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01月29日 日  黙祷

 ザ・リリーズの、双子の妹の真由美さんが、お亡くなりになった。
 狸より三歳も年下だったのに、なんということだ。
 脳腫瘍で何度か手術を受けていたことなど、訃報の記事で初めて知った。

 ここを覗いている方ならご存じだろうが、狸は若い頃から一貫して、あの双子姉妹の大ファンであった。
 狸が仙台で鬱屈した浪人生活を送っていた18歳の秋、予備校帰りにふと立ち寄った駅前のデパートのイベントスペースで、ラジオの公開録音のゲストとして歌っていた姿が、ありありと記憶に残っている。
 つまり、テレビなどで知る前に、いきなり生リリーズに遭遇してしまったわけである。
 当時の狸は、肉体的にも精神的にも欲求不満に充ち満ちた童貞少年であり、すでにロリコンの兆しも自覚していたのだが、当時のリリーズのお二人は、まだお色気なんぞカケラもなく、ロリータコンプレックスの対象としてのイケナイお色気すら一片もなく、ただかわいい双子の女の子が、ただかわいい声で、ただ元気いっぱいにオトメチックな歌をっている、そんな印象だった。
 大学時代、中央線の中で、偶然また生リリーズに遭遇し、サインをもらったり、自己主張したくて、某パンフレット会社に依頼されていたカットやイラストマップを見せびらかした事があったが――当時の狸は漫研にいたので、そんなバイトもできたのである――すでに20歳前後になっていたお二人にも、大人のお色気はまったく感じられず、あどけない少女のままに思われた。
 そのあたりが、当時のナベプロが目指していたザ・ピーナッツの後継者にはとうとうなれなかった理由でもあるのだけれど、狸が今日までファンであり続けた理由も、まさにそこにある。

 正直、あのお二人に、いわゆる性的な邪念を抱いたことは、今日までただの一度もない。
 だからこそ、永遠のアイドルなのである。
 お姉さんの奈緒美さんは、結婚してお子さんもいらっしゃるわけだから、お色気を全く感じなかったといえば、かえって失礼かもしれない。
 しかし妹の真由美さんは、生涯独身のままであった。
 だから正確に言えば、狸にとって、ザ・リリーズの真由美さんこそが、永遠のアイドルなのである。

          ◇          ◇

 久しぶりに、テレビで元祖『トップガン』(1986)を観た。
 主演のトム・クルーズに関しては、確かにいい男だし、不動のハリウッドスターに違いないのだろうが、あの頃から現在に至るまで、いわゆる男の魅力を、狸は感じたことがない。
 むしろアイスマン役のヴァル・キルマーのほうが、その後、でっぷり太ってしまったり大病を患ったりと浮き沈みを重ねる間も、一貫して男の魅力を感じていた。
 巷ではさほどヒットしなかったらしいライオン狩り映画『ゴースト・アンド・ダークネス』(1996)など、今でも血沸き肉躍るほど好きだし、巨匠コッポラ監督が晩年に趣味で制作した小品『ヴァージニア』(2011)なども、しまりなく太った中年男のヴァル・キルマーに頬ずりしたいほど、好きな幻想映画である。

 ところで『トップガン』の監督であるトニー・スコット、あの頃は、CMっぽくてせわしない演出が鼻についたものだが、その後、手堅いエンタメ系職人監督としての実績を積み重ね、デンゼル・ワシントンと組んだ晩年の三作――『デジャヴ』(2006)、『サブウェイ123 激突』(2009)、『アンストッパブル』(2010)――などは、秒単位のカット割りが洗練の域に達し、職人芸の極みと言える手腕であった。
 お兄さんのリドリー・スコットよりも俗な作風に見られがちだが、今ではお兄さんよりよほど手堅い職人監督として、狸は評価している。
 それが、わずか2年後に、川に飛び込んで自殺してしまうとは、思ってもみなかった。

 スコット監督は、どうやら鬱病を患っていたらしい。
 根っから能天気な狸ですら、近年、ビンボに疲れて妙に気が沈むことが多く、気をつけねばなるまい。
 まあ、川辺を徘徊しながら、空から鶏肉や菜っ葉が落ちてこないかと雲を見上げたり、千円札が落ちていないかと地べたを注視したりしているうちは、川に身を投げる恐れなどまずなかろうが、うっかり川にはまって溺れる可能性はある。


