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03月27日 土  理の当然

 今さら記すまでのこともないが、感染が再拡大しはじめたところを見計らってわざわざ緊急事態宣言を解除したのだから、ますます感染拡大するのは理の当然で、要は、拡大させること自体が現政権の選択に相違ないのである。重症者数や死者数も、増加ペースに転じてしまった。いっぽうワクチンの国内接種は、順調に発展途上国のペースに落ちている。
 いつになるかは知らないが、次の衆院選でも自民党が過半数を占めたりしたら、たぶん日本人の過半数は、すでにディープ・ステートの仲間であるか、あるいは単にウスラバカなのだろう。
 これも今さら記すまでのことはないが、なしくずしに聖火リレーが始まったのも理の当然で、現政権としては、すでに撒いてしまった金を返してくれとは言えない、とか、これから撒くと約束した金を撒かなかったらますます票が減ってしまう、とか、すでにもらってしまった金を返すくらいなら死んだ方がましだ、とか、己の実存そのものに関わる哲学的な理由がてんこもりなので、聖火リレーを始めないという選択肢は、もとから存在しなかったのである。

 それにしても故郷の山形市まで、ずいぶん新規感染者が増えているのは心配だ。
 まあ現状、山形市はすでに仙台市の通勤圏の一部であり、仙台は東京の仲間内なのだから、それもまた理の当然なのだが、故郷の集中治療室やECMO事情を思えば、ほどなく死者数も増えてしまうのだろうと心が痛む。
 老人性痴呆が日々悪化してゆく霞ヶ関トップの方々に、今は何を期待してもしかたがない。ベテランの左派にして肝っ玉母さんでもある山形県知事の差配に、期待するばかりである。

 しかしスカちゃんにも、やっぱり、大いに期待せざるを得ない。
 なんとなれば、合衆国大統領との直接会談が待ち受けている。
 老策士・バイデンと相対したとき、すでに自分が老人性痴呆に侵されていることだけは、隠しおおせてほしいものである。

          ◇          ◇

 あいかわらず、餓死しない程度のフトコロ具合が続いている。
 本日は、陽気に誘われて、真間川沿いの桜並木を徘徊した。
 川沿いの広からぬ道ゆえ、地べたの宴会などは見かけないが、人出は昨年なみにある。
 桜も元気いっぱいに咲き誇っている。
 このイキオイで、日銭仕事も増えてほしいものである。

     

 上はYOUTUBEで見つけた去年の動画です



03月22日 月  お帰り寅さん

 千葉県知事選挙は、なんの意外性もなく本命の若手、元千葉市長がぶっちぎりで勝利した。

 いや、意外性も確かにあった。二番手の元県議が、ここまで苦戦するとは思わなかった。得票が桁違いで少ないのである。これは巷でも言われるように、自民党に推薦されてしまったからこその惨敗だろう。いっそイロモノや陰謀論者やボケ老人のように、きれいさっぱり無所属で出ていたほうが、よほど善戦できたに違いない。
 ここいらには狸同様の非正規労働者がひしめいているから、スカちゃんトリオの影をちょっとでも身に纏ってしまったら、得票どころか投石されかねないのである。

 狸は結局、文学少女あがりの優しそうな熟女さんに投票したのだが、ここいらではウケないジェンダーフリーを謳ったせいか、あるいは共産党推薦のせいか、やはり落選してしまった。
 それにしても――。
 今回、8人も立候補しながら、選挙運動において消費税減税を真面目に叫んでくれたのは、その元文学少女さんだけなのであった。

 ちなみに狸は、今後のありとあらゆる選挙で、消費税の減税あるいは廃止を真摯に主張する方にしか、投票するまいと思っている。

          ◇          ◇

 昨夜、BSテレビ東京で、『男はつらいよ お帰り寅さん』が放送された。

 ご存知の方も多かろうが、男はつらいよシリーズは、狸の大好物である。
 第1作から第7作までの初期作と、この異色の最終作にして第50作『お帰り寅さん』を除けば、第8作の『寅次郎恋歌』から49作の『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』まで、ずっと初公開時に劇場で観ている。

