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01月29日 金  政治家の顔と声

 近頃、なんやかやとスカちゃんトリオの悪口ばかり記してしまっているが、なんと言いますか、いじりやすいんですね。顔と口調と根性が、勧善懲悪時代劇なみにキャラ立ちしてるから。
 世間でも、そんないじりやすさを重宝して、いじりまくっているのだろうなあ。
 そんな一目瞭然な事物を、わざわざここに記しても意味がない気がするので、以降、よほどのドンデンでもカマしてくれないかぎり、スカちゃんトリオには、狸穴から退場してもらおうと思う。

 ぶっちゃけ、近頃の政治家さんたちの中、狸がニュースで見かけるだけで、この人とだけは絶対に関わりたくないと思うキャラは、実はスカちゃんトリオではないのである。
 たとえば、狸が故郷の森で木を切り倒している最中、うっかり斧を泉に落としてしまって困っていると、いきなり水中から二階さんや麻生さんそっくりの泉の精が出現して「おい、そこのビンボそうな狸。お前が落としたのは、この金の斧か? それともこっちの銀の斧か?」とかエラそうに訊いてきたら、狸はビビりながらも気を落ち着かせ、「いえ、私が落としたのはただの鉄の斧です」と正直に返答するだろう。確かに積極的には関わりたくない相手だが、あんな悪相の爺さんたちでも、鉄の斧くらいなら、しぶしぶ返してくれそうな気がする。
 しかし、もし橋下徹さんや吉村洋文さんそっくりの泉の精が出現し、一見気さくな笑顔で「おやおや、働き者の狸さん、お困りの御様子ですね。あなたが落としたのは、この金の斧ですか。それとも、こっちの銀の斧ですか」とか訊ねてきたら、狸は背中の毛を逆立てて、一目散に逃げ出すだろう。鉄の斧もあきらめて逃げる。とにかく関わり合いになりたくないからだ。

 あくまで過去の個狸的トラウマによる過剰反応かもしれないが――。
 最悪のモンスター・クレーマーは、老害っぽい風体ではなく、一見、好青年みたいな顔と声をしているのです。
 いや正味の話。


01月26日 火  雑想

 毎日毎日の新規感染判明者数なんぞで一喜一憂しても、なんの意味もないのは自明の理である。そもそも検査数が日替わりだ。
 それにしても近頃いきなり減ってるなあ、と首を傾げていたら、なあるほど、ちょっと前から東京都や神奈川県は、濃厚接触者でも無症状の場合、基本的に検査を省略していたのであった。
 検査対象が増えすぎて手が回らないから、高齢者等、感染リスクの高い対象者に絞る――やむをえない判断ではあるが、その対象変更後の判明者数を、変更前と同じグラフに並べて増えたの減ったのと発表するのは、すでに白痴の仕事ではあるまいか。
 ――などと言いつつ、わざとやってるのは、明らかなんですけどね。

 さあ、これが俺たち現政権が決めたザルのような対策の、正しい成果なのだ。俺たちはけして白痴ではないのだ。オリンピックもGOTOも、ちゃんと俺たちが正しいのだ――。
 ――などと本気で現政権が思っているとしたら、いよいよ白痴である。しかし、さすがにマジな白痴では、そもそも総理や副総理や幹事長になれまい。自分たちの誤りなど承知の上でゴリ押しし、ひたすら見栄を張り続けてこそ、政権に相応しい面の皮が鍛えられるのである。
 すべての恥を捨てて、ただひと筋に見栄を張りとおす――自分と仲間内の血は極力流さずに、ひたすら仲間外の血をすすってすすってすすりまくる――そんな、オレオレ詐欺もマッツァオの壮絶な修羅の道が、平成・令和の霞ヶ関を貫いているに違いない。

 それにしてもワクチン、マジに手配は大丈夫か。ワクチン抜きでオリンピックなんぞやらかしたら、名実ともに白痴認定されるぞ。見栄の張りようがなくなるぞ。修羅の道どころかメダカの学校になるぞ。

