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02月26日 金  戦争と平和

 政府、尖閣上陸阻止で「危害射撃」可能 中国公船を念頭に見解 【毎日新聞 2021/02/25 20:32】

 
政府は25日の自民党の国防部会・安全保障調査会の合同会議で、沖縄県・尖閣諸島に外国公船から乗員が上陸を強行しようとした場合、海上保安庁が阻止するために「危害射撃」が可能との見解を示した。
 中国海警局が尖閣周辺で、領海侵入や日本漁船への接近・追尾を繰り返していることを踏まえ、自民党側が政府に見解を確認した。
 海保が武器を使用する場合は、警察官職務執行法が準用される。相手に危害を加える「危害射撃」については正当防衛、緊急避難のほか、懲役3年以上相当の凶悪犯罪に対応する場合は可能とされている。政府は中国公船などを念頭に、外国公船が尖閣諸島に接近し、不法上陸する可能性が高いと判断した場合、凶悪犯罪と認定して危害射撃ができるとの認識を示した。
 自民党からは、中国が施行した海警局の武器使用規定を明文化した「海警法」への対抗策が必要との声が出ており、大塚拓国防部会長によると政府が今回の見解を示したのは初めて。
 政府はまた、尖閣周辺などで、中国公船が海保巡視船や日本漁船の乗組員を連行した場合、海上保安庁法18条の「人の生命や身体に危険が及ぶ場合」にあたるため、行為の制止が可能との認識も示した。中国公船がドローンを飛ばした場合は、海上自衛隊が領空侵犯の恐れがあるとして対処するという。【畠山嵩】


 
尖閣上陸目的で接近の場合、自衛隊が「危害射撃」可能…岸防衛相が見解  【読売新聞 2021/02/26 23:42】

 
岸防衛相は26日の閣議後の記者会見で、中国の海上保安機関・海警局などの船が沖縄県の尖閣諸島に上陸する目的で島に接近した場合、「凶悪な罪」だと認定し、自衛隊が、相手を負傷させる可能性のある「危害射撃」を行える場合があるとの見解を示した。
 危害射撃の法的根拠として、岸氏は警察官職務執行法7条を挙げた。具体的にどのような場合に認められるかは、「海警の船舶がどのような行動をとるかによって変わってくる。個別の状況に応じて判断する」と述べるにとどめた。
 海警船の領海侵入などには、海上保安庁が対処できない場合に限り、防衛相が海上警備行動を発令して自衛隊が対応に当たる。
 海上警備行動で自衛隊に認められる武器の使用基準は、警職法7条などが準用される。同条項は正当防衛と緊急避難のほか、3年の懲役・禁錮以上の「凶悪な罪」の現行犯を制圧する場合などに限り、危害射撃を認めている。
 25日の自民党の国防部会などの合同会議で、政府側は海上保安庁の海上保安官が、「凶悪な罪」を理由に海警船などへ危害射撃できる場合があるとの法解釈を示していた。加藤官房長官は26日の記者会見で、海保による危害射撃が認められるケースについて、「非常に精緻(せいち)な整理をしなければならない」と述べた。
 警職法に基づく武器の使用は国内法の執行などに必要な範囲での実力行使であり、外国からの武力攻撃に対する自衛権に基づく武力行使とは区別されている。


 ……いや、なんぼなんでも、それは日本国内の法律上だけの話であって、国際法では認められんと思うぞ。
 船籍不明の不審船から国籍不明の乗組員が鉄砲かまえて上陸してきたんなら、こっちの正当防衛も緊急避難も成立するだろうが、マジに中国政府の武装船舶を相手にぶっ放せば、国際法上、正式な国家間の開戦になるはずだ。
 まあ政府だって防衛省だって、解って言ってるんでしょうけどね。
 それでなくともウイグルや香港問題で国際的にアレコレ言われまくっている最中の中国が、いきなり尖閣諸島上陸までは決行しないだろうし、もしそうなったらなったで、自動的に9条が消し飛んでくれるわけだから、むしろ自民党政権はケツをまくりやすかろう。

