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04月29日 火 Everybody Wants to Rule the World |
この歌が流行ってから、もう40年もたっているのだなあ。
この動画の和訳では、力いっぱい文脈が定かではないが、まあ英語の原詞も、力いっぱい思索的なまま放り投げてあって、その真意は計りがたい。
妙に調子よく人をノセるかと思えば、すぐにはぐらかされる。いかにも共感を誘うかと思えば、すぐに放り出される。しまいにゃ感動できそうになるが、結局、やっぱり置き去りにされる。なんだか、自分を含めた個々の人間が勝手気ままに自己主張している世界を、皮肉ってるんだか羨ましがってるんだか自分でもよくわからないまま生きている若者、そんな40年前の若者の姿が浮かんでくる。
で、40年が過ぎた今も、そんな若者、いや老若男女が世界には満ち充ちており、そのくせ誰もが40年前よりもずいぶん発作的に、世界中の人々に向かって声高に放言できてしまう現在だからこそ、これほどなにがなんだかわけのわからない世界が、仕上がってしまったのだろう。
しかし、歌詞中の『見出しだけを見て、なんで簡単に信じちゃうんだ?』というフレーズは、けだし名言である。
歌詞の主の若者は、けして丸っきりの馬鹿ではない。
その点は、有史以来の老若男女すべてに、心がけていただきたいものである。
……なんだか爺いの説教みたいな雑想になってしまった。
まあ、現に爺いなのだから、仕方がない。
04月22日 火 出遅れ狸 |
ありゃ、先週知った天才バイオりニストの吉村妃鞠ちゃんは、一ヶ月も前に、ベルリン・フィルのソリストとして大成功していたのですね。
これだから、世事に疎い老いぼれ狸の発言など、あてにならないわけである。
しかし、この動画における彼女の物言いは、女児至上主義者のツン愛を、みごとに掻き立ててくれる。
狸は、妙に世慣れした女児の、媚びるようなデレ形態を好まない。
発する声も、ただ率直でいてほしい。
天才児であれ凡児であれ、在るがままに在ってこその女児である。
◇ ◇
世事に疎い老いぼれ狸であればこそ、この齢になって、未読だった橘外男先生の旧作を読み始め、「うわ、すげえ! 日本にもこんな長編怪異文学の大傑作が存在していたのだ!」と、改めて刮目したりもする。
その作品とは――題して『墓が呼んでいる』。
傑出した短編として未だに各種の怪奇小説アンソロジーに収録され続ける『蒲団』や『逗子物語』、子供の頃に読んだ年少者向けの長編『怪猫屋敷』や、父親の書棚にあった化け猫ネタの大人向け長編『私は呪われている』、そして橘先生が量産していた海外実話形式の『人を呼ぶ湖』等に関しては、いつぞやここで記した。
しかし、狸が生まれる前年に連載されたという長編『墓が呼んでいる』は、とっくに青空文庫でテキスト化されていたにも関わらず、なぜか今まで手を付けずにいた。
たぶん、橘先生の傑作は短編に多いという先入観があったからだろう。
現に『怪猫屋敷』も『私は呪われている』も、小学生や中学生の頃に読んだからこそ新鮮で、何日間も夢中になれるほど怖かったわけで、今となっては、古き良き時代の怪談話、そんな懐旧しか感じない。
ところが、こないだ、ちょっと遠い日銭稼ぎの現場を紹介され、行き返りの電車の中で、ロハのスマホ読書用に、青空文庫から『墓が呼んでいる』を引っ張り出したわけだが――。
筆者自身が、肺結核で死期の近い若者から懺悔話を聞く――そんな発端こそ「ああ、よくあるパターンだな」と思ったものの、若者の告白に移ってからは、まったくとんでもねー、めくるめくような展開が、どーんと広がっていたのであった。
舞台は、あくまで日本の片田舎である。
しかし、そこに描かれた世界観の広がりは、もはや異次元。荒唐無稽と言いたいほど華麗にして甘美。
いや、別に伝奇小説っぽい地下世界が出現するわけでもなければ、大冒険が展開するわけでもありません。
言ってしまえば、山中で迷った青年が、美しい姉妹と父親の住む洋館で数日を過ごすだけなのだが、その語り口、つまり文芸力がハンパではない。
半分も読まない内に、「こ、これはマジに『嵐が丘』級のゴシック系文学作品に違いない」と確信し、狸はさっそくアマゾンで、金もないのにオンデマンドらしい紙本を注文してしまいました。値段も千円弱だったし。
