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12月30日 日  歳末雑想

 わーい、今日から5連休だ!
 などと言いつつ、1月4日の仕事が決まっているだけで、その後はもーまったく未定なのであるが、いつものことなので気にしないことにしよう。

 仕事納め(まあ勝手に納めただけなんだが)の昨日、仕事中、ふと自分が『ホワイト・クリスマス』を口ずさんでいるのに気づき、わはははは、時の流れがさっぱわやや、などと自嘲的な微笑を浮かべたりした。
 そして数分後、ふと気づけば、何の気なしに『おぼろ月夜』を口ずさんでいたりもした。
 そんな急性アルツの要因をつらつらつらっと自己分析するに、クリスマスと新年の間が1週間程度しかないという世間の慌ただしさそのものが問題なのであって、狸自身の脳味噌にはなんら問題がない――いやちょっとはウニ化しているのかもしれないが、12月29日にクリスマスを祝いたくなるのも菜の花畑に入り日が薄れるのも、小動物として当然の情緒である――そんな結論に達した。
 で、本日は、例年のように大晦日の蕎麦を事前調達するでもなく正月の餅を買いに走るでもなく、コインランドリーで、溜まりに溜まった洗濯物がどでかい12キロ用の縦型洗濯機いっぱいにくるくると縺れあう様をウスラボケっとながめながら「あーうー」などとうなだれていたわけであるが、それもまた小動物として当然の情緒、蕎麦だって明日調達すればなんの問題もない。
 では餅も明後日に調達すれば問題ないかと思ったら、これまで年中無休で営業していた近所のスーパーの前に、正月は3日が初売りとの張り紙があった。
 しかし、これは明らかに正しい時の流れである。無数の大手コンビニや、ちょっと遠方のどでかいショッピング・センターが、のべつまくなし営業していることのほうが異常なのである。だから狸のように頭のウニ化した小動物は、ついクリスマスと菜の花畑を12月29日に感覚してしまったりする。
 故郷を離れたチョンガーなど、正月3日間に餓死しかけるくらいでちょうどいい。
 そのほうが、孤独死問題も少子化問題も、なんぼか改善されるはずである。


12月23日 日  ザリガニさがして三千歩

 ああっ、駅ナカの高級ス−パーに、ロブスターが見当たらない。いや、ボイルされただけの食材としては山積みになっている。しかし、大好物の調理済み物件がない。処分特価を待たずに正価で確実にGETできるよう、せっかく今年は頑張ってきたのに。
 落胆しつつ、ふと思い起こしてみれば、ここ何年か、確かに駅ナカの『ロブスター・テルミドール』は食いそびれていたのだ。てっきり売り切れなのかと思っていたのだが、そもそも品揃えしていなかったのかもしれない。まあ正価で四千円近い商品だったから、いかに伊勢丹系のスーパーでも、この雑然とした土地柄の駅では、そうそう売れはしないのだろう。昔だって、処分特価になるまで売れ残ってたりしていたわけだからな。
 ……ないものは仕方がない。
 とゆーわけで、代理を探しに、ちょっと遠めのでっかいダイエーに進軍。
 ここは例年どおりに、ロブスターのチーズ焼きを扱っていた。いかんせん価格が三分の一だけあって、体積も対伊勢丹では正味三分の一くらい。年に一度のクリスマス気分を満たすには、そぞろ悲しい体長である。おまけにまだ処分特価にもなっていない。
 まあ、買いましたけどね、奮発して二匹パックを。予算的には三匹でもイケたのだが、ちっこい奴を三匹ちまちまとほじくるのでは、どでかい一匹をむしゃむしゃ食う代わりにならない。あくまで気分の問題ですけど。
 などと言いつつ、やっぱり食ったら旨かった。
 クリスマスは美味しいものなのである。リア充の方々にも、ボッチの狸にも。

 さて、明日のイブも明後日のモノホンのクリスマスも、狸は探食活動に勤しむ予定である。
 ……サミしくなんかないやい。
 達郎さんの『クリスマス・イブ』だって、ボッチの歌ではないか。
 ワムの『ラスト・クリスマス』だって、去年の玉砕を嘆く歌だ。まあ、今年は腹いせに成功してるみたいだけどな。