 狸としては、昔、石原都知事が尖閣諸島を地権者から正式に買って灯台を置こうとしたとき、当時の民主党政権の野田総理が、泡を食って国有化を前倒しにしていなかったら、今頃は尖閣諸島にも、プーさんのキャラクター・ショップが開店していたと思う。
 ちなみに韓国が竹島の不法占拠を敢行したのも野田政権末期、尖閣国有化のちょっと前でしたね。
 思えば民主党政権時代には、中国も韓国も、これからの日本など思うがままになるだろう、とナメきっていた。
 そこで尖閣を国有化したのだから、中国に従属するはずだった民主党政権がいきなり豹変し、中国に喧嘩を売ったのと同じことである。ようやく中国の覇者に昇りつめてノリノリだったプーさんの横っ面を、力いっぱい張り飛ばしたようなものだ。むしろ「いやすみませんすみません。あそこは東京都が先に勝手に買っちゃったんで、政府としてはどうこう言えんのです。けして民主党政権が、畏れ多くも大中国に逆らおうなどと思っているわけではありません。どうか大目に見てくださいすみませんすみません」と頭を下げといたほうが、よほどプーさんの面子は立ったはずである。
 あれは明らかに、右巻きバリバリ石原都知事の、作戦勝ちであった。

 なにはともあれ――。
 相手まかせのワクチン手配状況にしても、緊張感のカケラもない官僚接待やら賄賂やらの問題続出にしても、ひたすらモゴモゴと言い訳しながらなりゆきまかせに邁進する現スカちゃん政権のことだから、きっと戦争が起きたって、立派になりゆきまかせの王道を貫いてくれることだろう。
 いざとなったら海保や防衛省に、開戦の責任ごと丸投げすればいい。で、後始末は、いつものトカゲの尻尾切りですませるとか。

 いや、もうトカゲの尻尾すら、面倒くさがって切らないかもしれんなあ。
 近頃の言い訳を聞いてると、たぶん、あれらはもうマジに老狸と大差ない、脳内おこたみかん状態になっている。
 本日のニュースで、常ならぬ陰険なジト目を流しまくっていたスカちゃんなど、あれはもう、おこたみかんを邪魔されてブチキレた耄碌爺さんそのものであった。

          ◇          ◇

 あ、いかん。
 スカちゃんトリオは、もう狸穴から退場してもらったはずなのに、気が昂ぶって、ついつい口が滑ってしまった。
 ここは、毎回録画保存してあるテレビ東京の深夜ドラマ『おじさまと猫』を、初回から連続再観賞して、なんとか気を静めよう。

 原作のコミックも、一巻目だけ100円均一になっていたので買ってみたのだが、主役猫のふくまる君は、ドラマのぬいぐるみのほうが、明らかに原作の絵柄より猫っぽく見える。老舗人形劇団プークの、面目躍如と言える仕事だ。ドラマの製作スタッフも、低予算のわりには気合いが入っており、ふくまる君や、お姉さん猫のマリンちゃんがアップでまばたきするシーンでは、わざわざ目元だけ、リアルなCGを合成しているようだ。
 そして人間側の主役を演じる草刈正雄さんも、原作のイケメンおじさまより、より人間っぽく見える。こちらはぬいぐるみではなく人間だから、人間っぽくて当然なのだが、要は、猫に負けない生命感がある。

 ちなみに狸穴の通い猫・ブチ老僕は、ヨレヨレの老狸にふさわしく、ときどき、生きているんだか死んでいるんだか、よくわからなくなる。
 しかし、ふくまる君よりも、はるかにかわいい。
 心ならずも多くの日々、おこたみかん状態を余儀なくされている狸には、ふくまる君を愛でる草刈おじさま同様、もはやかわいくてかわいくてしかたがない。


02月23日 火  雑想

 アマゾンから届いた中古液晶モニター、送料コミで2080円にしては立派なものだが、画面の真ん中あたりに、スレによる小傷があった。
 ネットやメールで使用するぶんには気にならないが、創作や推敲などノリ重視の使用時、常に細長い糸くずがエディタの同じところに何本かワヤついているようで、ちょっと気になる。
 こんなときに役に立つのが、冬の狸の必需品、メンソレータムのリップ・クリームである。
 これをば指でちょいちょいと薄く液晶モニターに塗るだけで、あら不思議、少々の傷は、ほとんど見えなくなってしまう。
 電源を落としたとき、そこだけツヤツヤ潤って見えるのも、なんだかとってもリリックで、愛おしいではありませんか。

