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10月29日 日  生き残るのもなかなかキツい、今日この頃……

 もし、広大なツイッター、いやエックスあたりで、こんな本音を漏らしたら、それこそ炎上して狸の丸焼きにされてしまうかもしれないが、狸の浅はかな根性など、とっくにバレバレの方々がほんの数名しか訪れないこの狸穴では、あえて本音を記させていただく。

 ああ私の子供がイスラエルの爆撃で死んでしまった、と、カメラの前で泣き叫ぶガザの親御さんの、そのお子さん自身の死に対しては、狸だって断腸の思いにかられる。いつもの冗談ぶった女児限定ではなく、男児の死だって、実はどうにもやりきれない。
 ただ、泣き叫ぶ親御さんに対しては、その方々を含む大人の社会、つまり国家の中の民衆として、別の思いもある。

 ガザを実効支配するハマスだって、昨日今日に過激化したわけではない。
 長年にわたって、合法的な政治組織である表の顔と、非合法的な武装集団である裏の顔、その二本立てで活動してきたのであり、反対勢力の要人暗殺などお茶の子だし、イスラエルへのミサイル攻撃だって、せっせと実行している。当然、イスラエルの児童が巻き添えになった例も少なくない。
 今回勃発したイスラエル・パレスチナ戦争も、複雑怪奇で解決困難な歴史的背景がてんこもりであるにせよ、開戦の直接のきっかけは、やはりハマス側の殴り込みだ。
 激昂したイスラエルによる桁違いの反撃で、ああ私の子供が死んでしまった、と泣き叫ぶガザの親御さん個人が、こうした大局に関与できる立場でないことは重々承知しつつ、また親子で細々と日々を送るのがやっとの生活だったことにも心底同情しつつ、親である自分が、その亡くなったお子さんほど無辜でないことだけは、お子さんの冥福を祈るためにも、自覚するべきである。

 戦争に抗議しない者は、共謀者なのである。
 いや、この貧しい国で権力者に抗議したら自分も家族も生きていけないのだ――そんな国に生きねばならぬ親御さんであればこそ、自国の権力者と他国の権力者、どっちに自分の子供を殺されたいか、考えていただきたい。
 どっちもいやに決まってますよね。
 ならば、抗うしかないじゃないですか。
 まあ、どっちもいやだ、と言いながら、右往左往するしかない方々が大多数だろうが、結果的には、それだって共謀なのである。

 また、別の視点の話になるが――。
 個人の犯罪は別状、国家間の戦争において、犠牲者数の多寡で正邪を仕分けするのも論外である。
 以前にも記したが、東京空襲で10万の一般市民が犠牲になったことを嘆くなら、重慶空爆で他国の1万人の一般市民を犠牲にしたことも、同等に嘆かねばならない。
 犠牲者が10万と1万なら、前者の国家の悲しみのほうが10倍、後者の国家の悲しみは10分の1、よって後者の国が悪役――なんてことは絶対にない。
 親にとって、自分の子供は、自分の子供しかいないのである。

          ◇          ◇

 さて、また話は変わって――。

 国内でも、今週だけで、多くの方々の訃報に接した。狸より若い方々も少なくない。中には二十代の方までいる。痛ましいことである。

 BUCK−TICKのボーカル、櫻井敦司さんの突然死には、かなり驚いた。
 氏は以前にも血管系の病を患ったことがあるようだが、そのせいだろうか。

 狸は、爺い世代のご多分に漏れずギンギンのヘヴィメタが好きで、その次にはパンクだかなんだかよくわからない破天荒系のバンドが好きで、ビジュアル系の代表格であるBUCK−TICKは、実はあまり聴いてこなかった。
 ただ、BUCK−TICKがブレイクした時期、櫻井氏の出身地近辺に赴任していたせいもあり、隣のCDショップの女性店長に勧められて、メジャーデビューのCDを買いこんだりして、その後の創作物の中で、バンド名を使わせてもらったりした。
 ジャパンがつく前のXのメジャーデビューCDも、確か同じ時期に、同じ女性店長から買いこんだ記憶がある。

 また、狸の御贔屓である筋少のオーケンさんが、櫻井さんと同年齢だそうで、自分のラジオ番組に彼を招き、和やかにおしゃべりしていた事など、懐かしく思い出す。
 やはり狸の御贔屓である芸人のヒロシさんが、昔から櫻井さんを神と呼ぶほどの大ファンであり、最初に飼い始めた保護猫に、櫻井さんの許可を得た上でアツシと名付け、そのアツシ君がひとりで寂しいのではないかと思い、ふたりめの女の子を迎え入れ、そちらはサクラと名付けた――そんな話を、テレビの猫番組で聞いたことがある。
 櫻井さん御自身も、大の猫好きだったらしい。

