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06月27日 日  遺言

 ここ23日、ブチ下僕の出迎えがなく、猫小屋にも姿が見えないので心配していたら、管理人さんの部屋で療養中なのだそうだ。
 老齢の猫や犬にありがちな腎不全かと訊ねれば、さにあらず、どうも生きとし生ける者すべての宿痾、つまり老衰らしい。
 このところの気温上昇が、老体に響いたか。認知症の気配もあったしなあ。

 思えば、ブチ下僕が野良仲間のミケ女王様と一緒に、この建物の外飼い番猫となってから、十年以上たっている。
 その時点で、ミケ女王様は、出産経験はあるらしいがまだ若い御婦人、ブチ下僕はさらに何歳か年長の、ぶっちゃけ中年オヤジだった。
 ミケ女王様は、まだ足腰が達者なうちに再び野生の呼び声に誘われて(たぶん)出奔し、ヨレヨレ気味のブチ下僕だけが、ひとり残って番猫を続けていたわけだが――。

 死ぬな。
 化けろ。
 百年生きて、立派な猫又になれ。
 ならなきゃ泣くぞ。

          ◇          ◇

 狸自身は、まだまだ狸なりの化け芸を続けるつもりである。こんな狸生なんかもうどうでもいいや、と悲観しているわけではけしてない。
 いつか脳死する日まで、世を捨てるつもりは微塵もないし、動ける限りは、この愛する国土の上で、でんぐりがえり続ける予定である。
 だからこそ、改めて、ここにしつこく明記しておく。

 (1)東京オリンピック開催、絶対反対。今すぐにでも中止を決定するべきである。
 (2)狸は国政選挙において、過去、ただの一度も自民党に投票したことがない。党員が総入れ替えでもしない限り、死ぬまで投票する気はない。
 (3)スカちゃんトリオは全員がウスラバカ、あるいはキ●ガイである。でなければ悪辣な特殊詐欺集団の元締めである。

 1+1=2が解らないだけなら、ただのウスラバカだ。1+1=10と本当に信じているなら、ただのキ●ガイだ。しかし1+1=2であると理解しつつ、故意に1+1=10だと虚偽の主張を続けるのは、ただの詐欺師だ。ヤバイさんもしかり。

 あと何年、狸がこの国で這いずりまわれるかは不明だが、できるなら、スカちゃんトリオやヤバイさんよりは、長もちしたいものである。
 なんとなれば、団塊の世代がひととおり自然死を迎えたあとの、この国の姿がぜひ見たい。
 そのときが来ても、狸ら世代のなんぼかは、まだしつこく生き残っているから、お若い方々にとってはずいぶん目障りだろうが、さほど心配しなくていい。団塊の世代よりも数が少ないし、あれらほどの根性もない。若者が蹴飛ばせば、すぐに物陰に隠れるはずである。
 狸ら世代は、高度経済成長期に育ち盛りを迎え、大量の農薬や得体の知れない添加物や防腐剤を食わされまくったから、団塊の世代よりも格段に体が弱い。対して団塊の世代は、戦後の貧しい時代に乳幼児期を過ごし、数を頼んで強引に生き延びた世代、つまり過酷な自然淘汰を経た個体ばかりである。だから異常に寿命が長い。
 お若い方々、どうか、もうしばらく、時を待ってください。あなたがたの時代が、いずれ必ず訪れます。

 ……でも、自民や維新に投票するのはやめとけよ。一見サワヤカ系に見える若手だって、しょせん悪辣な詐欺師に育てられた連中だからな。


06月23日 水  おみかんはおこたで輝く

 会場で酒を売る売らないのミエミエな茶番で、すでに民意が開催前提・有観客前提であるかのように誘導するスカちゃんトリオの新作おこたみかんコント、脳幹まで銭の瘴気に侵されたトリオにしては、ミエミエながらも達者な台本である。さすがにベテラン政治家の遣り口、と褒めてあげたいところだが、どのみち、あくまでおこたみかんにしがみつくための台本でしかない。