 思えば寅さんとは、狸が中学二年の頃から続く、本当に長いつき合いなのだ。
 第7作目が封切られた中学一年の頃までは、そもそも自分ひとりで映画館に出向く習慣がなかったので、朋輩たちとわいわい集って観る怪獣映画や特撮映画、一般作なら学校推薦・文部省選定の名作くらいしか観ていなかった。
 それが、読書趣味と中二病が昂じて自分でも創作、つまり『お話』を作りたくなり、見よう見まねで漫画もどきを描いたり小説もどきを書こうとしたところ、そもそも『作り話』そのもののコツが解らず、図書館や本屋で色々物色したら、映画シナリオの入門書に、人物設定やストーリー構成や展開の仕方といった、詳細な記述があるのを見つけた。
 今でこそ、青少年向けのラノベ制作マニュアル(?)みたいな実用書(?)が存在するが、当時は子供向けの漫画入門書でも、ストーリーに関しては起承転結といった大雑把な説明がせいぜいで、肝腎の物語進行は、多分に感性勝負的な助言しか得られなかったのである。教えてくれるのが手塚先生であれ石森先生であれ、あの方々の天才的な感性を、田舎の小中学生が真似できるはずもない。
 そんなこんなで、安直な狸は、教科書準拠参考書っぽいシナリオ入門書と、シナリオ集そのものに手を出したわけである。

 その最初に入手したシナリオ集に、山田洋次監督の映画版『男はつらいよ』第1作が、収録されていた。
 当時は、ヒットした映画シリーズだと年に3本も4本も作られていたから、田舎の中学生が「ふうむ、なるほどなるほど。いわゆる映画のストーリーやセリフは、こんなふうに組み立てられているのだ。じゃあ、ためしに完成品を実地検分してみよう」と腰を上げた頃には、もう第8作目の『寅次郎恋歌』が公開されていたのである。
 ちなみにその『寅次郎恋歌』が傑作すぎて、寅さんシリーズの輝かしい到達点をイキオイ余って通りこし、それっきり終わらせてもらえないほど大ヒットしてしまったのは、古い邦画ファンなら、ご存知のとおり。

 そのように愛着のあるシリーズなのだから、当然、この最終作『お帰り寅さん』も劇場で観るべきだったのだが、正直、近年はフトコロが寒すぎるし、肝腎の渥美清さんが彼岸に旅立ってしまっているし、巷の評判も賛否両論、いやむしろ批判的な感想が多く聞こえてくるので、結局、ロハのテレビ放映を待つことになってしまったのだが――。
 ああ劇場で観とけばよかった、と、今はつくづく思う。

 渥美清さんの不在を回想で処理し、しかも最後まで寅さん本人が柴又に帰ってこない作劇は、確かにご不満のファンも多かろう。
 しかしこの作品は、山田監督が、あの第48作『寅次郎紅の花』で結末をつけてやれなかった満男君と泉ちゃんという若いカップルを、けして絵空事ではない現実の世界に定着させ、同時に、現実の世界で寅さんが今も放浪の旅を続けていることを確定させるためにこそ作劇されているのではなかろうか、と狸は分析する。

 渥美さんの逝去によって実現されなかった、当時の幻の企画の筋書きでは、満男と泉は正式に結婚する予定だったと言われているが、狸には、それはあくまで着想段階の予定調和であって、あの人情派に見えて実は知性派バリバリの山田監督が実際にシナリオ作業を進めたら、確実に展開を変えていただろうと思われる。
 『寅次郎紅の花』の時点では、頼りなくて思慮たらずで、寅さんなみに将来性に乏しかった満夫君が、あの超美形の才媛・泉ちゃんとラブラブのまんま結ばれてしまったら、それこそシリーズ全体が、底の浅いカタルシス重視の、安易な人情話に落ちてしまう。だからこそ、真の最終話『お帰り寅さん』では、いったんラブラブになったあの若い二人も、その後、ヨーロッパへの旅立ちを決意した泉ちゃんを満男君が止められずに破局し、それぞれ現実的に相応しい別々の家庭を築いて、疎遠のまま中年期に至った設定になっている。
 また、この最終話において、たとえば亡くなった渥美清さんをCGか何かで再現し現在の柴又に帰宅させたとしても、カタルシス重視の安易な人情話に落ちてしまうという点では同じことだ。拍手して喜ぶ観客も確かに多かろうが、狸としては、現実の柴又が『ターミネーター・ニューフェイト』のような並行世界に、いきなり転移してしまうとしか思えない。

