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11月28日 土  雑想

 ♪ か〜ねがないです ヒン・コン・カ〜〜〜ン ♪
 ――などと、元歌をお創りになった古関先生や菊田先生には心から申し訳なく思いながら、ついつい大声で歌いたくなったりする相変わらずの狸ではあるが、来月には年金もはいるので、まあ、ホームレスにだけはならない予定である。
 しかし今年の狸のクリスマス・ディナーは、ロブスターではなく、ブロイラーに確定しそうな予感がする。
 ……いやいや、贅沢を言ってはいけない。
 爺いらしく幼時退行しとけばいいのだ。
 生まれて初めて鳥のモモ焼きを食った、小学生時代のクリスマスの多幸感を思い出せばいいのだ。

 しかし、予想どおり、ヤバイ総理の次はスカ総理みたいですね。
「なんだかとんでもない事態に陥りつつありますので、国民の皆さん、くれぐれも三密回避と手洗いを徹底し、なるようになるのを粛々とお待ちください。日本政府も徹底的に危機感だけは持ち続けておりますが、やはりすべては主権在民、国民の皆様の竹槍特攻しだいなのです。――と、この原稿に書いてありますので、今日もそのまんま読み上げときます」
 ――まあ、一国の総理になれるくらいだから、そこまでスカではないと狸も信じてはいるのだが、あの死んだ魚のような鋭い眼光と、抑揚のない棒読みのような力強い弁舌を伺っておりますと、どーしても、狸の生きる力が、ぐんぐん加速してしまうのです。下方向へ真っ逆さまに。
 ……いやいや、贅沢を言ってはいけない。お隣のムンさんなんか、未だにワクチンを予約できないで、大変らしいからな。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって――。
 貧しい狸も、未だに爺いらしく新聞をとり続けていること――そのメインが朝日であること――でもたまには三ヶ月くらい読売に浮気すること――そんな実態は、ここにも何度か記した。
 で、実は先月までの三ヶ月が、その読売浮気期間であり、今月から、また朝日に戻っているのである。

 いやあ、やっぱり朝日はトンガっていて、読み物としては実に面白い。ネトウヨに何を言われようと自民党関係は重箱の隅まで徹底的に責めるし、たまにはお隣のK国をフォローするのも忘れないし、さすがに北の金さんはもうフォローのしようがないようだが、赤旗はちゃんと持ち上げている。
 そんな不動の立ち位置のせいか、聞けば部数の減少がハンパではなく収支も大赤字で、社長の首をすげ替えねばならぬ事態らしい。それでもグループ企業全体としては、不動産でしっかり儲けているから、実は安泰なのだそうだ。
 なんじゃやら、学生時代は全共闘バリバリだった青年が、心ならずも実家の不動産屋を継いで、インテリの頭脳でそれなりに繁盛させつつ、しかし中年太りのプチブル親爺と化してからも、内心では未だにマルクス主義を憧憬し、店では日経を購読しながら、自宅ではこっそり赤旗を購読している――そんなインテリ崩れの人生を想像して、胸が熱くなるではありませんか。
 いや、必ずしも皮肉ではなく。

 正直、読売は、もう生ぬるくて読んでいられないのである。
 日曜版の漫画『猫ピッチャー』だけは、心から和めるので毎週楽しみにしていたのだが、他の記事まで、全体的にあの生ぬるさで貫かれているのには往生する。
 しかし、だからこそ日本一売れているのだろう。
 あの世界に浸っているかぎり、自殺したり革命に走ったりする恐れはない。
 自分は中庸なのだ、フツーなのだと信じつつ、どんな危機的事態も、なるようになるのを粛々と待てるはずである。


11月23日 月  多様性の世界

 あるニュースを見聞し、「……おいおい、そりゃちょっと表現が違うだろう」とツッコみたくなった。
 あの殴り殺されたホームレスの老女が、たった8円の所持金や電池切れの携帯電話といっしょに持ち歩いていたのは、報道されたような『食料のゴミ』ではないはずだ。あれでは、後生大事に『生ゴミ』を持ち歩いていたと思われてしまう。
 狸が思うに、それは彼女がようやく探し当てた、立派な食料のはずである。まあ月給取りの警察官や報道関係者はもとより、彼女を殴り殺した中年ニートにとっても生ゴミそのものかもしれないが、路上生活者の彼女にしてみれば、近所のゴミ袋を漁って見つけたまだ食えそうな残飯は貴重な栄養源、すなわち現役の『食料』に他ならないはずである。
 狸も、十数年ほど前の帰り道、近所の大衆食堂の裏口で、燃えるゴミの袋に入っていた食い残しのトンカツを見つけ、本気で旨そうだと思い、こっそり回収したいと思ったことがある。そのとき狸は、まだ正社員時代の預金が残っていたから思いとどまったが、何年か後の無一文期だったら、マジに回収して、再加熱して食ったはずである。もっとも、その頃には個人経営の大衆食堂など、狸穴周辺から駆逐されていたのだけれど。
 ことほどさように、生ゴミひとつとっても、見る人の立場によって、多様な意味を持つ。

