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10月25日 月  雑想

 前回ここを更新してから、どう考えても2〜3日しかたっていないのに、ふと気づけば暦の上では、もう1週間も過ぎたことになっている。
 もともと矢のごとき光陰が、どんどん高性能化して迎撃不可能な極超音速滑空ミサイルと化し、狸穴界隈を焦土と化してしまったかのようである。
 すべては北朝鮮や中国の陰謀に違いない。ロシアあたりが絡んでいる可能性も高い。

 などと、ありがちなボケをかましつつ、つらつら思い起こしてみれば、必ずしも2〜3日しかたっていないわけではないのである。
 少なくとも、あれから2回は仕事にありついた。
 市立図書館にも2回は行った。
 どこぞのツイートのように「人はウインドウズ・アップデートのために生きるにあらず!」などと激昂しながらも、フリーズしがちなエディタやブラウザを騙し騙し、短編を打ち終えて推敲も進めた。
 録画しっぱなしだった『仁義なき戦い・4Kリマスター』や『パラサイト 半地下の家族』もじっくり観賞した。
 そして今夜は、NHKの『ファミリー・ヒストリー 堤真一』をなんとなく観始め、しまいにゃほろほろともらい泣きしてしまった。

 つまり、確かに1週間くらいは生きていたのである。

          ◇          ◇

 ちなみに図書館では、コーランやハディース関係の書物を1日読み耽った。
 はっきり言って、かなり困ってしまった。
 穏健派ムスリムの方々には申し訳ないが、こんなものばかり読んでいたら、欲求不満の昂じた無学でキレやすい貧乏人などは、相手かまわず「この不信心者どもめ!」とか叫んで、自爆テロに及んでも仕方がない。それほど上から目線の、アツくてしつこい説教ばかりである。
 せめてもうちょっと大らかな説教ができなかったのでしょうか、偉大なるアラーとムハンマド様――などとうっかり記してしまうと、見せしめに首をはねられそうな気もするが、考えてみれば旧約聖書だって、父なる神はキレやすく、凄惨な天罰をくだしっぱなしである。新約のキリスト様はなかなか紳士的で、旧約の神と縁続きとは思えない、よさげな人なのだが。

 やはり狸としては、お釈迦様の説教が一番ありがたい。
 どんなに狂信しても、異教徒の首をはねたり、自爆したりする苦労がない。

          ◇          ◇

 図書館では『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義典の狂気』などという面白本も読んだ。
 いやはや、ひどい話である。
 古き悪しき昭和の蛮性のカタマリのような男が、パワハラとセクハラと贅沢とシャブと詐欺スレスレの傍迷惑を極める――そんな、とんでもねードキュメンタリーなのである。
 しかしこの人がいなければ、その後の日本SFアニメの進化が20年は遅れていたのも確実で、個人的には絶対にお近づきになりたくないが、やはりいなければ困るお方なのであった。

          ◇          ◇

 古き悪しき昭和の蛮性というと、『仁義なき戦い』も、まさにそんな感じである。
 しかし、高校時代に故郷の東映直営館で見たときから、巷の大評判に関わらず、狸はこの作品に、あまり感情移入できなかった。今回また観ても、面白いことは面白いが、そう感心するような映画ではない。
 なんと言いますか――激動の昭和戦後史の裏面をエネルギッシュなドンパチで活写しているのは確かなのだが――結局あのヤクザの皆さん、ただ時代や状況にチクチク反応してるだけ、つまり流されているだけじゃないですか。そんな人間的な虚しさも、この生臭い群像劇が長く評価され続けている由縁なのだろうが、狸としては、個人的にお近づきになりたくないだけでなく、いなくともまったく困らない、いやむしろいてほしくないお仕事の方々を、わざわざ映画で観たいとは思わないわけで。

          ◇          ◇

 さて、自分の世界の推敲を続けなければ。
 こんな変な話なんてわざわざ読まなくとも、誰もまったく困らないとは重々自覚しつつ、自分が書きたいのだから仕方がないのである。