 ロック・ミュージシャンという仕事はなかなかハードだから、まだ五十代でも、ステージで倒れて病院に担ぎ込まれた例は少なくない。
 しかし、その日の内に逝ってしまった話は、めったに聞かない。
 事実上、ファンの前で歌いながら旅立ったようなものだが、シンガーの本望というには、やはり早すぎる。


10月23日 月  もうだめぽリターンズ

 先週、十月も下旬だと言うのに、最高気温で夏日を二度ほどカマされ、そんな日に限ってしっかり仕事にありつき、昼間は汗でびっしょり濡れそぼり、しかし帰る頃には晩秋の空気に入れ替わっているという、「だからお前はいったい俺にどーしろとゆーのだ、殺す気か」と天に向かって絶叫したいような思いをしている内に、金曜日にはとうとう発熱した。
 新型コロナでもインフルでもなく、久しぶりの扁桃腺炎であった。

 しかし、ありがたい事に、まだ元気だった青年期や壮年期には、扁桃腺炎も果てしなく元気に腫れ上がって、中耳炎まで発症したりしていたのが、近頃は、抗生剤を二日も飲むと快癒してしまう。

 聞けば、癌なども、老化すると進行が遅くなるらしいが、同じような理屈なのだろうか。
 癌細胞と細菌の増殖は、まったく別口の気もするが、なんにせよ、ありがたいことである。


10月15日 日  神の言葉を自分が信じたいように解釈すればオールOK

 とまあ、マジにそんなノリで、平気で他人を殺したり、略奪したりする人間が多いのは、皆様ご存知の通り。

 この世に唯一神などという概念がある限り、世界平和なんぞ、永遠に訪れるはずがない。
 とりあえず、いわゆるアブラハムの三宗教をなんとかするのが、世界平和への道だろう。

 神がいなけりゃ、異教徒も悪魔もいない。
 まあ、ただの人間にだって善人もいれば悪人もいるわけだが、少なくとも狸が見るかぎり、テキトーに生きたい、フツーに生きたいと願っている人間が一番多い。

 全人類がお釈迦様の教えを重んじれば、なんぼかマシになるだろうが、それも上座部仏教でなければ、根本的には意味がないように思える。
 大乗仏教の各宗派も、それぞれ捨てた物ではないのだが、やはり時と場合によって、宗派違いの連中が殴り合ったり、場合によっては殺し合ったりする。

 お釈迦様の教えそのものは、本当にシンプルで、ありがたい。
 利他的に生きて死んで消えろ――。 
 端的に言えば、以上、それだけなのである。

 利己的なウスラバカに殺されそうになったら、死ねばいいだけの話である。
 そんなん、こっちが損するだけじゃん、と思う方も多かろうが、大丈夫ですよ。
 たいがいの人間は、テキトーに、フツーに生きたいと思ってますから。
 テキトーでフツーな人間は、めったに殺したり盗んだりしません。
 たいがいの人間は、もともと半分は仏なのです。

 ……などと言いつつ、狸は人間でも仏でもないので、ウスラバカな人間に狸汁にされそうになったら、泣いて許しを乞いますけどね。
 そりゃもう、涙と涎を垂れ流しながら、許しを乞うでしょう。
 でもまあ、餓えた女児や猫に食べられるならオールOK、望むところである。 

         ◇          ◇

 ところで、狸がアブラハムの三宗教に疑義を抱くのは、狸なりの筋道がある。

 善良で穏健で、平和主義的なキリスト教徒の方々や、ユダヤ教徒の方々や、イスラム教徒の方々が著した、神の教えを説く書物を読むと、唯一神が間違いなくこの世に存在する理由が、結局は「それが一番正しくて美しいから」に帰結してしまうのですよ。
 いやマジで、そうなっているのです。

 狸は、けしてひろゆきさんではないが、「それって、あなたの感想ですよね」と、つぶやくしかない。

 正邪も美醜も、真理とは無関係である。
 まして世界平和とは縁遠い。


10月08日 日  秋は蚊の季節

 昨日あたりから、秋を省略していきなり初冬になったような、北方亜種の狸にはありがたい気候が続いている。

 しかし、そうなる前の、いかにも秋らしい気温の日、たまたま仕事にありついたら、現場でなんじゃやら蚊に刺されまくった。
 ただの蚊に加え、かなり強烈なヤブ蚊にも、あちこち刺されたようだ。
 江戸川の河口に近い、湿気の多い現場だったので、そのせいかとは思ったが、それにしても今年は猛暑の渦中でさえ、ここまで刺されまくったことがなかった。

 せっかく秋になったのにこれかよと、風呂上がり、ムヒを塗りながら嘆いていたら、今日の新聞に、まさにその種明かしの記事が載っていた。
 蚊という奴も、夏バテするらしいのである。
 一定以上の猛暑になると、どこか物陰で、ぐったりしているのだそうだ。
 で、猛暑が緩むと、がまんしていた産卵期に、あわてて突入する。
 それで栄養が必要になり、女性軍一同、せっせと吸血に励む。