 皆様ご存知のように、狸は、女児ひとりを救うためなら、大人の百人や千人は犠牲にしてもいいと確信している。
 といって、今も海外では根強い人気を保つ老婆専門のアダルト・サイトを夜ごと覗いている男衆や、サムソン系を求めてハッテン場に集う男衆を、忌避しようとも思わない。同年配の女性には厭な思い出しかなく、両親も喧嘩ばかりで刺々しく、グランマやグランパだけが自分に優しかった――そんな育ちの男衆も巷には多かろう。

 また狸は、猫が犬より断然偉いと思っている。
 しかし、犬は大好きだが猫には虫酸が走るとおっしゃる方にだって、「あんたは人間性に問題があるのではないか」などと言い募る気は毛頭ない。その方が幼い頃に、山道で野良猫の大群に襲われて食われそうになったとき、どこからか野良犬の大群が現れて猫の大群を噛み殺してくれたとか、そのような、なにか数奇な過去をお持ちなのかもしれないからである。
 実は野良犬たちもその方を食おうとしていたのだが、先に大量の猫を食って満腹したので、不味そうな人間は食い残して引き上げた――そんなドンデンがあったとしても、それもまた、人生における多様性のひとつである。

 もし今、石を入れた買い物袋を目障りな他人の頭に叩きつけるようとしている方がいらっしゃったら、狸としては、先に自分の頭で試してみることを強くお勧めする。
 あんがい、そのほうが幸福になれるかもしれない。その際は、石の代わりに砲丸や鉄アレイを買い物袋に詰めておいてもいい。
 それもまた、人生における多様性のひとつである。


11月18日 水  続・同じアホなら踊らにゃ損々

 念のため追記。

 昨日の動画は『リベリオン ―反逆者―』(2002年)と『ウルトラヴァイオレット』(2006年)、どっちもカート・ウィマー監督の、低予算を逆手に取った(と言ってもハリウッド相場における低予算で、日本映画だったら大作予算でしょうが)、アクション命のB級SFです。
 しかし、すでに役者として成功していたクリスチャン・ベールさんやミラ・ジョヴォビッチさんがノリノリで主演したくなるほどに、スタイリッシュでバエるアクション満載なのは間違いありません。おふたりとも、マジに自分の体技を尽くしてハジけております。
 ただし、世界観の細かいところなどには、いっさいツッコまないで観るのが吉。


11月17日 火  同じアホなら踊らにゃ損々

 まあ「さあみんなでまたせっせと働いて休日には遊び回って金を動かすのだ」とお上が言ってしまったのだから、当然、ちょっとたったら新型コロナも元気に働いたり遊び回ったりし始めるのは理の当然で、この世のすべては理屈どおりに動いている。
「さあみんなで三密を避けて手を洗いまくりながらでもせっせと働いて遊び回って金を動かすのだ」とお上が言い続け、国民総出でそれに従っている限り、肝腎のウイルスのほうは三密を避ける知能もないし洗うお手々も持ち合わせがないので、やっぱり新型コロナのほうがより元気にがんばり続け、国民のほうが先にくたびれてしまうのは理の当然で、これからも、この世のすべては理屈どおりに動き続けるのだろう。
 ワクチン方向でやや明るいニュースが聞かれるようだが、理屈どおりに考えれば、半年やそこいらでまんべんなく全人類が接種できるはずもない。
 といって、理屈どおりに考えれば人類の未来なんぞに関わる大問題とも思えず、早い話、元気でお若い方々の生命には、さほど影響がないのである。老齢で糖尿や高血圧のケがある狸らなどは近々死ぬかもしれないが、どのみち先の寿命が短いのだから大勢に影響はない。
「いや全世界の経済が社会問題が民族的分断が!」と頭を抱える心配性のお若い方々には、「そう気にしなくとも大丈夫。どのみち百年後には、あなたがた、みんな死んでますから」と胸を張って言いきる程度には、狸も理屈を心得ている。

 と、ゆーわけで、理屈なんぞ気にしているとキリがないので、人生の残弾数なんぞ気にせずに、B級ドンパチSF映画の世界に遊ぶとしよう。

     

     

 ちなみに、狸は両方のDVDを所有しております。近所の新古本屋で見つけた100円均一のジャンク物件ですけど。


11月11日 水  未練の狸

 猫耳物件の推敲はそろそろ終わりにしよう、などとずいぶん前に言っといて、実はまだちまちまと手入れを繰り返していた。
 最終回のみならず、そこに至る前の経緯が、果てしなく長いのである。そんな何年も前に垂れ流した文字列など、アルツ気味の脳味噌ではいちいち記憶していないから、引っかかる部分が次々に出てくる。
 作者が忘れていたことを読者が覚えているはずがない気もするし、そもそも読者なんて片手の指にも満たないはずだが、それだけに自分という最大の読者を粗末にはできない。売れればOKのプロ作家と違って、アマには自己満足が最大の対価なのである。
 でもまあ、さすがにくたびれました。とにかく長すぎて、書いた自分さえ読むのが一苦労。

