[戻る]


01月30日 火  おまいら、もちつけ

 寛容や非寛容といった概念が、そもそもいかなる基準に拠っているか、そこいらに、近頃のネット界隈のギスギス感の根源がある。
 その概念すら、本来の字義を離れて『俺様』を基準に据えさせてしまう要素が、今世紀に入ってからのネット環境には、確かにある。

 人間全体のコミュニケーションが、今ほど発作的な衝動に覆われていない時代、なぜか大してヒットしなかったこのミュージカル映画が、狸には、高校時代にロードショー公開されて以来、目と耳と心に、忘れがたく染みついている。

     

 そう、世界は丸い。
 ただそれだけのことなのだ。
 狸も、すべての人類も、誰ひとり、世界の中心にはいない。


01月23日 火  おっとっと

 おっとっと、もう火曜日か。

 週に一度はここを更新しようと思っているのだが、現実世界に関して何か述べようとすると、愚痴や嘆息しか出てこないので、こんな所をわざわざ訪ねてくださる皆様に、不快な思いをさせたくない。
 テレビやラジオでは、たまに心を弾ませてくれる話もあるのだが、その弾みを視聴後も長持ちさせてくれる話は、なかなかない。

 そんな中、カクヨムやステキブンゲイで、同調できる方々の紡ぐ文章を追い続けるのは、数少ない和みの時となる。
 何より、自分が物語を紡ぎ続けるモチベーションになるのが、ありがたい。

 初めは過去作の検閲分割投稿にすぎなかった猫耳物件も、このところは結構手を入れ、キャラと自分の交歓が増えている。
 怨霊物件は、打鍵と推敲の繰り返しでなかなか先に進まないが、自分とキャラや物語の交歓は絶えていない。
 結句、自分以外の皆様が紡ぐ様々な世界との交歓がなければ、自分の紡ぐ世界との交歓も、狸には困難なのだ。

 そんな感覚が、高校時代の文芸部部室に戻ったようで、しみじみ懐かしい。


01月15日 月  どうか神さま仏さま

 能登半島の地震被害がどれだけのものか、まだまだ見当もつかないようだ。
 目で見える地盤自体があれだけ広範囲に激変してしまうと、被害映像もあまりに生々しく、阪神淡路や東日本や熊本の時の衝撃とは、また違った戦慄が、狸の中でも長く尾を引きそうな気がする。いわゆる災害関連死が、かつてなく尾を引きそうな現状も恐い。

 神も仏もないものか――。

 こうした大災害や戦乱の報に触れると、つい嘆いてしまう言葉だが、そうした存在が単に現世のメタファーに過ぎないと心得たはずの狸でさえ、やっぱりついつい、そう嘆いてしまう。

 そう嘆いてしまうからには、どんなに生活がアレであっても、仏陀の哲学に1ミクロンでも近づくため、現世に対するせめてもの喜捨は、死ぬまで続けたいものである。

 などと言いつつ、その対象は相変わらず、能登の方々ともガザの一般市民とも直接関係しない、発展途上国の女児のみなのであるが、狸ほど嗜癖がアレでない方々は、どうか、できるだけあっちこっちに喜捨していただきたいものである。

          ◇          ◇

 テレビ東京の午後のロードショーで、とても妙ちくりんな、しかし志はきわめて高いB級映画を観た。
 タイトルは『レギオン』。ちょっと前の、こんなアメリカ映画である。

 砂漠の真ん中の薄汚れたダイナーで、大天使ミカエルとガブリエルが審判の日を巡ってタイマンを張るという、正気の沙汰ではないアクション・ホラーだが、テーマはズバリ、利他主義なのである。
 B級映画にしろC級映画にしろ、キリスト教ベースにしろ仏教ベースにしろ、人類全体が延命するためには、それしかないだろう。

 ちょっと『ターミネーター』のパクリっぽい感じもあるが、ある意味、志だけはより高い快作であった。

     


01月08日 月  なかなか陽が昇らない気がしても

 まあ、待ってみようじゃないですか。
 金もなければ力もない我が身、おまけに盗みや暴力に走る度胸もない我が身、何をどう疎んでもしかたがない。
 我が身も他が身も、平らかで和める朝を夢むのみ。

     


01月01日 月  どのみち陽は昇る

 予定どおり、去年と同じ高台で待っていたら、初日が出た。
 予定どおり、江戸川の土手を徘徊したら、富士山の横に夕陽が落ちた。

 しかし江戸川の土手から下りたあたりで、能登の大地震の報に接した。
 土手の上では、僅かな揺れすら感じなかったのだが。

 震度7などというレベルで何分も揺さぶられたら、人も狸も対処のしようがない。
 家ごとつぶれたら、家具を固定していても意味がない。

 実際に多数の家屋がつぶれ、道が崩れ、ビルが根元から倒壊したとの報道に、夜になってから接した。
 被災の全体像が判明するのは、まだ先のことだろう。

 それでも、陽はまた昇る。
 めでたかろうが絶望しようが、冬の極北以外、朝になれば自動的に明るくなる。

 人の世だけが、明けない法はない。
 それでも明けない気がするのは、きっと気のせいだ。

 沈んだ陽は、どのみち、また昇る。