 思えば人間も、そのケはありそうな気がする。
 世の御夫婦におかれましては、ぐったりしていた旦那もいきなり発情して奥方に挑み、せっせと少子化問題に取り組んでいただきたいものである。
 ……でも、こう物価が上がると、妊娠した奥方の栄養補給が困難で、やっぱり子作りは難儀かもしれんなあ。

 今年の冬は暖冬になる――そんな不吉なことを、気象予報士のおねいさんやおにいさんが口にしていた。
 狸としては、是が非でも、厳冬を望みたい。
 けして自分の快適さを求めているわけではない。
 灯油代や電気代がこのまま嵩み続けると、世の御夫婦も人肌であったまるしかなくなり、うっかり子供を量産してくれそうな気がするからだ。

 ……でも、このまんま痔民の政権が続く限り、やっぱり日本人は、絶滅に向かって邁進するんだろうなあ。
 貧乏人も中流層も減り続け、当然ながら、金持ちだって搾取対象がなくなり、そのうち金が尽きる。
 マジに円安をなんとかして外国人労働者を増やさんと、票田どころか、痔民のなかよしさんも消えてしまう。
 ま、それでもかまわんのでしょうね。痔民の仲間さえ、最後まで生き残れば。

          ◇          ◇

 ところで、秋冬の下着、とくにシャツを用意しながら思ったのだが、中年時代までは、薄手の夏物と厚手の冬用よりも、中っくらいの秋春用が、圧倒的に多かった。
 しかし今では、夏用の薄手が最も多く、次が冬物、中間用は冬物の半分以下である。

 狸の体質の変化もあろうが、やはり、日本の四季のバランスが、根本的に変わってしまったのだろうなあ。


10月01日 日  シン・秋立ちぬ

 気象予報士のおねいさんやおにいさんに繰り返し裏切られながらも、さすがに10月の声を聞くと、ようやく夏が過ぎてくれたらしく思われる。

 それでも、いったん茹で上がってしまった狸の脳味噌は、なかなか白濁状態から抜け出せず、3日前など、キャッシュ用の財布を銀行のATMの前に置き忘れ、30分後に気づいて駆け戻った時には、きれいさっぱり蒸発していた。
 銀行の窓口にも届いていないそうだから、やはり残暑の温気に融解し、雲になってしまったのだろう。

 しかし、さほどの痛痒は感じていない。
 近頃の狸の財布には、現金など3〜4千円しか入っていないし、キャッシュカードやデビットカードは、別の長財布に収めてある。
 現金といっしょの財布に入れておいた各種ポイントカードの類も、ほとんどスマホ内に同内容のデータが残っている。
 つまり、実質、4千円弱の損害でしかない。
 それだけのために、銀行にATMの録画を全部チェックしてくれと頼むのも気がひけるし、そもそも間違いなくATMに置き忘れたのか、100パーセント確信できるわけでもない。

          ◇          ◇

 まあ、4千円弱とて、極貧の狸には結構な痛手なわけだが、口座にはまだ1万なにがしの残高があるし、今月は曜日の関係で13日に年金が入るし、その間、全く仕事がないわけでもないだろう。運が良ければ、とっぱらいの現場だってあるかもしれない。

 でもねえ。
 わずか4千円弱の金に目が眩んで、他人の財布を着服する奴がいると思えば、やはり若干の鬱を覚える。
 そいつが丸っきりのウスラバカならば、ポイントカードの僅かなポイントまで使おうとして足が着いたりする可能性もあるわけだが、いまだにその気配がないとすれば、現金だけ抜いて、残りはゴミ箱にポイ――それが現実だろう。

          ◇          ◇

 思えば、いままでの狸生で、財布を紛失した経験は何度かある。
 ウン十年前の、なんぼか羽振りのいい頃でもせいぜい2〜3万、たいがいは数千円以下の小銭入れだった。
 で、後日見つかったのは、ただ一度だけ。ズバリ、群馬の藤岡市のみ。
 それ以外、手元に戻ったことは一度もない。

 日本はスゴい国だ。高額な落とし物が、ちゃんと戻ってくる――。
 そんな書き込みを、クールジャパン系の記事や動画でよく見かけるが、それはたまたま外国人の所有物と判る状態だったか、一般人には換金法がピンとこない物件だったか、そんなところだろうと思う。
 たとえば高級そうな一眼デジカメや、新型アイフォンなんぞ拾っても、それを足が着かずに換金する手段は、確かに、この国には多くない。

          ◇          ◇

 群馬の藤岡は、今も、あの頃のように穏やかな町だろうか。
 十何年前に、懐かしさのあまり再訪したことがあったが、鄙びた木造駅舎なんぞは、もう小綺麗な地方駅に改築されていた。
 しかし、土地の気風や人心そのものは、いつまでも変わってほしくないものである。