 あの手この手で検査数を減らしまくっても、なお増加し続ける東京の感染者数を、いつまでシカトするつもりなのだろう。小池さんちのお母さんなんか、とうとう恐くなって引きこもってしまったぞ。

          ◇          ◇

 などと言いつつ、世界大運動会に夢を託す選手の方々、とくにパラ選手の方々のドキュメントなどを観ていると、さすがに懊悩してしまう気弱な狸である。
 大ホールを埋めつくす観客とスポットライト、歌舞伎座の花道、真打昇進と寄席のトリ、あるいは芥川賞や直木賞の受賞会見――選んだ道こそ違えども、そこで輝きたい方々の気持ちは、重々理解できる。

 しかし、あなたが輝くために、コンサートにも歌舞伎にも演芸にも小説にもスポーツにもまったく無関係の方が、会場の外で確実に何人か死んでゆくとわかった上で、それでもそこでしか輝けないとしたら――たぶんあなたは、スカちゃんトリオのおこたみかん仲間です。
 ぶっちゃけ、脳幹まで欲の瘴気に侵されてます。


06月21日 月  菅義偉ジンギスカン説

 下の動画を見るかぎり、巷に流布する『菅義偉ジンギスカン説』は、きわめて信憑性が高いと思われる。

     

 いや人相や体格が全然違うぞ、とツッコむ方もあろうが、それはパソナから派遣された武蔵坊弁慶が影武者をつとめているからである。

 なお、ジンギスカンも弁慶も12世紀末に生まれた人物であるから、もとよりウイルスなる存在は認識していない。
 そして菅義偉は、もとより脳味噌がおこたみかん状態なので、すでにおみかんしか認識できない。
 それらの事実から、菅義偉ジンギスカン説は、立派に成立するのであった。

 さあ、みんなで飲んで踊って、競って殺して、ウホホホ〜〜〜!!


06月16日 水  ニッポンちゃちゃちゃ♪

 G7でのスカちゃんは立派であった。おもらしもせず奇声も発さず離脱状態にも陥らず、ちゃんとおとなしくデイケアをこなしていた。よかったねよかったね、スカじいちゃん。
 ところで、いよいよカミカゼが吹いてこのまま感染者数が減ってくれるか、などと一抹の期待を抱いていた東京のコロナ、やっぱり再増加の兆しが見え始めたようだ。このタイミングで緊急事態宣言を解除したら、十中八九、前回の解除後同様、それはもう景気のいい右肩上がりのグラフが拝めそうだが、それでもちゃんとやるんでしょうね、東京オリンピック。
 まあ、こんな切迫した社会状況でも、国会中継を見る限り、あいかわらずキ●ガイばかりの与党にウスラバカな野党がうじうじと絡んでシカトされているだけだから、今後の日本は、とうぶん真夏のおこたみかんが続くばかりであろう。
 この国の国会で、バイデンVSプーチンのごとき、虚々実々の老獪な腹芸合戦が拝める日は、もう二度と来ないのだろうなあ。
 まあ、周さんちのプーさんみたいな虚々虚々虚々実の太鼓腹は、見てもしょうがないけど。

          ◇          ◇

 餓死を避けるため、朝6時に出かけて昼の4時に帰ったり、夜の9時に出かけて朝7時に帰ったり、でもアブレると3日続けて朝10時に寝て夕方5時に起きたり、もーまったくなにがなんだかよくわからない日々を送っている。
 でもまあ、納豆は美味いし冷や奴も美味い。こないだ夜勤後の明け方にファミチキを買い食いしたときは、これほど美味い食い物がこの世にあったのかと、数分間、昇天してしまった。
 日雇い派遣を始めてすぐの頃、ヤマトだったか佐川だったかのハードな夜勤明け、牛丼の特盛りをかっくらいながらカウンターの冷水ボトルを2本分飲み干し、ああ、これほど美味い朝飯を食っているのはこの世で俺一人なのではないか、などと本気で思ったのを思い出す。
 あの頃、狸は若かった。いやすでにオヤジだったのだが、まだ老人ではなかった。それが今では、1杯のアイスコーヒーとチキンひとつで昇天してしまう。
 それもまたリーズナブルで大いに結構――そーゆーことにしとこう、うん。