          ◇          ◇

 ころりと話が変わって――。
 ハリウッド版キンゴジの予告編が、エラいことになっている。
 今回の監督も、従前に輪を掛けて、東宝ゴジラ映画フリークらしい。

     

 狸としては、これの本編を観るまで、絶対に死にたくない。
 新型肺炎でも死にたくないし、餓死もしたくない。
 よって新型コロナ君、ならびにスカちゃんトリオは、とうぶん狸の敵と見なさせていただく。


01月22日 金  憂国

 都内でも英国型の変異コロナが市中感染を始めているわけだが、まあ当然の話なので驚かない。
 今週は仕事がたった一日で終わりそうだが、これも今さら驚かない。そのぶん若い連中に餌が回ればいい。
 副総理や幹事長がどんな世迷い言を吐き続けようと、すでに脳幹が銭の瘴気に侵されているのだから驚かない。発酵しそこねた鮒鮨は、土に還るまで腐り続けるだけだ。
 スカちゃんは、ああなんかもう、どうでもいいや。
 ただ河野大臣の言動だけは、予断を許さない。狸としては不吉な予感を覚える。どうもワクチンの手配に、大幅な誤算が生じている気配だ。

 意図的にひたすら後手に回って自分らの財政基盤と票田だけは極力温存し、それ以外の一般社会はカミカゼ(新型コロナの自然収束)に任せる――そんな現政権の当初の夢は、すでに潰えた。
 ならば、なお後手後手に回って自分らの財政基盤と票田への損害を少しでも防ぎ、それ以外の一般社会はワクチンの効能に任せる――そんな次善の策も、ワクチン接種が遅れれば、根本的に破綻してしまう。
 大丈夫か、痔民党。
 総選挙なんて、あっという間だぞ。下手すりゃ肛明党にも見限られるぞ。麻も枯れるし平屋になるぞ。
 お願いだから、ワクチンだけはしっかり確保してくれ。

 痔民党というどでかい樽の中には、まだ腐っていない発酵中の鮒鮨だって残っているはずだ――そう狸は信じたい。
 なにせ政権交代できそうな他の鮨樽が、今のこの国には、まったく見当たらない。
 共産主義革命は夢のまた夢だし、奸賊を討ち神国に奉じる憂国の士も絶えて久しい。

 嗚呼、豊饒の海、そこはやはり無常の空《くう》にすぎないのか。

          ◇          ◇

 平常心を保つため、力いっぱい幼時退行しようと、動画検索してみた。

     

 おお、あの具の少ない山形式どんどん焼きは、今も健在なのだ――と思ったら、ぬわんと、ラストに写る価格が大枚300円!?
 狸が子供の頃は、確か1本15円。それでも1日の小遣いが10円、駄菓子屋の当てクジが1回5円の時代、毎日は食えない準高級食品なのであった。


01月18日 月  日々々々

 通常国会における就任後初の施政方針演説で、ついにスカちゃんが強い口調でなにごとかしゃべり始めた、と、襟を正して拝聴したら……ああ、やっぱり断固として、ひたすらワクチンの到来を待ちわびる決意なのですね。
 天地神明にかけて面倒な先手は打たず、政治生命をかけて何もかも成り行きにまかせる――そうした揺るぎない信念を、スカちゃんはお持ちなのであった。
 ここまでくると、これはこれで確かに不動の信念、ブレのない男意気の持ち主とも言えよう。さすが一国の総理、まことに端倪すべからざる人物ではある。

 静岡あたりで、英国タイプの変異コロナの市中感染が始まったようだ。
 ついこないだまで、東アジアの外人さんたちをノーチェックで空港から末端労働現場に送りこんでいたのだから、そりゃヨーロッパの変異型だって、流れ流れて紛れこまないはずがない。すべては自然の法則である。東京圏や他の大都市圏にもとっくに広がっているはずなので、奴隷仲間の狸なんぞは、いよいよ自助に徹せねばならぬ。
 国保や年金に助けられているから、これ以上の共助は、あえて期待しない。
 しかし、いざ動けなくなったら、遠慮なく公助で食わせてもらうぞ。
 最下層の奴隷だって、いやホームレスだって、この国でモノを購う限りは、ちゃんと消費税をふんだくられているのだ。

