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07月30日 木  花と爺さん

 『カクヨム』で連載中の桃色物件、いつも金曜の朝には更新していたのだが、ラストバトルでラスボスが暴走を始め、事を納めるのに、まだ時間がかかりそうである。いや、バトルと言っても、主人公とラスボスが和やかに会話してるだけなんですけどね。このお方のしゃべくりを止める権限は作者にもないので、あとは物語そのものに流れてもらうのみ。すでに打ってあるエピローグと矛盾しなければ、オールOK。
 しかし……ここまでトンデモな展開だと、よほど物好きな読者様しか、最後まで残らないだろうなあ。結局、こないだのクリスマス物件くらい長くなりそうだし。
 ともあれ、ぎりぎり土日には間に合いそうなペースだから、まあ、なんとか予告どおり週末に更新できるはずです。

 狸の脳内のお花畑は、世界の新型コロナ騒動も、故郷の洪水も、生存ギリギリの懐中もひっくるめて、今夜も絶賛満開中。
 いいんだ狸はもう化けてる間だけ化けてられれば(意味不明)。

     


07月25日 土  引きこもりツイート

 ……なのだそうだ。

 わはははははは。
「王子様、これが馬鹿には読めない小説でございます」
「おう、すばらしい! ボクは賢いからスラスラ読めるぞ!」

 ちなみに、小川未明先生の『月夜と眼鏡』も『赤い蝋燭と人魚』も、発表当時は難読漢字だらけの総ルビでした。もちろん童話扱いです。
 泉鏡花先生のお作なども、難読漢字だらけの総ルビですね。今でこそ耽美系純文学扱いになってますが、当時は花柳界などでも大人気の大衆娯楽小説です。

 時代が違う、というだけの話かもしれないが――。
 ストレスを感じないファンタジーは、小学校時代から嫌いなんだ俺。砂糖だけ嘗めても美味くないもん。

               ◇          ◇

 などと言いつつ、回を重ねるごとにPVや応援マークが減ってゆく自前の連載作には、やっぱり問題があるんだろうなあ――そう思って、こないだのクリスマス物件や、次回で完結予定の桃色物件を、ざっとチェックしてみれば――。

 わはははははは。
 漢字だのなんだの以前に、どっちも場面が変わるたんびに、良識ある読者様を蹴り飛ばして走ってるんだよ、この作者は。作者、俺だけど。
「ああ、このキャラが出たんで、この上品な読者様は去ってしまったのだなあ」
「さすがにこのトンデモ展開だと、ふつう、馬鹿にされるだけかもしれんなあ」
 等々、納得できることばかり。

 でも、いいや。
 最後までついてきて下さった方だけに、小学5年の狸が創元文庫の『吸血鬼ドラキュラ』や江戸川乱歩先生の『幽鬼の塔』にずっぷしハマったときのような酩酊感を、幾許なりとも味わっていただければ本望なのである。

          ◇          ◇

 ところで『アマビエの海鮮丼』、ググったら、やっぱりあちこちに存在しておりました。
 まあ、予想どおり、ふつうの魚介類をアマビエ風に並べた丼ですね。
 狸としては、いかにもアマビエそのものを食材にしたような、美味そうだけれども得体の知れない不穏な海鮮丼、そんなのを食べてみたいのだが。


07月24日 金  明日は明日の風邪をひく

 ここに残す駄文に関しては、昔はけっこう考えて記していたのに、近頃は気力が半減してしまい、あまり深く考えずにぽこぽこ打ち流しているのだが、前回分を見直していたら、『明日は明日の風邪をひく』が、我ながら妙に自分のツボにはまり、しつこく反復したくなった。巷の親爺が顰蹙をかいがちな、親爺ギャグの悪い見本である。
 そういえば、アマビエをアマエビにかけたジョークは世間中で見かけるが、まだ『アマビエの海鮮丼』を見かけたことがない。まあ、とっくにどこかでメニューに載っているとは思うが。