          ◇          ◇

 緊急事態宣言は、早めに解除ってことで。でも夜の街のお遊びは、とりあえず一時間伸ばすだけってことで、そこんとこよろしく。こんどは違反した店に罰金もアリだからね。
 ――あいかわらずなかなか味のある、でもなんだかよくわからない、お偉い方々の方針である。まあ今のところ、あくまで一部の知事からの国に対する要請であるが。
 しかし大阪界隈、ほんとに大丈夫か。
 首都圏も、ほんとにあと二週間で収束するのか。まあ確かに、入院者数も重症者数も微減傾向ではあるのだが、ECMOなんぞは、まだいっぱいいっぱいだし――狸としては、きっちり安楽死を法制化しとかないと、まずい気がする。なんでもかんでも『誤嚥性肺炎』で片づく特養の死亡届とは、状況が違うのだ。

 ところで、ハローワークの非正規職員が年度末で大量に雇い止めになる、などという噂を聞いた。
 まあ、それが単に非正規職員の期間的な宿命だとしても、時節柄、次の仕事先なんぞ、そう簡単には見つからないだろう。
 日雇い風情の狸さえ、餓死しないのがやっとの有り様なのだ。
 せめて、きっちりした専門職をこなせる方々くらいは、大事にしてあげてほしいものである。

          ◇          ◇

 コロリと話は変わって――。

 なんかいろいろ世界のドキュメント番組を見まくっていると、自称共産主義国家にせよ資本主義国家にせよ、結局、少数の御主人様と多数の奴隷で国家財政が維持されているという点では、大差がないのを実感する。
 無論、それぞれの比率は様々だが、北欧あたりのいわゆる先進的福祉国家だって、ちょいと社会の裏を覗けば、やっぱり使い捨ての奴隷を、制度的に温存している。表面的には人種差別が目立たない民主社会でも、裏ではやっぱり下層的な立場の人種が存在する。

 世界中がそんな仕組みである中、もはや、これから何がどうなるんだかまったく先が見通せない国家――それはやっぱり、中国である。
 自称共産党が一党支配する、国家資本主義体制社会――これはもう、従来の理屈でどうこう予測できる社会ではない。
 一流国家なみの富裕な大都会から、戸籍制度にさえ格差のある極貧の農村、さらには未開の山岳・荒野まで――多数派の漢民族から無数の少数民族まで――ありとあらゆる階級や人種や宗教が絡み合い、現在の親玉であるプーさんだって、おそらくは何をどうしていいか、自分でもわからない。だからこそ、今はひたすら強権発動に邁進するしか手だてがない。

 あの国とだけは戦争したくないものだ、と、その中国からの出稼ぎの方々とも親しい狸は、つくづく思う。
 同時に、無責任ながら、とてつもなく面白く、興味深い国家である。

          ◇          ◇

 さらにコロリと話は変わって――。

 実に懐かしい昭和のプラモデルを、YOUTUBEで見つけた。
 狸も小学生の頃、せっせと組み立てて、隠微に遊んだ記憶がある。

     

 今、思い出しても舌を巻くのは、ゼンマイ仕掛けの内部機構を実物大の薄い掌に収めた、巧みな設計である。
 当時の東宝特撮映画『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』で、フランケンシュタインのもげた手首だけがウネウネと動くシーンがあったが、こっちのプラモデルのほうが、ずっとリアルでブキミに動くのだ。
 安価な子供のオモチャのために、あんな面倒な機構を開発・製造してしまうのだから、やっぱり昭和レトロは侮れないのであった。


02月19日 金  月と星の彼方

 パソコンの液晶モニターが、いきなり逝った。
 十何年も前に、しかも中古で買った1280×1024物件だから、ここは立派な大往生と褒めてあげたいが、いきなり絶命されるのは困る。せめて顔色が悪くなるとか高熱が続くとか、ときどき咳きこんで痰が絡むとか、なんらかの予兆を見せてほしかった。
 あわてて押し入れの奥の奥から、古い17インチCRTディスプレイを引っ張り出す。まだ正社員の頃、ウインドウズ2000といっしょに買った、懐かしの愛機である。もっとも愛着があるからしまいこんでいたというより、とりあえず予備にとっておくうちに、捨てるだけでも金がかかる時代になってしまい、ずっと死蔵したままになっていた。
 ともあれ、これで急場はしのげると、さっそく接続してみたら――。
 これが甘い。
 テキストの輪郭が、お汁粉のように甘い。
 画像や動画もなんだかネムいし、階調が曖昧である。
 いやいや、昔はもっとシャープに見えていたはずだ。仕事でフォトショップを使えるくらいの色再現もできたはずだ――。
 などと懸命に試行錯誤すること数分、もうあの頃に戻るなど不可能であるという事実に、あっさり気づいてしまいました。
 前世紀末の狸は、パソコンのグラフィック・ボードを、何万もツッコんで増設していたのである。道楽心のためでもあるし、年収もそこそこあったし、何より仕事に必要だった。そのグラボ専用の画像調整ソフトで、シャープネスや色再現をなんぼでもいじれた。
 それが現在は、パソ本体がまるまる一万数千円の中古、当然グラフィックもオンボードの安チップのみ。画像調整も、ウインドウズの簡略な調整と、CRT本体の輝度・コントラスト調整のみ――。
 ……ビンボって、やっぱりちょっと哀しいですね。

