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11月30日 土  浮いて沈んでまた浮いて

 長い雨天曇天がようやく途切れ、昨日今日と、朝夕に富士が拝める快晴が続いた。しかも真冬の寒さ。たちまち唇はカサカサになり脛に貨幣状湿疹が生じ、仕事の後の掌は白くひび割れかける。
 嘆いているのではない。驚喜しているのだ。これこそが、今年の凶器じみた夏と、その後の天候不順に鬱り続けた狸の、待ち望んでいた季節である。背中も腰も順調に痛みが引き、気道のぐじゅぐじゅもない。掻きむしりたいほど痒い脛が、これほど快感に繋がる冬は生まれて初めてだ。自分はつくづく北方亜種の狸なのだなあ、と、改めて思う。
 そのように頭が透き通ってくると、ここ何ヶ月か無理矢理進行させていた、しかし瀕死のカタツムリほどにしか進まなかった猫耳物件の続きが、先に進めよう先に進めようという狸自身の焦りでしかないのに気づき、えいやっと半分ほど消去して、ようやくキャラたちの自発的なセリフや行動を受信しはじめたりする。
 そうなると、とたんに老骨に鞭打って徹夜してしまったりもするわけだが、客観的には、実は物語として確実にダメな方向に向かっているのである。ちっとも話が進まず、道端で遊び続けているだけなのである。しかしこのままそれで続けてしまう。もともとこの話は、狸のひとり遊びである。てゆーか、キャラたちと遊ぶためだけの話である。読者など同級生2〜3人しかいない中学時代のノート書き遊びや、それこそ自分以外誰ひとり読まない高校時代の大量ノート書き遊びを、今になって追体験しているにすぎない。
 遊びをせんとや生まれけむ。

          ◇          ◇

 などと脳内で居直りつつ、脳味噌の外の一般世間では、あいかわらずウスラバカや鬼畜がやりたいほうだいやっている。
 狸穴のある県で、元小学校教師だった鬼畜の裁判が続いている。明らかになっただけでも7人の女子児童を毒牙にかけ、あまつさえそれを撮影し保存していた言語道断の所業。とくに問題なのはその実態の悪質さ、根性の腐敗度である。単純な暴力的レイプではない。といって単なる猥褻行為でもない。手足を椅子に縛り付けた上で口淫を強要するなど、すれっからしのデリヘル嬢だって相手によっては嘔吐を催し拒否するであろうレベルの、精神的・肉体的虐待を繰り返している。
 そんな事件で、検察側の求刑は――懲役15年。
 なんだそれは。法廷で鬼畜相手に歳末大バーゲンでも始めたのか。それとも人手不足で検事が弁護士を兼ねているのか。
 確かに、この鬼畜は誰の命も奪っていない。肉体的に目立った負傷もさせていない。しかし、確実に7人の女児を精神的な地獄に落とした。一生這い上がれないかもしれないほどの地獄である。しかも5年にわたる犯行中、加害者はずっと小学校教師をやっていたのだから、誰がどう考えても、その倍以上の物言わぬ被害者が存在する。
 この国も先進的な民主国家を標榜したいなら、そんな鬼畜など即刻死刑に――いや民主国家として死刑はダメと言うのなら、世界の民主国家の水準を考慮すれば、禁固20年を7人ぶん加算、つまり禁固140年以下はありえない。それがたったの懲役15年ですよ。しつこいようだが検察の求刑だから、この国の法律上の最高刑が、この犯行内容では懲役15年なのである。弁護士の腕次第ではさらに短縮する。そして刑期を終えた後は、GPSさえ埋めこまずに開放してしまうのだ。
 実名報道も不可能である。そんなことをしたら、被害者の女児たちのみならず、加害者に受け持たれたすべての女子生徒が、生涯、風評被害に晒されかねない。今のネット環境では、それがちっとも杞憂ではない。
 安倍さんのワガママなお坊ちゃんぶりなんて、やいのやいの突っついてる場合ではないのである。どのみちこの国の政界など昔からそんなもんである。権力者の隠蔽能力が劣化しただけだ。ましてマスコミやネットの告発力など信じてはいけない。多少の支持率低下はあろうが、現内閣支持者に若年層が多い以上、一定以下には絶対にならない。今の若者は、親とか教師とかちょっと上の連中が、ごく一部の頑固者を除いていかに要領よく既得権を利用しアレコレごまかしているか、ちゃんと知っている。だから自分もそうなろうとするし、そうする総理のほうが親しみやすい。トランプ大統領に共感して支持する、赤ら顔の田舎親爺たちと同じ構図である。
 ちなみに多くの先進的民主国家では、ペドフィリア関係の服役者は刑務所内で不慮の死を遂げるケースが多い。表向きは転落・転倒事故とか自発的な縊死になるが、ぶっちゃけマッチョな粗暴犯、しかし大人として子供だけは絶対にイジメないタイプの服役仲間に、殴り殺されたり絞め殺されたりするわけです。そうした民主的な刑務所環境を整えてこその、正しい民主国家なのである。
 ともあれ狸の脳内では、こーゆー鬼畜は化け猫に生きたまま食わせてしまう。その化け猫を、読者が2〜3人しかいない完全無名作ならではの、とんでもねー新キャラが愛でたりもする。今しがた思いついたばっかりなので、これから書き直しの書き直しになりますけど。

