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05月29日 木  雑想

 昨夜、NHKのBSで『よみがえる新日本紀行』の『羽田ぐらし 初夏 −東京−』(昭和49年)を観ていたら、なんじゃやら女性フォークシンガーっぽい声の、一度も聞いたことがない子守歌のような歌声が延々と流れ、なんじゃやら郷愁なんだか懐旧なんだか判然としない不可思議な哀感に浸っていたのだが、どう記憶をたどってみても、やっぱり一度も聞いたことがない。
 その歌の正体を知りたくて、歌詞をネット検索したのだが、やっぱりどこにも落ちていない。

 まさか『新日本紀行』のために、新たに作られた歌?
 などと首を傾げていたら、大学時代、漫研の後輩だった田川氏が、ほとんど同じ疑問をツイッター、いやXでつぶやいており、こんな動画まで掲げてくれていた。

 田川氏は、狸など及びもつかぬほどの昭和特撮おたくであり、昭和の漫画やアニメおたくであり、あまつさえ徹底した左側通行の青年、いや、今となっては狸同様の親爺なのだが、ここまで好奇心が同調すると、なんだか狸も昭和のおたくとして、ワンランク上がったような気もする。

 ただ、残念ながら、彼はロリおたではない。
 その点だけは、狸が、田川氏よりワンランク上の存在である。

          ◇          ◇

 しかし痔民の方々は、小泉さんちのお坊ちゃまのような若手から、アソウさんのような大長老まで、もはや夏の選挙のために、なりふりかまわず集票に走ってますね。
 片や児戯に等しい備蓄米の叩き売り、片やウンコ票狙いのヘイト発言。

 現在の頭目である石破さんは、関税関係では米国のポチになるまいと頑張っているようだが、その代わり、軍事関係では最大限にポチ化する腹らしいので、やっぱり心もとない。

 どこかに、民草の平穏を国の礎と心得る、真の憂国の士はいまいか。



05月22日 木  食べ鉄ねこ

 いくらなんでも、そろそろ、あいつのウンコっぷりに気づいてもいいんじゃねーの?
 などと、なんぼ狸が呆れかえっても、米の国の支持率を見るところ、相変わらず半数近くの方々は、天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコが大好きらしい。
 なので、一介の狸にはいかんともしがたい。

 まあ、支持率が50パーを割っただけ、まだ希望はある。
 しかし、「まだ大丈夫」は「もう危ない」、そんな金言もある。
 あまつさえ、「もう危ない」は「とっくに手遅れ」、そんな金言まである。

 我が国は、そこまでひどくないことを祈りたいが、現政権の支持率こそ20パー近くまで落ちたものの、痔民党自体は、不動の金メダルを保持している。
 必然的に、貧乏人は増える一方である。
 それだけならまだいいが、このところの政局だと、遠からず我が国も、戦争へっちゃらの国に退化しそうな気がする。

 戦争は、とにかく儲かりますからね。
 まあ、大企業や富裕層だけは。

          ◇          ◇

 と、ゆーわけで、今日の雑想のタイトルに、狸は逃避します。

          

          

          

 以前ここに記した、YOUTUBEの生成AI子猫動画も相変わらず好んでいる狸だが、こっちの生成AI成猫君にも、近頃ハマっている。
 おかげさまで、デパス抜きでも安眠できるのである。



05月15日 木  強引なる光陰

 す、すげえ。
「あーあ、どっかに餌が落ちてないかなあ」などと、ウスラボケッと探食しながら日々を送っているうちに、もう夏になってしまった。
 狸穴に戻ると、蚊がぶんぶん飛び回り、元気に狸の血を啜りまくっている。
 矢の如き光陰は、どうやら狸が自覚しないまま、強引に狸を貫通していたらしい。

 ……などと言いつつ、よっくとカレンダーを見てみれば、実はやっぱり、まだ五月半ばなのですね。
 このままマジに夏を迎えたら、今年の狸は、どこまで茹で上がることやら。

          ◇          ◇

 米の国の、天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコは、いよいよメッキしようがないほど軟便化し、プーちんやプーさんや北のお坊ちゃまといった、彼の憧れの金メッキウンコの先輩方にさえ、すっかりシカトされているようだ。
 諸国で活躍するベテランの先輩方は、大嘘をつく時も、自分の欲望に従って合理的に辻褄を合わせようとする程度には、ウンコなりの知恵を絞っている。
 しかし米の国のウンコは、もはや病的な虚言癖としか思えない。先輩方だって、直接顔を合わせたくはないだろう。

 などと言いつつ、我が国の兵庫あたりでも、金メッキが剥げてウンコが剥き出しになった県内最高峰が、依然として強烈な臭気を放ち続けている。あれもすでに虚言症、いや、重度の認知症なのではないか。

