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12月31日 木  行く年来る年

 とはいえ、行ったモノがまた来るとは必ずしも限らないわけで、ぶっちゃけ本日の午後23時59分59秒に命を終える世界中の少なからぬ方々には、来年なんぞ永遠に来ないのである。
 この鬱狸め、よりによって大晦日にお前は何を言いだすんだ、と眉を顰める方もあろうが、狸はけして厭味でそう言っているのではない。
 なんとか新年を迎えて初日の出を拝んだものの、拝みに出た山でうっかり崖から転げ落ち、即死すればまだシヤワセだったのに、四肢を骨折して動けなくなってしまい、痛いよ寒いよひもじいよと嘆きながら正月明けに衰弱死した独り者の狸なども、粗忽な狸世界には、過去なんぼでも実在する。
 いつまでも明日があると思ったら大きな間違いだよ――そんな真理を、狸は清水のように澄んだキモチで、あえて口にしているのである。
 二階幹事長の顔をテレビや新聞で見るたびに、こいつだけは一日も早く彼岸に旅立ってくれんかなあ、とか、心底ムカついてしまうからでは絶対にないのである。
 半分……いや四分六でウソなんだけどな。

          ◇          ◇

 ともあれ、けして悲観的な狸の年越しではない。
 カクヨムコンとやらの影響か、すでに埋もれっぱなしだった拙作にも、PVやお星様が、ほんのちょっと増えた。
 年越し蕎麦にのっける、立派な天麩羅も用意できた。
 チョンガー用のちまちまおせちセットも買えたし、雑煮の肉も野菜も抜かりなく揃った。
 このままポックリ逝かずに新年を迎えたら、かっぱ寿司で豪遊したり、マツキヨで六神丸を奢ったりもする予定である。
 なんとなれば、マイナポイントが、もう四千円近く貯まっている。
 正直、贅沢できるほどの蓄えなんぞ丸っきりないのだが、このマイナポイントだけは、好き勝手に散財させてもらうのだ。

          ◇          ◇

 孤独死必至の無産階級狸にも、夢見る自由だけは、最後の一瞬まで残っている。
 と、ゆーわけで、子供の頃、姉がハマっていたザ・タイガースのレコードの中、狸にとって同列1位の2曲をもって、今年の鬱を祓いたいと思う。

     

     
 それでは皆さん、良いお年を。


12月25日 金  キリスト、復活やったってよ

 山下達郎さんのアルバム『MELODIES』が発売されたのは、昭和58年の夏だった。狸は少々遅れて、秋に購入した記憶がある。
 当時の狸は、すでに大瀧詠一さんのアルバムは愛聴していたが、その同類項っぽい山下さんにはまだ手を出しておらず、『MELODIES』を購入したのも、親しい友人から、そこに収録されている『メリー・ゴー・ラウンド』が感涙物であると、強く奨められたからである。
 そのB面トップの『メリー・ゴー・ラウンド』は、確かに悶絶級の名曲であった。

     

 そしてラストに収録されていた『クリスマス・イブ』も、当時から、強く狸の記憶に刻まれた。
 なんとなれば、当時の狸は学生時代からつきあっていた彼女にふられてしまったばかりで、名実共に非リア充のどん底、そんなクリスマスを余儀なくされていたからである。
 まあ、その翌年には、歌舞伎町の美女に血迷って、一方的にラリパッパなクリスマスにハマってサラ金地獄に陥ったりもするのだが、どのみち遠い昔話――国鉄がまだ民営化されていなかったほど、遠い昔の話である。
 やがて何年か後、JR東海の歳末CMに『クリスマス・イブ』が採用されて大ヒットし、今となっては日本のクリスマス・ソングとして完璧にスタンダード化しているわけだが、狸の脳内では、初めて購入した達郎さんのアルバムの中、いっしょに収録されていた数々のリアルタイム・ヒット曲よりも、その『クリスマス・イブ』と『メリー・ゴー・ラウンド』のほうが、甘美な痛みを伴う若かりし日々の思い出のメロディーとして、今もじんわりと、いや、しこたま涙腺を刺激してくれる。

     

