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01月25日 火  狸は女好き

 『ターミネーター:ニューフェイト』、ようやくケーブルで観た。なるほど、大ヒットするには、ひと味足りない作品であった。キャメロンが自分で演出したら、倍はキレのある映画になっただろう。
 キャメロンも製作者としてずいぶん口を出したらしいのだが、現場を仕切るのは、あくまでティム・ミラー監督である。手堅いだけの演出では、いつものアクションSF映画にしかならない。
 それでも、皺だらけの最強老婆、サラ・コナー再登場は嬉しかった。妙に日和った老ターミネーターのシュワちゃんよりも、ずっと強そうだった。リンダ・ハミルトンの姐御、実にいい年の取り方をしている。

 やはり狸は、いくつになっても女好きなのだなあ、と実感する。
 いや、審美的には、やはり女児がいちばんなのだが、最強の女児が大の大人をバッタバッタと血祭りに上げる映画は、残念ながら観たことがない。サイコ女児が周囲の大人や子供を無差別にナニするサイコ・サスペンス映画は、けっこうあるのにね。
 まあ、ランボーが悪漢どもを片っ端から肉塊や肉片に変えるような映画も、悪くないのである。しかしたとえば、いつかケーブルで観た『エクスペンダブル・レディズ』あたりで、ゾーイ・ベルの姐御が悪漢共を片っ端から蹴り殺したり撃ち殺したりしていた姿を思い出すと、スタローンの大虐殺よりも、遙かに心が躍る。

 狸は根っからの性差別主義者だから、男なんぞに好き勝手されるのは御免である。
 プーさんやプーちんや、金さんちの馬鹿息子にでかい面をされるよりは、妲己や西太后に狸汁にされるほうが、ひゃくまん倍もマシだ。

 混迷する今の世であればこそ、世界制覇をもくろむ謎の女系一族とか、正史の陰で暗躍してくれまいか。


01月19日 水  明日に向かって寝てろ

 いやまあ、ずっと寝っぱなしでいたら、人も狸もいずれ蒲団の中で息絶えて、しまいにゃドロドロの腐乱死体と化してしまうのだが、といって、ネガティブ方向で波瀾万丈の、明るい未来が極めて想像しにくい今のこの世界、いちいち「それはダメだ!」「あーしろこーしろ!」「賢い俺様の話を聞け!」などと嘆いたり怒鳴ったりしていたのでは、自分も全人類も身が保たない。

 と、ゆーよーなことを、NHKのBSで放送してくれた古典的SF映画『禁断の惑星』(フレッド・M・ウィルコックス監督)を観て、つくづく思った。狸が生まれる前の作品なのに、よくまあこんな哲学的なシナリオの特撮宇宙映画が作れたものである。エンタメ映画でこれをやれてしまうところが、ハリウッドの侮れないところである。しかもこの監督、キワモノ的な社会派映画から、名犬ラッシーの『家路』みたいなコテコテのファミリー映画まで、そつなくこなしている。いわゆる職人監督、生粋のスタジオ育ちなのだろう。

     

 ともあれ、人間は神ではないのだから、思い上がりは禁物。分相応に馴れ合って生きるのが吉。でないと全人類、イドの怪物に食われちゃいますよ。惑星ごと、禁断の花火になっちゃいますよ。

          ◇          ◇

 脳内怨霊物件、怨霊のカケラも出ないまま、原稿用紙換算50枚を超えてしまった。
 このままだと怨霊初登場まで60枚、それでようやく起承転結の『起』である。
 これは思ったより長丁場――なんて、狸の芸は、ほとんどそんなパターンなんですけどね。


01月12日 水  雑想

 【トルコの酪農家が「ウシにVRを装着」して1頭あたりミルク5Lの増産に成功】――なるほどなあ。
 確かに狸だって、ビューマスター(舶来の立体写真玩具ですね)で世界の風景とかを眺めていると、気分爽快になる。
倫理的な側面からは疑問の声も上がっている』と記事中にあるが、快晴の草原に行きたくとも行けない貧乏な狸などは、VRやテレビで我慢するしかないわけで、倫理的な方々が旅費を送ってくれないかぎり、疑問の声だけ上げられても、しかたがないのである。

          ◇          ◇

 他人の幸せをすなおに喜べなくなったらメンタル的にヤバい――そんな意見を聞いた。
 それが真実であれば、狸は、これまでの狸生で、ただの一度もメンタル的な危機を迎えていないことになる。
 そんなはずはないがなあ。
 若い時分に失恋して歌舞伎町のカモと化したときも、正社員時代にデパス飲んで無理矢理出勤していた頃も、会社がつくづく嫌になって離職を決意したときも、自覚的には、充分メンタル的にヤバかった気がする。
 それでも、世間の方々がシヤワセそうにしている姿を見るのは、大いなる憩いであった。

 今だって、他人が力いっぱい不幸になる様を想像してドス黒い微笑を浮かべたりするのは、永田町のおこたみかん詐欺グループがテレビで大口たたいてるときや、鬼畜の所業をはたらいた犯罪者が捕縛されたときくらいのものである。
 そんな嫌な気分のときだって、街で幸せそうな親子連れなどを見かけると、大いに気分が晴れる。
 とくにお子さんが女児だったりすると、この上なく和んでしまう。