 結局、寅さんは、あくまで狸と同じ現実のこの国を、今も気ままに、あっちこっち旅しているのである。
 そして未熟だった満夫君も、寅さんのように気ままに旅立てはしなかったものの、ちゃんと寅さんの血を継いで、先の見えない小説家などというヤクザな稼業に身を投じ、寅さん同様、根源的に『利他』の人生を歩める男として成熟している。

 シリーズ初期の、一見わがままで荒っぽい自己中な寅さんだって、実は潔い『利他』の念が根にあるからこそ、孤独な放浪の道を選んでいたのである。
 山田洋次監督の、半世紀にわたってブレのない一貫した作劇に、そして今回のみごとなトゥルーエンドに、慎んで平伏したい。


03月17日 水  合掌

 大塚康生先生も入滅されたか……。
 高畑先生も亡き今、宮崎先生と小田部先生の長寿を祈るのみである。

 日本のおたくの常として、少年期から初老に至るまで好んでアニメを追っていた狸ではあるが、幼少時の『鉄腕アトム』や『鉄人28号』は、あくまで動く漫画と思っていたし、『妖怪人間ベム』への偏愛もあくまでゴシック・ホラーとしての嗜好であったし、最初にアニメ化された『ムーミン』も、子供心になんかちがうと思いながら、原作への義理で観ていた気がする。
 そんな狸が、リアルタイムでアニメ−ションという表現メディアに驚天動地の可能性を見いだしたのは、中学時代に劇場で『パンダコパンダ』を観たときであった。
 優れたアニメ作品は多々あるが、今でも『パンダコパンダ』が、日本のアニメ界のビッグ・バンと信じて疑わない。

     

          ◇          ◇

 どうやら緊急事態宣言は、なしくずしに解除されそうだ。
 まあ、もともとスカちゃんが全身全霊をもって国民に自粛をお願いしていただけなのだから、このまま永遠に全身全霊をもって国民に頭を下げ続けているとさすがに首や腰がくたびれてしまうので、スカちゃんも、そろそろふんぞりかえって体を伸ばしたいのだろう。

 あとはもう、悪の秘密結社ディープ・ステートによる、強毒ワクチン攻撃の日本波及を待つばかりである。
 もしディープ・ステートの方々が、この狸穴を覗いていらっしゃったら、真っ先にワクチンと注射器を送ってくださいね。
 騙されやすい狸なんか、嬉々として力いっぱい筋肉にブッ刺しますから。

 ちなみに電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、空があんなに青いのも、すべてディープ・ステートの陰謀であることは言うまでもない。


03月11日 木  生きる

 あの大震災から、丸10年――。

 新型コロナ由来の困窮下、能天気な狸でさえ、ああなんかもうどうでもいいや、といった投げやりな気分に陥りがちではあるが、なんとか餓死しない程度の日銭はぽつりぽつりと得られているし、姉から援助物資が届いたりもする。
 とりあえず溺死も圧死も病死も免れ、この地上に生きていられるだけで、一介の小動物としてはずいぶん幸運なのだなあ、と、思わずお天道様に手を合わせたりもする。
 そして生死を問わず、すべての衆生の済度を願って、敬虔に合掌したりもする。

 ただし、大量の録画物件の中にあった、除染マネーがらみのNHKドキュメントを観ていたら、一部、腹の底から呪詛したくなるような思いもしたりする。
 よって、地位の上下や貧富を問わず、性根の腐った外道野郎だけは、ひとり残らず明日の夜明けを拝む前に新型肺炎で悶死するよう心より祈願しつつ、敬虔に合掌しようと思う。

          ◇          ◇

 千葉県知事選挙の立候補者8人のラインナップが、東京都知事選挙なみにバラエティー豊かで、話題になっている。
 ひとりはイロモノ、ふたりは陰謀論者、一見まともな御老体ふたりは片や半ボケ片や老後の道楽、まっとうな候補者は残り3人のみ。
 ――と言いつつ、お茶の水の大学院で平安文学を専攻したという狸好みのお母さんは、議員経験もないし、無所属ながら共産党推薦なので、大量得票は難しいだろう。
 結局、現自民と元民主、40代前半の若者ふたりの、対決になりそうだ。
 狸としては、いっそイロモノの人が際立った芸でも持っていたら、芸人としての可能性に賭けてもいいのだが、YOUTUBEを観るかぎり、歌やダンスはあんがい様になっているが、センスとテンション頼みの惹句ばかりで、具体的なポリシーはまったく窺えない。