 アマゾンで探したら、1280×1024の古い17インチ液晶モニターを、送料コミ2080円均一で、大量に売りさばいている業者があった。ジャンク扱いではないが、メーカー等は選べない。たぶん企業からの回収品だろう。狸が出入りする、あっちこっちのロジ現場では、今もウインドウズXPあたりが、そんな旧式モニターで元気に働いていたりするのである。
 限りなく失業者に近い現在の狸には、2080円とて大散財であるが――やむをえず、ポチっとしてみる。

 食い物のレベルなんぞは、なんぼでも夕日の三丁目に戻れる狸である。
 テレビ番組の視聴だって、そもそもテレビがない家庭に生まれたのだから、現在のフルカラー25インチ球面ブラウン管テレビがあれば、上等至極だ。
 しかし、パソ関係のアレコレだけは、どうがんばっても20年前の環境に戻れない。
 まあOSだけなら、2000に戻ってもへっちゃらなんですけどね。

          ◇          ◇

 本日は、買い物帰りに見上げる夜空が嘆息するほど澄んでおり、大都会ゆえ満天の星こそ見えないものの、上弦直前の月のちょっと右下に、赤い火星が月に負けじと光っていた。
 ニュースによればその火星の地表では、今しもNASAの探査車が、せっせと火星人を探しているらしい。
 同じ時刻のニュース内で、この国ではもうウスラバカしか政治家になれないキマリでもできたのか、とか、この地球ではもう脳幹まで銭の瘴気に侵された餓鬼でないと富裕層になれないキマリができたのか、とか、そんな感慨を覚えがちな浅ましいニュースばかり聞いていると、この星の上で無名の貧民をやっている自分が、存外まんざらでもない、愛すべき小動物に思えてくる。

 虚名が頼りのウスラバカも肥え太った餓鬼も、一介の老狸も道端のペンペン草も、どのみち全宇宙と同じ、諸行無常の存在である。
 お釈迦様だって、この世には死後の霊魂も生物としての輪廻転生もいっさい存在せず、森羅万象はただ無常だと悟ったからこそ、仏陀として安らかな涅槃に達したのである。
 道元禅師だって、死んでから仏に会ってなんになる、生きている自分の中に仏を見いだせ、そう言いきっている。
 お釈迦様亡き後の小乗仏教や大乗仏教――道元禅師亡き後の曹洞宗――それら膨大でファンタジックな教義や世界観のアレコレは、結句、弟子や信徒が後付けで膨らませた二次創作や三次創作、さらに無限増殖した仏教もどきにすぎない。

 色即是空、空即是色――。

 しかし無慮数の肥大化したエピゴーネンにしろ、彼我を別たぬ慈悲の念、無私の愛への憧憬さえ忘れていなければ、それも仏性であろうと狸は思う。
 だから狸は、そんなものに化けたい。

     


02月13日 土  揺れる狸

 夜半近く、いきなり揺れた。
 宮城や福島は、震度6強という激しさだったらしく、夜が明けたら被害情報も増えると思われるが、今のところ人的被害は少ないようだし、津波の心配もないのは僥倖である。
 
 狸穴近辺は、震度4とのこと。
 揺れ具合も揺れている時間も、十年前よりはずいぶんましだったのだが、あのとき狸は仕事先で荷役中、いっしょに怖がる仲間がなんぼでもいた。それが今回は、狭い狸穴に一匹のみである。
「うわあ、いよいよ東京湾岸の番か!?」と、沸かしつつあった風呂の火をあわてて消しに走り、背後では冷蔵庫の上から醤油や塩胡椒の小瓶が転がり落ち、ふと気づけば蚤の心臓いや狸の心臓が、かつてないほどばっくんばっくん脈打っているのであった。
 やっぱり地震に対する度胸なんぞはちっとも鍛えられておらず、むしろ十年前より小心になってしまっているのだなあ、と、我ながら消沈してしまう。
 しかし小心であればこそ、十年前にぶっ倒れた戸棚なんぞは、しっかり耐震対策してあるのだ。
 ゆえに今後は、ますます小心であろうと思う。

