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08月29日 火  栄光のもうだめぽ

 気象予報士のおねいさんによると、九月に入っても、猛暑は順調に続くそうだ。

 狸穴近辺は、ここ二ヶ月以上、一日たりとも休まず、ずっと猛暑である。
 例年なら、八月も末になると、一日くらいは乾いた風が吹いて、勘違いした秋の虫の声が夜中に聞こえたりするものだが、今年は、どんなにおっちょこちょいな虫も、勘違いしてくれない。
 夜中であろうと明け方であろうと、秋の気配なんぞ皆無である。
 雨だろうと晴れだろうと、ずっと高温多湿のまんまなのである。

 ……よし、わかった。
 すなおに認めよう。
 夏よ、今年は君の勝ちだ。
 狸は、君に敗北した。

 どのみち、泣くぞ。

     


08月22日 火  シン・もうだめぽ

 ……連日、真っ昼間から湿度70パーを超えてくる。
 夜間は当然、限りなく100パーに近づく。
 息を吸うだけで、誤嚥性肺炎になりそうな気がする。
 大アマゾンの奥地に人知れず広がっているという、ガスマスクなしでは生きて帰れない、ムンムンムレムレの大瘴気地帯――そんな小栗虫太郎級の人外魔境が、今、日本にデリバリーされているのである。
 泣くぞ。

 こないだ故郷の山形で、女子中学生さんが熱中症で亡くなったと聞いて悲嘆にくれたが、今度は北海道で、女子小学生さんが亡くなったそうだ。
 いずれも部活や体育の授業後に倒れている。
 なんなんだ、それは。
 テレビでもラジオでも新聞でもネットでも、連日「暑くて死ぬから外で運動するな」と騒いでいるのに、教師も校長も、なぜそんな愚行を続ける。おまいらは白痴か。
 泣くぞ。

          ◇          ◇

 しかし、泣いてばかりもいられない。
 昨夜は全裸で扇風機の風を真っ正面にウケながら、それでも背中に滝の汗を流しながら、某所の怨霊物件を更新した。

 金がないので、エアコンは、寝る前に2時間だけ使い、部屋を冷やしてから寝ることにしている。
 テレビでもラジオでも新聞でもネットでも、連日「昼も夜もためらわずにエアコンを使いなさい」と騒いでいるのに、狸は金がないので使えない。
 でも、泣きません。
 女児と猫以外の生物は、別に死んでもかまわんのである。


08月15日 火  続・もうだめぽ

 天が狂ってしまったような暴風と豪雨に責め苛まれる西の方々の辛苦を思えば、東京湾岸で短時間のゲリラ豪雨にほんの数回見舞われただけの狸が弱音をはいてはいかんのだが、それでも、昼夜を問わずひたすら続く茹だった海綿のごとき極熱には、この先、勝てる気がしない。

 一昨日の夜、狸穴の居間の蛍光灯が切れ、昨日は「蛍光灯蛍光灯」と復唱しながら仕事に出たのだが、帰った時には、スイッチを入れても点かない照明をウスラボケっと見上げるばかりであった。
 今日はアブレ日で、やっぱり「蛍光灯蛍光灯」と復唱しながら買い物に出たのだが、ほんの三十分後に帰穴した時には、冷や奴や納豆の入った袋を手に下げながら、スイッチを入れても点かない照明をウスラボケっと見上げるばかりであった。

 ……もうだめぽ。

          ◇          ◇

 テレビでもラジオでも、さかんに終戦記念番組を流している。
 おおむね既知の情報ばかりだが、やはり心が痛む。
 ただ、そのほとんどが被害者視点なのは、やはりまずかろうと思う。
 いや、軍部のみならず、それに踊らされた国民や、それを煽ったマスコミ自身を反省する視点の番組も、ちゃんとあるのである。
 ただ、原爆や東京大空襲について何度も何度も語り継ごうとするなら、やっぱり南京事件や重慶爆撃も、しっかり語り継がないと間尺が合わない。
 「いや南京虐殺なんてなかった」とバックレたい気持ちもわかるが、犠牲者三十万人はなんぼなんでもあちらの盛りすぎにしろ、少なく見積もっても一万人以上は、民間人を犠牲にしているのである。
 重慶爆撃だって、軍需工場のみならず一般市街地まで、承知の上で焼き払ってしまったのである。「東京大空襲に比べれば、たった一割の犠牲者じゃないか」で済む話ではない。

 ちょっと誰の言葉だったか思い出せないのだが、大江健三郎さんが講演で引用していた、海外の識者の言葉がある。
 
――戦争に抗議しない人間は共謀者である――
 「いや、抗議したら憲兵に拷問されて、下手すりゃ殺されてしまう時代だったのだ」などと反論する向きもあろう。
 ならば、あなたが命惜しさに兵士として赴いた戦場で、現地の色っぽい人妻が「よくも旦那を殺したな!」とか、可憐な女学生が「お父さんの仇!」とか叫びながら、出刃包丁を握ってあなたに突進してきたら、どうするか。
 無論、あなたが実際に、旦那や父親を撃ち殺してしまったと仮定しての話だ。
 返り討ちにしますか? 刺されてあげますか?
 