          ◇          ◇

 ところで、巷ではウレタン・マスク狩りが始まっている、みたいなネット・ニュースを見かけた。飛沫防止効果が弱いからだそうだ。
 しかし巷には、安価なウレタン・マスクと見分けのつかない、高価な抗ウイルス加工マスクなんぞもあふれているわけで、そこいらは、どうやって判別するのだろう。
 くれぐれも、先の大戦時、鬼畜米英とまちがえて盟友のドイツ人をタコ殴りにした愛国バカなんぞの同類が、出現しないよう祈るばかりである。

 ちなみに、実は狸も、厳寒期を迎えての徘徊時、眼鏡が曇らないようにウレタン・マスクを愛用している。
 ただし、人影もまばらな江戸川や荒川の土手を、風景を楽しみながら徘徊するときの話で、そうした場ではマスク不要との説もあるが、稀にすれ違う方々は狸より年輩の老人が多いから、たとえ何メートル離れていても、あえて不安を与えたくない。そして人通りの多い街中に戻るときは、使い捨てのマスクを着け直している。西友で買ったいちばん安い不織布マスクだが、ちゃんと全国マスク工業会のマークもある。
 これこのように、小動物の肝っ玉はちっこい。
 真間川あたりの住宅街を、あいかわらずマスクなしで、えっほえっほとランニングに励む脳味噌筋肉野郎とは根性が違いますので、くれぐれも鉄砲で撃たないでくださいね。


01月16日 土  日々々

 今週は二度も仕事にありつけた。
 いきおい、満員電車にも四回乗った。現場の休憩時間は人数を小分けにして三密を避けていたが、さほど広からぬ空間に変わりはない。
 スカちゃんや小池のお母さんが、なんぼ奴隷を思いやってなまけさせてくれても、おまんまをくれるわけではないから、奴隷としては、はいはいわかりましたわかりましたとうなずきながら、マスク着用と三密回避と手洗い以外は、あえて無視せざるをえない。
 現場には、近頃感染が増えているらしい20〜30代の奴隷も多い。日本語がカタコトの方も、ほとんど日本語の通じない方も、いっしょに働いている。聞けばついこないだ、PCR検査もなんもなしで堂々と入国を許された方もいる。
 スカちゃんは、ほんとうに同情心に充ち満ちた、外人にも優しいおじさんなのである。でもやっぱり、タダでは餌をくれない。その点、大枚10万円も奢ってくれたり、マイナポイントを5千点もくれたヤバイさんのほうが、まだ優しかったのかもしれない。

 で、奴隷の身でずうずうしいとは思いつつ、スカちゃんにお願いしたい。
 同情するなら餌をくれ。
 餌くれないんなら、せめて消費税マケてくれ。

          ◇          ◇

 前回の雑想で、脳内麻薬全開の自画自賛を記してしまったが、いざ古巣の木馬物件を更新して客観的に眺めてみれば、そう大した変化ではなかったようにも思う。
 しかし、あの場で長年気になっていた誤字や、こなれの悪い言い回しも修正できたし、追加の一言で自分自身がスッキリできたし、まあ無意味ではなかったようにも思う。
 さて、次は何に化けてみましょうかね。
 世界中がなかなかアレなありさまだとしても、狸はまだ新型コロナにたかられていない。おでんもうまいし納豆もうまい。だから、鬱っていても仕方がない。

 だいたい、なんぼ首都圏で感染者が増えていると言っても、未検査の感染者が判明した感染者の10倍ほど市中をうろついていると仮定した場合、狸がメインで使う朝夕の総武線あたりだと、今のところ電車1本に感染者がひとりいるかいないかの勘定である。1両に、ではない。10両繋がった中に、ひとりである。もっとも、あくまで狸のちっこい脳味噌による大雑把な単純計算だし、無症状で未検査の感染者が首都圏に100倍いれば、話は違ってくる。
 ともあれ、相変わらず満員ではあるが、さすがに去年ほどバッテラ状態ではない電車の中、大声で会話しているウスラバカさえ避ければ、そうそう狸に移るものでもあるまい。

