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12月31日 日  陽はまた昇る

 年越し蕎麦も、無事に食った。
 クリスマスには、メガドンキの大海老フライも食った。中の海老は、生前ずいぶん苦労したらしく極めて痩せ細っていたが、体長はそこそこあったから、確かに『大海老』で嘘はない。
 明日の雑煮の食材も揃った。おせち料理は懐事情によって田作りと昆布巻きと伊達巻きだけになったが、栄養的には問題ない。

 もう、思い残すことは何もない。
 しのう。
 士農工商犬狸。

 ともあれ、明日は去年と同じパターンで、初日の出を拝んでから、寝倒したいと思う。

          ◇          ◇

『年忘れにっぽんの歌』も観た。
 梶光夫さんが、去年とまったく変わっていなかった。不老不死の術でも会得したのだろうか。
 なんであれ、あと百年くらいは、矍鑠と『青春の城下町』を歌い続けてほしいものである。

『紅白』の録画も観始めたのだが、ややメマイを覚えた。
 同級生がほとんど死に絶えた昔の卒業校に、間違って再登校してしまったボケ老人――そんなメマイである。
 少子高齢化が問題になっているわりに、再登校した現在の学校の生徒数は何十倍にも増えており、教室に入りきれなくて、みんな校庭で踊りまくっている。
 小一時間ほどで、メマイがひどくなって早退してしまったが、数少ない生き残りの同級生も混ざっていたような気がするので、明日、また登校するつもりのボケ老人なのであった。

『科捜研の女』の、古い時代の2作も観た。
 十何年前の放送回の再放送で、沢口さんのホクロが推定最大化していた頃の撮影分と思われるが、前言撤回、見慣れてみれば、美女は鼻の下に何が付着していようが、やっぱり美女なのであった。

          ◇          ◇

 怨霊物件、昨秋の更新以降、百枚ほどは増えているのだが、ひとつの章にまとまるのは、当分先になりそうだ。
 でもやっぱり、次の山場までは、一度に更新したい。
 狸にとっての自己承認欲求は、文字どおり、自分に承認されたいのである。
 ぶっちゃけ、ただの自己満足なのである。

 ところで、すらかき氏の万葉物件を、ちまちまと読ませていただいている。
 これが、まるで高校時代に古文の授業を受けていた頃のような、マジな万葉語を読んでいる気分になれる。
 もう半世紀も前に受けた授業なので、当然ながらずいぶん忘れてしまっており、一つの短歌の読解に、三十分以上かかったりもする。
 ただ、高校時代、数学が5段階評価で2だった頃も現国と古文と漢文は5を死守していたわけだし、大学では秋成をやったし、趣味的には、高校以来の鏡花大好き人間である。
 だから、すらかき氏の上代語による短歌も、幸い半分くらいはすんなりリアルタイムに同調できて、えもいわれぬ情緒を味わえる。
 そこいらが、いかにもブンガク青年の昔に戻れたようで、とても楽しい。

 しかし、あの方、正体はいったいなんなのだ。
 ツイッターやブログを見ても、また随想に類する作品を読んでも、愛妻家で料理好きで、眼鏡をかけた中年男性――そこまでしか判らない。
 プロの研究者だろうとは思うが、いわゆる高等遊民だったりしたら、それこそ鏡花の物語の中に放りこんであげたい。
 川端康成あたりの物語にも、マッチしそうですね。


12月29日 金  信じる者は巣くわれる

 近頃、『科捜研の女』にハマっている。
 ずいぶん昔から人気が続いているシリーズで、昔、狸に定職があった時代、職場の人間やお客さんの話題についていくため、何度か観たことはあった。

 狸は元来、ミステリーというジャンルに、格別の愛着はない。
 好きな雰囲気の作品を書いてくれる作家が、たまたまミステリー主体の人だったとか、探偵役のキャラがツボにはまったとか、そんなレベルでミステリーを読んだり観たりしているだけで、ジャンルとしてのミステリーにこだわっているわけではない。
 今現在、ミステリー・ドラマで必ず観るのは、フランスの『アストリッドとラファエル』シリーズくらいである。

 だから、昔『科捜研の女』を観た時は、「沢口靖子さんは、ずいぶんお年を召したなあ。市川崑監督の『竹取物語』に出た頃の、人間離れした可憐さや美しさは失われてしまったなあ」、そんな失礼な感慨を覚え、ずっと見続けることはなかった。
 まあ、その頃の狸が社畜すぎて、読書とレンタルビデオの映画を観るくらいしか、暇がなかったためでもあるが。