          ◇          ◇

 で、口直しに、こないだ地上波で録画した映画『ポンペイ』(2014年・アメリカ)のことなど。
 あの『イベント・ホライズン』や『エイリアンVSプレデター』のポール・W・S・アンダーソン監督作品だから、見世物として徹底的にクドい、しかし狸心の少年の部分をじんじんと刺激してくれる映画だろうと、再生する前から期待していた。
 ――大当たり。
 最新の超リアルCGてんこもり、堂々たるスペクタクル史劇である。
 まあ見せ場がクドすぎるとか幼稚すぎるとか批判するうるさ型も多かろうが(事実アメリカでの映画批評はさんざんだったらしい)、なんといいますか、往年のイタリアB級アクション史劇を彷彿とさせる作劇なのである。ヒーローとヒロインはあくまで凜として潔く、悪役はあくまで悪くいやらしく、ラストは滝涙必至のハッピーエンド。
 いやアレはハッピーじゃないだろう、そもそも物理的にありえねーし、とか言ううるさ型も多かろうが、アレこそがベスビオス噴火を活かした究極の純愛成就であろう。少なくとも狸は泣きながら拍手した。ネタバレを避けて詳述しないけど。
 ところで悪役のローマ帝国要人を演じたキーファー・サザーランド、歳を食ったら、父親のドナルド・サザーランドに勝るとも劣らないクセモノ顔になってきた。痩せた父親よりもメタボっぽく、ふてぶてしいのがいい。このねちっこい悪役に合わせて、わざわざ太ったのかもしれない。父親が得意とする味のある悪役と違って、死ぬときに「ザマミロこの腐りきった極悪権力者野郎!」と、心の底から喝采できるのがいい。


11月23日 土  愚痴愚痴狸

 腰と背中の痛み、それ以前に悩まされていた風邪っ気の推移に似て、働けないほどひどくはなく、悪化する気配もなく、しかし日々薄紙を剥ぐようにしか改善されない。ぎっくり腰や椎間板ヘルニアほどの実害はないが、とにかく鬱陶しい。
 これが老化による神経痛や筋肉痛だとしたら、子供の頃、ご近所の井戸端会議(もう井戸端はほとんどない時代だから正確には『電柱の根元会議』ですね)で、お年寄りたちがぐちぐち慰め合っていたように、「いい陽気」の訪れを待つしかないのだろうか。
 暑さにはとことん弱い狸だが、確かに夏場には筋肉痛がほとんど起こらない。たれぱんだ化するだけである。

