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03月23日 木 支那ソバの味 |
支那そば、イコール、ラーメンの話である。
今は支那そばではなく中華そばと表記しなければいけないらしいが、田舎の食堂などでは未だに支那そばと表記している所もあるので、狸も支那そばと呼ばせていただく。
で、その支那そばに関して、昔から抱いていた疑問が、先頃、ひょんなきっかけで解決した。
狸の幼時記憶にある支那そばは、故郷の大沼デパートの大食堂、あるいは駅前の食堂で、年に数回食べられるかどうかの、いわばハレの日限定の正餐だった。
しかし、ほどなく世間は高度経済成長に突入、小学校高学年の頃には、狸ごときの家でも、ハレの日には父親の大好物の鰻を外食できるほどフトコロ具合が向上し、いきおい支那そばは、わざわざ外食するほどではない、家庭内メニューに格落ちしてしまったわけだが、家で母親が湯がく市販の生ラーメン、あるいはインスタントラーメン、そのどれもが、何年か前まで外食していたハレの支那そばとは、全く違う味なのであった。
けしてまずいわけではない。ただ、違う味なのである。
爾来半世紀、狸は種々の銘柄のラーメンを、インスタントでも大衆食堂でも有名店でもすすってきたわけだが、まずくない程度の物からとても美味な物まで味は様々ながら、幼稚園時代や小学校低学年の頃に外食した懐かしいハレの支那そばの味には、ほとんど出会えなかった。
それでも一度、極めてよく似た味のラーメンに出会った事がある。帰省の途中、東北自動車道のサービスエリアで、腹ふさぎのために注文したラーメンである。これは懐かしいと思い、何年か後にまた寄ってみると、味が妙に濃厚複雑になっていて、うまいのはいいのだが、肝腎の懐かしさは消えてしまっていた。
◇ ◇
で、こないだ、スーパーに買い物に行った時の話である。
近頃は、カップラーメンのコーナーに、御当地名物を謳う多数の銘柄が続出している。
しかしお値段は、安ラーメンよりも100〜200円は高価で、今の狸のフトコロ具合では、なかなか手が出せない。
で、せめて気分だけでも味わおうと、各銘柄の前をウロウロ見物していたのだが――。
確か新潟名物のラーメンだったか、『生姜』という大文字が目に入った。他の銘柄の、札幌とか喜多方とか熊本とかナントカ軒とか、背脂とかアゴダシとかカントカ味噌とかではなく、その新潟名物でしか謳っていない『生姜』味。
これではないか、と直感しましたね。
スープの隠し味としては、もしかしたら珍しくないのかもしれないが、ラーメン関係の謳い文句で真っ正面から大文字の『生姜』を見るのは、たぶん初めてだ。初めてだけに、今までほとんど出会えなかったモノである可能性は高い。
で、帰穴後、姉からの援助物資に残っていた、なんてことはない醤油味の袋ラーメンに、いつも冷や奴に使っているチューブの生姜を、にょろり、と投下してみた。
ぴんぽ〜ん。
幼児期の、ハレの外食と全く同じ味ではないが、酷似した支那そばに変貌していたのである。
その後、昔から食い慣れているチャルメラや出前一丁でも試してみたが、結果はかんばしくなかった。
いちばん安い醤油味の袋ラーメン、これが生姜と相性ぴったり。
思えば、山形駅の駅舎が木造だった頃の、味覚記憶なのである。東北の田舎はまだまだ高度経済成長のとば口、食堂の支那そばも、せいぜい鶏ガラと醤油だけがベースの、発展途上スープだったに違いない。
そこに多めの生姜が加わっていたのは、隣県新潟の影響だったのか、単なる土地柄だったのか。
いずれにせよ、狸のベロの記憶は、なかなか安上がりでハッピーな晩年を迎えております。
03月16日 木 超過死亡 |
新型コロナそのものではなく、ワクチン大量接種こそが日本人の大量死に繋がっているのだ、という論評が、一部で大ウケしているらしい。