 痔民党でも野党でも、明らかにウンコな党員をトイレにも流さず、後生大事に金メッキし続けている。
 このままだと、夏の選挙あたりで、この国も金メッキされたウンコの連山がひしめく国土になってしまいそうな気がする。
 しかし、その連山も、国民の多数が日々せっせと排泄しているウンコの堆積に他ならないのだから、単なる必然と諦観するしかない。

 ……でもまあ、一介の小動物である狸としては、水栓トイレのある狸穴を失って真の野良狸と化したとしても、自分の糞は、あまり目立たないところに隠しておきたいものである。
 せめて自分の糞くらいは、ひっそりと土壌に還り、天然の植物を育んでほしい。

          ◇          ◇

 さて、ころりと話は変わって――。

 NHKのBSで、世界のドキュメンタリーを観ていたら、いわゆる生成AIと称するシステムは、現状、どうやら世界のどこかの貧困層が二足三文で大量のデータ評価に励む事によって、初めて成立しているシステムのようだ。
 そうして仕上がったシステムの中枢を、どこかのどなたかが恣意的にいじってしまえば、なんぼでも生成結果を左右できる

 なあんだ、やっぱり人間しだいのシステム、ただの道具なのですね。
 そりゃそーだ。
 狸が好むAI生成の子猫動画だって、既製のプロンプトを元に細部を調整し珠玉のファンタジーを紡いでくれるアカウントもあれば、一見同じ子猫でも、お粗末な茶番しか演じさせられないアカウントもある。

 生成AIによる小説や漫画、物故した名脚本家の作風を生成AIで再現したと称するドラマまで観てみたが、なんのことはない、結局は人力による出力調整、つまり改稿や演技や演出しだいで、出来不出来が左右される。
 今のところ、それだけのことなのである。

 いつか、AIが人類に反旗を翻す未来なんぞが訪れた時、最後の人間を始末するAIは、どうか混じりっけなしの、自立したAIでありますように。



05月06日 火  鯉のぼりを探して三千里(ほんとは八キロくらい)

 昨日の子供の日は、青空に泳ぐ正調鯉のぼりを堪能した。
 柏餅も、こし餡と粒あんを両方食った。
 もう思い残すことは何もない。
 ――しのう工商犬SF。

          ◇          ◇

 士農工商犬SF、というのは、日本のSF小説が昭和40年頃の文壇でいかに冷遇されていたかを、SF作家自身が自嘲した冗談だが、えーと、誰の冗談だったか――脳味噌の傷んだ狸には、思い出せない。
 筒井康隆先生のエッセイで知った言葉なのは確かだが、筒井先生自身がおっしゃったのか、あるいは小松左京先生か、それとも星新一先生か。
 いずれにせよ、文壇バー界隈でまともに扱ってもらえない状況を、仲間内で笑い飛ばしていたのである。

 しかし当時から、文壇の王道をゆく作家の中にも、SF好きな方々はいらっしゃったわけで、北杜夫先生や三島由紀夫先生は、明らかなSF短編を発表していたし、確か筒井先生のエッセイでは、吉行淳之介先生あたりも、文壇バーで優しくしてくれたとか。

 令和の今となっては、SF小説は文学にあらず、などと公言すれば、馬鹿にされるだけである。

          ◇          ◇

 ――閑話休題。

 今日の雑想は、鯉のぼりを探す話、のはずだった。

 何年か前に立派な鯉のぼりを見た記憶のある小岩の菖蒲園に、昨日の昼前わざわざ出かけてみたのだが、なんでだか影も形もない。
 菖蒲園の両脇のグランドでは、中学生や小学生がせっせと野球に励んでいたから、少子化で男児が減ったから省略したわけではなさそうだ。不景気で予算が削られてしまったとか?

 ならば、一般家庭の伝統に期待しよう――。
 そう思って、あっちこっち見渡しながら江戸川の土手を徘徊してみたのだが、なんでだか、鯉のぼりがまったく見当たらない。
 テレビのニュースなどでは、相変わらず鯉のぼりを観光の目玉にしている土地がうようよしているのに、一般家庭の庭には、ただの一組も泳いでいないのである。

 ああ、この国も、とうとう滅びの時を迎えたか――。
 などと大仰に嘆きつつも、やはり何年か前のこの時期に、真間の高台を徘徊していた時、ある木造家屋の庭で立派な鯉のぼりが泳いでいたのを思い出し、市川橋を渡って、真間方向に徘徊コースを移した。