          ◇          ◇

 大阪で行方不明になった女子小学生、無事に発見されて心から安堵したが、SNSとかで知り合ったウスラバカに騙されて、そのウスラバカの家がある栃木まで同行した末に監禁されていたようで、おまけにその家には別の少女まで監禁されていたらしい。
 まだ世間に疎い年頃とはいえ、なんで見ず知らずのウスラバカを、あっさり信用してしまうんだろうなあ。
 まあ思春期に入ると、身内や学校の連中に対して色々と思うところが生じたり、未知の世界により良い環境が待っているように感じがちだが、赤の他人など四分六で有害の可能性が高いわけで、甘言を弄して近づいてくる赤の他人はとくに危ない。だから知らない人には「こんにちわ!」と元気に挨拶し、それ以上の深入りを、明るい笑顔ではぐらかすべきなのである。
 ところで、その栃木のウスラバカ、狸の呪いで今夜中にも突然死を遂げてほしいのだが……長生きするのだろうなあ。ウスラバカはとにかくニブいからなあ。

          ◇          ◇

 GSOMIAの件、土壇場でムンさんが日和ってしまい、大いに失望した。
 たとえ半島の赤化統一が望めない四面楚歌の状態でも、青年期からの美しい夢に殉じて、とりあえず赤化してほしかった。
 広からぬ同じ半島内で、自称共産主義国家がふたつ、しかも元は同一民族でありながら社会意識はあっち向いてホイになってしまった国同士が軒を接する――そんな、歴史的に希有でドラマチックな事態を、狸は、生きている内に見てみたかったのである。いずれ統一するにしろ、骨肉の争いを繰り広げるにしろ。
 ……我ながら、ひでー狸である。人間に化けた畜生である。
 それもこれも、なかなか去らない筋肉痛と、狸に招待状をくれない『桜を見る会』が悪いのである。


11月16日 土  時の旅人

 ようやく風邪っ気が抜けた。
 今週はビル街の彼方に雪化粧した富士が拝める快晴の日も多く、ようやく心地よい秋の到来を感じた。
 などと言いつつ――腰が痛い。背中も痛い。昨日の帰穴時などは、せむしの仔馬になったような気がした。いや狸は仔馬ではないから、ただのせむしの老理である。
 ひと晩寝たいだけ寝たら、まだ多少バキバキするものの、なんとか直立歩行に戻れたのだが、遠からず曲がりっぱなしになりそうな感じもする。

 で、テレビ東京の『旅バラ』が、もう終わってしまうらしい。蛭子さんの体がもたないからだ。もともと元祖の『バス旅』が終わった時点でかなりくたびれていたわけだが、近頃の『旅バラ』では歩行にも言動にも明瞭に老化が窺え、大ファンの狸も「そろそろ勘弁してあげてください」という気分になっていたので、ある意味、朗報である。もう七十過ぎだものね、蛭子さん。
 今後は、あのユルユルした『いい旅・夢気分』あたりで、年に何度か、太川&蛭子コンビを拝めれば良しとしよう。

 いっぽう太川さんも、狸とほぼ同年齢だけあって、老化の気配は否めない。
 たとえば、元祖『バス旅』のマドンナ役は熟年女性が多かったのに対して、『旅バラ』ではマジに若い女性タレントさんが多く、彼女らが純平成流の依怙地に近い自己主張を繰り出すと、太川さんはついつい昭和育ちの爺さんっぽく「ああこりゃちょっとつきあいきれんわ」的な嫌悪に近い表情を、思わずちらりと浮かべてしまったりもする。
 しかし狸は、太川さんのそこが好きだ。
 狸だって姪世代とつきあうときは、万事に物わかり良く接したいと思っているが、平成の依怙地と昭和の依怙地には、どうしても齟齬が生じる。どちらが間違っているという話ではない。ふつうに生きる上での権利と義務の軽重というか、対抗と妥協の境界というか、そこいらのバランスが、明治・大正・昭和・平成、やはりそれぞれ違うのである。まあ江戸と令和ほど隔たってはいないにしろ。
 太川さんは、朝の30分枠の旅番組にもしばしばピンで登場し、少年の稚気を多分に漂わせながら、あちこち歩き回っている。
 令和の老人が、老化したがゆえについつい漏らしてしまう昭和の少年としての本音――そんなのが、狸にはとても好ましい。