          ◇          ◇

 昨夜録画した『岩合光昭の世界ネコ歩き』の新作『東京 下町の匂いの中で』は、永久保存必至の神回であった。
 浅草の神社の猫、寄席の看板猫、提灯屋の猫たち、狸が大学時代に何年か住んでいた西荻窪の銭湯の猫、柴又の帝釈天界隈でヨレヨレながらものんびり生きている23歳のお婆ちゃん猫――そんな猫たちのラインナップである。
 岩合さん自身が東京下町の生まれだからか、あるいは狸が個狸的に偏愛する背景ばかりだからか、猫と背景の情緒的融和がハンパではない。
 とくに、岩合さんが昔その母猫も撮ったことがあるというお婆ちゃん猫が、今回撮影した一週間後に大往生を遂げたと聞いたときには、ほとんど宗教的な、気体でも液体でもない濃密な何物かが、澎湃と胸から狸穴中に溢れた。

 今回のオープニングとエンディングを飾ったのは、神々しく豊満な、神社の白猫ナミちゃんだった。
 伊邪那美命《いざなみのみこと》の『ナミ』なのだそうだ。
 うん。
 猫あるかぎり、日本は寿がれている。
 人間なんぞ死に絶えても、日本は美しい。


06月11日 金  ハレ晴レカユイ

 運良く2連チャンで仕事にありついたら、もののみごとに汗疹だらけになった。
 赤ベソや股ずれや首の後ろの汗カブレも、例年に先駆けて発生しつつある。
 まだ梅雨のはずなんだがなあ。

 コロナもオリンピックも、どうせなるようにしかならないと諦観しているが、コロナ以前から騒がれていた「いやこの国で猛暑の最中にオリンピックやったらマジに死人が出るんじゃねーの」という懸念が、いよいよ現実化しそうである。
 まあ、アスリートの方々は日常的に鍛えているから、いきなり競技中にぶっ倒れはしまいが、疲弊してワクチンの免疫効果が弱った細胞にデルタ株がガシガシとりついて帰国したとたんに肺が真っ白、なんて事態だけは避けたいものである。

 昨日、広島で、なでしこジャパンと親善試合を行ったウクライナの女子サッカーチームは、暑さでまともに動けず大敗を喫し、監督さんが激怒していたらしい。ぶっちゃけ日本の暑さにキレたのである。ウクライナの6月の平均気温は20度だそうだ。そりゃキレるわなあ。でも東京の本番だと、下手すりゃ40度までいくぞ。
 今回のオリンピックはウクライナでやればよかったのにね、などと吐息しつつ、ラジオ深夜便を聴いていたら、ベトナムでは昨日の昼間、もう40度に達したそうだ。
 何があってもオリンピックだけは呼ばないようにね、ベトナムの方々。
 でも、昔、まだ貧しくてちっぽけな国だったベトナムが、超大国アメリカと戦争して奇跡的に勝てたのは、まさにその高温多湿が、最大の武器になったわけである。あの悪魔の兵器『枯れ葉剤』さえ、ゲリラが潜む広大な熱帯雨林を根絶やしにはできなかったのだ。

 そうか。
 どうせ東京オリンピックを開催するなら計画どおり真夏のうちに――そんなスカちゃんの決断は正しいのである。近頃の日本は、真夏のほうが屋外競技のメダルを獲得しやすいのである。
 そうか。
 そこまで深慮あってこその施策であったか。
 すげえぜ、スカちゃん。さすがイジメの国の総理大臣だ。


06月06日 日  続・ユルむ

 ユルもう、などと魂レベルで決意したとたん、ごく平明な昭和中間小説文体ですら、自分で納得できずにあーじゃこーじゃと推敲をくりかえし、軽量級の掌編が、週に1600字ちょいくらいしか進まないありさまである。
 だからそこでいいかげんにユルむべきなんだよ、と自戒するいっぽう、いや脳味噌が力いっぱいユルんでいるからこそここまで退化しているのだからなんの問題もない、と、ちっとも焦っていないのも確かなのである。

