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06月26日 金  ケーキの切れないCOVID−19

 狸が溶解するほどの温気の中で、新型コロナウィルスの活動がちっとも弱まらないのは不可解である。
 やはり彼らは、数多ある非行コロナの中でも、とくに認知機能の歪んだコロナなのだろうと思ざるをえない。こんな高温多湿の中で、平気で感染を続ける感冒系非行コロナなど、もはや正気の沙汰ではない。
 こうなると、巷でウィルスを捕獲したときも、倫理を説いたり、ケーキを三等分する方法を教えたりするより、「お前はケーキなんぞ食うな。ぜんぶ俺たちによこせ」、そう罵って、タコ殴りにするしかないのではないか。
 そう思い、狸も電車の中や駅の通路を注視しているが、COVID−19らしい非行コロナの姿は、どこにも見つからない。
 夜の町で非行に走るのが好きだという噂があるから、そっちに隠れているのだろうか。

          ◇          ◇

 などと、すっかり脳味噌がトロけ始めている狸にとって、正気を保つには、やっぱり女児である。
 いきつけの古本屋で、少女雑誌『ひまわり』の復刻版が、大量に投げ売りされていた。本来のセットでなく、付録や箱がないバラの冊子が、一冊300円。
 こないだ谷口敬先生の手製同人誌をメロンブックスに注文してしまったので、懐中に余裕がなく、熟慮の末、3冊を選んでレジに運んだ。
 昭和22年から25年、まだ戦後の紙不足などが続く時代に、精一杯のオトメチック・ワールドを保とうとしたペラペラの雑誌たちは、トロけかけた狸を、なんぼかなりとも更生させてくれる。

          ◇          ◇

『カクヨム』に投稿したクリスマス物件に、天野様がレビューを書いてくれた。
 ありがとうございますありがとうございます。
 狸自身は、私的な応援コメントはあっちこっちに入れているが、あの表立ったレビューという世間様へのお薦め文は、お初の方の純文学系の掌編に、いっぺん入れたきりである。いや、なんか、作者様への応援にはなるのだろうが他人様へのお薦めにはちっともなってないぞ、みたいなレビューしか、まだ並んでなかったもんで。
 その点、旧知の方々の作品には、とっくに立派なレビューが並んでいる。

 ともあれ、あのライトな異世界全盛の場でも、見ず知らずの方にレビューをもらえるような売れ線を一度やってみよう、などと画策したわりには、結局、打鍵中の桃色物件でも、冒頭から力いっぱい読者を選別しようとしている、ひねくれ者の狸です。


06月21日 日  されどなんだかよくわからない日々

 あいかわらず暇はあるが、明後日を展望できない日々が続いている。
 録りためたニュースやドキュメントを夜中に見まくっていると、思わず居住まいを正して己の不勉強を恥じたりする一方、老朽化した脳味噌をほじくってこれまでの人類が歩んできた道をつらつらつらっと振り返ったりすると、「……あれ? なんつーか、全世界も全人類も、ウン千年前からのドタバタを、ちまちまちまちま微修正しながら、ひたすら繰り返してるだけなんじゃないの?」などという身も蓋もない事実に思い至り、個狸のみならず生きとし生けるもの全てが明後日なんぞ展望しても仕方がない、そんな身も蓋もない結論に達する。

 こんだけ学習能力が欠落しているのに、ウン十万年も滅びないでいる人間社会、今後なにをどうしくじったって、絶滅するまで少なくともウン千年はかかる勘定だ。

          ◇          ◇

 アメちゃんたちが、また黒人問題でもめているようだ。
 しかし、あの古映画『風と共に去りぬ』の馬鹿さかげんに、多くの方々が今頃気づくというのも間抜けな話で、狸は中学時代に名画だ名画だという世評に騙されてNHKのノーカット放映をじっくり初鑑賞し、翌日にはその映画世界の記憶を、「……いらん」と登校中のドブに捨ててしまった。
 同じ映画に、年上の美しい従姉なんぞはずいぶん感動していたのだが、あまり美しくない実姉は「……微妙?」と言ってくれたので、狸は今でも実姉を信用している。スカーレット・オハラが目の前に出現したら、アトランタごと燃やしてやりたい――それほど無神経な映画だったのである。
 あ、いかん。思わず白人差別に走ってしまった。女性差別もルッキズムも入ってる気がする。

