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09月28日 土  あーうー

 朝晩に秋の気配が定着したとたん、なんじゃやら夏の疲れがイッキに背中にのしかかり、真夏よりもヨタヨタと腰を曲げて歩いている。
 しかしヨタヨタと歩いているのが、江戸川よりもずっと遠い、荒川から旧中川にかけての土手道だったりもするので、そんなに体が重いなら部屋で寝てりゃいいじゃんこの老いぼれ爺い、などと我ながら呆れる程度には余力があるのである。
 前夜の帰穴時も過労死寸前ながら、雑踏に蠢くゾンビ状のスマホ野郎やスマホ女郎を、さっさと追い越す程度には生命力が残っていた。別に体当たりしたいとも思わなかった。ゾンビ菌かなにかが移ったら困るものね。

 死んでたまるか。もうすぐ大好きな冬がくるのだ。キリリと寒い風の中で、汗疹の心配なく暮らせるのだ。

          ◇          ◇

 一介の狸が気にしてもしかたがないのだが、ニュース等で、気がかりなことが二三。

 あのグレタちゃんという少女は、ロリとして正しい教育を受けていないのではないか。ロリが口にする言の葉には、真偽や正誤とは違った次元の、ロリにしか醸し出せない含羞があってしかるべきである。ぶっちゃけ気に入らない同級生をイジメるときでさえ、男子や大人では絶対に醸し出せない、ロリとしての微妙な佇まいが不可欠なのである。グレタちゃんには、とりあえず理想的な世界よりも、まともな近親者や友人が周囲にいてほしいと、狸は切に願う。
 道志村で行方不明になっている美咲ちゃんも心配だ。ニュースでは捜索活動ばかり取り沙汰されているが、警察ではちゃんと誘拐方向の捜査もやっているのだろうな。そっちだって初動が肝腎なのだぞ。心配している親御さんたちには酷かも知れないが、あの年頃の女児を絶対にひとりにしてはいかんのだ。7歳とか8歳の年頃が、統計的に、最も鬼畜ペドの被害に遭いやすい年頃なのだからな。
 あと、こないだの台風で、ご近所の家屋をつぶしてぶっ倒れたままの、ゴルフ練習場の巨大フェンスの件。ふだんは飢えたハイエナのように責任者を吊し上げるはずのマスコミが、なんでだか経営者側にちっとも突撃しない。会社名さえ口にしない。原因が想定外の自然災害であるにしろ、そこは福島原発事故となんら変わりないのだから、同じ態度で糾弾しなければ間尺に合わない。おおかた大手ヤクザ、あるいはかなりの有力者が絡んでいるのだろう。東電になら何を叫んでもぶん殴られる心配はないが、ヤクザがらみの不動産会社だったりしたら、刺される恐れがありますもんね。それとも、マスコミ側と資本の繋がる不動産会社が、ろくな基礎もない巨大フェンスを全国に立てまくっているからか。


09月22日 日  あの日に帰りたいようなでもやっぱりちょっと恐いようなでもやっぱり帰りたいよな、うん

 狸穴の最寄り駅付近で唯一生き残っている正調古本屋、その百均棚がどんどんグレードアップしている気がする。
 狸が引っ越してきた20年ほど前は、まだ数軒の、古紙の匂いが充満する古本屋が残っていた。そこにいわゆる新古本チェーン(ブックオフとか)が3店ほどオープンし、瞬く間に古古本屋(?)を駆逐してしまった。そして今は、その新古本チェーン店すらが営業不振で駅周辺からことごとく撤退、結果、最も古古本屋に徹していた地元の一軒が、しぶとく生き残ったわけである。
 おかげさまで、近頃はここいらの古本がその一店に集中、貧しい狸が気楽に物色できる百均棚も百花繚乱の様相を呈している。まあ、あくまで狸の嗜好の範疇であるから、変色・風化の著しい昭和物件、書き込みだらけの実用書等、新古本店なら廃棄直行の物件が、延命のチャンスを与えられたわけである。

