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10月29日 木  老兵は死なず まだ生きるのみ

 ずいぶんと久しぶりに秋葉原に出た。
 メロンブックスに予約しておいた、谷口敬先生の同人誌を受け取るためである。もうひと月近くも前に到着通知を受け取っていたのだが、なんやかやで、アキバに進軍できずにいた。
 これまた久しぶりのマックに寄って、実に久しぶりの外食を楽しみながらその同人誌を開くと、なんじゃやらとんでもねー爆笑ギャグの釣瓶打ちに、文字どおりコーヒーを吹きそうになった。『恐怖のプリマドンナ』、お薦めです。パロディとギャグのオリジナル短編漫画で、いっぺん売り切れて増刷されるほど笑える同人誌など、なかなかあるもんじゃありません。

 で、よせばいいのに、高価すぎて買えもしないエロゲの店なども、何年ぶりかで覗いて見ると――。
 ああ、やめときゃ良かった。もう日本のエロゲは完全に終わった。とにかく判で押したように、当節風の萌え絵一色である。まあ当節のファンにはそれでいいのだろうが。
 いや爺さん、同じ愚痴をもう何十遍も聞いたぞ、と辟易する方もあろうが、マジで3パターンくらいの絵柄しかないのである。過半数は、同じ典型的な萌え絵のなぞりである。
 いやまあ、狸が生臭かった大昔に比べたら、技術的にはすばらしく巧くて、商品価値のある画力の方ばかりなのだが……今どきのおたくは、ほんとにあれで勃つのかな。
 昔は個性的な作風で、若かりし頃の狸も「あ、あの方が原画やってるな」とひと目でパケ買いしてしまったようなベテランの方が、しっかり当節風の萌え絵にシフトしているのを見ると、そりゃプロだもの時代時代の需要に合わせるのが当然とは思いつつ、正直、爺いは萎えます。しおれます。

 その後、皇居周辺やら、神田古本屋街やらを徘徊し、なんぼか懐旧に浸れたので、爺いとしては、まあ良しとしよう。

          ◇          ◇

 すっかり幼時退行したブチ下僕が、とうとう畳の上でオシッコを漏らした。
 それこそなんの予兆もなく、平気でちょろちょろと。
 あわてて雑巾と消臭剤で始末しながら、ブチ下僕の頭をぺしぺしすると、「おや、なんか私、いけないことしましたか?」みたいな顔で、きょとんとしている。
 ……こりゃアルツだろう、おい。
 でもまあ、祖母や母親のアルツ発覚のときほど愕然としないのは、やっぱり相手が猫だからか。それとも狸がアルツ慣れしたからか。
 しかし他人事、いや、他猫事ではないのである。
 狸自身、近頃めっきりキレが悪く、残尿で下着にシミを残すのも稀ではない。

          ◇          ◇

 猫耳物件、例によって放流した板を客観的に眺めながら、まだぼちぼちと手入れを続けていた。
 なんとなくふっきれない、という意味では、これも残尿に似ている。
 でもまあ、いつまで未練がましく力んでいてもトイレから出られないので、とりあえず、ここまでにしとこうと思う。 


10月24日 土  天高く猫肥ゆる秋

 ここ半月、週に一回か二回くらいは青空を見ていたのだが、どこか寝ぼけた湿気のある青空で、とても秋の空とは思えず、実際、肌寒いような日でも、ちょっと動けばたちまち汗ばんでしまっていた。
 それが昨日あたりから、気温はそこそこあるのに、狸の毛皮はさらさらを保っている。夕暮れには富士のシルエットも拝める。
 秋の長雨も一段落し、ようやく馬や猫や狸の肥えがちな、天の高い秋が訪れたらしい。

 ちゃきちゃきの夏男らしい天野様などは、寒い季節に比べて暑い季節が短すぎると嘆いておられるが、皆様ご想像のとおり、北方亜種の狸は逆である。
 ここ20年ほど、夏が四ヶ月で冬は二ヶ月、それ以外が春と秋、そんな感覚で生きている。まあ、日本屈指のヒートアイランドに狸穴を構えてしまった時点で、ある程度は覚悟していたのだが。

 ああ、モコモコのダウンコートで思うさま徘徊できる真冬が、今から恋しくてたまらない。
 乾いた寒風が目にしみて涙が止まらず、顔をしかめると凍った鼻毛が鼻腔内でパリパリ音をたてる――そんな小学校時代の通学路を、懐かしく思い出したりもする。

