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05月26日 火  なるほど緊急事態宣言は解除されたらしい

 案の定、町にも土手にもイッキに人が増える一方、爺いでも雇ってくれる奴隷現場はまだ解除されていないみたいなので、猫耳物件の最終回を際限なく引き伸ばしつつ発作的に新しい短編を書き始めたりしてしまっているとか、それでも今月もなんとか数万の所得は得られそうだとか、でもこのままのペースだと夏前に破綻するから早く給付金くれ年金くれとか、そういった個狸的な話はきれいさっぱりちょっとこっちに置いといて――。
 おとついテキトーに語ってしまった新型コロナ関係の仮説、いいかげんなアルツ脳の記憶だけを垂れ流したのでは巷のフェイクニュース拡散者と同じ事になってしまうので、念のため、話の出所は、こっちそっちです。
 まあ、皆さんとっくにご存知かもしれませんが。

 ところで、その新しい短編をポコポコしていたら、「……あれ? これってなんか、小松左京大先生の『ゴルディアスの結び目』をトレースしてるだけなんじゃないの?」などと大変な事実に気づいてしまったわけだが、「まあそもそも芸風が別物だから、あくまでオマージュってことで!」などと居直ってしまう、自分に甘い自分がとてもかわいい今日この頃の狸ではある。
 心身ともに、真に自分を甘やかしてくれる者は、自分しかいない。
 だから自分だけは裏切るまいと思うし、その結果、自分以外の者を命がけで甘やかせる奴らの夢物語を、今もポコポコしているのである。


05月24日 日  どうやら東京周辺も緊急事態宣言を解除するらしい

 はんとにだいじょぶかいな、と首を傾げつつ、まあ他の地域を解除するときも「でも第2波がきそうになったらまたすぐやるからね」と言いながらだったし、そもそも緊急事態宣言自体が、ほとんど「とにかく自粛してね」だけだったのだから、まあ、今後も様子を見るしかないのだろう。
 個狸的には、殺人的な通勤ラッシュの復活が、ひたすら恐ろしい。しかし、すぐにそこまで経済活動が復活するとも思えないから、まあ、それも様子を見るしかないのだろう。
 狸穴のある県でも中旬から配布開始されたはずのアベノマスクは未だに届かないし、給付金とやらの振込予定も先に伸びるいっぽうだし、まあ、何もかも、ひたすら様子を見るしかないのだろう。
 ただし、現在の内閣や厚労省には何を期待しても無駄みたいなので、様子は見ずに、ただヘラヘラと笑っておこう。

 ともあれ、発酵アルコールの消毒液(ラベルによれば食品添加物に分類されているが、ちゃんと77%はアルコールらしい)は入手できたし、アルコール入りのウエットティッシュも確保したし、布マスクも使い捨てマスクも備蓄できたし、あとは仕事が増えるのを待つばかりである。
 ……最後の一点が、いちばん難しい気もする。

          ◇          ◇

 NHKのニュースが阿倍さん寄りだと、あいかわらずツイッター界隈で指摘されているようだが、例にあげられるニュース映像が明らかに一日の内でも短い時間帯のニュースの一部で、狸が見た夜のニュースより短かいバージョンだったりもするので、真に受けるのは危険である。
 そもそも民放やネットのニュースはどうかとチェックしてみれば、相も変わらず小姑鬼千匹の井戸端会議で、話を盛り上げるためなら、どうとでも現実を編集している。広告収入のためなら親の首もひねるし、赤子の口だってふさぎかねない。ラジオで国会中継をえんえんと流しているNHKのほうが、やっぱりまだマシな気がする。昼に流しきれなかったぶんは、わざわざラジオ深夜便を短縮して流したりもする。個狸的には、ラジオ深夜便のほうが聴きたい気がする。

 他粛中に、新型コロナ関係番組や、他のドキュメンタリー番組(国内・海外含め)を色々見まくった結果、ETV(昔のNHK教育ですね)が、いちばん正気な印象であった。右とか左とかに関わりなく、何事も几帳面に、大真面目に論じるに越したことはない。