10月18日 月  冬遠からじ

 ようやく夏が終わったと思ったら、もう北国のあちこちで雪が降っている。
 狸穴界隈も、すっかり雪景色になった。
 ……あくまで狸の願望です。
 ともあれ、真夏からイッキに晩秋になってくれたおかげで、狸の溜まりに溜まった鬱屈がいきなりほとんど解消されてしまい、我ながら驚いている。このところひたすらぐちぐちと垂れ流していた愚痴は、たぶん、長引く暑さに起因する鬱屈の発露にすぎなかったのである。

 まあ、新型コロナ騒動がずいぶん下火になったためでもあろうが、そこは、狸としてはあまり楽観していない。新規感染者数が減れば減るほど検査数そのものも減らしてしまうシブチン国家の発表する数字だから、いずれ第6波の到来は必至であろう。
 しかしそれでも、いっとき東京の感染率(あくまで検査数と陽性判明者数の比率であって、しつこいようだが分母が少なすぎ、疫学上の感染率とは関係ない)が30%に近づいたのを思えば、現在はたったの1%、ワクチンや自粛が効いているのは確かである。これから訪れる第6波も、そうとんでもない事態にはならないと思われる。
 というか、ワクチン接種も進まないうちにオリパラをやらかした後の第5波があまりに突出していただけで、あれがなかったら、ずいぶん死者も後遺症に悩む方々も少なくて済んだはずだ。

 とにかく、汗だくになって毎日プチ洗濯をするような日々は、とりあえず終わった。
 狸の待ちわびる冬が、思ったより早く来そうな予感もする。
 だから、もうキシダ君やアマリ君の詐欺的言質が耳に入っても、さほど腹がたたない。どうせ痔民のやることだものね。

 政治というものには、非情さも必要なのであり、たとえば1万人の国民を救うために千人を犠牲にする、そんな事態も、ときに正当化されるべきである。
 まあ、痔民の場合、仲良しさん千人を救うために、しばしば赤の他人を10万人も犠牲にしたりするので困ってしまうわけだが、まあそこはそれ、政党ではなく詐欺グループなのだから、あくまで当然のことをやっているだけなのである。
 目ざせ、仲良しさん千人を救うために1億人を犠牲にする、ハイパーおこたみかん詐欺!!


10月13日 水  雑想

 近頃のキシダ君が、苛烈な総裁戦の最中と変わらず、愚民にも理解しやすい整然とした言葉で、「こうして総理になれたからには、わたくしけしてブレることなく愚民の方々にも理解しやすい整然とした言葉で片っ端から前言を翻し、ただひたすらおこたみかん詐欺の道に邁進いたしますので今後も痔民党のおこたにどしどしおみかんを積んで下さいね愚民の皆さん」、そう胸を張って語り続けるのを見ていると、あまりの潔さに、いっそ清々しさを覚える狸なのである。

 一国の総理の、これほど潔くて清々しい詐欺っぷりを見ていると、この国はまだまだ大丈夫だ、そう心から信じられる。
 すでに限界まで貧窮している下級国民も、実はまだまだ限界など迎えていないのであって、これからもまだまだ貧しくなれるに違いないのである。
 もうこれ以上贅沢はできまいと思っていた上級国民も、まだまだなんぼでも贅沢できるのだ。
 分配なんて、成長の後でいいのである。国家全体の成長を永遠に止めてしまえば、上から下に分配する必要は永遠にない。

 と、ゆーわけで、狸は、もう何も悩みません。
 寿命が来るまでなるべく餓死せず、餓死しない程度の生活で少しでも余ったぶんは、発展途上国の女児教育支援に回します。
 いや、たとえ生活保護を受けるようになっても、こっそりなんぼかは発展途上国の女児に回します。
 いやこの国にだって恵まれない女児がいるではないか、とおっしゃる向きもあろうが、そちらの支援は、どうか中級・上級国民の方々にお願いします。
 脳味噌がユルみきってしまった狸には、川は上流から下流に流れる、それくらいしか現実が把握できません。
 なお、男児に関しましては、チンポついてんだから自分でがんばれ、そう励ますしかありません。