届いたのは、文庫本よりも見劣りする粗末なペーパーバックだったが――いやあ、中身は期待通りでした。
館に至るまでの自然描写の緻密さはもとより、「おいおい、そんな東欧風の洋館や周辺の大施設なんぞ、日本のド田舎にあったはずねーだろう」な館周りの壮大な光景を、克明な描写と巧みな時代設定で、見事に現出させてしまう。
そして後半、青年が東京に戻ってからの背筋が冷えるような怪異、再び館を訪ねた際の鬼哭啾啾たる現地の変貌、そして明らかになる、青年が去ってからの、館の悲劇――。
青年は、それらの経験を筆者に告白した後、虚しく病死してしまうのだが、青年の遺志を汲んだ筆者は、後日、その僻地の館の跡を訪れ、青年が恐怖のあまり遠望しただけで逃げ帰ってしまったという、姉妹の墓に参る。
筆者が見たのは、青年の甘美な体験も、その後の凄惨な悲劇もすべて洗い流すような、静謐そのものの墓標であった。
嫉妬も怨念も忘れた死後の世界で、幼子のように三人仲良く戯れてくれたまえ――そう筆者が黙祷し、エンドマーク。
いやあ、さすがは直木賞作家の力量ですね。
あの名作短編『逗子物語』が、密度を保ったまま大風呂敷と化して、何百枚も続いたような傑作でした。
◇ ◇
こうした傑作に出会ってしまうと、狸自身がだらだら続けている怨霊物件など、まるっきり無意味に思えてくる。
あいかわらず、更新した最後の部分のPVだけが、なんでだか毎日毎日無限に増えてゆくのだが、全体を読み続けていらっしゃる方は、もはや推定3名様ポッキリ。
しかし、話の中のキャラたちが立ち止まってくれない以上、狸としては、語り続けるしかないのである。
以前にも述べたが、狸は高校時代、小説の真似事にすぎない、自分以外は誰も読まない文章を延々と書き連ねていた。
シャーペンでちまちまと3冊の大学ノートを埋めたが、結局、完結しなかった。
今となっては大学ノートがどこにあるかも定かではないし、目の前にあったとしても、読み返す気はない。
どうせ顔から火が出るくらい恥ずかしく、その顔から出た火で、ノートそのものを灰にしたくなるに決まっている。
それでも、書いている間の高揚感は、今もはっきり覚えている。
そして現在も、ちまちまとエディターで打ち進めていると、週に一度くらいは、ちゃんと脳内麻薬が噴出する。
04月15日 火 地上の星、地上の押し |
ありゃ、前回の雑想を読み返してみれば、やたらトンガった内容が脈絡もなく並んでいるなあ、などと我ながら呆れたりもするわけだが、まあ、先週はそんな精神状態だったのだろうし、過去の事など、もーきれいさっぱり気にしない事にする。
YOUTUBEで猫ばかり見ていたら、珠玉のAI猫動画に巡り会えた件を、先月に記した。
あの時は、いかにも猫動画しか見ていない猫親爺を装っていたが、実際の狸は、もっと高邁な動画を日々探し求めている。
それは狸の信じる、生物界におけるヒエラルキーに従って検索される。
(1)女子小学生、(2)女子中学生、(3)猫。
――以上、ジョークのようでいて、実は全くの本音である。
近頃、久しぶりに世界の少女合唱団や、女児の演奏会動画を検索しまくっていたら、以下のような動画がトップに現れた。
こ、この神々しさは何ならむ。まさに夢幻の現出か。
いやあ、こんな珠玉の女児の存在を何年も知らずにいた自分を、タコ殴りにしてやりたい。
いかなる世界情勢の混迷も全人類の愚行も、自らの恥ずべき狸生も、この女児の存在ひとつで、狸は全てを受容できる。
現在、13歳のロリ盛りに至った彼女は、間もなくウィーン・フィルのソリストとしてデビューを果たすそうだ。
この地上の星が、末長く光り続けることを祈るため、狸はこの地上に、1秒でも長く在り続けたい。
04月08日 火 ♪ カ〜ネがないです ヒン、コン、シャ〜ン ♪ |
などと朗らかに歌いつつ、今年の花見は電車賃のかからない真間川ですませた。
天を突くほど巨大な金メッキされたウンコたちが、どんなに臭い息を世界に吐きかけようと、桜は咲き、やがて散り、花筏となって流れ去る。
そんな花々を見習って、ウンコたちにも、早急に潔く散ってほしいものである。
ただし桜とは別状、二度と咲かないのが吉。
そのまんま海に流れて、魚の餌になるのが大吉。
◇ ◇