     

     


11月08日 金  イケナイコトカイ

 薄紙を剥ぐようにぐじゅぐじゅじゅるじゅるは快方に向かっているものの、日々のトイレットペーパー消費(ビンボなのでティッシュの代わりに使っている)と似たようなペースで、なかなか芯までは届かない。
 言いたくはないが、本当に老化を感じる。
 日々ぐじゅぐじゅじゅるじゅるしながら探食活動に励んでいると、世間なみの良識などは鼻水や痰といっしょに排出されてしまい、顰蹙ものの想念ばかりが頭に浮かんでは消える。
 たとえば、田代まさしさんがまたシャブで捕まったと聞くと、過去に三度ばかり同じ罪で捕まり、しかしこのところはなんとか捕まらずに音楽活動を続けてくれている、岡村靖幸さんの姿が脳裏に浮かぶ。
 で、このまま無事に歌い続けられますようにと、狸の中の白い狸が祈るいっぽうで、腹の奥に住まう黒い狸は、たとえシャブによるドーピングがあったとしても、ウン十年前のように、狸のまだ若かった魂を芯の芯からわななかせてくれるようなステージをまた見せてくれまいか、そんな反社会的な本音を、つい漏らしてしまったりするわけである。
 それがさらなる消耗と不幸にしか繋がらないことは、無論、解っているのだ。
 でもね。
 狸はやっぱり、わかっちゃいるけどやめられない、そんな時代に育まれてしまった老狸なのです。
 ……などと言いつつ、生涯偽善者を標榜する身、気道が快癒したとたんに、一転「ダメ! ゼッタイ!!」とか叫び出すんだろうけどな。

     


11月01日 金  ぐじゅぐじゅずるずるひりひりひり

 このところの気温変化に適応しきれず、ここ三日ほど、気道まわりがずっとぐじゅぐじゅずるずるひりひり状態。
 全身症状は例によって微熱にとどまり、寝込むほどではないのが中途半端で鬱陶しい。

          ◇          ◇

 で、顰蹙覚悟で告白する。
 首里城火災のニュース映像、あまりに見事な炎上っぷりに、大スペクタクル映画を見ているようなカタルシスさえ覚えてしまった。
 言い訳すれば、震災や洪水と違って、人的被害が出ていないことを、すでに知っていたからでもある。
 ともあれ木造建築物は、ちょっと火が出れば瞬く間に灰燼と化すのが昔からのキマリである。昔のままに完全復元するべくスプリンクラー等を設置しなかったのだとすれば、昔のままに焼け落ちることも、復元の一環ということになってしまう。せめて周囲に放水設備が欲しかった。
 いつだったか、有名な寺社のドキュメントで、出火したとたんに四方八方の地中から放水する設備を見たが、あれだと火元の棟は台無しになるにしろ、隣接する主要棟もろともの丸焼けは防げる。首里城再々建の際は、くれぐれもその線で進めてほしいものである。
 いっそ今様の耐火建材で構造だけ再現するという手も――いや、やっぱりそれは安易だな。狸のでんぐりがえりじゃあるまいし。
 いやでもやっぱり、実物大のジオラマとして割り切る、そんな考え方も……。

          ◇          ◇

 ほう、二度目の東京オリンピックは、とうとう北海道まで拡散するのか。
 そんなに暑いのがいやなら日陰で寝てりゃいいのになIOCならびにアスリートの方々――などと正直に言ったら、やっぱりしこたま顰蹙買うんだろうなあ。
 ともあれ、東京の真夏の過酷さ、それも冷房の効かない環境を毎年たっぷり味わっている狸としては、いっそすべての屋外競技を北海道でやるのが世のため人のためだと思うのだが、どうか。