          ◇          ◇

 ほとんど失業者のくせに、思えば、もう2ヶ月も創作物を放流しとらんなあ――。
 などと頭を掻きつつ、例の『ものおもうものども』シリーズで、そろそろ〈終〉と打鍵できそうな短編が、ひとつ。
 一匹の龍と仲良しの古狸が山奥でなんかいろいろする、あいかわらずへんてこりんな、つかみどころのない話です。

 ところで、別のところで完結させた大長編猫耳物件を、定期的に少しづつちまちまと、しかし飽きもせず連綿と突っついてくださっている方がいらっしゃるようなのだが、どこのどなたなのだろう。
 再読でもありがたいし、初読の方だったりしたら感謝感激雨霰、五体投地の嵐でございます。


10月08日 金  天と地と

 昨夜はいきなり震度5がきてびっくり仰天したが、本棚に入らずあちこちに積み上げていた本や、台所の棚に置いていた洗剤類のボトルが散乱しただけで、揺れが治まってからいちばん驚いたのは、十年前を思い出して「うああああああ」などと動揺しまくっている自分自身の小心さに対してであった。
 心臓がバクバクするは、また揺れるのではないかという不安で風呂にも入れないは、ほんとうに小動物の肝っ玉は小さい。

 落ち着いて考えれば、十年前にぶっ倒れた棚などには、さすがに震度5でもぶっ倒れないような工夫をしてあるのである。
 もし6以上揺れたら、築後半世紀を超えた狸穴穴居群自体が倒壊してしまうので、狸が慌てても仕方がない。瓦礫に埋もれて確実に死ぬ。
 そのとき、どこか安全な場所にいることを祈るのみである。

          ◇          ◇

 個狸的に、地震や新型コロナ以上に怯えているのは、近頃の気象である。

 昨日は、いつものようにアブレて、久々に中川沿いを徘徊したのだが、南西から真夏のように湿気った温風が吹いてきてたちまち汗びっしょりになるは、しばらくすると今度は北東から初冬のような寒風が吹いてきて震えあがるは、しまいにゃ、それらの真逆な風が代わる代わる吹き続けてなにがなんだかわからなくなるは、もはやサウナを出たり入ったりしているような有様であった。
 で、本日は運良く仕事にありつき、かろうじて月中の年金支給まで断食せずに済んだのだが――昨日のような夏冬混在ではなく、容赦ない温風サウナ攻撃オンリーの1日であった。当然、汗っかきの狸は夕方までに完全発酵し、熱中症寸前まで追いこまれた。
 ――で、ですね。
 昨日も今日も、空を見上げれば、ちゃんと爽やかな秋の青空なのである。雲もちゃんと秋らしく、高い雲である。
 これは、どう考えても間尺に合わない。異常気象ではなく、異次元の気象だ。

 明日はどんな空の下で、どんな季節の風に吹かれるのか――。
 ある種のディザスター映画のように、太陽の異常で焼け死ぬのだけは避けたい。
 できればいきなり凍りついて、真っ白な狸の氷像と化したいものである。


10月06日 水  そのうち死にゆく狸の祈り

 先日、故郷で母方の従兄が肺炎で亡くなった。新型コロナではなく、いわゆる誤嚥性肺炎とのこと。
 合掌。
 根の暗い狸と違って根っから陽性、不動産業でバリバリ稼いでいた。狸より15歳も年長なので享年79、日本の男としては、まず天寿を全うできたと言えよう。しかしここ何年かは、アルツを患って施設にいたらしい。狸の亡母同様、就寝中に痰や唾液を嚥下できず、気道に吸いこんでしまったのかもしれない。
 思えば父方の叔父も、アルツの末に食事を喉に詰まらせて窒息死している。