しかし、あのグラフを見る限り、超過死亡の増加は、新型コロナの感染爆発に、ほぼ連動しているようにも思われる。
元々体の弱いお年寄りなど、ただでさえ自粛自粛で運動不足が続いて体が弱ったところに、なんぼ感染力が低いとはいえ桁違いの数のオミクロン君がわっと攻めてきているわけだし、近頃は巷のCPR検査もろくにやっていないわけだし、肺活量の衰えた方はマスクをしているだけで肺や心臓に負担が生じるし、ワクチンを打っていようがいまいが、力尽きてしまう方だって多かろう。
無論、ワクチンの副作用による死亡も、狸の接種時の筋肉痛や、若い知人の発熱を思えばけして少なくないのだろうが、総体的には、あくまで新型コロナがもたらす種々のマイナス要因が、この国の精神風土や医療体制の中では、良くない方向に累積しがちなのだろう。
◇ ◇
ところで、近頃の自殺者の増加も、新聞の一面を飾るほど問題になっているようだ。
しかしそれもまた、日本の精神風土においては、今に限らず、古来の宿痾と言ってよかろうと思う。
ここでも何度か記したが、狸が子供の頃から、地震と自殺は日本の名物、そんなふうに、海外の記事や小説内で、取り上げられることが多かった。
狸が大人になってからも、あのバブル崩壊後の世紀末など、笑ってしまうほど、いや笑ってはいかんのだが、とにかく加速度的に自殺者が増えた。とうとう3万人超えの最高潮に達した1998年などは、日本人の平均寿命を押し下げるほど、バッタバッタと自死していたのである。
幸い、それ以降はゆるやかに減っていき、今回の新型コロナ騒ぎでまた少々増えているとはいえ、前世紀末ほどの勢いは見られない。
やはり社会不安の最大要因は、パンデミック以上に、フトコロ具合なのである。
宗教的な土壌もあろうが、彼岸への移住をさほど厭わない日本人が多いのは確かだ。
なんぼ各駅にホームドアを設けたところで、それを乗り越える果敢な人物が出現する。
いやそれは、死ぬほど追いつめられた人に対して言うことじゃないだろう――そう狸を非難する方もあろう。
非難するあなたが、国政選挙でいつも痔民等以外の候補者に投票されているなら、狸は土下座して謝罪する。ごめんなさい。
しかし痔民等支持の方、あるいは無投票の方には、いっさい謝罪の必要を感じない。
◇ ◇
いかんいかん。
老いれば老いるほど、ついつい左折してしまう。
ここは穏健な、中道の爺いに化け直さねば。
えーと、心身ともに自然な免疫力を高めるには、やっぱりお日様の下、マスクのいらない広々とした河川敷あたりをのんびり徘徊して、自前のビタミンDを増やすのが一番ですね。
狸が生きていられるのは、たぶんビタミンDのおかげです。
◇ ◇
怨霊物件、ようやく「続きは次回のお楽しみ」と言えそうな所に近づいてきた。
しかし、それとて構想の半分にも達していない。
このままだと、猫耳物件のテキスト量を超えてしまうだろう。更新ペースも、あれ同様に一年四回、季刊連載みたいな。
……まあ、いいか。
貧乏人は力尽きるまで日向を徘徊し、脳内キャラと遊ぶのが吉。
ビタミンDと、脳内キャラが噴出してくれる脳内麻薬――この二つがあれば、悪質なウイルス、またホームドア乗り越え願望などに対しても、なんとか免疫力を維持できます。
ただし、あなたが、実は狸が化けた人ではなくモノホンの人類の場合、維持できるとは限りません。
03月09日 木 人生いろいろ |
ケーブルで録画しておいた映画『TOVE/トーベ』(2020・スエーデンとフィンランドの合作)を観た。
ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンの伝記映画――というわけではなく、主に30〜40代の彼女を描いた、女性映画の佳作であった。
◇ ◇
以前にも記したが、狸は小学校の中頃から高校を卒業するまで、ムーミンの原作に惑溺していた。