 ここはやっぱり、女性運動系のお母さんを応援すべきか。
 根は紫式部派か、それとも清少納言派か。
 投票日は十日先なので、ちょっと調べてみよう。


03月09日 火  狸穴夜想曲

 おお、近頃のYOUTUBE界隈では、まともに流れていなかったこの曲が、久々におおっぴらに――。

     

 そうか。あれから、もう40年になるのか。
 思えば狸は、その頃、生まれて初めての、心身を伴った恋に酔い痴れていたのであった。
 ああ、懐かしき南海の波と風……まあ狸のことゆえハワイでもカナリア諸島でもなく、伊豆七島どまりなんですけどね。

 しかし今となっては、なぜか、そんな青春の思い出さえそぞろむなしく、そもそも恋愛なんぞ抽象概念でしかなかった幼き日々の歌声ばかりが、次々と耳に蘇ってくるのである。

     

     

 思えばパット・ブーンの歌なんて、まだ狸の家にテレビがない頃も、ラジオから流れていたのですね。
 で、しまいにゃ、こんな、時も状況も定かではない夢幻の歌声が、どこからともなく響いてきたりする。

     

 ちなみに上の歌は、狸の御贔屓・米良美一さんの歌唱による『うぐひす』。作詞は佐藤春夫先生、作曲は早坂文雄先生、『春夫の詩に拠る四つの無伴奏歌曲』の中の一曲ですね。

     君を見ぬ日のうぐひす
     海近き宿のうぐひす
     波の音に混じりなくよ うぐひす
     ひねもす聴くよ うぐひす
     うぐいす うぐひす うぐひす

 ……これもどうやら、海と恋つながりっぽい。

          ◇          ◇

 さて、それらの歌声とは、もーまったく具体的な関係を見いだせないのだが、今なんでだか唐突に、こんな俳句を思い出した。

   〜〜 金亀子《ぶんぶん》に裾つかまれて少女妻 〜〜

 郷土出身の俳人、鷹羽狩行《たかはしゅぎょう》氏の一句である。
 実のところ狸には、この句がどんな情景や心象を詠んでいるのか、昔から判然としない。
 鷹羽氏は、ずいぶん年下の妻を娶って、いっとき愛妻句とやらを多作した方らしいから、単に「うわ、うちの若奥さん、スカートの裾にカナブンくっつけてる。こりゃもう初々しくてたまらんわい」みたいな、ある意味、今すぐ爆発するべき俳句なのかもしれない。
 あるいは狸好みに、スカートの裾にカナブンをくっつけた女児――『びんちょうタン』に出てくる、スカートの裾にクワガタくっつけた『くぬぎタン』みたいな少女――を、「おやおやカナブンさんに求愛されて婚姻成立しちゃったみたいだね君は」などと、微笑ましく眺めている俳句なのかもしれない。
 しかし、どのみち、マイナー方向に沈みがちな狸の心の琴線を、軽やかにぽろろろろんとメジャー方向にかき鳴らしてくれる俳句には違いない。
 だからこそ、今夜突然思い出したのだろうし、個狸的には、どんな解釈でもいいのだ、と解釈している。

 狸にとっての詩歌は、それでいいのである。


03月05日 金  雑想

 先月は年金も入ったわけだが、2ヶ月ぶんの家賃や光熱費を計算すれば、いつもの医者に行く金が心細く、薬が尽きてからも、しばらく様子見していた。
 で、ようやく日銭が貯まったので薬をもらいに行ったら、血圧が170を越えていた。一週間も服薬をサボると、てきめんに上がるらしいのである。
 白衣性高血圧を考慮してもちょっと高すぎ、とゆーことで、そんなにキビしいなら福祉関係に相談したほうがいいんじゃないの、と、お医者さんにまで言われてしまった。
 でも来週はけっこう働けそうですから、と答え、半年ぶりに血液検査もしてもらう。これも1500円近く余分に金がかかるので、しばらくサボっていたのである。血糖値も上がっている可能性が高いが、まあ、それも服薬が無駄ではない証拠だろう。

