本日天気曇湿なれども狸徘徊

 今週は巷における鬼畜の所業の報道に多く接してしまい、正直、ずっと鬱気味だったのだが、昨夜、なんとか脳内麻薬を自前で調達できないものかとネット上を彷徨っていたら、こんな動画にめぐり逢った。

     

 人によってはグロな動画と見るかもしれないが、狸の場合、これを数回ほど繰り返して見るうちに、明らかに脳内麻薬が分泌され、頭重が緩和されてきた。
 とくに、この化け猫(?)の頭から、樹木の細花あるいは果実のように大量の猫の小さな頭が咲き乱れる(?)ところなど、一種の多幸感に酔ってしまった。
 世の中には、いいあんばいに頭のおかしい優れたクリエイターが、確かに存在するのである。
 悪いあんばいに頭のおかしい鬼畜には数量的に負けるにせよ、確かに存在する以上、この世界にはまだ光がある。

          ◇          ◇

 本日アブレ日、久しぶりに上野に出、国立子ども図書館にのたくりこんだ。本当は国会図書館に行きたかったのだが、どうも霞ヶ関界隈は、曇天下だと歩く気がしない。その点、上野界隈は、昔出入りしていた古書店などは壊滅してしまったものの、それなりの風情が残っている。
 国会図書館における蔵書のデジタル化は、順調に進んでいるようだ。児童書も、狸が幼少の頃に接した佳作など、デジタル端末で閲覧できる物件が順調に増えている。退嬰一方の老狸には、ありがたいことである。
 昭和40年の偕成社版『ムーミン谷は大さわぎ』など、懐かしく再読する。ヤンソン女史自身によるイラストではなく、それを真似た赤星亮衛氏のイラストが入っている珍本なのである。ヤンソン女史が国際アンデルセン大賞を受賞する前の出版物だから、まあ、版元のフトコロ具合とか、なんかいろいろ事情があったのだろう。狸が生まれて初めてムーミン谷の仲間たちに接したのは、アニメでも講談社版の完訳本でもなく、小学校の図書室にあった、この珍本なのである。
 今にして思えば、赤星亮衛氏がなぜそんなパクリじみた仕事を引き受けたのか首を傾げるが、まあ、版元への義理とか、何か大人の事情があったのだろう。

          ◇          ◇

 谷口敬先生の短編が載った『マンガ論争Sp.04』、通販が始まったので注文。週明けには届きそうだ。


05月14日 月  本日天気晴天なれどもたれだぬき

 世間様とズレているおかげで、今日のように快晴の下でアブレたりもできるわけだが、3ヶ月ぶりに散髪しようとマックバーバーに入ったところ、僅かな待ち時間の間に、テレビからは気の滅入るようなニュースが伝わってくる。
 世界情勢なんぞは、正直、もうどうでもいい。首領様も大統領様も首相様も、どうせ大して先は長くない。
 また筋肉バカにスポーツと暴力の区別を諭しても、親分から手下までみんな筋肉バカなのだから仕方がない。
 しかし――お願いだから、女児に仇なす行為だけは、やめてほしいのである。
 正気でも狂気でも、とにかく、やめてほしいのである。

 鬱々たる気分を少しでも晴らすため、下校時の小学校近辺を散策する。
 お前のほうがよほどアブナイ、と言うなかれ。
 狸は女児の命を守るためなら喜んで盾になる。
 ただし男児の命は――正直、ケース・バイ・ケースである。


05月10日 木  セーラー服とたれだぬき

 3日働いたくらいで、すでにたれきっている。つくづく老いたものである。
 しかしアブレ日には、図書館に這いこむ気力がまだ残っている。願わくば図書館に中で力尽きたいものである。
 などと言いつつ、本日の戦果は、このような書物のみである。
 書物としては至極真摯な内容なのであるが、それを開きながらうるうると目頭を熱くしている狸の、先が長くないことは確かと思われる。