          ◇          ◇

 新型コロナ感染者は当然のことながら順調に増え続け、日々のニュースで大騒ぎしているのを見ると、なぜこんな当然の成り行きを毎日毎日「由々しき事態です!」と叫び続けているのか、不思議な気分になる。
 同時に、毎日毎日「いや別に非常事態なんてことはちっともありません。でも皆さん厳重に注意してくださいね。私らは面倒くさいんでもうなんにもしませんから」と明言し続ける政府の方々を、なぜ憂国の士たちが徒党を組んで襲撃しないのか、不思議な気分になる。

          ◇          ◇

 自作の桃色物件、いよいよ次回が最終回になるわけだが、ちょっとクライマックスの舞台設定のハードルが、高すぎたかもしれない。
 自分が泉鏡花先生でも国枝史郎先生でもないことを、あらためて自戒しているところである。
 でもまあ、ここまで打ったら、最後まで打つしかないのである。

 などと言いつつ、ラスボスの演出に悩んでYOUTUBEに逃避していたら、狸的に、というかロリ親爺的に、実に悦ばしい動画を見つけた。
 えーと、念のため、ロリは出てきません。

     

 十数年前に狸が刮目していたマイナー・チャイドル(昔はそんな言葉があったのです)の日美野梓ちゃんが、その後、微エロなDVD方向に行ってしまうのか、ちょこちょこ進出していた商業演劇方向に進むのか、十年前あたりの狸は、かなりハラハラしていた。
 それが現在(といっても去年の動画ですが)、劇団四季で、なんと『リトル・マーメイド』のアリエルになっておられる。現在の芸名は、若奈まりえさん。
 ああ、30才になっても、丸まっこいお顔とぱっちりお目々が、とてもかわいい。ミュージカルだから歌もプロ級、いやプロそのもの。
 さすがに狸が見こんだロリ、立派に成長してくれました。
 狸も草葉の陰で喜びながら、草葉の陰で化け続けたいと思います。


07月20日 月  じわりと新型コロナ

 今までは、周囲の知人に感染者がひとりも出ていなかったのだが、ひとり、感染が判明した。
 昨年9月に結婚した姪の義母、つまり旦那さんのお母さん。神奈川の医療施設で働いており、院内感染してしまったらしい。同居の義父は幸い非感染。
 息子夫婦は同居していないから、毎日の接触はないのだが、ちょっと前に会っていたので、姪も旦那も念のため保健所に検査を申しこんだところ、濃厚接触ではないし当人たちに症状もでていないということで、断られたそうだ。
 姪の義母は今のところ、ごく軽症らしい。狸よりも若いし、持病もないそうだから重篤化はしないと思うが、念のため、狸穴で狸なりに祈祷しておく。

 まあ、そんなのが、首都圏の現実です。実質、ほったらかしです。
 すべては市民の自己責任。明日は明日の風邪をひく。
 狸も、あいかわらず週に1〜2回は、満員電車に揺られております。まあ、さすがに春先までのようなバッテラ状態ではないのが、せめてもの救いでしょうか。

          ◇          ◇

 ところで、夏なのに、毎年恒例のコレを忘れていた。

     

 ……なんで恒例なのか今となっては思い出せないが、まあ、あの頃はよかったなあ、そんなところであろう。


07月15日 水  変わらざる日々

 皆さんとっくにご存知のことなので、今さら狸が言うことでもないのだが――。
 このまま感染が収束するだろうと先月に判断していたならまるっきりのアホだし、他国が経済優先で動き始めたんで「じゃあうちも!」とGoToを決意するのはまあアホだから仕方ないとして、他国が「あ、やっぱダメだった。やっぱ規制再開ね」と潔く翻意してるのに「もうあっちこっち中抜き先に金撒くって約束しちゃったんだからダメでもGoTo! あとは国民の自己責任!」と言い張るのは、まるっきりのアホを超越して、すでにドテカボチャである。
 しかしここまで「めんどくさいから、もう何もかも成り行きまかせ」を身をもって体現してくれる政府を見ていると、狸も安心して「そうそう、この世はどうせ成り行きまかせ」と、心安らかな日々を送れるとゆーものです。

 などと言いつつ、年金受給開始まで、あますところ1ヶ月。
 ああ、爺いでよかった。
 お若い奴隷の方々にも、国保と国民年金だけはギリギリでも払っといたほうがいいよ、と、真顔で説教垂れてケムたがられる、今日この頃の老狸です。

