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05月23日 火  雑想

 皆様どなたも思っていらっしゃることかもしれないが、とにかくパソコンのメーラーが毎日毎日詐欺メールだらけなのは、つくづく感心してしまう。
 狸は幸か不幸か、現在はデビット系を除いていっさいのクレカを作れない身分なので、そっち系は頭から無視すればいいだけの話だが、「あなたのパソをハッキングして、カメラもマイクも操って、あなたがヤらしいサイトを見ながらひとりでヤらしいことをしている動画なども記録したから、ネットに拡散されたくなければ、すぐにビットコインをしこたま送りなさい」といった意味のアヤしげな翻訳調日本語メールは、たまにうっかり開いてしまうことがあり、そぞろ虚しい思いをしてしまう。
 よろしい。そんなにカネを送ってほしいなら、先に、WEBカメラやマイクを狸穴に送付してくれ。精力剤やバイアグラも、忘れずに同梱してくれ。
 そこまでやってくれたら、長い極貧生活に疲れきった老いぼれ狸が『ヤらしいサイトを見ながらひとりでヤらしいことをしている現場』を、思う存分記録させてあげるにやぶさかではない。なんなら500円くらい送ってあげてもいい。

          ◇          ◇

 NHKのBSで、久々にスターダスト・レビューの現在の姿を拝ませてもらった。
 根元さんは狸と同い年のはずだが、中年期よりもずいぶんスリムになっていた。何年か前に脳血栓で緊急入院したと聞いたが、それでダイエットに目覚めたのだろうか。
 で、ボーさんの姿が見えないと思ったら、咽頭癌で療養中なのだそうだ。早期発見で、ほどなく復帰できるらしいが。

 思えばスタレビのファーストシングル『シュガーはお年頃』を購ったのは、社会人一年生の頃である。
 CDではなく、まだレコードだったと記憶している。
 歌ってくれる方々も、聴く狸も、あちこちガタがきて当然なのである。
 ボーさんの快癒を祈りつつ、狸が好きなスタレビ初期の曲を、紹介したいと思う。

     

          ◇          ◇

 今、社会人一年生、という言葉を打鍵して、こないだネットで拾った古い画像を思い出した。
 たしか猫村様がツイッターでリツイートしていた画像である。
 画像の雰囲気があまりに現実離れしていて、猫村様は当初AI生成かと思われたようだが、この新宿歌舞伎町は、狸が新宿サブナードで働いてた頃と、ほとんど変わっていない時代の写真なのである。
 著作権云々を気にかけつつ、どうで数人しか訪れないこの狸穴、こっそり縮小・引用させていただく。

     

 左に写っている名曲喫茶『王城』は、他の名曲喫茶ともども、休憩時間にしょっちゅう通っていた。ずいぶん贅沢なようだが、当時の歌舞伎町には、学食以下の出費で満腹できる定食屋が裏通りに残っていたので、他にもコーヒー代くらいは捻出できたのである。

 ちなみに右手の看板の中に見える『のぞき』は、当時流行り始めていた最安価風俗店『のぞき部屋』の一つで、実は狸も、夜に一度だけ覗いたことがある。
 その店は、たったの2500円ポッキリだけあって、ほんとうにただ覗けるだけの店だった。
 要するに、女性のベッドルームを模したちっぽけな円形(正確には十数角形くらい)の空間を、周囲にずらりと割り振られた半畳程度の個室から、十数人くらいの男が、マジックミラー越しに必死こいて覗くわけです。で、15分もすると一斉に追い出されて、次と交代するのね。ちなみにベッドの女性は、ブラまでしか脱いでくれなかった。スキャンティー姿のあられもないポーズを、全方向に見せてくれただけ。
 聞くところによれば、同じ『のぞき部屋』名義でも、高価格の過激な店では、けっこう手のこんだサービスをしていたらしい。

 ともあれ、ほどなく狸は北関東に転勤してしまい、後に歌舞伎町を徘徊したときには、懐かしき名曲喫茶はいかがわしいテレクラに鞍替えし、その向かいの妙な小部屋も、きれいさっぱり消滅していた。
 ことほどさように歌舞伎町界隈は、昔も今も、狸より頻繁に化け変わっているのである。