 それが、なんで今さら『科捜研の女』にハマっているのか。
 実は、自作の怨霊物件に登場するオコジョ由来の式神が、『科捜研の女』のファンなのである。なんでそうなのかは作者の狸もよくわからないが、とにかくファンらしいのである。
 自分の脳内キャラがそう言っているのだから、作者としても、また観ておかなければ――とゆーことで、たまたまケーブルTVでやっていた、最新作らしい劇場版とやらを、録画して観賞したところ――。
 もう五十代も後半にさしかかった沢口靖子さんが、二十何年昔より、なんでだか好ましいのであった。

 そりゃ狸だってガンガン年を取っているのだし、生まれつきロリしか愛でられない嗜癖でもないし、元々熟女だって嫌いではなかったわけだし、なんなら美老婆だってOKである。
 と、ゆーわけで、しょっちゅう再放送されている新旧の『科捜研の女』を、無作為抽出的に録画して、せっせと観続けているのだが、その内、ある疑問がわき上がった。

 沢口靖子さんの鼻の下のホクロは、いつ消えたのか――。

 デビューした頃から、同じ場所に、気にならない程度のホクロがあるにはあった。メイクすれば、ほとんど目だたない小さなホクロだった。
 しかし『科捜研の女』の時代には、そのホクロがかなり大きくなってしまい、正直、美顔の邪魔になっている。下品な例えで恐縮だが、いわゆる鼻くそに見えなくもない。
 それが、比較的新しい作品では、綺麗に消えているのである。

 狸が不思議に思ったのは、消えたこと自体ではない。
 ホクロの除去なんて、いつでも簡単にできるのに、わざわざ中年になるまでなぜとらなかったか、である。

 で、ネット界隈を検索してみたら――。
 どうやら沢口靖子さんは『真如苑』の信者であり、あそこの自称霊能者の御託宣に、種々の生活設計を委ねているらしい。

 感性勝負の芸能人には、他にも新興宗教にハマっている方が多いと聞く。
 ハマりすぎて人生を狂わせたり、周囲に迷惑を振りまいたりしない限り、あくまで個人の自由である。
 しかし、明らかに芸能活動には芳しくない部分の大きなホクロを、「いや、それは今は取るべきではない」とか「何十歳になったら取りなさい」とか、テキトーこきまくる自称霊能者に騙されて温存し、せっせとギャラを貢いでいたとしたら、やはり気の毒な気がする。

 まあ、狸と違って経済的な不自由がまったくない方にとっては、確かに『信じる者は救われる』のかもしれないが、世の中には『信じる者は巣くわれる』タイプの方も多く、しまいにゃ『信じない者』の大量殺戮に走ってしまうようなウスラバカも、世界的に多数存在する。
 何事も、ほどほどにしとくのが吉である。

 かく言う狸も、創作物の中では、霊能者だの式神だの生ける屍だのを大暴れさせているわけだが、あくまで絵空事を楽しんでいるだけ――と言うより、現実のメタファーとして描いているのである。
 神も仏も悪魔も餓鬼も、ただ生者の心ひとつであり、天国も地獄も、生者の世界のメタファーなのである。

 そして全宇宙は、言うまでもなく、色即是空、空即是色。
 転々するもの全ては空――。

          ◇          ◇

 などと、いかにも悟ったようなことを述べつつ、本日姉から届いた歳末支援物資に、ああこれで蕎麦にも餅にも不自由せずに年を越せると、ありがたく手を合わせる狸がいる。

 いいじゃないの、シヤワセならば。
 今さら見栄を張っても仕方ないし。

 畢竟、宗教も、飢える者にとっての、蕎麦や餅にすぎないのだろう。
 飢えるのは腹ばかりではない。心だって飢える。
 でも、スピリチュアルをネタにして、やくたいもない疑似餌を万金で売りまくる連中は、除夜の鐘に縛りつけて、力任せに撞木で打ってやりたい気がする。
 108回も打てば、清らかに成仏してくれるだろう。


12月22日 金  雑想

 指があっちこっちひび割れて掌がガサガサになったり、足の脛に貨幣状湿疹ができまくったり、ニベアやオロナインを塗りまくる真冬が、ようやく到来した。
 どっちも狸にとっては、いつもなら師走に入るか入らないかの頃には出はじめる症状、いわば冬のロジ作業名物なのだが、今年は、もう歳末間近になってやっと、である。
 だから、実は内心、安堵してもいる。
 今年の冬が中止にならなくて、よかったよかった。

 しかし気象予報士のおねいさんやおにいさんは、年末年始は例年にない温かさになりそうだ、などと不吉な予言を口にしている。
 凍えるような大気の中、モコモコに着膨れて初徘徊や初詣に出かけるのが狸の恒例なのに、困ったものである。
 日本海側の大雪や寒波を、少しは狸穴界隈にも、分けてほしいものである。

