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09月27日 月  雑想

 おお、すげえぜスカちゃん。
 オリパラを強行して第5波の爆上げに成功したと思ったら、帰国早々、第6波への引き金を引く腹らしい。
 せめてワクチン2回接種が70〜80%に達するまで全国民の気を抜くべきではないと思うのだが、まあ、痔民党のおこたみかんを死守するためには、早めにGOTO再開やら何やらの予告をカマしておかないとまずいのだろう。

 こうなると、寒くなる前に第6波が訪れそうな予感がする。
 しかし、国民の『自助』と『共助』の精神だけは、とことん鍛えてくれる政権だよなあ。

          ◇          ◇

 録画しておいたNHK・BS1の『欲望の資本主義 特別編 「生き残るための倫理」が問われる時』を、じっくり観賞。
 ずっと続いているこのシリーズの中でも、メッセージ性が格別に高いというか、祈りにも似たドキュメンタリーであった。
 今回、一部の経済学者の方々が実現を望んでいた『民衆資本主義』――資本所得だけで生きられる上層の市民や、資本所得と労働所得の双方で生きる中層の市民のみならず、労働所得しか得られない下層の市民にもなんらかの形で原則的に資本所得を割り振る社会――そんな資本主義社会なら、見果てぬ夢でしかないマルクス主義よりは、まだ実現可能なはずである。

 政治と経済は二人三脚なんだから、痔民党とか経団連とか、もうちょっと『公助』の意義を考えてくれてもいいよね。
 労働所得しか得られない下層の市民や、労働所得すらおぼつかない極貧の市民から、さらにピンハネする算段ばっかりしてないで。

          ◇          ◇

 先週録画したヒロシさんの『迷宮グルメ 異郷の駅前食堂』(2018年録画の再放送)を観ていたら、フィリピンの駅の路地裏で、いきなり「ヒロシ!」とか歓声をあげるおばちゃんが出現、タガログ訛りの達者な日本語で、ヒロシさんを大歓迎していた。
 実は日本に住んで27年、たまたま肉親の不幸があって、フィリピンの生家に帰省していたらしい。
 何事ならんと周りに集う親戚一同に、「この人は日本の有名人だよ」と吹聴し、例の「ヒロシです」のポーズまで、真似してくれたりもする。
 ヒロシさんが「お葬式でこんなに騒いでていいの?」と訊ねると、満面の笑顔で「みんな寂しそうにしてたら、死んだ人も寂しいでショ」――。

 そうそう。
 みんな、こんなノリなのよ。フィリピンのおばちゃんたちって。
 某ロジの、直接契約パートのおばちゃんたちが、狸もつくづく懐かしくなった。とにかく明るい。そして働き者が多い。
 去年の年末は、皆さん元気に同じ現場で働き続けていたから、たぶん今も切られてはいないだろう。狸のような単日紹介の高齢者が呼ばれなくなったのは、物流が減って、軽作業要員は直接契約のパートさんだけで充分になり、臨時の助っ人は、軽作業も重労働も両方こなせる若い衆がメインになったからである。
 歳末の超繁忙期になったら、また老狸も呼んでもらえるだろうか。

 日本は貧乏になって、時給も諸外国より安くなったから外国人労働者は来なくなっている、などという噂が、ネットあたりでまことしやかに流れているが、そんなことはありません。
 確かに業種によっては人身売買じみた斡旋業者なんぞが存在し、エラい目にあう技能実習生なども存在するらしいが、湾岸あたりの軽作業のパートやバイトは、時給よりも居心地の世界である。中国や韓国より多少時給が安くたって、東南アジアの方々には、まだまだ日本を選ぶ方が多い。
 中国の方も、まだけっこういらっしゃいますね。彼の国も、大都会はともかく農村部は、未だに厳しいそうですから。

 しかし新型コロナ禍の今だと、故郷のお葬式にも帰れない、帰れても再来日できない、そんな方が多いのだろうなあ。


09月21日 火  夢よ叫べ

 東京都、3ヶ月ぶりに1日の感染者が300人を割ったとか発表しているが、3ヶ月前には日曜祝日でも1日8000人くらい検査していたのに、今回の連休では1日3500人くらいしか検査していない。
 新聞によれば、国からの検査料の補填が半年たっても届かないので、小規模な民間医療機関では検査を中断せざるをえない状況になっているそうだ。厚生労働省の公僕の方々がてんてこまいで、昨年度の医療機関からの支援金の申請書を、うっかり紛失したりもしているらしい。
 そんな中、痔民党の方々は、おこたみかん詐欺の新総裁選びで、お祭り騒ぎに夢中である。

