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04月24日 日  冗談めかして本音を漏らす

 いや、おまえの本音なんてとっくに知ってるよ、と、未だにこんなところを覗いている方はおっしゃるかもしれないが――。

 とにかく女児と猫を他の生物とは別格の貴重な存在であると認識できない奴は、一人残らず死んでしまえ。
 もう一度言う。死ね。今すぐ死んでしまえ。

 そこで巡行ミサイルを一般人の住む市街地に向けて発射する軍服の便所虫、お前のことだ。
 誰が乗っているかわからん一般車を平気で蜂の巣にできる兵装の便所虫、お前のことだ。

 今さら綺麗事を言っても、無駄だから言わない。
 そんなに他人を殺したいなら殺せ。
 どうせおまえなど他人を殺すくらいしか能のないムシケラなのだから、いっそ殺したいだけ殺せ。
 しかし女児と猫だけは絶対に殺すな。

 ミサイル撃つなら、女児と猫を殺傷対象から確実に除外できるミサイルを開発しろ。
 女児と猫にだけは無害な生物兵器を開発しろ。
 他の生物がことごとくケロイドだらけになって死に絶えても、女児と猫だけは無傷で残る核兵器を開発しろ。
 そうして瓦礫の荒野と化した他国を征服し、しかしそこに残った女児と猫は、おまえの余生をかけて慈しみ育てろ。
 そうすれば、狸はおまえを許す。
 たとえ醜い便所虫でも、踏みつぶさずに許してやる。

 できないなら死ね。今すぐ死ね。

          ◇          ◇

 と、ゆーよーな本音を、言える国に生まれた狸はシヤワセなのだろう。
 しかし、これからも言い続けられるかどうか、知れたものではない。

 侮辱罪とやらの罰則が強化されたら、キシダ君を「日和見のニホンザル」と呼んだり、ヤバイ君を「ウスラバカの便所コオロギ」と呼んだり、ハジモト君を「息をするように嘘をつくウジ虫」と呼んだりした場合、狸がいかに真摯な正直者であっても、罰金刑くらいは食らうだろう。実名報道されてしまうかもしれない。

 だから、今のうちに言っておくのである。


04月18日 月  雑想

 モデルナを打った後の腕の腫れや倦怠感は、翌々日には治まったのだが、治まったあたりで、新たに奇妙な現象が生じた。
 手首あたりの血管に沿って、幅3センチ長さ6センチほどの赤斑が生じたのである。打撲による内出血ともカブレとも違う、生まれてこのかた見たこともない、実際にそこだけ皮膚の下に赤インクが滲んだようなシミであった。見かけが派手なわりには、まったく痛くもなければ腫れてもいない。
 新型コロナワクチンでそんな副反応が出たとは聞いたことがないので、たぶん無関係の現象なのだろう。
 このまま消えなかったり広がったりしたらなんかヤダなあ、と思っていたら、徐々に薄くなり、今はほとんど消えかけている。
 もしかしたら、人ならぬ狸の体に限って、活性化した免疫細胞とウイルスが、流血の戦闘を繰り広げたのかもしれない。

          ◇          ◇

 『致死率100パーセント』のタグで、ツイッター界隈でも大騒ぎになっているようだが、なんぼウクライナから逃げてきた方々が可哀想だからといって、そのペットの検疫期間をいきなり緩和するのは無茶である。
 すぐに特例なんぞを決められる立場の農林水産大臣は、一応農業関係の企業に関係していたらしいが畜産や検疫は無縁、痔民党の持ち回りでたまたまそのポストについただけの人だから、狂犬病の実態なんぞまったく知らないだろうし、その下にいる農林水産畑のお役人たちは、まさか全員が検疫のドシロウトではあるまいが、まあ「どんなに無茶なお達しでも、おエラいさんに反論するのはダメ、ゼッタイ!!」と信じこむ程度には、ニホンザル化してしまっているのだろう。
 要は、長すぎる検疫期間中の、飼い主による費用負担が問題なのだから、そっちを特例でカバーすればいいだけの話である。しかし、一度せしめた税金は、仲良しさんだけにしか分配しないのが、痔民党のキマリである。
 それとも、我が国のおエラいさんたちが、心から「ああ、ウクライナから逃げて来た人たち、ほんとに可哀想。せめてペットくらい、ずっと抱かせといてあげよう」と思っているなら――。
 他人を思いやる前に、狂犬病の超絶きわまりない危険性くらい、知ってろよ。

          ◇          ◇

 等々、あいかわらず浮かない話ばかりの今日この頃、それでも無事にケーブルテレビが復活した。
 で、さっそく『夜叉ヶ池 4Kデジタルリマスター版』を録画して観た。
 40年以上も昔に公開され、短縮版が一度だけテレビ放映されたっきりで、いっさいソフト化されていなかった、篠田正浩監督の意欲作である。
 どうやら主演の坂東玉三郎さんが、どこぞの評論家に「この映画の玉三郎は男にしか見えない」と揶揄されて、ずっと封印していたらしい。実は制作資金も玉三郎さんがかなり自腹を切っていたらしいから、権利者として封印できたわけですね。
 それがなぜ、今になって大々的に復活できたか――。
 わくわくとリマスター版を観始めて数分、狸はびっくり仰天した。
 大好きな映画なので、初公開時に観たときの記憶も、はっきりと残っている狸だが――もはや、別物なのである。