 こんな展覧会も開催されているのだそうだ。生きているうちに這いこんでみたいものである。


05月05日 土  老供の日

 わーい、また連休だ。今日明日だけだけどな。

          ◇          ◇

 例によって朝方まで猫耳物件をポコポコし、昼過ぎに起き出す。

 晴天の青空に、なぜか鯉のぼりが一家族も泳いでいない。あれ、今年も『子供の日』はあるんだよなあ、『端午の節句』が廃止されたわけじゃないんだよなあ、などと首をひねりつつ、鯉のぼり一家を探して徘徊する。
 去年までは狸穴界隈でも、ほんの1〜2軒ながら上げている家があったのだが、今年はどこにも見当たらない。お孫さんが子供ではなくなってしまったのだろうか。
 空を見上げたまま、4〜5キロほど離れた国分川調節池緑地までほっつき歩いて、ようやく鯉のぼり一家を発見する。緑地のすぐ近くの外環沿いに、いつのまにか立派な道の駅が出現しており、その敷地で泳いでいたのだ。見れば外環の向こうにも、普通の家の庭で、別の鯉のぼり一家が元気に泳いでいた。もはや街中から一里も離れないと、鯉のぼり一家の泳げる空は残っていないらしい。
 久々に訪れた国分川調節池緑地は、すっかり整備され尽くし、小綺麗な池と小綺麗な散策路に変貌していた。数年前まで、水草ぼうぼうの湿地帯状態だったことを思うと、田舎育ちの狸としては、いささかサミしい気もする。帰途を歩き通す体力と気力を失い、思わず路線バスに乗ってしまう衰えた自分も、つくづくサミしい。

 夜は柏餅を食った。
 菖蒲がないので菖蒲湯には入れず、入浴剤の柚子湯に入った。きちがいじゃが仕方がない(C)横溝正史『獄門島』。

          ◇          ◇

 狸穴の伝言板に谷口敬先生が来訪され、完全無名の狸としては、大いに恐縮する。
 愛読者として一介の非正規労働者にできるのは、新作を追い続けることしかない。
 そして狸以上の存命を祈るしかない。

          ◇          ◇

 自前の猫耳物件を更新
 風が立とうと立つまいと、いざ生きめやも。


05月01日 火  伝奇じかけの古狸

 世間様と違って、今日明日が連休になった。その後はまだ不明。死ぬまで続くであろう、成りゆきまかせの日々。
 しかしまあ世間では、少なくとも来月あたりの人生はきっちり見えていそうな方々が、将来が見えない未来が見えないと嘆いていらっしゃる。
 大丈夫。
 生きてる限り、明日はありますよ。
 まあ今日より幸せな明日があるかどうかはバクチみたいなもんだが、今日より不幸な明日が来てしまったら今日はまだマシだったわけだし、今日よりシアワセな明日が来たなら文句なしにラッキーだし、今日と同じような明日が来たならそれはそれでそこそこ無事だし、どのみち人生全体に大した変わりはない。

          ◇          ◇

 NHK・BSの時代劇『鳴門秘帖』、久々にノって観ている。
 久々の伝奇時代劇だと、どうしても往年のNHK時代劇の大傑作『日本巌窟王』と比べてしまい、ああ役者がイマイチ、ああそこの演出ちがう、ああなんでそこでシーン変えちゃうのライターさん、等々、かなりやかましく突っついてしまうのも確かだが、とにかく骨子は『鳴門秘帖』の原作に従って波瀾万丈ワクワクドキドキ、ひたすら続きが待たれてしまうのである。ストーリーなんぞとっくに知っていても、それでもワクワクドキドキできてしまうのが狸にとっての正調伝奇なのである。
 ああ、どこの局でもいいから、高橋克彦先生の『舫鬼九郎』とか、大真面目に連続ドラマ化してくれまいか。

          ◇          ◇

 打鍵中の猫耳物件、いよいよ話の展開が狸自身にもよくわかんなくなってきた。なんでそんな話になってしまうのか狸自身にもわかっていないからこそ、とっても続きが気になって、ついつい打ち続けてしまう。そーゆー点では、古今のトンデモ伝奇とかに、そこはかとなく味が似ているようにも思う。
 しかしまあ、そーゆー成り行きまかせの進行だと、途中で後が続かなくなる可能性も高いわけだが――。
 まあ大丈夫だろう。ラストの一行だけは、つげ義春先生の某有名作品のパロと決めている。あのパロだけは、どんな尻切れトンボにも、ちゃんとオチをつけてくれるはずなのだ。