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01月29日 水 放流 |
明日はアブレ日――などと言いつつ、現在すでに30日の午前5時なのであるが、例のクリスマス物件を放流しました。
結局、切ったり貼ったり貼らなかったりパッチをあてたりして、また数枚分増えたりしている。
放流した画面をざっと眺めてみると――ありゃ、打ってる間はけっこう高揚してたのに、客観的に見れば、ただのいつもの狸節、しかも長いこと一人称でアホばかり打っていたせいか、どうも語り口がぎこちないような――。
などと言いつつ、シーン配列やストーリー自体は今後も変わらないと思われますので、皆様方におかれましては、煮るなり焼くなりゴミ箱に放りこむなり、とにかくいっぺんツンツンしていただければ、狸も安らかに狸寝入りできると思われます。ちゃんちゃん。
01月26日 日 真っ白の狸 |
……なにが寝るまでには終わるだ。100枚突破で自分に呆れているバヤイではなかった。
実は現在、すでに月曜の午前0時30分。
終わった。
数えてみれば130枚超。書きようによっちゃ200枚の長編にできるぞ。裏設定の没アイデアまで使えば500枚の大長編になるぞ。
ともあれ、もう言い訳はしません。
明日は仕事なので、風呂に入って寝ます。
放流は近日中――そう居直るしかないよな、うん。
01月25日 土 途上にて |
時間旅行列車から落ちこぼれてしまったので、しかたなく線路の上をぽこぽこと自前の四つ足で歩いている狸なのであるが、現在すでに午後11時、ラストシーンを打ち始めたばかりである。クリスマス物件が旧暦クリスマス物件に、さらに春節まで遅延し、さらに遅延しているわけである。
しかし、寝るまでには確実に終わる。とはいえ打ちっ放しで放流するわけにはいかない。まあ明日も自主アブレだから、明日の夜には、とりあえず放流できるだろう。
で、結局、原稿用紙換算で、すでに100枚を突破している。もはや短編ではなく中編である。狸はつくづくクドい。
などと言いつつ、ふと思えば、今のラスト・シーンだけでは、余韻を残すどころか、狐に騙されたような当惑を、多分に残してしまいそうな気がする。いつぞやの並行世界物件ならそれでいいが、今回のでんぐりがえりに関しては、それは狐ならぬ狸の望むところではない。
いっそ、パンダ物件のときのように後日譚をいっさいがっさい語って、クリスマスらしく、とことんおめでたいオチにしてしまうか――それでブーイングが出たら、直せばいいだけの話である。
うん、とりあえずそうしよう。どのみち寝るまでには終わるだろう。
考えてみりゃ、あのパンダ物件も、続編ほどズバリではないが、クリスマス・ストーリーみたいなもんなんだよな。
01月19日 日 しっかり振り落とされた時間旅行 |
ほーら、やっぱりまだ終わらない。まだ話の八割までしか語れていない。
と、ゆーわけで、狸の国の旧暦クリスマスを、「クリスマスは春節に合わせて1月25日」と定義しなおします。狸の国では、そーゆーことになっているのです。
まあ、今、なったばかりですけど。
◇ ◇
などと言いつつ、本日は何ヶ月ぶりかで秋葉原に進軍した。メロンブックスに店頭受け取り注文していた、谷口先生の同人誌『チャルダッシュ姫』を受け取るためである。ちなみに超おフランス漫画の続きが載っている『マンガ論争』は、すでにメール便で到着済み。そっちは発行元からの直送で、送料無料である。メロンブックスのほうは送料が数百円かかるので、電車で往復してもトントン、ならばアキバ見物を兼ねた方がいい。
しかしアキバも年々歳々、なんかツンケンしてきてますね。平日の朝の乗換駅よりも、対向車、じゃねーや、対向者がガンガン衝突してくる。小心な狸は避けようとしているのだが、避ける前に真正面から攻めてくるのである。あの「避けたら負けだ!」みたいなガチ感は、なんなんでしょうね。巷の非寛容発言の増加と、似たような現象なのだろうか。
ああ、学生時代の、みっちり詰まりながらも当たりのユルい雑踏が懐かしい。ビルを彩る巨大な美少女ゲームの広告や、エロゲーのポスターなども、昔は絵柄が様々で楽しかったし。同じ愚痴を何度も繰り返して恐縮だが、今のいわゆる萌え絵の娘は、老狸には同じキャラの髪形・衣裳違いにしか見えないのである。
まあ、狸の学生時代だって、太刀掛秀子先生の少女も田渕由美子先生の少女も陸奥A子先生の少女も、中高年の方々には区別がつかなかったらしいが、狸から見れば歴然と差のある個性的な少女たちだったわけだから、今の若いおたくには、今の同じようなキャラだって、歴然と区別できるのだろう。
でも正面から爺いが歩いてきたら、お互いちゃんと譲り合おうな若い衆。しまいにゃ包丁持ち出して刺すぞ、近頃の爺いは。
◇ ◇
谷口先生のツイッターを覗いたら、あの終盤の趣向に誰もつっこんでこないのは気がついてないからか、という意のこと(たぶん)をツイートしておられた。