 もちろんまったく同じ内容の映画なのだが、色調やコントラストがシーンごとに、いや同じシーンでも画面の部分によって微妙に調整されており、恍惚となるほど階調が豊かになっている。
 思えば確かに初公開のときのフィルムは、発色が豊かすぎるほどでコントラストもくっきりはっきり、当時の日本映画のカラーそのものだった。結果、確かに玉三郎さんの女形メイクが舞台より際立ってしまい、すでに大ファンだった狸にも、白塗りが目立ちすぎるシーンが散見された。そこいらは、当時のベテラン映画女優さんが自ら少女時代のシーンを演じる際など、いくらドーランで皺を埋めてソフトフィルターをかけて撮影してもごまかしきれなかった、当時のフィルムの限界なのである。
 それが、最新のデジタル補正なら完璧に対処できる。近頃の美顔コテコテのデジタルカメラのように、皺を消したりツルンとさせたりするわけではない。カラーバランスとコントラストをきめ細かくいじって、微妙な階調を再現するだけでいい。それだけで、若き日の舞台上の玉三郎さんが再現できる。

 そして映画『夜叉ヶ池』の場合、ラストの山津波の大特撮や、南米のイグアスの滝に鐘楼を建てて撮影した津波後の光景が、人間ドラマ部分と別世界に見えてしまうという批評も多かったわけだが――これはもはや、まるっきり違う映画のレベルまで補正されていた。
 狸としては、オリジナルフィルムの甚だしい違和感も、伝説が力いっぱい現実を駆逐してゆくメタファーとして、充分納得できた。
 しかしデジタルリマスター版は、徹底してかわたれどきの朧気な光に調整され、伝説と現実が境界を失った宗教的世界、そんな感じに変わっている。

 思うに、今回の再公開版は、当時かなりトンガっていた篠田監督が、今はお歳を召して円熟し、けっこうお歳を召しながらも相変わらず女形バリバリの玉三郎さんに最大限の敬意を払いながら、昭和の伝説的舞台を令和に再演してみた――そんな作品なのではないか。
 狸も近頃めっきり丸くなってしまったので、青年期、「これが泉鏡花原作の玉三郎映画かよ」と仰天した大洪水特撮や、あの南米の蒼天の雲間に誇らしげに昇天してゆく白塗りくっきりの玉三郎さんに喝采したときの高揚感が懐かしい一方、今回の、当時の舞台『天守物語』等を思わせる、あたかも宗教画のような虚実皮膜の玉三郎さんに、ほろほろと涙を流してしまったりもする。

 一応、昔テレビで放送された短縮版も、ビデオテープに撮ってあるのだが、プリントからのテレシネなので、当然、画質は良くない。
 当時に公開されたまんまのデジタルリマスター版も、できれば制作してほしいものである。
 いや、やっぱり玉三郎さんが、いやがるかなあ。
 当時にタイムスリップして、無神経な批評を書いた評論家を、タコ殴りにしたい気分である。
 いいじゃないか男だって。綺麗なんだから。


04月12日 火  神 天にいませず なべて世は 事ばかり

 広い世間のあれこれはとりあえずちょっとこっちに置いといて、ケーブルテレビのチューナーBOXが2テラのハードディスクごと再起不能に陥ってほぼ1テラを占めていた猫番組やその他の映画コレクションもドキュメンタリー番組もきれいさっぱりブッ飛んだとか、昨日接種したモデルナのワクチンが以前2回のファイザーよりよほど濃密(?)だったらしく腕が腫れ上がって痛いのみならず全身の倦怠感がハンパないとか、思うところは多々多々多っとあるわけだが、別のレコーダーの録画物件は無事だからまあいいいかとか、体にコタえるぶんウイルスもキビしくシバイてくれるだろうからまあいいかとか、己を慰める術にも事欠かない能天気な狸である。
 どのみち神なんぞ地球や人類にかかりきりでいられるはずがないのだから、人や狸は、自ら自分を慰めるしかないのである。

 しかし露助のプーちんは、ロシア正教の親玉とも大の仲良しだと聞いたのだが、その割に、人を殺しまくるのは平気らしい。
 まあ、何をやっても創造主に懺悔すればオールOKなわけだから、まことに重宝な信心ではある。
 思えば「神は一度も黒人を人間だとは言っていない」などとうそぶきながら、牛馬の如く売買し使役しまくった他国の例もあるわけで、どのみち創造主が何か言ってきたためしなどここ何千年もないのだから、すべては便所コオロギの、ちっこい脳味噌しだいである。

 なあんて、そもそもいるわけねえじゃん、創造主なんぞ。
 しかし仏は違う。
 人も狸も、神には絶対になれないが、仏になら、なれる可能性がある。
 ニホンザルだって、なれるかもしれない。
 ならば便所コオオロギだって……ごめん、ちょっと無理か。