 でも、正直、黒人さんのほうが、いい匂いしますよね。
 以前にも記した気がするが、人類は肌の色が濃くなるほどいい匂いがする、というのが、奴隷現場で各色の方々と馴れ合う狸の結論である。
 お前は人間の価値を匂いで決めるのか、と糾弾されそうだが、狸のことゆえ御勘弁。

          ◇          ◇

 などと言いつつ、またしつこく『切り裂き魔ゴーレム』の、映画の方の話を。
 その後、スタッフの方々のことをちまちまつっついていたら、狸の大好きな英国ホラー映画『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』と、同じ脚本家の仕事であることを知った。
 ジェーン・ゴールドマンさん。英米のエンタメ界では、遣り手の女傑らしい。
 なあるほど――。
 それでどっちの映画も、原作とは違った方向に舵を取り、女性主導のカタルシスに帰結したのだろう。
 ううむ、白人女性、侮りがたし。

          ◇          ◇

 打鍵中の短編、やっとこのまま終わりまで行けそうな導入部ができた。ラストの趣向も本決まりになった。
 これまでは、中間の見せ場ばかり、ちまちまと固めていたのである。
 このアップ・テンポな話なら、そう長くもないし、『カクヨム』あたりで小分けして出すのに向いている気がする。

 しかし、ついに完結した天野様の長編『潮の降る町』が、『星空文庫』の投稿作でよかった。
 長くなればなるほど、全編をイッキにスクロールできる投稿サイトでないと、アルツ気味の狸としては、忘れてしまった過去の情報を再確認しながら読み進みにくい。その点でも、かつての『門』はありがたかった。本編のみならず、読者がこれまで入れてきた感想まで、イッキに見渡せる。
 近頃は、どこの投稿板も、小分け発表がデフォルトらしい。毎朝発行の新聞小説を、毎日読み進めるようなものである。半ボケの爺いには正直きつい。
 その点、『カクヨム』で完結した猫村様の長編南洋冒険譚は、ほぼ週に一度のペースで更新され、分量も適度に増えるのでありがたかった。

 などと言いつつ、今『星空文庫』に置いてある、自前の猫耳物件(不定期連載中)を覗いてみたら――。
 うわ、すげえ。スクロールしてもスクロールしても続きが出てくる。
 このまま地獄の底まで堕ちてしまうのではないかと、心配になるほど果てしなく続きが出てくる。
 これはこれで嫌がらせ以外の何物でもないよなあ、と自戒しつつ――実は、まだだらだらと伸び続けているのです。


06月16日 火  濡れ手で10万

 昨日、噂の給付金が入金されていた。
 すみやかとは言い難いが、50万近い人口を思えば、市役所も頑張っていると言えよう。狸は5月早々にダウンロード申請したからこそ、Web申請と同じ条件で早めに受け取れたが、申請書の郵送到着を待った方々だと、給付予定はとうぶん先である。

 で、なんの労もなく口座に10万振りこまれると、思ったより気分がハイになる。
 あちこち掛け持ちの奴隷生活を送っているから、そんなまとまった金額は、年末のかき入れ時くらいしか振り込まれない。4月以降など、たいがい数千円、多くとも1万ちょいの振込をあちこちちまちまかき集めて、やっと月数万なのである。
 しかし10万くらいでハイになれるのは、ある意味、めでたい気もする。
 沸点は低い方が、楽に沸騰できる。

 ハイになったとたん、例の『カクヨム』様で見つけた純文学系っぽい新規投稿者の方の掌編に、ちまちまとツッコミを入れたりもする。
 いや、あくまで『応援コメント』なんですけどね。もっと良くなると思うから色々言うわけで。

          ◇          ◇

 さて、いきなりジトジトの夏に突入し、本日はいきなり膝までぐしょ濡れになって生きながら発酵したりしてきたわけだが、明日はアブレ確定だし、明後日以降は例によって未定。
 しかし今年も日本の夏は、新型コロナをしのぐ死亡率を誇りそうだ。使い捨てマスクがあっという間に濡れそぼり、日に何枚あっても足りないのである。
 無論、捨てたりはしない。着替えた下着といっしょにビニール袋に入れて持ち帰り、プチ洗濯のタライにぶちまける。

