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04月29日 月  つぶやく

 ついに1ドル160円に到達、とのニュースを見ながら、早く1ドル180円にならないかなあ、と期待している狸が一匹。
 小学生の頃、学習雑誌のなぞなぞコーナーにあった「自動車のハンドルはいくらですか」「180円」、そんな懐かしい時代に戻れそうな気がする。
 まあ、それでもまだハンドルの半分しか、買えないわけだが。

          ◇          ◇

 録画しておいた日中合作映画、『空海 美しき王妃の謎』を観た。
 空海が渡った頃の長安が、夜でもあっちこっちきんきらきんで、いったいどこに発電所があるのか、小一時間ほど問い詰めたくなった。
 まあ、ファンタジー映画に、そこまでツッコむのもヤボなんですけどね。
 ちなみに映画全体は、なかなかの化け猫映画でした。

         ◇          ◇

 保守王国の島根で選挙応援するキシダ君の演説を聞きながら、「うわあ、キシダ君、もはやアルツの末期」と驚愕したが、ネット界隈では「とうとう夢の世界に入ってしまった」などと評されており、ネット民もずいぶん優しくなったもんだなあ、とホッコリする。
 ちなみに、キシダ君に応援された立候補者は、落選してしまったようだ。
 地元の根強い痔民党支持者の方々も、さすがにアルツ末期の演説には、困ってしまったのだろう。

          ◇          ◇

 あいかわらず、世界のあっちこっちで、狂った国家元首が人を殺しまくっているが、反対してデモに走る少数の国民がいる一方、あいかわらず大多数の国民は、いっしょに狂っているらしい。
 当人たちは、楽しいファンタジーの世界で遊んでいるのだろうが、その世界観設定のどこがそんなに楽しいのか、小一時間ほど問い詰めてみたい。


04月22日 月  狸の朝帰り

 朝帰り、などと言っても、外で飲み明かすような余裕は一銭もなく、ウッフン方向の余力も枯れ果てて久しい狸のこと、単に夜勤仕事にありついて、夜が明けてから帰穴しただけの話である。

 その時間にNHKラジオを聴きながら飯の支度をしていると、ふだん聴かないような歌が、けっこう流れてくる。
 たとえば、こんなの。

     

「♪ マジンガ〜〜〜ゼエエエ〜〜ット!! ♪」のアニキが、昔、『おかああさんといっしょ』に関わっていたことは知っていたが、こんな歌は一度も聴いたことがなかった。
 とにかくこの動物園では、徹底的にタヌキが看板なのである。
 ライオンなんぞは、末席にすぎないのである。
 世界中の動物園がこんな有様であったら、人間社会も、なんぼか平和になってくれそうな気がする。

          ◇          ◇

 しかし、その一方――。

 朝飯の後、風呂に入りながらラジオを聴き続けていると、国会中継でツッコまれる側のキシダ君やら、こども家庭庁関係の内閣府特命担当大臣らしいどこぞのお嬢ちゃんが、各野党から、いかなる形でいかなる問題を突きつけられても、手持ちの紙に書いてある同じ答弁をただひたすら読み上げ続けており、おまけに個々の質問とはまったくかみ合わない同じ答弁の紙を、ただひたすらグダグダと繰り返し読み上げたりもしており、「ああ、今の痔民党には、もはや狸も狐もいなくなってしまったのだなあ」と、そぞろサミしい気持ちになる。

 でもまあ、こども家庭庁関係のトップらしいお嬢ちゃんは、どうやら山形のええとこのお嬢ちゃんで、おじいちゃんもおとうさんもエラい政治家らしいが、そうした家庭環境はもーまったくちょっとこっちに置いといて、とにかく声が、とてもかわいい。
 声がかわいいだけで、荒々しくツッコんでいる野党から、守ってあげたくなったりもする。
 キシダ君も、せめてもうちょっと声がかわいかったら、同じ朗読の繰り返しでも、支持率がアップするのにね。

          ◇          ◇

 そういえば、こないだ朝帰りに聴いた歌に、こんな歌があった。

     