 で、いよいよ今日で終わりにしよう、と決意したところで、N村様にありがたい感想をいただいた。
 もうこれで思い残すことはない。
 ――などと言いつつ、まあ最終的に、あと2〜3人の方には目を通していただきたい気もする、今日この頃の狸です。

          ◇          ◇

 ところで、野良狸VS野良猫の動画を見つけた。
 やはり狸は猫パンチにかなわないようである。

     


11月06日 金  雑想

 相変わらず、かつかつで生きている。
 爺いまで回ってくる安手間仕事は、相変わらず増えない。
 これで年金の早期受給を始めていなかったら、確実に生活保護への一本道だったろう。
 でもまあ、餓死は避けられそうだから、良しとしよう。

 久しぶりに某現場に出たら、去年は8時間で契約すれば、途中で仕事が終わっても8時間分の時給がもらえたのに、今年は5時間で仕事がさばけたら時給も5時間分ぽっきり、そんな契約になっていた。
 わはははははは。
 でもまあ、体が楽だから、良しとしよう。

          ◇          ◇

 帰りに買い物をしていたら、小学生低学年くらいの女児が、プラスチックの竹筒らしい玩具をくわえていた。
 おお、ほんとにアレは流行っているのだなあ、と感心しつつ、微笑ましく眺めていたら、その竹筒がしょっちゅう口の上や下にずれてしまい、なかなか口元に維持するのに苦労しているようなので、ろり親爺としては、思わず女児の唇むきに、かわいく改造してあげたくなった。
 そもそも、マジに竹筒を猿ぐつわ代わりに使用するなら、竹筒をがっしりと上下の歯で咥えるくらいの紐力が必要なわけで、つまり口が開きっぱなしになるは唾液がだだ漏れになるわ、SMプレイで使うボール・ギグもマッツアオの大変な虐待行為になってしまう。まあ漫画やアニメなら、ただの絵としてくっつけとけばいいわけだが、玩具化するなら、どうしたって唇で軽く保持できるパーツが内側になければならない。
 二十歳を過ぎたおっきい子供たちのコスプレ用品などは、どう工夫してあるのだろう。

          ◇          ◇

 アメリカの大統領選挙を見ていると、思わず苦笑してしまう。
 でっぷり太った胴間声のゾンビが、ハルマゲドンを予感して墓場から蘇り、「さあ俺は立派なクリスチャンなんだからなにがなんでも無条件で天国につれてけよ!」と、神様の襟首を締め上げているようだ。「……やめときゃよかった」、そんな神様の声が、聞こえてくるような気もする。ああやっぱり人間だけは造るべきじゃなかった、そう後悔しているのである。
 うん、狸くらいでやめときゃよかったよね、と、狸も他人事のようにつぶやくしかない。
 アメリカの場合、その墓場は民主主義の墓場に他ならないわけだが、まあ社会主義の墓場だろうが独裁国家の墓場だろうが、どのみち胴間声のゾンビが自分だけは旨い汁を吸おうとわめき立てる構図に変わりはないのである。

 ま、別にいいんですけどね。
 狸は適当に死ねればいいです。来世もメメクラゲか何かでいいです。


11月01日 日  大阪ろまん

 大阪都構想、という言葉すら、実はなんだかよくわからない東北産の狸である。
 そもそも大阪府大阪市が千葉県千葉市と意味合いにおいてどんだけ違うのかも、なんだかよくわからない。まあ大阪市が政令指定都市なので大阪府との二重行政がなんたらかんたら、と聞けば、なるほど色々問題があるのだろうなあ、とも思うが、考えてみりゃ姉が住んでいる横浜市だって、大阪市よりはるかに人口の多い政令指定都市であり、といって神奈川県と横浜市の二重行政は誰も問題にしていないようである。
 どっちも大阪で、名前が同じだから問題なのだろうか。しかし千葉も山形も、同名の県に同名の市があるし、同じ市に県庁と市役所があるし、やっぱりよくわからない。
 でもまあ、こんだけ何度も大騒ぎを繰り返すからには、なんじゃやら大変なアレコレがあるのだろう。

 ともあれ、テレビで住民投票の開票速報を覗いていたら、賛成票がどんどん増えていき、「おお、新型コロナ騒動やらでこんなに世間がワヤワヤしているときに、よくそんな自治体大改造なんぞ始める余裕があるもんだなあ。やっぱり『儲かりまっか?』が挨拶になってる土地柄らしいから、よっぽどフトコロに余裕があるんだろうなあ」と感心していたら、速報の数値は賛成票が多いまんま、いきなり「反対票が過半数確実!」などとアナウンスが流れ、結局、浅学な狸にはすべてが謎のまま、どうやら今後も大阪府大阪市、そんな地図上の名称が続くらしいのであった。
 結局、狸にはなんだかよくわからない。
 どうやら「儲かると思うたんやけど、やっぱ儲からんらしいで」、そんな感じで流れたらしいのだが、やっぱり狸にはなんだかよくわからない。

 そんなこんなで、狸の心の中の大阪は、未だに故郷の雪国で想像していた、こんな感じのまんまである。