 男たるもの、常に小心であるべし。
 男は妥協。
 ――時代遅れの男女差別と誹られるかもしれないが、そうして男が小市民的社会や家庭を平穏に保ってこそ、女性もまた、より逞しく世界にはばたけるに違いないのである。

          ◇          ◇

 BS1で、また、とてもいいドキュメンタリー番組を観た。
オストメイトモデル 私が“モデル”になった理由』である。

 狸は痔持ちゆえ、正社員時代に健康診断があるたび、便の潜血反応から、大腸癌や直腸癌を疑われていた。二次健診でア●ル責めを強要され快感に悶えた、いやマジであまりの激痛に叫びまくったこともある。
 だから人工肛門の話も医者に聞かされていたのだが、マジに調べたことはなかった。
 で、オストメイトがテーマらしいこの番組を、録画してみたのだが――。

 感動した。
 このモデルとなった女性にも感服したのだが、番組中、生まれつきの障害で誕生直後からオスメイトになった4才の女児が登場するにおよび、もはや身悶えるほど、心をわしづかまれた。
 いやもう偽善ではなく本心から、狸の腸や臀部なんぞ、その子にそっくりプレゼントしたいと願った。
 しかし、その子には優しくて賢明な御両親がちゃんといるのだし、オスメイトとして凜々しく生きる立派な女性も、その子のこれからの人生に寄り添ってくれる。狸なんぞ、何を思っても無益である。
 ただ、これだけは伝えてあげたいと思う。
 もし君がお年頃の少女になったとき、万一、ストーマの不具合から人前で内容物が溢れるようなことがあっても、そんなのは、ちっとも恥ずかしいことじゃない。君がどんなに恥ずかしくても、周りの人の中に迷惑そうな顔が混じっていても、まったく困ったことじゃない。
 4歳の君が、今、無邪気に「うんちっち」と呼んでいるものは、夜空で光っている星の仲間だ。
 ほんとに、同じものなんだ。


02月11日 木  変わらざる日々

 東京都のHPのどこを探しても見当たらないPCR検査数コミの推移グラフが、民間のHPにあった。
 つまりは、こーゆーことである。

     

 検査数の減少に応じて感染判明者数が減るのは理の当然として、陽性率まで一緒に減ってしまうのは、ちょっと恐い。まあ、1月初旬まで律儀に追いかけてきた濃厚接触者を、それ以降は同居の家族でさえ無症状ならほとんど検査を省略しているのだから、恐いながらも、やっぱり理の当然なのだが。
 さすがに英国やアフリカ由来の変異型なんぞは、アブナそうなので濃厚接触者をせっせと追いかけているらしいが、そもそも大元の発症者が市中感染なのだから、見つかるのは家族や同じ職場の方々止まりである。

 無論、今の検査態勢で、もっと検査対象を増やせ、などと無茶を言う気は、狸にもない。
 ただ、首都圏の緊急事態宣言解除は、さすがのスカちゃんトリオでも、とうぶん不可能だろう。入院者数や死者数は、理の当然に従って、あいかわらず微々たる減少傾向にすぎない。日々の検査数の分母を省略して発表しても、そっちの数字だけは、ごまかしようがないのである。

 いや、それでも欧米に比べれば微々たる感染者数なのだから、オリンピックも満員電車もGOTOもイケイケで金を回せ――あくまでそうおっしゃるなら、別に狸も今さら止めはしない。
 しかし、狸ら底辺層には、もう回す金がまったくないので、国会議員さんとか大臣さんとか余裕のある方々が、せっせと回してくださいね。いっそそちらの貯蓄や資産をパーっと世間に放出し、奴隷の仕事を増やしてくださるのが吉。

          ◇          ◇

 今週も、一日分の日銭で食いつなぐことになりそうだ。
 あいかわらず、無密地帯の徘徊と、録画物件のボッチ消化と、毎晩のブチ下僕いじりで、日々の無聊をまぎらわす狸である。
 録画物件はドキュメンタリーが主だが、映画も2日に1本は観ている。