          ◇          ◇

 ところで、なぜ日本の新型コロナによる死亡率が他国に比べて異様なまでに低いか、おもしろい仮説を知った。

 以前から、それに似た仮説はあった。日本には、強毒性の武漢型ウイルスに変異する以前の弱毒性新型コロナが以前から蔓延しており、自覚無しに集団免疫を獲得していた、という説である。
 しかしそれだと、ここまで他国との差は広がらないように思う。
 で、どこぞの学者さんの新仮説によりますと――。
 強毒性の武漢型ウイルスに変異する以前、新型コロナウイルスには、似たような弱毒性でも実は性質の異なる2種の型があり、一方は変異後の強毒性ウイルスを仲間として認識し、一方は別物として体内への侵入を抑制する。

 なあるほど。
 あくまで仮説ではあるが、これなら辻褄が合う。
 つまり日本は、中国からの入国者をギリギリまで放置していたことで、今年の早い時期に弱毒性ウイルス、しかも後者がすでに蔓延していた。前者でなかったのは自然界のなんらかの摂理、ぶっちゃけ幸運にすぎない。しかしただの幸運とはいえ、後者の弱毒性ウイルスですでに集団免疫を獲得しつつあった上、その後に強毒性の武漢型ウイルスが到来しても、すでに蔓延していた弱毒性ウイルスが新顔の人体取り込みを抑制し、結果的に重篤化が少なくて済んだ――そんな構図である。
 いっぽうイタリアやアメリカやブラジルは、早期にロックダウンを徹底してしまったがゆえに、弱毒性の免疫を獲得できないまま、いきなり強毒性に襲われた。あるいは日本との立ち位置の違いによって、先行する2種の弱毒性の内、変異後の強毒性ウイルスを歓迎するタイプが不運にも蔓延していた。そこに強毒性の武漢型やさらなる強毒性変異型が到着、すでに体内にいた先行型に歓迎されて、まともに肺を直撃してしまったわけである。

 以上の仮説が本当ならば、まさに日本は自然界の幸運、つまりカミカゼに救われたわけであるが――。
 どのみち自然の摂理によって、まだまだウイルスの変異が続く以上、そのカミカゼは、あくまで第一波限定と考えねばならぬ。

          ◇          ◇

 風呂から上がったら、体中がダルくてしかたがない。飯を食うのも億劫だ。
 今さら新型コロナかよ、などと焦って体温計を持ち出したら平熱で、そもそも気道まわりには、なんの違和感もない。
 で、スマホの万歩計アプリを見て驚いた。
 本日は久々の晴天に浮かれて、いつのまにやら2万歩以上歩いていた。江戸川から真間の高台にかけて、距離にして十数キロ、バス旅全盛期(?)の蛭子さんでも、そろそろヘロヘロになって愚痴る距離である。
 ダルいわけだよ困ったもんだ。
 でも、明日も他粛確定だから無問題。

 ……問題を先送りにしているだけ、とも言う。


05月19日 火  まだまだ他粛の日々

 明日の予定が自主的にはいっさい立てられない、という生活が、ひと月半ほど続いている。
 正確に言うと、どんな仕事の口があっても自主的にキャンセルする、つまり純粋に自粛するという選択肢は毎日あるのだが、現状、自分の体力でこなせそうな数少ない日雇い仕事を自分から断るなどという、精神的・経済的な余力がない。
 とはいえ口がかかるのは相変わらず週に1〜2回、ほとんどの日々は『前日の夜に他粛が決まった日』である。
 まあ十何年か前には、今回のような社会的要因ではなく私的な事情で同様の日々を送り、結果、明日食う金もなくなって途方にくれたりしたわけだが、その後、自分以外にほとんど金がかからない身の上になったし、奴隷の最低賃金もそこそこ上がったしで、とりあえず明日食う金には困らず、屋根付きの狸穴を追い出される心配もない。
 しかし、来月は、どうか。
 再来月は、どうなっているか。
 そこいらのアレコレに関しては、いかに能天気がデフォルトの狸脳も、近頃シクシクと鬱りがちである。