 ともあれ、還暦過ぎた狸も、ヨレヨレ度を増したブチ老僕も、死なない限りは生きてます。
「……ミケ女王様は、どこでどうしていらっしゃるかなあ」
「……みゃあ」
 まあ、そんな感じで。

     

 50過ぎたオーケン氏も、あいかわらずで、なにより。


06月11日 木  他粛は続くかどこまでだ

 東京アラートとやらの無意味なライトアップも終了し、満員電車も夜の巷も着実に復活しつつあるようだが、つぶれるところもまた着実につぶれ始め、イキの悪い奴隷の需要も復活の兆しはない。
 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
 まあ、マジな盛者はしっかり生き残るのだろうが、てっぺん付近の方々も、最底辺の奴隷を見捨てると、いずれ生き血すする相手も激減しますので、どうか御用心。

 とはいえ狸の所得は、なんとか月に数万程度を保ち、今月中に給付金が入れば、7月中は凌げる勘定である。
 年金の振込が始まるのは推定8月として、ハラハラドキドキの線路は続くよどこまでも。
 まあ、いざとなったら社協の窓口も確認してあるしな。

          ◇          ◇

 こうした不安定な生活が続くと、暇がある割に、自作の打鍵などはちっとも進まないのであるが、それでも猫耳物件はユルユルと増えるし、新作短編も、あーでもないこーでもないと順調に停滞しつつ、けして中断はしていないのである。
 ちなみに、その後『ゴルディアスの結び目』っぽい感じはずいぶん薄まり、むしろ、こんな歌をエンディングに流したい気分になっている。
 いや、打っているのは日本の話なんですけどね。タイトルは『桃花の坂』、あるいは『桃林羨道』の予定。

     

 ところで、きわめてキナ臭い路線を邁進する中国政府とは別状、巷の若者たちは、実は彼の国でも日本同様に萌えまくっているようだ。
 たまたまこの歌を、漢詩の女性朗読を探しているうちに偶然見つけ、その縁で、あちらの若向けアニメサイトなんぞをチラ見してみたら――いやマジで『萌』という漢字だらけなのである。
 北京語なんぞまるっきり知らない狸であるが、前後の文字列から、明らかにジャパニーズ・オタクな『萌』らしいので、ちょっと感心しました。


06月06日 土  温故懐古

 アベノマスクが、ついに到着した。
 ……おお、懐かしや懐かしや。
 狸が子狸の頃、風邪をひくと親に着けさせられていた子供用のガーゼマスクが、令和に至っても忠実に再現されている。いっとき流行った、タイムスリップ・グリコのオマケのようだ。ああ、狸の老い疲れた瞼の裏に、懐かしき夕日の三丁目がウルウルと……。

 さすがアベさんちのお坊ちゃま、おじいちゃんっ子ぶりは健在なのであった。配るマスクも、ちゃんと岸内閣の時代を踏襲している。
 ならばそろそろおじいちゃんのいるところに引っ越したらいかが、などとうっかり本音を漏らすと誹謗中傷で告発されてしまうので、ウソウソあなたも妖怪になるまで長生きしてくださいね、とあわてて訂正しつつ、でもとっくにタイプ違いの妖怪になってるみたいな感じが、しないでもない今日この頃ではある。
 ぬらりひょん、とか。

          ◇          ◇

 ネット上に小説を放流する場合、読みやすいように頻繁に空白行を入れるという、たぶんスマホ世代の若い方々向けの流儀は、その世代の方々にも読んでいただきたいなら、当然アリだろう。
 まあ狸の歳になると、メールも切手を貼って出すしかなかった時代の生活が長く、小説も紙媒体での約束事がみっちり刷りこまれてしまっているので、どこにどう空白行を入れればいいのかかえって往生してしまい、今のところ紙媒体に準じた、古色蒼然たる形で放流している。
 冬にクリスマス物件を打ったとき、当初、本文中の空白行は、ラストシーンの直前にたった一行入れただけだった。江戸川乱歩の『押絵と旅する男』を意識し、現実も夢も現在も過去も、一切合切、同じ鍋で煮こんでみたかったからである。しかし結局、狸にはあの頃の乱歩ほどの話芸がないので、あとから読みやすいように小分けしたのであった。乱歩先生だって、後期の商売物などは、かなりいいかげんに語り飛ばしている。

