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06月29日 木  ぼどぼどだらだらびじょびじょむれむれ

 ああごんじゅうばぼうばいぢぢばいぢぢあづぐであづぐでごぜんぢゅうにびっじょりぬれぞぼっだばんばよるばでがわがずがらだぢゅうががゆぐでがゆぐでだばらながっだりずるわげであるが、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでありましょうや否や。
 なんて、毎年毎年、単なる恒例なんですけどね。ごく一部の地方を除けば、日本は6月中旬から9月中旬まで、たいがいずうっと蒸し器の中である。狸もまた毎年毎年、別に重労働をしているわけではない。単に空調の効かない環境で動き回っているだけだ。
 でもまあ、動き回れるだけまだマシである。とりあえず毎日飯は食える。麦茶も好きなだけ飲める。冷や奴が旨い。
 冷や奴を食いながらニュースを見ていると、なんで食うに困っているわけでもないのにやたら刺し殺したり撃ち殺したりしたがる人間が多いのか、つくづく不思議である。いやいや今の日本の社会の閉塞状況がどーのこーのとおっしゃる方々も多いわけだが、じゃあ今の狸が生きているのは、どこの日本の社会なのだろう。
 もしかしたら別の日本で蠢いてるのに気づいていないだけかも知れませんけどね、どうで根が狸のことですから。

     


06月24日 土  雑想

 くたびれたので2連自主アブレ。

          ◇          ◇

 昨夜、NHKのBS時代劇『鳴門秘帖』が最終回を迎えた。
 初回から最終回まで「ああやっぱり役者が非力」「ああそこんとこ演出ちがう」「だからなんでそんな脚色せにゃならんのよライターさん」などと、昨今のネット界のように刺々しいコメントを独りごちつつ、それでも実は、愛していたの。わかってちょうだい、NHKさん。最終回の後半なんか、ずうっと泣きっぱなしだったのよ。だから連続伝奇時代劇の続投よろ。
 ところで昨夜のラストシーン、消息を絶った法月弦之丞と千絵のカップルが白装束で巡礼の旅に出ていたのは、今回の騒動で多くの犠牲者が出たことへの懺悔(とくに弦之丞なんか毎回のチャンバラで何十人も斬り殺してるし)、そんな感じの脚色だったのだろうが、狸としては、記憶にある原作どおり、百姓夫婦として農耕に生きたほうが、生と死へのケジメとしては相応しかったように思う。
 しかし、女スリの見返りお綱が無事に更生し、江戸で弟妹といっしょに元気に働いているのは嬉しかった。原作どおりだと、確か弟妹ともども行方知れずになっていたはずだ。

          ◇          ◇

 実はまだ風邪が治りきっていない。蒸し蒸しして寝苦しい夜など、咳がぶり返して鬱陶しい。ガリガリのチビだった幼児期を思い出す。
 やはり減量などしたのが間違いだったろうか。
 中学から大学にかけて、イロケづいて体重を落とした時期は、やっぱり頻繁に風邪をひいていた。
 小学校高学年から中学にかけて、そして社会人になってからのウン十年、ぶよんとしてしまりのないデブをやっていた頃は、かえって元気であった。
 やはり自前の肉布団は、体の芯を冷やさないために必要なのではないか。

          ◇          ◇

 図書館で、ちくま文庫の『猫の文学館 II この世界の境界を越える猫』などというアンソロジーを借り出し、読み始めたとたんに大後悔。
 猫が死ぬ話ばかりなのである。
 いや、ずっと読み続ければ、そのうち『化け猫と不思議な話』とか『猫の一族』とかの区分けに入るはずなのだが、その前に『死んだ猫のゆくえ』だの『ペット・ロス症候群』だのの区分けがどーんと控えており、マジに猫が死んでしまう短編や随筆ばかりなのである。
 正直、胸の痛みに耐えきれない。
 耐えられないから、もう化けた後の話だけ読もうと思う。