 けっこう人気のあるお嬢ちゃんがたの歌らしいが、その後、若い衆の投票率が増えたとかいう話は、ちっとも聞きませんね。


04月15日 月  なんかいろいろ

 先週は、ウインドウズのアップデートで一日置きに再起動を促されたり、いっぺん再起動して個人的設定を色々整えたらまたすぐに再起動を促されたり、今日も今日とて朝っぱらからまたまたアップデートさせられたり、ひたすらマイクロソフトにでんぐりがえされ続ける一週間であった。
 同じ状況が、一般世間でも続いているとすれば、あちこちで暴動が起きてもおかしくない大災害級の事態だと思うが、あくまで狸穴における前時代的ハード環境特有の事態なのか、世界各地でオフィスビルの窓からパソコンが投擲されまくった事例などは、見かけられないようだ。
 あるいは、世界各地で大規模なドツキ合いや虐殺行為が絶えないため、一般市民には、OSごときで腹を立てる精神的余力がないのかもしれない。

          ◇          ◇

 そんなこんなの中、ささくれがちな精神を治めるため、こないだの土曜日、貧しい狸も人並みに花見に出た。
 毎年毎年、近所の真間川で済ませるのもアレな気がして、なんぼか電車賃を費やしてとりあえず船堀タワーによじ登ったら、新川の岸の桜並木にそこそこ花が残っているのが眺望でき、久々に新川沿いを、荒川から江戸川まで徘徊することにした。
 新川は、川というより、古い河川通運のなごりの掘割に過ぎないが、それでも真間川よりは広い。延々と続く桜並木は、だいぶ花が散ってしまったとはいえ、やはり心がなごむ。
 土曜日だと、女児まじりの親子連れなんぞもけっこうそぞろ歩いており、さらに心がなごむ。

          ◇          ◇

 夜にはシネコンのレイトショーで、ようやく『ゴジラ−1.0』を観た。

 正直、狸の場合、山崎監督の過去の作品の多くに不満があり、特に原作付きの作品の解釈には多大な違和感を覚えたケースが多く、今回のゴジラも、テレビでロハになってから観れば充分と思っていた。
 しかし、特殊効果でアカデミー賞を受賞したという報のみならず、旧友の五十嵐氏が「特撮300点、ストーリーと音楽100点、神木君500点」などと絶賛メールを送ってよこしたので、咳と鼻水も治まったことだし、ようやく劇場に這いこんだわけである。

 なるほど、これは近来稀なる傑作ゴジラ映画。
 特殊効果は技術的にも演出的にも間違いなくハリウッドを凌ぎ、ストーリーと音楽も満点、神木君もその他の役者さんも、近頃の邦画の中では出色の演技であった。
 アカデミー賞の効果もあり、劇場公開が延長しているので、未見の方は、ぜひお急ぎを。

 ちなみに五十嵐氏は「ゴジラ30点」「震電65点」と、やや厳しい評価もしていた.
 狸としては、ゴジラそのものはド迫力だったが、なんぼなんでも出番が少なすぎて欲求不満が残り、個狸的には60点か。
 そして幻の戦闘機・震電に関しては、五十嵐氏ほどレシプロ機おたくではないものの、やっぱり空気感と飛びっぷりに違和感が残ったので、氏の評価と同じ65点。なんと言いますか、トップガンのジェット戦闘機っぽいのである。

          ◇          ◇

 さて、山崎監督の『三丁目の夕日』の一本目あたりでは、狸も許せる範囲だった昭和戦後描写の違和感、これが二本目で「ありゃ?」となり、三本目では「うわ、もうアウト」になってしまったわけだが、今にして思えば、近頃の昭和ネタのドラマなどに比較すれば、まだマシだった気もする。
 山崎監督は狸より数年後、かろうじて昭和30年代に生まれているが、当時はほんの数年の差で、時代感覚そのものが激変していた時代である。
 特撮おたく関係に限っても、狸にとってのウルトラマンは、小学校高学年になってようやく登場した画期的巨大ヒーローだが、山崎監督世代なら、幼稚園時代からいっしょに育っていたはずである。

 で、そんな山崎監督が、今回、確信犯的にカマしてきた、戦後史大改変――。
 なお、ここから先は、話がネタバレぎみになるので、未見の方は要注意。

 今回のゴジラで描かれる昭和20年から22年の日本は、力いっぱいの大技パラレルSF設定である。
 マッカーサーも日本にいないし、米軍もウヨウヨしていない。ただ武装解除されてしまった無防備の焦土で、ゴジラが派手にぶっ壊せるのは焼け残った銀座くらい――そんな、パラレル世界の昭和戦後なのである。
 で、これがズバリ、今回のドラマツルギーとしては、大正解なのであった。うるさ型の狸も、まったくツッコミを入れたくならないレベルの、神設定と言ってよい。

