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12月29日 日  昔日茫茫

 秋らしい秋がなかったためか、いつもなら11月から生じる下脚部の貨幣状湿疹や、手指のヒビ割れが12月に入っても現れず、地球温暖化の数少ない利点かと喜んでいたら、ここ半月でイッキに攻めてきた。

 去年よりも時給が上がっているし、夜間手当なんぞも増えるので、働けど働けど我が暮らし楽にならざるわけではないのだが、なまけものの石川啄木よりは推定五割増し程度に狸の手が荒れまくり、親指の先などは左右から血がにじんでいる。おまけに、若い啄木と違って、足の脛がすこぶる痛痒い。

 ともあれ年内の就業は昨日まで、正月は6日のみ決定、以降はきれいさっぱり未定である。
 まあ毎年そんなもんだし、2月に振り込まれる年金を勘定に入れれば、入学進学前の繁忙期まで食いつなぐ程度には懐中が温まったから、足の脛も指先のヒビも、ガサガサの掌も、御の字である。

 しかし顔面だけは、なぜかちっとも乾燥しない。死ぬまでアブラ中年の顔面を維持できそうな気がする。頭髪も、一日洗髪をサボると脂っ気を帯びる。その脂が、なぜまったく手足に回らないのか、釈然としない。
 思い起こせば、往年のバス旅で、すでに老齢の蛭子さんも「顔の乾燥という感覚がわからない」と言っていた気がする。狸同様、ぶよんとしてしまりのない体形の賜物なのだろう。

          ◇          ◇

 風呂上がりに、ニベアやオロナインで手足を癒やし、電気敷布で温まった寝床に潜りこむと、子供の頃、湯たんぽや豆炭アンカしかなかった時代を思い出し、ささやかな幸福感に満たされる。
 生家の鉄砲風呂が壊れた時や、建て替えの最中に通った城南陸橋沿いのちっぽけな銭湯など、しきりに頭に浮かぶ。

 真冬の雪の薄暮、奥羽本線沿いにある古い醤油工場まで、一人で一升瓶を抱えて買い物に行かされた道筋なども、なぜか蘇る。
 さほど古い建物ではなく、味も素っ気も無い木造モルタルにトタン屋根の、作業場が広いぶんやたら寒々とした工場で、醤油だけでなく、ウスターソースや中濃ソースまで、同じ場所で作っていた。
 そうそう、ソースも一升瓶を抱えて買いに行ってたんだよな。確か一升瓶の半分とか、量り売りしてもらった記憶がある。

 都会では、とっくにブルドックソースやキッコーマンがメジャー化していたはずの時代だが、当時の地方都市には、戦後の名残と思われる、そんな町工場レベルの製造・卸売・小売業者が残っていた。
 無論、今となっては、生家ともども跡形もない。

 銭湯も、市内にはほとんど残っていないらしい。
 狸が時折覗いている古残のホームページ『消えた山形 〜黄昏の風景〜』に、銭湯の特集があったので、物好きな方はチェックしてみてください。
 ちっぽけでうらぶれた銭湯が、昔はあちこちにあったのです。
 いや、当時はちっともうらぶれておらず、掃除も行き届いていたんですけどね。


12月22日 日  冬に聴きたい恋の歌

 今月だけで、ふだんの四か月ぶんは稼いでます。
 気分が下がるだけと知りつつ、東京新聞もNHK9時のニュースも国際報道2024も、毎日見ております。
 狸は疲労コンパイラ。

 と、ゆーわけで、穢れなき日々の、冬ゲーのテーマソングに逃避します。
 いや、あの頃から穢れまくりだろう、狸――そうツッコむ方々も、多々いらっしゃるような気がします。
 いやいや、こんな歌を知っている一般人はほとんどいないだろう――とゆーよーな気もします。
 
 どのみち、テーマソングに穢れはありません。
 巷のハヤリ歌より、よほど純情可憐です。

     

     

     -

 純情可憐にせっせとアレしたり、ナニしたりもする――それが世界平和への道だと思うのだが、どうか。
 少なくとも闇バイトや戦争よりはマシだよね。


12月15日 日  未来への退化

 世界の情勢は不確定要素が増える一方だし、メーラーを立ち上げれば詐欺メールが大半を占めるし、ネットを覗けば激重の広告だらけで悪質な詐欺広告もあいかわらず野放し状態だし、今月は日雇い仕事に困らない一方で老体の衰えを嫌というほど実感するし、これはもう人生に絶望するしかない、などと頭を抱えている時間も多いわけだが、NHKで1971年の紅白歌合戦をノーカットで再放送してくれたりもして、気分はイッキに中学2年の子狸状態に退化、老狸の精神的萎縮ではなく、思春期の、けして明朗ではないものの、暗い前途だけは無限にあるような錯覚も蘇り、ずいぶん慰められた。

 放送された紅白歌合戦は、どうやら民生用のビデオテープに記録されていたものらしく、なんぼデジタル補正をかけてもけして画質は良くないのだが、それを見ている狸の半世紀以上前の記憶もすでにノイズだらけで不鮮明だから、いい勝負なのである。
 そして何より、出場している歌手も、途中の賑やかしに顔を出すお笑い系の方々も、1971年の大晦日には、まだ誰も死んでいない。
 考えてみれば、いや考えてみなくとも当然の話なのだが、狸がまだ生きている以上、1971年の大晦日は、まだ確実に、狸にとって存在しているのである。

 我思う、故に我あり。
 いや、正確には「我思う、故に我ありと思う」ですね。
 ともあれ、世界や日本がこれからどんな有様になろうと、狸は狸で、勝手に万物を思っていればいいのである。
 あとは野となれ山となれ。