          ◇          ◇

 録画しておいた『世界ネコ歩き』のメルボルン編で、なんと22歳の老にゃんを観る。これが堂々たる体躯で、せいぜい10歳くらいにしか見えない。狸穴に出入りするヨレヨレのブチ下僕(元野良なので確かな年齢は不明だが、推定12〜3歳)と比べても、遙かに若い。
 ブチ下僕も、なんとか20過ぎまで生きてくれまいか。そうすれば、狸が先に死ねる可能性は高い。狸の祖父は30代で病死したし、父親も60代半ばで逝った。
 ともあれ猫の寿命は短すぎる。
 人間の男など、今すぐ死んで欲しい奴がゴロゴロしているのになあ。


06月18日 月  ううむ……

 局地的に震度6に達する揺れは、もはや珍しくない時代を迎えてしまったのだろうか。

 被災された多くの方々の難儀もさることながら、狸はやはり、小学校のブロック塀倒壊による九歳の女児の死亡に、断腸の思いである。
 映像で見る限り、高さ3.5メートルにも及ぶブロック塀に、一般家屋のブロック塀くらいの細々とした鉄筋しか入っておらず、しかもペラペラで他の補強も施されていなかったようだ。以前はフェンスだったのを、道からプールが覗けないように、わざわざブロック塀に変えたのだそうだ。
 おおらかな昭和の時代、そうしたフェンスに惹かれがちだったロリ親爺のひとりとして、その女児に腹を切って詫びたい、殉死したい気分である。しかし、そのロリ親爺の潜在的危険性のみを警戒して、阪神淡路大震災の教訓などはまったく閑却していたとしか思われない教育現場の責任者にも、並んでいっしょに腹を切っていただきたい。

 あと、例によって、一部のウスラバカが種々のデマやヘイト・スピーチを垂れ流しているようだが、今すぐ布団に潜りこんで永眠するのが吉。


06月13日 水  老化あるいは退化

 アブレ日。

 月初めに始まった咳と微熱、治まったようでいて、ちょっと気温の乱高下があると軽くぶり返し、なかなか完治しない。
 あらためて肉体的な老いを実感したりもするが、ふと思えば、子供の頃もけして頑健な子供ではなく、季節の変わり目など、百日咳のような状態に陥ったりもしていたわけで、ならばこれは老化ではなく退化、つまり老化自体が退化と同義、などと、しごく常識的な結論に至る。
 どのみち『発生→成長』のプロセスが『退化→消滅』に逆転するだけなのだから、しまいにゃ完全にボケて寝たきりオムツ老人と化すのも理の当然、なんら恥じることも恐れることもないのである。赤ん坊に戻るだけだものね。

          ◇          ◇

 台所の戸棚の奥から、また古い缶詰を発掘した。牛飯の缶詰、賞味期限は2012年5月。
 ありがたく、缶ごと湯がいて食った。多少、金物っぽい味がするような気もしたが、十二分に旨かった。
 缶詰の賞味期限表示など、気にすることはない。

 自分自身にも製造者による賞味期限表示があればいいのになあ、と思う。
 なまじ無いから余計な不安を抱くのであって、あれば、気にしないだけのことだ。


06月08日 金  老化

 アブレ日。

 古本屋でこのような大判書籍を見つけ、百均どころか800円の値付けにもかかわらず、レジに運んでしまった。なにせ中身のほぼ全てが、大正・昭和の『主婦の友』の誌面から復刻した図版であり、目眩のするような歴史感・大河感なのだ。
 狸の趣味嗜好を知る方は「なんで主婦の友?」と首を傾げるかもしれないが、かつてロリでなかった主婦は存在しない(途中で性転換した方は別だが)。しかも多くの主婦はロリを産み、かつ育む。主婦の歴史はロリの歴史でもあるのだ。
 などと言いつつ、数年前の狸なら、この書物に出会っても、懐具合を考えて購入までは至らなかったと思われる。ぶっちゃけ老化によって、衝動が抑えられなくなりつつあるのである。
 困ったもんだ。

          ◇          ◇

 YOUTUBEを探っていたら、何十年ぶりかでこの歌に出会い、いきなり落涙してしまった。

     

