[戻る]


06月29日 土  なかなか失われない世界

 今週、久々に、地下鉄東西線の南砂駅に近い現場に出たので、何度か覗いたことのある古本屋に寄ってみた。
 で……ガッチャ!! 旺文社の『中一時代』昭和45年8月号などという古雑誌を発掘。
 つまり狸が中1の夏にリアルタイムで読んでいた学習雑誌である――というのは大嘘で、当時、狸が購読していたのは学研発行のライバル誌『中1コース』だったのだが、同じ大阪万博あたりが記事のメインになっており、やはり感慨深い。ボロボロなのに500円の値付けはちょっとイタい気もしたが、結局、レジに運んでしまった。
 で、学習関係の記事を見る限り、当時の中学生も今の中学生と同等の授業をちゃんと受けていたんだなあ、とか、でも漫画や小説となると今の小学生なみに幼稚で無邪気だったんだなあ、とか、そうした懐かしネタはちょっとこっちに置いといて――。
 万博関係の記事などは、ちゃんと『人類の進歩と調和』っぽい祝祭感が溢れているのだけれど、自然科学関係のコラムに、地球温暖化による気象の変動がヤバいとか、二酸化炭素排出を早いとこセーブしないと人類の未来がヤバいとか、ほぼ現在と同じ警鐘をそっくりそのまま載せているのには、さすがに困ってしまった。
 あれから半世紀、もーまったくヤバいまんま、また大阪で万博やろうとしてるわけですね。
 あんがい一世紀後も十世紀後も、人類は「ヤバい!」と「めでたい!」の二本立てで、ちゃんと騒いでるのかもしれません。

          ◇          ◇

 オマケとして、きれいさっぱり失われた、昭和30年代中頃の山形駅とか。

     

 さらに同じ頃、山形に初登場した大沼デパートとか。

     

 どっちも、昔、山形の古本屋で見つけた絵葉書です。
 ちなみに大沼デパートは、当初の屋上遊園地や、周囲の戦前っぽい街並みこそ失われたものの、今もしぶとく営業を続けておりますね。


06月22日 土  じゅるじゅるひりひり

 おお、なんとゆーことだ。鼻水を垂れ流し始めてから、もう十日以上もたつのに、ちっとも風邪が治らない。症状が軽いだけに、日々、ただ鬱陶しさだけがジワジワと蓄積されてゆく。典型的な狸の夏風邪である。
 日銭は稼げているから、食うに困る心配はないのだけれど、何を食っても味がボヤけている。もともと味の薄い豆腐など、もはや味がない。
 冬場のインフルのように、どーんとぶっ倒れてどーんと寝込んで、やがて食料が底を突き「ああもうなんかどーでもいーや」と餓死を覚悟したあたりでどーんと逆転復活し、めでたく日銭を得て吉野家に飛びこみ、牛丼のアタマの大盛りを味噌汁生野菜玉子付きでわしわしとかっ食らう――そんなカタルシスが恋しくてならない。

 こんな鬱りがちな状態で、頼るべき世界は決まっている。

     

 自分という狸がどんな前世から現世に紛れこんだかは知らず、現世を去る瞬間は、こんな来世を夢見ていたいものである。


06月15日 土  なんかいろいろ

 日々の最高気温が10度近くも変動するため、見事に鼻水じゅるじゅる喉真っ赤っ赤の風邪をひいてしまい、ここ4日ほど、ずーっとじゅるじゅるひりひりが続いているのだが、これがもーまったく、良くも悪くもならない。熱もせいぜい37度までしか上がらないから、寝込む気にもなれない。昔なら、この状態が3日も続けば、確実に扁桃腺が腫れ上がり、医者に駆けこんで抗生剤を処方してもらい、1〜2日くらいは寝込んでいたはずなんだが。
 悪化しなくなったんなら喜んでいいんじゃないの、とおっしゃる向きもあろうが、当人としては、なんかイキオイがつかず、サミしいのである。
 たとえば癌といった疾病も、若ければ若いほど悪化が早い場合が多い。これが高齢者だと、癌細胞自体も高齢化しているから、多くの場合、進行が遅い。場合によっては、癌で死ぬより先に、老衰に追いつかれてしまったりもする。
 毎度の愚痴で恐縮だが、本当に歳をとってしまったものである。

          ◇          ◇

【方言チャート番外編 県人度判定ベータ版】――皆様のツイートを物陰からこっそり覗いていたら、面白げなモノを見つけたので、さっそくやってみた。

     

