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12月28日 火  痛くてカユい

 どうやら明日が今年の仕事納めになりそうだ。
 歳末奴隷需要で、そこそこ稼げたとはいえ、新型コロナ前の師走に比較すれば三分の一である。
 正月は4日の仕事が決まっているが、あくまで年末の後始末であって、その先の予定は、まったく決まっていない。

 来年は来年の風が吹く――それだけは確かであろう。
 しかし、キシダさんちのフミオくんが、前の失語症首相よりなんぼか口がまわるとはいえ、本質的にはあいかわらず確固たるおこたみかん詐欺を続けているのに、世間の支持率はしっかり上がっているらしいから、国民の半数以上は、永遠にボッタクラレる気まんまんなわけである。
 当然、狸のフトコロを吹き抜ける風は、来年も相当に冷たかろう。
 ああ、100均のアロエクリームではなく、ニベアクリームやオロナイン軟膏を、思うさま購える身分に戻りたい。

 いやね、ちょっと仕事が増えると、基本的に冷暖房皆無の現場だから、たちまち掌はひび割れ、膝から下が貨幣状湿疹だらけになってしまうのです。
 痛いの。
 カユいの。

 などと言いつつ、姉から歳末援助物資が届いたので、年越し蕎麦にも、正月の餅にも困らない。紅白を見ながら食べる菓子にも困らない。
 蕎麦にのせる天麩羅や、雑煮の鶏肉と菜っ葉くらいは、買える程度に稼げた。
 病気や栄養不足で倒れてゆく世界中の狸仲間を思えば、まだ体の動く狸などは、シヤワセなイキモノなのである。

 ところで今年の狸穴は、久々に非課税所帯と化したのだが、キシダさんちのフミオくん、10万円、いつ恵んでもらえますか。
 確か全年齢対象って、はっきり言ったよね。

          ◇          ◇

 怨霊話のはずだった脳内物件が、いつのまにやらジャンル不明の、ヤングアダルト物件に変わってしまっている。
 試しに1万字くらい打ち進めてみたが、肝腎の怨霊少女は、未だにドーンと登場しない。
 このままだと短めの長編、映画なら1時間20分くらいの尺に達しそうだ。
 叙情的なラストシーンや、さらにホラーっぽいダメオシの一発ドンデンは決まっているのだが、果たしてそこまで、無事にキャラたちが動いてくれるか――。

 まあ、いつもの狸流儀で、楽しめる限りは楽しむとしよう。
 遊びをせんとや生まれけむ。


12月22日 水  光陰

 次から次へと襲い来るウインドウズアップデートに、そろそろパソコンごと「いらねえや! こんなもん!」とか叫んで引導を渡したい気分なのであるが、思えばハードはビスタの頃の中古品、マイクロソフトのほうでも「バカヤロウ! 次の11も動かねえこんなガラクタにタダでウインドウズ10入れてやったんだから、アップデートくらいでゴタゴタ文句言うんじゃねえ!」と怒鳴り返したい気分であろうし、それでもこちらは「てやんでえ! てめえが勝手に入れたんじゃねえか! こちとらウインドウズ7どころかXPの頃から、いやもう2000の頃から、なんの不足もなかったんでえ!」などと罵り返すしかなく、さらに思えば、すべては驚くべき光陰の加速によってクリスマスや正月があっというまに正面衝突しつつあるのと同様、お互い、口論の避けられぬ宿命なのである。

 しかし、狸はCドライブに新しいデータもプログラムも入れない主義なのに、勝手にがんがんごんごんと空き領域が減ってしまうのでは、どうにも先が危ぶまれる。OSが、今年だけで10ギガ近くも膨れあがっているのではないか。
 まあ、ウイルス定義なんぞも増えているのだろうが、最初のウインドウズ95が出た頃は、Cドライブ全体でも640メガくらいしかなかったのにね。
 パソコンのスペックを四半世紀前と比べたら、鬼が笑うどころか、世界中の鬼全員が号泣しながら首を吊るだろうが。

          ◇          ◇

 録画した『ヒロシのぼっちキャンプ』を観ていたら、ヒロシさんが「キャンプ用品じゃないけど」と言いながら、豆炭アンカを腹に抱えていた。現物をいじるのは初めてだそうだ。なるほど狸より十何年も年若な方だと、豆炭そのものに縁がなかろう。
 ちなみに田舎育ちの狸の場合、小学生の頃、冬の寝床の暖房器具は豆炭アンカのみであった。ちなみに幼稚園の頃は、ブリキの湯たんぽ。中学以降はちっこい電気アンカで、電気敷布や電気毛布などという文明の利器は、社会人になってからようやく導入した記憶がある。
 しかし、昔とまったく変わらない豆炭アンカ、まだ製造販売されているのですね。厳冬期の巨大地震に備えて、豆炭といっしょに常備したい気がする。
 あと、練炭火鉢や七輪も。
 ついでに、お魚くわえたドラ猫と裸足のサザエさんを常備しておけば、爺いとして完璧であろう。