 はしだのりひことクライマックスの『この道』――大ヒット曲『花嫁』の、シングル盤のB面に収録されていた歌である。
 狸もかつてそのシングル盤を所有しており、『花嫁』のほうはそれこそ針音バリバリになるまで聴きまくったが、B面の『この道』には、さほど針を落とさなかった記憶がある。なにせ当時は、故郷を離れ上京する夢ばかり見ていたド田舎の高校生のこと、帰郷や郷愁といったテーマには、まだ感情移入できなかったのだろう。
 それが今となっては、もはや滂沱たる熱い涙を堪える術もないほど、ぐりぐりぐりぐりと心奥を抉られてしまう。

 思えば今の狸には、もう『この道』は残されていないのだなあ。
 生まれた町も、そこに続く道も、跡形もなく変貌してしまっているのだなあ。
 ……などとメソメソしけっている内に、他に類を見ない(たぶん)タイム・トリップ話のネタが浮かんだのだが、あまりに救いようのない構図に、我ながら呆れ果てたりもする。30年前の若い自分なら、迷わず専用ワープロに向かうくらいのトンガったネタではあるのだが、今の自分には辛すぎて無理だ。
 その救いようのない構図を、必ずしも陰惨なバッド・エンドではなく、トゥルー・エンドに昇華する情動的な操作は可能か――。
 自らの老いの道においては、そこいらが、死ぬまでに突きつめるべき狸芸なのかもしれない。


06月03日 日  復活

 昨日は咳止め薬を飲んでけほけほが治まったかと思えば、朝方いきなり嘔吐しそうになったりしてもはやなにがなんだかよくわからない体調なのであるが、これはどうも薬が狸の体に合わなかっただけらしく、昼過ぎに起き出した頃には、ケロリと空腹を覚えていた。
 咳止め薬の成分表をとっくり見てみれば、昔からヤク好きの狸もかつて摂取したことのなかった成分が含まれている。ノスカピン。これの副作用例に『吐き気』がある。
 咳と吐き気とどっちがいいか――どっちもいやにきまっている。
 まあどっちも治まったんだから、とりあえずは無問題。

          ◇          ◇

 久々に吉野家でアタマの大盛りをかっ食らい、いつもの古本屋へ。
 本日の戦果、『てんてん人生』(七代目橘家圓蔵・昭和42年・木耳社)、『役者人生・本日も波瀾万丈』(北村和夫・平成9年・近代文芸社)、『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』(大井夏代・平成26年・けやき出版)、以上。例によって100均、合わせて300円ポッキリ。
 七代目橘家圓蔵師匠は、人気もなければ(おい)性格も悪く(おいおい)芸も大したことがなかった(おいおいおい)落語家だが、それだからこそ自伝なんぞ出しているとは狸もまったく知らなかったわけで、実にめっけもんである。対して昭和の名優である故・北村和夫氏、著書なんぞいくらでもあると思っていたら、これ1冊だけなんですね。そして知る人ぞ知る【少女まんが館】の主・大井夏代氏のルポには、狸もずっぷしだった往年の夢見る夢子さんたちがてんこもり――。
 いやあ、古本屋の100均あるかぎり、死ぬまで生き続けますよ狸は。


06月01日 金  けほけほ

 季節の変わり目に老体がおっつかず、おとついあたりから微熱とけほけほに取り憑かれている。
 狸のけほけほの常として、夜中など布団の中で体が温まったときにけほけほけほけほが始まってしまうため安眠できず、そのうちぶっ倒れるかと思ったが、ヨレヨレになりつつもぶっ倒れないときにはぶっ倒れないもので、熱も上がらず微熱のまんま、無事に土日を迎えられそうだ。
 明日明後日は人並みに二連アブレなので、ひたすら寝て暮らそうと思う。

          ◇          ◇

     

 天野様のツイートで見つけた、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
 いや、狸自身は特にこの演奏に思い出があるわけではないのだが、この指揮者のオーマンディさんに、学生時代、どっぷりハマっていたのを思い出した。
 中学時代の狸がとくにハマっていたのは、これである。

     

 しかしほんとに指揮者しだいで、クラシックの風合いは劇的に変わる。
 こちらは、艶やかで濃厚なオーマンディさんとは対照的に、几帳面で律儀なブレーズさんの指揮。

     

 こっちのほうが聡明で明瞭で、クールに聞こえる方も多かろう。
 ちなみに狸は、両方好きです。鏡花も大好き綺堂も大好き、みたいな。