 しかし、こないだ50過ぎの奴隷仲間が、我々年金受給層の奴隷に対して、「俺たちの金でタダ飯食えていいよなあ」的なイヤミを言ってきたのには驚いた。
 まあ、あくまで冗談まじりの会話だったのだけれど、こっちだって長年にわたって年寄りを食わせてきたのだし、そもそもあんただって10年後には持てなくなりますよ重量物。
 いつまでも、持てると思うな重量物。

 ……まあ、70近いのにバンニングやデバンニングでせっせと稼げる、ランボーみたいな奴隷もいるんですけどね。

          ◇          ◇

『カクヨム』の天野様の新作長編完結作に感心して、めったに書かない『おすすめレビュー』を書いたら、狸自身が連載中の物件まで、PVがポチポチと増えだした。
 なるほど。他の方の人気に負ぶさって自分の信用を高める、そんな手もあるわけである。
 もっとも、それを期待して片っ端から他の方の『おすすめレビュー』を書いたがなぜかシカトされてしまった、そんな悲しい事例もあるようだ。
 結句、読むのも書くのも、ズップシでないものはバレるのだろう。
 無論、ズップシ以前に、ジャンル的な相性の善し悪しもあろう。

 すばらしい数のレビューや応援を得ている異世界物件などを覗いても、「……なにこれ小学生の作文?」と思ってしまうケースはしばしばだし、すでに商業出版されているらしい作品でも、「……白紙のほうがメモに使えるだけマシ」とか思ってしまうことは多い。
 で、ラノベの作法、みたいなガイド文を読むと、どうやら皆さん、わざとそーゆー風に書いているらしいのである。
 もちろん、昔から大衆小説界では、余計な情景描写は避けて会話主体で誌面を白っぽく仕上げる、という主脈もあり、実は狸も今回の桃色物件では、その路線を意識していたりする。
 しかし、物語の要件として自分が信じる『ズップシ』、あるいは『濃さ』、これだけは確保したい。

 すまし汁だって、お出汁が大事だものね。


07月10日 金  萌える中国女声

 ある程度の漢字は読めるもののあくまで日本語としての漢字であって、昔から嫌いではなかった漢詩も、当然ながら返り点やら何やら訓点のくっついた、いわゆる書き下し文の日本語として読んでいたわけである。
 ところが近頃は、女声による中国語発音そのものに、ますますハマってゆく。とくに『萌え』方向の。
 だって、古典的漢詩って、ほとんど男の作でしょう。よって朗読も野郎の声が多く、女声朗読は、数に限りがありすぎる。

 で、毎年のように五十年に一度の雨が降り注ぎ人家田畑を押し流す日本、日本に限らず新型コロナでわやわやの全世界、このままでは後がないと焦ったのか帝国主義路線ズブドロに走る中国や露西亜やら、あいかわらずその場しのぎの発言をひたすら繰り返すだけで結局「いやもう場当たりでテキトーに流すしかないっしょ、どうせなるようにしかならんのだもん」のアベちゃんやムンちゃんやキンちゃんやトラちゃんやら、少しはまともに見えるのだが全域としては合衆国の夢遙かなる欧州やら、今後も末長く部族闘争の延長戦を続けるであろう中近東やアフリカやら、一介の狸としては、地球上に生存し続けるのがはなはだ「鬱ルンです。シャッター押すだけ、あとはラボまかせ」的な自棄的気分に陥りがちなのだが、実はいちばん気になっているのは、中国のヤケクソなキレっぷりである。

 まあ彼の国の中枢部がいかに一党党首帝国主義(なんだそれは)に邁進するとはいえ、しょせんオゼゼがなければ崩壊必至、したがって共産党批判さえ含まなければ、娯楽市場を動かす『おたく』も『萌え』も、ファンシーでクールなチャイナ・カルチャーとして、我が国同様に弾圧はされまいと思うのだが――。
 やっぱり心配なんですよねえ。根っから現実的な国民性を考えると。昔の文化大革命だって「民意や個人的権利がなんぼのもんじゃい。どうせオエラいさんにニラまれたら死ぬしかないのが現実なんだから」、そんな国民のノリが、立派に成立させてしまったお国柄である。
 まあ、昔の日本も似たようなもんだがな。