05月16日 火  転倒

 コケた。
 いつも通る駅周辺の歩道をいつものように歩いていたとき、いつものようにウスラボケっと歩いていたためか、なんてことはないちょっとした段差に片足を引っかけ、去年あたりならもう片足で簡単にふんばれたものを、今回はなんでだか反応が遅れ、もののみごとに前のめりにコケた。
 横を歩いていた同年配のおっさんが、マジ顔で「だいじょうぶ?」と手を差し伸べてくるほど、完全無欠な転倒であった。
 まあ、掌と膝に軽い内出血が残る程度のダメージで、すぐに自力で立ち上がれたのだが、正直、無理な体勢で力が加わったせいか、数時間後の今になって、体の節々が痛くなっている。

 数年前だったら、当たり前のように踏みとどまれたはずの段差つっかけで、この有り様である。
 生まれつきウスラボケっと歩いている狸だから、これは純粋に、加齢による反射神経の衰えである。
 そこで、羞恥心をごまかすため、力いっぱい、こんな歌を歌いたいと思う。

     

 しかし、思えばこの国では、ジコジコはいざしらず、ゲバゲバやストストは、ほとんど見られなくなってしまった。
 他国では、老いも若きも暴動じみた体制批判をカマしているというのに、そぞろサミしいかぎりである。
 それでも、元首相や首相に爆弾を投げつける若者などを、少数ながら見かけるようになった。
 彼らを擁護するがごとき発言をすると、たちまち「民主主義の否定だ!」などと罵倒されがちだが、もっともらしい顔をして、実は弱い者いじめに余念のない自称民主主義体制など、否定するのが当然である。
 家庭内DVや学校内のいじめなどが一向に減らないのも、畢竟、日本の政権与党自体が「強い者は弱い奴をいじめていいのだ」と、見本を示しているからに他ならない。
 正直、狸だって、爆弾かかえて痔民党本部に殴り込みたい。

 しかし今の狸では、殴り込む前に、なんてことはない道路の段差に足をひっかけ、転倒して自爆するのが関の山である。
 だからセコセコと、創作を続けている。
 なんのことはない、ただのウップン晴らしなのである。


05月09日 火  封印された記憶

 などとミステリアスなタイトルを打ったわりには、もーまるっきり、どうでもいいような話である。

 本日、日雇い先の梱包ラインで作業中、リズムをとるために、いつものようにとりとめもなく歌を口ずさんでいたのだが、童謡・唱歌の部にさしかかった際に、ふと『一かけ二かけて』を歌いはじめて、どうしても思い出せない歌詞に行き当たった。
 地方によって種々のバリエーションがあるようだが、狸が子供の頃は、こんな歌詞で歌いながら、姉や年上の従姉の、せっせっせの相手をしていた記憶がある。

   一かけ 二かけて 三かけて
   四かけて 五かけて 橋をかけ
   橋の欄干 腰をかけ
   はるか向こうを 眺めれば
   十七八の 姉さんが
   花と線香を 手に持って
   もしもし姉さん どこ行くの
   私は九州 鹿児島の――

 と、ここまでは、現在の萎縮した脳味噌からでも、するすると歌詞が出てくる。
 ただ、その続きが、どうしても出てこない。
 そのお姉さんが九州鹿児島出身だったことは思い出せるし、確か西郷隆盛関係の人だったような気もするのだが、メロディーに乗せた歌詞としては、どうしても先にすすめないのである。
 ああ、自分はマジにボケてしまったのだなあ、と、忸怩たる思いで、帰穴してからネット検索してみたら、続きもまた様々なバリエーションがあるようだが、故郷では、こう歌われていたのを思い出した。

  私は九州 鹿児島の 西郷隆盛娘です

 ……思い出した思い出した。
 せっせっせの相手にさせられていたのは、それこそ幼稚園の頃までなのだが、狸は子供心に、「さいごうたかもりむすめ」という日本語に納得できなかった。どう考えても「の」が足りない。西郷隆盛の娘、ならわかる。しかし西郷隆盛娘では、どう想像しても、寸足らずな着物姿のでっぷり太った犬好きのおじさんが実はおじさんではなくて若い女性であった、そんなドラァグ・クイーンっぽいビジュアルになってしまう。
 しかし姉や従姉たちは、あくまで「さいごうたかもりむすめ」と歌い続けている。その理由を問い質すと、メロディーの関係で「の」を入れる余裕がないから「さいごうたかもりむすめ」でいいのだ、そんな答えが返ってくる。
 しかし、それが狸にはどうしても納得できず、いつのまにか、そのわらべ唄の記憶自体を、途中で消してしまっていたらしいのである。