          ◇          ◇

 ところで、打鍵中の伝奇物件、端役だった杉戸伸次君が、いよいよ勝手に動き回り始めた。
 サイコパスの主人公も、徐々に人間らしい情動を獲得しつつある。
 作者の当初の予定を離れて勝手に動くキャラが増えると、「おいおい、大丈夫か、この話。ほんとに最後まで語れるのか、俺」みたいな懐疑を抱きがちだが、語る側としては、実は先の楽しみが増えるのである。
 みんな、狸と一緒に、世界をアレしようね。


12月08日 日  ホワイトアウト

 韓国の大騒ぎに関して、冷静かつ客観的な考察などをたっぷり打鍵していたのだが、いきなりOSが韓国なみにとっちらかって、画面全体が例によってホワイトアウト、この雑想もきれいさっぱりブッ飛んだ。
 しかたがないから再起動し、雑想の収めてあるフォルダを調べたら、『狸穴雑想』のテキスト名で、きれいさっぱりゼロバイトの文書が残っていた。
 どないせいっつーねんまったくよう、などとボヤキながらも、そこはそれ小心な狸のこと、前回までのデータは、別のHDDとメモリースティックに、きっちりバックアップしてある。
 今はそれを読みだし、ご覧の通り、本日の雑想を打ち込んでいるわけだが、消えてしまった韓国に関する論考など、長々とまた打ち込む気力は残っていない。

 まあ結論だけ述べておけば、尹大統領は被害妄想でもなんでもなく、生粋の民主派として、現状打開のためにやむにやまれず戒厳令を発令してしまったのであり、今後、韓国が北好きの野党政権にシフトしたりすれば、北の首領様は「しめしめ」とほくそえみ、北の工作員たちは「ふう、うまくいった。これで偉大なる首領様に粛清されないですむ」と、胸をなでおろすはずである。
 念のため、狸は根も葉もない陰謀論を唱えているわけではない。
 北の首領様が「韓国は敵対国!」と明言した時点で、敵対国を無力化する算段など、とっくに済ませている。そうでなくては独裁者なんぞ勤まらない。アメリカや日本と違って、韓国は地続きの隣国、工作員などなんぼでも送りこめる。

 それにつけても、中国や北朝鮮が、未だに共産主義だの社会主義だのを表看板に掲げているのは、勘弁していただきたい。
 これではマルクスが浮かばれないし、未だに左側通行を旨としている狸も、独裁的帝国主義者と誤解されそうで落ち着かない。
 共産主義の主役は、あくまで無産階級なのである。

 思えば、近頃は国民の分断が進んで、民主主義の限界を迎えつつあると言われがちな欧米諸国も、分断できてこその民主国家なのである。
 独裁国家では、分断する前に、独裁者の意に沿わない側が粛清されてしまう。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって――。
 こないだ更新した伝奇物件、あいかわらずラストのパートだけ、PVがガンガン増えてゆく。
 それ以外の部分は、せいぜい6PVなのに、ラストだけ60PVを超えてしまった。
 正直、不気味である。
 どこのどなたが、なんのために突っついているのだろう。

 お願いですから、他のところも突っついてください。
 読んでくれなくてもいいですから、突っつくだけは突っついてください。
 狸は自己肯定感満載の勘違い野郎なので、「やったあ! 60人も読んでくれてる!」と、勝手に小躍りします。

 まあ、突っついてくれなくとも、勝手に続きは打ってますけど。


12月01日 日  クリスマスのことなど

 いやあ、いつのまにやら、世間は師走。
 この月ばかりは、その日暮らしの非正規労働者も、ありがたいことに、ほとんどアブれません。
 今年も良い子の皆さんにクリスマスプレゼントを配りまくるため、玩具関係のロジはフル回転です。
 ところで、諸物価高騰の昨今、玩具もやっぱり値上げされてるんでしょうか。
 必死こいて運びまくっているリカちゃんハウスなんぞが、店頭でナンボで売られるのか、運んでいる狸はちっとも知らないのである。
 でもまあ、いいや。女児が喜んでくれれば。
 リカちゃんやディズニープリンセス関係は、でっかい箱でも、そんなに重くないしな。
 しかしトミカの類は、段ボール箱単位だと、しこたま腰にくる。
 やはり狸は、男児を厭わざるをえないのである。

 などと言いつつ、大昔、カトリック系幼稚園に通っていた男児ゆえ、クリスマスイブに配ってもらえた安価なブリキの自動車や、紙の靴に詰まった駄菓子類が、サンタのくれるちょっと立派なプレゼントや、夕餉の卓にどーんと鎮座するクリスマスケーキとは別の次元で、やっぱり嬉しかったものである。
 そのちょっと前から、幼稚園前のガラスケースの中身が、キリスト誕生の馬小屋に模様替えされると、やっぱり心が踊ったものである。

 思えば当時は、夕餉の卓のケーキもあまり甘くないバタークリーム物件ばかりだったし、高価な鶏のモモ焼きなど、絶対に並ばなかった。
 しかし今年の狸は、ロブスターには手が届きそうにないが、鶏のモモ焼きならば確実に食える。生クリームのケーキだって、買えないことはない。別に食いたくないから買わないけど。

 今の日本は、なんのかんの言いつつ、やっぱり豊かな国だ。
 あとは、異国の天にまします我らの神とやらにしっかり再登場していただいて、不心得なアダムとイブの子孫に説教しなおし、世界のあちこちで続く殺し合いを、なんぼか治めていただきたいものである。 

          ◇          ◇

     

 ちなみに、上に挙げたパーシー・フェイスのクリスマス・アルバムは、昔、狸の生家にあったLPレコードと、まったく同じ内容である。
 もっとも、生家でLPレコードが再生できるようになったのは、狸が小学校の高学年に達してからだが。