 ……いつのまにか、違う話になっているかもしれない。

          ◇          ◇

 実にまあ予想どおり、オミクロン君が日本全土を席巻しはじめた。
 今さら驚く気にもならないし、「先手先手」と連呼していたキシダ君が、結局ちっとも先手を打ってくれなかったのも、実にまあ予想どおりである。去年からの海外の惨状を見れば、日本だって、早晩こうなるに決まっていた。
 残る問題は、これから重症者や死者がどこまで増えるか、ただそれだけである。
 いや、もちろん軽症や中等症の方も増えないにこしたことはないが、海外でもデルタ株に比べれば低いと言われる重症化リスク、海外以上に低いことを祈るばかりである。

          ◇          ◇

 聴きたくて仕方のなかった観世音菩薩御和讃が、ようやく梅友チャンネルで動画化された。

     

 現在の狸は、大乗仏教よりも原始仏教、もといお釈迦様自身の説教を理解したがっている原理主義者に近いのだが、なぜか観音様には、昔も今も頭が上がらない。


01月06日 木  雪やこんこ

 3日の夜に、翌日の初仕事の準備をしていたらいきなりキャンセルをくらい、4日は「なんだかなあ」とだらけながら、録画したバス旅や、正月特番大長編なんでも鑑定団を観ていると、夜にいきなり、翌日のとんでもねー遠出を派遣会社から依頼されたりする。
 ことほどさように新年早々、きれいさっぱり明日の見えない狸である。
 しかし、それ以降の仕事はあいかわらず未定なので、今年も予定どおりに進んでいると、まあ、言えないこともない。

          ◇          ◇

 ともあれ本日、「あーうー」などと呻きながら、昼過ぎに起き出して窓を開けると、外はすっかり雪景色なのであった。
 しかも、現在進行形で雪が降りしきっている。
 狸は猫好きだが、生物学的にはあくまで犬科だし、北方亜種でもあるので、ここはどうしても庭を駆け回らねばならない。でも庭がないので、外界を徘徊せねばならない。
 と、ゆーわけで、何年ぶりかで、押し入れから氷雪対応のブーツをひっぱり出した。
 まだまっとうな正社員に化けていた時代――ジュラ紀だったか白亜紀だったか――群馬で買いこんだ超古物だが、本革なので、油さえ切らさなければ死ぬまで履ける。靴底には、引き起こし式の、滑り止め金具さえ装備している。
 で、江戸川の無人の土手で遭難しかけたり、街中でモコモコ厚着女児たちが転んだりしないよう見守り活動に勤しんだりしたわけだが、雪はしだいに小降りとなり、残念ながら夕方にはやんでしまった。
 早々に融けたりせず、明日は立派に凍結しているのを祈るばかりである。
 でも、しっかり通勤する真人間の方々は、すってんころりんに気をつけてくださいね。

          ◇          ◇

 打鍵中の怨霊物件、原稿用紙換算40枚を超えても、まだ怨霊が出てこない。
 困ったものである。
 なんとか50枚あたりでどーっと祟り始め、短めの長編くらいで、すっきり祟りきってほしいものである。


01月01日 土  「みてみて。めっちゃキレイだよ空。ヤバくね?」

 明けましておめでとうございます。

 思えば去年とまったく同じパターンで新年を迎えた。
 つまり、民放の『年忘れにっぽんの歌』やNHKの『紅白』や、その他もろもろをチェックしているうちに夜明けを迎えてしまい、東方向を徘徊して初日を拝み、昼間は寝て過ごし、夕方から西の江戸川沿いを徘徊して、初落日を眺めたのである。
 この行動パターンだと、稀少な晴着女児などはいっさい索視できず、それどころか人影自体が少なく、稀に見かけるのは爺さん婆さん、そして年中無休のランナーハイ連中ばかりである。
 それでも、日暮れ後に江戸川西岸から東岸へ橋を渡っていると、向こうからの中学生と覚しい少女たちが数人、自転車でやってきた。
 すれちがいざまに、そのうちのひとりが、他の少女たちに声をかける。
「みてみて。めっちゃキレイだよ空。ヤバくね?」
 思わず狸も西を見返ると、オレンジから濃紺へとみごとなグラデーションを成す暮色の彼方に、富士山のシルエットがくっきりと浮かんでいるのであった。
 少女たちの現代語は、必ずしも老狸の耳に心地よく響かないのだが、その情動は、きっと昭和のおとめちっく少女漫画と、同じニュアンスに違いないのである。

 雑煮も食ったし、チョンガー用のちまちまおせちをつつきながら、ビールも飲んだ。
 もう思い残すことは何もない。
 ――死のう。

 でも明日は、どこかの神社仏閣まわりを徘徊したいので、昼頃に復活タイマーをセットしとこう。

          ◇          ◇

 ところで今年の紅白、いや去年の紅白は、前回の紅白と違って、全体的に何をやりたいのかちっともピンとこなかったのだが、さだまさしさんから東京事変(椎名林檎さんですね)と布袋寅泰さんに繋がるあたりの翳りのなさ、というか、あえて翳りを払おうとする昭和感、というか昭和から平成への居直り感が、爺いにとっては感慨深いものであった。
 あと『NiziU』のお嬢ちゃんがた、この一年でずいぶん育ってましたね。一番年下と思われるハーフっぽいお嬢ちゃんなど、去年は残っていたロリっぽさを見事にどこかに吹っ切って、すっかり娘盛りのダイナマイトボディーに成長していた。

 ああ、光陰矢のごとし。

          ◇          ◇

 脳内怨霊少女物件、いよいよキャラがプロットをぶっ壊し始めた。
 それに合わせて、すでに文章化したプロローグ30枚も、舞台設定そのものを、すっかり書き改めた。
 こりゃあ、手に負えないかもしれんなあ。

 ――などと思いつつ、なんか面白いので、まだ続けるとしよう。