 心配なのは、やはりICUやECMOの逼迫を含む医療崩壊である。
 もし妻子持ちで働き盛りの旦那さんが重篤化し、担ぎこんだ病院のICUが満杯だったりして、その満杯の先客にスカちゃんや老狸が混ざっていたら、担当医師は迷わずスカちゃんや老理を病床から蹴り落とし、旦那さんを救うべきである。
 いかなる疾病・事故を問わず、重体の女児が何人も搬送されてきたら――スカちゃんや老狸を含む、同人数の爺いを蹴り落とすべきなのは言うまでもない。幹事長や副総理が含まれていれば、なおいい。


01月11日 月  日々

 成人の日――。
 ――今日から狸もいよいよ大人である。酒が飲めるし煙草も吸える。すでに四十何年前からやっているような気もするが、たぶん気のせいだ。
 狸の前途には、輝かしい大人の世界が待っている。しかし前方に目を凝らしてみても、あんまし輝かしくない大人ばかりが目立つ。
 ならば異世界に行けばいいのか、と思って異世界の入り口を覗きこむと、なんじゃやら中学二年生くらいの子供ばかり右往左往している。
 やはり、あの世に行くべきなのか。あの世の入り口なら、もうすぐそこに見えているのだし、この世よりあっちのほうが、輝かしい大人が多そうだ。

          ◇          ◇

 今年に入って、実はまだ2回しか働いていない。
 奴隷求人メールなんぞは、奴隷志望者全員に、毎日毎日なんぼでも届くのである。しかし狸が応募しても、なかなか決まらない。
 四十何年前に成人したばかりの狸ではあるが、近頃の巷には、本日成人したばかりの奴隷から三十年前に成人した奴隷まで、大量に有り余っているから、半白髪の奴隷は、どうしても後回しにされてしまう。
 理不尽な話である。
 奴隷は死ぬまで働けとお偉い方々が言っているのに、そのお偉い方々は、ちっとも老奴隷の使役現場を増やしてくれない。

 いっそ奴隷の最低時給を五百円くらいに下げてしまってはどうか、と思う。
 そうすれば御主人様たちも、違法ぎりぎりまでピンハネの限りを尽くして日本語の通じない奴隷を使役する代わりに、胸を張って日本語の通じる奴隷を雇える勘定だ。
 もしかして、欧州あたりの失業者増加による過激な移民排斥運動なども、自国産の奴隷は法的にピンハネしづらいから移民を雇ってこっそり死ぬほどコキ使おう、そんな御主人様側の事情が、陰でからんでいるのかもしれませんね。

          ◇          ◇

 ともあれ、年金早期受給のおかげで、精神的にはずいぶん楽だ。とりあえず狸穴から追い出される心配だけはない。
 食い物や着る物は、切りつめようと思えば、かなりの線まで切りつめられる。肉も魚も野菜も乳製品も安価な輸入品で賄えるし、下着類も同様だ。近頃は有名なスーパーでも、自社ブランド品を、昔のバッタ屋なみに値引きしてくれる。

 政治的には近頃なかなかキナ臭い中国や、韓国やタイやベトナムやブラジルが、今の狸にとっては、マジに生命維持の要である。
 右巻きの方々の妄言は別状、もし日本が中国と断交したり、あっちが経済的破綻を迎えたりしたら、日本だって芋蔓式に大きく傾く。共倒れしないとも限らない。いや俺は国産品や西洋の舶来品で暮らせるだけの資産があるぞ、とおっしゃるお金持ちの方々だって、今の中国のバブルが完全破綻したら、資産そのものにこっそり紛れこんだチャイナ・マネーも同時に破綻し、帳尻がどうなるか知れたものではない。
 チャイナ陰謀論が大好きなあまり、トランプ狂信に走ってしまった米国の方々だって、トランプさん本人のような大金持ち以外は、実質、メイド・イン・チャイナにまみれて生活しているはずなのだ。日本にもトランプ大好きチャイナ陰謀論者が大増殖しているようだが、メイド・イン・チャイナがなければ、アメリカ以上に日常生活が困難になる。
 そもそも陰謀論大好きの皆さん、こないだまで夢中になっていたユダヤの陰謀論=世界支配をもくろむフリーメーソンの恐怖は、どうなったんでしょうね。トランプさんなんて、完璧にあっち側の人だぞ。