          ◇          ◇

 しかし、人間って、なんでこうも殺し合いが好きなんでしょうね。
 国連あたりには、そうでもない方々がけっこう集まっているようなのに、声のでかい国に限って「いやいや殺し合いを続けよう!」と明言する。
 日本代表のヒトは、さほど声はでかくないようだが、肝腎の国内では、すべての政治的気力を失った総理さえ、武器を買ったり売ったりするのは、迷わず即決する。

 いっそ、核ミサイルでも作っちゃいましょうよ、キシダ君。
 なんなら友好国に売ってもいい。
 対外的にミエをはるくらいしか、もう道が残っておりません。

 核兵器はいいぞ。
 イスラエルもロシアも中国もアメリカも、アレがあるからこそ、強気で他国に突進できる。
 作るぞ作るぞと主張するだけで、貧困国の金さんなんぞも、いっぱしの独裁者扱いしてもらえる。

 馬鹿につける薬はないが、馬鹿を作る薬はある。
 シャブとか、核爆弾とか。

          ◇          ◇

 ……いかんなあ。
 クリスマスが目前なんだから、敬虔な気持ちを保持せねば。

     


12月15日 金  冬歌

 師走らしくそれなりにパタパタしており、日々、思うところも多々多々多っとあるわけであるが、例によってウインドウズ・アップデートがOSをまともに動かしてくれないので、狸にとっての代表的な冬歌を、ひとつ。

     

 昔も今も大好きな歌だし、出たときはけっこう流行ったはずなんだが、ラジオの冬歌特集とかでは、ほとんど流れないんだよなあ。


12月08日 金  師走の狸

 予想どおり、今月は仕事に困らない。
 昼勤や夜勤をとっかえひっかえ、一日おき程度ながら、蓄財に励んでいる。まあ蓄財と言っても、余裕を持って正月を迎える程度の、貧乏人らしい目標なのだが。
 それでも今月の年金は手つかずで来年に回せそうなので、正月明けにぱったりと仕事が途絶えていきなり極貧、といった事態は避けられそうだ。

          ◇          ◇

 よせばいいのに、せっせと見続けていた海外のニュースを、近頃は録画していない。
 皆様ご存知だろうが、近頃はあっちこっち、大規模な殺し合いのニュースばかりだ。
 イスラエルは、ハマスを殲滅するまでガザ地区の一般市民は障害物扱いするつもりらしいし、ハマスはハマスで、本気で一般市民を自分らの盾としか考えていない。

 ことほどさように、唯一神は多重人格、いや多重神格である。
 まあ、天地創造以来、ずっと分裂症がこじれるばかりなんですけどね。ビョーキなんだから仕方がない。
 そろそろ八百万の神々や大自然の精霊たちが、よってたかって唯一神を長期休暇に送り出してあげたほうが、唯一神自身や教徒のためだと思うが、どうか。

          ◇          ◇

 その点、国内のニュースは、ユルくていい。
 昨日今日の国会など、この国は、こんな頭のユルい方々が総理や官房長官をやっていても滅びないほど底力のある国なのだと、狸の頬もユルみがちである。
 内心で、脱税議員なんぞ全員今氏ね今夜氏ね、などと思っていることは、あくまでナイショである。

 しかし近頃のキシダ君は、マジで「いやわたくし、もう何ひとつ深く考えるのをあきらめました。考えるフリをするのもあきらめました」、そんな本音が顔に出ている。
 そろそろ強制的にでも長期休暇をあげたほうが、キシダ君自身や国民のためだと思うが、どうか。

          ◇          ◇

 心頭滅却のために、またぞろ古いアニメの『びんちょうタン』を、観かえしたりしている。

     

 これほどの珠玉作が、なぜ繰り返し放映されないのか。
 きっと、この国の人々は、自分で言うほど平和なんぞ望んでいないのだろう。

 全人類、またしかり。


12月01日 金  冬の狸

 先月の頭は真夏だった気がするのに、ここんとこ、ようやく冬が訪れた。
 北方亜種の小動物としては、一安心である。

 おまけに師走だけは、日雇いの口が切れない。
 現場は寒いが、懐はなんぼか暖まる。
 クリスマスにロブスターを食うのは無理かもしれないが、大きめの海老フライくらいは食えるだろう。

 他国では、戦火の中で凍えるような思いをしていらっしゃる方も多かろうに、そんなバチあたりな贅沢ができるのは、豊かな国に生まれたからこそである。
 よって、痔民政権に感謝こそすれ、非難したりするいわれは、全くない。

 ……いわれはないのに、目の前にキシダ君の笑顔なんぞ現れたら、鼻先に齧りついてやりたい今日この頃ではある。
 お願いですから消費税、ちょっとはマケてくださいよ。
 非正規労働者も生活保護世帯も、アレだけは地獄の餓鬼のように、すべての出費にへばりついてくるのだ。

 などとボヤいても、金輪際マケてくれないらしいので、狸なんか、もう楽しく歌って踊ります。