 で、本日の掘り出し物は、『SFバカばなし おもろ放談』。
 昭和56年発行の角川文庫で、小松左京・筒井康隆・星新一をレギュラーに、当時の人気SF作家や大御所たちがゲストで加わり、好き勝手にキ●ガイさながらの常軌を逸した対談を繰り広げている。
 冒頭で『三木さんが首相になった』とあるから、昭和49年に始まった対談であることがわかる。たびたび『ボーイズ・ライフの読者』をイジるような発言があるので、あの少年漫画誌よりもちょっと背伸びした中高生男子向け娯楽雑誌に連載されていたのだろう。
 し、しかし……こ、このヤバさ満載の放言の奔流は……今となっては、いかなる大人向けミニコミ誌にも掲載不可能だろうなあ。炎上どころか木っ端微塵に吹き飛ぶぞ、掲載誌も編集部も出版社も。天野様やN村様あたりなら、今でもなんとか笑ってくれそうな気がするが、それより若い世代、とくに女性の方々などは、激怒必至の各種ハラスメント発言が満載である。
 でもね。
 この、なんつーか、当時のモンティ・パイソン的に無節操な一般社会への嘲笑は、やはり毒ではなく薬なのである。なんとなれば、これだけシニカルにあっちこっち笑い飛ばしながら、そこには『厭世』や『嫌悪』が、ほとんど感じられない。
 今どきのネットや新聞や週刊誌に充満する、正義の皮を被った嫌悪、あるいは優しさに充ち満ちた厭世を思えば、ほんとにあの御三家は健康であった。いや、筒井先生は今でも健康そのものだが。
 それにつけても、御三家の中では最も穏健に見えていた星先生、ほんとに筒井先生よりもヤバい方だったのですね。

 思えば、これらの対談が為されていた頃、狸は高校生。
 すでにロリコンの芽が出ていたので精神的に健康とは言いがたいが、脳味噌は、まだまだ萎縮していなかった。世間知なんぞ皆無だったが、少なくとも憧れの対象として御三家を奉るくらいは知恵があった。あまつさえ、しょっちゅう脳内麻薬が涙腺から噴出したりもしていた。
 ……青春だったのだなあ。
 しかしつらつら鑑みるに、狸の精神年齢など、あの頃からちっとも成長していないような気もする。
 ならば、これから半白髪春とかドドメ春とかがあっても、いいのかもなあ。


09月16日 月  久しぶり雑想

 おお、前回ここを更新してから、なんと一週間以上が過ぎている。
 しかし狸は、必ずしもウスラボケっと過ごしていたわけではない。
「おお、ようやく風に秋の気配が」などと、週に一度くらいは油断させといて、それ以外の日は、晴れようが降ろうがきっちり真夏なみの温気と梅雨なみの湿気を投入してくる地球温暖化の猛攻に、日々きっちり抗戦していたのである。

          ◇          ◇

 こないだの台風15号は、狸穴近辺にこそ大した被害をもたらさなかったものの、先日、幕張から通っている親しい派遣仲間に会ったら、でかいショッピングモール周辺の並木が根こそぎ引っくり返って、「こりゃもうだめだ」と覚悟したそうだ。

 行きつけの某現場では、あれ以来、一度も出勤していない社員さんもいる。他の社員さんからの又聞きだが、佐倉(狸がときおり徘徊遠征する、あの佐倉城址や印旛沼があるところ)に実家があり、未だに「とても出勤などできる有様ではない」らしい。NHKによれば、本日も佐倉の一部はずっと停電したまんまである。
 あのあたりは、駅周辺の市街地以外、もーまったくの里山だからなあ。一日も早い復旧を祈るばかりだ。

          ◇          ◇

 私事としては、めでたい話もある。
 昨日、姪の結婚式と披露宴に列席してきた。場所は横浜のみなとみらい。なんじゃやら、すっげーお洒落で賑やかな所。

 今回挙式した姪は、良くも悪くもなかなか波瀾万丈の半生、じゃねーや、青春時代を送ってきた娘なので、いったいどんな規格外の相方を見つけたのかと、現物を見るまではいささか心配であった。しかしこれが、見るからに快男児。有名企業の海外事業部に勤務し、アメリカ駐在も5年経験しているという。姪も5年のオーストラリア滞在経験(こっちは語学留学という名目の、実質バイト&遊び暮らし)があり、いちおう英語を話せるから、そっち方向でウマが合ったのか。