 ともあれ狸としては、国家体制や為政者の根性よりも、明日のおまんまが大事である。
 周さんはけして中国人の雛形ではないし、ムン君は韓国人の中の一個人に過ぎない。
 狸だって、他人から「お前はスカ総理と同じ穴の狢だ」なんぞと言われたら、激怒して、こう叫ぶだろう。
「俺はムジナじゃなくてタヌキだ!」

          ◇          ◇

 ふんだんに暇があるときに限って創作意欲が生じず、日のある内は足腰を弱らせないためにあてどなく徘徊、夜は内外のニュースやドキュメンタリーや映画、夜中は旧作小説の細部を片っ端から再点検している。
 近作の猫耳物件や桃色物件やクリスマス物件、それにだいぶ前の木馬物件、あらためてじっくり目を通すと、なかなか面白い。もともと自分で面白いと思ったことしか記していないのだから、当たり前といえば当たり前である。
 しかし、やっぱり粗忽な狸ゆえ、齟齬とまでは言えないものの、ちょこちょこと物足りない部分が見つかる。そこにちまちまと語り足す。

 とくに木馬物件は、何年も前の大長編ゆえ、すでに細部を失念しており、「ほうほう、これはびっくり意外な展開、面白い面白い。こりゃ後を引くわなあ」などと、我ながら熱中して読み進めるうち、ラスト直前の木馬シーンで「あれ? 当時の俺、なんでここに、もう一行入れなかったんだろ」と首をひねり、セリフを一言だけ追加してみたら、いきなり物語全体が自分の中でドーンと『完全版』に脱皮してしまい、思わず自分で拍手しまくった。
 思えば、木馬物件の打鍵時、まだ吹っ切れていなかった東日本大震災の精神的ダメージと、今現在の新型コロナによる精神的ダメージが重なり、そこから湧き出た桃色物件の精神性が、今になって過去の木馬物件に共鳴し、自分にとっての完成品に導いてくれたように思われる。

 この高揚を、自分のパソの中だけにとどめておくのももったいないので、何年ぶりかで古巣の投稿板を更新し、あそこの最後の足跡にしようか、などと思ったりもする。
 当時読んでくださった方々の九割は気づきもしまいが、それでいいのである。
 たったひとつのセリフが言えず、結ばれずに終わった若き日の恋に、老いさらばえたまどろみの中でようやく決着をつけ、微笑しながら息を引き取る孤独な老人――そんな、思うだにこっぱずかしいシロモノに、こっそり化けてみるのも悪くない。


01月06日 水  雑想

 緊急事態宣言……こ、こんなのが? 
 ……いや、もう、なにもゆーまい。
 あんな天井のススみたいな連中を霞ヶ関に送りこんだのも、クール・ジャパンで民度の高い日本国民なのだ。

 しかし、よっくと考えてみると、狸自身は、ただの一度も国政選挙で自民の候補者に投票したことがないのである。まあ市政や県政関係では、他にどうしてもまともな候補者が見当たらず自民に入れたこともあるが、国政関係では、ぶっちゃけ共産党がいちばん多い。感情右翼を自認する狸としては、誠に忸怩たるものがある。
 そんなこんなで、現政権のあまりにみみっちい右顧左眄っぷりは、やっぱりしこたま腹立たしいのである。
 でもまあ、スカちゃんのことだから、さらに支持率が落ちたら、コロリと方針転換してくれるのだろう。