「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」――。
 いうまでもなく親鸞の言葉であり、さまざまな解釈がなされている。
 そもそも「悪人」をどう定義するかは、人によって様々だ。
 ともあれ、仏陀も「大慈悲」を最大の解脱ポイントとしている以上、相手が盗人でも人殺しでも、いきなり殴り殺してはいけない。
 しかし、解脱するための修行においては、「根性曲がりな奴につきあうと自分の根性も曲がってしまうから、そんな奴がいたら近寄るな」と、明言してもいる。
 ならば、あっちのほうから庖丁をふりかざし、「俺とつきあえ!」と追いかけてきたら――。
 二度と追いかけてこないようにしてやるのも、立派な「大慈悲」だと狸は思う。
 これを「往生させる」と言う。

 ……ちょっと違うかもしれない。


04月06日 水  光陰矢の如く飛び去ったと思ったら隙を見て背中にズブリ

 痔民のヤバイ君や異心のハジモト君が、露助のプーちんの退化っぷりに感化されて、またたくまにニホンザルから便所コオロギへと変貌してゆく様は、思わず拍手したくなるほどスピーディーである。
 その点、中華のプーさんが近頃どっち付かずなのは歯痒いが、まあ、過去のチベットや現在のウイグルを思えば、「はいはいボクも実は便所コオロギなんですよ」と明言するのは、さすがに恥ずかしいのだろう。まあ恥ずかしがるだけ、便所コオロギよりはなんぼかマシなのかもしれない。

 しかし、元来の詐欺師やウスラバカは別状、我が愛する日本の一般市民には、これ以上、ニホンザルや便所コオロギに退化してほしくない。
 明治維新の際、官軍の兵隊と称する南国ラリパッパ野郎の群れが北方に押しかけ、民間人の女を●すは男を●すは好き放題やらかし、無事に日本の夜明けとやらを達成したら、そんな蛮行はいっさい無かったような『日本近代史』を作り上げてしまったのだから、ぶっちゃけ昭和の朝鮮人強制連行問題も従軍慰安婦問題も、近頃の日本史の教科書なんぞ鵜呑みにしたら大変である。本来まともな現代っ子たちも、またたくまにニホンザルから便所コオロギへと退化してしまいかねない。
 いや、別に今さら自虐史観に走りたいわけじゃないんですけどね。
 ヤバいことをやっちまったらすなおに認めて謝るのが吉――そう言いたいだけである。
 どこの国に限らず、結局は政治屋や戦争屋やゴロツキまじりの兵隊がやることだから、我欲のためには盗みも犯しも殺しもする。

 戦争ダメ、ゼッタイ!!
 などと言いれきるほど、残念ながら狸は若くない。
 今日もまたひとつ、年を取ってしまった。こないだ介護保険証も届き、名実共に爺いの域に達してしまったのである。純真な心は、いつのまにかあっちこっちの道端に、置き忘れてきてしまった。

 それでも、狸は祈りたい。
 人類あるかぎり戦争は絶えないにせよ、いつか政治屋ではない政治家と戦争屋ではない軍人が、非戦闘員を巻きこまない戦争――プロの兵士同士のフェアなドツキ合いを、展開できる世界になりますように。


04月01日 金  はじめてのボクです

 なんぼなんでも4月になってから、とっくにタンスの奥にしまいこんだモコモコの真冬用衣類を、再度引っ張り出すことになるとは思わなかった。
 三寒四温とか、花冷えとか、この時期に使われがちな言葉は多々あるが、まさか真冬に戻るとは。
 寒冷を好む北方亜種の狸ですら、生まれて初めての、異常な気候変動には往生する。

          ◇          ◇

 昨夜、狸穴近辺の地下で起こった地震も、老狸にとっては初体験の揺れ具合であった。
 びっくりして飛び上がるくらいの縦揺れが一度だけズドンと来て、うわまた地震か、と怯えたものの、それっきりウンともスンともいわないのである。
 そんなパターンは初めてなので、てっきりこれは地震ではなかろうと判断してしまい、「もしや近隣のコンビナートで大爆発事故でも起こったか」とか、「あるいはプーちんや金ちゃんが、ついにマジモンの核ミサイルを永田町あたりにブチこんだか」とか、おそるおそる窓の外を覗いたりした。
 結局は地震だったのだが、いわゆる首都圏直下型の本番だと、これより激しい縦揺れが何十秒も続くのではないか。そうなれば、築後半世紀超の老朽狸穴など、いの一番に倒壊するだろう。
 たまたま狸が最新の耐震ロジで働いていれば、その場で圧死するのだけは避けられるだろうが、あいにく現在の就労困難状況では、アブレ中に揺れる可能性が高い。
 せめて荒川のスーパー堤防あたりを徘徊中に、本番を迎えたいものである。

          ◇          ◇

 新型コロナ君は、元気よく第7派に突入したようだ。
 狸が3回目の接種を受けられるまであと10日、せいぜい逃げきりたいものである。