……はっきり気づいて「うわあ」と硬直してしまった狸にも、実はつっこめないのである。
ただの悪戯心と見るには、あまりにも全体の根幹に関わる趣向だし、少女のバレエ姿を好む狸らロリ野郎の本音を揶揄されたのか、軽くからかわれただけなのか、それとも作品全体を貫く脱力ギャグの一種であるのか、狸には断定できなかった。
しかし他の方々も口を揃えているように、後半の、延々と続く舞踏の漫画的表現は圧巻であった。
売り切れたら増補版を出そうか、という意の御本人のツイートもあり、もし出たら、当然、狸はまたアキバに進軍する。
今度はちゃんと懐に包丁を隠して――冗談です冗談。狸は汁の具になる小動物なので、バラされてもバラしません。
01月12日 日 やっぱり振り落とされそうな時間旅行 |
おお、もう令和三年の一月も中旬に入ってしまったんですねえ。
……違うかもしれない。
などと寝とぼけつつ、ずっと冬眠していたわけではない証拠に、日銭もなんとかちまちま稼げて、合間に打つ旧暦クリスマス物件もいよいよクライマックスに突入しつつあるわけだが、まあ旧暦ギリギリか、あるいは旧暦にすら追い抜かれそうな予感もあったりして、老理は順調に世の流れから落ちこぼれつつあるのであった。
実はとっくに激しく落ちこぼれているに違いないと思ってしまうのは、現在とっくに令和二年なのに、作品中では時代遅れの愚かな主人公が昭和から平成に変わるあたりのクリスマスを舞台にドタバタしているからである。
とりあえずタイトルだけ予告しますと――じゃじゃーん、『ラスト・クリスマス』。
Wham!さんたちの歌ほどではないものの、ロマンチックでペーソス溢れる、狸印の地道なファンタジーに――なるといいなあ。いやなるに違いない。たぶんおそらく万が一。
01月03日 金 ぼーっとしてると振り落とされる時間旅行 |
結局、元日も翌日も明け方まで起きていて、午後2時とか3時とかまで寝てしまい、初詣や長歩きはできなかった。
ちょっと買い物に出た以外は、年末年始の大量録画物件をぼちぼちチェックし、自前の打鍵物をあっちこっちぽこぽこしていただけである。
まあ、お休みなんだから、適当でいいんですけどね。
しかし本日で連休終了となると、さすがに昼前には起き出し、例によって江戸川やら柴又やら帝釈天やら、ぽこぽこと歩き回る。
もう正月も3日目だし、晴れ着ろりのような稀少天然記念物は見られないかと思ったら、奇跡的にふたりも目撃できて、おまけに帰りの電車では、ろり盛り(狸語で12歳前後の女児を意味します)の娘さんが隣に座ってくれて、まことにおめでたい正月であった。
しかし、帝釈天の参道で、オリンパスペンEE2などという、狸が小中学生の頃の純アナログカメラで、せっせとアナログな街並みを撮影している推定20代前半と覚しい娘さんを見かけ、思わず「結婚してください!!」などとすがりつきたくなったのは、ろりおたとして恥ずべき衝動なので、重々自戒せねばなるまい。
いっとき、若い女性の間でアナログカメラが流行っているとは聞いていたが、あんがい持続しているのですね。
◇ ◇
紅白の視聴率が過去最低を記録したそうだ。そりゃそうだよなあ。
年末の恒例行事として毎年きっちり録画再生する狸としても、今回の紅白は、あまりにも散漫で、制作側がどこを見所にしたいのか、さっぱり解らなかった。期待していたYOSHIKISSも、散漫な全体の中に埋没してしまったし、AI再現の美空ひばり新曲など、視聴者がAIに支配される未来を危惧しないようにわざと手を抜いたのかと思うほど、姿も声も生きていなかった。本物のひばり先生が、雲の上で「あんたら100年早いわよ」とか、苦笑されていることだろう。
対して、テレビ東京の『年忘れにっぽんの歌』は、懐メロやら演歌やらJポップのはしりやら、さながら新旧合同昭和流行歌博覧会になっており、狸としては嬉しいかぎりであった。さらに、去年まだ生きて歌っておられた後期高齢歌手の方々が、ほとんど今年も生きて歌えているという事実に、なんとも有難味を覚える。思い起こせば、皆さん、前々回にも出演されていた方々ばかりなのである。
さほど老いてはいないと思うのに突然亡くなる方が多い中、一定以上生き延びた方々は、このまんま死なないんじゃないかと思うほど、お元気なのですね。
そのうち狸が死んでも、どうか生き続けてほしいものである。
01月01日 水 新・全自動時間旅行 |
ほら、やっぱり自分では何もしていないのに、明けましておめでとうございます。
しかし自分でポコポコ打鍵しているテキストは、昨日も今日も幾許か増えておりますので、そのうち皆様、本年もよろしくお願いいたします。
……うわ、もう朝の6時だよ。初日の出、終わっちゃったよ。いやまだこれからだよな、窓の外、暗いし。
でも寝よう。
起きてまだ昼だったら、柴又帝釈天に行こう。