 しかし、この期に及んでも「新型コロナはただの風邪」とか「満員電車でクラスターは発生しない」とか、もっともらしくおっしゃる方々がいるのには、さすがに爆笑してしまう。令和の爆笑王をめざして、ぜひ浅草演芸場の舞台に上がり、一席語っていただきたい。
 ただし無観客でな。

          ◇          ◇

 NHKのBS1で録画しておいた『隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人』を観て、うぐう、などと唸ってしまった。
 朝鮮戦争時、米軍の軍属として、あるいは日本政府が黙認していた米軍後方支援業者に雇用されて朝鮮半島に渡り、なしくずしに兵士扱いされて、北朝鮮軍とのドンパチで殺し合いを展開してしまった、日本の民間人たちのドキュメンタリーである。
 去年、いや一昨年の夏に一度放送された番組らしいのだが、狸は観ていなかった。BS1だと、あまり予告を打たないから、こうした力作があっても、なかなか気づきにくい。

 で、そんな秘められた事実が公になったのは、米軍が極秘事項としてしまいこんだ記録も一定期間経過したら義務的に公開されるという仕組みのためであり、外国の歴史研究者が別の研究の最中に偶然そんな資料を見つけてしまったからであり、それを聞きつけた番組製作スタッフが、わざわざ米国に渡って他の関連資料を片っ端から漁り、それらに記された名もなき関係者達を内外のあっちこっちから探し出して、こまめに取材したからこそである。
 だから狸はNHKが好きだし、無一文期を除いては、ちゃんと受信料を払い続けているのだ。
 ネットあたりでNHKの評判を見ると、左巻きの方々からは『自民の傀儡』とか誹られ、右巻きの方々からは『朝日の仲間』とか誹られているが、だからこそ、最も中立な放送局とも言える。
 NHK不要論者の方々は、まともに番組を観もしないで、どうのこうのと口走っているに違いない。

 しかし――なんのかんの言われつつ、やはりアメリカという巨大な新興国家は侮れない。いったん隠蔽した過去の失策の記録さえ、後生大事に保存している。してみれば、昨今の社会的な混迷も、国家としての『若さ』と『自由』と『正義への希求』が根っこにあってこそのドタバタとも思えてくる。
 上記の番組内で、スタッフが日本の防衛省に過去の事実を手紙で問い合わせたら、「なにぶん古い話なので遺憾ながら調べようがありません」、そんな大意の返信が来ていた。
 慇懃無礼な文言の裏から、「そんな都合の悪い記録なんぞ、残しとくはずがないだろう。日本人なんだから、それくらい忖度しろよ」、そんな本音が、ありありと聞こえてくるようだ。

          ◇          ◇

 さて、かっぱ寿司でウニもトロも食ったし、免疫力を高めてくれる(たぶん)六神丸も買った。
 もう思い残すことはなにもない。
 死のう。
 ……でもその前に、六神丸を飲みきらないとな。


01月01日 金  行った年、来た年

 テレ東の『年忘れにっぽんの歌』よりも『NHK紅白歌合戦』のほうが面白かった――ここ十年、ついぞなかった、驚くべき事実である。これは新型コロナがもたらした異変であろう。
 どっちも今年は無観客だったわけだが、『年忘れにっぽんの歌』は例年どおりの演出で観客の反応はすっぽり欠落、『紅白』はその状況に居直って奔放な新演出を大量に投入――まあ予算の差も大きかろうが、今回は知恵の投入量も、圧倒的にNHKが勝っていた。
 また、大差の紅組勝利が物語るように、女性出演者の力量がハンパではなかった。例によって、老いぼれ狸なんぞほとんど知らない若い方が大半なのだが、なんといいますか、歌唱への入魂度が違っていた。
 それも、もしかしたら新型コロナ環境下における、男女の精神的な『根深さ』の差異が表出したのかもしれない。近頃は性差を云々言うと顰蹙を買いがちだが、たとえば女性の自殺が突出して増えている事実なんぞを考えても、あれはけして『弱さ』ではなく、魂レベルの『根深さ』なのではないか。

          ◇          ◇

 さて、ここから先は、まるっきりロリおた親爺の独り言になるが――。
 昨夜の紅白で、初めて目にした『NiziU』のお嬢ちゃんがたの姿に、狸は激しくときめいてしまいました。