 ……ほんとに大丈夫か? 
 まあ、こないだのピーク時に比べたら感染者が減っているのは確かだし、ワクチン接種が加速しているのも確かなのだが、重症者は思ったより減らず、死亡者はちっとも減らない。
 ここで舵取りをしくじって、寒くなったとたんに第六波、なんてのは洒落にならんぞ。

          ◇          ◇

 ともあれ、鬱っていても仕方がない。
 詐欺的言質を繰り返すだけの総理候補どもなんぞ、なんぼ眺めていても無益である。
 狸は狸なりの涅槃を夢むのみ。

     


09月19日 日  秋の予感

 昼過ぎに目覚めれば窓外は雲ひとつない晴天、おまけに秋らしい風が吹きこんで狸は欣喜雀躍、久々に江戸川の土手を柴又まで歩いた。
 せっせと歩いてもまったく汗ばむことなく、このところの鬱々たる気分が、ずいぶん軽くなった。
 待ちに待った秋が、ようやく訪れそうな予感。

 いやもう今年は月明けあたりからとっくに秋っぽくなっていただろう、というご意見もあろうが、湿気の苦手な狸にとっては、気温より湿度が問題なのである。
 気象庁のデータでも、本日午後、狸穴界隈の湿度が、実に3ヶ月半ぶりで50%を下回った。これまでも気温が今日より低い日は何度かあったが、肝腎の湿度はどんなに低くても60%前後、たいがいは7〜80%、雨でも降れば当然90〜100%に達し、50%を割る日は1日もなかったのである。

 いつだったか、ニュージーランドに何年か住みついたことがある姪に、面白い話を聞いた。
 ニュージーランド自体は夏も冬も実に過ごしやすい気候らしいが、ある夏、お隣のオーストラリアを旅したときの話である。
 あの国は場所によってはとんでもなく暑い国であり、内陸部の砂漠地帯だと、真夏には摂氏40度くらいへっちゃらで超える。だからみんなプールに飛びこむ。ところがプールサイドに上がって風に吹かれると、たちまち寒さで震え上がってしまうので、あわててタオルで体を拭きまくる。
 つまり、その風が湿度20%以下なものだから、濡れた体表など瞬時に乾いてしまい、気化熱を奪われて震え上がるわけである。
 その点、日本の夏はモノが違う。
 炎天下で汗びっしょりになった狸など、乾く前に発酵してしまう。

 願わくば、このまま全速力で秋から冬に突入し、異常乾燥注意報を連発してくれますように。
 でも狸と同じで、新型コロナも冬が好きらしいんだよなあ。
 どうにも悩ましいところである。


09月13日 月  冥福を祈る

 先日、ブチ下僕が亡くなりました。
 管理人さんと御町内の地域猫保護グループの人脈によって、親しいペット葬祭業者に委ねられたそうです。狸は珍しく仕事に出ていたため、残念ながら見送れませんでした。
 他のペットと合同火葬の上で合同墓地に埋葬、そんなシンプルな供養らしいですが、お役所に任せて廃棄物といっしょに焼却されるよりは、はるかにマシでしょう。
 根っから野良気質だったミケ女王様あたりだと、あえて河原の草叢で野ざらしになるのも本人いや本猫の望むところかもしれませんが、人や狸に甘え放題の晩年を選んだブチ下僕としては、幸せな大往生だったと思われます。

          ◇          ◇

 それにしても――残される立場は、やるせない。
 ほんとうにやるせない。
 といって、誰かを後に残す立場になりたいわけでもない。
 いずれあちらでまた会える――そんな気休めも、お釈迦様の教えの元をたどればたどるほど、どうやら凡俗の幻想に過ぎないことが理解できる。

 ――なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか。それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ。かくて、わたしたちはもどき、だましの死との取り引きにおいて、もどき、だましの生を得ようとし、死もまたもどき、だましの死を得ようとして、もどき、だましの生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない。人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。  【――森敦・作『初真桑』より抜粋――】

 生死一如――ならば狸も、死ぬまでは生きるのみ。

     


09月08日 水  雑想

 お、東京都の今日の感染者数はずいぶん少ないな、と感心して、東京都のHPを覗きに行くと、検査数もずいぶん減っていたりして、ああやっぱり、と脱力する狸ではある。
 ともあれ、1日の感染者が5000人を超えたと大騒ぎしていた頃には、検査数はたいがい18000人くらいだった。現在は1日の感染者が2000人弱、検査数は10000人弱くらい。どちらも分母が小さすぎて陽性率といった表現はできないが、28パーから20パーに下がったなら、少なくとも新規感染者の実数は、減少傾向なはずである。
 全国的に感染者数が減少傾向なのも確かであり、ワクチンの効果は、確実に現れていると見ていい。
 ただしデルタ株の特性による心配は、また別の話である。ワクチン接種は進んでいるはずなのに、重症者数は依然として高止まり、死者に至っては微増傾向が続いている。どちらも年齢層が下がっているのが気にかかる。