などと言いつつ、毎朝の新聞に挟まってくるチラシを眺めると、スーパー系はともかくデパート系などは、あいかわず地方物産展とやらで、ゴージャスな品々をアピールしている。一介の狸には、もはや死ぬまで口にできないであろう、高価な食品ばかりである。
当然ながら、売れるからこそ宣伝しているわけで、ほんとにそんなに貧しいんですか、今のこの国は。
まあ、狸が極端に貧しいのは厳然たる事実であるが、夫婦でそこそこ働いている姉の家にでも行けば、鰻重だって驕ってもらえる。
デパートのチラシに載っていた仙台の牛タン弁当だって、米沢牛のハンバーガーだって、たぶん驕ってもらえるだろう。
要は、金なんぞ、あるところには、ちゃんとあるのである。
ただ、狸らが堕ちてしまった無産階級では、確かに貧乏人が貧乏人の仲間内で金を奪い合い、その奪い合いを保つことによって有産階級が自動的に富を吸い上げる、そんな構図がしっかりと組み上がっている。
姉の家は、けして有産階級などとは称せない中級の下っ端であるものの、見るからに極貧の狸には鰻重を驕ってくれるし、大災害の被災地にだって、僅かながら義援金を送ったりもする。
かく言う狸だって、毎月一日分の日銭くらいは、発展途上国の女児に役立ててもらっている。ただし国内の女児には送っていない。すみませんすみません。でも消費税は、否が応でもふんだくられているので、そっちからなんとかしてください、政権の方々。
◇ ◇
巷で流行っているらしい外務省解体デモなんぞのニュースを聞くと、この国には本当にマジバカが増えてしまったのだなあ、と痛感する。
今日日の日本、積極財政なんて、できるわきゃねーだろう。それこそ円安一直線だぞ。財政破綻に一直線だ。
一般国民にバラまくべきお札の山なんぞ、わざわざ刷り足さなくとも、すでにちゃんとある。有産階級の頂点にいる連中の懐に、どんどん積み上がっているだけだ。
財務省なんぞ解体したって、資本主義が続く限り、その構図は永遠に続く。共産主義を標榜する、国家資本主義の国も同じことだ。
日本人が戦前の国民性のまま共産主義革命に走ったら、あんがいシヤワセな国が仕上がったのではないか――。
などと見果てぬ夢を見る、今日この頃の老狸である。
01月01日 火 謹賀新年 |
皆様、明けましておめでとうございます。
気温は例年なみですが、あいにくの冷たい雨ですね。
その冷たい雨の中、狸は柴又まで、初詣に行ってまいりました。
途中の江戸川沿いには、なぜか桜の花などもちらほら見受けられ、異常気象もここまでくると、いよいよ末世かと不安になってしまいます。
冬なら冬らしく、雪でも降ってほしいところです。
え? 腰痛?
それはなんの話ですか?
寒風の中を出歩いたためか、久々に扁桃腺が疼きそうな予感はしますが、狸の腰はいたって健康です。
その証拠に、力いっぱいバク転しながら帝釈天の山門をくぐり抜けたりもする今日この頃、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでございましょうや否や!!
――なお、以上の雑想は、生成AIによって出力されております。
◇ ◇
先週の半ば、念のため整体屋さんに出かけて腰を揉んでもらい、その後、探食活動を再開した。
腰を屈めて荷物を持ち上げたりするとヤバそうな気もするので、えいやっ、とか言いながら、なるべく垂直方向に力を保ったまま行動している。
おかげさまで、腰痛が再発する様子はない。
◇ ◇
今朝の東京新聞は、何かとキナくさい世相を笑い飛ばすように、力いっぱいエイプリル・フールに走っていた。
いつもなら、見開きの下半分を細かい株式が占めるあたりで、上半分全部を、冗談じみたフェイクニュースで満たしていたのである。
つまり、まるまる一面ぶん、四月馬鹿に費やしたことになる。
もちろん、どの記事も「ジョークですよ」と謳った上での掲載だが、同じ左側通行でも朝日新聞には真似できない地方紙の強み、というか居直りっぷりで、他の記事が不安に充ち満ちているからこそ、そんなユルさが心地よい。
全世界が、恐怖の大王のごとき天変地異や、天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコに弄ばれる昨今だからこそ、狸はユルく生きてユルく死にたい。
誰かを鉄砲で撃つよりは、撃たれて狸汁になるほうが、ずっとユルいものね。