          ◇          ◇

 前回、雑想を中断したときは、確かヒッチコック監督の『レベッカ』(1940)が高画質で放映されて驚喜したとか、最近のホラーでは『ザ・ボーイ 少年人形の館』(2016)が地味で低予算ながら演出もシナリオも上出来であったとか、その続編の『ザ・ボーイ 残虐人形遊戯』(2020)は、同じ監督と脚本家の仕事とは思えないほど地味で低予算なだけだったとか、色々くわしく論じたいことがあったのだが、面倒なのでもういいや。

 冬至なので、柚子湯に入ります。入浴剤ですけど。
 いつもの100均ではなく、ヤオコーで買った、本格的に柚子っぽいと印刷してある入浴剤だから、きっと柚子っぽいに違いない。


12月17日 金  雑想中断

 驚くべき光陰の加速によってクリスマスや正月があっというまに正面衝突しつつあり――などとエディタで打ちこむにも実は数分以上かかっており、例によってウインドウズアップデートの仕業らしいので、設定画面から中断しようとしたら、その中断用画面がフリーズしてウンともスンとも言わない。
 ためしに動作の軽いHDDチェック用アプリを立ち上げてみたら、何ギガものデータをCドライブにがんがんごんごんとダウンロードしている最中のようだ。
 もうこのOS上ではOSアップデートしか駆動させない――そうマイクロソフトが腹をくくったらしい。

 と、ゆーわけで、まともなボリュームの更新は断念。
 狸は幸いにも、師走の奴隷需要急増によって、無事に年を越せそうです。


12月11日 土  雑想

 おお、ソニーがエラいものを開発したようだ。コイン・サイズの4K有機ELパネルとな。
 これでVRゴーグルの立体映像も、ようやく1950年代のリアリストサイズ・ステレオカメラでコダクロームを使用したステレオ・ペアの透過光観賞に匹敵するクオリティーに到達しそうだ。
 実に数十年かかって、デジタル情報のカラーパネルが、アナログ・フィルムに追いついたわけである。

 なんちゃって、リアリストサイズのステレオ・ペアはもちろん静止画だし、初期のコダクロームの感度は、ISO換算でたったの10しかなかった。
 狸が撮影しまくっていた頃は、感度64まで上がっていたが、観賞時の粒状感を払拭するには、感度25の製品を使用するのが望ましかった。後に国産のフジクロームで、感度100でもなんとか満足できるようになったのが、ずいぶん嬉しかったものである。
 思えばソニーもフジフィルムも、日本のメーカーですね。日本企業の技術力、まだまだ捨てたものではない。

 もっとも銀塩フィルムならぬ有機ELパネル、コスト的になんぼまで落とせるか心配だが、残念ながら、狸が個人的に撮影したり編集したりできる可能性は、ほぼ皆無であろう。
 しかし1950年代だって、ステレオカメラやコダクロームを好き勝手に使えたのは、アマチュアなら富裕層に限られていたわけで、庶民の手が届くまで、歳月がかかるのは仕方がない。
 生きている間にデモ映像でも覗ければ、狸としては良しとしよう。

          ◇          ◇

 例の少女の怨霊話が、脳内でもエディタ上でも、どんどん膨らみつつある。
 キャラもストーリーも舞台設定も、いわゆる『ひとり歩き』を始めてしまった。
 でもまあ、大長編までは至るまい。たぶん一昨年のクリスマス物件や、去年の桃色物件くらいの、中編サイズで収まりそうな気がする。つまり劇場用映画ではなく、1時間枠のドラマくらいか。

 ちなみに、例によって脳内主題歌も、いつのまにか決まってしまった。

     

 話自体は、このゲームとは被らないが、モチーフのひとつは『マヨヒガ』だから、ちょっと似ているのかもしれない。


12月07日 火  ツンとデレ、その他

 岩合さんのネコ歩き、ついに狸の故郷近辺を歩いてくれた。
 といっても、狸が主に棲息していた駅前の街中なんぞを歩いてはくれず、上山の農園とか山寺とか、蔵王近くの乗馬クラブとかこけし工房とか、絵になる場所が主ではあったが、そこに生きる猫たちは、狸の記憶にあるように、やたら人に媚びることなく気ままに内外をうろついており、そうそう狸が住んでいた頃も山形の猫はたいがいあんな感じだったなあと、あらためて望郷と望猫の思いに浸ったのであった。