 ことほどさようにユルんでしまったので、あれほど気になっていたコロナやオリンピックの先行きも、今はあんまり気にしていない。
 どのみち「俺の信じるおこたみかんを貫くためなら命などいらぬ。でもいらないのは貧乏人の命だけだかんな。俺と仲間内の命だけは何がなんでも守りぬくんで進め一億火の玉だ文句言うな!」みたいなキ●ガイの方々に霞ヶ関を任せてしまった以上、こちらも妥協して、狸穴のキチ●イになるだけの話である。
 まあ、醜く狂って長生きするキ●ガイにせよ、美しく狂って早死にするキチ●イにせよ、同じ糞袋であることに変わりはない。そしてその美醜は、狸の心ひとつなのだ。

          ◇          ◇

 などと悟ったようなことを言いつつ、今日の千葉テレビの『浅草お茶の間寄席』で笑い転げた後、いきなり下記のような映像が流れたときは、さすがにコロナの今後が気になった。

     

 ネットで調べてみたら、昨今、落語のみならず講談まで若者に人気が出ているせいか、けっこうな支援が集まっているようだ。それでも現在の寄席の苦境を鑑みれば、焼け石に水なのは明らかである。
 文芸的芸風のかなりの部分を寄席演芸に依っている老狸としては、女児支援と同額は不可能にせよ、せめて寸志くらいは届けねばなるまい。

          ◇          ◇

 で、またコロリと話が変わって――。

 仕事先で、昔、マクドナルドでバイトをしていたという奴隷仲間の話を聞いた。狸と同世代の初老、バイトしていたのも狸が上京して初めてマックのハンバーガーを食った頃、つまり昭和50年代前半である。
「あの頃のマックポテトは、今よりコッテリしていて本当に美味かったですね。でも、冷めると死ぬほど不味かったような」
 狸がそんな思い出話をすると、それを作っていた彼は、
「昔は牛脂で揚げてましたからね」
 おお、知らなかった。あれは牛の脂そのものの風味だったのである。
「今は健康志向だから植物性の油になってるはずです。味は調味料で加減してるんでしょう」
 なあるほど、それで昔ほどコッテリしていないが、冷めてもそこそこ食えるのである。

 いや、別になんてこともない話なのだが、

 ――古の しづのおだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな――

 などと在原業平なんぞを口ずさみつつ、思い出すのは色恋よりも、昔の味ばかり。


06月01日 火  ユルむ

 先日は久々に佐倉を訪ね、半日、武家屋敷界隈から佐倉城址、印旛沼にかけての田園地帯などを徘徊した。
 途中、田圃の畦道を、悠揚迫らざる歩調で横切ってゆく亀に遭遇、なにがなしその場で煙草を一服しながら、道端の水路に這いこむまで、のんびり見守っていた。
 するうち、なんじゃやら脳内にうすぼんやりとユルいインスピレーションが生じ、帰穴後、ブチ下僕をゴロゴロ言わせながら想念を巡らし、その後、風呂の中で想念をフヤかし、久々にやくたいもない連作短編でもでっちあげてみようかなあ、そんな気になった。
 猫耳物件とはタイプ違いだが、あれ以上にナンセンスでシュールな、しかし「田圃の畦道を横切ってゆく亀の首と四肢と尻尾は、いざアクシデントにみまわれて甲羅の中に引っこんだときも首と四肢と尻尾として実存できるや否や」、「そも意識体の内面と外面に明確な境界はありやなしや」、そんな哲学的な意味さえあるかどうかきわめて疑わしい、常軌を逸した連作短編になる予定である。

 ともあれ、狸はたぶん、今、ユルまねばならぬ。
 世界的疫病もオリンピックも、仲間内のおこたみかんにしてしまう霞ヶ関を凌ぐイキオイで、ユルユルとユルまねばならぬ。