 そもそも、当時の米軍がゴジラ相手に参戦しちまったら、今回の劇的かつ感動的な人間ドラマそのものが成り立たない。
 ぶっちゃけ今回の『ゴジラ−1.0』で描かれているのは、日本という国家、あるいは民族全体が辿ってしまった大東亜戦争敗戦に至る黒歴史(怨念、制御不能のバーバリズム、報復欲、その他諸々)と、それに翻弄されてきた一介の個人たちの、ガチンコ勝負なのである。
 そのガチンコ勝負は、「神木君500点」の演技や他の方々の演技も相まって、感涙必至の結末に至るのだが――。

 『ゴジラ−1.0』のラストで、山崎監督は、またまた確信犯的に、不穏な趣向を提示してくる。
 死んだはずのヒロインが奇跡的に生還を果たし、菩薩のごとき微笑を浮かべてくれるのだが、その首筋に、奇妙な黒い痣が這い上がってくる。
 そのシーンの意味は、巷で種々の解釈がなされているが、飛散したゴジラの細胞が同化して再生能力を得たという点だけは間違いない。
 この趣向、狸には、日本人の再生とゴジラの再生は一蓮托生であるという、是々非々を越えた、悲壮な宿命論のように思われる。

 現実世界の日本の戦後だって、けして清廉潔白に復興を遂げたわけではない。国内的にも国際的にも、けっこうゴジラ的に理不尽なバーバリズムを振りまきながら復興してきた。
 その復興が飽和して、長い停滞期に移行した今、ゴジラ的なバーバリズムは、どうやら一介の国民同士のいがみ合いに分散しつつある。
 そしてそんな社会風潮を、意図的にか無意識的にかじわじわと醸造発酵させながら、日本という国家全体が、他国への武力誇示にシフトしつつある。

 ウスラボケっと日和見していると、マジにまたヤケクソのゴジラが上陸してきますよ。
 そのゴジラは、他国産のゴジラにあらず、日本民族の歴史の権化に他ならないのである。


04月08日 月  ぐじゅぐじゅけほけほ

 喉の痛みは治まったものの、鼻水と夜中の軽い咳が気道に残り、寝込むほどでも働けないほどでもないが、とにかく鬱陶しい。

 で、そうこうしている内に、またひとつ齢を重ねてしまった。
 春先の三寒四温に耐えられなくなったのも、明らかに体が老いているのである。

 でもまあ、嘆くまい。
 まだ脳味噌は腐っていないので、どこぞの大統領のように、片っ端から人を殺しまくる恐れはない。
 キシダ君のように目と耳が衰えきって、現世から乖離してしまったわけでもない。

 別に、老化はかまわんのである。
 ただ、老害化だけは避けたいものである。

          ◇          ◇

 『ブラタモリ』の後番組として、『新・プロジェクトX』が始まった。
 第一回のスカイツリーは、懐かしさもあって面白く観られたし、NHKらしく、建設中のドキュメント映像が豊富なのも良かった。

 何より嬉しかったのが、中島みゆき姐御の『地上の星』の、新バージョン。
 昔から、キーを上げて歌ってみてほしかったのである。
 旧バージョンは、姐御がドスを効かせまくっている時の声そのものだが、古いファンとしては、ぜひドス抜きの歌唱も聴きたかった。

 しかしこの番組、今後のネタは、大丈夫か。
 次回はカメラ付き携帯の話らしいが、そうそう画期的な新技術ネタは、平成以降、あまりなさそうに思える。
 大災害対応の新技術でも繰り出せば面白そうだが、全然別の番組になってしまう気もする。


04月01日 月  喉が痛い

 気温の乱高下に適応しそこね、絶賛喉痛中。
 昼は夏で夜は冬、みたいな変化は、かんべんしてほしい。
 砂漠やヒマラヤじゃないんだから。
 狸穴近辺は、桜もまったく開花してないし。ぶつぶつぶつ。