 ああ、狸がボッチではないクリスマスを最後に過ごしたのは、いったい、いつのことであったか……。
 そう、あれからもう四半世紀、ボッチの聖夜が続いているのだなあ。
 ……やっぱり、ちょっと、サミしいかもしんない。
 でもまあ、いいや。
 思い出だけでも生きていけるさ。

     


12月22日 土  血まみれリカちゃん

 なんか物騒なタイトルだな、おい。
 いや、今年の狸も今月は主に大手玩具流通倉庫でトタパタしているのだが、クリスマス&お年玉需要でてんてこまいの上、学生さんも休みだから、奴隷初心者のお若い方々が大量に混ざっている。で、今週なかば、狸がピッキングに回されてトタパタ駆け回っていると、やや離れた梱包エリアから、物騒な話が伝わってきた。なんじゃやらお若い方のひとりが、カッターで段ボール箱といっしょに自分の手をバッサリやってしまったんだそうな。
 湾岸の巨大ロジのシステムとかはちょっとこっちに置いといて、そこの梱包エリアでは、全国津々浦々の小売店に直接送る大小様々品数まちまちの玩具を、数種類のサイズの段ボールに混在させる関係上、段ボールの余白を適宜縮めて緩衝材を節約するため、しばしば箱の四方に切り込みを入れて折りたたまねばならない。狸ら古年兵だと、どんなにくたびれて朦朧としていても、無意識の内にカッターの刃は自分の体から離れる方向に動かす。まあ初心者の頃には、ちょっと指にキレコミを入れたりもしたけれど、バンドエイドで止血できる程度であった。
 しかし今回のお若い方は、慣れない臨時バイトで疲れていたんでしょうねえ、力いっぱいキレコミを入れてしまったらしい。幸い、そのロジは目の前の首都高をくぐると大手総合病院がどーんと控えている立地だったので、すぐに社員さんに連れていかれ、5針ほど縫って済んだそうである。
 歳末にガンガン稼ぐつもりでポシャってしまった学生さんはかわいそうだが、今はスポット派遣でも労災が適用されるし、会社でも別に咎めたりはしない。とくに子供の夢を扱う現場だからか、ユ●クロなんぞに比べたら、奴隷の扱いは段違いに優しい現場である。現に、翌日、狸が梱包ラインに回されたら、「現場全体の対策が決まるまでカッター使用禁止。どんどん緩衝材を消費してください」、そんな訓示があった。絶対安全なキレコミ方法を考案中とのこと。
 ちなみに、ちょっとでも外箱に血が着いた玩具は、拭いたりしないで破棄に直行である。しかし、それは少々もったいない気がする。中のリカちゃんやメルちゃんは元気に笑ってるのにね。労働者が文字どおり心血を注いだ玩具なのだから、サンタさんにあずけて、恵まれない子供たちに配ってもらってはどうか。

 で、コロリと話は変わって――。
 近頃、玩具のパッケージに印刷されている消費者代表(?)女児モデルの御尊顔が、妙に庶民派ばっかりな気がしませんか。
 昔は生え抜きの美女児が、ニッコリ笑っていた気がするのだが。高見エミリーちゃんとか。
 ……やっぱり突出より頭打ちを重んじる時代なんですかね。


12月16日 日  日々小休止

 昨日記したぶんを自分で覗いたら、なんだかロブスターと鯉の甘煮のために不眠不休で働いているような誤解を世間様の中のほんの2〜3名様に与えてしまいそうな気がしたので、念のため、狸は狸らしく、ちゃんとユルんだ日々を送っているのです。
 昨日今日だって世間並みに連休だったし、今日などは寒さに負けてほぼ一日カウチおせんべ状態で、溜まった録画物件を消化しておりました。