 ともあれ、日本語の散文として狸が未だに憧憬し続けているのは、やはり筒井康隆大先生の『エロチック街道』である。
 空白行どころか、そもそも改行がめったにない。文中の読点もほとんどない。地の文と会話が「」で区切られず、しかも同じ行に混在している。それでも、ひたすら黒々と誌面を埋めている活字の群れからは、なんの滞りもなく、正確な日本語の息吹が伝わってくる。
 あれは狸にとって、テキスト界のビッグ・バンであった。以前にも記した気がするが、美しいまでに正しい日本語だった。

 さほど意味のない数行の空白を、気分しだいでぶっこんで来るようなネット小説だって、情報と情感が伴えば、狸は一向にかまわない。黒っぽい狸語に変換して受信できる。
 それでもやっぱり、すべての会話に空白行がはさまったりしていると、白すぎて目が疲れるし、なんじゃやら頭の中まで白くなったりするので、そそくさと逃げてしまうことが多い。


06月04日 木  祝・図書館復活

 考えてみりゃ、世間や狸の懐具合がどんな状態に堕ちようが、図書館さえ開いていれば、狸の生命線は断たれないような気がする。
 餓死したりホームレスになったりするほどの自尊心なんて、狸のような小動物には元からない。
 今は新型肺炎での頓死だけ、なるべく避けていればいい。
 頓死以前に餓死しそうになったら、市役所や社協の窓口でマイナンバーカードをぷるぷるさせながら「ぼぼぼくはおなかがすいたのでおむすびをください」、そう主張し続けるだけの話である。
 思えば狸ら奴隷仲間、つまり派遣会社への登録で口に糊している連中は、とっくにマイナンバーで、全所得を国税庁に把握されているのである。今どきのまともな派遣会社は、どこもマイナンバーカード登録が必須になっている。まさか税務署が奴隷ひとりひとりのデータを集めたりはしまいが、やろうと思えばいつだってできる。狸が確定申告をWebでやるときも、源泉徴収票を郵送する必要はないし、還付金用の口座だって、とっくに紐付けされている。
 そーゆー立場の奴隷にさえ、未だに給付金が届かない今日この頃、「マイナンバーと口座の紐付けを義務化すれば合理的」とか、何を今さらおっしゃっているのだろう。
 たぶん全国民の口座を把握したって、吸い取るときだけ国でイッキに吸い上げ、配るときには市町村任せ、あるいは中抜き前提で外部委託、そんな形になるに違いない。
 ぶっちゃけ、狸が近未来の仮想戦時小説を書くとしたら、召集令状も電通あたりから送らせる。で、主人公の狸は徴兵忌避して山に逃げ、電通の捕獲員と追いつ追われつしたあげく、あわや狸も戦場送りか、と思われたところで、山に慣れない電通社員は、過労で突然死するのである。

          ◇          ◇

 ……そんな現実的な話を、しようと思ったのではない。
『切り裂き魔ゴーレム』の原作は、なんじゃやら歴史的ペダントリーに充ち満ちた話で、ありがちな知的遊戯としてのミステリーであり、映画とは風合いが天と地ほども違っていた――そんな話をしようと思っていたのである。
 映画版でも、ストーリーの骨子は原作をほぼ忠実になぞっているのだが、キャラへの入魂用の脚色というか、入魂度そのものがとんでもなく濃くなっている。
 逆に原作は、キャラクターの皆さんが、どなたも知的ミステリー小説にありがちなアッサリ味で、ドンデン返しの末に判明する真犯人も、「ああなるほど、こーゆーオチなのね。みんなこの人がやったのね。血みどろの劇場型猟奇殺人も、邪魔者の無造作なシマツも、同程度のサイコパス的なノリで軽くやっちゃったのね」と、すんなり納得できてしまう。