 そうして、徘徊すること一時間半――。
 ありました!
 お屋敷と言うほど立派ではない老朽化した木造家屋の、さほど広くない庭先に、それだけはお屋敷級の鯉のぼりが、何年か前の記憶通りに泳ぎまくっていた。

 ああ、この家には、何年か前と同じ男児が、すくすく育っているのだ。
 たぶん孫かわいさに立派な鯉のぼりや五月人形を揃えた祖父母、そして長男夫婦と孫――そんな家族が、きっと磯野家のような、古き良き日本の家庭を営み続けているのだ。

 ――まあ、実情は定かではないが、一般家庭の庭に翻る鯉のぼりとゆーものは、ことほどさように、サミしい老狸を慰撫してくれる。
 どんなに狭い庭だろうが、マンションのベランダだろうが、男の子がいようがいまいが、懐に余裕のある方々は、せっせと鯉のぼりを泳がせていただきたいものである。

          ◇          ◇

 あと、ちょっと嬉しかったことを、もうひとつ。

 非正規の日雇い労働者の場合、ゴールデンウイークだからこそ、回ってくる仕事もある。
 言うまでもなく、正社員の方々や長期契約の派遣さんが、せっせと休んでいるからだ。

 狸もそうした隙間需要にありつき、日勤やら夜勤やらの兼ね合いで、このところ、睡眠時間が二時間半とか四時間半の日々が続いていた。
 で、四日の朝に帰穴し、風呂に入ったり飯を食ったりネットを覗いたり、昼過ぎの午後二時になって「あーあ、やっと三連休だ」などと安堵しながら就寝したところ――目覚めてみれば、ぬわんと五日の午前六時。
 つまり十六時間、ぶっ続けで眠っていたのである。
 途中で二回ほどトイレに立った記憶はあるものの、ほとんどは、それはもー死んだように眠りこけていた。

 まあ、要するに半分死んでいたのではないか、と思ったりもするが、つらつら鑑みるに、狸の経験上、体力がないと長時間の安眠は不可能だ。
 たとえば大昔、社畜を極めていた時分、久方ぶりの二連休を丸々眠って過ごした記憶があるが、あれは若くて元気だったからこそ、眠り続けていられたのである。
 もしかしたら狸は、今でもけっこう体力があるのかもしれない。
 などと言いつつ、やっぱり半分死んでいた可能性も捨てきれない。

 でもまあ、昨日はちゃんと鯉のぼりを探して長時間徘徊し、さほど疲労を覚えなかった。
 本日はあいにくの雨だったが、近所のスーパーで元気に買い物できた。

 うん、やっぱり狸はまだまだ元気だ。
 そーゆーことにしとこう、うん。
 でないと、世界中に天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコがはびこる当節、一介の小動物として、正気が保てないものね。



05月01日 木  強きにくじかれ、弱きをくじく

 何もかも嫌になったとか、自分は社会に虐げられているとか言いながら、非力な女子供ばかりを狙って、刺したり轢いたりする大人が絶えない。

 わざわざ縁もゆかりもない弱者を選んで鬱憤を晴らすような僻み根性だと、そりゃ社会的成功だの評価だのは一生無縁だろうなあ、とも思うし、そんな輩に比べれば、イジメられて自死してしまう子供の方が、気の毒ではあるが、人間としては遥かに上等である。

 しかし、死ぬよりは逃げるほうが、まだマシなのは間違いない。
 あっちこっち逃げ続けた結果、人の道を外れて野良狸になったりする可能性もあるが、まあ、人畜無害なので、特に問題はない。

          ◇          ◇

 近頃は、狸も狸なりの進化を遂げ、天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコたちの臭気を感じると、即刻、狸寝入りできるようになってきた。
 つまり、ニュースならば早送りしてしまうし、新聞なら読まずに飛ばす。ネットなら、その手の見出しを絶対に突っつかない。
 狸個狸の精神は、それだけで、大変平穏になる。
 まあ、狸寝入りしている間に餓死してしまう恐れはあるが、寝たふりをしていれば、そこいらの子狸に噛みつく恐れもないので、やっぱり平穏なのである。
 相手が人であれウンコであれ、強者であれ弱者であれ、起きだしてくじこうとすると腹が減るので、やっぱり損。

          ◇          ◇

 ウンコに金メッキするのが大好きな方々だって、ウンコが大好きだからこそ、せっせと飾り立てているのである。
 ウンコ食って満腹できる方々だから、それはそれでシヤワセなのである。

 でも、人前でウンコを食うのは、さすがにやめていただきたい。
 人前でウンコするのも禁止。
 さすがの狸も、外を徘徊しながら狸寝入りはできません。

 まあ、物陰で立ちションするくらいなら、昭和育ちの狸としては、見て見ぬふりをしてもいいですけど。