 最大のアタリは『 パトレイバー 首都決戦 ディレクターズカット』でしょうか。レンタルで安く観られる監督無視の短縮版ではなく、高価なブルーレイでしか観られない、押井監督がきっちり自分で繋いだ完全版ですね。これが狸穴ではロハのケーブルで、ようやく初放映されたのである。いつもの押井節全開で、やたらパタパタ話が進むだけの短縮版とは完全に別物。短縮版でも少々解りにくかったストーリー展開が、さらに解りにくくなっていたりする。しかしそこが押井節の値打ちなのである。根っからの押井ファン以外には、いつものようにやたら眠くなるカットが増えただけとか言われそうな作劇だが、狸は、昨今の007シリーズでさえ途中でウトウトしてしまうのに、押井監督の作品では一度も寝たことがない。アニメなら『天使のたまご』、実写なら『ケルベロス 地獄の番犬』、あれら世間では最強の睡眠薬扱いされている作品だって、オープニングからエンディングまで、まんじりともせず堪能できる。とにかく波長が合うのである。
 あとはNHKスペシャル『戦争孤児〜埋もれてきた“戦後史”を追う〜』とか、太川&蛭子コンビの『ローカル鉄道寄り道の旅』第二弾、そして岩合さんの『世界ネコ歩き』とか。
 泣くやら笑うやら和むやら、カウチおせんべの楽しみはつきない。そして合間合間には、すっかり冬らしく円形化したミケ女王様とブチ老僕をふにふにと玩弄したり。

 思えば近頃すっかり長時間徘徊を怠っているが、こればかりは、高齢化のため、いかんともしがたい。あれは精神的なストレスにこそ無敵であるものの、肉体疲労の解消にはまったく繋がらない。

          ◇          ◇

 で、自前の猫耳物件、でんでん虫のようにぐるぐるとのたくってはいるのだが、常磐邸からキャスト一同を一歩も出せないまま、原稿用紙換算ですでに100枚ほどを費やしている。
 ……どーすんだ、これ。
 いや、打つのは自分だからちっともかまわんのだが、さすがに世間様に対して、ちょっとアレな気もする今日この頃。


12月15日 土  ああああっ!!!

 と言う間に、師が折り返し地点まで爆走している。
 このペースだと「ああああああっ!!!!」と叫ぶ頃には来年の正月も追い越し、未だ名も定まらぬ次の世に駆けこんでいるかもしれないし、「ああああああああっ!!!!!」などと絶叫する頃には、すでに狸の余命が尽きて、師が走る姿は永遠に見られなくなっていることだろう。

 イブもクリスマス当日も狸は探食活動にいそしむ予定であるが、せめてロブスターは食っておきたいところである。
 でないと「すみません。狸は除夜の鐘を聞きながら死去いたしました。正月に路傍で息絶えているロブスターを見かけたら、それはロブスターに化けた狸の死骸です」とか、ここで最後の告知をすることになってしまう。

 などと言いつつ、狸はヨレヨレながらもまだしぶとく探食に励んでいる。歳末商戦プラス人手不足で時給が上がっている間に、少しでも多く稼いでおくハラである。
 アベノミクスが失敗したんだか成功したんだか、浅学な狸には計る術もないが、とにかく倉庫奴隷の時給は、去年の歳末よりも100円ほど上がっている。暇な時期に比べれば300円近いアップである。外国産の奴隷や、狸のような高齢の国産奴隷をなんぼ増やしても、おっつかないほど師は爆走しているのだ。
 まあ正月が終わったとたんに元にもどるのが目に見えているからこそ、ここは死を賭して師の後を追い、走り続けねばならぬ。あの高価かつ美味な、ロブスター・テルミドールのために。
 正月には鯉の旨煮も故郷から取り寄せて食うのだ食うのだ。

 ……でもやっぱり、かなりしんどいかもしんない。


12月07日 金  雑想

 歳末の大車輪に向けて、自主三連アブレを入れる。
 ぶっちゃけ足は痛いわ膝は笑うわ、涼しくなって水分補給をないがしろにしたせいか便秘でケツから血を吹くわ、息が切れるわ腰がきしむわ、いよいよ先が短い気がする。しかし、どれもこれも致命的ではなく「働きゃ働ける」ところに、大いなる神の悪意を感じる。
 などといいつつ、加齢のせいか、ここ数年忘れていたクリスマス気分を、あんがいしみじみ感じていたりもする。まあ単にカトリック教会の幼稚園に通っていた幼時を懐かしんでいるだけなんですけどね。あと『聖☆おにいさん』の影響とか。あの漫画を読み返していると、「テキトーに馴れ合う」ことのシヤワセを、つくづく感じる。