          ◇          ◇

 猫耳物件の最終回、星空文庫に放流しました。
 しょせん名もなき星屑のひとつ、でもボリュームだけは法外に豊かです。えっへん。


10月19日 月  日々ぼったくり

 役者さんやミュージシャンの方々の自殺報道が近頃やたら続いているようで、やっぱり大勢の観客や聴衆を前に活躍していないと精神的に鬱る職業なのかと思っていたが、ちょっと検索してみれば、職業に関わりなく、自死する方がどんどん増えているのであった。
 先の社会に希望が見えない、人と大っぴらに触れあえない、といった精神的な閉塞感以上に、どうも新型コロナの鬱力の真髄は、フトコロ具合を直撃されて日に日に貧しくなっていくという、しごく即物的な飢餓感にあるらしく思われる。なんとなれば、売れない芸人さんとか寄席の前座さんとか、もともとフトコロ具合の底が抜けている方々は、ホールや寄席が閉まっている間も自死した話を聞かない。
 そうした能天気な精神の方々までが、今後、自死を志す事態になったら、ぜひ事前に打ち合わせて国会議事堂前とか首相官邸前あたりに集合し、みんな揃って派手にぶら下がったり焼け死んだり、大いにウケを狙っていただきたい。
 そのときは、狸もいっしょに景気よくでんぐりがえって、陽気に首を吊ろうと思う。

 で、だ。
 マジに消費税、なんとか見逃してくれんか。期間限定でもいいから。
 いちんち8000円の安手間仕事にようやくありついても、すぐに全額使わないと生きていけない貧乏人は、少なくとも640円、最悪800円、自動的に吸い上げられてしまうのだ。平均700円として、狸には一日の食費まるまるに匹敵する。
 お願いだからマケてくれ。お願いだからよう。しまいにゃ泣くぞ。
 などと涙ながらに叫んでも、いちばん偉い人は「コロナだろうが世界最後の日だろうが消費税だけは絶対にマケてあげません」と、アルツ老人のように繰り返すばかりである。

 推敲中の猫耳物件に出てくる日本の首相は、矢倍《ヤバイ》総理であった。
 もし続編があれば、次の首相は、賺《スカ》総理にしようと思う。


10月14日 水  猫耳物件最後の日

 実に四年近い歳月を費やしてダラダラ続けてきた自作の猫耳物件が、ついに『終』に達した。
 最終章の細かい推敲はこれからなので、放流するのはまだ先になるが、とにかく区切りがついてしまった。
 そもそも、『汚宅殺猫耳地獄 〜おたくころしにゃんこのじごく〜』などという打鍵開始時の発作的なタイトルとは、もーまったく違った方向に転がりまくってしまったが、今さら改題する気力も、すっかり失せてしまっている。思えば原稿用紙換算1200枚、ひたすら狸が猫といっしょ騒いでいるだけなのである。
 しかし悔いはない。
 人生も狸生も猫生も、しょせん成り行きまかせ、終わってみれば、きっと一夜の祭りにすぎないのである。

     


10月09日 金  雨夜の狸と星と猫

 NHKで録画しておいたハッブル宇宙望遠鏡に関するドキュメンタリー番組を観て、今さらながら大宇宙の深遠な美しさに酔い痴れたりしたわけだが、それを探求しようとする自分を含めた人類という奴は、やっぱり大宇宙において無用の長物、いや単に無用無益の存在なのだろうなあ、とも改めて思う。いや、そんな番組の後で、国内や海外のニュース番組を観てしまったのがまずかったんですけどね。逆の順番で再生すれば良かった。

 この地球になんの因果か人類などという生物が発生し、爆発的に繁殖してしまったこと自体、自然界におけるやむをえぬ因果の一部とはいえ、やっぱり無用無益そのものに思える。
 ぶっちゃけ邪魔くさい。人類などいないほうが、地球は明らかに美しい。大宇宙もまた美しい。
 そもそも、自然環境から消費するエネルギーよりも自然環境に放出するエネルギーがこれほど少ない生物なんて、ふつう、自然界の因果の中には生じないはずなのである。いや立派に地球全体を温めてるぞ、とおっしゃる方もあろうが、そのために、どんだけ森林資源や化石燃料を湯水の如く消費してきたかを思えば、あまりに帳尻が合わない。
 万一、そんな異形の生物が突然変異的に生じたとしても、せいぜい数世代で死に絶えるのが自然の摂理である。地球の環境で言えば、太陽や地熱エネルギーだけで食物連鎖を成立できる生物種だけが、入れ替わり立ち替わり、細々と寝たり食ったりしていくのが道理なのである。

 しかし、それでも地球には人類がいる。
 いないはずなのに、いる。
 だからこそ、そこには何かとてつもなく深淵な、人智を越えた『存在理由』があるのだろうと、人類自身が夜郎自大となって、神の存在やら哲学的な実存の証しやらを錯覚してしまうわけだが――。

 結局、すべてはただの物理現象なんですね。大宇宙という99.999999%の必然の中に、地球という0.0000009%くらいの偶然があり、その上に人類という0.0000001%くらいの偶然がいて――いや数字の桁の乖離はもっと無限に遙かなのだろうが、どのみち、ただの物理現象に変わりはない。
 だったら人類だって、大宇宙や地球と同じくらい、美しくあるべきじゃないですか。同じ物理現象なんだもの。
 