 で、田舎者の狸としては、ナマのバイオリンとオルガンと男女四名の混声合唱に彩られたキリスト教式の結婚式にしゃっちょこばったのち、披露宴で立派なホテルの洋食を堪能したわけだが、これがもーまったく本場おフランス風(たぶん)のメニューなのであった。つまり、田舎舌の老狸が過去にまったく味わったことのない、おダシ不明の味覚ばかり。正直、「なんかものすごく旨いような気がするんだけども一度や二度ではちょっと判断しかねる」、そんな感じなのであった。
 ともあれ、ここは、天上の美味であったと断じねばなるまい。
 60過ぎた叔父が、姪の披露宴に胸を張って列席するためには、なにがしかのキモチを要する。
 勝ち組の紳士にとっては心ばかりのキモチ、しかし日銭暮らしの負け組親爺にとっては実に直近半月分の汗と涙、そんなキモチである。
 であるから、生まれて初めて味わった純舶来料理群は、とっても美味であったに違いないのである。

 ……でもやっぱり、同じ高級なら、京風懐石料理とかのほうが心の底からめでたいと思うが、どうか。
 それとも山形名物・芋煮の食い放題とか。


09月07日 土  終わらない夏の歌

 ……それでも今頃になって、狸もようやく今夏の『暑苦しさ』に適応してきた気がする。
 暑苦しいときには、暑苦しい歌声が一番だ。

     

 今夏が何よりキツかったのは、紺青の空に白い積乱雲、そんな本気の夏空がほとんど見られなかったからでもある。
 狸がここ数年嘆き続けていた、東京の青空の恒常的な二重構造――それとは別の話である。
 今夏の東京の晴れた空は、従来のような青黄二重構造ではなかった。
 たとえば真昼の江戸川べりを徘徊中、真上の空を見ればきっちり紺青で、焼けるような紫外線が降り注ぐ真昼でも、積乱雲を求めて視線を下げると、しだいに霞んで白い空になってしまう。夏らしい積乱雲は、そんな青から白へのなだらかなグラデーションの途上から、かろうじて上端を覗かせている。さらに下方に遠望できるはずのスカイツリーや高層ビル群は、なんじゃやら真冬の銭湯のペンキ絵のように、薄ぼんやりと白く霞んで見える。
 今夏の東京は湯気の底だった――いや今も湯気の底なのである。
 東京には空がないと言った智恵子さんは、昭和戦前にして、すでに21世紀の東京の空を見通していたのかもしれない。

 とはいえ、そんな湯気にも、ようやく慣れた。
 明日から明後日にかけて、狸穴近辺にも本格的な台風が訪れるらしい。
 その後はまた真夏になるらしいが、せめて一日くらいは、山の彼方から湧き上がる積乱雲を背景に、明瞭なスカイツリーを望みたいものである。

     


09月01日 日  ペンギンさんは裸で歩けるからいいよなあ

 テレビの気象情報で、翌日の狸穴一帯が晴れであれ曇りであれ雨であれ、毎日毎日必ず「じめじめするでしょう」あるいは「蒸し暑いでしょう」と最後に付け加えるのは、もう省略してほしいものである。
 大雨で難儀している地域の方々を思えば、湿気くらいで弱音を吐くのは申し訳ない気もするが、毎晩もれなくそう言い渡されると、思わず気象予報士のおにいさんやおねえさんをスマキにして江戸川に放りこみたくなる。

 探食日には必ず頭から太股までぐしょぐしょになるから、同伴帰穴した番猫コンビとは、全裸で遊ぶことになる。プチ洗濯も全裸のまま済ませてしまう。風呂から上がってようやくパンイチに移行――そんな生活なのである。
 我ながら恐るべきことに、番猫たちが狸に飽きて夜の縄張り巡回を再開するまで、玄関のドアは、チェーンぎりぎりで開けっ放しにしてある。部屋を密閉すると、元野良で外飼いの番猫たちが、パニック状態になるからだ。
 しかし、全裸で猫と遊んでいる狸を、もし新聞の集金とか宅配のアンちゃんとか、不意の来訪者が覗き見てしまったら――閉めこまれた野良猫以上に周章狼狽するだろうなあ。絶叫するだろうなあ。そのときの狸のポーズによっては、嘔吐するかもしれない。
 でも、知らんわ。全裸がいちばん涼しいんだもの。

 冷房の効かない労働現場では就業者全員が全裸、それでいいのではないか。
 来年のオリンピックの酷暑対策がそんなに心配なら、観客も競技者も、全裸にすればいいのではないか。
 いや、もちろん怪我や日焼けの心配がない状況での話ですけどね。