 おお、狸、すげえ。故郷を離れて40年以上もたつのに、コテコテの山形狸。
 ただし、あくまで身内での会話に限った話であって、東京湾岸における一般社会人としての会話は、無論、標準語(のつもり)を用いている。

 しかし、ひとくちに山形県の方言といっても、庄内と内陸部では全く違う。また同じ内陸部でも、山ひとつ越せばけっこう違う。いや山など越さなくとも、隣の市の従兄弟と、同じ方言のニュアンスに微妙な違いがあったりする。
 もし県別ではなく、たとえば山形市に限定したチャートだったら、今でも100点満点とってみせるんだがなあ。


06月07日 金  光ある世界

 まあ「日本スゴイ」ことも多々あるし「日本ヒドイ」こともしこたまあるし、「死ぬなら一人で死ねよ、このウスラバカ」な人もたくさんいるし「お願いですから急いで死なないでください。あなたそもそも一人じゃないんですから。けっこういい人なんですから」な方々もウスラバカよりは多いような気がするし、結句、「まあ結局、世の中、人様々だよなあ」くらいしか言えることがない一介の小動物としては、己のあまりの矮小さについついイジけてしまったりもするのだが、まあ落ち着いて考えれば、今の自分の目の前にあるのは「死ぬまでいかに食いつなぐか」というただひとつの問題だけなので、さほどイジける必要もないわけである。食いつなげなくなったら死ぬだけのことだものね。
 でもまあ死ぬときだけは女児の声を聞いていたいので、「あ、なんかそろそろ逝きそう」と自覚したら、通学路の横の草叢かなんかに這いこんで死を待ちたいと思う。しかし日々通学路を観察していると、女児以外の通行が腹立たしいほど多い。間が悪いと、男児や爺いしか見当たらないことさえある。だから、狸として、これ以降の世界情勢や社会問題に関しては、「その事象によって、この世界に女児は増えるや否や」、それだけを基準に認識・反応しようと思う。

 無論、それは人間界に対する認識であって、全生物界まで視野を広げた場合、女児の次に数が問われるのは、猫および猫科動物、それ以外にありえない。
 ――で、このたび、全世界における猫科動物の数に関して、ほとんど福音と言うべき画期的な研究が、実を結びつつあるのを知った。
 ズバリ、これである
 これは、すばらしい。これだけで、生物界の未来の質は、確実に向上するだろう。

 あとは、人間の女児に選択的に利することのできるなんらかの福音を、狸としては待ち望むばかりである。


06月01日 土  やっぱりNHKが好き

 御贔屓のブラタモリやネコ歩きや、実は毎週欠かさず見ているチコちゃんに関しては、今さら褒めなくとも世評が認めているからちょっとこっちに置いといて、ときどき急に放送されるイレギュラーな番組が、あっと驚く新機軸だったりもする。
 火曜日の雑想に記したとおり、このところ心底滅入ってしまう事件が多くて往生していたのだが、その火曜に偶然録画されていた斬新な旅番組を翌日に見て、なんじゃやら完璧な脳内トリップに旅立ってしまった。
 毎週時間指定録画しているBSプレミアム『世界ふれあい街歩き』の代わりに、なぜか『今夜の旅はドラマチック「懐かしの都 中国・麗江」』という単発番組が録画されていたのである。
 なにかなこれは、と再生してみたら、これが近来稀なる出色の仕上がり。近頃のNHKが得意とするドキュメントともドラマともつかぬ構成がさらに進化、もうマジに夢の中で中国の麗江を彷徨ったり浮遊したりしてきたような仮想記憶が得られた。
 今、検索してみたら、4日(火曜)の朝8時にも再放送されるので、NHKのBSが受信でき、かつ未見の方がいらっしゃったら、ぜひご覧いただきたい。狸はこれで確実に精神の泥沼から脱出しました。

          ◇          ◇

 で、それとこれとは別の話なのだが、長らくカタツムリ化していた自前の猫耳物件、塵も積もればなんとやら、ようやく展開に区切りがつき、分量もいつもの一話ぶんくらいに達した。ちなみに狸の場合、連続物の長編だと、400字詰め原稿用紙換算で数十枚から百枚くらいが一話ぶんである。
 かようにクドい狸なので、もう読み続けてくださる方は絶滅寸前と思われますが、なにとぞ今回もよろしくお願いします
 ちなみに次の更新が最終回、全話まとめると千枚を越えそうなイキオイで、ねばねばずるずると這い進んでおります。