 もちろんアソウ君だって、本気でこの現状を「コロナはまがりなりにも収束した」と思っているはずがない。
「コロナなんて、どうせなるようにしかならんのよ。だいたい貧乏人なんぞ何千人何万人死んだって、俺らの知ったこっちゃねえのよ。とにかく愚民は生きている限り、俺らにどんどんおみかんを献上するキマリなんだから、熱があろうが肺が苦しかろうがせっせと死ぬまで働いて、俺らのおこたにおみかん積み上げ続けろよな愚民」――そんな冥府魔道のおこたみかん詐欺に、ただひたすら徹しているだけなのである。

 ニュースではスカちゃんの後釜に誰が据えられるか大騒ぎしているが、どこの誰派であれ、保守派であれ改革派であれ、痔民党内で顔の利く人物には違いないのだから、どのみち、おこたみかん詐欺の仲間であることに違いはない。
 結句、愚民が救われるには、単に詐欺師におみかんを送らない、つまり痔民党に投票しないくらいしか手段がないわけだが、残念ながら痔民党支持者の半数はそもそも詐欺師の仲間であり、残り半分は詐欺師に洗脳されてしまった被害者なので、次の総選挙でも、しっかり痔民党に投票してしまうのだろう。
 詐欺師とその仲間には、今さら何を言っても仕方ないのだが、洗脳された被害者の方々にだけは、いいかげん正気に戻っていただきたいものである。

 詐欺師におみかんを巻き上げられるより、自分でおみかんを食ったほうが、よほどおいしいじゃないですか。
 自分よりおみかんを持っていない人に、気前よくバラまいてしまうのも楽しいですね。なんか自分が偉くなったみたいで、キモチいいじゃないですか。
 しない善より、する偽善。
 他人を騙して巻き上げる狡猾な詐欺師よりは、自己満足で悦に入っている偽善者のほうが、ひゃくまん倍もマシですよ。

          ◇          ◇

 ともあれ、おこたみかん詐欺グループが、唯一お目こぼししてくれている無料のワクチン接種、ようやく狸穴界隈でも、50歳未満の予約受付が始まった。
 老狸自身は、本日めでたく2度目の接種を受けた。1度目よりちょっと早く、夜には腕の痛みが生じている。
 これから発熱したとしても、今週後半の仕事がまるで決まっていないから、狸穴で「あーうー」とか唸っていればいい。狸のフトコロ具合にとっては大問題だが、食いたい盛りの若い衆がアブレるよりは、老い先短い狸がアブれるほうが、社会的にひゃくまん倍もマシである。

 それよりも今の狸には、顔なじみの高齢奴隷仲間が新型コロナに罹っていないか、そっちのほうが気にかかる。同じ現場の長期的な仕事が、このところ爺いにはちっとも回ってこないので、顔の合わせようがないから、誰それがどうのと噂話もできない。派遣会社だって知ったこっちゃない。
 思えば、日替わり奴隷の現場にどんな大クラスターが起きたって、それを知る術は、どこの誰にもないんだよなあ。


09月02日 木  相対する総体

 ほう、眞子様がやっと結婚するのか。
 事実上は駆け落ちだ、だの、いっそ追放しろ、だのと、例によって小姑鬼千匹な連中は喧しいが、外野が何を騒いでも仕方ないでしょう、当人が惚れちゃったんだもの。
 狸としては、眞子様の幸福のために、秋篠宮様には、父親として今後もこっそり援助を続けていただきたいと切に願う。
 夫や姑の本性など、他人の狸には知るべくもないが、少なくとも眞子様の存在が経済的に有利であるかぎり、嫁イビリされることはない。
 今の痔民党の連中に、今後も強欲なおこたみかんの限りを尽くされるくらいなら、眞子様の家に毎年おみかんを送るほうが、狸としては、遙かに心が安らぐ。

 望むらくは、やはり愛子様に、次の天皇になっていただきたいものである。
 狸は、男のためには絶対に命をかけたくないが、命をかけてもいいと思った女性なら、過去、何人か存在する。
 また、いますぐこの世から消えてほしいと思った男はいくらでもいたが、女性にはほとんどいなかった。
 だから、日本の国民の象徴も、むしろ女性がいいような気がする。

 といって、秋篠宮様や悠仁様でも、あえて反対はしない。
 愛娘を得体の知れないイケメンに奪われて懊悩する父親だって、そんなゴタゴタを横目で見ながら育った息子だって、今の日本国民の象徴としては、実に現実的であろう。

 この世のすべての事象には、主体も客体もない。すべてが相対的な存在で、個々もまた総体なのである。