 と、ゆーわけで――。

 近頃すっかり幼時退行してしまったブチ下僕に太股から腹の上までよじ登られ、ぺろぺろと顎の先を嘗められたりしながら、図書館から借りてきたお経や御詠歌のCDを雨音まじりに聴きいっている深夜の狸なのであった、まる、と。

     


10月07日 火  ターミネーター2

 いや、シュワちゃんの映画の話ではなく、いよいよトランプさんも2期目に足をかけたかな、と。
 前回トランプさんについて私見を記した翌日には、本人の新型コロナ感染が判明、そしてなななんと本日は、退院してホワイトハウスに復帰――。
 当然のことながら、まともな教育を受けた市民には、それがウスラバカの所業であると理解できるはずなのだが、そこはそれ自由の国アメリカ、自由にまともな教育を放棄している州などなんぼでもあるわけで、「おお、あいつはなんだかよくわからんが、なんだかとっても凄い奴だ」、それだけで投票する市民も多かろう。なんだかよくわからんがとっても凄い奴、というのは、一神教における神の第一印象に他ならないからである。
 あとは、とにかく最後までぶっ倒れずに「俺は凄いんだ」と大声で主張し続ける、肺炎で半死半生になっても演壇で酸素吸入を続けながら「俺は凄いんだ」と叫び続ける、そこいらが肝腎である。たとえうっかり死んだとしても、3日で復活すれば、まったく問題ない。

          ◇          ◇

 なんやかやで世界中がワヤワヤとゴタつく中、近頃のアラブ首長国連邦のしたたかさが、狸の国を思わせて興味深い。
 いつまで近隣の狸穴と喧嘩なんかしてても、無駄にお腹が空くだけだものね。
 同じ山にある餌はしょせん有限なのだから、お互い公平に分け合うポーズをとりつつ、こっそり自分ちの割り当てを多めにごまかす算段をしたほうが、よほど建設的である。
 正義の戦争よりは、不正義の平和をダラダラ続けるほうが、まだお腹が空かなくてすむのは確かだ。

     


10月01日 木  雑想

 アメリカ大統領選も迫って、例の第1回テレビ公開試合、あれはどう見てもトランプさんの勝ちであった。
 狸の偏見、と言われるかもしれないが、あの相手に有無を言わさずムチャブリを承知で己を通すイキオイは、明らかにアメリカ人にとっての『成功者像』の要件である。
 無論、アメリカ人といっても多種多様なわけだが、大統領選の結果は、しごく単純に『多数派』の票数で決まるのだから、全国メジャーのマスコミや、知的な首都や豊かな経済都市の穏健な有権者たちが、どう予想し何を支持しても、前回同様、イキオイのある偉そうなキャラが選ばれる確率は高い。
 ただ、近頃の香港情勢や、ウィグル自治区のアレコレを思うと、中国政府もしこたまヤバい方向に向かっているわけで、ここで穏健派のバイデンさんが舵を取るのも、狸には微妙に思える。
 なんと申しますか――狸もこれまで接した中国系の方々はたいがい好ましい性格だったし、あいかわらず古い漢詩もCポップ(ただし女性の)も大好きなのだが、正直、周さんと中国帝国党(もう完全に『共産』はドブに捨てている)のムチャブリは、かんべんしてほしいわけである。

          ◇          ◇

 なんでも鑑定団を毎週録画していると、たまに別のスペシャル番組が録画されており、今週は『警察24時間スペシャル』みたいなものが延々3時間も録画されていた。
 何の気なしに再生したら、いきなり狸穴の所轄署のお巡りさんたちが右往左往しており、めったに大事件が起こらない土地柄でも、日常的な小事件は年がら年中勃発しているのだなあ、と、妙に感心してしまった。
 煽り運転や暴走老人は、確かに狸も、しばしば見かけてハラハラする。湾岸の漁師気風が遺伝子記憶に残っているのか、荒い気風の土地柄なのである。
 しかし一番気になったのは、認知症老人の高速道路徘徊侵入。これがけっこう多発しているらしい。
 まあ、これは、江戸川を渡る最寄りの橋が京葉道路しかなく、高速道路のくせに、なんぼでも徒歩でするすると入れてしまうからである。実は狸自身、こちらに引っ越して間もなく、川向こうの篠崎公園を散歩した帰りに、うっかり渡りかけてしまった。料金所がない上、篠崎側は一般道路との区別が特につきにくい。橋の区間だけ高速代が無料なので、橋を渡るためだけに、あっちのたもとで高速に入り、こっちのたもとで高速から出る車も多かったりする。おまけに、人の渡れる橋が上流・下流とも何キロか離れているため、意図的に自転車で突っ切ろうとする暴走自転車までいる始末だ。
 まあ、高速道路と知りつつ進入した自転車の漁師気風野郎が、バラけて江戸川の魚の餌になっても自業自得だが、徘徊老人がはねられたりしたら気の毒である。
 明日は我が身、そんな気もする今日この頃だしなあ。