 古本屋の百均で、『私たちはなぜ狂わずにいるのか』(春日武彦・新潮OH!文庫・2002年)などという、精神科医の方が著した書物を購った。資料目的以外にはほとんど読まないタイプのそんなジャンルに手を出したのは、無論、狂わないためである。
 まあ、いっしょに『能の世界』(古川久・教養文庫・昭和35年)などとゆー古物もレジに運んでしまうところが狸らしいといえば狸らしいのだが、考えてみれば能楽なんてものは、演者や観客はともかく、舞台内容そのものはすでに狂った世界の見本市みたいなものだから、狂気を客観的に眺められるうちは、狸も狂っていない道理である。
 ……たぶん。

          ◇          ◇

 世間が自粛一色に染まっている間、NHKのBSで、『ゴッドファーザー』三部作だの『ドクトル・ジバゴ』だの、懐かしの大長編映画をしこたま放送してくれた。『新幹線大爆破』やら『飢餓海峡』やら、懐かしの邦画も多数録画できた。
 で、ああやっぱり明日も他粛だ困ったもんだ、みたいな長い夜、じっくりと再観賞したわけである。

 ……いや、やっぱりモノが違いますなあ、昔の大作映画は。
 とくに『ドクトル・ジバゴ』なんぞ、ほとんど男女間の三角関係が錯綜するだけの、つまり昼メロっぽい痴情のもつればっかりの話が、デヴィッド・リーン監督の語り口でロシア革命という大舞台に自然に練りこまれ、大歴史ロマン以外の何物でもないシロモノに仕立て上げられてゆく様は、三時間以上ぶっ続けで観ていても飽きず疲れず、ラストなんぞ、なんじゃやら、ありがたくて伏し拝みそうになる。
 鬱に対抗するには気韻しかない――そんな気分になれるのである。


05月14日 木  遠くに行きたい

 知らない町を歩いてみたい。
 どこか遠くへ行きたい。
 でも金はない。
 ♪ る〜るるる〜〜 る〜るるる〜る〜〜 ♪
 などと黄昏れているばかりでは萎縮するいっぽうだし、実は知らない町くらい、なんぼでも歩けてしまうのが日雇いの妙味である。

 昨夜、急に夜勤に空きができたとやらで、まだ行ったことのない現場に出た。
 で、その夜勤が予定より2時間も早く終わり、夜明け前に解放されてしまった。日給現場だったので、2時間ぶんは丸儲けである。
 倉庫や工場の立ち並ぶ殺風景な現場であったが、しらじら明けのそうした場所を、ひとりあてもなく歩くのも一興、とゆーわけで、最寄りの京葉線の駅に向かう方々と別れ、たぶんこっちに何キロか歩くと土地鑑のある地下鉄原木中山駅あたりに出るはず、そんな見当で、徘徊を開始した。
 大当たりでした。
 ちょうど陽が昇り始めた頃、なんじゃやら頭上に複数の高架道路があっちこっち曲線を描いて縦横にうにょうにょと重なりあう、きわめてSFチックな光景に遭遇。
 見たことのない風景なんて、行ったことのない場所に行けば、なんぼでも見つかるのである。まあ、期待した昭和レトロ調ではなく、異様なディストピア調だったのだが、それとて新鮮な光景には違いない。

 今月ありついた仕事は、まだ3回目。しかし今回は夜勤だったので、先月前半よりは、まあマシな稼ぎである。

          ◇          ◇

 カクヨムに投稿したクリスマス物件は、どうやらPVも打ち止めのようだ。しかし旧知の方々以外にも、★と好意的なコメントをくださった方が、おひとりいらっしゃる。狸としては、それで十二分にありがたい。
 読む側としても、せいぜいあちこち突っついて、狸の周波数に合うものを探しているところである。


05月09日 土  続・今日はなんの日?

 などと、前回に続いて適当にタイトルを打ってみたからといって、狸の萎びた脳味噌から、つまらないオヤジギャグがすぐにわいてくるとは限らないのである。
 えーと、ゴクの日?
 ――なにも思いつかない。
 じゃあ、ゴキュウの日?
 ――いよいよ思いつかない。

 ならば、イクの日ではどうだ。
 ――ありゃ、これなら、なんぼでも思いつくではないか。
 しかし、イクの日の由来を下手に語りだすと、ただでさえ残り少ない人としての尊厳の、残り全てを失ってしまいそうな気がするので、あえて語るまい。
 昨日だったら、スペインの宮廷画家ゴヤの日とか、沖縄のゴーヤの日とか、無難に語れたんだがなあ。