 ♪ そんな〜〜時代も〜〜〜ああ〜〜ったねと〜〜〜〜 ♪

          ◇          ◇

 久しぶりに玩具のロジに連チャンで出たら、去年と同じフィリピンの契約おばちゃんたちが、ちゃんと働いていた。皆さん日本人の旦那がいる方々ばかりである。偽装結婚というわけではなさそうだが、ちゃんと本国に仕送りもしているらしい。
 まあ世の中、色々大変なのである。ドキュメント番組によれば、かの国は、GNPの一割が海外の出稼ぎ労働者からの送金なので、世界中が新型コロナ禍の今、出稼ぎ先で馘首になった方々がやむをえず帰国しても、母国では働き口などめったに見つからず、困窮者が激増しているそうだ。
 まあ、他の国を心配しているバヤイではない。日本の底辺労働者なんぞ、コロナとは無関係に、出稼ぎに行ける先がない。

 などと言いつつ、狸はロブスターこそ断念したものの、しっかり鶏のモモ焼きを食った。姉から援助物資も届き、レトルトのシチューにパスタを絡めて食った。
 そんな立派なクリスマス・ディナーを楽しみつつ、テレビのニュースでホームレス支援の映像を見れば、たまに徘徊する荒川沿いの、見覚えのあるビニール・ハウスが登場したりする。住民は不在のようだが、無事に年を越せるのだろうか。
 狸には、鉄筋コンクリの立派な巣穴がある。妻も恋人もいないが、通いの猫はいる。ヨレヨレの老猫だが、巣穴の主だってヨレヨレである。たとえ妻や恋人がいたって、どのみちヨレヨレなのである。
 年越しそばや雑煮の餅も、援助物資でGETした。
 あとは、総理や閣僚の方々の仰せに従って、まだ見ぬ新型ウイルス君の増殖を待つばかりである。

 しかし――マジにワクチンが出回るまでほっとくつもりらしいな、スカ政権は。
 あいかわらず、馬鹿のひとつ覚えのように夜の街ばかり責めているが、満員電車は、今日も元気に首都圏を巡っているぞ。


12月21日 月  猫を抱く日々

 ああっ、マツケンさんまで新型コロナをもらってしまった。
 年末年始は、ずっと狸の脳内で、元気に踊ってもらう予定だったのに。
 ……ミッチーはまだ罹ってないよな。

     

 さて新型コロナ・ウイルス君は、順調に変異を遂げているようだ。
 そりゃそーだ。それが自然の摂理である。こんだけたってもまだ変異しないほうが、ウイルスとしては、よほどおかしい。

          ◇          ◇

 で、ブチ老僕の幼時退行が、ますます進んでいる。
 同伴帰穴後ほぼ毎晩、狸の晩飯が済んだのを見計らって狸の腹によじ登り、顎の下に頭部をこすりつけながらぺろぺろ嘗めまわし、そのまんまだとこっちが何もできないので強引に引き離そうとしても、肩やら首やらにがっしりと爪を立てて、絶対に離れようとしない。
 仕方がないので、こっちからヤケクソで執拗なスキンシップをカマすと、さすがにそのままではお互い共倒れになると悟るのか、おとなしくなって腹と胸の間あたりにずり落ち、そこで丸くなる。そして、驚くべき音量でゴロゴロゴロゴロと喉を鳴らしながら、小一時間、丸くなったままになる。
 ご想像のとおり、狸はその間じっと動かずに、ブチ下僕が縄張り巡回の続きを思い立つまで、猫の寝床に徹さねばならない。結局、小一時間は何もできず、ひたすらウスラボケっと、録画しておいた内外のニュースを眺めて過ごすことになる。
 でもまあ、猫のゴロゴロ抜きで昨今のニュースなんぞ毎日見ていたら、とっくに電車に飛びこんでいるような気もする。

 スカ総理が相変わらず、当面の難局など自分の管轄外みたいな遠い目をして、来年は人類がウイルスに打ち勝った記念に立派なオリンピックをやりましょうとかウツロな寝言を起きたまんまブツブツ言い続けようと、小池東京都知事が都民にお母さんのような口調で何をお願いしようと、電車は毎日満員だし就労現場は人だらけだ。そうしていない限り、貧乏人は病死する以前に、おまんまが食えなくなる。
 どのみち今の世の中は金で動いているのだ、と狸も諦念しつつ、それでも、金の瘴気が脳幹まで侵してしまったような二階幹事長や麻生副総理の歪んだ顔面を見せられると、やっぱりこの世界ではどんなに偉い人間よりも一介の猫のほうが遙かに偉いのだ、と、つくづく思いを新たにする。猫は小判を欲しがらないからね。