 思えば、このところ、夜中に悪夢を見て、心臓がばっくんばっくんして目覚めることがあった。
 てっきり先月の地震や、東日本大震災がらみのドキュメント番組なんぞを見まくっている影響かと思っていたが、単純に、血圧が上がっていただけなのかもしれない。あるいは逆に、そっちの不安感が、血圧上昇に加担したのかもしれない。
 どのみち、精神と血圧は一蓮托生である。
 平常心、平常心。

          ◇          ◇

 近頃、ディープステート、略してDSとやらが、ネット界隈のコメントでやたら目につくようになり、少々深めにググったりしてみたら、なんのことはない、昔からあるユダヤの陰謀論と、根っこは同じモノらしいのであった。
 しかしそうなると、なんでそんなシロモノがトランプさんイジメに走らねばならないのか、根本的に解らない。どう考えたって、仲間内のはずである。
 まあ、熱狂的トランプ信者の方々になると、とにかくトランプさんは正義の味方なので財産の出所なんぞは関係ないらしいが、仮にも経済評論家を自称する方々まで、トランプVSバイデンや、アメリカVS中国のアレコレにまでディープステートを絡めるのはおかしいだろう、と思ったら、そこいらがおかしいのはご当人たちも承知の上らしく、ぬわんと、近頃はディープステート内にも内部分裂が生じ、国際問題の混迷に拍車を掛けているらしいのであった。
 ……陰の世界政府が、内部分裂してどーすんのよ。
 分裂した時点で、全世界を牛耳る軍産複合体なんぞ、崩壊必至でしょう。自分たちは争わずに、他人同士を争わせてこそのボロ儲けなのである。

 そのような、陰の世界政府の内紛は、ちょっとこっちに置いといて――。
 NHK・BS1で、とんでもねードキュメンタリーを見た。『映像詩 不滅のロシア』である。
 NHKの番組紹介でも、表向き映像詩と謳っているし、確かに詩情あふれる描写も多い。
 しかし制作国はロシアではなく、エストニアとラトビアの共同制作なのだ。
 な、なんでバルト三国が、今どき『不滅のロシア』?

 番組内容を観ると、これが全編、不滅の強国ロシア再興を目ざして「夢よもう一度」――そんな映像詩に他ならないのである。しかし制作者側が、そんなノスタルジーを描こうとしたとも思えない。
 そこいらの国民感情は、バルト三国にとって、歴史的に複雑怪奇であろうと思われる。旧ソビエト時代、またナチス・ドイツに占領された時代、そして長かった帝政ロシア時代――。
 あくまで狸の深読みであるが――おいおいロシアがまた帝国再構築に邁進しているぞ――そんな警告を、隣のプーちんが怒ろうにも怒れないフォーマットで、全世界に発信していると見た。

 中国に、こんなドキュメンタリーを作れるしたたかな周辺国(ぶっちゃけ旧属国)が存在しないことは、世界にとって大いなる不幸であろう。
 それこそ、NHKが制作したらどうか。
 N国党あたりは、また表面だけ見て(あるいは見もしないで)大騒ぎするだろうが、世の中には、褒め殺し、という逆プロパガンダだって、立派に成立しうるのだ。


03月01日 月  激動の令和史 〜動乱のおこたみかん〜

 タマ 「♪ みんななかよし、おこたでみかん〜〜 ♪ ぬっくぬく〜〜 ♪」
 スカじいちゃん 「♪ そのうちワクチンくるから、新型コロナも気にしない〜〜 ♪ ぬくぬく〜〜 ♪」
 2Fじいちゃん 「♪ シナちゃんはボクとなかよしだから、センカクだって大丈夫〜〜 ♪ ぬくぬく〜〜 ♪」
 アソウじいちゃん 「♪ ボクたちみたいにおかねがあれば、なにがあっても大往生〜〜 ♪ ぬくぬく〜〜 ♪」

 そのように和やかな談笑喫食の直後、幼児のように汚れなき老人たちを、内閣調査室の密命をおびた猫又がひとり残さず躍り食いにしようとは、神ならぬ身の俺や暎子ちゃんには知る由もなかったのである。
 内閣府の地下、開かずの間の掘り炬燵で秘かに決行された流血の粛正、令和の3.01事件――。

 ちなみにタマは、のちに、こう語っていた。
「じじいより、おみかんのほうがおいしかった」

 いつの世も、猫又は能天気である。