 ともあれ、あいかわらず明日の行方もさだかではない狸として、チャーニーズ・モエ・ボイスによる慰撫は、絶対に失いたくないのです。

     

     

     

 あ、でも、やっぱりコレがいちばんのオシです。

     


07月05日 日  風がぴゅうぴゅう

 九州方面が豪雨で大変なことになっているが、狸穴近辺は、申し訳ない気分になるほどしか降らない。
 しかし、あいかわらず生暖かい風が吹きまくっており、やはり梅雨ではなく台風シーズンの感が強い。
 ふつうの季節感が恋しいよ。

          ◇          ◇

 新型コロナに関しては、当然のことしか起きていない気がする。
 東京あたりのオエライさんは何か夜の街を槍玉にあげて責任転嫁に懸命だが、そっちメインで検査を増やしているのだからそっちが増えて当然だし、むしろ感染経路不明と発表される感染者の、感染理由の大半を占めるであろう満員電車や満員地下鉄に関しては絶対に口にしないところに、もはや不審ではなく嫌悪を感じる。
 どのみちトランプさんあたりと同じで、蓄えの少ない順に切り捨てられるのは理の当然、そんな本音が顔に出ている。
 まあ、そう簡単には切られてやんないけどな。

          ◇          ◇

 殺伐とした世相を反映するかのように、打鍵中の桃色物件は、ごんごんとヒロインをイジメる方向に進んでいる。
 打鍵しているほうも大変つらいわけだが、無論、狸の芸なのだから、最終的にマイクロ・ブラックホール化したりはしない。
 子供の頃の昼メロのように、あるいは紙芝居の少女物のように、最終回だけは、なにがなんでもラリパッパな花を咲かせるのである。

     


07月01日 水  台風ごうごう

 このむちゃくちゃな吹き降りは、梅雨じゃないよね。どう見たって台風だよね。
 じゃあ、いよいよ夏が終わったんだよね。
 ……などと全身全霊をもって現実逃避しても、明日はまた真夏日になるそうだ。
 アブレ確定だから、別にいいんだけどな。
 今年の夏も例年以上に暑くなると、長期予報のおねいさんが言っている。
 オリンピックやらなくておめでとう。

 しかし思い起こせば、この国にも、昔は『冷夏』という概念があった。
 もう四半世紀以上も昔、狸が茨城県の取手で社畜の限りを尽くしていた頃だから、確か1993年の平成5年――あの年には、確かに夏がなかった記憶がある。肌寒いくらいの梅雨が明けないまま、秋になってしまったはずである。
 それまで住んでいた群馬は、山間部以外はそれなりに暑かったので、「おや、茨城ってこんなに涼しい土地なのか?」などと感心したのだが、翌年には、きっちり日本の夏に戻ってしまい、それっきり現在に至るまで、『冷夏』はこの日本を見限ってしまったと記憶している。

 だからなんなんだ、とゆーよーな話ではないのだが、やはり真夏の東京にオリンピックなど招致するのはアブナいぞ、みたいな。

          ◇          ◇

 新作の桃色物件、まだ打鍵中だが、そろそろ『カクヨム』のほうに放流し始めてみようかと、前半部分をあっち向けに小分けしてアップしたりしている。週末あたりから、ぼちぼち公開したい気もする。
 短編のつもりで始めた話だが、例によって中編に伸びそうである。

 ところで、小説の長さを原稿用紙に換算するのはすでに時代遅れらしく、新作の桃色物件はテキストの文字数を気にしながら小分けしているのだが、ふと気になって長年続く猫耳物件の全文字数を見たら、36万文字を超えていた。
 いちおう第何話とか分けてあるが、正味、ほぼぶっ続けの内容である。シロウト作家が読み手の迷惑を考えず好き勝手に話を続けるとどんな悲惨な事態に陥るか、見本にしたいようなテキストである。しかも、まだ終わっていない。
 でもまあ、狸が楽しいからいいのである。