 それにつけても――失踪したっきりのミケ女王様は、今、どこにいらっしゃるのだろうなあ。
 野良になる以前は明らかに家猫だったと覚しいブチ老僕とは違い、根っから野良気質だったミケ女王様のこと、きっとどこかで逞しく、野良仲間、あるいは新しい下僕の家に、君臨していらっしゃるに違いない。

          ◇          ◇

 ケーブルで、地上波のニュースでは軽く流されてしまう海外の報道などを見ていると、中国の周さんやロシアのプーチンさんはマジに傑出した国家元首なのだなあ、と、近頃つくづく感心する。

 香港は、日を追うごとに、着々と中国本土化しつつある。他の民主国家とやらが何を言おうと、今どきそっちの国だって中国資本やメイド・イン・チャイナずっぷしで生きているのだし、ほとんどの中国国民だって、反政府運動なんぞ気にもしていない。大半の国民を満足させている限り、一部を粛正しようが辺境の他民族を奴隷にしようが、国家自体は揺るがない。そう悟っていればこその、現代的共産党書記長なのである。
 その隣国のプーチンさんは、昔のソビエト共産党のような大看板を背負っていないぶん、もっと根性が据わっている。歳末恒例記者会見とやらの映像を見たら、いちおう民主国家ゆえ、周さんとは違って自国のマスコミからも次々と辛辣なツッコミが入るのだが、余裕の笑顔と弁舌で、それらを堂々と受け流している。例の反体制指導者の毒殺未遂事件に関してツッコまれたときなどは、「そもそも未遂で終わったじゃないか。我が国の情報機関は関わっていない。そういうことだ」などと、苦笑しながら口にしていた。明らかに、「うちのスパイの仕業なら確実に始末してるよ」、そんなモンティ・パイソン級のブラック・ジョークなのである。国家的犯罪にズバリ切りこむマスコミと、底知れぬ腹芸でのうのうとかわす大統領――どちらも自分の命を看板に、きっちり大人の仕事をしている。

 ホワイト・ハウスにいられるうちにせいぜいダダをこねとこう、とばかりに、いまだ三歳児レベルのダダをこねまくるトランプさんちの親爺や、もはや万策尽きたムンさんちの左翼青年あたりは、まあ、いつか大人になれる日を、気長に待つしかないのだろう。
 そういえば、近頃ほとんど姿を見かけなくなってしまった金さんちの丸々と肥えたお坊ちゃまは、この歳末も元気にしているのだろうか。心臓や糖尿は大丈夫だろうか。野良で生きられそうな育ちではないから、今のうちにダイエットしとくのが吉だと思うのだが。


12月16日 水  歌声療法

 スカ総理が切羽詰まって突如コロリと寝返ったり、バイデンさんの勝利が確定したり、そうした世間の移ろいとはまったく関係なかろうが、狸の就労予定はようやく師走らしい様相を呈しはじめ、今月後半は、去年なみに稼げそうなあんばいである。
 ありがたいことに年金も出た。
 とはいえ、今年の大半はボロ負けだったし、これからも29日以降は正月を含めてまったく未定なのだから、先行きの光明など期待しようもないのだが、とにかく歳末の繁忙に向けて、今は意気を高めねばならぬ。
 でもやっぱり、今現在の狸の意気は、ほぼドンヨリした沼の底に横たわっている。
 そこで、昔、鬱っぽい沈滞から浮上するためにしばしば試みた我流の音楽療法を、久々に試みようと思う。

 ただし――狸ならぬ人間の方々には、いっさいお勧めできないので、くれぐれも真似しないように。

          ◇          ◇

 まず、これをフル・ボリュームで聴きまくる。中途半端な希望を捨てて、まずは底の底まで沈むためである。

     

 しかしこれだけだと、コンディションによってはリズミカルな脊髄反射が生じて沈みきれない場合があるので、次にこれでトドメを刺す。

     