          ◇          ◇

 先月不正使用されたデビット・カードの引き落としぶんが、いきなり入金されていた。保険手続きなんぞはまだ何も行っていない。カード会社に聞いてみたら、あくまで大元の通販会社による返金手続きが行われたからであってカード会社にはその理由が解らない、とか、まことに要領を得ない回答であった。
 結局、カード詐欺の便所虫は何も得ることができなかったのだろうか。それとも通販会社のほうが、保険か何かで処理するのだろうか。いずれにせよ、海外でのカード詐欺の被害届なんぞどうやって出したらいいのか解らない狸としては、ひと安心ではある。
 願わくば今年のクリスマス、便所虫がサンタさんからのプレゼントを開けたとたん、狸のケツから吹き出た汚物混じりの血液が、そいつの顔を直撃いたしますように。

          ◇          ◇

 例のあおり運転死亡事故の裁判、「停止した状態の事故なので危険運転致死傷罪に関しては無罪」といった弁護側の主張が批判を呼んでいるが、万死に値する凶人でもその罰を軽くしようと努めるのが弁護士の仕事であり、当然、そう主張するのが正しい仕事人である。それに対して、検察側の仕事は、あくまで法に照らした合理的な罪を犯罪者に担わせることであり、今回の「停止することも含めて危険運転である」もまた、正しい仕事人の主張である。あとは裁判員と裁判官の仕事だ。
 などと冷静っぽく記しつつ、明確な物的証拠も合理的な自白もない容疑者にバンバン死刑判決を出してしまう一方で、明らかな凶人をホイホイ野に放ってしまう先例を鑑みると、正直、どっちもただの『法の下の野次馬』に過ぎない気もする。


12月01日 土  ああっ!!

 というまに、師が走りまくりつつある。
 ショッピング・センターの体内ではクリスマス商戦がステージWの癌細胞のように転移しまくりつつある。
 でもまだロブスターとかは並んでいないから大丈夫。何が大丈夫なんだかよくわからないけども。

          ◇          ◇

 目覚ましをかけなくともいい日は、夢を反芻するのが楽しい。
 今朝、いや午後まで眠っていたんだが、とにかく起きがけの夢が秀逸であった。
 若い頃の狸が、当時の彼女といっしょに温泉旅行に出かけ、古色豊かな旅館に宿泊する。夢の中では完璧に若返っているから、入浴食事再入浴そして同衾、、もーまったくシヤワセそのものである。ところがその夜間、宿の女将や番頭や仲居たちがことごとく醜悪な白髪の悪鬼に変じ、どどどどどどどと狸らを追いかけてくる。狸らは手を繋いで旅館中を逃げ回るわけだが、なんじゃやら「わはははは」「きゃはははは」とノリノリで、終始上機嫌なのである。
 逃げ回っているうちに目を覚まし、「……なんじゃこの夢は」と呆れながら思い起こせば、なんのことはない、精神的にはまさに青年期の『恋愛ごっこ』と幼時の『鬼ごっこ』のコラボ。楽しくて当たり前なのであった。
 まあ目覚めたときには老狸がただ一匹冷え冷えとした煎餅布団にくるまって「あーうー」などと蠢いているだけなのだが、もはや虚しくもなんともない。
 転々するものすべては空。
 どうせ生きとし生けるものすべては遠からず死に追いつかれ、追いつかれた瞬間から、もう二度と目覚める必要も、日々の糧を探す苦労もなくなるのだ。

          ◇          ◇

 などと悟ったようなことを記しつつ、巷のニュースで女児を迫害した鬼畜の所業などを立て続けに知ったりすると、発作的にブラウン管やモニターを粉々にぶち壊したくなる。
 なんでそーゆー便所虫を、せっせと野放しにする。常習者ばっかりではないか。それも前科数犯とか。
 狸は死刑賛成派だが、殺人犯以外は死刑にできないシステムにも断固として反対する。それが人権無視の極論だと言うのなら、多くの人権重視国家と同様、懲役100年とか禁固200年とか、合理的な量刑を科すのが道理である。
 女児の人権は、それ以外の人間の権利の10倍、いや100倍に匹敵する。反論する者は狸に鼻を囓られるであろう。