 邦画の『空母いぶき』(2019)は、評判どおりの「……なんじゃこりゃ」な企画倒れ物件であった。
 まあ生々しい実写映画として、原作どおりに中国とドンパチやるのは、やっぱりマズイのだろう。
 それにしても、まさか、こんなハードな状況の空母で民間の記者が取材しほうだいなのは、ちょっと困ってしまう。これでは仮想戦記でもポリティカル・フィクションでもなく、平和祈念のファンタジー映画である。ポリティカル度数(?)で計ると、狸の猫耳物件に毛が生えた程度に見えてしまう。

 意外に没入できたのが、清水崇監督の『犬鳴村』(2020)であった。
 てっきり都市伝説ネタの実話怪談系かと思ったら、かの昭和52年のカルト的東映怪奇映画『犬神の悪霊』、あるいは昭和30年代の大蔵映画っぽい現代怪談、つまり過去の因果が現代を侵食するズブドロの因縁話、土俗と血筋の怪談話なのであった。『呪怨』系Jホラーよりも、むしろ狸の好物と言ってよい。
 語り口としては、練りが足りなくて舌足らずなのだが、古狸としては、その心意気や良し、である。
 現在劇場公開中の『樹海村』とやらも、この路線なら観てみたいのだが、いかんせん金がない。『犬鳴村』同様にTBS系の出資作品なら、きっと来年にはテレビ放映してくれるだろう。


02月06日 土  老兵は死なず

 図書館はずっと閉まったまんまだし、今月もまだ一度しか日銭にありついていないので、いきおい、徘徊時間やテレビ番組視聴時間ばかりが増大してゆく。
 で、あらためて気づいたことを、ふたつばかり。

 気づき、その1。
 電車賃がもったいないので、狸穴を基点に四方八方、なるべくひとけのない道筋を徒歩徘徊するだけなのだが、未知の裏道や路地は、あんがい果てしなく存在するのであった。
「さて、どこに行こうかしら。ネットは広大だわ」とつぶやく草薙素子少佐(映画版の女児モード・エンドの)を、「いや、江戸川や真間川界隈も、果てしなく広大ですよ。よろしかったら御案内しましょうか」と、徘徊にお誘いしたいくらいである。

 気づき、その2。
 NHKの中でも、地上波ならEテレ、衛星放送ならBS1に、とにかく長く残したい単発ドキュメンタリー番組が多い。海外の翻訳物件もNHK製作物件も、毎日のように興味深い佳作が流れる。
 経費節減のため、BSを一派に集約するとかいう話もあるようだが、お願いだからやめてほしい。
 狸がますます耄碌してしまう。

          ◇          ◇

 森さん名物・本音の垂れ流しが、今さら世間で騒がれている。
 狸としては、ああ、あの前世紀の哀しき老兵が、新世紀の戦線に担ぎ出されても、なお前世紀同様の作戦展開をしているなあ――そんな無常感を覚える。

 あの人は、マジに生粋の集団競技系体育会男子、それも力いっぱい旧タイプの人である。だから押せ押せの試合展開しかできない。自分の人生も周囲の世界も『加算』でこそ大成する――そんな信条の方なのである。
 過去の政治家としての実績を体育会的に見れば、世評とは別状、けして無能というわけではなかった。チーム内の気配りは得意中の得意だったし、海外の敵チームとの試合展開なんぞも堂に入っていた。ただし体育会系ではない生徒会からのツッコミなんぞは、どこ吹く風とばかりに受け流していた。空気が読めないというより、己が意に染まない周囲の空気を容認した時点で自分の負け、そんな感覚なのである。
『減算』という概念の欠如を武器に『加算』の人生を送ってきた老人――そんな前世紀のラグビー野郎が、新型コロナによる全世界の『減算』状態なんぞに、思いを致せるはずもない。
 今回のしくじり発言にしろ、古い儒教的な『男尊女卑』や『長幼の序』を『自動的に加算されてゆく男の名誉』だと信じて疑わないから、そもそも何がしくじりだったのか実感していないし、たぶん死ぬまで実感できないだろう。