 ときめき、その1。
 あんだけの数で、めまぐるしく位置を変えて踊りながら、初見の狸にも、しっかり彼女ら全員の見分けがつく。
 このところ老化が著しい狸の目には、今様のビジュアル・パターンを備えた若い女性が数人以上も入り乱れてしまうと、個々の識別なんぞ、ほとんど不可能なのである。これは老眼のためではなく、脳の形状認識パターンがすでに満杯、ぶっちゃけ昭和に縛られているからである。昭和の娘さんたちの体形や顔面造作やお化粧パターンは敏感に識別できても、昨今の欧米化した体形や、ハヤリの基礎的メイクに対応できない。昭和の少女漫画は子細に作者を見分けられても、近頃の萌え絵はみんな同じ絵柄に見えてしまうのと、同じ理屈であろう。
 ところが『NiziU』のお嬢ちゃんがたは、9人全員、みんな別個に際立って見える。そこが爺い心を直撃するのだ。

 で、ときめき、その2。
 9人の中でも、ひときわ際立って見えるひとりの少女に、どうも狸は見覚えがある気がした。
 もしやあの少女は、これまでもあちこち顔を出していた子役、つまり狸の崇拝対象であった『女児』の、成長した姿ではなかろうか――。
 で、あわててネット検索してみたら――おお、やっぱり!
 いつのまにか、あの子が『NiziU』の一員になっていたのだ。ナントカ48だのカントカ46だのに紛れることなく、Kポップ界でも通用するような、ばいんばいんでキレッキレな娘さんに――おうおう、こんなに立派に育ちおって。

          ◇          ◇

 そんなこんなで、他にも色々と録画チェックしているうちに、ふと気づけば、もう新年の夜明けが近づいていた。
 でもちっとも眠くないし、もう十年も初日を拝んでいない気がするし、いっそ今年は久々に初日の出を拝んでみよう――そう思い立ち、真間方向の高台めざして徘徊を開始する。
 お寺や神社で、密になる気はない。あのあたりを徘徊すると、東の彼方を望める見晴らしのいい路傍が、けっこうあるのだ。
 案の定、小一時間徘徊した先で、湿気のカケラもないキンキンの冷気の中、見事な朝焼けが拝めた。
 日本海側は大雪で難渋しているらしいが、ここいらは、申し訳ないほどの晴天であった。
 こっちに流れてくるはずの雪雲を、すべてあっちで引き受けているのだから、あくまで地形の悪戯とはいえ、やっぱり申し訳ない。

 すっかり満足して帰穴、それから蒲団に潜りこみ、起きればもう日暮れ時である。
 調子に乗って、こんどは江戸川方向を徘徊する。
 案の定、スカイツリーの彼方に、それはもう見事な夕焼けの富士を遠望できた。

 去年も何度か夕焼けの富士を拝んだが、東京方向の空は、どんなに晴天でも、やっぱり二重構造であった。つまり地表近くには、いつも濁った大気が澱んでおり、富士もスカイツリーも、ただの平面的なシルエットでしかなかった。
 昔は、元日、あるいは台風一過の翌朝など、江戸川の土手からでも、抜けるような空と富士が見られた。しかしここ数年、『台風一過』という表現そのものができない。暴風雨が去っても、大気はじくじくと湿ったまんまだから、彼方のビル街は常に薄寝ぼけている。歳末や新年の、世間様が休んでいるはずの間も、似たような二重構造の空であった。
 もっとも朝のニュースあたりでは、ときどき渋谷のNHKの屋上から、望遠レンズで明瞭な富士をアップにしたりしていたが、その渋谷と、狸の住まう江戸川あたりまでの間が、まさに大東京、排熱や排気の坩堝なのである。

 本日の、何年ぶりかで得られた眼福に、新型コロナによる世間の自粛が幾許なりとも加担しているとしたら、やっぱりこの地球の光景は、人間なんぞいないほうが、よほど美しいに違いない。