 トドメを刺したつもりが、うっかり破局を迎える以前の小市民的な未練に囚われたりする場合もあるので、その際は、これでいっさいの社会的な希望を断つ。

     

 しかるのち、これによってあらゆる煩悩を捨て去る。

     

 すると、沈んでいる沼の泥水は、いつしか澄みきった清水に変じ、彼方の水面から射しこむ、一条の光明を見いだせるはずである。

     

 あとは、ヤケクソではしゃいでいればいい。
 そのうち必ず、おめでたい初日が昇る。
 ……大晦日まで、死んでなければ。


12月13日 日  ヤンワリの歌声

 そうか、デパスは長期服用すると、けっこうコタえるのか。
 まあ狸は時たま頓服的に飲んだだけだし、母親はそもそもアルツの進行期で副作用の有無など曖昧だったし、やっぱりドシロウトがうんぬん言っても益はないのである。
 ここは日本国民としてヤクには手を出さず、スカ総理を見習って目先の焦燥感なんぞに囚われず、ウイルスがなんとなく自然消滅してくれる日を気長に待ちながら、その先にある楽しいオリンピックや万博を、スカ総理といっしょに遠い目をして夢見ていればいいのだろう。
 どうせ無名の一国民なんぞ、最悪でも、死ねばいいだけの話だものね。

 で、そうした腹黒い皮肉とはまったく別の次元で、とてもヤンワリした気分になれた出来事を、ひとつ。
 おとつい雑想を記した直後、NHKのラジオ深夜便で、「おお、全盛期の石原裕次郎さんはこんなアルバムも出していたのか」と、思わず落涙しそうな歌声を聴かせてもらった。
 さっそくYOUTUBEを検索してみたら、さすが裕ちゃん、ぬかりなくアップされているのであった。

     

 当時の日活の人気俳優としては、嵐を呼ぶ裕次郎よりも、むしろ渡り鳥やマイトガイの小林旭に憧れる老狸なのだが、さすがにクリスマス・ソングだと、旭アニイの声質ではヤンワリしようがない。あの突き抜けた歌声は、日々の憂鬱のみならずヤンワリ系の和み感まで、銀幕の彼方にすっ飛ばしてしまう。
 甘いダウナー系とキレキレのアッパー系――思えば実にバランスのとれた、日活アクション映画の両雄であった。


12月11日 金  キリスト、復活やめるってよ

 ……というシャレを思いついたのだが、もうとっくに、誰か先にやっているのだろうなあ。
 いや、毎年毎年「クリスマス? 何それおいしいの?」やら「今年のクリスマスは中止になりました」やら、古典的なネタを繰り返すのも、そぞろサミしい気がしたものですから。

          ◇          ◇

 それにしても、こう毎日毎日、昭和の著名人の他界を知らされると、能天気な狸も、さすがにドンヨリする。
 こうとなっては、令和の著名人にガンガン生まれてもらわないと、帳尻が合わなくなる。
 といって、ただでさえ新生児が減っている当節の日本、一世を風靡する著名な赤ん坊が生まれたという話は、なぜかほとんど聞こえてこない。

 その意味でも、眞子様と小室青年の結婚を、小姑鬼千匹のようにやいのやいのと悪く言うのは間違いであろう。早いとこつがって、大量のお子さんを産んでもらうほうがいい。あの夫婦の赤ちゃんなら、生まれた瞬間から著名人だ。単なる『有名人の子供』ではなく、確実に社会的な著名人に育つ人材である。
 まあ、ろくな稼ぎもないうちから、深窓育ちのお嬢様を臆面もなくクドくような青年は確かにアヤシゲであろうが、そのお嬢様が自発的に貢ぐ気マンマンなのだからなんの問題もないし、一億や二億の持参金で一生贅沢に暮らすのは今どき不可能にしろ、そのお嬢様の正式な夫になった瞬間から、働き口は引く手あまたである。口やかましいだけの小姑鬼千匹と違って、実社会は損得勘定で動くのだ。人並みに働いて妻子さえ大事にしておけば、生涯、食いっぱぐれはない。当然、眞子様も生涯大事にされるであろう。
 むしろ夫が下手に真面目すぎると、浮気から本気にハマって、どこぞのバーのマダムと心中したりするので、庶民も殿上人も、人生万事塞翁が馬。