それゆえ、日本でテレビアニメ化されると聞いた時は大喜びしたが、放送された代物は原作無視の別世界になっており、ずいぶん脱力したものである。後にトーベさん自身も立腹したと聞いて、大いに納得した。
その最初のアニメ・シリーズも、途中、原作者の意向を尊重して路線変更してからはずいぶんマシになったのだが、残念ながら日本の一般のお子様たちはお気に召さなかったらしく、2〜3話の佳作を生み出した後、また中途半端に路線を戻して、そのまま尻つぼみに終わってしまった。
で、当時の狸は子供心に「日本のガキなんてもんは本当にしょーがねーなあ。原作ちゃんと読めよ。立派なブンガクだろーがよ」などと怒ってしまったわけだが、なんのことはない、狸だって日本のガキだったのである。
でもまあ、『くまのパディントン』を読んで楽しむかと思えば、次の日には父親の本棚から乱歩の『幽鬼の塔』を引っ張り出す、そんなガキだったので、まるっきりのお子様よりは、人生いろいろな小学生だったように思う。
その後、講談社文庫あたりから、トーベ・ヤンソンさんの一般小説も出版されはじめ、『彫刻家の娘』など、高校時代に興味津々で読み耽ったのを思い出す。あのメランコリックで内省的で、しかし精神的には自由奔放な女の子――その少女が大人になったら、まんま映画『TOVE/トーベ』の主人公になる。
◇ ◇
で、映画『TOVE/トーベ』の本編に話を戻すと――。
ヤンソンさんが、男性とも女性とも心身双方で愛し合える方であったことなど、なんのてらいもなくごく自然に描いており、そうした映画がなんのてらいもなく受け入れられて大好評を得るスエーデンやフィンランドの社会は、やっぱり国民の大多数が自由に生きやすい国なのだろうなあと、憧れを抱いてしまった。
そして何より――トーベさん、萌え。
彼女が日本にも中国にもロシアにもアメリカにも生まれなかったことを、心から祝福したい。
偏屈で厄介で両刀遣いの変人アーティスト――そんなふうに扱われるだけならまだいいが――いや、あんまりよくないのだが――うっかり地続きのロシアに生まれたりしたら、収容所や精神病院に送られかねなかっただろう。
◇ ◇
などと言いつつ、狸は現在、図書館で借りてきたゴーゴリの『ペテルブルグ物語』を読んでいる。
ウクライナに生まれて帝政ロシアで暮らした作家の、言わずと知れた名短編集である。
ロシアだって、人生いろいろなのである。
しかし、いろいろすぎて、頭の沸いたトンデモな最高権力者を輩出しがちなのは、なにとぞ御勘弁いただきたい。
03月01日 水 平常心 |
涅槃の仏陀に憧憬しつつも、あいかわらず煩悩まみれで世事に汲々としている狸のこと、わざわざ『平常心』などというタイトルを記すからには、今現在もーまったく平常心とは無縁の境地にいる、とゆーことである。
あいかわらず不穏な世界情勢や国内情勢、のみならず買い物するたんびに驚愕してしまうほどの物価高騰による狸穴内経済危機、はたまた国会中継を見るたんびに大真面目な顔で全ての問題を検討しつづけ検討するだけで生涯を終えそうな、しかしそのわりにはろくに使い道も知らない何百ものトマホークの大人買いだけは検討を省略していきなり実行に移そうとする首相の国会答弁、その他もろもろ……。
……いかんいかん。こんな草葉の陰のようなHPをわざわざ覗いてくださる殊勝な方々を、さらに鬱々とさせるようなことばかり記しては、人ならぬ化狸として申し訳が立たない。
と、ゆーわけで、忘れてください。
狸も忘れます。
忘れるための手段は、下の動画を参考にしてください。どこの誰とも知れない人間が五分以上もただ座っているだけの、今どき貴重な動画です。
人間、文字どおり何も考えず何もしない時間だって、必要なのです。
平常心平常心。
なんぼなんでもこれだけではあんまりだ、とおっしゃる娑婆っ気の多い方のために、こんな動画も。