 人に愛されて人を愛し、野生動物としてダメになってしまったシベリアオオヤマネコなども、大いに結構である。
 晩年、狸を母猫と勘違いしたのか子猫のようにまとわりついてきた故・ブチ下僕も、大いに愛しかった。
 それでも、最後まで野生を捨てずに姿を消したミケ女王様が、今は無性に懐かしい。

 猫や女性に関しては、ツンもデレもツンデレも、オールOKな狸である。
 しかしつらつら鑑みるに、8割ツンで2割デレ、それくらいのバランスに、昔から一番惹かれていた気がする。

          ◇          ◇

 日本映画専門チャンネルで『犬神家の一族』(市川崑監督の古い方)の4Kデジタル修復版を観て、感服した。
 本気で頑張れば、昭和のフィルムも、ここまで美しくデジタル・リマスターできるのである。
 この映画は、古いレンタルビデオでも初期のDVDでも、近年のリマスター版でも観たが、音や色調に、劇場で観賞した少年時代の記憶と齟齬があり、これは記憶のほうが懐旧補正で美化されているのかと首を傾げていた。
 しかし今回の出来映えは、記憶に違わず、超一流の映画であった。

 ただ、弱冠の違和感はある。
 最初に劇場で観たときは間違いなくスタンダード・サイズで、ビデオもDVDも近年のリマスター版もそのアスペクト比だったのに、今回はビスタサイズである。つまり天地が弱冠カットされている。
 しかしこれはどうやら、主な劇場では、初公開時もビスタサイズで上映されたらしい。
 つまり監督もスタッフも、撮影時のカメラやフィルムはスタンダード用を使用していたが、公開時はビスタサイズにプリントされると心得て、構図を決めていたとのこと。むしろスタンダードのプリントを上映した劇場のほうが、少数派だったらしい。
 ううむ、そうとあっては、しかたがない。
 しかし、上映機材の都合だかなんだか、田舎の劇場でスタンダード画面を観た狸としては、やっぱり記憶との齟齬が、少々残ってしまうのである。

 まあ、スタンダードしかなかった時代の古い映画の中には、ワイドが主流となってからのリバイバル公開時に、上下をバッサリ切ってシネマスコープサイズにプリントして、今となってはそっちのフィルムしか残っておらず、シーンによっては役者さんの頭と顎がチョン切れたまんまだったり、雄大な風景から青空がなくなっていたりもするから、今回本来の構図に戻った『犬神家の一族』は、まったく逆の話なのだが。

 ところで、原版も初公開もスタンダードでしかありえない昔のテレビ映画を、わざわざ上下カットしてソフト化するのは、やめてくれまいか。
 なんぼテレビが横長になったとはいえ、あなたの小さな親切が、でっけー失望を呼ぶことだってあるのだぞ。
 とりわけ貧しい狸穴なんぞは、未だにアスペクト比が4対3の、球面ブラウン管テレビしかないんだからな。


12月01日 水  雑想

 あいかわらず、常に飢える瀬戸際で、しかし、かろうじて飢えることなく生きている。
 こうした狸の不安定な生活を精神的に支えてくれるのは、近頃、猫番組や猫動画に加えて、山猫動画の存在である。
 ライオン動画やピューマ動画やチータ動画もいいが、やはり山猫、できれば愛に溺れてダメになってしまった山猫の動画が望ましい。

     

     

 ほらね、いいでしょう。
「おまいら山猫として、そんなにダメになっていいと思ってんのかコラ!」などと罵倒しながら、廃人、いや廃山猫になるまで、顔をわしゃわしゃしてやりたいものである。

          ◇          ◇

 こないだ着想した少女の怨霊話を煮つめていると、狸の本性として、どうしてもシヤワセにしてやりたくなった。
 ゾンビでも天使でもない一介の女子中学生だし、すでに死んでドロドロに腐っているのだから、今さらシヤワセもなにもあったものではないのだが、やっぱりそれなりに、いじらしく昇華してやりたい。
 それでもホラーなのだから、ズブドロに祟らなければ話にならない。
 そんなこんなで、舞台設定が二転三転している。

 ことほどさように、狸の本性は、ユルユルでアマアマである。
 まあ、貸本の『少女スリラー』だって、まるまる一巻エグエググログロと祟りまくった末に、ラストだけは救いのあるロマンチックな絵面で閉める――そんなパターンも多かったから、それはそれでかまわんのだが。