          ◇          ◇

 スカ総理は、当初のお言葉どおりヤバイ総理の後を継いで、ひたすら後手後手路線に邁進するつもりのようだ。
 その意志だけはずいぶん堅固らしいから、手遅れになったら、手遅れになった後始末も、しっかり後手後手でやってくれるだろう。

 狸としては、近頃の自殺者の急速な増加が気になる。
 まあ昔から、海外では自殺者の多さが日本人の民族的特質とされており、それをハラキリやカミカゼや『恥の文化』に結びつけるネタにもなっていたわけだが、やはり自死の代表的な要因は、いつの時代も日常的な不安感による生きる意欲の喪失、つまり未来に展望が持てないだけの話だろう。
 ぶっちゃけ能天気な狸にしてからが、生きていること自体が鬱陶しくて往生することもあるし、さすがに近頃、その傾向は募りがちである。
 で、昔、社畜の限りを尽くして脳味噌がヘバりかけていたとき、社畜仲間から勧められて、精神安定剤のデパスを飲んでいたことを思い出した。安価でヤンワリした気分になれるいい薬であり、当時は医者に行かなくとも、合法的にネットで買えた。母親もアルツ中期に、医者に処方されていた。精神安定や睡眠導入効果だけでなく、母親が悩んでいた極度の肩凝りなんぞも、筋弛緩効果によって和らげるという話だった。
 現在の狸は、ときおり医者にゾルピデムを処方されているが、これはあくまでストンと入眠できるだけの効能であって、精神安定効果はない。間が悪いと、起きがけにとんでもねー悪夢を見たりもする。ならば、デパスでヤンワリするほうが、脳味噌にいいのではないか――。
 そう思ってネットで調べてみたら、いつの間にやら、しっかり向精神薬に指定されていたのですね。ぶっちゃけ分類上は大麻やシャブの仲間、無論ネット通販なんぞ御法度である。薬剤系のブログなんぞ覗くと、習慣性によって廃人化した例なんぞも出てくる。
 しかし――世間の顰蹙覚悟で言うが――そりゃ長期間、毎日めいっぱい飲んでたら廃人化するのかもしれないが、狸にも母親にも「ダメ、ゼッタイ。」的な異変なんて、ちっとも起こらなかったぞ。むしろ社畜最盛期の狸など、デパスでヤンワリしたおかげで、駅のホームから電車に飛びこまないで済んだような気さえする。

 ……まあ、薬剤系ではドシロウトの狸が、これ以上何を記しても仕方がない。
 しかし、徒に警察や医者の仕事ばかり増やさないで、カナダのように大麻くらいは合法化したほうが、多少なりとも社会がヤンワリするのではないか――そんな気がするのも確かである。
 ヤクザの資金源だって、確実に減るはずだしな。煙草みたいに、税金のカタマリにする手もあるぞ。


12月06日 日  離脱

 四連休であった。
 それは、まあいい。フトコロはますます冷えるが、新型コロナで脳味噌が煮える確率は下がる。

 で、少しでも食費を抑えようとチラシを見比べ、安い納豆やおでんの具を求めて遠方のスーパーに進軍したりするわけだが、その帰り道、暗い歩道のど真ん中にウスラボケっと突っ立ったまま、ひたすらスマホを見つめている青年に遭遇した。
 そこは新しい外環沿いの歩道で、用地買収の際に地元の要望でもあったのか、歩行者などほとんど誰も通らない地域なのに、何キロにもわたって立派な歩道や自転車専用レーンが、ひたすら一直線に続いている。まあ平日の通勤通学の時間帯にはそこそこ人が通るのかもしれないが、日曜の夜などは、ほぼ無人の暗い広々とした歩道が、茫漠と続くだけになる。もちろん立派な防音壁の向こうでは多数の車が景気よくすっ飛ばしているが、ただその地域を遠方から遠方へと走り抜けるだけなので、地元の賑わいとは、まったく関わりがない。
 そんな、賑やかなんだか寂しいんだかわからない歩道に、スマホ野郎が突っ立っていたわけである。
 かなり近づくまで狸は気づかなかったが、青年の足元には、一匹の中型犬が御主人様を見上げながら待機していた。犬の散歩中にラインでも入ったか、あるいは歩き疲れてスマホ休憩に移行したのか、ともあれ青年は、へっへっへと舌を揺らしたり尻尾を振ったりしている忠犬にも、徐々に近づく通りすがりの狸にもまったく反応せず、歩道のど真ん中で無機物のように突っ立っている。
 犬のほうは、やがて別の人影が近づいてくるのに気づき、警戒してこっちを凝視しはじめた。そしてすれ違うときは、こちらに向かってリードを引き伸ばしながら激しく吠え立てた。相手がただの通行人ではなく、狸が化けた人間であることを見抜いたのかもしれない。
 で、狸は少々焦り気味に、「おいおい、大丈夫、落ち着け」などと犬に声をかけながら、その場をやり過ごしたわけだが――。
 その間、飼い主であろう青年は、周囲の一切を無視して、直立不動のまんまスマホを凝視しつづけていたのである。
 正直、夜道を徘徊する人に化けた狸より、暗い歩道のど真ん中に屹立したまんま心身のすべてをスマホの中に吸い取られている青年のほうが、よほど得体が知れないと思うが、どうか。