 狸自身がどう死ぬかは、まだ死んでいないので知りようもないが、あまりぼやぼやしていると、その前にアルツを患う可能性は高そうだ。
 近頃は、ウィズ・コロナ同様に、ウィズ・アルツで悲観せずに生きようという考え方も盛んだが、実際に肉親のアルツ初期から末期までつきあった狸としては、自分自身が中期の人格崩壊過程にある姿だけは、他人様にお見せしたくない。
 むしろ亡父のように、なんてことはない前立腺肥大の手術中、隠れていた大動脈瘤が破裂して、麻酔から醒めないまま安らかに逝ってしまう――そんなのが一番楽かもしれない。
 ただし、父の寿命まで真似してしまうと、狸も来年中には逝かねばならない。
 ここは両親の中間あたりを狙って、数年後、ちょっとアルツになりかけたところで、また脱腸か何かの手術を受け、麻酔が効いている間に大動脈瘤を破裂させる――そんな路線を目ざしたいものである。

          ◇          ◇

 森友文書改竄問題で自殺した赤木氏の奥様が、新総理のキシダ君に、第三者委員会を立ち上げて再調査してほしい旨の手紙を送ったそうだ。
 さて、どうしますかキシダ君。
 ……まあ、何か立派な言葉だけは聞けるはずだが、立派な行動など起こせるはずもない。

 新内閣の支持率を見る限り、さすがに巷の皆さんも、空虚な美辞麗句に騙されてはいないようだ。
 しかし衆院選は水物である。ちょいと客足が戻ったくらいで、またホイホイと痔民に入れてしまう飲み屋のオヤジとかが出てくるかもしれない。
 立て全国の貧民たちよ。痔肛以外、それだけでいい。あ、胃新もいけません。ほっとくとケツの毛まで抜かれるぞ。


10月01日 金  拝啓 新内閣様

「スカちゃんとはタイプ違いなので、そこんとこよろしく!」と、いかにも新しげに登場したキシダ君ではあったが、いきなり「でも永田町のおこたみかん詐欺グループは永遠に不滅ですので、これからも唯々諾々とおみかんを送り続けてくださいね愚民の皆さん!」と、とんでもねー仲間たちを紹介してきた。
 やはり嘘で食っている方々は、面の皮の厚さがちがう。

 ともあれ、これからもジワジワとピンハネやボッタクリが続くに違いないから、今まで同様、警戒は続けねばならぬ。
 今年の狸穴は確実に非課税所帯と化しそうで、そうなれば源泉徴収分は、まるまる戻ってくる。
 しかし消費税だけは、無職になろうがホームレスになろうが、取られっぱなしである。
 マジでなんとかしてほしいよなあ。
 煙草の増税分なんぞは、我慢すればなんとでも節約できるが、これ以上食費を節約したら、たぶん毎晩、泣きながら寝るぞ。

          ◇          ◇

 コロリと話は変わって――。

 ここ何年か、嗜好の変化によってほとんど手作りしていなかったカレーを、久々に煮こんでみた。
 ルーはハウスのジャワカレー中辛、肉はチキン、ジャガイモの代わりにピーマンを入れ、野菜ジュースやブイヨンやおろしニンニクなんぞも適宜加えた、あえて狸が30代の頃の自炊物件を完全再現したのだが――実にまあ記憶どおりの、懐かしいカレーができた。当たり前ですね。
 しかし、あの頃とはずいぶん舌が変わっているのに、ちゃんと旨い。
 しかも同じ量の原料で、あの頃の倍の回数は食えそうなカレーができあがる。

 内臓や代謝が老いぼれて労働量も減ったぶん、あんがい、まだ食費節約の余地はありそうだ。
 とうぶんは、泣きながら寝ずに済みそうな気がする。