 そうした点を踏まえつつ、再度、映画版を鑑賞いたしますと――。
 ますます、すごい。
 とくに真犯人の過去を少しいじっただけで、ラストにおける真犯人の歪んだ美しさは、原作など及びもつかないカタルシスに達している。
 この石畳の芯まで染みこんだような、濃密な情念は何ならむ。
 英国映画、未だ侮りがたし。


06月01日 月  時の流れに身をまかせられたら勝ち組だよね

 いやもう、日本の明日がどうなろうとこれからの世界がどう変わろうと、狸には関係ないじゃん。
 どうせ老いぼれた奴隷になんぞちっとも日銭の口がかからないし、アベさんが約束してくれた超高級マスク2枚も巨万の涙金も狸穴には一向に届かないし、ぶつぶつぶつぶつ……。

 などといじけながらも、天気が良ければ発作的に江戸川沿いを海までガンガン歩いたりしてる狸なのであるが、たどり着く先はただの湾岸倉庫だか工場の敷地なんだか定かではないコンクリ護岸の角っこにすぎないので、別にどうってことはないのである。
 しかしその東京湾の彼方には、房総半島の対岸やら太平洋やらがウスラネボケたなりに遠望できるし、視力のいい人ならアメリカ大陸だって見えるかもしれないし、「いや俺は視力2.0あるけど見えないぞアメリカ」とおっしゃる方がいらっしゃったら、海に飛びこんでひたすら東へ東へと泳ぎ続ければ、きっとそのうちアメリカ大陸は見えなくとも、地獄なり極楽なり、なんらかの新世界は見えてくるはずである。
 見えなかったらごめんなさい。

          ◇          ◇

 で、これは一種の地獄を描いた映画なのであろうが、狸にとっては極楽級のカタルシスを与えてくれる映画、そんな佳作をケーブルの録画で観た。
 邦題は『切り裂き魔ゴーレム』などという、B級C級ホラーなみのタイトルである。
 どうやら原作小説の邦訳書名をそのまんま使ってしまったらしいが、中身はビクトリア朝のロンドン、しかもお上品な側面でなく猥雑な世俗的側面をド根性レベルで再現した、いかにもイギリス好みの極上スリラー映画である。
 ただしジャック・ザ・リッパー級の連続殺人がテーマなので、人間の心の闇を良くも悪しくも鋭く抉ると同時に、人体そのものまで力いっぱい抉ったりバラしたりしてしまうから、スプラッター・シーンが苦手な方にはお勧めできないのが、ちょっと残念。
 しかし、狸が大好きなディケンズとほぼ同じ時代の同じ巷を舞台に、あの人情あふれる世界の裏にはどれほどズブドロの頽廃や貧困や魂の齟齬が渦巻いていたか――そんな世俗を克明に描きつつ、しかもそれらのことをけして杓子定規に突き放さず、むしろ人間の業《ごう》として美しいほど痛々しく再現した映画は、映画史上、たぶんこの作品だけだろうと思う。また、抑えた描写ではあるが、同性愛やSMや衣裳倒錯や小児性愛といった、邦洋・今昔を問わない人間のアレな部分を、賛否を過たぬ成熟した視点できっちり描いている点も、大人のミステリーとして大いに評価できる。
 ただ一点、あっち方向の猟奇的連続殺人の真犯人が、そっち方向の功利的連続殺人と同じであるという種明かしには、ややカタルシスを疎外するものを感じた。まあ、それはあくまで探偵役の推理として映画的に描かれるだけだから、もしかしたら狸の推理や原作上の真実(?)とは違う可能性もあるので、ぜひ原作を読まねばと思いネット検索したら――なんじゃこりゃ。10万だの20万だの、とんでもねー古書価格になっている。
 たぶんネット通販特有の、一時的イケイケ強欲相場なのだろう。ちょっと前のマスクと同じことである。「いやなら日本中の古本屋さがして回るか、気長に安く出るのを待っとけ。言っとくけど、今はどこ探してもねーからな」
 で、シクシク泣きながら、でも念のため、行きつけの図書館のサイトで蔵書検索してみたら――やったあ! 書庫にアリ! しかも緊急事態解除で、明日からオープン!

 アベさんやネット通販に見放されても、やはり図書館だけは、狸を見捨てないのであった。