 ――などと、昨今の人心の荒廃を嘆きがちな老狸ではあるが、いやマテ、実はあの青年はスマホで『はやぶさ2号』のネット記事なんぞに没頭し、大宇宙のロマンに心を奪われていたのかもしれない、などとも、今になって思う。あるいは相思相愛の仲であると信じていた女性から「ごめんね、そーゆーキモチじゃなかったの。これからも、いいお友達でいましょうね」などと、F級冷凍倉庫のごとき絶縁状をカマされてしまい、スマホを持ったまま仮死状態に陥っていたのかもしれない。

          ◇          ◇

 大宇宙のロマン、という語を記して、ふと思い出した。
 自分がまだ生きているのがそぞろサミしく思えるほど、今年もずいぶん色々な方がお亡くなりになって、その中に、ニュートリノ研究でノーベル物理学賞受賞を受けた小柴教授もいらっしゃる。あの方が建設したカミオカンデは、はやぶさ2号ほど大衆ウケする要素は薄いかもしれないが、大宇宙のロマン番付とかがあれば、間違いなく横綱級の強者であった。
 で、これはすでにいつか記した気もするが――いや初めてだったかな――昔、狸が正社員として在籍していた会社の社長と小柴教授は、奥さん同士が血縁関係にあり、ノーベル賞受賞時には、社長も店長会議あたりで、色々面白い話を聞かせてくれたのであった。
 奥さん同士が姉妹だと、冠婚葬祭等で、しばしば同席する機会がある。片や経済界の人間、ぶっちゃけ生臭い商売人の親玉、片やキレキレの物理学者、当然、社会的な共通の話題は少ないわけだが、義理の兄弟としては、ごく温厚で常識的な人物だったそうだ。
 ただ、稀に、精神的な離脱状態に陥ることがあったらしい。つまり、たとえば結婚披露宴の席などで、同席者と和気藹々に懇談している最中、ふと、まるっきり反応が途絶えてしまう。たぶん頭の中で、何か物理学的な閃きが生じたのであろう。そうなると、しばらくの間は、こっちの世界に帰ってこない。なるほど天才的な学者とは違ったものだ、と、周りの人々は、こっちの世界に戻ってくるのを気長に待つしかなかった。
 まあ、相手が小柴教授なら、それも立派な逸話である。
 しかし、アルツ中期の狸の母親、あるいは統合失調症を患っていた何人かの身内だって、狸から見れば、まったく同様だったのである。「おーい、早く帰ってこいよー」みたいな。その間、どこに行ったり何を聞いたりしていたのか、後々何気なく訊ねてみれば、どうやら神様の声を聞いたりしていたらしいのだが、そもそもニュートリノやカミオカンデだって、文系の狸から見れば神様同様、実感も何もない大宇宙のロマン物件にすぎないわけで――。

 巷のスマホ野郎やスマホ女郎も、どこか遠くで、大ロマンの世界に耽っているのだろうか。
 でも、散歩させてる犬くらいは、気にしてやれよな。忠犬のロマンは、御主人様そのものなんだから。


12月01日 火  まだ

 タマ「ここんちの狸は、ゆんべっからお風呂に入ったままなので、とりあえず、おめでたい私を拝んどくのがハナマルです」