          ◇          ◇

 日本映画専門チャンネルで、高校時代に劇場で観た東映映画『ああ決戦航空隊』を、実に半世紀ぶりに再観賞した。
 最初に観た時は、古い任侠映画と仁義なき戦いがいっしょになったような、よく言えば気骨のある、しかし甚だ傍迷惑な戦争映画だと思ったが、今になって観ても、やっぱり気骨のある、しかし甚だ傍迷惑な戦争映画なのであった。
 敵も味方もあんだけ死なせといて、当たり前のように負けた戦争の、張本人たちの話なのである。親分が切腹すりゃ済むって話でもないだろう。
 などと言いつつ、狸も情に流されやすい質だから、エンドマーク直前、鶴田浩二さんの壮絶な切腹シーンには、心をうたれてしまった。
 負けたとたんにトンズラこいた他のお歴々に比べれば、その気骨だけは、確かに立派なのである。

 ここでも何度か述べたように、狸は心情面では右翼、しかし理屈の上では左翼である。
 なんじゃそりゃ、と我ながらなんだかよくわからない立ち位置だが、狸の事ゆえ御勘弁。


08月08日 火  もうだめぽ

 とにもかくにも今夏の蒸し暑さは『極悪非道連続惨暑』とでも呼ぶしかなく、それに関して、ここに記すべき出来事や所感は多々あるのだが、今日のタイトルのように、いにしえの古語をもってつぶやくく気力しか、もはや狸には残っていない。

 あえて一件を選んでここに記すとすれば、6000円なにがしの日銭を稼ぐために、1080円ものタクシー代を自己負担したりした、きわめてアホな件だろうか。
 その件に関しては、送迎バスも路線バスもない14時開始19時終了のハンパ仕事を「最寄り駅から2キロくらい楽に歩けるだろう」と引き受けてしまった狸の浅慮も多少はあろうが、やはり責任の大半は、歩き始めて3分で「このままではとても生きて現場にたどりつけない」と確信できるほどの殺人的太陽光線、そして、その道の勾配までは表示してくれない地図アプリにあると狸は主張したい。

 ……もうだめぽ。

          ◇          ◇

 とはいえ、貧乏人ならではの夏らしい楽しみも、なかったわけではない。
 たとえば先日、近所のちっこい新古本屋の見切りDVD100円均一ワゴンで発掘した『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』(2002・アメリカ)は、B級ホラーながら、前世紀末の懐かしきロックシーンと、ハマープロなみの正調ゴシック・ロマン趣向が盛り合わせで楽しめる佳作(怪作?)であったとか、同じ店の100円均一コンビニ本ワゴンで、稲川淳二さん原作の怪談漫画集が3冊も入手できたとか、なんぼか夏の気力に繋がる出来事もあった。
 どれも古本市場やらブックオフでは、100円で並べるはずのない物件である。弱小チェーンの極小フランチャイズ店に、感謝するしかない。

          ◇          ◇

 あ、あと、夏には毎年起動する、例のエロゲを起動せねばなるまい。

     

 十数年も前のエロゲを、なんで毎年起動せねばならぬのか――。
 ズバリ、失われた若き日々への郷愁である。
 いや、狸の高校には女子がほとんどいなかったので、こんな思い出は皆無なんですけどね。

          ◇          ◇

 打鍵中の怨霊物件、なんとか「あとは次回のお楽しみ」と打鍵できそうなシーンに突入した。
 このままだと、さらに夏バテしそうな気もするので、己に活を入れるため、ぼちぼち更新し始めようと思う。


08月01日 火  八月の濡れた砂


     

 ……いや違う。八月の濡れた狸を見せたかったわけではない。

 例年に輪をかけて情け容赦ない、今年の日本の夏を生き残るには、やっぱりこの方のこの歌だろう、と思ったのである。

     

 ぐぞむじあづぐでぐぞむじあづぐで、あーもう今後の狸はいったいどーしていいやらこーしていいやらとか錯乱しながらのたうちまわる夏の夜も、この方の次の歌を聞いていれば、それなりに艶やかに、のたうちまわれる気もする。