01月22日 日  そして誰もいなくなる

 狸の家系はなかなかしぶとい血筋らしく、従兄弟や従姉妹は、幼い頃にプールで溺れてしまった従弟ただ一人を除いて、皆、存命中である。
 ただ、その上の世代は、さすがにそうはいかない。
 先日、母方の伯母が亡くなったと知らせがあった。
 もう90歳をすぎており、朝に従兄が起こしに行ったら心臓が止まっていたとのことで、老衰による立派な大往生らしかった。
 これで狸の両親はもとより、狸と血の繋がった伯父伯母叔父叔母は、もう誰もいなくなった。
 諸行無常――ただそれだけのことなのであるが、やはり気が沈む。
 合掌。

     

 まあ、いずれ自分自身もいなくなるわけだが、そっちはさほど気にならない。
 しかし、自分の葬式やら法事やらで誰かが面倒を被るのは、子も孫もない狸として、甚だ心残りである。
 自分の死期を悟ったら、樹海の奥にでも這いこんで、野生動物の餌になって骨まで食いつくされることを、切に願う今日この頃である。

 などと言いつつ――。
 明日は残りの餅を雑煮にして食いたいなあ、でも口座残高が心細いし、どこかから鶏肉や菜っ葉が落ちてこないかなあ、などとも、本気で夢想している自分が今ここにいる。
 そんな自分が、とてもかわいい。
 馬鹿な子供ほどかわいいというから、たぶん狸自身が、狸の子供なのかもしれない。


01月15日 日  女児礼賛

 コロナ第8波などものともせず、経済のためなら爺婆は犠牲にすると決めた痔民党やその支持者様のおかげで、今週の狸はなんとか細々と仕事にありつき、糊口をしのげている。
 狸自身、高血圧と糖尿を抱えた爺いなので、いわば共食いで生きているようなものである。
 共食い上等。
 若者が無事ならいいのだ。
 ぶっちゃけ女児さえ無事ならいいのだ。

          ◇          ◇

 ケーブルで録画しておいた『母ちゃん結婚しろよ』(1962・昭和37年/五所平之助監督)と、新古本屋のレンタル落ちDVD見切り品100円均一ワゴンで見つけた香港のホラー映画『悪霊の棲む家』(2005年/ン・マンチン監督)を、なぜか二本立てで観賞した。

 前者は、あまり知られていないタイトルながら、サイレント時代から活躍している邦画史上の名匠による、堅実そのものの佳作であった。
 一方、後者は100円相応の、起伏に乏しくてまったく恐くないホラー映画(?)であった。
 それでも狸は、後者も前者同様、一度も早送りやスキップを使わず、じっくり観賞させていただいた。
 なんとなれば、後者は、妙に家賃の安いアパートに入居した貧しい母娘が、実に淡々とした怪異の犠牲になるという設定で、小学校高学年くらいの娘さんが出ずっぱりなのである。
 なお、前者も後半になると、主人公の少年の腹違いの妹として、小学校低学年と覚しい子役さんが登場する。また、後に歌手兼タレント兼著述家として一世を風靡する中山千夏さんの、中学時代の子役姿も、ちょっとだけおがめる。

 で、ここからが、今回のテーマになるわけだが――。
 どっちの女児も、実は、もののみごとにかわいくない。演技はできるのだが、いかんせん、巷の小学校に放りこんだらちっとも目立たない、根っからロリコンの教師でさえけして贔屓にしないであろうタイプの女児なのである。
 でも、そこが狸には、なぜかリアルで好ましいのであった。
 一挙一動が、見逃せないほど好ましいのであった。
 たぶん近頃の狸は、すべての女児を『父親の贔屓目』で見られるレベルまで、達人化しているのだろう。

 ちなみに中学生時代の中山千夏さんは、愛嬌たっぷりではあるものの、やはりロリコン教師には極めて狙われにくいタイプの少女であった。
 でも、狸には無問題なのである。
 今の狸なら、「女児ならなんでもいい!」と、胸を張って明言できる。

          ◇          ◇

 ウクライナでは、また女児がロシアのミサイルの犠牲になったようだ。
 今の狸は、胸を張って明言できる。
 そのミサイル飛ばした便所虫、一匹残らず逝ってヨシ!!
 すぐ死ね今死ねきっと死ね。なんなら生まれる前に死ね。

 なお、公平性を保つために――。
 無差別テロで女児を犠牲にした輩も、日本空襲やベトナムや中近東で女児を巻き添えにした米軍関係者も、大陸あたりで女児を巻き添えにした旧日本軍関係者も、一人残らず木っ端微塵に爆発しろ。


01月08日 日  歩正月・見正月

 世間の皆様は、もう働き始めていらっしゃる頃合いなのに、狸は絶賛無職中である。
 ただひたすら徘徊したり、溜まった録画物件を消化したり、ちまちまと駄文を打ったりしている。
 それでも食うに困ってはいない。
 年末に姉から送られた支援物資が、まだ残っている。
 餅も蕎麦もパスタも、缶詰も、レトルトのパスタソース類やシチューやカレーも、まだ残っている。
 米は歳末に自分で買ったぶんが残っている。ドンキの安米だが、けして不味くはない。
 さながら王侯貴族の正月だと思うのだが、どうか。