          ◇          ◇

 カクヨムに初投稿したクリスマス物件に★を入れてくださった旧知の方々に、きゅうんきゅうんと鼻をすりよせて甘えたいと思う。
 あとは、初対面の方がひとりでも通読してくだされば、新しい場所にでんぐりこんで(そんな日本語はないが狸語ならある)万々歳である。
 新しい方々の作品も、ぼちぼち読ませて頂いている。狸の萎びた脳味噌を、けっこう刺激してくれる短編や掌編もある。
 しかし、じっくり追えそうな長編となると、やっぱり旧知の方々の作ほど親和できるものは、まだ見つからない。

          ◇          ◇

 姉から送ってもらったアネノマスク2枚を重宝していたが、何度も洗うので、先月の末あたりには、やっぱりかなりくたびれてきた。しかし巷には使い捨てマスクも布マスクもまったく見当たらず、狸はアベノマスク2枚の到来を、本気で待ちわびていた。
 でも、来なかった。
 今週あたりから、巷にもボッタクリでない国産マスクが出回りはじめ、狸も本日、無事に適正価格で入手できた。
 そして昨日だか今日だか、東京都以外にもようやくアベノマスクの発送が始まると報道されたわけだが、それとて来週以降、それも特別警戒都道府県だけの予定である。
 すげえ。
 これで阿倍さんちのお坊ちゃまは、この国のパワーゲーム史上、殿堂入り決定である。
 この国の全世帯に、わざわざ『脱力』と『失笑』を目に見える形で送りつけたボスキャラがいたことは、もはや永遠に語り継がれるであろう。

 ……などと言いつつ、やっぱりもらえりゃ嬉しいのよな、アベノマスク。
 ただのガーゼのマスクだって、薬局で買えば300円近くするし。
 ちなみに今月の狸の所得、現在、2万に届いてません。


05月05日 火  今日はなんの日?

 5月5日――たぶんゴーゴーの日なのではなかろうか。
 狸が物心ついた頃には、すでにイケイケなお兄さんやおねいさんたちが白黒テレビの中で踊り狂っていた気がするから、きっと、あれの記念日に違いない。
 タンゴの節句から派生した『子供の日』である、という説もあるようだが、子供がタンゴを踊り狂っている姿はまだ見たことがないので、たぶん何かのまちがいだろう。

          ◇          ◇

 で、巷ではあいかわらずステイ・ホームが叫ばれる中、狸はゴールデンウィーク中にも、実は1日だけ働きに出ました。
 すみませんすみません。
 次の予定はまったくないので、どうか許してください。

 などと言いつつ、明日の日銭が入るかどうか、前日の午後でないと判らないスリリングな生活は、野良狸の醍醐味である。

          ◇          ◇

 こないだから、猫村様の東南アジア冒険ファンタジーを読み進めるたび、なんじゃやら、狸の耳に響いてくる音楽があった。
 といってその音楽が、いつどこで聞いたなんの音楽なのか思い出せず、いささか悶々としていたのだが、昨夜、ようやくYOUTUBEで見つけ出した。
『ザ・ディープ』――遙か昔の夏、狸が山形のシネマ旭(すでに跡形もない大スクリーンのロードショー館)で観て、そのうち忘れてしまったB級海洋アクション映画の、サウンド・トラックである。

     

 なんと、映画音楽の巨匠、ジョン・バリーの作品だったのですね。
 古い時代の『007』シリーズとか、『野性のエルザ』で有名な、あのジョン・バリー。
 今回狸が見つけられたのも、同じバリーの『ある日どこかで』を探しているうち、偶然、横に出てきたからである。

 あくまで狸の脳内限定BGMの話だから、猫村様にも他の読者様にも無関係なのだが、改めて聴けば、「今回はあえて売れ線を狙わずに、南の海で好きなように遊んでみたんだけど、けっこういいノリでしょ?」――そんなバリーの声が聞こえてきそうなサントラではある。


05月01日 金  続・やっぱりほぼ他粛な日々

 4月中の狸の稼ぎ、ぬわんと5万ちょい。
 それでも、これまでの備蓄の残りと合わせれば、なんとか6月半ばまでは食いつなげる勘定だ。
 さて5月、どこまで稼げるか予断を許さないが――最底辺の雇用状況が好転するとは思えんわなあ。