 地方によっては、やや早口にしてむりやりメロディーに乗せ、「さっいごーたかもりっのむすめですー」と収めるバージョンもあるようだ。逆に間延びさせて「さっいごおーさんのむっすめですー」もあるらしい。
 しかし、圧倒的多数なのは、やはり「西郷隆盛娘です」である。

 YOUTUBE界隈で「さいごうたかもりむすめです〜〜」を聞きながら、寸足らずな着物姿のでっぷり太った犬好きのドラァグ・クイーンを思い浮かべ、いやまあそれはそれでなかなかいいではないか、と頬笑んでしまう狸が、今、ここにいる。
 あれから数十年、狸もすっかり丸くなったものである。

     


05月01日 月  ひねもすのたり、うろうろ、ぽこぽこ

 GWだが、遠出する金がない。
 もとい、GW以外でも、連休(アブレともいいますね)が多すぎて金がない。
 陽があるうちは、いつもの徘徊コースでビタミンDの生成にいそしみ、夜は無料の録画物件をながめ、深夜はパソコンのキーを叩いている。

          ◇          ◇

 NHKのBSでやった新作『犬神家の一族』、ネット界隈でも話題になったように、なかなか新機軸の脚色で面白かった。
 すでにあっちこっちでネタバレしているので、狸も遠慮なく記してしまうが――実は犬神佐清が青沼静馬を操っていたのではないか、つまり佐清自身が連続殺人の真犯人ではないにせよ、自分が犬神家の全財産を手に入れるために影で暗躍していたのではないか――そんな新機軸の、ドンデンなシナリオなのである。
 もっとも、それが真実であるかないか曖昧なまま、今回のドラマはラストを迎えてしまう。

 まあ確かに、それを真実と断定するには、無理がありすぎるだろう。
 横溝正史先生の原作だと、次々と起きる偶然に対して、それに遭遇した各者が各様のとっちらかった対処を重ねる内に、たまたま犬神家の家宝『斧・琴・菊』(よき・こと・きく)に見立てた連続殺人が成立してしまう――そんな趣向である。それら偶然の陰で、常に佐清が暗躍していたと解釈するのは、あまりに不合理だ。それらの出来事はあくまで偶然の成り行きであって、佐清が意図的に起こしたわけではない。一度くらいなら「あ、こりゃラッキー! すっげー偶然! よし、この偶然を利用して俺の野望に繋げよう!」になったとしても、その後も二度三度と続く偶然を、事前に予測する術はないのである。それでも結果的に、すべての偶然を一本化して野望を達成できたとしたら、それはミステリーの真犯人ではなく、無責任シリーズの植木等さんくらいしか考えられない。
 今回のドラマの脚本家や演出家も、そこは承知の上のはずだ。それでも、あえて現代的な、先行き不透明な閉塞感――人の心の闇の深さを、匂わせたかったに違いない。

 ちなみに、今回の『犬神家』のキャストで最も際立っていたのは、ズバリ、松子夫人を演じた大竹しのぶさんである。
 天然系からドス黒い演技まで、なんでもこなせる実力派だとは知っていたが、ここまで底無しに、陰にこもれるとは思わなかった。
 ホラーが大好きな狸の場合、もし夜道で貞子さんや伽耶子さんに出会ったら、迷わずすりよって、握手とサインをねだるだろう。しかし、あの松子夫人が現れたら、全速力で逃げるしかない。

          ◇          ◇

 コロリと話は変わって――。
 ハル・ベリーさんの『キャットウーマン』(2004)を、初めて観た。
 もう20年近く前の映画だが、なぜか今まで観ずにいた。初公開された頃、巷で酷評が多かったからだろう。
 しかし――ほんと映画や小説って、他人の感想を真に受けてはいけませんね。ここまでブッ飛んだ、トンデモな、楽しい映画は久しぶりだった。
 あわててググってみたら、その年のゴールデン・ラズベリー賞を受けているらしい。
 そうと知っていたら、狸も迷わず早めに観ていたのになあ。
 駄作や迷演技を厳選して表彰するというふれこみのラジー賞だが、その受賞作は、なぜか五分五分で狸の好物である。アカデミー賞受賞作より、よほど当たりが多い勘定なのである。

 そもそも、猫と美女が融合している時点で、狸心の琴線を、ポロロロロンとかき鳴らさないはずがないのであった。