          ◇          ◇

 でもねえ、お隣の奥様。
 近頃、お野菜がずいぶんお高くなってると思いませんこと?
 ほんとはあたくし、それほどお野菜が好きなたちではございませんのですけれど、スーパーで山積みになっているホウレンソウなど見かけますと、片っ端から鷲づかみにして、力いっぱい両脇に抱えて、そのまま出口に全力疾走したくなりますわ。
 でもあたくし、育ちが良すぎるせいか、ちっとも早く走れませんでしょう?
 あっという間に、お店の方々に追いつかれてしまいますわよねえ。
 でも、とっつかまる前に、「きええええええ!!」とか泣き叫びながら、ナマのホウレンソウを思うさまムシャムシャ食い散らかしてやったら、なんぼか気が晴れると思いませんこと?
 ねえ、お隣の奥様。

          ◇          ◇

 怨霊物件、年末に更新したぶんまでを、全編ちまちまと推敲した上で、当初二本立てで公開していた二つの序章も、ひとまとめに構成しなおしてみた。
 次回更新時には、そっちに追加する形で、投稿しなおすかもしれません。


01月01日 日  夜明け前

 まだ初日は昇っておらず、外は真っ暗なのだが、開けましておめでとうございます。

          ◇          ◇

 クリスマスには、鶏モモを食った。
 大晦日には、年越し蕎麦も食った。
 もう思い残すことは何もない。
 死のう。
 でも、雑煮の餅や菜っ葉や鶏肉も買ってしまったから、もったいないので、とりあえず寝よう。
 今年も鶏モモや年越し蕎麦を食いたいので、それまでは生きていよう。

          ◇          ◇

 毎年恒例の『年忘れ にっぽんの歌』と『紅白歌合戦』、後者は録画中の追っかけ再生で所々早送りしながらの視聴だが、なかなかいい出来であった。

 前者は、今年も梶光夫さんが矍鑠として『青春の城下町』を歌ってくれたし、和田アキ子姐御の声もよく出ていた。
 山本リンダさんなどは、見ている狸が「この人、百年後も美魔女として踊り狂ってんじゃないか?」と困ってしまうほど、相変わらずの山本リンダ嬢なのであった。リンダ、こまっちゃう。
 無論、顔の皺などは整形で伸ばしているのだろうし、肘の関節あたりには年齢相応の皺が見えたが、あの体形と運動能力を保っているのが凄い。狸より六歳も年上なのだ。

 そして『紅白歌合戦』、前半はどうなることかと思ったが、後半はしっかり盛り上げ、全体を通してみれば、ひとつのテーマを持ったバラエティー番組として成立していた。つまり、来年の多幸を祈念する『祭り』として、ちゃんと機能していた。
 古株の演歌の大御所をバッサリ切ったのも、英断と言える。そちらは裏の『年忘れ にっぽんの歌』に任せればいい。

          ◇          ◇

 で、昼過ぎに起きて雑煮作って食って、御近所の八幡様に初詣して久々の人出に恐れをなして逃げ帰って、夜にはまた餅を焼いて残りの汁に入れて雑煮を食いながら、録画した正月番組を眺めたりしていたわけだが――。
 やっぱりNHKは必要だ、と狸は思う。

 まあ表看板のNHK・GやBSプレミアムは、ニュースもドキュメントも近頃確かに痔民寄りだが、『ブラタモリ』のような珠玉のバラエティーや『蘇る新日本紀行』などという老狸感涙の番組を見せてくれるし、Eテレでは民放が見向きもしない雅楽や能や各種古典芸能なんぞを正月からたっぷり見せてくれるし、そのEテレやBS1では「すみません。表では金のために痔民べったりの報道やってますが、裏では相変わらずちゃんと左翼青年バリバリでがんばってますんでお見捨てなく」と言わんばかりに、山道で左の崖下に転がり落ちるようなドキュメントや、民放ではクレームを恐れてとても出演させられないであろう各種マイノリティーの方々が、マジで本音を語り合うバラエティーなんぞも流してくれる。

 アメリカみたいに、共和党べったりの民放と民主党べったりの民放が張り合うわけでもなく、どっちつかずの多数の民放がスポンサー命で日和っているだけのこの国では、公共放送が両方兼業するしかないわけである。
 もしEテレやBS1まで変質する日がきたら、狸だって受信料なんぞ払いません。

 ……いや、でも、『ブラタモリ』や『チコちゃんに叱られる』は観たいかな。
 マジで従量制になればいいのにね。