 今のIOCのバッハ会長なんぞも、似たような流儀で偉くなった方なのだろうか――いやいや、あっちは、どうやら根っからの興行主らしく見える。オリンピックが再延期になろうが無観客になろうが縮小しようが中止になろうが、結果的に自分だけは損をしない加減乗除を、腹の奥でしっかり計算しているに違いない。
 その点、狸にとっては森さんのほうが、脳幹まで銭の瘴気に侵された老害連中より、まだしも絵になる存在ではある。

 とはいえ今のグローバルかつワヤワヤな世界で、男は度胸、なんぞと言っていたら、しまいにゃ世界が滅びる。
 男は妥協、それくらいでちょうどいい。
 プーさんやプーちんも、大いに妥協していただきたいものである。


02月01日 月  狸式COVID−19東京湾岸現状報告

 このところ連日、首都圏ニュースでは感染者数が減った減ったと騒いでいるが、実のところ以前にも記したように、検査対象者の条件が大幅に変わってしまっているので、感染判明数のみならず陽性率さえ、もーまったくアテにならないのである。
 そこで、ズバリ、東京都のHPで毎日発表されている入院患者数と、重症患者数(東京都の場合はECMOを含む人工呼吸器管理が必要な患者数)を、緊急事態宣言開始の1月8日と、昨日1月31日の数字で比較しますと――。
 入院患者数は、3178人だったのが2891人に、つまり1割減っている。ただ、グラフの流れ全体を見れば、あくまで上がったり下がったりの流れであり、けして減少傾向が続いているとは言えない。
 そして、シビアに現状を反映すると思われる重症患者数。これが1月8日には129人、31日には140人。グラフとしては一進一退でむしろ微増傾向、そんな感じである。

 ご参考までに――あまり計算したくはないのだが――COVID−19による東京都の死者数。
 これはまだ1月29日までしか都のHPに掲載されていないので、1月8日から29日までの22日間と、1月7日以前の22日間を、単純に比較してみる。
 まず宣言前の22日間が136名。そして宣言後の22日間に170名。
 この数字だけだと大幅に増えたように見えるが、お亡くなりになった方によって感染期間も年齢も様々のはずだから、緊急事態宣言自体の影響は、まだ定かではない。狸としては御冥福を祈るばかりである。

 つまり現在の第2次緊急事態宣言は、首都圏において感染拡大を抑えてはいるのだが、残念ながら、ちっとも減らしてはいない。夜の街をなんぼ寂しくしても、満員電車を走らせているかぎり、たぶんトントンが続くだけだろうと狸は思う。第1次緊急事態宣言のときほどにはテレワークを徹底していない企業、そっちに罰則を設けるべきなのである。なんて、こんなザルみたいな宣言に罰則なんぞ設けるほうが、恥を知らないだけなんですけどね。
 ただし全国的に見れば、大都市圏から地方への感染拡大だけは、かなり抑えていると思われる。
 よってGOTO再開も、大都市圏だけ入出ともに除外すれば、アリかもしれな――いやいやいや、地方によっては英国型変異ウイルスをモロに送りこまれた労働現場もあるはずなので、やっぱり全国、やめといたほうがいい。

 さて、一部の方がおっしゃるように、被害甚大な欧米に比べれば日本はもともと騒ぎすぎなのだ、と言ってしまえばそれまでの数字ではあるのだが、しかし、この程度の数字で、現に各種保健機関も医療現場も崩壊しかねない、いや一部はすでに崩壊しているという現実こそが、平成以降、ただひたすら国民を疲弊させ続けてきた経済政策の結果であることは、自明の理である。

          ◇          ◇

 ともあれ、周さんの発表する彼の国の非現実的な数字なんぞは、誰がどう考えたって、ケタがひとつもふたつも違うはずなのである。
 そのプーさんと、近頃すっかりお仲間っぽいロシアのプーちんは、まあ甘く見ても話半分、発表の倍は感染者や死者がいると見ていいだろう。
 お隣のムン君も、ちょっとアヤしい。COVID−19での死者発表数が妙に少ないかわり、なぜか他の原因での死者数が、昨年は異常に増えていたりする。死者数そのものを勝手に変えるほどの権力はなくとも、死因を他に振り分けるくらいは、ムン君でも可能なのだろう。
 北の金坊ちゃんは、なにがあっても断じて被害ゼロらしいから、ああなんかもうどうでもいいや。

 そうした意味で、まだしも日本は、近代的な民主国家に他ならないなのである――そう信じて、気を落ち着けることにしよう、うん。
 お願いですからそう信じさせてくだせえ、お情け深いお代官様あ。