 ネット上のニュースで、派遣を切られて家賃も払えない話はしょっちゅう見かけるが、逆に、大都会の土日祝日など、ほとんど人影が消えた駅に毎日かよっている自粛不可能な底辺派遣労働者、みたいな記事があったので興味深く目を通したら、御本人のインタビューによれば、身障者枠の長期契約の方らしかった。
 なるほど、単日や短期の狸が先々月まで順調に通えていたいくつかの現場にも、必ず身障者枠の長期の方がいらっしゃって、狸が2年ぶりに顔を出しても同じ方といっしょになったりしたが、そうした枠であればこそ切られにくい代わりに、出ろと言われる限りは出ないといけないのだろう。正社員さんや狸ら、つまり上と下が自粛他粛で数を減じているぶん、そうした方に負担がかかっているのではないかと心配になる。
 いずれにせよ、狸が2ヶ月近く前に体験した、土曜の舞浜駅の強烈な異世界感というか悪夢感を、毎日のように味わっている方もいらっしゃるわけである。

 例の給付金10万、狸穴がある市でもHPから申請書をダウンロードできるようになったと聞き、さっそく覗いてみる。
 なにせ東京都内なみに人口が多い街なので、市役所の方々がどんなに頑張っても、あちらから各世帯に個別の申請書を郵送できるのは5月半ば以降、もしかしたら6月にずれこむ可能性もあるらしい。当然、実際の給付は、いつになるかわからない。ダウンロードした書類による申請は、あくまで個別郵送を待てない困窮者向けの緊急措置である。それとて給付がいつになるかは不明だが、少なくとも、できるかぎりは優先してくれるらしい。
 狸としては、当然、最悪の事態に備え、緊急措置に乗っかるしかないから、さっそくダウンロードする。

 さて、年金給付は7月からか8月からか――依然として不明である。
 でもまあ、一文なしで完全にその日暮らしだった一時期に比べれば、ずいぶんマシである。

          ◇          ◇

 各種の小説投降板で、過去、狸がアカウント登録をせず完全ROMとして読ませて頂いた場合、「誰かが読んだ」とか「誰かが保存した」みたいな足跡は残っていないのだろうか。たとえば、ついこないだ狸がアカウント登録した『カクヨム』さんとか。

 狸が現在、作者として引きこもらせていただいている『星空文庫』は、天野様がわざわざ外に設けてくださっている『星の門』でいただけるありがたいご感想の他にも、『Auther Tools』内のアクセス解析を見れば、「ああ、今日もどなたか存じませんが、突っついてくれてありがとうございます」とか、狸も人知れず感謝を捧げることが可能である。
 あくまでアクセス数のデータにすぎないにしろ、いつも感想をくださる方々のアクセスらしいデータ以外にも、たとえばクリスマス物件などを今になってツンツンしてくれた形跡があれば、新たに通読してくださった方も、いらっしゃらないとは限らないわけで。

 ともあれ、『なろう』とか、ずいぶん前にアカウント登録した小説投稿板でさえ、もの言わぬROMとしてこっそりダウンロードするだけの立場になってしまっている狸としては、心苦しいかぎりである。
 そしてなにより、プロの作品であれアマチュアの作品であれ、安心できる旧知の作者様の創作物にしか目を通す気力のなくなってしまった狸としては、我が脳内における好奇心や向上心の衰弱を、ひとり嘆くばかりである。
 近頃は古本屋の百均棚でも、創作系には、ほとんど手を出さなくなってしまったからなあ。

          ◇          ◇

 晩年の渥美清さんは、『男はつらいよ』の最終作あたりで、親しい付き人の方に「もう生きてんのが精一杯」と漏らしながら、あのデス・マスクにメイクしたような寅さんを、演じておられたそうである。しかし喜劇役者としての生と個人の生を、ほとんど同調できたことは、やはり羨ましい。
 一介の小動物としては、穴の奥で、もはやデス・マスクを演じようという気力もなく、ただ残された本能のままに、のたのたとでんぐりがえるばかりである。